トロピカル〜ジュ! プリキュアを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月15日
無事追試を乗り越えたまなつは、トロピカる部初のイベントとしてサンドアート大会を企画する。
アクシデントも乗り越えて、皆の笑顔と思いでを砂に刻む大会は大成功!
そんな青春の輝きを、水底から見つめるローラの視線を、まなつだけが知っていた。
そんな感じのトロ部大活躍! 弾けろ青春の1ページ!! …っていうエピソード、なんだけども。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月15日
大前提としてとてもいいお話だったつう事を抑えつつ、一週間唸らされる難しい話であった。
この難しさは、自分の中のある部分が作品の描写と勝手に化学反応して生まれた、作品に責無いものだ。
のどかなあおぞら市の風を反映して、訳の分からねぇトンチキ部主催の大会にニコニコしながら参加して、それぞれ個性あるサンドアートを作った部活連中も気持ちよかったし、そういう奴らに楽しい時間を提供できたトロ部も、大変立派だった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月15日
彼女らが学校という社会に、自然と認められた嬉しさがあった
まなつの一瞬主義を反映して、トロ部に明確な活動指針はない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月15日
今やるべきだと思えたことを、とにかくやる。
それは刹那的な快楽主義ではなく、本当に大事なものを感覚し、全力で三昧できるまなつの資質に裏打ちされた、倫理的でポジティブな活動である。
まなつはやりたい事とやるべき事が、自然と=で結ばれやすい、得難い資質を持っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月15日
彼女が『やりたい!』と思えたことは大概、彼女一人の喜びで終わらず、誰かの…あるいはみんなのハッピーになっていく。
まぁそういう人格がないと、プリキュアの主役は張りにくい、つう事情もあるけど。
それはまなつが自分の考えに固執せず、違った考えと資質を持った他人の考えをおおらかに受け入れ、変わること自体を楽しむ余裕を持つからでもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月15日
みのりんセンパイの叡智を跳ね除けることなく、『本をたくさん読んでてて凄いなー!』と心から讃えつつ、アイデアを受け入れ、部全体で挑む。
あすかセンパイが万能人っぷりを発揮し、自分のへにょへにょデッサンを直しても怒らない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月15日
むしろ『もっと良くなった!』と受け入れていく。
それが現場で別の形になっていっても、一位になれなくても、それはそれで得難い体験であり、かけがえのない喜びとして受け止めていく。
思い通りにならない可変的な現実を、むしろ全肯定し身を任せる積極性が、周囲に溢れ出して明るい空気を作る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月15日
まなつと、彼女が中心にあるトロピカる部が社会に対しどういう影響を及ぼし、幸福を広げうるかを凄くよく描いた話だと思う。
トロプリらしい、曇りのない真っ直ぐなエピソードだ。
さて、こっから一週間答えが出なかった部分と取っ組み合いしていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月15日
そんなサンドアート大会に、人魚であるローラは交じることが出来ない。
ポッドの奥の私的空間から眺め、写真に取り、物陰でパラセイルのアイデアを出し、人知れず大会を成功させる。
まなつはそんな社会の影にも、構えることなく真摯に向き合う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月15日
アクシデントを乗り越えるローラのアイデアに感謝し、真夜中二人きり水際で語らう。
それは偉い。本当に偉い。
俺はまなつが外見や立場に拘らず、泥に汚れるのも気にせずローラの間近にいることを、本当に偉いと思う。
その上で、『やっぱ足らねぇんじゃねぇかな…』と思った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月15日
ローラが堂々社会に姿を晒して、人魚だろうと気にせず水路を歩いて、望むままみんなに混じって楽しめるほうが、色んな意味で良いんじゃねぇかな、と思った。
そして、それが色んな意味で難しそうだな、とも。
かつて僕はローラがまなつに抱きついた時『なんで?』と思ったが、今回日陰に立ち続けるローラのあり方を見て、百合文脈での茶化しも混じったこの発言を恥じることになった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月15日
陸上では思うように歩行できない彼女にとって、まなつは一番信頼できる杖であり、だから縋るのだ。
そこには、かなり必死なものがあると思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月15日
ローラは自分を強く持っている…強い自分を保持することで、異境でも崩れず頑張っている人だけど、たった一人故国を離れ、身体的なハンディを背負いつつ生きている事実は、彼女を寂しくする。
水の底なら、エラもヒレもない人間のほうがハンディを背負う。
だが陸の上では、ローラはズルリと這いずり、自分が望む場所で望むように笑うことが出来ない立場に追いやられてしまう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月15日
そこに惨めさを感じない所が、彼女の良さであり強さだ。
ハンディがあるキツさにクローズアップすると、トロプリ全体の空気が変わる大きな問題でもあろう。
水路の多いあおぞら市はある意味、人魚のダイバーシティに配慮した街だとも言えるが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月15日
しかし社会的には、人魚はファンタジーの中の住人であり、実態として何を望み、何に苦しむか訴えられない立場にある。
アンデルセンが生み出した虚像が、勝手に流通しているのが現状である。
