私が”普通”と呼ぶものが、誰かにとっては泣く程遠い夢かもしれない。
そんな想像力を己の新造に刻み込むには、あまりに若すぎる世代の青春ぶつかり稽古ストーリー。
前橋ウィッチーズ第6話である。
話数もそろそろ折り返し、「あ~、一人あたり二話使って、それぞれの問題提示と一応の克服をやってく感じね?」と、この魑魅魍魎アニメに視聴者が自分なり目鼻を付けたところで、チョコちゃんとキョウカちゃんのW主役回。
完全にシリーズ構成の手のひらの上で踊らされている感じもあるが、ラスト五秒の戦慄と合わせて、大変素晴らしい前編だった。
「タイトル担当なのに、全然チョコちゃんの話しない…」と思わせておいてからのコレよ…。
紫紺の悪性腫瘍を一応は切開し、アズマイなりに自分たちの棘との向き合い方、それをイジって受け止めてくれる共同体を見つけた物語は、ボケカスなりに魔女稼業も軌道に乗り、友達としての距離感も暖かくなってきて、大変いい感じだ。
ここでキョウカちゃんの抱える難しさと正しさ、ユイナの真心と愚かさがサプライズの準備に照らされて、そんな青春の眩さが最後、ずーっと見通せなかったチョコちゃんの影を抉って次回へ続く。
緩急が巧みで、色んなモノが対比でぶっ刺さる回だったと思う。
いわゆる『カウントを整える回』で、全然エモじゃないのかもしれないけど、ビダビダ泣いてしまった。
理由は、あまりわからない…たぶん綺麗だったからだと思う。
キョウカちゃんが鋭い知性と公平な現実認識、大人びた問題意識を持って集団で抜きん出ている様子は、これまでも描かれた。
それが彼女個人の資質ではなく、親と家庭によって与えられた(つまりは縛られた)不公平な恵みであることへも、作品はずっと鋭い視線を投げかけている。
対等な友達のように並ぶ携帯電話の背中には、確実に彼女たちの経済レベルの格差、ブランド品で他者と自分を差異化しなければ生きていけない自意識が反射していて、それでも魔女たちは友達だ。
人の心に触れる魔女仕事を通じて、最悪な部分を否応なく暴き合って、友だちになっていったのだ。
意識が高いキョウカちゃんは、ユイナが気づかないチョコちゃんの”怠惰”に目が行く。
そこで自分の感じる正しさをブン回して、すぐさまチョコちゃんを押しのけて自分の気持ちいい世界を作らないところに、彼女の思慮深さと臆病があるのだが。(ここら辺はどんな相手、どんな状況でも自分の感じた”無理”は、すぐさま吐き出してしまえるアズちゃんと好対照かもしれない)
大好きで大事なモグタンを、クローゼットの奥に隠して親と向き合い、顔の良さを無邪気に”武器”といってしまえる無神経に傷つけられつつも、求められるいい子の檻からは出られない。
そんな思春期の鎖が、彼女のするどい視力を支えてもいる。
ユイナはキョウカちゃんが気づかない、チョコちゃんの誕生日を一番の関心事に、あの子がどうしたら幸せになってくれるのか、辛いことが少なくなるのかへ、真っ直ぐぶっ飛んでいく。
ケーキもお歌も、高校生がやるにはあまりに幼いボケカスプレゼントであるが、あんまりにも優しく純粋で、それに乗っかってやる魔女たちもいい奴らで、ドバドバ泣いてしまった。
食い意地貼ってて自分勝手、お調子者で我が強い。
そういう幼いイベントにいの一番乗っかってきそうなチョコちゃんは、パーティーの主役なのでそこから遠ざけられる。
この構図が、ありきたりで大事な幸せが彼女に届いていない、黄色い空疎を際立たせていく。
ここまで5話、棘あり毒あり激重ありな魔女たちの青春バトルに付き合う中で、僕はすっかり彼女たちのことが好きになっている。
仲良く幸せに暮らして欲しいという願いをすくい上げるように、魔女稼業はちょっとずつ軌道に乗り、生活環境も抱えた個性もバラバラ、「学校では絶対友達にならない」タイプの少女たちは、飾らない自分を共有できる特別な繋がりを、段々と作っていく。
