イマワノキワ

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ぷにるはかわいいスライム:第15話『RUNE RUNE DANCE』感想ツイートまとめ

 ぷにるはかわいいスライム 第15話を見る。
 意思なきホビーだったルンルが、奇跡の結晶たるぷにるの分け身を受け取って自由意志を得たことで、巻き起こる騒動を描くエピソード。
 ぷにるとルンルのW意志ありホビーを真ん中に据えつつ、保護者的立場で見守るきらら先輩と宝代の差異とか、バズに踊らされてるココアの顛末とか、一期第6話を踏まえたアリスの成長とか、色んなモノが描かれている回だった。

 ドタバタ騒がしいギャグのラッシュの中に、大人と子供、あるいは生命と被造物を隔てるものをしっかり睨みつけ、自分と他人の境目を定める難しさと尊さをしっかり描いているのが、凄くこの物語っぽい。

 

 僕はルンルという「ぷにるだけのホビー」を前にした時、ぷにるが凄く無邪気に子どもっぽくなるのが好きだ。
 かつて自分がコタローに成し遂げたように、今回ぷにるは経年劣化による破壊と別れという、玩具としての必然を奇跡によって乗り越え、ルンルには独自の価値観と意思が宿る。
 自分の思い通りにも、かつての意志なきホビーのようにもなってくれないルンルを前に、ぷにるは(きらら先輩の助けなども借りつつ)どういう距離感が適正なのかを悩み、探っていく。
 時の流れとともに否応なく変化する、ホビーと児童の関係を通じてぷにるの変化を描くストーリーラインが、このエピソードの背骨の一つとなる。

 ぷにるが「ぷにるだけのホビー」との距離感に悩むのと同じく、お尻フリフリダンスを恥じらわず繰り返していたルンルには自意識が芽生え、今まで自分を受容してくれた社会との裂け目が広がっていく。
 どうすれば自分らしいのか、生まれたばかりのルンルはアイデンティティに苦しみ、かつて自分を所有していた(そしてルンルでは己の傷は癒やされないと適切に距離を取った)アリスちゃんの言葉で、不定形な自我を確立するための一歩目を踏み出していく。
 周りが求める”らしさ”を跳ね除けて、自分の内側から湧き上がる欲求に従うことで、違和感なく抱きしめられる自分の形を手に入れられるのだ、と。

 

 そんなふうにルンルを導くアリスちゃんも、第6話までは自分だけのルンルーン幻想に振り回され、叶わぬ軌跡を求めて泣きじゃくる子どもだった。
 宝代はそんなアリスちゃんの側に立ち、壊れそうだった心に適切に手を差し伸べ…その時のまま時間を止めている。
 アリスちゃん本人は、ぷにるのような奇跡が自分には訪れない現実を噛み締めた上で、自分の”好き”をどう形にしたらいいのか、ポジティブに未来を掴み取る道にとっくに進み出している。
 しかし宝代の中のアリスちゃんは、自分の助けが必要な傷つきやすい子どものままで、ルンルにルンルーンのカタチを押し付け、主(あるいは我が子)の涙を止めようとする。

 ここには「アリスちゃんが泣きじゃくる子どもであり続ける限り、それを助ける自分に存在価値が生まれるのだから、あの子は成長を止めた子どもでなければいけない」というネジレが存在している。
 この物語らしいコミカルさで上手く糊塗されているが、愛ゆえにアリスを救ってしまった宝代の成功体験はきわめて重たく、歪なままだ。

 ここら辺、愛するバブちゃんが自分の足で立ち自分から離れていくことすら愛でる、きらら先輩の母性とは真逆であり、また別の歪さをあの母性モンスターは抱えてもいるわけだが。
 幸いアリスちゃんは、他ならぬ宝代の支えあってこそ健全な自我を育み、窮屈な”らしさ”の檻から既に巣立っている。

 

