九龍ジェネリックロマンス 第8話を見る。
第二九龍を廃墟としか見れない外部の視線によって、令子の存在が大きく揺らぎ、親友がそこに在る証を探して楊明は香港へ赴き、工藤は令子を抱きしめる。
ユウロンや”お父様”も独自の動きを見せる中で、いかにも胡散臭かったガスマスク男が衝撃の正体を顕にしたり、まー相変わらず色々ある回だった。
ラストに明かされた真実に関しては、まぁまぁ予測はついていたのでそこまで衝撃は受けなかったが、んじゃあそういう異常事態に巻き込まれていた工藤の精神状態はどうなのか、改めて考えると相当ヤバいな、と思う。
やっぱあの人を救い、都市/棺/水槽から出すまでの話…なんだろうなぁ。
工藤は永遠に終わらない夏の中、自分を睨みつけてくるひまわりに鯨井Bの思い出を重ねる。
死者がずっと自分を見ていて、逃がしてくれない、と。
しかし鯨井Bの面影から離れられないのは工藤の方であって、彼を九龍に閉じ込めているのは彼自身なのだろうと、だんだん真相が見えてくると改めて感じる。
そうなってもしょうがないだけの愛と、唐突な理不尽で全てを奪われる痛みと、もっと愛した人のことを分かりたかった後悔が入り混じって、工藤の世界を傾がせ、歪めている。
永遠の八月を繰り返す亡霊都市は、そんな心理が拡大され、実体化した蜃気楼なのかな、と。
カルテや九龍外部の証言を寄せ集めると、どうやら鯨井Bの死は自死であり、工藤に責はない。
ミステリアスな彼女に惚れ込み、眠れない夜を一緒にぶっ飛ばそうと誓った青年は、謎めいた彼女の本当を全部、ちゃんと知ったうえで一緒に生きたかったと思う。(ここら辺、令子の純粋さと通じ合うものがあって淋しい)
そうなるよう意思表示もしてたのに、鯨井Bは勝手に死を選んで離れていってしまって、もう何も答えてはくれない。
出会ったからこそ始まり、抱き合ったからこそ終わって、誓えばこそ新たに始まり直す工藤発の恋物語から、中途半端に途中下車してしまったのだ。
その理由は、死という拒絶に阻まれて解らない。
終わらない夏に残酷に置き去りにされてなお、工藤は鯨井Bのことを恨むことも諦めることも出来ず、しがみついても彼女が何を考え望んでいたのか、答えは見えない。
どこにも行けないまま時は繰り返し、死んだはずの女は同じ顔と匂いで勝手に動き出して、そんな彼女を面影ごと抱きしめ、外に出さないことを工藤は誓う。
今回のベッドシーンは酷く痛ましい逃避に思えて、しかし一回はここにたどり着かなきゃ二人は幽霊都市から開放されることも無いだろうと思える、なかなか難しいシーンだった。
遂に主役カップルが結ばれたんだから、もっと喜ばしくてもいいのに、時は7月の始まりに巻き戻り、出口は遠のく。
それは鯨井Bの思い出(不鮮明で答えを拒絶された問いかけ)に満ちた九龍で、永遠にまどろみ続ける選択肢は”正解”ではないと、改めて告げている。
思い出を解き放ち、亡霊を縛り付けている己の愛着をしっかり見つめて、既に死せる鯨井令子をふさわしい場所へと解き放つこと…そうすることで、工藤発の恋と執着を終わらせることが、このお話が描こうとしている決着だとは思う。
でもそんな、ノスタルジーの迷宮から出るのは容易ではない。
その壁と扉を構成しているのは、自分の魂と深く結びついてしまった愛であり、引き剥がしたり壊したりすれば、己の体を傷つけられるよりも深く痛むのだ。
だからこそ恋人たちは抱き合うのだと、三十路らしく行くときは一気に行った二人を見てると感じるけど、令子たちはそんな膚の安心を超えたところまで行かなければ、やっぱり自分たちの真実を裏切る存在なのだろう。
不可思議な現象に巻き込まれ、あるいは蜃気楼の九龍に多くの人たちを巻き込んで生まれた、けして消えない白昼夢。
それを描く物語は、現実の痛みに適応しきれない幼さと、そこに宿ってしまう切ない愛しさを両方見てて、どうすればそれらが抱擁出来るのか、ミステリを転がしながら探っている。
九龍の謎に迫る歩みは、そんな柔らかな感傷と痛みに向き合う方法を、探る旅でもある。
