イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

アイドルマスターシンデレラガールズ 感想まとめ

デレアニの感想をまとめたくなったので、一箇所により集めておきます。

半分以上自分用であり、過去記事と変わるところはありません。

 

 

 

アイドルマスターシンデレラガールズ:第一話『Who is in the pumpkin carriage?』
長く続くアイドルアニメ戦国時代、そこに投下された最終兵器ともいうべき凄まじい第一話だった。
『このアニメは何をするのか』『登場人物はどういう人間で、何をするのか』『登場人物たちは相互にどう関わっていくのか』
物語の枠組みを全て見せつつ、既存のファンへの目配せも完璧にこなし、三人の新人たちのスタートラインとしてパーフェクトに整った出だしをやり切る。
素晴らしいの一言であります。
なお自分は、ゲームには一切触っていない、ほぼアニメからのクソ新参であります。


このアニメは『既に夢を叶えた』側の人間、つまりアイドルを、『未だ夢を叶えていない』側の人間が見つめる所から開始します。
オーロラヴィジョンから駅の広告、スマホにテレビに雑誌と、ほぼすべてのメディアを埋め尽くするアイドルに対し、普通の人間は顔も見えず名前もない。
顔も名前もない存在が、何がしかの人物にのし上がっていく手段として、この世界で許されているのは『アイドルになる』こと。
それのみです。
何しろ、このアニメの世界は、圧倒的なまでにアイドルで満ちているわけですから。

『このアニメは何をするのか』をアバンだけで感覚させる出だし。
『何者でもない存在が何者かになる』という物語類型(シンデレラ・ストーリーと言っていいかもしれない)の、基本的で圧倒的なパワー。
アバンだけで物語の骨格を強く感じられる、素晴らしい出だしだと思います。
これから登場人物たちが追いかけるであろう"夢"の具体的な形として、キラキラしてパワフルで美しいステージをしっかり見せたのも、目標がハッキリ見える演出でグッド。
世界律を説明するための過剰なアイドル密度が同時に、非メインアイドルの大量の露出に通じ、良質のファンサービスを達成してるのが凄まじいところですね。


今回出てきた『未だ夢を叶えていない』もしくは『未だ夢を見つけてすらいない』存在は島村卯月さんと渋谷凛さんの二人。
彼らを導くと同時に、あまりの不器用さと朴訥さ、誠実さから『彼もまた、何者かになる対象なのではないか』という期待を抱かせるプロデューサーも合わせれば、実質三人という役者を絞ったお話は、感情の揺らぎやお互いの心情、登場人物が持っている長所を色濃く印象づけられる、水気の少ない作りでした。
無論それは人数を絞ったことだけが可能にしたわけではなく、例えば柔らかさとシャープさを兼ね備えた照明のバランスであるとか、期待に満ちた季節を伝えてくる美術であるとか、心理的距離感を画面に反映したレイアウトであるとか、映像としての心配りが可能にしているものでもあります。

とは言うものの、一人のキャラクターにアテられるスポットライトの長さは細やかな心理描写を可能にしていて、画面に写った彼女たちが如何な人物なのか、良く感じられる映像が流れていました。
同期は全て辞め、せっかく夢の尻尾を掴んだと思ったらレッスン漬けにされる島村さんは、しかし腐らず歪まず諦めず、アイドルという夢に向かって一歩ずつ邁進していく。
その成果が『踊れなかったステップを、踊れるようになる』という確かな描写で表されているのは、アニメーションを信頼できる重要な足場です。
それは単に島村さんが頑張って結果が出てよかったね、というだけのものではなく、『頑張れば報われる』という単純かつアイドルを扱う世界の中では絶対に外して欲しくないルールを、視聴者に示してくれるシーンだからです。
徹底して陽性に、前向きに、ひたむきに描かれる島村さんのことを視聴者(というか僕)は既に好きになっているし、彼女に良いことがあって欲しいと願う。
そしてそれが叶えられる世界だと、あのターンが教えてくれるのは、有り難いことだなぁと思いながら見ていました。

もう一人の女の子、渋谷さんは未だ夢に出会っていない少女です。
不審者丸出しの目付きの悪いプロデューサーの熱烈なアタックにも、あまり心を動かされた様子がないまま、つまらなそうに高校生活を送り続ける。
しかし島村さんにアネモネの花を進めたり、プロデューサーが連行されそうになった時には助け舟を出しもする。
不器用ながら好感の抱ける子なのだという印象を受けるよう、丁寧に画面と台詞が組み立てられている。
彼女たちが彼女たち自身と対話するシーンで既に、彼女たちの内面は相当感じ取れる。


そして彼女たちは、一人で立っているわけではない。
彼女たちはプロデューサーが魅了された『笑顔』という共通点を持っていながら、それが既に夢を見つけそこに邁進し続ける現在の『笑顔』なのか、未だ夢に出会わず己の中に秘め続けている未来の『笑顔』なのか、という差異で区分されています。
島村さんの『現在の笑顔』は、夢に迷っていた渋谷さんの心を撃ちぬいて、一つの夢を決断させている。
その影響力、破壊力とはつまり、人間の心を何処かに動かすチカラ、トップアイドルとしての資質なわけです。
『顔も名前もない存在が、何がしかになる』物語を駆け登っていくためのガラスの靴は、第一話の段階でその存在を明示されているわけです。
『このアニメは何をするのか』の完成点をイメージさせる演出がこの序盤で入っていることも、僕を強く安心させてくれる要素でした。

さらに言えば、彼女たちの暖かな心はけして一方通行ではなく、相互に作用するものです。
島村さんに送ったアネモネの花は、巡り巡って渋谷さんの背中を押す。
『家業の手伝いをしているだけの高校生』として、顔も名前もなく画面に映っていた渋谷さんは、アイドルという夢に接近していくことで名前を得て、何者でもなかった時代に手渡した真心を送り返されて、アイドルという夢の階段に足をかけるわけです。
このコール&レスポンスを見ていると、島村さんの気持ちを渋谷さんが支える瞬間も、必ずやってくるんだろうなと思えて期待が高まります。


アイドルとして光のなかで輝き、アクティブに物語を進めていく女の子たちに対し、プロデューサーはひっそりと彼女たちが履くべきガラスの靴を磨き続けます。
渋谷さんの決断の決め手になったのは、島村さんが持っている『現在の笑顔』なのでしょうが、しかしそれを導いたのはあの無骨で不器用なプロデューサーです。
着実に……というにはぎくしゃくしているけれども、愚直な誠実さで渋谷さんにアタックをかけ続け、島村さんの成長を見守るプロデューサーは、三人目のアクターとして確かな存在感を持っていました。
アイドルというテーマがある以上、日向に出るべき女の子と、そこに彼女たちを追い出すプロデューサーという役割分担は存在するべきだし、同時にそれと上下貴賎が一致してはいけない。
表に立つ存在も、影で支える存在も、ともに偉大だと描いてくれればこそ、シンデレラ・ストーリーはシンデレラ・ストーリー足り得ると、僕は思います。
そして、この一話でのプロデューサーの見せ方は、まさにそれだった。

何しろ、ほぼステの状況でプロデューサーはライトの影に収まっているわけで、これは物語的役割と画面から視聴者が受ける印象を一致させる意図がないとやらない演出だと思います。
肩幅の広い長身から受ける印象といい、朴訥な演技といい、『此処に置くしか無い』というベストポイントにプロデューサーを配置したと感じました。
個人的な妄想を吐いておくと、『現在の笑顔』島村卯月、『未来の笑顔』渋谷凛と並べられているのなら、『過去の笑顔』はプロデューサー担当なのかなぁとか考えます。
「自分はもう、笑えないですからね……」とか言われたら、俺ァどうしようかな……。(気持ち悪いニヤニヤ笑顔でブツブツ言う人爆誕)

