イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ALL OUT!!:第3話『一番大切なのは』感想ツイートまとめ

舟を編む:第2話『逢着』感想

圧倒的地味さと存在感で言葉と物語の海に漕ぎ出した辞書編纂お仕事青春ストーリー、今週は満月のボーイミーツガール。
一話から衰えない丁寧さで馬締が辞書編纂部に向かい合う期待と不安、帰るべき場所の暖かさ、辞書編纂という仕事の内実を追いかけ、じっくり進んでいるのに物足りなさのない、軽妙さと重厚感を併せ持った第2話となりました。
一青年が人生をかけるに値する仕事に出会う時間をゆっくり追いかけつつ、運命の女性と出遭う瞬間をラストに持ってくる展開も印象的で、派手さはないが噛み締めて歯ごたえと滋味のある、このアニメだけのテイストが随所に詰まっていました。

というわけで、地味だけど印象的なキャラクター/物語/テーマをどっしりと腰を落として運んだ第1話を引き継いで、ちょっと書き足りなかった部分を足していく第2話となりました。
前回が馬締というキャラクター、辞書編纂という仕事に視聴者が『出会う』エピソードだったのに対し、今回は出会ったものが一体どういうものなのかじっくり見せる『描写』のエピソードでして、その両方でゆったりと分厚い筆運びが生きているのは、非常に良いなぁと思います。
パッと見のインパクトでしっかり掴んでおいて、これから描くものが何なのか一手ずつ明らかにしていく語り方は、オーソドックスだけどやっぱよく効くね。

このお話は辞書編纂というテーマ選びの妙味を活かしつつも、やはり馬締という味わいのあるキャラクターがどのように自分と出会っていくのか、その青春の物語が面白さのコアになっている気がします。
名前のとおり真面目で誠実で、でも社会の『普通』とは巧く馴染めない変人が、辞書編纂部という場所にどういう期待を抱き、抱かれ、それにどう答えようとするのか。
人間の感情に誠実に応対しようという、非常に根本的な意味での『人間味』がずっしりと描かれてているからこそ、ビームも異世界も出てこないこの地味な話、非常に引き込まれるのだと思います。

中華料理屋での歓迎会は作画カロリーをぶっこんだ非常に自然なもので、部全体の気の置けない空気も、そこに関わる人々の暖かな人柄も、しっかり伝わるシーンでした。
あの食事シーンが非常に美味しそうで、『ああ、俺もここにいたいな』と思わせる暖かさに満ちていればこそ、馬締が新しい職場に期待と不安を感じ、己に何かを成し遂げる力があるか迷う展開にも強く共感できる。
細やかな芝居に込められた人間味を、地道な成長と不安のドラマの燃料として活かす作品の姿勢は、第2回を数えていや増している印象です。

舟を編む』というタイトルの意味は、松本先生が作中でしっかり解説してくれていますが、寄る辺ない人生の海に漕ぎ出し、不安の荒波にもまれながら航路を切り開いていくという意味では、馬締青年もまた、『舟を編む』物語のただ中にいるのでしょう。
中華料理屋と資料室という形で広がる、新しい出会いと不安と期待の海の表情をしっかり切り取りつつ、隣り合ってともに櫂を漕ぎ、灯火を探す仲間たちがどれだけ頼もしい存在なのかを、抑えめな調子で描く。
道に迷った時、自分よりも遥かに鋭く気持ちを見抜き、帰るべき港になってくれるタケおばあさんのありがたさも、しっかり描く。
辞書編纂の航海がどれだけ途方もないかを巧く説明しつつ、今馬締青年が人生の航路においてどこにいて、何を探しているか、どんな航海仲間がいるかをしっかり見せてくれたことは、お話に潜っていく上で非常に大事な魅力になったと感じました。
根本的に青春の物語なので、岡崎体育のポップで明るいOPはベストチョイスだよなぁ……作品にあっていないように思えて、根っこの部分でガッチリ噛み合ってる。

