イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

小市民シリーズ:第18話『わたしたち 本当に出会うべきだったのかな』感想ツイートまとめ

 小市民を志して始まり、獣であることに行き着いて、落着した最後の冬。
 語られだす、狐と狼最初の事件…最後の事件。
 ラストエピソード開幕の、小市民シリーズ第18話である。

 

 というわけで、「コイツラ、のうのうと幸せカップル気取ってていいの?」という疑問に関しては「ダメです!」という鋭いツッコミが、アクセル全開のひき逃げカーという形で早速飛び込んで来ました。
 いやー…パンチ(過剰に物理)があって、良い幕開けだね!

 

 

 詐欺、拉致、暴行、放火…。
 「日常の謎」というフレームには収まりきらない、生々しい犯罪に”ひき逃げ”がプラスされて、我らが高校生探偵は受験を棒に振る結末を、否応なく確定される。
 地方都市の受験生という檻に、獣たちが窮屈に閉じ込められたからこそ、自分を特別にしてくれる事件と推理に、同じ速度で思考できる特別な同種に、それに惹かれ歪んでいく怖さから距離を取っての一年間の恋愛ごっこに、強くしがみつく。
 そんな暗いジュブナイルの構造が、7話一年の秋に鮮明になったところで、小鳩くんは強制的に自力で動けぬ病床探偵、安易に踏み込むべきではない理不尽の被害者へと、暴力的に押し込まれる。

 それは三年前、調子くれてたクソ厨房が己の分を思い知る前、既に終わったと告げられた被害者と同じ立場だ。
 特別な青春を軽やかに走れる予感とともに始まった物語が、異様に生臭い犯罪性と、超ろくでもない人間性にベタベタ汚されながら、結局は突破し得ない息苦しさに包囲されて、それでも必死に己を探り道を定める物語自体足取りとも、しっかり重なる。
 終わりと始まりは、明確に重ね合わされ、ズレさせられながら同時進行していく。

 

 梅田修一朗の名演が、三年分自分の至らなさとか世の中のままならなさとか思い知った年輪を…あるいはそれを引っ剥がした中学時代の残酷な軽薄を、見事に削り出してくれたが。
 貴重な時間を使って回想される、狼と狐の出会いはもちろん、お互いの次善として恋人を選び、小市民であることを諦めて獣のままじゃれ合う道を選んだ二人の、到達点に深く関わるからこそ描写される。
 自分は特別な存在だと思い上がり、バカな他人を自己充足のための餌と噛み砕いて恥じなかった、小鳩くんと小佐内さん。
 そんな二人がなぜ、小市民に身を縮め分相応に(あるいは不相応に)生きようと願ったのか。

 物語の開始時から隠蔽されていた、小市民を夢見る獣たちの始点を語ることで、秋の最後に描かれた到達点は再度問いただされ、腑分けされ直す。
 晴れて恋人となった彼らは、お互いをどう思うのか。
 待ってましたの復讐チャンスに焦がれて、推理の荒野に駆け出していった小佐内ゆきという謎を、病床に縛られ会えない小鳩常悟朗は、どう考えどう解くのか。
 鋼鉄の塊が猛烈なスピードで体当りしてきて、「そこで安住しちゃダメだろ! 瓜野くんの死骸踏みつけに、青春ど真ん中みたいな顔してんじゃない!」と、ハードコアなツッコミしてきた状況で、人非人なり出来る限り、己に嘘をつかず幸せになろうと選んだ道は、正しいのか。

 今被害者になってみて初めて解る、動くことすらままならない痛みを己に引き受けて、そんなもん全く知らぬふりで色んな連中のプライドと事情を踏みつけにした始点を思い返すと、何が見えてくるのか。
 原作既読者としては、既に解決への導火線が随所で発火していてバチバチ面白いけども、状況自体は比較的穏やかに進み出す。
 しかし病室の動かぬ静謐に、粘ついた不穏がみっしり詰まっている状況は、ここに至るまでの春と夏と秋を見届けた僕らには、しっかり明白である。

 