妄想はさておき、アイドルに満ちた世界の中で、夢に向かって笑顔で疾走する少女と、夢を手に入れておずおずと歩き出した少女と、彼女たちを不器用に見守る男達の物語として、素晴らしい出だしでした。
きっと、顔も名前もない存在だった彼女たちは、これから先展開される物語の中で様々な苦難と喜びを経験し、(それこそアバンで踊っていたシンデレラたちのように)顔と名前を手に入れていくのでしょう。
それは力強い物語ですし、この期待は多分裏切られない。
そういう気持ちになれる、素晴らしい第一話でした。

公式サイトで見る限り、シンデレラプロジェクトのメンバーは多いようで、このレベルでドキドキするスタートが他のキャラクターにも用意されているのかと考えると、期待で死にそう。
さらに言えば、多人数者は仲間に為っていく過程こそが最高に美味しいわけで、このレベルで物語を滑りだしたキャラクター達がどういう化学作用を起こしていくか考えたら、期待で溶けそう。
シンデレラガールズ、とんでもねぇですな。


アイドルマスターシンデレラガールズ:第一話追記
あんだけ長ったらしい感想書いて、二箇所ほど言いたいことが抜けてたので追記します。
一つは犬のメタファー。
目付きの悪いプロデューサーはポリスに複数回確保されたり、犬に吠えられまくったりして、誤解されやすい外見を強調していました。
そんな中、ハナコだけは近寄っていく。
それはやっぱ、同じようにぶっきらぼうで誤解されやすい渋谷さんの内面なんだろうなぁ、などと思った。
つっけんどんな渋谷さんは、いつかハナコというアバターのように素直に、プロデューサーと気持ちを通じさせることが出来るんでしょうかね。

もう一つは、公園で渋谷さんと島村さんが話している時の距離感。
彼女らが座っている椅子は横掛で視線が直接通じず、手すりという障壁もあるわけです。
二人の距離感が良く出ている間合い描写だと思いました。

更にいうと、手すりには島村さんの鞄が立てかけてあって、二人の間には障壁がもう一枚ある。
イノセントの申し子のように常時笑顔を振りまいている島村さんですが、あまり親しくない相手に踏み込んで行くのに躊躇していることが、良く見て取れるアイテム配置だと思います。
島村さんは何も考えず浮かべている笑顔が素敵な女の子ではなく、足踏みもすればネガティブなことも考える、つくづく普通の女の子として描写されてんだなと。

そういう子が躊躇いや怖気を踏み越えて笑っているからこそ、彼女の笑顔には力と意味があるんじゃなかろうか。
渋谷さんに運命の言葉を言う時、はじめて鞄と手すりを乗り越えて渋谷さんの目を見つめているのは、彼女の決意が内包している意味を見せる動きとして、良かったなと思います。
とにかく、心理的間合いの管理が巧い第一話でしたね。

 

 

アイドルマスターシンデレラガールズ:第2話『I never seen such abeautiful castle』
前回意味ありげに顔を見せた本田未央さんと、夢のお城にしてプロジェクト本丸たる美城ビルディング、そして沢山のアイドルを紹介する第二話。
凄まじい情報量が洪水を起こしていましたが、物語的水路をしっかり作って、新米共の現状と憧れ、仲間たちとの出会いを丁寧に描いていました。
これだけぶち込んで食える映像になってるのは、やっぱイメージの操作が凄く巧いんだな。

二話でまず凄いと感じたのは、シンデレラプロジェクトの本丸となる美城ビルを、徹底的に綺羅びやかで素敵な、憧れの対象として描写しきっていたところです。
未だ仕事の実績がなく、アイドルの世界に飛び込んだばかりの三人にとって、美城プロは島村さんが一番最初に言ったように『憧れのお城』です。
立派なエントランスから始まってガラス窓を多用した見晴らしのいい内装、エステにお風呂、カフェに撮影設備と、ゴージャスな設備をこれでもかと描写し、美城(とその内部企画であるシンデレラプロジェクト)のパワーを印象づけていました。
一話では季節を無視してまで画面を花で埋めることで出ていたキラキラ感を、二話ではゴージャスな施設や内装を写しまくることで出していた感じです。
この状況を作るべく、子供じみたお城探検をトスする本田さんの仕上がり方がマジぱねぇ。

同時にそのゴージャスな設備を先輩アイドルのように使いこなすのではなく、冷やかして盛り上がって、その段階で満足してしまう三人の現状も、しっかり描かれていました。
ぶっきらぼうでクールな渋谷さんですが、なんだかんだ探検を楽しむ子供っぽさが在るのが可愛らしい。
憧れのアイドルを生で見て、ファン視線で温度上げちゃってる本田&島村コンビの初さとか、この段階でしか描けないだろうなぁ。
アイドルとして経験を積んで、お城やお姫様憧れるだけではなく、足をつけて環境を使いこなすようになった三人は、将来見れるでしょう。


今回もたくさん出てきた先輩アイドル達は、ファンサービスであると同時に主人公達の立場を映す鏡でもあります。
新米としての三人の立場だけではなく、三人それぞれの立脚点の差も、先輩アイドルへの対応にあらわれている。
島村さんと本田さんはアイドルそのものに憧れてお城に飛び込んだ立場ですが、渋谷さんはアイドルそのものではなく、なにか特別でキラキラした夢に憧れ歩き出した門外漢なわけです。
なので、『二人は浮かれ、一人は落ち着いている』という対応の差は、渋谷さんの独自性を見せる巧い演出だと思いました。

同時に、浮かれる対応は既にアイドルたちをよく知っている既存ファンの、戸惑う反応はアニメから彼女たちを知った新規視聴者の代理人でもあります。
三人の立場の違いを上手く使って、知識格差の在る視聴者をスムーズに物語の中に導いているのは、なかなかに巧妙な手筋だと思います。
自分はゲームを触っていない、アニメからのにわかでありますので、どっちかと言うよ渋谷さん寄りですね。


前回の話が島村さんと渋谷さん、プロデュサーに焦点を絞った物語だったため、Aパートはかなりの部分が新鋭・本田未央さんの紹介に当てられています。
この人はとにかく積極的に人と交流し、話題や行動の取っ掛かりを作り、なんでも器用にこなし、フォローも的確に行う超人格強者でした。
とにかく行動の起点になってお話をグイグイ前進させてくれるので、安心感が凄い。
TRPG的な視点から見ると、『キャラ的には初対面なんだけど、自己紹介は一話でもうやってるので、プロデューサーから話は聞いている体で省略できる所省略する』出会い系シーンの運営とか、巧すぎて涙出るレベル。
他にもGM的に欲しいシーンへの積極的なトス上げ(お城探検やボール遊び)やら、人見知りしない積極的な交流やら、いいセッションになるための動きを全てやっていて、『TRPGプレイヤーは本田見とけ』って感じ。

同時に渋谷さんや島村さんが担当できない『軽さ』をキャラ属性として持っていて、例えば最初の宣材撮影の時に、さっき見たばかりの城ヶ崎さんのポーズを真似る所とか、いい意味で軽薄な部分が見えた。
なんでも頑張ってしまう島村さんや、何かとシリアスに捉える渋谷さん、そして無骨を男の形に仕上げたプロデューサーたちを補う四人目として、この軽さはいい対比だと思います。
場が重たくなった時、上手く空気を抜いてくれそうだなぁという印象を受ける。
……そこら辺の『やること被ってもしゃーないし、方向性変えてキャラ仕上げるか』という見切りの眼とかも、TRPG的には巧すぎるよね。