そんな馬締青年の人生に、魔法のように現れた美しい月が、タケおばあさんの孫娘である林香具矢さん。
かぐや姫』だから月夜に出会うというポエトリーがこそばゆくも心憎いですが、『これは運命の出会いなんだよ!』とドラマティックに演出できていて、ここからとんでもない恋の物語も始まっちまうという期待が、メラメラと燃え上がりました。
じっくり時間と芝居を乗せて、猫を探す足取りを静かに描いているからこそ、月を背負った美しい女と運命に衝突した瞬間の爆発が、グッと目立つ作りでしたね。
全体的に地道な音調で物語を仕上げつつ、ガッチリ勝負するところでは熱を込めて映像を作ってくれるメリハリも、作品に引き込まれる源泉かなぁ。


ゆっくりと人間と彼らが生きる世界、取り組みテーマを描くこのアニメは、馬締青年の複雑な資質もしっかり切り取ってくれます。
中華料理屋のなんとなく寄る辺がない感じ、ビールを注いでいることも忘れてしまうような身のこなしの悪さ、彷徨う目線。
彼はなんでもこなせる万能人ではなく、むしろさまざまな欠点があればこそ、それを利点に変えられる辞書編纂との出会いが天職足り得るわけです。
こういう細かいニンの表情を、手や目線の芝居で感じ取らせてくれる所が、作画が細やかである意味をドラマの力に変えられていて、凄く良いのね。

馬締青年の垢抜けない側面が自然と感じ取れればこそ、何事も如才なく、しかし辞書編纂への情熱はあまりない西岡青年との対比が、非常に際立ってきます。
彼は辞書編纂のことをあまり良く知らない、殆どの視聴者の代表でもあって、彼の持つ軽薄さや一種の侮りを切り捨てないことで、馴染みのないテーマに視聴者が食らいつく足場が作中生まれている。
それだけではなく、馬締がどうあがいても獲得できない幅広い視野、他人への気配りという美点もちゃんと描かれていて、馬締に足りないものを西岡が持っている事実を、説明されるでなし感じ取ることが出来ます。
それはつまり、馬締が西岡に引き寄せあれる感情のドラマを支える土台になるわけで、非常に大事なことです。

西岡もまた、辞書編纂者となるべく生まれてきたような馬締に触れ合うことで、少しずつ変化の兆しを見せているということが、資料室の外で会話に引き寄せられるカットから感じ取れる。
正反対のようでいてお互い無視できない、むしろ足りないからこそ補い合い、尊敬し合えるような関係を予感させる、素晴らしい二人の青年の描写でした。
こっから男二人がどういう引力を発生させ、お互い変化していくかも凄く楽しみです。

今後の展開の暗示という意味では、タケおばあさんが馬締の進むべき道を示してくれたり、西岡が10年後の自分に言及してたり、上手い感じに伏線を埋めていたと思います。
いかにも賢しらという感じではないのだけれども、豊かな人生経験を背景に馬締の迷いをちゃんと受け止め、これから物語が進んでいく道を示してくれるタケおばあさんには、濃厚なありがたみを感じる。
またババァと食う飯が美味そうでなぁ……このババァが馬締にとってどれだけ大切な存在なのか、感覚的に判るシーンが毎回入っているのは、怠けなくていい。
逆に『10年後もずっと辞書を作っている』という荒木の言葉は、おそらくひっくり返すためのネタフリなんだろうなぁ……馬締が職場に慣れて、期待に誠実さに応えてってだけじゃ、お話にスペクタクル足らないもんな……。
こういうちょっとした先読みをしてる時点で、俺このアニメ相当好きなんだな……。(今更ボーイ)


