そうしてゼロ地点を越えて、∞の彼方まで。
何も定かじゃない雑踏に歌を響かせる、アニメゆめみた最終話である。
とても良かった。
つーわけで裏アカにも粘ついた妬み嫉み一切書かず、ただ行き場のない心を眩く刻んで前へ這いずっていった眩き光の星と、そんな「本物」に脳を灼かれ偽物でしかない自分を生まれ買わせることも出来なかった暗い影が、背中合わせの未来へ進み出していくエピソードだった。
傷つけられても正しく立ち上がり、ふらつきながら自分の「好き」を歌にできてしまえるあられと、土壇場に追い詰められながらスルリと抜け出し、都合のいい仮面の向こう側を抱きしめてくれる誰かと繋がることもなく、「ビオラ」を演じ続ける少女。
この対比で話がまとまってみると、ビオラ七割でアニメが回っていたのもまー納得させられてしまった。
話数重ねるほどに、このアニメ移行出番が来ない(だろう)最悪のクズが、思春期の子どもとして何に傷つき何を間違えているのか、人間としての中身を知りたくなってしまった側なので、ビオラに採点が甘いのだが。
歌でみんなとおしゃべりする、音楽と「バンド」の原点に最終話で回帰したあられが、あんだけ意識を占めていたビオラを視界に入れないことで乗り越えていく決着は、残酷でもあるしそれ以外の結末もないように思える、とてもこのアニメらしいフィナーレだったと思う。
何しろ歌の物語なので、ビオラが抱えた弱さや悪辣もパワーある楽曲で押し流してしまうことも可能だったと思うけど、このお話はあられの光に灼かれ怯え、その光をくすませる方向でしか自分を保てなかった卑怯者を、卑怯者のまま孤独な道に放り出す。
「大嫌いなんだよ…」と、あられと彼女のバンドがたどり着いた輝きに背を向ける時、ようやく垣間見えた仮面の億の素顔は、同じモノを共有し得た(かもしれない)都子に、微かに晒していた生身と通じ合う匂いがあった。
しかし都子は共に卑怯な深遠に沈んでいって欲しかったビオラの甘えを受け入れられなかったし、あられは自分がどう足掻いても放ってしまう光が時に、影の生き物たちを眩しく灼く凶暴性を自覚も制御も出来ないし、都子やファン相手にビオラだけの「好き」を確かに生み出せている事実を、ビオラは直視できない。
何もかも完璧に正しくやり切れなんてしやしない、ハンパで現実的で幼いゆめみたの現在地は、世界全部を塗り替えてしまえるほどの熱狂にはたどり着かない(けどたしかに最高だった)ライブの描き方も含めて、年相応、この時代相応に不完全で未成熟だ。
その完璧にはまとまりきれない手応えは、この後Our Notesに続いていく物語が高く羽ばたいていくための余地だし、まだ高校生の彼女たちの青臭く嘘のないスケッチでもあろう。
出来ない、理解らない、至らない。
ないない尽くしに見えて、集合時点でハイスペックだった変わり者たちが、世間で評価されるマトモさに均質化されることのないまま、自分たちを突き動かす「好き」の使い方を探り、納得できる繋がり方/繋がりきれなさを探り当てるまでの旅。
色々ぶつかった挙句、等身大の生身で屋上に集まり、同じ場所で違うモノを食べる所まで来たゆめみたの歩み。
それは、ビジネスパートナーであるはずのベルポポを事務所の大人へのハニトラでハメ、嘘っぱちの有用性で生存権を掴み取った、ビオラの孤独な逞しさと寂しさに照らされて、より際立っていたように思う。
アイツラはあそこまで、この女はここまで。
ビオラの悪行が正義の裁きをスルッと抜け出し、真っ向から誰かとぶつかることもなく孤独に生き延びてしまう結末は…まぁ人によって評価も様々だろうけど、スカッとする割り切った結末より、痛くて寂しくて嘘がないなと感じた。
律ちゃんのように、あられの眩さに惹かれてる自分を苦しみながら肯定し、拒まれても手を伸ばし掴み取ってもらう道を、どうしても選べなかった少女。
魂の奥底から輝き続ける「本物」に取って代わりたいと願いつつ、そのために嘘と悪辣を積み重ねるしかない己の偽物っぷりをごかましきれず、開き直れもしない弱虫。