これだけ器用にシナリオに協力的なキャラクターを見ていると、逆に便利に使われすぎるんじゃないかという危惧すら抱いてしまいますが、このアニメは夢を持った女の子を便利に使い潰すアニメではないと思うので、杞憂でしょう。
島村さんや渋谷さんに比べて舞い上がる傾向が見えるので、『鼻っ柱折られるなら彼女からかなぁ』とか、余計なことも考えちゃいますね。
いやホントね、『困ったら、とりあえず本田に回しておけ』レベルですよ、彼女の積極性と責任感は。
四人目の主人公として、欲しい所に欲しいキャラクターが来たという印象ですよ。


後半はプロジェクト残りのメンバー11人を一挙に紹介し、宣材撮影という初仕事を描写、城ヶ崎さんのバックダンサーという初課題の導入につなげる構成でした。
キャラへの印象はあとでどっさり書きますが、11人という大所帯を取り廻しつつ、尖ったキャラクター性を全面に押し出し、一番見せたい所をコンパクトに叩きつける出会い系シーンだったと思います。
ただ単一のキャラクター性をぼーっと見せるのではなく、屈託なくファースト・コンタクトを取りに来る幼年組、彼女らや緒方さんにお姉さんぶる前川さん、常時杏ちゃんをぶる下げている諸星さんなどなど、コンビの掛け合いを入れまくることで関係性を描写していたのがグッドでした。
束で紹介することで時間の密度をあげられるし、徹底してツーマンセル(もしくはそれ以上)の描写で埋めたのは凄い巧い。
後あれやね、若くて可愛い子たちが、皆仲良く楽しく交流している姿は圧倒的な多幸感があるやねウンウン。

前半描写されていたように三人はこのお城の『お客さん』であり、初仕事を自分のものにするのは難しい。
ボール遊びで緊張をほぐさせ、彼女たち三人の武器である『笑顔』を出させたプロデューサーの敏腕さが、さり気なく語られていたのが良いシーンでした。
輝くライトのしたで魅力を振りまくのはアイドル自身ですが、その魅力をどう引き出すか、そもそも何が魅力なのかを考える縁の下の力持ちという、プロデューサーの職分がしっかり描写されているのは、職業ドラマとしても今後に期待できる演出。
宣材を撮り終えて(≒三人の初仕事が成功裏に終わって)から、光溢れる表舞台から背中を向け、影の中に引っ込む姿にサポーターの誇りが垣間見えるわけですよウム!

そしてその『笑顔』が城ヶ崎さんに届いて、バックダンサーというはじめての本番に繋がる流れ。
タップリと『お客さんとしての三人』を描写しておいてからの初仕事ですから、なかなか順調には行かないと思いますが、風無くして船は進まない。
一話で『夢に出会うこと』、二話で『夢に飛び込むこと』を描いたシンデレラガールズが、『夢を叶えるために、しなければいけないこと』をどう描くのか。
非常に楽しみです。


ロジカルトークはこんぐらいにして、キャラ萌えの話をしますと、とりあえず赤城みりあという人が新手の天使すぎてヤバかった。
いやプロジェクトの子たちみんな天使だと思うんだけど、迷いなく初対面の年上にコンタクトしてきて、「お姉ちゃんたちと逢えて嬉しいな!」って言葉にできる素敵さを、しっかり描いてくれてオイラぁ満足だ……。
声が黒沢ともよさんであり、『おとめが好きすぎるだけなんじゃないの?』と言われたらあんま反論もできねぇ。
そういえば島村さんは蘭ちゃんさんか……。

あと諸星さんが杏ちゃんを常時構い過ぎててヤバイ。
杏ちゃんは諸星さんにお世話されっぱなし過ぎてヤバイ。
コンビ打ちでの描写が目立つ二話だったんですけど、この二人はとにかくベタベタしてて素晴らしかったです。
ED絵の甘え方と受け止め方がパーフェクトすぎて、この二人軸のエピソード早くお願いしますって感じだ。

神崎さんは何言ってるか判んないんですけど、とりあえず眉毛太くて可愛いのと、あの意味不明の言語の裏を仲良くなるうちに理解できるようになってきて、それを足がかりに絆が描写されるんだろうなぁと思うと興奮が止まらん。
褒められて赤くなってる多田さんとか、何かというと目線を左右に振ってクローバーをいじる緒方さんとか、今後お話を広げていく足場になりそうな要素がみっしり詰まってたのも、俺の血圧を上げる重要なポイントであります。
こんだけ女の子の可愛い部分、魅力的なポイントをギュッと詰め込みつつ、ただの可愛い祭りではなく、彼女たちが何者かになるべく走っていく物語のタネまで埋め込んでくれてるのは、マジ凄いしマジ感謝としか言いようがねぇ。

14人いるメンバーそれぞれ、他者との距離感がバラけているのも面白いところで、それぞれのポジションを印象でまとめると

 

積極的な前衛   本田、赤城、城ヶ崎(妹)、諸星
周囲を見れる中衛 島村、新田、前川、多田
大人しめな後衛  渋谷、三村、緒方、アナスタシア
独特の世界観   神崎、双葉

 

という感じ。
引っ込みがちなバックスを前に押し出し、良さを引っ張りあげてくれそうなフォワード、それを支えて時には自分が前に出るミドルと、積極性での役割分担が二話の時点で見えてるのは凄いなぁ。
多人数を扱うときはやっぱ、相互に交流させ対話させることで、魅力や愛着が視聴者に届くネ。
大所帯なシンデレラプロジェクト、それぞれの個性をどう輝かせていくのか。
その見取り図としても信頼の置ける、素晴らしい第二話だったと思います。
いやー、面白いねこのアニメホント。

 

 

アイドルマスターシンデレラガールズ:第3話『A ball is resplendent, enjoyable, and...』
夢のお値段ハウマッチ!! という訳で、三人のシンデレラが初の『舞踏場(Ball)』において上がったり下がったりして、そして『最高に楽しい時(A ball)』を経験して終わるお話でした。
ただメイン三人にクローズアップするのではなく、同期の仲間や頼もしい先輩、バックを支えるスタッフやステージ全体などなど、視野の広いカメラで色んなモノを捉えて、『アイドルってどんなもの?』という疑問にステージで答える造りになっていたと思います。
この貪欲な作り込みが、今後の展開への期待値をいや増してるのが本当に凄い。


今回も見るべき所が沢山あるアニメでしたが、やはり中心軸は渋谷・島村・本田の三羽烏
彼女たちが初ステージ・初仕事への期待に胸を躍らせ、緊張感に食い殺されかけ、それを突破してきらめく舞台に登るまでの、感情の上げ下げのコントロールは本当に見事でした。
昨今のアニメはストレス・コントロールの技量が問われるというか、視聴者の足腰が全体的に弱ってタメを受け止めきれない印象があります。

一話中に複数の上げ下げを繰返し入れることで物語の起伏を作り、それを助走にして『TOKIMEKIエスカレート』でのジャンプアップを見せる構成は、ストレスとカタルシスを制御しきった、華麗な業前でした。
ステージを終えた所でEDに入り、初めてのステージアクトの感動、感謝を島村さんに代表させる纏め方も、余韻があって素晴らしい。