 小鳩常悟朗の高校時代が終わる冬、まぁタダで済むわけがない。
 偶然ではない悪意と因果が、絡み合ってここに彼を縛ったと示すのに、”ひき逃げ”は良い起爆剤だ。

 そこには「ヤってやろう」という決意と衝動が見え隠れし、そうされるだけの因縁と悪辣が小鳩くんを捕らえて離さない、どうしようもなさが静かに踊る。
 一年間、世の凡俗のすなる恋なるものをトレースして、なんとか普通に甘く…”小市民”になろうとして失敗した二匹が、お互いを満たす唯一の次善として、特別な絆で繋がれたハッピーエンド。
 それは随分いろんなモノをナメた、全うでも正しくもない彼らの決着点であり、未精算の色々に踏み込まなきゃ、終わりにも答えにもしてはいけないミステリだった。
 そんな最終問題の扉が開くまで、紙媒体で15年、深夜アニメで一週間。
 正直、不思議な感覚だ。

 

 ともあれ中身の見えない鉄の塊は、小鳩常悟朗の小さな幸せに「NO」と告げた。
 オメーあんだけ他人ナメておいて、可愛い小佐内さんとイチャコラしてんじゃねーぞ、と。
 そらそうだ。

 あまりに唐突で強烈な一発にぶっ飛ばされる感じも、問答無用に満たされた高校生活から弾き飛ばされる感覚も、どっか先々週売野くんを襲った理不尽に似てて、小鳩くんが同じ立場に立たされ思い知るのは、日坂くんの苦しさだけじゃないな、などとも思ったりするが。
 どうやっても他人を大事に思えない、長広舌と加速する脳髄にしか興奮できない、最悪のミステリ脳はこうして、強制的に思索に縛り付けられた。
 現役合格と大腿骨を贄に捧げて、自分の預かり知らぬところで最悪の決着をしていた、驕り高ぶり他人をナメた狐最後の(最後になるはずだった)事件を、否応なく思い出すしかない場所に座らされた。
 あの時は超越的な立場で、当事者の痛みも思いも解らぬまま首を突っ込んだ事件で、小鳩くんは今回ひき逃げの被害者だ。
 色んなことを俯瞰で見抜くには傷は痛むし眠気は凄いし、あまりにあっけなく受験という一大イベントの結末は勝手に決められてしまうし、生身の人間であるからこその制約とままならなさが、彼をベッドに縛り付ける。

 

 その不自由は、別に今降って湧いたわけじゃない。
 関わった人を幸せにすることも、彼女とフツーに恋愛することも出来なかった、小鳩常悟朗という青年あるがままの、至らなさとやりきれなさが、そのまんま突き刺さっている状況だ。
 かつて未解決に終わった事件…自分が白雪に足跡を刻める特別な存在だという思い込みを、(瓜野くんと同じく)完膚なきまでにぶっ壊された思い出を噛み締めながら。
 どうにかこの不自由な檻から立ち上がって、自分と恋人を狙った事件に立ち向かえる”探偵”になるまでの歩みは、思い上がった中学生が思い知った高校生になるまでの三年、何を学び何を得たのか、改めてあぶり出すだろう。

 それは2クールに渡る物語が何だったのか、明晰に示す解答用紙となるわけで、やっぱ良い完結編だなぁ…と思った。
 残り二話、語りきれるか分かんねぇけどさ…。

 

 

 

 

画像は”小市民シリーズ”第18話より引用

 というわけで、小鳩常悟朗宙を舞う!
 明瞭な殺意を込めていきなりぶちかまされた一大犯罪に、押し流されて小鳩くんは現役合格ルートからドロップアウトし、高校生活最後の事件が始まる。

 いつも優しい堂島くんも、自分の受験で忙しいからあんま助けてくれないぞ!
 それでも復讐に駆け出した彼女より早く、お見舞いに駆けつけエピソード全体の構造を鮮明にしてくれるんだから、やっぱり堂島くんは的確で優しい。

 

 三年前にもあった、似たような事件の顛末を聞き届けて、小鳩くんの唇は苦く歪む。
 それはあの時、被害者の口元に浮かんで見落とした、人間らしいリアクションだ。
 日坂くんの事件が最悪の結末に終わったと、不確かな噂を堂島くんから又聞きして、小鳩くんはいても経ってもいられず解決へとすがる。
 しかし、他でもない己の行状が縁で鋼鉄の悪意ぶちかまされた彼は、自分の足で動けないし、噂の真実を確かめることも出来ない。