吠えれないまま生き延びるのは、ビオラにとても似合いの結末だと感じた。
都子がその淵まで危うく近づき、創作者としての矜持を己に問うてギリギリ踏みとどまった、依存と卑下と誤魔化しが混ざりあった、暗い闇。
ビオラはそこから生まれ出て、ずっとそこにいて、そこから出ていけない。
あられが物語が始まる前段階、ズタボロにされても歌をアップし願書出しゆめみたになろうとした、自分の外側に踏み出す力と、それを支えてくれる誰かとの縁を、ビオラは掴めない。
その至らなさと憐れさが、真逆のまま背中を向けあった悪役が、主役の歪んだ鏡として機能するための、最後の一雫だったのかな、と思う。
まーアニメオリジナルのぽっと出に、そこ全部任すのやっぱヘンテコアニメだけどさ…。
ののかやあられが体現する、正しく眩しく生き続けることしか出来ない陽性の業。
人生の主人公気質…とも言っていいそれに、都子がどんだけ身勝手で切実な痛みを感じ、ビオラの甘言に逃げていたかは作中ねっとりたっぷり描かれたとおりだ。
誘い操っているように見えたビオラもまた、彼女たちが体現するナチュラルな輝きに惹かれ、灼かれ、歪で加害的なやり方でしか向き合うことが出来なかったと、最終三話で一気に削り出されていく。
それをやらなければならなかったのは、この最終話で見事に己の道を示しきった主役の影をやり切る…と同時に、物語の向こう側にいる僕らと今に、生っぽい光を投射するためだったのかなと感じる。
ビオラの妬みや弱さやどーしょうもなさは、このライブにたどり着きOur Notesでもっともっと力強く自分たちの音を紡いでいける、物語の主役にはなかなか許されないカルマだ。
それに重なるものをキャラの根本に埋め込み、超強引に九字で祓ってスッキリ距離を取った都子が、メインにいるのもまぁ凄いもんだけども。
あられ達に憧れ感動し、でも「ああはなれないな…」と思ってしまう僕らの影と、それに引きずられ振り回されるノイズ過多な時代の空気を、ビオラは背負ってくれていたんじゃないかと僕は思う。
それがあったればこそ、ポップで騒々しい物語に妙に生っぽい手触りが、宿ったように感じるのだ。
ここで裁かれ負けきり、自分の業を精算しきってきれいな場所から進み直す決着を、ビオラは与えられなかった。
その先に一人で…一人である事に潜り切る事もできぬまま進んでいく道は、多分語られない。
ノリと幸運としたたかな知恵で、毒草まみれの孤独な花園に生きる/縛られる事になったあの子は、卓越して理解不能なスーパーヴィランというより、とてもありふれた幼さとままならなさを、当然誰にも抱きしめてもらえなかったただの高校生に、僕には見える。
…「そう見たい」とずっと思っていたから、この結末の先にそういう蜃気楼を見てしまっているんだろう。
畢竟、俺はビオラが好きだった、ということだ。
作中のキャラクターもアニメを見てる僕らも、散々に振り回され、自分を掴み取ってみれば大したことのない張り子の蛇だと気付き、そのまま視界から外れていく一瞬の花火。
スキャンダラスな衝撃が何かと求められる、令和時代のエンタメに必要なアクの強い毒はしかし、眩い星にどうしてもなれない偽物のカルマを、どうしようもなく抱えたまま己の物語を終えた。
その孤独な歩みが、ぶつかるくらい本気で他人と「おしゃべり」しようとしたからこそ、ちゃんと「バンド」になれた女の子たちの補色を成してて、なんとも不思議な感慨がある。
そういう気持ちにたどり着かせてくれたのは、やっぱありがたいことだと思う。




ビオラはベルポポを防壁に、偽物の輝きを生み続ける現在地を保って、飾でしかないアラザンをくすんだキラキラに透かし口に含む。
あられは自分の切なる願いを真っ直ぐ突き出し、皆で作り出した歌を震えながら吠えるための元気を、華やかないちごと一緒に飲み干していく。
友情、真実、情熱。
あられがどんだけ傷つけられても、立ち上がり掴み直し自分の内側に取り込んでいける実のある栄養…その先にある魂の瞬きは、嘘に包まれ嘘を食むビオラには、けして掴み取れない。