全体テンションの上下を抜書きすると
・Aパート
仲間と楽しい時間を過ごす(上げ)→踊りきれないダンスレッスン(下げ)→衣装を来てテンションUP、レッスンも好調(上げ)→アナスタシアとパーフェクトコミュニケーション(上げ)
・Bパート
ついに本番、慣れないステージに喰われる(大きく下げ)→リハーサルでの着地失敗(底まで下げ)→緊張しきっている本田を見かね渋谷が前に出る(微上げ)→日野と小日向のトス上げで掛け声をする(上げ)→本番大成功(天井突破)
という感じでしょうか。
全体を気持ちよく終わらせるだけではなく、パート単位でも上げて終えているところが巧妙ですね。

 

こういう全体のテンションを操作するために、メイン三人が創るトライアングルを、細かく丁寧に操作していたことも、強く印象に残ります。
三人を襲っている緊張感を視聴者に体験させるために、前回ムードメイカーとしてお話を牽引していた本田さんを真っ先に凹ませたのは、本当に鋭い演出。
キャラクターが持っている『いつもの立ち位置』を意図的に崩し、フォワード担当の本田さんをバックスに下げ、代わりに普段は無愛想な渋谷さんが全面に出て最初の一歩を担当する作りは、三角形の中での小さな物語が生まれていて、見応えがありました。

一話アバンで『アイドルにならないものは、顔も名前もない』と強調し続けたこのアニメ、本田さんが折れる寸前も、意図的に目線を隠し、人間性を剥奪しています。
本田さん(二話であんなにキラキラ主役してたあの本田さん!)の顔が見えないシーンは思いのほか長く、この引っ張りが作中の緊張感を視聴者に伝える、重大な仕事をしているわけです。
あのまま緊張に喰われれ、『いつも元気な本田未央』を忘れた時、彼女はアイドル(見習い)ではなくなり、物語的な存在意義を失う。
『らしくないな』と逡巡しつつも、破綻寸前ギリギリのところで渋谷さんが声をかけ、ようやく本田さんの目線が画面に映る。
本田さんはアイドルを目指す女の子に戻ることが出来、やきもきし続けた視聴者(つーか僕)はようやく息を吐くことが出来るわけです。

緊張のステージを終えて、三人はお互いをかけがえのない仲間としてセレブレイトし合います。
此処でのコミュニケーションの順番はステージ前の渋谷・島村・本田というシフトから、島村・本田・渋谷を経て、本田・島村・渋谷という『いつもの立ち位置』に戻っています。
渋谷さんが先頭に立つシフトはステージという非日常のものであり、次回以降は本田さんが引っ張る形に戻すというサインかな、と思いました。
ステージという非日常空間でも、本田さんが頑張って身にまとう『いつも元気な本田未央』を出せるようになったら、それはとても素敵な成長であり、その日は必ず来るだろうなぁと期待もしております。


これは穿った見方なのかもしれませんが、島村さんが心理的プレッシャーを受けると大概『自分は経験者である』という話を持ち出すのが、生々しい防衛行動として魅力的でした。
『自分はアイドルとして、ある程度の準備をしている……はず』という小さな足場に頼り、逆風の中なんとか立とうとしている島村さんは、ガンバリマスマシーンでも天使でもなく、アイドルを目指す一人の女の子として、等身大の弱さと強さを持っていた。
見るもの聞くこと全てが初めてで、全てが自分を飲み込もうとしている楽屋で『前物販で~』と言いかけてぶった切られるシーンの残忍さと無様さを、映像の中にねじ込んでくる劇作の姿勢は、すごく信頼が置けると思います。

そういう意味では、『いつも元気な本田未央』という虚飾を剥ぎ取り、強がりの奥には一人の女の子がいるんだという当然の事実をしっかり確認させた本田さんも、等身大の姿を見せた回だったのかも。
ラブライブ!の矢澤・東条といい、アイカツ!の有栖川・新条といい、『傷つきやすく感受性豊かな中身を、社会が必要とするキャラクターの鎧で庇いながら走り続ける子』が、僕は好きすぎるネ。
逆にずーっと等身大で、よくも悪くも自然体だった渋谷さんが『らしくないな』という部分を出してきたのは、身の丈に隠れていた本性が窮地で覚醒した感じもあり、うまーく第一印象の背中にカメラを回したなと思います。

怒涛の後半で忘れられがちだと思いますが、今後の展開のためにタネを巻きまくっているのもこの回の見どころでして、渋谷さんの歌が初披露されるシーンは。サラッと流しつつ『いいか覚えとけよ、今後歌で話広げるかんな!!』という宣言と見た。
『笑顔』という魅力的な、しかし抽象的な武器しか保たない三人に、ようやく名前のついた武器が手渡される瞬間を、サラッと見せておく手際の良さは、見ていて気持ちが良いです。
本田さんに声をかけたシーンといい、『何の準備もない主人公』である渋谷凛が自分の強さを発見していく描写が多く、成長物語として必要な階段を、着実に踏んでいることが嬉しいですね。


キャラ以外の演出の話をすると、ライティングによる感情導線の作り込みが、このアニメの強さ。
本番始まってからの明暗使い分けは非常にクリアかつ強烈で、同じ場所とは思えないくらい気分が沈んでいるときは照明も暗く、上り調子の時はピーカンに照らす演出プランが徹底されていました。
常時影に潜みつつ、時に見守り時に魔法をかけるプロデューサーの立場を強調する意味でも、やっぱり光と闇が仕事をするアニメだなと、つくづく感じ入る。

Bパート入ってからの舞台裏の描写も非常に作りこまれていて、バックステージのピリピリとした空気、ステージ入ってからの熱狂、ともに真に迫った仕上がりでした。
三人はあくまでバックダンサーに過ぎないわけで、目の前の仕事をこなして行くスタッフが淡々と仕事を進める様子が、三人の緊張を増幅させる効果を産んでもいた。
二話で美城ビルを一つのキャラクターとして個性豊かに描いたように、ステージの表と裏両方に人格を埋め込んで描写しているのは、『こういう世界ですよ』と視聴者に伝える仕事をしっかり果たしていると思います。


下がる仕事を三人が担当しているとしたら、彼女らを引き上げ、『アイドルの天井』がどれだけ高いかを見せていたのが、五人の先輩たち。
直接指導を行いステージでも一緒だった城ヶ崎パイセンは当然として、積極的な性格を活かして元気にコンタクトしてくれた日野さん、穏やかな気性そのままに優しく声をかけてくれた小日向さんと、頼りになる人たちでした。
目立たないポジションの川島さん、佐久間さんですが、部長が偉い人を連れてきた時まっさきに仕事の顔をしたのは川島さんですし、まゆは優しいし可愛いから全部OK。
アイドル世界の泳ぎ方を一切判っていない三人が挨拶に出遅れる描写とか、説得力あって良かったですね。

今回、シンデレラプロジェクトが目指すべきアイドルとして完璧なアクティングを見せた"Happy Princess"の五人ですが、彼女たちにも新人の頃があり、苦労を乗り越えてここまで来たんだ、という描写を、小日向さんを介して入れていたのは良かったです。
日野さんと城ヶ崎パイセンのちょっと体育会ノリな挨拶だとか、ユニットの絆が効率よく見えるシーンを挟むことで、『アイドルの天井』という物語機能だけではなく、息をして血を流すキャラクターとしての魅力が生まれているのは、とても良い。
そういう人が声をかけ、苦境を乗り越える手助けをしてくれるからこそ、『有り難いな』『いい人達だな』という思い入れが、視聴者に(というか僕に)生まれるわけで。
キャラを活かすのが非常に上手いアニメだなぁと、再確認させられました。

