イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

アキバ冥途戦争:第11話『萌えなき戦い』感想

 吹けば飛ぶような萌え萌えキュン、背負って張った女意地、アキバに飛び交う絶縁状、行って帰らぬ鉄の弾、思い出背負って冥途道、さよならだけが人生さ。
 萌えと暴力について、一つの結末と一つの始まりにたどり着く、アキバ冥途戦争第11話である。

 

 

画像は”アキバ冥途戦争”第11話から引用

 やはり、万年嵐子が死んだ、というところから、感想を始めなければいけない。
 絶縁状がアキバ中を回り、”とんとことん”が野放図のツケを銃弾で払わされる今回、嵐子は捨てきれなかった過去と対峙し、今なおメイドでありたいと願う自分と極限的に対峙する。
 残酷な野望の牙でかつては親を、今は元妹の居場所を噛み砕いて、金と暴力だけが全てである路地裏のリアルポリティークスに身を投げた凪も、自分の中にくすぶる炎に向き合うことになる。
 任侠の道に己を投げ込んだ極道二人に挟まれ、なごみも否応なく己のメイド道を問われていく。

 後悔と希望、殺戮と不殺、執着と愛が交錯する人間の剥き出しを経て、嵐子は愛する人が死んだときすら流せなかった涙を取り戻し、凪は取り戻し得なかった過去を諦めていく。
 そうして全てが決算され、新たに何かが始まる胎動は刃に貫かれて、無惨に終わっていく。
 殺したなら殺され、赤い血を流すなら殺される。
 そんな乾いて公平なルールは、第1話でヲタ芸混じりに人間を撃ち殺し、血の色に染まって表情一つ変えなかった殺戮の機械も、また見逃さない。
 なごみが必死に叫ぶ中、遠巻きにヤクザを見つめる人達の冷たさが、僕には嘘がなくて良い。
 このアニメが描いてきた暴力と死は、コミカルに非現実的に笑い飛ばせる”洒落”だったはずだが、メイドとヤクザが奇妙に入り混じった独自のリアリティを展開に合わせて浴びる中で、次第に重さを得てきた。
 それは血生臭く、重苦しく、出口がなく、容赦もない。
 フツーに生きてる人にとっては頭を下げてやり過ごしたいもので、このお話の”メイド”はそれを切った張ったする稼業で、誰よりも”メイド”だった万年嵐子は、その乾いた質感にかみ砕かれ、悼まれながらではなく疎まれながら死んでいく。

 ヤクザものの終わり、それが似合いだ。
 確かにそう思うし、そういう話であるためにこの”遠さ”があるわけだが、悲しくも寂しくも、僕(あるいは僕ら)は万年嵐子を愛してきた。
 36歳不惑間近、萌え萌えキュンにはキツすぎる鋼鉄の顔面で、指ハート作ってケチャップ絵頑張る元囚人が、変わらぬ表情の奥でどう藻掻き、どう苦しみ、どう生き抜きたかったかを知ってしまった。
 彼女のキツさを揶揄する落書きに(そして容赦なく”36歳”差し込むなごみの、相変わらずのイイ性格に)笑いつつも、心のどっか強めの反感が揺らいで、『テメーに嵐子さんの何が解る!』と思っていた。
 僕は、万年嵐子が好きだった。
 そんな万年嵐子が、死んだのだ。

 

 

画像は”アキバ冥途戦争”第11話から引用

 前回炸裂した末広の血を起爆剤に、”とんとことん”と嵐子はグループから絶縁され、泥の底で死を待つばかりに追い込まれていく。
 第6話・第7話でねるらと愛美の血を絵の具に問うた”覚悟”がもう一度俎上に上がって、過去の因縁を仲間に告げた嵐子はヤクザとしての覚悟を、極めて半端者だった”とんとことん”に問い直す。
 銃口に一度はおののいたなごみはしかし、あの時見つけた殺さず死なずのメイド道に立ち返り、”生き続ける覚悟”を嵐子の”死んで殺す覚悟”に釣り合わせる。
 それはなごみだけの任侠であり、ねるらがそのために死んでもいいと思えたものであり、かつて嵐子が美千代に見ていた輝きであり、それに殉じきることが出来ず血みどろの人殺しに落ちてしまったものだ。
 家を同じくする姉妹を囮に、決死の王手取りを試みる”とんとことん”最後の戦いは、未来に進むための決戦であると同時に、かつて嵐子が……渦子だった凪が夢見諦めてしまったものを巡る戦いでもある。

