永き刻の果て…変貌を遂げてなお生きている私たちに、愉快な祝福を。
トランスヒューマニズムワイドスクリーン・バロックブラックコメディホテルSF、堂々の最終回である。
大変良かった、ありがとう”アポカリプスホテル”…。
やっぱ作品全体のしっとりした締めくくりは前回終えてた感じで、今回は既にエイリアンの一人となっていた地球人をお迎えし、再び宇宙に送り出すまでの短い滞在を描く。
Season1締めくくりというより、Season2第1話という手触りが漂うけども、ここまでヤチヨと愉快なロボットたちが必死にあがいて手に入れてきたもの、育んできたものが、豊かに思い返される総まとめでもあった。
地球人がマンホームに帰還しようが、1クール12話の物語が終わりを迎えようが、思いを託され必死に生きて、原型をなんとか保ちつつも大きく変わり果てた”生物”の物語は、まだまだ続いていく。
トンチキで多彩な物語を元気に紡ぎながら、作品の真芯に生と死のダンスをしっかり捉えてきたこのアニメは、堂々と豊かな”続く!”をエンドマークに選ぶ。
その逞しい幕引きが、礼儀正しく極めて野蛮な、ヤチヨという主人公と力強くシンクロしていて、とてもこのアニメらしい最終話だった。
神聖なるお客様、偉大なる創造種族を「バカヤロー!」呼ばわりするところまで、シンギュラリティは加速したのだ。
始まりのお客様が手渡してくれた緑が、巡り巡って地球から人類を追い出したウィルスを無毒化してたり、騒々しくも愉快な環境チェックロボさんが本懐を遂げたり、結婚しようがポゴジャカ子ども産もうがバリバリ永遠なポンヤチの絆だったり、ここまでのお話が無駄じゃなかったと思える要素が、しっかりあったのも嬉しい。
結果として”宇宙戦争”の火星人と同じ、汚れた地球に適応できないエイリアンに霊長たちは変貌してしまったが、それは変わり果ててなお続く銀河楼に訪れる、他の異星の客と同じ立場になっただけだ。
そのフラットな価値観変化は、すごくこのお話しらしい最後の一撃だった。
流れる時の中で生き延びる以上、生物は必ず適応し、変化していく。
地球の大気が毒になるだけの変化を、宇宙船の中で人類が積み重ねていたように、ヤチヨも未来を託された銀河楼で色んな人に出会い、マニュアルを改善し宇宙語を学び、大気圏に突入しタンク足に換装し、涙の代わりにダバダバお湯を流す機能を獲得しながら、己を書き換えてきた。
それでもオーナーが託したおもてなしの心は失われず、地球全土を広告衛星の光で照らせるくらいデカくなった銀河楼は、今日も訪れる客に素敵な物語を手渡している。
そこには笑いと洗練とちょっとの暴力とダイナシがあり、生きているからこそのカオスな面白さがある。
イイハナシから死体埋め百合まで、バラエティ豊かに己らしさを毎話書き換え、最高に素敵な物語を手渡してくれたこのアニメのあり方それ自体が、変化しつつ固有の文化遺伝子を保ち、生死を繰り返しながら未来へと進んでいく生命を寿いでいた…というと、ちょっとキレイにまとめすぎか。
でも自分たちが積み上げ、描こうとしているヴィジョンと実際に物語を削り出す手付きが、しっかり噛み合っていたのは凄いし偉いなぁと思う。
作品見てると面白さの熱でうっすらあぶり出されていく、巨大なお題目を物語それ自体が、裏切ってないってことだもんな。
話をするなら当たり前に見えて、中々に難しい手つきだ。
お客様から同僚へ、そしてかけがえない友へ。
結婚しようが出産しようが、全身全霊フルブーストで高速戦闘しようが揺らがぬ、ヤチヨが千年の歩みの果て掴み取った一番の宝物が、最後まで脈動し続けていたのも良かった。
ちっちゃなポン子をしつける立場だったヤチヨが、背丈も人間の器も並ばれ、ある意味では追い抜かれた事は鋼鉄の思春期を受け止められちゃった時に既に明確だったが、今回ヤチヨ一人では解決しない感情のバグを、笑顔で受け止め答えを手渡して、本当に対等になったんだなぁ…と感じた。
歳経ず生殖もしないヤチヨが描けない、ライフステージと生命の定めをポン子が背負い、作品の大事なところやりきってくれたのは、マジでありがたい立ち回りだったけども。
少女から大人になり、妻となり母となったポン子(この歩みは、老婆から死者となったムジナの、幸せな旅の裏打ちだと思う)にとって、ヤチヨが当惑する感情のバグはもう、慣れ親しんだものだ。
もしかしたらヤチヨがいない地球の夜に、狂うほどに懊悩したものかもしれない。(ポンヤチ過激派の意見)
それでも帰還を信じてミサイル武装、やり過ぎなくらいの愛で長い時を待った経験が、かつて自分を抱きとめた機械の悩みを抱きしめる足腰を鍛えた。
職業を選んだり、結婚式を頼んだり、死体を埋めたり、ミサイルで打ち合ったり。
色んな大切を預けあえる、唯一絶対のパートナーシップ。
それが託された使命とかホテルへの絆とか、夫や子どもとの関係と排他的でなく、むしろそういう横幅があればこそ豊かに支えられているのも、凄く前向きで拓けた視線だなぁと感じる。
長い時を生きるロボットとエイリアン…人間ではないからこそ、人間理想の関係を体現できるアウトサイダーの距離感を、じっくり追いかけ積み上げてこれたのも、このアニメのたくさんある良さの一つだろう。
瞬きする間に百年がぶっ飛ぶ、神話的なスケールで話を回したからこそ生まれる、独自の感慨がやっぱあるんだよなぁポンヤチ…。
思い返せばド下らないコメディが、新世紀の神話めいた壮麗と同居しているの、極めて独特な歯ざわりで好きだぜやっぱ…。
というわけで最終回、その不在が物語の始まりを告げた人類故郷に帰るッ!