三人を緊張の縁から引っ張りあげた日野&小日向の声掛けですが、彼女たちも完璧アイドルではないので、プロデューサに依頼されての行動。
無制限に『アイドルの天井』を上げると、人間に戻すのに放送二年と劇場版かかった美月さんみたいになるので、隙を用意してくれるのはグッド。
これは同時に、影の中から三人を見守り、本当に必要なタイミングで助け舟を出すプロデューサーの魅力を強調するシーンでもあるわけで、演出効果の二枚取り、三枚取りが巧く行ってるなぁ。

 

とまぁ非常に見事に『名前の無い三人の、アイドル初挑戦~上がったり下がったり、色々ありました!~』を描写した本筋ですが、側道にも美味しい要素を大量にぶち込んでいるのがこのアニメ。
サブキャラクターの筆頭は、やはり前川さんでしょう。
あれだけ人数がいれば、最後の席をとってすぐさま出世頭になった三人に、「俺達は天使じゃねぇんだ!!」となるのが自然。
そこで感情的なリアリティを担当しつつ、ちょっと間抜けな挑戦で場の雰囲気を和らげ、後の緊張を際立たせる仕事までしてる前川さんのPC4力の高さに涙出てくる。

前川さんは『凡人である自分を自覚し、それ故焦り、自分の武器を探している』という意味で、『ダイの大冒険』のポップみたいだなぁと思います。
あのお話も優等生のPC1代表であるダイだけだったら、親しみやすさを感じない上ッ滑りしたお話になってたかもしれないわけで、前川さんの剥き出しの感情表現は、視聴者をグイッとモニターの中に引き寄せたなぁと関心。
こういう人が雑草根性を見せ報われる展開大好きなので、前川さんの個別エピソード、早く見たいなぁ。

無論暖かく見守ってくれる人もいるし、力強く励ましてくれる人、その姿に『自分もッ!』と意気込む人もいる。
保護者にぶら下げられたまま、特に上がることもない子もいる。
一足先にステージを踏んだ三人に、十一人それぞれの反応を変えさせることで、個人の魅力、それが寄り集まっているシンデレラプロジェクトの魅力を手際よく伝えていました。


前川さん以外にも掘り下げられたプロジェクトメンバーはいて、たどたどしい日本語で自分の気持を伝えようとするアナスタシアや、その背中を支える新田さんの姿は、とても暖かいものでした。
『何行ってるのか分かり難いので、気持ちが伝わりにくい』という壁は、今週もワケワカンない言葉で喋ってた神崎さんと共通の問題だと思うので、早くあの子の言葉をメンバーが理解する話来て欲しいなぁ。
脇キャラを輝かすのが上手いので、マジで個別エピ消化待ちが脳内ハイウェイで渋滞起こしてるね。

取れる尺が少ないキャラも効果的に見せていて、前回オドオドしてた緒方さんが前川さんに軽く意地悪してたり、杏ちゃん担当と思ってた諸星さんが多田さんにコンタクトしてたり、二話で見せたのとはまた別の魅力が引っ張りだされてました。
周りが仲間の奮戦に興奮する中、特にリアクションのない杏ちゃんをいつ攻略するのか、マジ楽しみ。
コンビ打ち相手の諸星さんとの身長差が40cm強あるので、顔を同一フレームに収めるために常時携帯杏ちゃん状態なのが、俺の何かを刺激するわけよウン。


という訳で、今週も盛りだくさん、かつ的確すぎるほどに的確なシンデレラガールズでした。
初めてのステージアクトを迫力の作画で見せ、これからアイドルという星目指して駆け上がっていく女の子たちが、どういう輝きを目指し、その途中には何が待ち構えていて、どんな素晴らしい光景が見れるのか、シンデレラガールズが考える『アイドルってどんなもの?』を、視聴者に分からせた三話だったと思います。
本筋を回しつつ各キャラの掘り下げ、相互の関係性の強調もしっかりやって、時間を無駄にしないギッシリな作りが素晴らしい。
はー、有り難いアニメですよホント……。

 

 

アイドルマスターシンデレラガールズ:第4話『Everyday life, really full of joy!』
過剰なまでに『物語の構造』を見せてきた一話・三話までの緊張感を、一旦取るべく行われた日常回。
手持ちカメラによる一人称映像の多用は、無印アイマスアニメの第1話を彷彿とさせる演出でした。
言い換えると、シンデレラガールズの前半三話をすっ飛ばして無印アイマスは始まる、ということなのかもしれません。


今回のお話は第2話Bパートの拡大延長版といいますか、とにかく人数の多いシンデレラプロジェクトに分け入り、各員の個性を見せるエピソードです。
『出会い』の一話、『試練と達成』の三話に比べると、お話の軸をやや緩めに設定し、キャラクターの描写に尺をたくさん使っております。
夢のど真ん中でキラッキラしてる女の子たちを、徹底的に魅力的に見せていてグッドでした。

キャラ属性をただ見せるのではなく、『アイドル』という物語の根本にどういう態度で望んでいるのか、色んな角度から見せていたのはとても良かったです。
エキセントリックな言動に比して色物仕事も全力でやり切るきらりだとか、杏の抜けた穴をすぐさまフォローするみりあちゃんだとか、『ロックな私』というイメージを維持しようと必死な多田さんだとか。
仕事を嫌がる杏ちゃんを諭すきらりが、友人通り越して母親すぎて困ったもんだ(困らない)。
……アナスタシア・新田組が唯一、偶発的とはいえ身内ではなく外部(≒お客)に見られる位置でパフォーマンスし、拍手まで貰ってたのは、CDデビューへの暗示だったかな?

最年長・新田さんを通訳として使いつつ、神崎さんの言語を解読していくミッションも始まってました。
訳分かんない言葉を喋る神崎さんを、何とか分かろうと努力し、歩み寄りを見せる三人の優しさは、非常に暖かくて有り難い。
シンデレラプロジェクトのメンバーは尖った個性の持ち主が多く、その上でお互い歩み寄ろうと努力する優しい環境なので、彼女らの交流描写は自分の好みにズバッと来ます。
傘を取りに戻る瞬間の素顔を入れて終わる所が、視聴者に神崎蘭子をどう思って欲しいかよく見えて、いい描写だなと思いました。

非日常から日常に戻ったことで、メイン三人のトライアングルは本田トップの通常運行に戻ってました。
本田さんは今回もシナリオの目的に積極的なキャラクターでして、頼りになるなぁと感心しきり。
アイドル候補生活にも慣れ、緊張が溶けてきたのか会話が多く、スムーズになってるのが、関係の微妙な変化を感じさせてグッドでした。


そんな中、重点を置いて描写されたのは前川さんでした。
中割多めでぬるっと動く寝起きの素っぽさ、文字通り猫を被ってからの強張り、年少組のセクシャルアピールに対する動揺。
彼女を切り取るカメラが写していたのは、彼女の徹底的な凡人性でした。

前川さんがどういう人かというのは四話でだいたい見えるわけですが、彼女は『猫耳つけてもCDデビューできない人』です。
前川さんが『いつも持っている猫耳』は、凡人であることを開き直ることも出来ない、人間誰しも持っているプライドなのだと思います。
それは不格好で無様ですが、それを奪われればもう立つことも出来ない類の防壁です。
僕ら皆が、多分凄く下らないなにかとして心の奥底に秘めている、脆くて強い場所です。
それが報われるのはしばらく先になるかもしれないけど、必ず報われて欲しいなと、僕は思っています。