 食べるのも出すのも、誰かの手を借りなきゃ自由には出来ない、ちょっと動くだけで痛みを呼び覚ます、不自由な檻に押し込められている。
 そのままならなさと痛さは、かつて(今も?)小鳩くんが蔑み、自分を目立たせるための道具とナメてきた、当たり前の人達と全く共通だ。
 仲丸さんとの最悪恋愛と、放火事件解決の悦楽が、その事実を彼に思い知らせた、その後、ダメ押しのように「オメーは自分の進路も体一つも、そうそう簡単には決められない無力な存在なんだよ!」と、激しく痛む太ももと脇腹が教えてくれる。

 

 ここで日坂くんが話題に出た時、堂島くんらしからぬ剥き出しの動揺が一瞬切り取られるのが、小鳩常悟朗が思い知ってる(そしてもっと思い知るべき)痛みとままならなさが、彼にはもっと健全で適切に疼き続けていると語っていて好きだ。
 理不尽で悲惨な事件の果てに、誰かが終わってしまう。
 まぁ結構良くあると、高校卒業ともなれば解ってくる世の中の当たり前を、改めて突き刺されると堂島健吾という青年は、こういう顔をするわけだ。

 小鳩くんもまた、日坂くんを思い出した時似通った表情で、強く唇を噛む。(まるで感受性豊かな、普通の高校生のごとく!)
 そこに堂島くんと同じ、世界に満ちた痛ましさに共鳴するマトモさが薄いことは皆さんご承知のとおりだが、しかし個人的な後悔混じりであっても誰かの痛みを思い、己の不自由と重ねる共感能力…その不格好な模造品くらいは、引っ張り出せれる立場になった。
 そういう事を最後の事件に刻み込んでいくために、彼は決定的な敗残に終わり、だからこそ”小市民”が始まった事件へと踏み込み直す。
 それは小佐内ゆきと出会った事件でもあり…そんな彼女は、どんな顔で病院の外をうろついているのか。
 まだ、狼の顔は見えない。

 

 瓜野くんと仲丸さんを鏡にして、二人は結局獣になるしかない自分たちを思い知った。(三年前の事件が、獣でありきれない自分たちを彼らに教えたように)
 恋人のような共犯者のような、名前をつけづらい関係に背中を押されて、小佐内さんは復讐へと駆け出す。

 食べかけだったたい焼きの仇、土手に突き落とされた自分の仇。
 なんだかんだ、生きるか死ぬかの土壇場で自分を庇ってくれた、次善な恋人の仇。
 足跡ばかりで顔が見えない、晴れて恋人になった直後にしちゃー乾いた距離感であるが、小佐内さんらしくて、また狼らしくもある。
 欲望に忠実にひっそり、陰の中牙を研ぐ。
 狼は、そういう生き物だ。

 

 

 

 

画像は”小市民シリーズ”第18話より引用

 さて追憶は巻き戻り、中学時代の小鳩常悟朗が行きあった未解決事件へ飛び込んでいくわけだが…想定してたが最悪だなッ!
 高校3年生の小鳩くんが、病床に濃く滲ませている後悔や共感が一切なく、事件前から漂っていた日坂くんの憂鬱だの、前のめり過ぎる不謹慎に引き気味な顔色だの、全く気にせず突っ走る姿は、そらー堂島くんも評価しないわ…って感じ。

 メジャーを使ってタイヤ幅を測り、警察が見落とした遺留品を手にとってポケットにねじ込み、自分だけが気づいているヒントに思わずニンマリ。
 長い鼻へし折られる前の、原液そのままな狐の驕り…飲み干すにはあまりに生臭い。

 

 自分が周囲にどう思われているかも、自分だけが気づいている…と思い込んでいる真実の価値(あるいは無価値)も、立ち止まって考えれないほどに、冴えた頭脳を通じて自分を特別にする悦楽は絶大だ。
 この超絶調子くれた有頂天から、手ひどく引きずり落とされて身の程を知り、”小市民”たらんと決意して見事に失敗し、結局獣でしかなく獣になりきれない己を思い知らされてなお、小鳩くんはこの頃の自分から決別しきれない。