ロボなヤチヨが落ち着いた素振りを(表面上)見せる隣で、経産婦のタヌキ星人が異様な可愛さで大はしゃぎしてるの、ポンヤチを象徴する絵だと思うけど。
故郷を追われた霊長類は管理された艦内だけを生息環境とし、ヤチヨがホテルの外「生きてるって感じ」を受け取れた自然は、映像の中夢見るだけ。
銀河楼が過ごした長い時間は、その元主になかなか過酷であった。
…宇宙の故郷喪失者って意味じゃ、タヌキ星人と同じ立場になったんだな、地球人類。
故郷に降り立ってもトマリは宇宙服を脱げず、不自由な監獄の中にいる。
長い時を経て戻りきた地球は大きく変貌を遂げ、人類の文化を唯一継承する銀河楼には、珍妙なお客が満ちている。
その変化が色んな幸せとヤバい事件を連れてくる様子を、僕らはゲラゲラ笑いシンミリ感じ入りながら見届けてきたわけだが、トマリが時計の針を巻き戻すノスタルジーの奴隷でなかったのは、今回見ててありがたかった。
健気なロボットと愉快なエイリアンが、結構必死こいて適応してきた新たな地球を、「昔そうだったし」で否定されたんじゃぁ、たまったモンじゃねぇからな…。
こういうノスタルジーの超克は、ずーっと作品の通奏低音だった気がする。
喜ばしいはずの人類帰還に、ヤチヨは浮かない顔をしてすっかりバグり、環境チェックロボさんから己の全てといえる「キレイに戻った地球」を手渡されたトマリは、人間サイズの牢獄から開放された喜びにとびきり笑顔。
この禍福が後に反転し、かつて地球の主だった霊長がその大気に殺されかねない、宇宙からの異物になってしまう皮肉が、最後のエピソードとして展開されていく。
流浪の旅を終え、マンホームを取り戻したのも糠喜び、致命的なアレルギーで希望をへし折られるトマリには悪いが、この展開は妙に”平等”に感じられて良かった。
涙の変わりにお湯をダババーし、共食い整備で命をつないで永遠を演じるヤチヨは、人間と同じ生命の形はしていない。
しかし前回非常にどっしりした筆致でもって鮮烈に描きぬかれたように、彼女も降り積もる星霜に己の生き方を変え、時に鋼鉄の思春期を暴れまわり、色んな苦しみを乗り越えてきた。
その戦いこそが、肉体の構成要素や外見を越えて、人を人…あるいは生命を生命たらしめるのであれば、最早お客もぶん殴られる自由を手に入れているヤチヨは、やっぱり一つの命なのだろう。
彼女が大事なお客様と向かいいれる、異形のエイリアンたちもまた同じで、タヌキ星人の生き残りなんぞ、家族を越えた繋がりを育んできた。
初期プログラムから逸脱すればこその苦しみを、どう受けたものか狂うのもまた、最早被造物の鎖に繋がれていないヤチヨの、一つの業なのだろう。
地球環境に拒絶される”お客さん”になってしまった人類は、最早特権的に故郷の所有権を取得できず、数ある異星人の一人としていつか、再びこの惑星(ホテル)を訪れる。
それが疫病に故郷を追い出され、宇宙に浮かぶ監獄に閉じ込められても生き延びた、地球人類なりの変化の果てだ。
それは淋しく切ないけども一つの現実で、その苦みを飲み干しながらあらゆる異物たちが、それぞれの物語を生きている。
その宿り木となるのが、銀河楼開業以来のミッションである。
どんだけ変貌しても…あるいは変貌すればこそ、ホテルを訪れる客に最上のサービスを手渡すミッションを忘れず、保ち続けたのは一つの希望だ。
人類の善き部分(ハチャメチャなぶん殴り気質も含めて!)を受け継いだ健気なロボットたちが、時の流れに腐敗させられず保った、鋼鉄の文化哲学。
それがあったればこそ、あのサボテンのような旅人は銀河楼に種を預け、巡り巡って砂漠は泉に変わり、地球の大気は浄化された。
…同じように変質していた人類が、それを生身で嗅ぐのはもう難しいけども、そんな上手くばかりはいかない旅路を苦笑い一つ飲み干して、タフに明日に進んでいける力もまた、生命にはある…はずだ。