ローラが日陰に入ることで、放課後秘密の冒険、プリキュアをプリキュア足らしめる特別なファンタジーが駆動しているという構造も、ここにはあると思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月15日
日の当たる日常と、日陰の非日常の落差があればこそ、”変身”を主題に据えた物語は駆動しうる。秘密と特別さがなければ、冒険は動き出さない…
のか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月15日
武器を握らずとも共に戦う同志であり、かけがえでもない隣人でもある存在を、当たり前の社会に対しどう扱うかは、シリーズ内部でも結構グラデーションがある部分だ。
例えば制服を来て、人の形を取って日常に混ざるものもいる。
日常の中の非日常として、秘密基地的なお店に住まうものもいる。
あるいは制服を着ないまま、学校という社会の外側を軽やかに歩き続けた、ユニのような存在もいる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月15日
ハロウィンのパレードの中に、宇宙人の異物性が一瞬、日常に溶け込み得たスタプリ第38話は、とても優しい物語であったと思う。
しかし、それはあくまで特別な祝祭の奇跡だ。
非日常の秘密を担保しうる存在が日常になれば、作品全体のフレームが変化するので、仮に彼らファンタジーの住人を新たな日常とするなら、それは主にフィナーレに置かれることになる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月15日
異界とのゲートを開き、交易や政治を含めた新天地として、秘密が堂々公になって世界を変えたドキプリのように。
あるいは光の中で宇宙の輩と再開し得た、大人になったひかるのように。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月15日
描かれない(からこそ豊かな)ファーストコンタクトのあと、あの世界は様々に変わっていくのだろうが、宇宙人が当たり前にいる地球がどうなったかは、物語の枠の外側にある(からこそ豊かな)新たなファンタジーでもある。
児童の憧れと親しみやすさを物語に導くべく、特別で孤独な存在として描かれるファンタジーの住人。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月15日
彼らが当たり前の日常から”お別れ”する姿は、プリキュア最後の見せ場としてある意味定型化しているが、幻想の住人をファンタジーに帰還させ、日常に安定を取り戻すことで物語は終わっていく。
非常に悪し様で冷たい言い方をすれば、悪の根源を打倒し、人間様が取り戻した”普通”に、異界の住人の居場所はない(事が多い)のだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月15日
日常と非日常のバランスが崩れた故に、生み出されていた特別な冒険。
それが終われば、日常は安定を取り戻し、異界の住人は彼らの故郷に帰る。
それだけが”プリキュア”が描き、選んだ来た結末ではないことは、既に書いたけども。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月15日
非日常が非日常であり続けるために、ファンタジーの住人は人間社会のスタンダードに同化し、あるいは隠れ住み、マイノリティであることを維持し続ける。
妖精は、妖精としてあるがまま社会に溶け込めない。
人間の形を手に入れたり、無害な動物を装ったり、何かしら自分を譲って、社会のスタンダードにおもねる形で物語内部での生存権を獲得することになる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月15日
しかし今回のローラは、『そんなのは嫌だ』と強く語っていた。
ならば、まなつとトロプリはその訴えを受け取る義務があるのではないか。
人目に触れぬ夜の水辺だけでなく、皆の笑顔が輝く昼間の世界に、尾びれの生えたローラのまま、笑わせてやることが大事なのではないか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月15日
そんな事を、僕は思ってしまったのだ。
声と命を失って、人間様になればお前を陸で生かしてやる。
そういうアンデルセン的回答に、既にローラはNOを告げている。
社会が消費する悲劇の主役として、実態を反映しないファンタジーとして自分があるのではなく、性格極悪で上昇志向が強く、ズケズケ言いたいことを言う一体の実在として、今ここに自分がいることを強く吠えている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月15日
その躍動に、みのりも目を見開き、ファンタジーの形を改めていた。
肉体的・社会的ハンディキャップを扱うことになる非常にナイーブな問題であるし、多分ここに繊細な筆を取り回して”正解”しても、玩具販促番組としてのプリキュアにはそこまで益はないのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月15日
非常にシビアな経済原則で、このキラキラ夢物語が回っているのは、皆さんご承知のとおりだ。
しかしあえて無責任な立場から、自分が見たい物語だけを言わせてもらうのならば、今回ローラが見せた社会参加への意志、陰りの一切ない自己実現への希求は、より発展性のある解決のために話数を使ってほしいな、と思う表現だった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月15日
特別に出会えた二人の、真夜中の秘密で終わらせてほしくないと感じた
思いでを物陰から写真に収めることしか許されない立場ではなく、堂々喜びの主役として砂をいじり、時には失敗して周囲に咎められ、そこからまた成長できるような場所に、ローラを押し出して欲しいと思った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月15日
そう出来る場所として、あおぞら市を描いて欲しいと願った。
そう描くことが時代にあってるかとか、これからの未来を生きる子供に糧になるかとかは、時代全体を見通せず未来ある子供でもない自分には確言出来ない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月15日