 ドヤ顔で推理を開陳し、自分の冴えた頭を理解してくれる特別な誰か(それは人間性終わってる性根を見ても、ドン引きどころか喜んでくれる奇特な怪人でもある)を隣において、結局自分はこうなるのだと、あの重苦しい夜が自分たちを包囲する公園で/それを飛び超えて眩しい輝きに飛び込めるときめきの中で、思い知った小鳩常悟朗の原点は、ここにこそあるのだ。

 これが描かれないと、なんであんだけの知性と破綻を覆い隠してフツーになろうと思ったのか、今まで描かれた小市民への道(その敗残)が、収まるべきところに収まらない。
 いわばこの冬は二匹の獣の青春解答編であり、それを走り切るためにはその始まりと終わりを、ひき逃げと不自由な病床に重ね響き合わせ、三年間の無駄足が少年に何を積み上げたのか(積み上げなかったのか)、確認する必要がある。
 それにしたって、三年前の小鳩くんマジキツすぎるな…。

 

 

 

 

 

 

画像は”小市民シリーズ”第18話より引用

 三年後同じベッドの上、違う…けど通じるものがある苦みを噛み締め、固く結ばれることになる被害者の口元。
 このときの小鳩くんは、日坂くんの捜査停止の威迫/懇願に何が籠もっているのかも、止めるという姿勢だけ見せて自分を絶頂させてくれる推理は当然止めない不誠実も、真実に踏み込むことで何が壊れるかも、全く解っていない。
 逆に言えば、解ってなお三年後の夏、フツーに恋愛しようとして致命的に破綻し、作中一番世界が見えてる男に「お前は”小市民”じゃない」と告げてもらい、それでもなお推理の甘い蜜を啜れる立場から離れられないわけだが。

 口に出せない苦悩を喉奥に噛み締め、解ってくれと射抜く視線の意味も。
 過剰な追求に胡散くさげに、最悪の印象を隠そうともせず睨めつける眼差しの奥も。
 しょせんは賢い僕を羨む連中の遠吠え、ちゃんと考えるだけの価値もない非ミステリでしかない。
 しかしあらゆる事件は人間と無関係なパズルとしてではなく、複雑怪奇な事情と感情を巻き込んだカオスとして生成される。
 そういう真理を未だ知らぬからこそ、中学3年生の小鳩くんは己の知恵に酔いしれ、特別であれる優越に危うく踊っていく。

 …やっぱ瓜野くんの浮かれポンチっぷりを見てて止めなかったの、小鳩くん情がないな、と思うね。
 それはナメた仕草でバカにしていい踏み台じゃなく、かつてのテメーの似姿だったじゃねぇか!!

 

 まぁそこで、堂島健吾がやりそうな親身な忠言なんて差し出せるマトモさが身についているのなら、これから起こる破綻も、その先にあるあがきも無いわけだが。
 どんだけ痛い目見ても、根本にある性根は中々書き換わってくれず、しかし確かに失敗に学んで新たな夢を定め、それすらも間違えて振り出しに戻る歩みの中で、何かが変わった。

 そんな半端で人間的な変化が、小鳩くんの三年間に確かにあったのだと確かめることも、特別な青春の勝者が己の分を思い知る契機となった、最初の事件の大事な仕事であろう。
 高校編の重たい後悔の陰が、中学編の浮かれた軽薄を上手く縁取って、非常にいい惨劇のスケッチである。

 

 

 

 

 

 

 

画像は”小市民シリーズ”第18話より引用

 色んな人が名探偵を睨めつける、湿って重たく当たり前な反応をガン無視して、小鳩くんは勤勉に調べ物をし、獣に邂逅する。
 三年前の事件においても、小佐内さんは土手下にちょこんと転げ落ちる役どころなわけだが、中学時代は小鳩くんに突き落とされた/守られたわけではないのが、なかなか面白い差異だ。

 巻き込まれただけの自己被害でも、彼女は復讐に滾るし、そう出来る特別な自分を確かめるべく、使える牙は全部使う。
 その鋭さがどう人間を切り裂くか、瓜野くんが良いキャンバスになってくれた後、再度誓われた復讐は、一体誰のものか。
 小佐内ゆきという可愛い/恐ろしいミステリは、作品をずっと牽引してくれただけあっ、この最終章でも元気だ。

 