そういう変化をヤチヨは自分ひとりでは肯定できず、答えも見つからず、しかし導きをくれる大事な人は、もう既にずっと隣りにいる。
最後に最後にとっておきのダメ押し、やっぱヤチヨの迷妄を祓うのは幼い時からずっと一緒にいたかわいいタヌキだよね…という、猛烈なファイナル・ポンヤチである。
「これが俺達が描ききった”永遠”だぁああ!」と告げるシチュエーションが、時の流れの中廃墟になった東京に、しぶとく伸びている新たな文明の残滓なのが凄く良い。
朽ちるにまかせていたのなら、そこに張り出したデッキは存在してないはずなのよ…。
凄く温かい光の中会話をしているはずなのに、ちょっと間違えると死に転落していきそうな危うい高地なのも、その眼前に暗く深い影が広がっているのも、凄くこのお話が見据えていた景色を凝縮してんなぁ、と感じた。
ポン子の心の奥底に、かなりヤバい感じのトラウマ刻んだ故郷絶滅。
それをなんとか生き延び、流れ着いた地球を終の棲家に、家族の墓もおっ立てた。
色んな変化が理不尽に襲いかかる世界の中で、奇妙な縁に導かれて出会い、育ち、今のポン子がある。
それはヤチヨにとっても同じで、まぁまぁ死にかけたり狂いかけたりの荒波を乗り越えて、今また「私壊れちゃった!」と思い悩む苦しみを…なんでもないよと笑ってもらえる。
ポン子がそう言えるのは、彼女があり方を誰かにプログラムされていない偶発的有機生命であり、比較的長いスパンで生殖を繰り返して命を繋いでいく…その過程で少女から恋人、妻から母へと、己のアイデンティティを変えていく存在だからかなぁ、と思う。
そういう”自然”な変遷は鉱物的生命であるヤチヨには結構遠いわけだが、でも変わってしまった環境に合わせて価値観を切り替え、おもてなしの範囲を広げて、確かに適応できてきた。
そんな事実を…これまで僕らが楽しんできた物語を、ポン子はヤチヨに思い出させてくれる。
そういう人がいるのは…やっぱかけがいないことだよ。
この他者性にたいして幸せに開かれた対話は、ヤチヨが既に人類中心主義としてのヒューマニズムを超越し、変貌してしまった世界に相応しい真の平等とホスピタリティを体現していたことを指摘もする。
世界の外に、こんなに沢山の”人間”が在ることを知り得なかった幼い人類が、ヤチヨに刻んだヒューマニズム。
降り積もる年月とそれを生き延びた経験は、絶対のはずだった約束をとっくにヤチヨが乗り越えて、極めて平等でホテリエらしい価値観へと導いていたことを、ポン子は微笑んで肯定する。
それはその平らかな態度に、幾度も抱きしめられ救われた当事者だからこそ、手渡せる花束な気がする。
かくしてようやくたどり着いた故郷が、自分を永遠に抱きしめてはくれない悲哀と、そこがとても豊かで多彩なエイリアンたちの宿り木になった事実を見つめながら、トマリはマンホームを後にする。
いつか必ず戻ってきても、人類の遺志を継いだ新たな住人たちが、優しく迎えてくれるから。
映像越しの憧れでしかなかった青い空と広い海から、感動的に旅立っていく人類の生き残りに、ヤチヨは「テメーらちゃんと期日言えよ!」と追いすがる。
人類のバカヤロー!
いや全く、オーナーも罪な約束でヤチヨを縛ったもんだよ…。
地球の大気の中では、自分の手で料理を直接食べることが許されないトマリの姿は、どこかで涙を流せないヤチヨの歪さと共鳴している。
そうやって「自然な人間」から変わり果て、はみ出してしまっても、いつか憧れた景色を取り戻すことは出来るし、そこで大事なのは形ではなく魂の再現だ。
最終話に新機能解放、へたっぴな口笛一つをBGMに、ヤチヨの日々は続く。
作品を覆う長い影が彼女に追いついて、その活動が停止する日も来るだろう。
だがそれは、今じゃない。
そんな屈折率の人間賛歌、俺はやっぱり好きだぜ…。
最後まで美術が冴えに冴えて、人類が去った東京が美しくあり続けてくれたのもね!
