イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

時をかける少女

友人田中君のお誘い受けて、見に行ってきました時かけミレニアムエディション(命名、オレ)。いやはや、デッドシティヒラツカにもたまにはいいことがあるものですね。
いい映画でした。これは尋常な領域にいい映画ではなくて、すごく、とても、ぜひとも見に行け、という映画です。まず、絵のつくりが全編頭抜けている。アニメは絵で構成されるわけで、まず絵ありきなのですが。動く絵止まる絵、すべてが圧倒的な説得力で語りかけてくる、強い言葉にあふれている。語るべき物語、語るべき人物、語るべき場面。それらすべてが、絵の領域で説得力を有している。これはすごいことです。
これに関連するのですが、無駄な絵、無駄なシーンが一つもない。高校生とSF、というこの映画でするべきことのために、一切の無駄がないスリムな体系が、徹底的に整備され、纏め上げられている。これもまた、出来ることではないと思います。
この映画の力はまず何よりも、絵の力です。何もすごいことはない。大スペクタクル映像があるわけではありません。あるべき場所において、あるべき映像を、あるべき演出に基づき、あるべきカメラワークで、あるべき手段を用いて作成する。それだけです。そして、それだけやれば、アニメーションというのはすごいところまでたどり着いてしまう。
音楽の入れ方や、声優の演技もまたあるべき領域にきちり、とはまり込んでいる。それら、過不足の一切ない、無駄の一切ない部品が目指しているのは、ジュブナイルSFの完全な形です。そしてそれは、作品として徹底的に統一された品質によって保証されています。ひどく幸福な、素材と結論の共犯関係が、この作品においては実現している。
ある種非常に職人的な作りこみを見せながら、ただ絵を作るだけではなく、目的と燃え上がる野心を持ってその素材を物語りにくみ上げていく。これは出来ることではないし、同時にあらゆる作品が目指すべき場所です。
そこに到達できた作品はすなわち、傑作といわれます。そして、この作品は、今まで僕が弄してきた言辞を見れば一目瞭然でしょうが、傑作なのです。悪いことは言わないので、映画館で見たほうがいいです。音と絵で出来たこの作品が、いかにして組みあがっているかはたぶん、ドルビーとスクリーンというゴージャスな舞台を解して見なければもったいない。そういう映画です。
この映画を見る機会とかそのほかいろいろをくれた田中君に感謝。
追記
みてて「妙に『ドッカ〜ン』40話(『どれみと魔女を止めた魔女」神エピ)」にそっくりな構図が頻発する(三叉路、魔女お姉さんの工房など)なぁ、と思っていたら、演出と監督は同じ細田さんだった。納得。