中華料理屋にしても会社にしても、全体的に美しくて爽やかな空気が作品に漂っているので、そこを泳いでいくキャラクターも、彼らが織りなすドラマも透明感があり、凄くきれいに感じますよね。
見慣れた『現実』の風景のはずなのに、ちょっとだけ特別でちょっとだけ綺麗な『あこがれの世界』として美術をまとめ上げているのは、全体的なトーンを調整する上で凄く大事な気がします。
同時に異質なものは異質なものとしてしっかり存在感を際だたせることに成功していて、圧倒的な物量がプレッシャーを掛けてくる資料室の姿は、辞書編纂という仕事の果てしなさを突きつけられる思いでした。

親しみとあこがれを感じさせるべき場面ではそのように世界を仕上げ、異質さを感じ取らせるシーンではそれを強調する。
リアリティのメリハリを巧く操っているのが楽しいこのアニメ、アニメならではの『変化』の快楽も随所に盛り込んでいて、文字がスッと立ち上り雲となって馬締を取り巻くシーンは、いい具合に幻想的でした。
常時生っぽい世界をじっくり描かれても息が詰まるし、ああいうファンタジアを映像として入れ込むことで、巧くアクセントがついている感じもあります。
Bパート頭で"辞書たんず"を入れているのも、本編で説明しきれないネタの補足ってだけではなく、カラーと味わいを変えて飽きさせない戦略の反映なのかも。

説明と描写の巧さという意味では、カードという見慣れぬフェティッシュを巧妙に使い、辞書編纂の仕事内容に一歩踏み込んだ説明がなされていたのも、非常に良かったです。
何しろ耳慣れない、その上身近にはあって知った気になっているジャンルなので、実際の所どういうものなのかを印象的に見せ、退屈させず引き込むのは大事です。
辞書編纂という仕事が持っている労苦とやり甲斐、異質さと輝きを閉じ込めたあのカードはそういう難しい仕事をしっかり果たしていて、良い見せ方、使い方だなぁと感じました。
足を止めて会話を続けるシーンが凄く多い話なんだけど、作画と芝居は止まることなくアクティブだし、解説も新鮮さを失わないよう言葉が選ばれているので、不思議と退屈には感じないんだよね。
地味な物語に視聴者の関心をひきつけ続けるために、高密度の作画を使いこなしているって側面のほうが強いかなぁ。


というわけで、第1話で出会った不可思議な作品世界とじっくり向き合い、その細やかな表情に分け入っていくお話でした。
丁寧にキャラクターの『今』を追いかけつつも、何者でもない青年の不安と期待を軸に据え、この先の物語への期待を強めたり、運命の恋と出会う瞬間をこれ以上無いほどドラマティックに切り取ったり、『先』を見据えたシーンもしっかりありました。
地味であること、淡麗であることに満足せず、貪欲に『楽しさ』を追いかけてくれる姿勢が感じ取れ、このアニメがもっと好きになれる第2話でした。

来週も急に東京が壊滅したりってことはなく、馬締青年は気になるかぐや姫と仲を深めたり、辞書編纂の仕事と向かい合っていくようです。
彼の実直でヘンテコな青春がどこに向かって漕ぎ出し、"大渡海"はいかなる航路を泳いでいくのか。
じんわりと楽しみで、激しく来週が見たい気持ちであります。

 

フリップフラッパーズ:第3話『ピュアXLR』感想

極彩色の悪夢をあなたに!
見る幻覚剤、聞くアムリタ、今週は東映オマージュてんこ盛りでお送りします!!
『世界』そのものと戦っていた第1話・第2話に比べて、顔が見えて話が聞こえる相手と殴り合うお話でした。
オマージュ元が判りやすいのでパロディ色が濃いですが、思春期少女が手に手を取った、爆発力に満ちた深層心理の不安定さと殴り合う方向性自体は変化なし。
額に『負け犬』と烙印された"YAYAの系譜"ヤヤカちゃんも双子を引き連れて、魔法少女イリュージョン闘争に参戦し、酩酊はまだまだこれから盛り上がるという塩梅でした。