最終話だからこそ、光と闇の主役がなぜ相反するかを描く筆は、残酷で鮮烈だ。
(ビオラが呪われた本物のキラキラを、戸山香澄から始まったバンドリ! の10年へのカウンターと見ると、Our Notesに新時代を託すコンテンツ全体の必然でもあって、なかなか自作批評的だなぁと思う)
ビオラに壊されて以来、ヴァーチャル空間の虚像として投影するしかなかったツインテールを、あられは幼馴染に結び直してもらって、最後にして最初の勝負に挑む。
その視界に入らない遠い場所で、ビオラはその眩しい輝きが大嫌いで大好きだった自分をようやく剥き出しにして、そういう本音を誰にも受け止めてもらえない場所に去っていく。
うまく自分の「好き」を伝えられず、すれ違ったり傷つけたりもしたけど、そういう出来なさや不様さを取り繕わなかった戦士の晴れ舞台は、自分の「好き」にすら真っ直ぐ繋がれない臆病者には遠すぎる。
橋にもかからないどーでもいい存在と、宿敵だったはずの女を置き去りにする、とても正しい対応。
それがあられとビオラが最後にたどり着いた、必然のすれ違いだ。
それが魂の奥底から繋がり合う、エモくて正しい結末になってくれない場所に、あられもビオラもいた。
だから何も疑わず幼い万能感のまま、傷つくこともなく突っ走れた時代をド派手にぶっ壊して、瓦礫の中をそれでも立ち上がって進んだり、そこが華やかな楽園なんだと周りも自分も騙して(騙しきれず)溺れたりしてきた。
完璧にも完全にもなりきれない、ほころびだらけの物語にとって…そこに生きてる現在進行系の子どもたちのお話として、良い決着だったなと思う。
あられはビオラの業を受け止めきれないし、受け止める義理もないのだ。
まぁそらそーで、大事だったものズタズタに引き裂いて、立ち直ったと思ったらまた攻撃してきた敵の脆さや哀しみを、わざわざ回り込んで見つめ抱きしめてやる義理は、被害者であるあられにはない。
そういう業を超越した奇跡を引き寄せられる、キラキラの化身みたいな主人公もどっかにはいるんだろうけど、仲町あられはそうじゃない。
そしてもしそういう救済がどっかから湧いてでても、弱虫ビオラは飲めないだろう。
そういう「出来なさ」に満ちた話だったのは、高校生が必死に自分だけの「好き」を探る物語として、かなり好きな温度だった。




アニメが終わるこの段階で、ビオラは自分が何に灼かれ、何に怯え悪辣に振る舞ってきたかを語る。
あられが発する眩しい光に魅入られ、自分もそうなりたいと求め歪みまくった挙句、笑顔の仮面に雨の涙を添わせることしか出来ない、嘘だらけの毒草になってしまった、ビオラのどん詰まり。
だからといってしでかした事が許されるわけでもないが、んなことにかずらうよりも大事で楽しいことを、あられはもう見つけ駆け出してしまっている。
ビオラがあられに縛り付けられ、その眩しさに並べる偽物の光で武装し縛られる彼方に、置き去りにしてすっ飛んでいく。
ここら辺、UFOとロケットと宇宙服をバンドのトーテムとし、ノイズまみれの地上から重力引きちぎって高い場所までぶっ飛ぶゆめみたのイメージづくりと、面白い呼応だと思ったりするけど。
嗜虐的な快楽に酔っている強者に見えて、そうして恐れを麻痺させないと生きていけない弱さ…そこから逃げ切って新しい自分になることも許されない、あまりに巨大な「本物」の毒が、ビオラを自家中毒させている。
偽物でしかない自分は、作り込んだ嘘でしか本物になれないし、それは偽りのイメージをバズらせ、誰かを炎上させた照り返しでしか、一瞬の輝きを獲れない脆い仮面だ。
それを外して、素顔になる自由もビオラにはない。
崩壊していくフェアリィブゥケ最後の輝きに、無邪気に目を輝かせ憧れのビオラに声をかけたファンにとって、ビオラは本物だ。
その乱反射が生み出す、虚実入り混じるワケのわかんなさを「これが僕たちの本当だ!」と開き直ることで、ゆめみたはグチャグチャになった場所から進み出し、このステージにたどり着いた。