前回暴かれたマイちゃんの激重感情を、語ってはいけない聖痕として遠ざけるのではなく、アズちゃんが気軽にネタでコスっていたり。
そのアズちゃんがポヨンとした生身を見せないまま、毒吐くだけじゃない平穏を、友達との時間に得ていたり。
全てが魔法のように解決しない…というかリセット&リスタートが根源的な解決にはならない物語の中で、マイちゃんもアズちゃんもどうしようもない己を抱えたまま、ちょっとずつ”善く”なっている。
世間的には(それこそキョウカちゃんの母が見据えるような)”いい子”ではないのかもしれないけど、欠落や過剰もひっくるめて魔女たちはお互いを受け入れ、思いやりをさり気なく態度に滲ませながら、気楽で楽しい放課後を過ごす。
その当たり前な日々こそが、奇跡のように彼女たちの苦しみを削り、ままならない己を変えていく。
前橋に漂う平和な日常、そこで育まれる友情こそが、魔法で変えられない心を塗り替える奇跡を宿している。
それを補う素敵な補助具として、魔法は時折便利に使われ、頼りきりでは何も解決しないと思い知らされて、良い感じに遠ざけられてもいる。
キョウカちゃんをカウンセリング窓口にして、クライアントからを自力で聞き出すことで、ケロッペに事情を暴いてもらうことも無くなった。
切りすぎた前髪を元に戻す奇跡と、そんなありふれてくだらなくて、でも本人には死ぬほど切実な苦しさに寄り添うベタ足を合わせて、少女たちの魔法はだんだん、確かな形を手に入れていく。
安全な外部から他人を勝手に判斷し、遠ざけて揺らがぬ自分を守るのではなく、膝を折って向き合い、話を聞いて共に解決法を探る。
「魔法の箒で空を飛ぶより、しっかり歩ける足腰を作れ!」というサジェストは、このお話がまったく魔法少女モノらしからぬように見えて、極めて正統派の魔女っ子物語の継承者だと、静かに告げている。
時間停止も因果操作もお手の物な超絶チートは、あくまで魔女たちが自分を知り、他人と向き合い、それを通じて世界の形をちょっとずつ分かっていく…ともすれば変えていくための助けでしかない。
結局はより強く優しく、人生の重荷に耐えられる己を作っていくことでしか、望みは叶わない。
そういう正統派のストイシズムは、一足飛びの解決を求める甘さと、そうなるしかない苦しさを必ずしも、否定も糾弾もしない。
泣くほどに求め叶わなかった、「チョコだけのまんまるケーキ」は、笑顔と軽薄の仮面で己の内側に仲間が踏み込むのを遠ざけ、あるいは自分自身本当の己を晒して仲間の中に入っていくのを諦めていた少女ひとりでは、けして叶わない。
先んじてそういう本音領域に飛び込んだり、あるいは元々隠すべき陰りが薄かったり、さらけ出せる強さと余裕を持っていたりする、チョコちゃん以外が準備してくれたから、魔法チートなしで誕生日を祝えるのだ。
手作りの二つのケーキ、ユイナ手作りのボケカスソング。
全部事情を知らねぇバカどもが、バカなりに仲良く考え、ワーワー言い合いながら手渡ししてくれた、どっか遠い場所から来た奇跡だ。
そんなありふれて特別な、唯一どうしようもない僕達を変えてくれるかもしれない魔法から、つくづくチョコちゃんが遠ざけられていることを、爆心地へ道を開く今回、物語は丁寧に綴る。
これは今回急に出てきたわけではなく、彼女の空疎さ自体はここまでも幾度か滲まされ、しかしその深奥は見えなかった。
見せないことで興味を引き、今回ラストの爆裂を効果的に仕上げた…とも言えるが。
どっちにしても、残り四人が時にお互いの最悪を暴き合い、相手の事情や傷を見つめ触れ合うサークルから、チョコちゃんはやや遠い距離に立っていた。
そこには自分を包囲する惨めさを、大事な仲間に知られたくないプライドがあった…のだろうか?