『物語の構造』紹介を担当し、ステージデビューもCDデビューも(その途中に等身大の悩みをはさみつつ)決まった、島村・渋谷・本田の三人。
三話までのカメラは彼女らを軸に回転し、『選ばれた人』『猫耳つけなくてもCDデビューできる人』のお話を展開させていました。
その隙間に前川さんはいて、『選ばれた人』に突っかかったり、そのステージを見てショックを受けたり、何かとお姉さんぶったりしている。

そんな前川さんでも、シンデレラプロジェクトの中では居場所があり、楽しく仲良く過ごしている。
平和で楽しい四話はしかし、CDデビュー(出来る人と出来ない人)宣告という、衝撃的なイベントで終わります。
穏やかで魅力的な日常、何らかの試練の達成を映した後ショッキングな宣告を入れる落差は、まんまリアリティショーの手法であり、3次アイドルでもよく使われるテクニックだと感じました。


その手法で提示されたのは、『ずっと四話じゃないよ』というメッセージです。
みんな仲良しで、波風もなく平穏で、ちょうど美城ビルを囲む春風のように温かい世界に説得力と魅力を持たせるためには、『選ばれた人』と『選ばれなかった人』がいる世界、『猫耳つけてもCDデビューできない人』がいる厳しい世界を、しっかり描かなければいけない。
温かい世界が厳しい世界のスパイス(もしくはその逆)というわけではなく、相補的でどちらを欠くことも出来ない物語なのだというスタッフの認識は、第四話の構成から見て取れます。
そして、それはとても良い、立派な創作姿勢だなと思うわけです。

『光と影が入れ替わり立ち代りするのは、何も各キャラクターの物語役割だけではなく、キャラクター個人が抱えるドラマでもそうだ』というのは、このアニメは既に何度も見せています。
二話で元気に物語を牽引していた本田さんが三話で下がり、一歩引いていた渋谷さんが前に出る構成。
エンジン担当のキャラクターにも影があり、凡俗の苦労を描くキャラクターにも輝く瞬間がある多様性、公平性が、群像劇を面白く見せるポイントのはずです。
色んな人間がいて、色んな強味と弱味があって、弱みが強みになる瞬間も必ずある。
楽しくて平和な瞬間の魅力も、夢に続く道の残忍さも、両方しっかり描く。
お話もキャラクターも一面的で単機能な描き方を避け、多角的で立体感のある描写が継続しているのは、見ていて面白いし、信頼も抱けるわけです。

そんな状況でやってくる来週のタイトルは『I don't Want to become a wallflower』
舞踏会の主役としてCDデビューした五人ではなく、壁の花にならざるを得ない『選ばれなかった人』にカメラが寄ることを思わせるタイトルです。
『選ばれた人』と『選ばれなかった人』のお話として、どう回転させてくるのか。
天下の名作『YES!ベストパートナー』の綾奈ゆにこ脚本ということもあり、とても楽しみです。

 

 

アイドルマスターシンデレラガールズ:第5話『I don't want to become a wallflowe』
選ばれなかった者達の言葉を前川みくに代弁させることで、アニメ全体のラインを引く回でした。
三話で見せたストレスコントロールの巧さは健在で、事故ギリギリのラインで作品の生っぽさを担保しつつ、壁の花を壁に下げる展開をスムーズにする、見事な仕上げ。
前川さん以外のキャラの出入りもしっかりしたもので、五話という話数に相応しい出来だったと思います。


まずは、前川みくについて語らなければいけないでしょう。
彼女はその登場からしてシリアスとコメディ、両方の中間点にいるキャラクターであり、まぁ『猫キャラて……キミィ』という感想が先に立つように、画面に入りました。
その後もダンサーデビューを先取りした主役三人につっかかりつつ、あくまでじゃれ合いの範囲で収まるよう本音をコントロールしつつ、画面を賑やかしていました。

しかし、ただのコメディキャラとして前川みくを描写していないことが、このアニメの強さでありまして、「三人は何キャラで行くの?」という初ゼリフには、彼女が持つ『キャラを付けないとアイドルとしては戦えないという認識』が透けて見えます。
万事そういう調子で、失笑混じりの笑いを取りつつ、彼女の柔らかい感性やアイドルという職業の認識、自己意識などは丁寧に透かしで演出されてきました。
ニュージェネレーションの三名は『猫耳つけなくてもデビューできるアイドル』『最初から武器を持っているアイドル』なわけで、『猫耳つけてもデビューできないアイドル』『武器と鎧は自分で用意して、バックから取り出して付けないといけないアイドル』前川みくは、言わば作品内部の凡人代表に当たります。

さて今回、前川みくは凡人代表として、腹にたまった鬱屈をこれでもかと表現し続けます。
出だし、デビュー格差について文句を言うのが前川ではなく城ヶ崎妹であるというのは、15歳の前川みくが世界をどう認識しているか、良く見えるシーンです。
12歳の子供として素直に、真っ先に不満を口にして躊躇うことのない莉嘉に対し、一番不満を感じ、前回までの流れの中でも突っかかってきた前川は、感情を迸らせることを躊躇しています。
城ヶ崎莉嘉前川みくの間に横たわる3歳の年齢差は、感情をただ突きつけても変わってくれない大人の世界のルールを、納得しないまでも認識させるのに十分なわけです。

莉嘉の後追いをする形で不満を叩きつけた前川さんは、あくまでコメディチックに、選ばれなかったことへのプロテストを続けます。
前回までと同じように、遊びの延長線上で行われる"黒ひげ危機一発"に、しかし前川は初めて勝つ。
でも、何も変わらない。
年下で仲も良い莉嘉とみりあを引き連れ、猫耳もバッチリキメて達成した"勝利"は、あくまで遊びでしかなく、美城という企業体が責任をもって運営するCDデビューを揺るがす威力は、一切持っていない。
この瞬間、前川みくを取り巻く世界のルールが変わるわけです。

前川みくは自分の不満を巧く宥めて、例えば一番最初に「おめでとう」を口にした三村かな子のように、笑顔でニュージェネレーションを祝福できるほど、大人もいい子でもありません。
同時に、莉嘉のように素直に感情を表明できるほど子供でもなく、真っ先にデビューが決まるほど才能があるわけでもなく、全て諦めて普通の女の子になれる程枯れてもいない。
全てが宙ぶらりんな前川みくは、黒ひげを飛ばしたおもちゃの剣と、急いで被った猫耳しか武具を持たず、遊びという形でしか大人の世界(≒シンデレラプロジェクト)に関わることが出来ない、不器用な少女です。


そんな彼女が描く未来が、子供めいたイラスト一枚だと断言してしまう『未来会議』のシーンは、真綿に包まれた真剣みたいな残酷さを持っていたと、僕は感じました。
稚拙(高森奈津美さんスイマセン)とすら感じる、『猫と私と可愛いステージ』という、漠然とした夢。
飾り気のないジャージを着こみ、ユニット名やレコーディングなど、具体的かつ実証的な歩みを着実に進めていく五人の姿を間に挟み込むことで、選ばれなかった9/14が、その代表前川みくがどれだけ大人の世界に無力な子供なのか、つきつけるシーンだからです。

その上で、あのシーンで示されたのはシンデレラプロジェクトメンバーのアイドル像、なりたい自分、初期衝動、もしくは夢なのであり、このアニメが夢を追いかけていく物語である以上、絶対に大事にしなければいけないものなわけです。
稚拙でも無力でも、あそこで示された夢に向かってあの子達は駆けていくしかないわけで、それを目に見える形で表現するきっかけが前川みくであったというのは、僕にとっては嬉しい事でした。
大人の世界のやり方を何も知らない壁の花達は、当然のことながら夢を突き返され、『このやり方では』夢が叶わないと思い知らされるわけですが、それは今現在のこと。
世界と自分を適応させる手段を学習し、衝動を現実に帰る方法を手に入れていくのが成長ならば、成長譚であるこのアニメにおいて、今回見せた夢はいつか必ず叶う、叶って欲しいと、強く思います。