 こーのこしゃまっくれた幼い狐と狼の顔が、憎らしくてしゃあなく、しかし待ち受ける致命的な失敗と、そこから悪戦苦闘の三年間の足取りを思うと、苛立ってばかりもいられない。
 それは自分の無力、世界の複雑さ、業と悪意の絡み合いを思い知らされる前の、痛みを知らない子どもの顔だ。
 それが消えきってくれないからこそ、小鳩くんたちは極めて残忍に他人を消費し、お互いを特別にすることでギリギリ世界に踏みとどまる次善を選んで、なんとか思春期を生き延びることにした。
 眼の前の相手を知恵で値踏みし、自分の領域に入るだけの価値があるのか、悦楽の餌でしか無いのか、傲慢に探るガキの視線は、今も彼らの瞳の奥に燃える。

 しかしまぁ、それがどれだけ他人を不快に傷つけ、裏切って恨みを買うかも思い知らされた三年後、そればっかりが彼らの目に燃えてるわけじゃない…と思う。
 三年前は心躍る推理のヒントばかりを見つけてた世界に、唇を強く噛むような痛みが確かにあって、それを前にして動けない無念も知って、それでも時は巻き戻らず、恨みは鋼鉄となって小鳩くんの体を叩く。
 かつて傲慢な名探偵だった自分を、痛みに呻く被害者に変えて再演される、二度目の”小鳩常悟朗、最後の事件”。
 その共鳴と対比は、あくまで小鳩くんの高校時代が彼に何を刻んだのか、それが小佐内ゆきとどう響き合うのか、描くためのキャンバスだと思う。

 

 そのためにはどんだけかつての獣たちが人非人のカスで、思い上がったクソガキで、だからこそ自分たちが特別ではないと思い知らされて、普通の甘さに染まりたかったのか…切実に切り取る必要がある。

 既に失敗が約束されている、狐と獣の名推理。
 今まで通りチョロく解決して、喝采なり復讐なりで甘く喉を満たせるはずだった事件は、自分たちを賢いと思っているボケ共を置き去りに、不可解な展延を見せていく。
 それを三年越し、受け取り直すことでたどり着ける場所が、小市民を夢見た獣のゴールであり、つまりはスタートになるだろう。
 残りの話数で何を描くか、不安だがとてもワクワクする。
 次回も楽しみ。

 

 

・追記 遅まきながらの態度表明

 

 今更ながら、自分が散々ボケカスだゴミだ人格破綻者だ、高いところからけなしているようにも見える態度で主役二人を詰り続けているのは、彼らが好きだし、そうして書かれるものに惹かれるからだ。
 どう考えても正しくなんか無い、結局獣である自分たちを互いに認め慰め合う決着に行き着くしか無い彼らの足取りが、人間なるものの真実を嘘なく、ときにエグミでえづく程にしっかりと、えぐり出し書いてくれてると思うからだ。
 それはあるべき人間の理想を追うのと同じくらい大変な偉業で、原作が成し遂げた奇跡を今アニメが独自の筆で、新たに刻みつけていることにも強く感じ入っている。

 どうしようもなく間違えきってなお、己であることを譲れず夢破れ、それでもなおままならない青春をどうにか走り切ろうともがく姿は、正しさにたどり着けるか否かに関わらず、世の中が定めるだろう青春や人生の勝敗を振りちぎって、熱烈に嘘なく正しい。
 その死にものぐるいの醜悪が、しっかり書かれているのならば、重要なのは世間を構成する大多数が認め定める価値観軸ではなく、この物語が抉るべきだと捕まえた、この物語だけの真実だ。
 そこにひたむきに、切開するべき筆を選び、キャラクターとドラマの患部をえぐり出す演出を磨き上げる行為は、何にも代えがたく偉大だ。
 そんな必死さだけがたどり着けるもんを描いた結果、人非人のボケカスのど間違いっぷりが刻み込まれるのなら、僕の中でそれは何よりも価値を宿す。

 ここら辺、時に解られにくいらしいので、今更ながら自分なりのアティテュードを明記しておく。
 クズもカスもゴミも、あってはいけないほどの過ちも、確かにそこにあるのならば、描くだけの価値はいつでもあるはずだ。
 だがそれを描ききるのはとても難しく、心躍る楽しさとともに探る旅は奇跡を求める。
 それを成し遂げる(かもしれない旅に、裸で身を投げる)んだから、物語る人たちってのはやっぱ偉いよ。