今回つくづく改めて、自分は三俣チョコのことをなんも知らんかったな、と思い知らされた。
そうなるように物語は綴られていたわけだが、彼女が己を晒さない/晒せない裏にあるものを「闇が深い」とか楽しく消費するより、考えるべきなのは「チョコちゃん、しんどいのかもな…」であった。
鋭い視線で、同年代の少女たちより広く深く世界を見れるキョウカちゃんが、どうしても抱えてしまう盲点。
おサボりなおネムさんにも壮絶な事情があって、自分たちを繋ぐ価値観にコミットしきれていないのかもしれない。
自分が”普通”に家から持ち出すお菓子が、誰かにとっては身を引き裂くほどに遠い憧れなのかもしれない。
高校生にそこまでの想像力…エゴと感情を抑え、他社に対し優しく強くある生き方を求めるのも酷であるが、誰かを助ける未来を夢見るキョウカちゃんには、そんな視力が今後必要にもなる。
それに現状欠けている彼女を責めれないのは、「自分が正しく求めているものは、何かの言い訳かもしれない」と、立ち止まって己を見返せる思慮を既に示しているからだし、そんな高校一年生の到達点に、自分は全然追いついてもいないからだ。
あの子がチョコちゃんを睨み、優しさと幸せだけに満ちたユイナの視界を借りて、ようやく近づくことが出来た場所。
チョコちゃんの世界に飛び込まされる中で、キョウカちゃんの世界も揺らぐだろう。
だがそうやって、自分をより正しく、あるいは優しくしてくれる難問をこそあのストイックな子は求めていて、プレゼントに笑ってくれた友達の苦しさに踏み込む(あるいは、踏み込む資格すらないことを思い知る)ことで、もっと広く鋭い視線を…そうして見つめたものを、遠巻きに眺めるだけで終わらない踏み込む強さを、得ていくと思う。
そういう変化と成長に、隣り合ってくれる誰かがいなきゃキッツい戦いは乗り越えられないことも、それを魔女たちが既に得ていることも、ここまでの物語はしっかり描いた。
チョコちゃんの影がどんな色かは、リアルな舌打ちのあとに続く物語で具体的に描かれる。
つまりは、今はその輪郭しか見えない。
そういう状況でやれ貧困だぁヤングケアラーだぁ、勝手な推測を立てるのもフィクションの中を生きている一個人に無礼かなと、思ったりもするが。
ともあれ、今回描かれたものだけを繋ぎ合わせても、チョコちゃんの苦悩とプライドはしっかり伝わった。
ここら辺の、ドギツい片鱗を見せて視聴者をぶん殴った上で、「え! なんで殴ってきたの!?」とより深い真相を見たくなる作りは、刺激的かつ現代的だなぁと思う。
情報の隠蔽と開示、タイミングとコントロールが精妙で、見てるとワクワク楽しい気分で引っ張られていく仕上がりになってるのは、凄く偉いなぁと思う。
面白いからこそ、偉そうな綺麗事が染みるのだ。
チョコちゃんが取り繕ってきた仮面、踏み込まず踏み込ませない笑顔の軽薄の奥に、一体何があるのか。
アズちゃんの毒と軽薄、マイちゃんの適当と重さと同じように、魔女たちにはそれぞれ事情があり、イヤ~なヤバい子として生きるしかない必然があった。
だから次回教えてくれるだろう内幕に、僕が分かんなかったこと/分かりたかったことはしっかり投射されると思う。
そういう答えが出る前の、ハラハラ落ち着かず、チラリホラリ内側を覗き込みたくなる、なんとも言えない心持ちを楽しみつつも、笑顔の道化には彼女なりの苦しさとプライドが、当然あったのだなぁと感じている。
真顔で 「ふざけんなよババァ」とか絶対に言わない、ハッピーでトンチキな幸せチョコちゃんは、魔法と出会った彼女が夢を演じる中で、絶対に見せたくなかった顔なのだろう。
色んな事情に押し付けられ、張り付いて取れない素面を見られたくないくらい、チョコちゃんにとって魔法も魔女も、大事なものなんだと思う。
その嘘っぱちを乗り越えなきゃ、チョコちゃんも彼女を大事に思う友達も辛いまんまだけど、でもそうやって幸せを演じていたかったチョコちゃんの祈りと、それを壊さないためにメガネかけずツッパってた姿を、ちゃんと覚えておこうと思う。
壮絶な真相が暴かれてしまえば、もう愛しい空疎は形を変えてしまうのだから。




というわけで前回マポ枯れの危機を乗り越え、魔法のお花さんは順調経営!