さておき、おもちゃの剣を振り回す前川みくの空回りは何ら実を結ぶことなく時間は進み、彼女は焦っていきます。
本心が剥き出しになるに従い、猫耳という鎧を付けていく余裕が無くなっていくのは面白い演出で、『頑張って』やらなければならない『小さな仕事』であるキグルミのシーンで、前川さんは猫耳を外し、シニカルなトーンで「検討中って言われるのがオチにゃ」と呟きます。
『にゃ』という語尾はまだ装備出来ているものの、子どもの遊びが通用しない状況に苛立ち、焦っている気配が、既に声に滲んでいる。
此処で思いついた逆転の秘策『大人がやっているように、自分がやりたいことを書類で提出しよう作戦』も、先述したように、大人の真似っこでしかない。
もう15歳の前川みくには、大人の事情は察せられても、まだ15歳の前川みくには、大人のやり方はからきし解らないわけです。

前川さんだけが子供のように書いていますが、自分たちのユニット名を結局決めれず、大人代表であるプロデューサーに決めてもらうニュージェネレーションも、当然大人のやり方を巧く使うことの出来ない子供です。
先にステージを経験し、デビューに向けて着実に歩んでいるように見えても、シンデレラプロジェクトの15人は(程度の差はあれ)皆子供であり、現状無力な(そして無力なままではけしてないだろう)存在なのです。
あらゆる状況で孤立してる子に声をかけまくり、穏当な解決策を提案し続けるきらりが、人格的な成長度という意味では一番大人なのかなぁ……。


こうしてコミカルに、しかし同時にシリアスな危うさを詰め込んで、前川みくは限界に達します。
喫茶店を占拠しストライキ(と言うよりもデモンストレーション)に入る仕草はまだコミカルですし、『にゃ』語尾も健在です。
事此処に至って、なお笑いを入れることの出来る強さが、前川みくをして凡人の代弁者たらしめている。

「デビューを要求する」と吠えてからのシーンは笑いのない真剣なもので、逆に言えば今回はこのシーン以外、重たいムードの無い回だと言えます。
それは逆説的に、前川みくが抱えている苛立ち、中途半端さと真摯な訴えが、極端に重たい問題だということです。
コメディタッチの演出で空気を抜かず、真っ向から前川みくの、彼女が代表する凡人たちの問題を取り扱えば、これは才能と運、愛されるための条件の話になってしまいます。

それは答えの出ない問であり、元気で綺麗で楽しい日常シーンなどやっている余裕のない方向に、物語を引っ張っていってしまう問いかけです。
『なんでみくはデビューできないのか』という問いかけに『それはみくにゃんに、アイドルの才能がないからだよ。それだけだよ』と返してしまえば、これだけライティングとレイアウトを駆使して印象を操作し、『なんだか楽しそう』『なんだか羨ましい』と視聴者に思わせるために努力しているアニメーション全体の基調が、別の方向に行ってしまう。
前川みくのプロテストの扱いは、アニメ全体が『才能』をどう扱うか見せる、とても重要なシーンになるわけです。

世界には、愛される存在と愛されない存在、選ばれる存在と選ばれなかった存在、凡人と天才の差がある。
夢と才能を扱う話である以上、このギャップは必ず扱わなければいけませんが、同時に取り扱いの難しい問題でもあります。
誰が、どう口にし、どう受け止めて対応するのか。
物語全体の航路を決める重要な要素だからこそ、この瞬間のために前川みくは『コメディとシリアス』『子供と大人』の中間点として、二話から描写され続けてきました。

全てを『コメディ』として処理するには、重要過ぎる問いかけだから。
『シリアス』一辺倒では物語が重たくなりすぎるから。
それをわざわざ口にしないことが『大人』の条件だから。
『子供』はギャップの存在自体に気づいていないから。
中途半端な凡人の前川みくだけが、あの場所で『愛されるものの条件』を問うことを許されるわけです。


拡声器も使わず、『にゃ』語尾も消えた素裸の訴えは、しかしかなり捻れた解決を迎えます。
CDデビューは最初の五人で終わりではなく、残りの九人もデビューを計画中であるということ。
前川みくは見捨てられた子供でも、努力しても虚しい凡才でもなく、既に選ばれ愛された子供であるということをプロデューサーが伝えて、劇場の占拠は終わりを告げる。
全ては15歳の女の子らしい思いつめと、新米プロデューサーの不器用なすれ違いが生み出した、一種の誤解だった……と受け取ることも出来る決着です。

未だステージに立ってすらいない前川みくは、己の才非才を問われる立場にすら立っていなかったということなのか。
はたまた、『愛されるものの条件』を真向から受け止めることは避けたのか。
結果として、前川みくの『子供』らしい訴えを軸として回転していたお話は、『大人』としての意思伝達をミスしてしまったプロデューサーが問題を引き受ける形で落着します。
自体の収集と当事者同士の謝罪をしっかり画面に写し、キャラクターへの印象を損ねないように調整していることで、話が纏まった印象を強くしているのは流石です。

終戦処理で上手いな、と感じたのは、三村かな子に「私も、このままは嫌だなって思ったよ」とハッキリ言わせた所です。
あの台詞があるので、喫茶店占拠と心情の吐露が前川みくの独走ではなく、選ばれなかった者達の代弁になり、前川さんが孤立しない。
この状況を作るために、状況への不満や頑是無いいら立ちを前川さんが表明するときは、徹底して『みくたち』という複数形を主語にして語らせています。(いや、無論前川さんがみんなのことを考える子だってのもあんだろうけどさ)
今回のお話は前川みくだけの話ではなく、9/14の選ばれなかったメンバー全員のお話ということになるわけで、自然ラストの「みくたちはデビューの日まで頑張って力をつけるにゃ。だから……ファイトにゃ!」という聞き分けのいい台詞も、全員からの応援になります。

こうして選ばれなかったメンバーの苛立ちをまとめ上げ、構ってくれない大人への不信を獅子吼した前川さんたちは、頑是ない『子供』から選ばれた五人を素直に祝福する『大人』に立場を変えました。
これで前面に立つ五人(というか、ニュージェネレーションの三人)を徹底的にカメラに据えて、お話全体を前進させる体勢が整ったわけです。
凡人たちの不満を放っておいたまま話が進めば、不自然かつ不安定な展開に為っていたと思うので、此処で主役と(一旦の)脇役をしっかり切り分け、壁の花の意見も形にしたのは、非常にズルくて巧妙かつ、デリケートな処理だったと思います。

その上で、前川みくがおそらくは無意識に触れた『愛されるものの条件』には、正面からの答えが出ていません。
これが今後扱われるのか、それともテクニカルに真っ向勝負を避けて進んでいくのかは、先の展開を見なければどうとも言えない所です。
今回見せた『子供』と『大人』の境目を、どうやって成長で埋めていくかも引っ括めて、解決編であると同時に出題編でもある、なかなかリッチな回だったのではないでしょうか。
そして、物語を構成する上で非常に重要なピースをしっかり支えた、前川みくという偉大なる凡人には、掌が腫れ上がるまで拍手したいです。