それは誰かが不様な開き直りを、「間違ってないよ」と受け止めてくれればこそ選べる道で、ビオラは「ビオラ」であることを選んだ必然として、そういう仲間を手に入れられない。
いるのは自分の創作たるキャラ作りを嘲るベルポポだけで、それも毒流し込んで殺してしまった。
卑俗な悪党なりに、ベルポポ自身は結構マブな絆で繋がり合っていて、それが一人生き延びてしまったビオラの孤独を、また強調もするわけだが。
望んでいたはずの華やかな笑顔は、誰にも受け止めてもらえないまま流れている涙を弾いて、もう外せない仮面がへばりついている。
もうそういうふうにしか生きられない女の子が、このまんま嘘だらけの寂しい道を進んでいくのか、ゆめみたじゃない誰か(あるいは少し強くおせっかいになったゆめみた?)に仮面を引っ剥がし、抱きとめてもらうのか。
それは語られざる、白紙の未来の物語だ。
内側にたっぷり溜め込んだ、純度の高い感情のドブを垂れ流し、雨の中踊るしかない狂気とどーしょうもなさを炸裂させているビオラは、正直おもろい。
そういう生身のオモロさを、けして完璧なんかじゃないキャラ作りの向こうに感じ取ってビオラが好きなファンも居ると思うし、そこに反射する「本当」に飛び込めたら、ビオラも楽だろう。(一人じゃなくなるから)
でもずーっと自分が偽物だと思い続け、それでも本物を演じるために嘘と最悪を積み重ねてきたビオラは、仮面を外した自分は愛されないと思い詰め、そこから出れない。
「出よう!」と手を取ってくれる人もいない。(律にはいた。残酷な対比だ)
「結局テメーが弱虫なんじゃねぇかッ!」という話なんだが、ある者には救いとなる眩さがある者には凶器になってしまう捻れは、ののか-ユノ-都子の…あるいはあられ-律-ビオラのラインで幾度か綴られたものであり、持って生まれ傷つきながら育てた業は、なかなか乗り越えられない。
「それでも、だからこそ良いッ!」とはっちゃけられた都子のように、自分を暗い沼から引っ張り上げる「好き」のテコも見つかんないビオラは、この笑顔の仮面に縛り付けられたまま、他人も自分も利害で見る、寂しい数字主義に呪われ続ける。
…アテンション・エコノミーの申し子で、やっぱ今っぽいキャラだな…。




そういう暗いどん詰まりを、あられは真っ直ぐぶち抜いて新たな詩を皆と作り、覚悟のツインテで武装し堂々曇天に突き進んでいく。
人間の暗い部分を寄せ集めた掃き溜めになるはずの鍵垢で、ひたすら真っ直ぐな実感を書き綴ってきた、あられの純粋なひたむきさ。
思いの避難所がかつて必要で、今解き放ち歌にする必然を掴み取れる強さは、思えば話が始まる前からずっと彼女と共にあった。
新しい決意とともに踏み出す秋葉原は、長いから周りと上滑りを経てホームに帰ってきた、再帰の舞台なのだろう。
なので、道を違えた仲間とも再会する。
「本気なら”今”じゃないでしょ…」というビオラの冷笑は、真実の欠片を確かに射抜いてもいて、歌美さんも善意の天使ってわけじゃなく、弱さと後悔に縛られた、ただの人間なんだと思う。
そういう奴が過去の忘れ物と向き合い、ステージに進んでいくものと観客席に残るものを隔てる壁を越えて、一瞬でも繋がれる場所を作り出したのは、やっぱりあられの決意であり、なんだかんだ一緒にいることになった仲間の力だ。
完全に正しく重なり合って生まれるハーモニーでも、全てを終わりにする劇的なカタルシスでもなく、変わりきれない凸凹をなんとか噛み合わせて、一緒にいることを止めないと湧き出てくる、不思議な面白さと活力。
「そういうプリミティブな繋がりって、なんか良いよね!」つー実感を、葛西臨海公園に灯った原始の灯火、そこから生まれた不格好な歌と笑いにしっかり書けていたのは、やっぱ強いなと思う。
あの光と熱を五人が確かめ合ったからこそ、∞に新しくなっていく自分たちの未来に胸を張って、繋がれず判りあえない人間の当たり前にそれでも、吠えてぶつかっていく決意も出来た。
それをどんよりスッキリしない世界に突き出したことで、壊れていたはずの過去が立ち戻ってきて、ヒビだらけでもまだ息をしていることを確かめられた。