令子と工藤のロマンスはついたり離れたり、抱き合ったり距離を取ったり、複雑に揺らぎながらまだまだ続くと思うが。
ロリータを着ない(着れない)シャオヘイをスパイにつかって、亡霊年を探る”お父様”とか、その住人たる楊明から正体明かさず情報得ていたユウロンとか、色んな連中が未だ思惑を見せきっていない。
”お父様”は技術で作った第二九龍ともいえる、ジェネリックテラに実子の思い出を蘇らせようとしてる感じだが、みゆきちゃんの復讐計画にどんくらい気づいていて、何をしたいのかまだまだ底が見えない。
かーなり正気を失ってる気配はあるんだが、若造の反乱を抑え込みそうな凄みも漂ってて、まだまだ分かんねぇなぁ…。
ユウロンは非常に科学的に、第二九龍というオカルトを情報集めて解析しようとしていて、楊明という最高の情報提供者を上手く転がして、ヒントをたっぷり集めていた。
こうしてかき集めた情報アドバンテージを、自分のエゴのために使うのか、みゆきちゃんへの友情のために使うかで、彼という存在も大きく揺らぐと思うけど。
自分としては凄く真っ直ぐな気持ちを、傷ついたからこそ悪ぶって自分を守ってるみゆきちゃんに向けてくれてると、好みでありがたい。
やっぱ世慣れたフリで防壁を貼りつつ、メッチャピュアな心を守っているピーターパンが、いっちゃん美味しいんだから…。
さておき楊明が九龍の外に出たことで、令子たちを包んでいた日常の異常性がより鮮明になった。
繰り返す時間の檻も表に立って、令子が美しく飾った水槽に金魚を飼っていることの象徴性(戯画化されたグロテスク)も、より切れ味を増している。
檻の外では生きていけない令子は、何も知らないからこそ水槽の外に出ようと願い、その祈りが工藤を出口のない迷宮から救いもするだろう。
だが現状、九龍の外で亡霊が生きていけそうな気配がない。
物語はこっから、いかにして令子と鯨井Bの想いを、九龍の外に広がる未来≒現実に繋いでいくかを、探っていくような感じだが…さてどうなるか。
全く安心できず、最高に楽しい。




というわけで、死の国たる九龍城塞の外に出れる楊明の光と、囚われた令子が纏う陰の対比が、残酷で鮮烈なところからお話しはスタートする。
最初期のお調子者ながら頼れるセンパイの顔が、ベリベリ剥げて悲惨な愛に苦しむ被害者の素顔を晒してきた工藤だが、それは令子がこういう弱さと人間味を、抱きしめられる強さを手に入れつつあるから、画面に新たに映る顔なんだろうなぁ…。
あるいは鯨井B”センパイ”に翻弄されていた時、隠さずさらけ出せていた表情…とも言えるか。
過去に囚われているのなら、昔の自分にまず戻ることでしか、先には進めないんだろう。
過去と未来、死と生が複雑に絡み合っている色合いは、みゆきちゃん周辺でも色濃い。
みゆきちゃん自身亡き母に復讐を捧げ、今を生きるよりも過去を愛する道を選ぼうと頑張ってる感じなんだが、復讐相手である”お父様”も相当我が子への愛に呪われてる感じで、みーんな亡霊への愛に夢中だよ!
こうして様々なキャラクターが、ノスタルジーが持つ毒に侵されている様子を描くことで、自分がテーマに選んだものの危うさともちゃんと向き合おうとしてる姿勢は好きだ。
それは懐かしく美しい九龍の日常に、覆い隠されて見えなかった闇であり、異国の犯罪窟を舞台に選んだスラムツーリズム的視座が、朗らかに無視する陰でもある。
何かを懐かしむノスタルジーの引力は、時に無常な現実の辛さを和らがせる麻酔として機能し、生者の時間を止めてしまう。
それどころか巻き戻しすらしていることが今回明示されるが、九龍の外にいるはずの”お父様”も、工藤と同じ愛と時間の迷宮に、自分を投げ込んでいる人なんだと思う。
そうじゃなきゃ大金叩いて義理の息子に恨まれて、ジェネテラ作ろうなんかしねーだろ…。
ここら辺、工藤が囚われている郷愁と妄執が、彼一人の異常事態ではなく結構普遍的な病だと告げてる感じで、結構好きだ。
大丈夫だよ工藤くん…心から愛する人に先立たれると、結構みんな狂っちゃうの!