掟破りの初手新曲でブッコミつつ、クーラーに設備投資しても運営資金に問題なし、満ち足りたハッピーが不思議空間を満たしている。
涼風にまんまる笑顔なアズちゃんの、棘出してない油断した顔がほんっっっと可愛くて、「良かったねぇ良かったねぇ…」という気持ちにもなる。
デブった”在るがままの自分”をカム・アウトしないままでも、こうして幸せになってもいいのだと作品が告げてくれるのは、正しさよりも優しさを追っている(からこそ、真実正しく在れる)話で好きだ。
知性も意識も高いキョウカちゃんは、同年代の女の子が見落としてしまうものに目が行く。(つまり、そんな子達の共通話題になるものに興味が持てないし、しっかり見れない)
オネムでテキトーなチョコちゃんの態度をずーっと、視界の隅不快そうに睨んでいる顔が切り取られるが、キョウカちゃんはすぐさまその違和感を当人には叩きつけない。
そういうのは不躾で問題ある態度だと、ご立派なお家で言い含めらた結果の慎重さであり、自分の感情を解決するだけを目的にしない、キョウカちゃんの大人びた理性だとも思う。
そのくせ、熟慮した上で言うべきことはしっかり言うからな…。
調子くれた無駄遣いフェイズを終え、マポが確実に溜まっている様子は、少女たちが魔法経済圏に適応し、自力で資産を管理できるようになった成長の証だ。
一番の節約が、ケロッペに頼らず自分たちでクライアントの悩みを聞き出し、解決するべき苦悩に自力で寄り添えるようになったから…という描写は、凄くクリティカルに思えた。
依頼人の問題を解決する中で、激ヤバ魔女自身の課題を完全クリア…はしないまでも、そこに至る一歩目を踏み出すこの物語、誰かの苦しみを他人事にしないことは極めて大事だ。
苦悩の重さは人それぞれ、正しさブン回して勝手にジャッジするより、とにかくちゃんと聴いて解決策を考える。
素敵なお歌で心の花を咲かせる、マジカル解決法と出会えたラッキーにも助けられて、魔女たちは困難に立ち向かうための体力も、自分の苦しさだけが世界の全部だと思い込まない強さと気軽さを、だんだん手に入れつつある。
そんな成長のノイズとして、ポケーっと軽薄な顔以外見せない、幼いチョコちゃんが在る。
自分たちが着実に”成長”しているのに、それに協働しないし協調しないあの子は、一体何考えているのか。
恵まれた環境にも阻まれ、解らないなりにそれでも解ろうと立ち止まれるキョウカちゃんは、やっぱ偉いなと思う。
自分の中にある正しさへの過剰な志向を、自覚して矛先丸めようとしてくれてる印象。(この姿勢は、高い問題意識が鼻につかないよう、エンタメに必死こいてる作品自体のスタンスとも通じてるか)




そしてユイナの無邪気さが、黄金の夕焼けの中、魔女の心を解きほぐしていく。
”エモエモな写真”があくまで過程に付随する報酬でしかなく、大目的の先で自分がどうなりたいのか、ヴィジョンがないことをユイナが自覚していたのはすごく意外だったが、納得もいった。
甘ったるい夢ばっか見てる人間だったら、人間存在が軋む土壇場で無意識に”正解”掴める主人公力は生まれないし、無防備な問いかけでキョウカちゃんの壁を乗り越え、多分ずっと誰かに受け止めて欲しかった本心も、引っ張り出せていないだろう。
パッと見よりも遥かに、赤城ユイナは頭が良い。
人間はもっと善い。
家、性差、経済、格式。
キョウカちゃんは自分が何に包囲され、束縛されているかに関して、極めて自覚的だ。