 この成長あってこそ、押し付けられる己のカタチに悩むルンル(かつての仇)に道を示し、「アリスだけのホビー」じゃないとしても適切な距離感で隣り合う一歩目を、朗らかに進み出すことが出来る。
 そういう意味で今回は、実は一期第6話を前提とした御金賀アリス回でもあったなぁと思う。
 かつて魂を宿したホビーに強く焦がれ、運命に選ばれず泣きじゃくっていたあの子が、どこまで到達したのか描いて話が収まっていく構図自体が、ホビーや保護者の助け合ってそういう場所にたどり着ける児童の歩みを活写してて、このお話が何を書きたいのか、凄く鮮明に写し取ってる感じがあった。

 このホビーと子ども達の騒動の隣で、生身の自分と遠いところで積み上がる数字の快楽に踊らされ、ルンルに芽生えた意志を毀損して自分を満たそうとする、ココアの危うさも描かれる。
 バズに狂った彼女は「こうあるべきルンル」を勝手に押し付け、自分とは異なる意思を持った存在を便利なコンテンツに貶めていく。

 

 きわめて現代的な危うさが滲むココアの足取りは、彼女の”好きピ”であるちーちゃんが隣に立ち、「ちーちゃんと並び立てる自分」をココアに思い出させることでギリギリ、最後の一線を越えない。
 かつての敵にアイデンティティ構築のヒントを手渡すアリスちゃんを、カッコいいと思えるちーちゃんの素直なギャルマインド……ある種の幼さ。

 携帯端末の中の数字から目を離し、今自分の隣りにいるいちばん大事なものの視線を借り受けることで、ココアはルンルの意思を無視して自分の欲望を押し付ける、醜い己を鏡に映せる。
 それはぷにるとルンル(あるいはコタローとぷにる)のように「ホビーと子ども」というフレームには収まっていなくとも、自分の外側にあって自分と深く繋がっている”好き”が、自分の形をより善く変えていってくれる可能性の現れだ。
 自分から遠い場所にあって、でも自分に都合よく為りたい自分を連れてきてくれるバズのタネとして、ルンルを消費してしまう自分はちーちゃんの隣に立てない。
 そう自覚したからこそ、ココアは最後にパフェを食べに行く。
 その幸せな実感こそが、自分を自分足らしめてくれる”好き”であることを、ギリギリで思い出すのだ。

 

 この迷走と決断は、ホビーに夢中すぎて中学二年生にしてはガキっぽい主役たちから、一見遠いところにいる「フツーの中学生」もまた、彼女たちなりの”好き”によって自分の形を定め、変化させる力学と無縁ではないことを教える。
 保護者であるはずの宝代がアリスちゃんの成長について行けないのと同じく、世間が「そうであるなら大人だよ」と定める条件を満たしていれば、より善い人になれるわけではない。
 目の前にいる誰かをしっかり見て、そこに反射する自分の”好き”と…それによって縁取られる己の輪郭と、ちゃんと向き合う存在。
 この物語はずーっとそういう、大人…というか人間の定義の話をやっている。

 無邪気なぷにるはココアほど暴走も思い直しもしないまま、ルンルと向き合う自分がどういう存在か、どうあるべきか、どうなりたいのかを柔らかく掴み取っていく。
 そういう決断の色が薄い、ちょっと子供っぽい自分の定め方も世界にはあるし、大事な誰かが告げてくれた言葉で己を思い直して、バズよりパフェな自分を選ぶ変化も世界にはある。
 そして歪な成功体験に縛られ、母性の鎖で自分を縛ったまんまの女も。
 宝代の歪さってキャラの根幹なので、話が終わるまで正気になれないのエグいなぁ…。

 

 

 

 

 

 

 

画像は”ぷにるはかわいいスライム”第15話より引用

 というわけで今日も今日とて、ぷにるはルンルと一緒に楽しいホビーライフである。
 永遠に続きそうだった幼い時間は、「メンテナンスされてないホビーは、あっけなく壊れる」というシビアなリアリズムによってヒビが入り、雲母麻美は泣きじゃくる幼子から、ここぞとばかり母性を吸う。