そんな狂気と停滞のど真ん中にありながら、己を未来へ解き放つことを諦めなかった令子は、自分が九龍水槽にしか生きられない亡霊人魚であることを思い知らされて、大きく揺れる。
序盤、工藤の顔が見えない/描かれない演出が僕には凄い印象的なんだけども、ミステリの読解が進んで工藤の事情が見えてきて、ついに令子が麦わら帽子に己の表情を隠す(それを誰かに読んでもらい、秘めた弱さを抱きしめてもらう)立場になったのが、なかなか感慨深かった。
もちろん彼女の弱さを抱くのは、彼女が愛する工藤発である。
…だがその腕は、本当に”令子”を抱いているのか。
どれだけ自分だけの”好き”を足がかりに、揺るがず消えない”本当の自分”にすがろうと思っても、第二九龍の異常な状況は令子が消えるべき偽物であると告げてくる。
己の存在が終わる冷たい感触に怯えて、震える女は既に死んだ鯨井Bとは違う、独自の意思と尊厳をもっていることを、工藤はしっかり解っているけど。
解った上で、あの時届かなかった手を死を前に震える女に伸ばし、今度は二度と間違えず手放さない決意/誘惑が、確かに工藤を捕らえている。
その瞳は眼の前の令子と同時に、過去に消えた鯨井Bを見ていて、彼が恋人を抱きしめる時、その腕は二人の”鯨井令子”を抱きしめている。(つまり、目の前にいる生者も思い出の中の死者も、本当の意味では抱きしめられていない)




そして生者と死者、相矛盾しながら重なり合う二人の女を完全に抱きしめ切るには、工藤発という男は人間的に過ぎる。
矛盾も痛みも、全部飲み干して正しく前を向くには魂の強さが必要で、理由を告げることなく死を選んだ恋人を読解しきれていない工藤が抱くのは、真実ではなく幻想である。
つまりは抱かれた令子も、自分の真実からズレたところにある幻を掴まされているわけで、この大人びた純情物語において、セックスは即ちハッピーエンドを意味しない。
主役二人の間に漂う甘い痛みが、真実であってはいけないと冷徹にえぐる客観的視線の差し込み方が、大変に良い。
九龍はずっと真夏で、時は鯨井令子の命日(後悔のゼロアワー)から巻き戻ってしまった。
それは令子の揺らぎをこうして抱くことが、即ち鯨井Bの死からの決別/受容/解明からかなり遠い行為であると、静かに告げている。
お互いの輪郭線を確かめさせてくれる行為に逃げ込み、世界と自分の真実を愛の甘さで誤魔化す恋は、時計を前には進めない。
甘く夢みたいな主観よりも、冷たく苦しい客観こそがこの牢獄を解き明かすには必要で、つまりは楊明の親友への思いを利用しているように思えるユウロウの振る舞いこそが、出口のない輪廻を抜け出す突破口を開く…のではないか、とも感じた。
やっぱユウロンがどんな動機で第二九龍解明に勤しんでいるかが、今後の展開を占う大きな鍵かな、と思う。
科学者としての興味とか私人としてのエゴとかなら、その科学的客観は愛の邪魔する毒になるだろうし、愛ゆえにあえて冷徹を貫こうとツッパってんなら、それこそが突破口を開くんだと思う。
やっぱ愛だよ、愛。
10代のヌルい恋愛なら、そこに至れば”あがり”になってもおかしくないセックスも、むしろより自分たちらしい関係を掴み取るための”ふりだし”でしかないと、グエンくんとみゆきちゃんの過去も告げている。
そういう態度で”性”と向き合えるのは、個人的に凄く良いなと思うんだけども。
己と九龍の真実(その一端)を知った令子が不安に揺らぐのも、そこに己の後悔と未練を交えながら、工藤が強く抱きしめるのも、生きている人間だからこその必然だと思う。
その上でこの必然的途中下車に立ち止まらず、裸に抱き合った先にある答えをタフに探っていくことが、この物語をより嘘のないロマンスとして、しっかり磨き上げていくとも思う。
全てが終わった瞬間を巻き戻し/先送りしてくれる、甘い甘い夏の牢獄。
出ずに囚われるのも一つの幸せだとは思うが、「工藤くん…あんたホントは、死んじまった鯨井Bのために、心の底から泣きたいんじゃないか?」と、俺は疑っている。
令子が探偵として恋人として、あるいは人間として、どんどん強くなるほどに見えてきた工藤の表情は、何も知らないイヴに負けず劣らず、純粋で眩しくて、切なく痛ましい。
そういう人間が、自分に「これで良いんだ…」と言い聞かせながら、取り返しがつかない後悔、己のあり方を死者に捧げて再演する無茶に身を投げている様子は、本当に痛ましい。
令子もその切なさを知ってるからこそ、工藤くんを抱きしめられる自分に育ちたかったんだと思うしさぁ…。
そういう自分に近づいたからこそのセックスであり、そこから更に進みださなければいけないからこそのセックスだったと思います。
オトナの特権的行為が宿す、治癒と逃避の美しい危うさをまっすぐ描いて、まだまだ物語は続く。
次回も楽しみ。