それは意識せざるを得ない違和感がずっとつきまとって、彼女なりめっちゃ苦しかったということの、反射でもあるのだが。
そんな鎖から外れた自分でいいと、男でも女でもないただのモグラにエンパワメントされて、彼女は短い髪とズボンで己を形作る生き方を、ギリギリのバランスで選んだ。
破滅しない程度のほどよさ(マイちゃんとは違うんです!)で推しにも課金し、そうして生きる潤いを得ている自分を自覚して、息苦しさの中必死に、どうにか正しく生きようともがいている。
そのご立派な態度が、自分を守るためのエゴとベットリ癒着していて、耳障りの良い惹句は全部言い訳かもしれないと思うところまで、キョウカちゃんの自意識は深まっている。
それは己を疑っても消え去らないと、保証してくれる恵まれた環境があればこそ出来る、厳しくも甘い真実探求なのだろう。
未だポヨポヨボディを晒せてないアズちゃんとか、軽薄の仮面に惨めな現実全部投げ込んだチョコちゃんとか、「私、間違ってるの?」と考え始めたら、底なしの奈落に沈んで戻ってこれなさそうだもんな…。
疑うってのは正しい行為だし、それ無しで何も変わらないんだろうけど、そうするにも前提条件はあるのだ。
「テメーはデブで、オメーはビンボー!」と現実に毎日望まずぶん殴られてる人間が己を疑い始めたら、もう底なし沼だもんな…。




そんな風に初期ステが違うのは人間の当然であり、それによって生まれる壁が揺るがぬ事実だったとしても、少女たちはどんどん仲良くなる。
お互いリラックスした姿勢(マイちゃんに至っては裸身ッ!)で、ダラダラ下らねぇおしゃべりに興じられる距離感を、あの最悪魔女達が手に入れているのだと改めて描かれて、俺はまた泣いてしまった…。
この語らいどっしり時間使ったのほんと良くて、あの子たちがいまどのくらいの間合いでお互いに向き合っているのか…そうあることでどれだけ気楽に救われているのか、心の深いところまで染みた。
マジ大事っすよ、こういう時間と関係…。
声だけを共有して生まれる繋がりは、そこにいない女の子にどう大事な思いを伝えるか、優しい犯行計画の揺り籠でもある。
この語らいの中でそれぞれの現実対応能力とか、どういうツッコミが許されてるかの心理的距離とか、論理的思考能力と感情的豊かさとかが、ビシバシ伝わってきてすんげぇんだけども。
ひたすらに眼の前で苦しくなっている人、自分が苦しくなるギスついた空気に対応することばっか考え(られ)るユイナの、ちょっと幼い純粋さ。
これを現実にスれて大人びざるを得なかった、残り三人がフォローしてる四角形が好きなんだよな…。
赤城ユイナは間違いなく優しさの天才なんだが、それが現実で活きるために補助がいる。
キッツいことも真っ直ぐ突き出すアズちゃんと、それにコスられつつ優愛LOVEに暴走してた自分を落ち着かせつつあるマイちゃんと、クレバーな思考力で全体の方向性を定めるキョウカちゃん。
それぞれの凸凹が噛み合って、ユイナがメインエンジンになって回転してる甘っちょろい人助けが、確かにより善く機能している様子が確かめられて、とても良かった。
ユイナは見返りなんも求めず、誰かの幸せを受け取れば自分も幸せになってしまうバカなお人好しで、現実ではなかなか生き延びられない。
でもさぁ…そういう人こそ生き延びさせなきゃいけないし、そういう人にしか見えないものはあるじゃん!