ここら辺の過去との対峙は、ユノとsupremacyの決着を、最後に再演している感じもある。




傷だらけでもぶっ壊れたように思えても、結構人間取り返せるもので…でも一人きりだと、立ち向かうのも難しい。
だから誰かと手を繋ぎたくなるけど、言葉は上手く喉から滑り出てくれなくて、「好き」も万能の特効薬にはなってくれない。
そういうままならなさと逞しさの狭間で、けして完全ではない女の子たちが完全じゃないまま、確かに一歩前に進んで、「バンド」になるまでの物語。
その総決算として、曇天から晴れ間へ、顔の見えない匿名から己を曝け出したリアルへ、力強く駆け抜けていくライブはとても良かった。
やっぱボーカリストとしての仲町あられの声が、生来特級の説得力を持ってて、作中の状況がようやくそういう、演者のフィジカルに追いついた感じだったな…。
現実のゆめみたさんは配信にライブに楽曲に、バリバリ自分たちの存在証明を堂々突き上げてきたわけで、その終端にあるこのアニメが「ゆめみたが∞になるまでの前日譚」なのは、個人的に結構面白いネジレだ。
ここから先へ踏み出したゆめみたが、何を成し得るかは既に彼女たちのディスコグラフィーに刻まれた確定事項で、思い出は未来の中にこそある。
そういう不思議な時間旅行が、フィクションと現実、ヴァーチャルとリアルの間で揺らめいているのは、バンドリのVtuber集団らしい瞬きだと思う。
かつて思うがままをぶっ放し、それで沢山の人を引きつけていたあられは、その眩さに惹かれ怯えたビオラに言葉をぶっ壊され、舌がもつれるようになった。
なかなか伝わらない過剰な「好き」を、世界に解き放つまで大事に守ってきた貯蔵庫から引っ張り出して、必死に紡いだ歌。
それは周りを取り巻く人間たちに届き、心の扉をノックして何かを引き出す。
原始のコール&レスポンスが成立して、身勝手にステージから吠えてるだけの音楽は、段々とゆめみたが今いる場所を満たし繋ぐ、あられが夢見た「おしゃべり」になっていく。
そういう繋がりと広がりを、最終話に描き切れたのはとても良い。
やっぱ今回のステージの爽やかさは、幼い万能感をぶっ壊され、それでも夢の残骸に沈むのを良しとせず戦うことを選んだあられが、失ったはずの夢を蘇らせる再帰性に支えられていると思う。
炎上しても間違えても、ぶつかり合って傷ついても、ちゃんと戻ってこれる。
取り戻せるし、迷った分だけもっと強い「好き」を、歌に込めることだって出来る。
思えば仲町あられはずーっとそういう場所に立っている人で、自分が不屈の英雄である自覚がないヒーローが、ようやっといるべき場所に戻ってきた/作り上げた感じがあった。
このパステルカラーの玉座を、律ちゃんがずーっと疑ってなかったマジレスっぷりが、俺はとても好き。




ドヤバい契約解除に沈んでると思いきや、なんかはっちゃけとるベルポポを筆頭に、ここまでのゆめみたの物語を一緒に歩いてくれた皆が、あられ達の生み出す音楽に光を見出す。
そういう大団円の祝祭から、ビオラだけが遠い場所にいるのは、あの子がハマり込んでいる仮面の牢獄を思うと、まぁそうだろうな…って感じだ。
そこで伸ばした手を取り、広がる歌に声を重ねられる場所まで近づけるなら、こんなに暗い場所で自分を焼いてない。
そういう人間も、眩い光が暗い影を跳ね除け、青い空を確かに掴み取る結末の端っこにはいるのだ。
鍵垢で一年間、揺れ動く己の喉から飛び出さない思いを、ひたすら真っすぐ綴ってきたあられ。
彼女の「インターネット」との向き合い方は、都子やビオラが体現する粘ついた陰りとは対極の、ストイックですらある眩さに満ちている。
もともとそういう人間であった事実を、ツインテールと一緒に取り戻して(律ちゃんに結んでもらって)、あられが天に向かって手を伸ばせるようになったのは、本当に良い終わりだなと思う。
マージで他人を妬んだり憎んだりするのが、生来出来ない女の子で、ビオラが伸ばしてきた黒い触手に対抗するべくそういう影も知ろうとしたけど、「そういうの向いてない!」と気づいて、自分に素直になった感じする