"北斗の拳""セーラームーン""ドラゴンボールZ""ふたりはプリキュア"……東映諸作品へのオマージュが山盛りだった今回ですが、万華鏡のように複雑な顔を持つ思春期の心理に、アプローチを変えながら潜っていくという方向性は、これまでのお話と変わりがありません。
むしろウィルウィッチアという、言葉が通じて触れることが出来る障害が出てきて、色々煽ってくれる分、ココナが何と向かい合っているかは見えやすかったかもしれません。
セックスとヴァイオレンスを支配する幼い女王・ウィルウィッチアは非常に判りやすい『心の闇』であり、彼女に煽られる形でココナはパピカへの暴力性を発露させ、それを経験することで更にお互いを愛するようになる。
このアニメで繰り広げられる極彩色の冒険がどのような性質を持ち、その核に何が配置されているかを確認する上で、『現実』を舞台にしたシーンがほぼ無い今回のお話は、より物理的で判りやすい話だった気もします。

やりたい放題画面上に立方体を飛ばし、いい感じの組手作画を暴れさせているだけのように見えて、細くて強い象徴のラインがエピソードを貫いてもいるのが、非常にこの作品らしい。
今回あらゆる場所で顔を出してくるのは『水』と『仮面』でして、これを強調するための砂漠の物語なのかなぁ、と疑うくらいです。
冒頭パピカが口にする『水』は優しさや潤いが凝縮したものであり、これを与えられることでパピカは力を取り戻すし、仮面ココナは井戸を蔑ろにし、ウィルウィッチアはカクテルグラスを投げ捨てます。
『水』はあの世界ではあるべき場所にはないので、本来海を泳ぐはずのガレー船も空を飛ぶ。
本来の姿(元ネタである奇想天外と、怪物化したウィルウィッチアはよく似てますね)を露わにした『敵』を倒すのも、『水』を弾丸に込めた合体バズーカなわけで、乾きから命を守ってくれる『水』を己のモノにする運動は、今回何度も繰り返されます。

もう一つは『仮面』でして、パピカを助けてくれたサンドピープルも、案外人間味があったモヒカン軍団・アイアンボーイズも、ウィルウィッチアが支配するエロティックな少女たちも、皆『仮面』の奥に表情を隠し、匿名の奥に隠れています。
メインキャラクターに姓がなく、役名も"先輩""おばあちゃん"だったりするこのアニメの匿名性はそもそも高いのですが、ピュアイリュージョンを舞台に初めて交流可能な人々が出てきた今回、個人を判別不能な『仮面』にエキストラ達が顔を隠しているのは、なかなか面白いところです。
ココナが暴力性に支配されるのも、『仮面』(ジャギなのか二代目麻宮サキなのか)を付けられるからだしね。
そういう意味では、ウィルウィッチアが『水』と『仮面』を付けた少女、両方を弄んで軽んじていたのは、『悪役という立ち位置』で何をするべきかよく把握した、的確な振る舞いでもあるのでしょう。

顔が見えないからと言って無名の人々は冷たいわけではなく、むしろ水をくれたり芋をくれたり、少女たちに優しくしてくれます。
むしろ顔が見えて『何者である』かがハッキリした後のほうが、ウィルウィッチアは悪役としての牙をむき出しに大暴れしてくる。
ウィルウィッチアが突っついていたように、ココナが『何者でもない』自分自身、『仮面』を付け特別ではない存在になり、冒険から遠ざかって目鼻がつく『成長』に怯えているとしても、『仮面』を付けた世界は早々悪いものでもないわけです。
冒険や夢を主題に選びつつも、『特別』な二人をもり立てるために顔のないエキストラを無能力に描くつもりがないことは、結構誠実で真面目な捉え方だなと思いました。
ピュアイリュージョンでの冒険を大事にしつつ、同時に思春期が生み出した一時の夢でしかないことに強く自覚的であり、『水』に溺れるのではなく飲み干し糧に変えることを大事にしている感じというか。