チョコちゃんの誕生日とかさぁ!
一人リアルな前橋闇夜、赤信号に睨みつけられながら、魔女仲間には見せない赤メガネで武装したチョコちゃん。
そのバッグには、キョウカちゃんの”普通”には入りもしないやっすい駄菓子が詰まっている。
あの暖かな空間に混じれない/混ざらない孤独を、見事に活写した情景であるけども、じゃあそんなリアルな痛みから一番遠いキョウカちゃんが幸せかと問われれば、そんなことはないと画面は告げる。
モグタンに夢中であることで、在るがままの自分を殺さず救われている現実を、クローゼットの中に隠して生きていかなければいけない不自由は、己の在り方を疑わない両親の、有毒性な愛に支えられてもいる。
”べき”を無批判に押し付けてくる規範意識の強さが、色んなことを疑問に思えるキョウカちゃんの知性を育てたのも事実だろうし、親や自分を疑えるくらいに育った今、それが窒息性の透明な毒になりかけてもいる。
「放課後眠くなるほど、”現実”に追いかけ回され駆けずり回らなくていいからこそ、余計なことに悩めるんだ」という視点もあるだろうし、「その余裕も苦悩も、キョウカちゃんが望んで抱え込んだもんじゃない」という視点もあるだろう。
そしてこのお話は、何か一つが正しくて、それに乗っかれば正しい自分に安心できるという視点を、かなり強烈に拒む。
誰もが悩みと過ちを抱えて、しかしその奥に理由も理不尽もあるのだ。




ハピハピウキウキなバースデーパーティ…自体は、異様なダサさとガキっぽさであんまノレないけども。
ユイナの幼い真心が暴れたおかげで、ただ怠け者を睨んでいるだけだった時は見えなかった少女の涙を、キョウカちゃんに見せてくれたのは間違いない。
「チョコ”だけの”まんまるケーキ」という慟哭があんまりにも切なくて、ここでもドバドバ泣いてたが、友達を幸せにしたかったユイナの純真と同じく、ここで流れた涙も生まれた笑顔も、嘘ではないと思う。
思いたい、のかもしれない。
これが嘘だったら…もう前橋に信じられるものなんて、なんもねぇだろ…。
やっぱキョウカちゃんがチョコちゃんの体外的な正しくなさに気づき(ユイナは見落とし)、ユイナがチョコちゃんのハッピーアニバーサリーを見ている(キョウカちゃんは見えない)描写は、凄く大事だったと思う。
知性主導と感情主義、全く真逆のエンジンで動く二人だけども、本当に自分が魔法で叶えたい夢は未だ不鮮明で、だからこそ何かを探し求めている。
その時自分の視界(つまりは主観的に唯一の世界)からこぼれ落ちてしまうものが必ずあって、真逆だからこそそれに気づける誰かを隣に置き、語り合って補っても、何かが生まれ解ってくる。
怠け者だと思っていた誰かが、本気で泣いて笑う姿が、自分にとってどれだけ大事かも。
恵まれた立場から社会の下流に向かって、抱えた資産を再分配出来る(しなければいけない)キョウカちゃんには、夢に見ている助けるべき弱者が本当どんな顔をしているのか、”助ける”ってなんなのか、まだ不鮮明なんだと思う。
パティシエやってるオシャな身内に、”普通”に頼んで素敵なケーキが出てきてしまえる優位は、高校生な彼女に対し透明化され、しかし本当にそのままでいいのか、答えが出ないまま悩んでもいる。
そんな彼女が、赤城ユイナの視界を借受、一緒にバースデーの準備に駆けずり回ることで、チョコちゃんの”本当”を間近に見られたのは、凄く良かったと思う。
そしてそれがどんな意味を持つか、現実は厳しく試す。