このたくましい輝きが心から好きで、それに寄り添える自分でいようと素直になれた律と、怯え傷つけ嘘まみれ、向き合いきれず「大嫌いだよ…」と嘘ついて去ってったビオラが、やっぱ凄い対比なんだけども。
色々大きな波風がありすぎて、ちょっと忘れかけている序盤を思い返すと、あられちゃんのそういう偉さと強さに惹かれて、このお話に前のめりになっていった。
だからこのステージで一番、あられちゃんがあられちゃんらしくいられているのも、それがゆめみたの仲間と、音楽でおしゃべりする観衆に繋がり支えられてなのも、とても嬉しい。
おめでとう、仲町あられ。
できる
— _ (@tadamarui) 2026年9月10日
リアル藤都子が、自分自身が演じ自分自身を参照しながら紡がれていく物語に、求められまた感じた全てを創作に叩き込んで生まれた、怒涛の如きインスタレーション・アート。
@miyako_yumemita を爆心地に炸裂した、リアルタイムでしか味わえない異様なパフォーマンスは間違いなく、アニメゆめみたを一個別の段階に引っ張り上げていたと、僕は思っている。
それに加え今回、あられが一年間溜め込み燃やしていた思いを、鍵を開け世界に公開する @tadamarui がネット宇宙に浮かんでいるのは、本当に凄い。
煽りも衒いもなく、一級のネットをキャンバスにした現代芸術だ。
ユノのバレバレな病み垢とか、ベルポポの命取りになった裏垢とか、ネットの煮凝りを何度も描いた末にぶっ放される、誰にも見られることを望まず、ただ素直な自分を留め続けた、思いの保管庫。
そこに守られてきた過去の自分をすくい上げ、誰かに届く歌に解き放った後で、僕らはあられちゃんが一年間何を思い、何を記そうと願い、どう戦ってきたかを、ネットが繋がっているからこそ感じられる。
それは仮想の嘘っぱちであるけども、現実へ侵食し響いて届いた、バーチャルの赤い血が通う夢でもある。
@tadamarui にはユーザーネームがない。
えれあという名前を壊され、何者でもなくなってしまったあられちゃんが、そういう自分の今に嘘をつかないために、迫りくる虚無に殺されないために刻み込んだ、魂のアジール。
そういう場所としてネットは機能しうるし、そこに守られていた言葉を歌に変える強さを、13話かけて仲町あられは取り戻した。
取り戻させてくれる仲間と、不器用に繋がりきれないまま、隣り合って進んできた。
そういう豊かな残響を感じさせてくれる場所が、煤けたお伽噺のなかの仲町あられと、煤けた現実の中の僕の間にあるのは、力強く優しいことだなと思った。
ほまに鍵垢のポスト見とると、誰かを幸せにし思いを歌にして伝えることばっかり考え、間違え傷ついてはまた考え、改め正し立ち上がってばっかでさ…。
頻出する「おしゃべりしたい」という始原の欲求は、上手くおしゃべりできなくなってしまった自分への痛みと繋がっていて、己を解ってもらいたいし他人を解りたい、コミュニケーションへの希求とままならなさが伝わってくる。
@tadamarui の偉いところは、痛みに自閉するんじゃなく他人が何をやってくれたのか、それがどれだけありがたいことかずーっと記してて、出来ない自分を情けなく思いつつも、受け取った優しさに報いれる自分であろうと、必死に藻掻いてるところだと思う。
そんな自分を自分の目で確かめれるよう、あられちゃんは自分だけの鏡を眼の前に置き続けた。
ビオラがついぞ得れなかった、率直な内省だ。
炎上を楽しむ野次馬根性と、それを燃料に虚栄を照らす暗い愉悦。
ネットの悪い部分をポップに描き、それが世界の全部じゃねぇよと軽やかに飛び上がりもしたこのアニメが、一度壊れ声を奪われた女の子が求める、暗くて優しい場所としてネットを最後に描き直す。
ぶつ切りだった言葉が、ただ壊れたままではいたくない不屈の情熱に導かれ、新たな一歩を踏み出すたびに豊かに…「おしゃべり」に向いた形になっていく。
そんなリハビリテーションの現場であり、仲町あられとゆめみたが未来に飛び出していくための武器庫を、アニメの外側に作り上げたインスタレーションは、本当に凄いなと思う。