ただ、自分の好みとしてローラに非日常を背負わせて、当たり前で切実な願いから疎外することのないよう、今後の話を進めて欲しい。
まなつは脳直結の激情人間に見えて、他人の事情をよく見て、柔軟に受け入れる賢さがある少女として、既に描かれている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月15日
焼け付くような明るさで無神経に誰かを焼くのではなく、他人の痛みや寂しさに柔らかな温もりを差し出せる少女なのだと、幾度も描かれている。
その描写を完遂する意味でも、ローラがポッドの中で密やかに温めた寂しさに手を添えて、世界が人魚の存在を許さないなら世界ごと変えながら、一緒に進んでいって欲しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月15日
夏海まなつは、泥にまみれてでも自分を救ってくれた親友に、迷わず抱きつける人なのだから。
『寂しくなんて無い、私は私!』とツンツンしつつ、どうしても人に混じり偽ること無い己を達成させたいローラの描写は、彼女が社会的な動物だからこそ生まれている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月15日
マジでただの可愛い生き物であるくるるんは、そういうことには思い悩まない。日々幸せに、ただただくるるんであることに自足する。
そういう禽獣の悟りに、”人”魚であるローラは満足できない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月15日
ものを考え、誰かと語り合う言葉を持ち、その手で世界を変えうる可能性を持っているのなら、認められたいと願う。
日陰の中で、身を潜めてばかりではいたくないと感じる。
それは当たり前のことだ。非常に大事なことだ。
僕は”制服を着ないプリキュア”としてキュアコスモを描きぬいたことには、凄く大きな意味があったと感じている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月15日
同じく、ハンディキャップパーソンとしての側面を必然的に背負ってしまう(あるいは、意図して背負わせた)ローラをどう描ききるかで、焼き付けられる意味があると思っている。
特別に選ばれた変身ヒロインの物語を描くからこそ、”プリキュア”は戦わぬ人の戦い、特別さに選ばれなかった者たちの尊厳に気を使いながら、物語を編んできた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月15日
ここら辺一番象徴的なのは、Goプリのゆいちゃんの描き方だと思っている。
犠牲になるしかなかったものが、決定的に勝つまでの連作。
それをしっかりすくい上げたことが、あの作品の強靭な背骨となり、その面白さや麗しさを支えていると僕は感じている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月15日
そんな靭やかさを、今後のローラの描写、ローラに寄り添うまなつたちの描写から生み出して欲しいと、僕は思っているのだ。
作品には個別のトーンがある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月15日
僕にとっては不可欠に思える要素でも、全体の調整を考えれば踏み込むわけに行かない時もあろう。
しかし底抜けに陽気に思えて、しかしかなり思弁的に社会や人間を見据えてもいるトロプリが、ローラのあの視線を切り取ってしまった以上。
ハンディを背負ったファンタジーの人間が、社会に漕ぎ出していく物語…それを許容する社会と個人は、結構腰を据えて書いてほしいし、書くしか無いのではないか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月15日
そんな事を考えながら、一週間マゴマゴと足踏みをしていた。
この欲望が叶うかは、全然わからない。
客観的に見れば作中の一要素でしか無いし、他に描くべきものは沢山ある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月15日
それでもやはり、自分の中でゆるがせにできない、してほしくない大事な描写である。
俺はローラに、トロ部に混じって陽の光の下、なんの憂いもなく思いっきり笑って欲しい。
それはローラ自身がそう願っているからだし、俺が見たいからでもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月15日
このワガママがどれだけの妥当性があるかは、僕自身では判別がつかない部分であり、また今このタイミングで判別することでもないと思う。
今、あおぞら市にローラは出ていけない。それが作中の現状である。
それが変わりうるのか…特別なファンタジーを生み出す非日常と日常のギャップ・バランスを崩してまで変える場所なのかは、今後の物語をしっかり見なければ判断できないだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月15日
ただまぁ、俺はローラが好きだから。
彼女が望むことは、なんの傷もなく完璧に為し遂げてやって欲しい。
そう思う、大成功のサンドアート大会でした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月15日
いやー…ここまで書いてなお、全然収まりどころが解かんねぇな。自分の心境的にも、作品の運び的にも…。
それはトロプリにどうなるか判らない無限の可能性があればこそ、不安定に揺れてる部分でもあるので、まぁフラフラさせておこうと思います。
僕は製作者でもエスパーでもないので、何考えて話作ってて何を目指してるかなんて、不格好な推察で近づくしかない部分なんだけど。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月15日
それでも今回の書き方は、ローラの孤独は現状報告で終わらせない意思をどこか、受け取ってしまうのだよな…どーなんだろ、わっかんねー…。
ジジイの繰り言と不確定な未来は横に置いて、大会の成功を背に受け、トロ部の青春はまだまだ続いていきます。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年5月15日
予定どうりじゃなくても、一位じゃなくても、それはかけがえのない宝物。
そんな風に力みなく描けていたのが、とても良かったです。次回も楽しみですね。