 俺は雲母麻美という人がかなり好きなので、ぷにるの悲しみに寄り添いつつ母であることを望むエゴを満たし、同時に結構バランスよくどういう人間であるべきか、冷静に睨んでいる複雑さが観測できて嬉しい。
 成功体験に凝り固まった宝代より、自在に子ども達見れてる事が多いんだよなぁ…。

 

 まぁメカバブちゃん爆誕に狂喜するクレイジーでもあるんだが、コタローがなかなか適切に受け止められないぷにるの涙を、毎回しっかり抱きとめてくれるきらら先輩がいればこそ、ぷにるの純粋さが守られている感じは強い。
 お気に入りのホビーが壊れれば悲しい、子どもの当たり前をそのまんま抱きしめるきらら先輩がいればこそ、ぷにるのルンル復活大作戦もドタバタ楽しく転がっていくのだ。

 神の愛された被造物たるぷにるは、自分の奇跡を分け与えることでルンルを修理し、意志を芽生えさせる。
 それは自分のあり方を自分できめていい自由と、それを守り抜かなければいけない責任と痛みの中に、ルンルを放り出す行為でもある。

 

 

 

 

 

画像は”ぷにるはかわいいスライム”第15話より引用

 ぷにるがどういう自分でありたいのか、シリアスに考える行為は自動的に「コタローとどうなりたいか」に繋がり、そこに光が当たるとこの話終わっちゃうので、まぁあんまり深く掘り込めないんだけども。
 意志持つ存在としてこの世に放り出されてしまったルンルは、創造主のような根拠のない自己肯定感で無邪気に/無批判に自分を支える道ではなく、周囲の期待と失望にモミクチャにされながら、自分を探す旅に出ていく。

 元々が他者の欲望を反射するホビーでしかなかったわけだから、「こうあって欲しい」という願いは、ルンルの自我を縁取る大事な光だ。
 そもそも自分なるものは、己一人の孤独な谺としては成立し得ず、他人との欲望と祈りの乱反射の只中にしか立ち上がらない、複雑な蜃気楼だ。
 しかしそれは時に、自分を悩ませ他人を狂わせる凶器にもなっていく。

 

 まーたアリスちゃんを置き去りに発生した奇跡が、主を傷つけると思い込んで暴走する宝代も、バズに目の色変えて狂っていくココアも、眼の前の相手がどういう存在かを見落とし、手前勝手に「こうありたい自分」を反射させている。
 同時にそういう欲望の投射がなければ、他人と関わろうなどとは人間思わないわけで、どう自己像を確立してくれる他者への/他者からの視線と付き合っていくかは、非常に大事で難しい課題だ。
 そらーぷにるも散々悩んで、あるべき自分の形を見失い、不定形のスライムに戻ってしまう。

 大炎上に終わったステージを経て、ぷにるがルンルの自我を縁取る立場にならないのが、なかなか面白いなと思う。
 ここで自己の射影としての他者、他者からの投射によって変化していく自我に、一つの答えを出せるだけの客観性と成熟は、永遠の七歳児であるぷにるにはないのだ。
 自分ですら本当にどうなりたいのか、コタローとどうなっていきたいのか見えぬまま、不定形に揺らぐネバーランドで時を止めているぷにるが、ルンルを悩ます自我定義になにか言えるはずもない。
 しかしそこでカッコいい答えを出せなくても、弱く頼りない子どものまま、ルンルの友達でいることは許されている…はずだ。

 

 この不定形の頼りなさをそのままに、ひたすらルンルと楽しく暮らす権利と自由がぷにるに許され、守られているのが俺は好きだ。
 そういうものを奪われてしまったら、ぷにるはもう子どもではいられないだろう。
 そしてコタローは世知辛い世界の中、そういう体験を経て自分と世界を諦め、自分を守ろうとしている。
 そういう暗い影に沈まなくてすむのは、ぷにるという奇跡が永遠を希う子どもの願いを叶え、可愛いものが好きな子どもでいて良い自由を、コタローに手渡しているからだ。
 そういう無自覚な救済を、ぷにる当人がルンルに与え、あるいは与えられている関係は、やっぱ俺は好きだ。