かくして名曲”skirt”に乗せて、すっかり賑やかさを手に入れた銀河楼の今が描かれ、物語は終わる。
地球規模の広告衛星に照らされて、タヌキ星人はポゴジャカ子どもを増やすし、ブライダルプランの体験者はそのすばらしさを語るし、ドアマンロボさんは逞しい肩で小さなお客を背負う。
世は全てこともなし、人がいずとも地球は美しい。
美しくも淋しい一人踊りに綴られる、”あなたはあたしの愛しい人ではもうありません”が、まさかこんなハッピーでトンチキな回収されるとは思っていなくて、答え合わせのように12回目のOPを最後に聞けたの、本当に嬉しかった。
いつか終わる死の匂いをその始まりからずっと漂わせ、だからこそ逞しく変化に適応し、生き延びていく生命を照らしてきた物語。
それが誰も失わずに、続いていく明日を描いて終わっていくのは、無論肩透かしなどではなく大きな満足を僕に与えてくれる。
このヘンテコで元気なホテルの”今”は、人間がプログラムした正しさから大きくはみ出し、狂うわ殴るわ死体は埋めるわ、極悪な自由すらその手で掴み取ったロボットの、人類卒業証書だと思う。
ポン子に背中を抱かれ、あらゆる客を区別しない真のホテリエ精神にたどり着いたヤチヨのホテルは、もう銀座の片隅には収まらない。
他に誰もいねぇんだから、地球全部が職場だぜ!
惑星を背負って、目指せ銀河一のホテルッ!
というわけで、12話のブラックユーモアヒューマニズムSFオムニバス、素晴らしいフィナーレを迎えてくれました。
本当に良かったです。
ありがとう。
竹本泉のデザインが持つ、とびきりの可愛さとシニカルを最大限活かし、終わってしまった世界にしぶとく生き延びるロボットと、騒がしく来訪するお客様が織りなす日々を、SFらしい時間間隔でしっかり綴り、色んなモノを見せてくれました。
とにかく美術が凄くて、第11話とかは草薙以外には背負えなかった仕事だと思いますが、滅んだ地球も必死に生きる銀河楼も、毎回とびきり美しかった。
その美麗がどっこい生きてるタフさを下支えしていたのが、僕は好きです。
生死を巡る深い思弁や、生き方をプログラムされた機械がその軛を抜け出すまでの旅路を感動的に描きつつ、染みすぎないよう暴力とダイナシで力強く殴りつけ、程よく不真面目な塩梅でしっかり笑わせてくれたのも、大変良かった。
ロボットとエイリアンを主役にしたことで、人間様が主役じゃあ出来ない不謹慎を令和の世にぶっ放すことが可能となり、キレのある黒い笑いが成立していたのも最高だ。
毎回感情の行き場に迷うほど、大胆に振り幅ツケて話の方向性をグイングイン振り回していたのも、飽きる暇がなくって素晴らしかったです。
オムニバスの多彩な軽妙と、一本芯の入ったテーマ性を両立させて12話走りきったの、ホント巧い。
不変の機械…のように見えて異様な変質を遂げていくヤチヨと、儚い定命…に見えていかれてタフで優しいポン子が、身体の構成要素を飛び越えた絆を育み続け、「恋愛結婚出産、なんぼのもんじゃい…真の縁は千切れ飛ばんのじゃ!」と、分厚い関係性を描ききってくれたのもありがたさの極み。
鋼鉄のド付き合いで本音をぶつけ合い、死体を隠して絆を確かめる、生半可じゃねぇ異形の関係性がゴリゴリ元気だったのは、本当に良かった。
他のキャラもみんな可愛くてロクでもなく、一種落語的な「コイツラホントしょーがねーなー…」感で生命の業を肯定できたの、作品が描いているものを飲み干す、大きな助けでした。
やっぱオムニバスという形式はとても好きで、毎回素晴らしく多彩なエピソードを繰り広げ、そのことを思い出させてくれたことにも感謝です。
数年に一度くらい、こういうクオリティの六尺玉百連発を見届けられるので、ありがたい限りだ…。
このアニメ、”戦国コレクション”や”スペース☆ダンディ”の精神的継承作として見てた部分もあるのだが、また時が経って新たな継承者に出逢うのが、とても楽しみです。
そういう繋がり方の愛しさって、このアニメがずっと描いてたもんでもあると思うしね。
というわけで、大変素晴らしいアニメでした。
面白かったです、ありがとうッ!!