というわけで、ゆめみたアニメ全13話が終わりました。
メチャクチャ良かったです、ありがとう。
ビオラという極大の重力源が連続放送の最後に登場し、異様な存在感で空回りする連中を振り回し、良いように操作して転がっていった物語。
「アプリにも実装されねぇ舞台装置に、こんだけ話預けちゃって大丈夫か?」という不安に苛まれつつ、終わってみればあまりにも眩くたくましい光を放つ主人公を、正しいだけの空疎な優等生にしないための対存在として、見事な陰影を描ききってくれました。
ビオラの使い切り方は、本当に凄かった。
裁かれず終わり切ることも出来ず、孤独に嘘と毒に溺れていくビオラの結末もそうだけど、皆未完成で凸凹だらけの未熟な存在のまま、それでも繋がったり嗤ったり隣り合ったり、一緒に笑ったりする「バンド」になってく手触りが、僕は好きでした。
ネットがあればこそ存在できた、ヴァーチャルな創作集団として、オタクやネットの悪いところにポップに踏み込みつつ、そういう場所があればこそ生まれていく救いや夢も、構えすぎない靭やかさで綴りきってくれて、とても良かった。
色々あるけど、もう離れられない一つの「場」としてネットを描いたのは、俺は凄く良かったと思う
仲町あられという人間に惹かれて前のめりになったので、彼女の「好き」が巧く通じない部分含め、ひたすらに「おしゃべり」を求め思いを歌にしようともがく眩しさを、ちゃんと輝かせてくれたのは嬉しかったです。
個人的に凶暴なまでの純粋さと救済願望を抱えた、美しく優しい怪物が大好きなので、宮永ののかという人が(自力で答えを見つけてしまえる逞しさ含め)スゲー引力強い存在として描かれていたのも、とても良かった。
囚われの王子からもぐもぐモンスターへ、移り変わった律ちゃんも好きだな…。
ユノと都子のしょーもない面倒くささと愛しさも、良い味がして素晴らしかった。
ともすれば万能の解決策になってしまう、「バンド」と「好き」を時に空転させて、ゆめみたにとってのバンドや「好き」ってどんなもんで、どう繋がれば良いのか、ビオラという歪んだ鏡を活かしつつ削り出したのは良かったと思います。
スキャンダラスで八方破れなバズる物語を、ライブのパワーで強引に飲ます作りは前作で極限化してた感じもあるわけで、ポップで気軽な風を装いつつ、極めてタクティカルな作劇を積み重ね、自分らしい物語をしっかり完結させ、ゆめみたをOur Notesへ送り出したのは本当に凄い。
ゆめみたにとっての「バンド」が、そこで歌われる「好き」がなにか、最終話のライブで描ききれていたのも良い。
飲み込みやすいパステルカラーのオブラートに包みつつ、ストレス過剰で常に何かと比較され続ける、病むのが当然の現代をしっかり見据えた、今やるべきお話だったのも良かったと思います。
あられちゃんがネットトラブルから不登校に落ち込み、迷いつつも未来へ踏み出し衝動のままに夢を掴み取る獣であり続けたのは、僕は凄く同時代的なメッセージが込められた筆だと感じた。
弱さやままならなさや難しさを背負いつつ、それすらポップに笑い飛ばし、元気にシリアスに噛み砕いて、でも消し去りきれず一緒に歩いていく姿は、ハンパだからこそ生っぽい希望と可能性に満ちていた。
凄く好きになれる主人公で、ありがたかったです。
このフィナーレからゆめみたが進みだした未来は、これまでの数年現実のゆめみたが積み上げてきた配信や楽曲に、既に刻み込まれた過去でもあります。
バーチャルとリアル、絵空事と現実の境目を飛び越えて、不思議な実在感を結像させる「バンドリ!」らしさを、時間軸においても新たに体現する仕掛けとしても、とても面白い試みだったと思います。
こうして開かれた新たな地平に、ゆめみたと新たなバンドリ! がどんな物語を描いていくのか。
大満足の「完ッ!」をしっかり最後に刻む、大満足の13話を走り抜けたからこそ、新たな夢も広がります。
とても面白かったです、ありがとう。
お疲れ様でした!