 ぷにるはココアや無責任な消費者と違って、ルンルに「こうあるべき」という欲望を持たない。
 というよりそれはより指向性の少ない、ただルンルがいてくれるだけで満たさえる、きわめてピュアな欲望なのだろう。
 その純粋さ故に、ぷにるのルンル愛は悩める被造物が自我を縁取る助けにはあんまならないが、それでもぷにるが変わってしまったルンルを大事な友だちだと思い、フヨフヨ頼りなく揺れながら隣に立とうとし続けているのが、僕には凄く眩しい。
 そんな相棒の奮戦に、コタローがいつものトホホ感を引っ込め、兄貴として寄り添ってくれてたのも好きだ…。
 今回のコタロー、めっちゃルンルとぷにるのことよく見てんのよね…。

 

 

 

 

 

 

 

画像は”ぷにるはかわいいスライム”第15話より引用

 結局己のあり方に迷う子ども達に善き道を示すのは、既にホビーとの関係に一つの決着をつけて「もう壊れてしまった、貴方によく似たホビー」と言えてしまえるアリスちゃんであり、そのかっこよさを見つけられるちーちゃんである。
 俺は生まれたばっかりのルンルに「何も感じない、草木でいたかった…」と言わせてしまったことに、ギャグで流せない辛さを感じたりしたので、アリスちゃんがルンルの涙を拭ってくれて、大変嬉しかった。

 あの時本気で焦がれ泣いたからこそ、今目の前にいるルンルーンの面影を残す存在が、執着するべき”好き”でも憎むべき”嫌い”でもなく、ただ手に入れてしまったばっかりの自我を持て余し、悩み苦しんでるトモダチだと、素直に受け入れられる。
 そういう場所に、アリスちゃんは既にたどり着いているのだ。

 

 そんな颯爽に、もしココア一人で遭遇していても、バズに狂った目は晴れなかったと思う。
 やっぱ隣にちーちゃんがいて、自分じゃないあの子が自分とは違うものを見つけて、それに意味があると思えるからこそ、自分を狂わせる執着から離れられるのだろう。
 ココアの場合、こんだけ焦がれてるバズもそれをあえて投げ捨てて、ちーちゃんを選ぶ特別さを証明するための道具って側面があるのが、なかなか複雑だと思う。
 人それぞれ色んな”好き”があり、成熟故にこじれる難しさがあるのだ。

 色々あったがなんとか、いつもどおりの「めでてーな」に収まったぷにる達を見ながら、ココアはルンルに身勝手な欲望を反射させるより、何も帰ってこなくてもちーちゃんの隣でパフェを一緒に食べる時間へ、自分を押し出していく。
 そこで「こうあって欲しいちーちゃん」を投げかけ、引き寄せることにココアなりの怯えもあろう。
 この心地よい宙ぶらりんが破綻し、「ちーちゃんと一緒にいることで確立されてる私」が壊れてしまうくらいなら、トモダチの距離感を保つことを選んでいる。
 そんな臆病は、ぷにるやルンルが身を置いている自己確立入門編よりちょっと複雑で、少し熱が高く…等しく愛しい。

 

 という感じの、あるべき自分を巡る幾つかの素描でした。
 大好きなホビーに意思が宿ったぷにるが、状況の難しさに翻弄されつつも健気にルンルと一緒に悩もうとしてる姿とか、そこに成長を果たしたアリスおねーちゃんが頼れる助け舟を出したりとか、ぷにる達の現在地を描くエピソードとして見ごたえがありました。

 こっから更に新たなる生命がエゴぶん回し、ホビーと人間、愛と欲望の深いところまでググっと踏み込んでいくわけだが…さてアニメは、ジュレという存在をどう描くのか。
 スゲー好きなキャラなので、素敵な筆で削り出して欲しいなぁと思います。
 次回も楽しみ!