タイトルのとおり、美術設定やコンセプトを話数ごとに入れ替え(フリップ・フラップ)しながら進んでいるこの話、今回もアプローチを変えてお話を紡いできました。
暴力表現が人間サイズの殴り合いになったり、変身シーンが露骨に裸だったり、オマージュ元がサブカルチャー軸になってたり、全体的に判りやすく、荒々しい感じかなと。
いかにも女児アニって感じの変身バンクを仕上げつつ、謎の光や抽象化でフィルターかけず、ナマの肌色と股間を押し付けてくるのが、非常にフリフラらしい。
これまでだってオマージュと幻想の綴れ織りで話を作ってきたし、サンドピープルの村に見える幻想感は一話・二話と地続きなので、『別角度から光を当ててみた』といった方が良いのかもしれませんけどね。

第1話・第2話を思い返すと、ココナとパピカが超常的な力に目覚める理由『あの子を助けたい』という気持ちでした。
つまり友愛や助力というプラスの引力故に二人は惹かれ合い、冒険に立ち向かうパワーを引き出していたわけですが、ウィルウィッチアの誘導もあって、今回二人は殴り合います。
相手を突き放し、『大っ嫌いだ!』という気持ちを載せた拳を叩きつけ合うマイナスの引力も、二人の間にはちゃんと存在している。
ウィルウィッチアが乱雑にそれを切開し、顕在化させ、衝突させることで、二人はより親しく気の置けない関係を作りなおす。
『敵』すらもお互いの真実を見つける一種のセラピーとして用意されている所が、このアニメを貫く物語主義・精神主義を感じさせて、面白いところです。

『ワケの分からない闖入者』として出会い反発した二人が、危機を通じて混じり合い、お互いを惹きつけ合う過程を描いた第1話・第2話をしっかり引き受け、くっついた二人をバラバラにして反発を埋め込み、暴力と本音を叩きつけ合うことでより強く融和する物語を描く。
お話しの流れにアクセントを加え飽きさせないという意味でも、関係性を別角度から掘り下げるという意味でも、なかなか面白い舵の切り方をした第三話だと思います。
『現実』しかなかった世界ではココナを守る騎士役だったはずのヤヤカちゃんが、二人が幻想同盟を結んだ今となっては『ワケの分からない闖入者』でしかないというのも、なかなか皮肉だなぁ……。


方向性を変えてきたのは『現実』も同じで、今回はCパート以外殆どがピュアイリュージョンで進行する、テンション高めのアクション回でした。
そういう高熱があればこそ、夢から醒めて『塾をサボった』という非常に卑近で生々しい問題と向き合わなければいけないCパートの低温が、頭を殴られるようなコントラストを作っていました。
ココナが置かれている世界を説明する意味合いもあって、第1話・第2話は幻想的な『現実』を長く写し視聴者に食わせるシーンが長かったわけだけども、今回『現実』が顔を見せるのは、薄暗いココナの家とおばあちゃんの言葉だけ。
しかし時間的には短いからこそ、砂漠の熱狂がスッと覚めるような冷たさがあのシーンにはあって、いくら『幻想』の中で夢に浸っていても、『現実』では何者でもない自分に向き合わなければならないココナの目覚めのショックが、巧く追体験できる作りでした。

三話まで見てみて、僕はこの作品を非常にオーソドックスなビルディング・ロマンスだと捉えています。
とてもつまらない、何者でもない自分が運命と出会い、冒険に飛び込み、危機の中で己の価値を把握し直して、少し大きくなってあるべき場所に帰ってくる、ありふれた青春の物語。
イマジネーションとオマージュの奔流それ自体を楽しみつつも、ココナという危うく優しい少女が青春を前にして震える姿、その背中を抱きしめてくれるパピカの優しさがちゃんと描かれているから、この話がとても楽しいんだと、僕は思っています。
むしろありふれた青春の物語を思いっきり掘り返し、そこに何が詰まっているのか再確認するためにも、自由で活力に満ちた奇想、それをヴィジュアライズするアニメーション力を使いこなしていると、現状感じています。