 この戦いでなごみはトップの頭を取って自分が成り変わる野心の道ではなく、ケジメ付けて話を納める……そのためには自分がエンコを詰める仁義の道を、覚悟の証として選ぶ。
 この起死回生の決意は仲間に伝染し、あのクズ店長すら一端のヤクザとして”覚悟”を新たにさせる。
 悲しい別れを見届けるよりは銃口に突っ込んで死ぬ、安楽な終わり方をみこちは認めない。
 生き抜いて生き抜いて、殺してでも生き続けて見えてくるものを、同じ店をねぐらとする仲間として見届けることこそが、自分たちの生き様だと吠える。
 それは嵐子が”怒羅磨”で突きつけた覚悟を更に上回る、なごみを震源とする新世代の(そして高層の果てに擦り切れてしまった、古き善き任侠の)信念である。
 ……店長だけが不器用な嵐子の優しさを理解し、ボンクラ共に通訳して伝える立ち回り、任侠モノの飲み屋の女将を性別反転させて運用してる形で、今更ながらかなり目端の効いたアニメだったんだな、と思い知ったりもした。

 

画像は”アキバ冥途戦争”第11話から引用



 しかしそういう綺麗な”覚悟”を、荒廃しきったアキバの頂点に孤独に君臨する凪の生き様は、簡単には認めない。
 情け容赦のないアキバのリアルを間近に浴びて、それでも殺しきって生き延びる道を選んで親を殺した女は、最後の未練をかつての妹に残す。
 それは”侍女茶館”というもはや動くことのない過去と、”とんとことん”……あるいは獣グループという泥まみれに汚れた現在の対立だ。
 所詮アキバは弱肉強食、専守防衛なんぞ餌食の寝言だと、お前も解っていたはずだ。
 告げるかつての姉の言葉に、嵐子の瞳は大きく揺れる。
 夢を見続けていたかった自分すら血みどろの修羅に落とし、刑務所で青春を浪費させ、それでもなおかつての居場所の残骸を守るべく、似合わぬメイドを貼り続けた。
 嵐子の生き方自体が、凪が突きつけるシビアな現実を裏付けてしまっている。

 あの頃見た夢は自分の手で引き裂き戻ることはないが、しかしそれでも、綺麗だった思い出の名残を間近に置いて、地獄道を二人で進んでいきたい。
 殺して守るか、死んで終わるか。
 究極の選択を迫る凪の心には、”凪”として殺したはずの強すぎる嵐が、大きく渦を巻いていた。
 あるいは輝いていたあの時代、吹き付けていた暖かく激しい青春の風を”凪”がせる事でしか、冷たい利害と暴力でしか他人を判断しない鬼になることでしか、渦子は嵐子なき世界で生き延びられなかったのかもしれない。
 そんな非情の獣が、なにもかも奪い去って掴もうとしている想いは、血の色の宝石のようにおぞましく、綺麗だ。



 喉笛に刃を突きつけられながら、なごみはかつての姉を獲る”覚悟”を見せた嵐子を制する。
 たとえ逆手に突き返されようとも、血に汚れて死に別れようとも、姉妹盃は永遠。
 それは”メイド”に甘っちょろい夢を見ていたなごみの空疎な幻想ではなく、笑わず泣かず、血を流さなかった嵐子が胸の奥にしっかり秘めていた、一番柔らかな部分をえぐる弾丸だ。
 この土壇場、自分の命を天秤に乗せてもう一度試されたなごみの”覚悟”に撃ち抜かれて、嵐子は凪を殺してなごみを守る道も、なごみを見捨てて姉妹に戻る道も選べなくなる。
 進退窮まった嵐子がそこで涙ながら差し出したのは、たった一つの自分の命だった。
 夢と現実の狭間で打ち砕かれ、進退窮まってなお何かを差し出さなければ地面に足も付けない極限で、それでもなお”メイド”の夢を吠えたのがなごみで、命一つで矛盾を噛み砕こうとしたのが嵐子だ。
 そういうキャラクターの地金を剥き出しにするために、このクライマックスがあるとも言える。

 嵐子はずっと泣かず、血を流さず、表情を変えない鉄の女だった。
 機械のような彼女が、生き死にの重さすら飛び越えた魂の価値を問うこの愁嘆場で、血の絵の具で今”とんとことん”に生きてる証を刻み、追い詰められて涙を流す。
 愛も救いも打ち砕かれてなお泣けなかった女を、体温ある人間に戻すべく凪との対峙があり、進退窮まった極限の問いかけもあるのだろう。
 ここで涙を流し、当たり前に生きたいと願う万年嵐子の人間が息を吹き返してしまった結果、彼女は死んでいく……という話でもある。
 心を殺した殺戮の機械であり続けたのなら、嵐子は今まで通り殺されることもなかっただろうけど、しかし凪のどす黒く燃える執着と、それに照らされてなお澄んだなごみの吠え声は、嵐子を人間に戻してしまった。
 そこには幸福と、それを簡単に砕いてしまえる暴力の無情がある。
 涙を取り戻した万年嵐子は、もう己の死と……それと背中合わせ繋がった、赤い血に満ちた生と、無縁ではいらないのだ。