バースデーパーティってのは、「生まれてきてくれてありがとう、生きていておめでとう」と、己の存在と自分を包囲する世界を寿ぐ儀式だと、俺は思う。
ユイナと仲間たちは、チョコちゃんの存在と、彼女がいる世界がハピハピで素敵な場所だと思いたいし、伝えたかった。
それを二つのケーキとだっせぇお歌に結晶化させて、バレバレサプライズでしっかり届けて、チョコちゃんは本気で泣いて笑えた。
次回どんな現実が襲いかかってくるにしても、この祝祭に宿った真心だけは、否定し嘘にはして欲しくない。
それを蹴っ飛ばしちまったら、世知辛さに揉まれつつ必死に軽薄を演じてきた子が、どう生き延びればいいのかホント解らねぇ…。
ここでチョコちゃんを批難するべき怠け者ではなく、泣いて笑う大事な友だちとして見れたことが、キョウカちゃんが恵まれた立場の呪いに潰されるのではなく、それを翼に変えて高く翔ぶ秘策になってくれると、本当に良いなと思う。
そういう実感のある発見が、世界と自分を変え誰かの辛さを助けていく鍵にならねぇんだったら、もうなんもかんも終わりだろ…。
今回のガキっぽくてハッピーで何より大事な描写は、今後明かされるだろうシビアな現実を際立たせるスパイスってだけでなく、まじでこのお話が譲れない、譲る気もない”芯”に繋がっているんだと、俺は思いたいのよ。
そういう力みきったマジの本気、ずっと宿ってるアニメでしょ!?


チョコちゃんが意図してバカにしやすい薄っぺらなキャラとして描かれてきたからこそ、今回見えた地金…その奥から溢れた本物の涙は、衝撃力が高い。
下らねぇ道化とナメてた相手が、血も涙も事情もある”人間”だと思い知った時の罪悪感と前のめりな没頭を引き出すために、あえてナメさせる創作技術の炸裂を、このヒキに感じてもいるわけだが。
そういう巧さを横にどけて、暴かれた素顔の衝撃、見たいと思っていたが見たくなかった”現実”の重たさが、ハピハピバースデーの幼い幸福を押し流すようで、なんとも落ち着かない。
頼む、勝ってくれ前橋ウィッチーズ…当たり前に辛い貧しさにも、どこにも誰にも吐き出せない人生の泥にもッ!
チョコちゃん回に見せてめっちゃキョウカちゃんの深堀りした変則進行が、混じり合わないはずの社会の上流から下流へと、魂の赤い血を混ぜた本気の人助けを叩き込むための準備だと、俺は信じる。
黄色と緑の絵の具でもってまた新たな現実を描き、全部は変えないながら微かな希望で魔法で貫く、お歌とお花の前ウィスタイルが、果たして今回輪郭をなぞられた、極めて生っぽく重たい課題にどんだけぶっ刺さるのか。
次回、”勝負”である。
特級のエモエモエンジンで突っ走るユイナに、時にバカにさえされる真っ直ぐな理想を背負わせて、楽しく本気で勝負するアニメは、果たして重すぎる生育環境とも戦えるのか。
甘すぎて刺さらねぇってんなら、もっと優しく強くなって、ぶち抜くまで純情の刃、尖らせるまでよ…。
あの最悪な出会いから、ヤベー手触りで生臭い問題がゴロゴロ転がり、ちったぁ人間も世界も善くなってくかもしれねぇと、微かな夢を抱かせてくれた物語。
それがちょっと落ち着いて、自分たちが生み出した青春の果実をスケッチしてくれる回で、とても良かったです。
その美しさが全部を解決しないって、お話しはシビアに告げてもいるんだが、魔法は確かにそこにある。
愛と勇気と友情が、階級格差と生活の生っぽさにどんだけ立ち向かえるのか。
新時代の魔女っ子奮戦記は、常に本気で”現実”に挑み続ける。
それを楽しく、食べやすい苦さで手渡してくれる頑張り、尊敬してます。
前橋ウィッチーズ、最高のアニメ。