この物語が『幻想』と『現実』、物質と心理の間を行き来(フリップ・フラップ)しながら進む以上、ピュアイリュージョンがもたらす酩酊に深く入り込むと同時に、何者でもなく何者かにならなければならない年頃のココナの世界をちゃんと描くのは、すごく大事だと思います。
そういう意味で、テンション高く突っ走った『幻想』を一気に冷やし、学生としてひどくつまらない『現実』に帰還させたCパートの簡勁な使い方は、お話を引き締める上で相当大事なんじゃないかなぁと思います。
『現実』が冷えて面白くないから、『幻想』での冒険やパピカとの出会いに逃避し耽溺するのか、はたまた『幻想』のエネルギーを『現実』を切り開く糧にできるのか。
ココナはピュアイリュージョンとの界面だけではなく、そういう青春の分水嶺にも直面しているのであり、それこそがこの幻想譚に物語的な歯ごたえを与える重要な『水辺』なのではないか。
『幻想』の色合いを一気に収め、冷たさと味気なさを強調してきたCパートの『現実』描写を見ると、そういう気持ちが強くなりました。


このお話はパピカという運命と出会ってしまったココナの『内面』の変化を、ピュアイリュージョンという『外界』に拡大しながら追いかけていくのが主筋だと思います。
とは言うものの、ピュアイリュージョンはココナとパピカの共通幻想であると同時に、他者が侵入し介入可能な『世界』でもある。
純粋幻想の客観性に分け入ってくる『外部』を担当するのが、超カッコよく登場を果たしたヤヤカちゃんと双子なのかな、とか思ったりした。

ピュアイリュージョンという異界、そこに隠された"ミミの欠片(もしくはアモルファス)"というパワー、それを狙う謎の組織達。
核心は一切不明ですが、ココナたちの冒険を取り巻く『外部』もこのお話は結構描写していて、巧く視聴者の興味を誘うことに成功してもいると思います。
一切説明がないんだけども、それでいて動画とイマジネーションのパワーで強引に引っ張られているから、『外部』がどういう形しているかも知りたくなるんだよね。

ヤヤカちゃんがなぜピュアイリュージョンで暴れまわっているかも、双子が『現実』においてどういう存在であるかも、このアニメらしいほのめかしと腕力に満ちて、まだ謎のままです。
ここら辺を掘り下げていくと、ヤヤカちゃんがどんだけ面倒くさいデコ出しナイト気取り負け犬幼馴染レズなのかも分かってくると思うのですが、まぁじっくりやるよね、このアニメだと。
トンチキな映像表現で楽しませつつ、キャラクターの細かい感情描写が巧いアニメでもあるので、『外部』から侵入してきた三人が何を考えているのかは、しっかり見たい部分です。
それをちゃんと描くことで、それに応対するヤヤカの気持ち、そこから生まれる『幻想』と『現実』も説得力を増していくんだろうしね。


というわけで、暴力の支配する砂漠を舞台に、ハードコアな暴力衝動治療行為が執り行われるお話でした。
パピカとココナが三話にして、殴り合っても大好きで、傷つけあっても笑い合える強い関係を作ってしまっているのは、二人が好きな視聴者としては嬉しいことですね。
こんだけ太いラインが伸びちゃってると、ヤヤカちゃんはなかなか切り込めないとは思うけども……頑張れ負けるな、百合コンテンツにおいて"YAYA"の名前は呪いでしか無いがな!!(ストパニの夜々とか、ハナヤマタのややちゃんとか)

次回予告を見てもさっぱり何が起こるのかわからないアニメですが、ともあれ来週は南の島常夏の島。
このアニメがタダの水着で肌色パラダイスを流すわけがないので、どういう幻想爆弾を投げつけてきて、二人の青春にどういう変化をもたらすのか、非常に楽しみです。
四話でもまたアプローチ角度変えてくるんだろうなぁ……ストーリーラインが一応骨太にあるけど、エピソードごとに別ジャンルって意味では"カウボーイビバップ"の系譜なのか、フリフラ。