前川さんの話ばっかりしてましたが、無論今回のお話は前川さんだけの物語ではありません。
シンデレラガールズらしい視野の広さで、色んな事が描写されていました。
個人的に好きなのは島村・渋谷の家庭、本田の学校という『346プロの外側』を挿入することで、キャラクターの身の丈がハッキリしたのが良かったです。
ああいう描写があると、キャラの生っぽさがグッと増す印象。

熊本弁の乱用で孤立しがちな蘭子にコンタクトし、喫茶店占拠においても先頭に立って説得を続けるきらりは、相変わらず聖人(エル・サント)過ぎて眩しい。
二話で多田さんに話しかけたり、三話で前川のヤバゲな発言を空気を読んで空気読まずにカブセで潰したり、一番唯我独尊な杏ちゃんの保護者をしたり、兎にも角にもレシーブとトス上げが巧すぎる。
最年長の新田さんがデビューで忙しいので、お姉さん役として癖のあるメンバーをまとめてるのは、きらりなのかなぁなどと想像します。
前川もみりあ&莉嘉のペドコンビの面倒をよく見ていて、お姉さんっぽい動きしてんだけどな……ホント中途半端な子で、愛おしい。

私服がコロコロ変わるのもシンデレラガールズの面白い所で、可愛い女の子が色んな服着てて楽しい! ってだけではなく、CDデビュー組は常時ジャージで対比作ってる所も見応えあった。
アレは一種の戦闘服であり、仕事という聖域に先発してる五人組の立場を、視覚的に説得する良い演出でした。
残りのメンバーも、早く戦闘服支給されねぇかな……。

話の大筋も、脇でのクスグリも、共にみっしり詰まったお話でした。
成長譚で触らなきゃいけないギリギリにタッチしつつ、お話全体のトーンをくすませることなく綺麗に終わらせる技術は、やっぱりアイカツ!第79話『Yes!ベストパートナー』を思い出します。
ゆにこ……やっぱハンパねぇな……(弦之介にぶった切られつつ終了)

 

 

アイドルマスターシンデレラガールズ:第6話『Finally, our day has come!』
六話目にしてやって来た、跨ぎ前提で下がったまま終わる回。
とは言うものの、上がる兆しはそこかしこに在るという、相変わらずなストレスコントロールの巧さが見える回でもある。
前後編になるので最終的な判断は次回を見てから、となりますが、この段階で感じたことをつらつらと書いていきます。

今回の話は本田未央が『アイドル辞める!』と言う回であり、次回『やっぱアイドル続ける!』となるべく、その兆しを色々バラ撒く回でもあります。
お話を大雑把に分けると『ニュージェネレーションが失敗する話』『プロデューサーが失敗する話』そして『ラブライカが成功する話』の3つに分割でき、それぞれをよく見ると別に失敗はしていないということも、分かってくる作りだと思います。
本田さんが受けているダメージ、彼女の言葉でプロデューサーが受けたダメージ、その姿を見て凛ちゃんが受けたダメージ、それぞれの連鎖と表現が上手いので、なかなか胸に刺さる終わり方をしていて、それに目を取られがちではあるのですが。


本田さんは今回、出だしからニュージェネレーションのリーダーを自認し、積極的に活動し、浮かれ、抱いていたイメージと現実との差に打ちのめされて『アイドル辞める!』と宣言します。
常に自信がなく、頑張る以外のやり方を知らない島村卯月。
自分のペースを崩さず、まだアツくなれるものを探している途中の渋谷凛。
それぞれ異なった理由ではありますが、ニュージェネレーションの内二人は、あまり前に出る人物ではない。
フロントに立ってムードを盛り上げ、前進する勢いを付けるのは自然、本田未央の仕事になります。
『いつも元気な、物語の牽引役』という仕事は、彼女が登場した瞬間からずーっと担当しているロールです。

しかし『いつも元気な、物語の牽引役』は三話で一度崩れかかり、普段の陽気さの内側にある空疎さを見せています。
何も知らないが故に自然体で事態を受け入れている凛とも、アイドルという夢に溺死しつつソロレッスンをこなす強さを持っている卯月とも違う、心理的重圧に耐えられない軽さ。
習っていないダンスも結構上手くこなせるし、友人との人間関係も適切に泳ぎ切る、それなりになんでも出来てしまう本田未央は、それ故に脆い。

三話では仲間と先輩、そして今回本田さんを傷つける結果になったプロデューサーの支援で踏ん張り、夢の様な舞台に立つことが出来たわけですが、その成功体験が仇になるのは、非常に皮肉かつ巧い作りです。
あのシーンに感動し夢を見たのは視聴者も同じはずで、本田さんが見ていた『大きすぎる成功のイメージ』は、少なからず僕らのイメージでもある。
三話視聴後に甘く夢見た『全てが順当で、バンバン成功しまくるサクセスストーリー』という夢想は、五話の前川さんの獅子吼でヒビが入り、今回の本田さんの絶叫で大きくダメージを追うわけです。
『この話を、そうそう甘く創るつもりもないよ』という製作者のパンチは、本田さんがそうであるように、三話の成功があるからこそ効くわけです。

更に言えば、ステージが持っている魔力に幻惑され、魅了されたが故に今回の『失敗』があるという描き方は、ステージアクティングを扱う作品としてとても重要です。
『この世界には、アイドルしか存在を許されていない』というのは、第1話からずっと続くこのアニメの世界律ですが、それを成り立たせるためには『アイドルが目指す場所』は魔的なまでの引力を持った、圧倒的に特別な場所でなければならない。
そこに引き寄せられて輝くと同時に、手痛い火傷もするという描き方は、表現のために/中で成長していく少女のお話として、絶対に必要でしょう。

ニュージェネレーションの人間関係の中で、自分が担当するべき役割を見据える賢さと、必要とされるロールモデルを受け入れる優しさを、本田未央は持っているのだと、僕は思います。
それは、「今日の結果は当然のものです」とプロデューサーに言われ、ステージが失敗しニュージェネレーションが失敗し、本田未央が失敗した(と彼女が思い込んだ)時、一番最初に出た言葉が「私がリーダーだったから?」というものだったことからも、見て取れます。
心に傷を負い失敗の理由を探す時、もしリーダーという自分の立場を当然視しているのなら、この言葉は出てこないでしょう。
彼女は、おそらく三角形の先頭に立って走る自分に、常に疑問を感じ不安を覚えつつ、『それが自分に出来る事だから』『それを自分がやるべきだから』と言い聞かせながら、リーダーを担当してきたんじゃないでしょうか。

 

このようにして本田未央は『失敗』するわけですが、しかし疑問が2つほど出てきます。
一つは、この『失敗』は本田さんだけのものなのか、というもの。
もう一つは、そもそもこれは『失敗』なのか、というもの。
この2つの疑問は、アナスタシアと新田美波のユニット『ラブライカ』に焦点を合わすことで、ある程度の答えが見えてきます。
先取りしてしまえば、この疑問への答えは両方共『否』です。

過大な成功のイメージを先取りする形で、今回のニュージェネレーションは『ステージの先』『ステージの外側』について語り続けます。
今回のステージが成功して、アイドルとして有名になったその『先』を夢見たからこそ、等身大のステージとの落差に傷つき、本田さんは『アイドル辞める!』と叫ぶ。
これを成立させるべく、例えば私服のシーンであるとか、私室の描写であるとか、『ステージの外側』の描写が、ニュージェネレーションには非常に多かったです。
これには無論、群像劇の中でも特別な役割、主人公格たる三人の描写を深めていく目的もあるんでしょうが、本田さんをリーダーにして『ステージの外側』を見てしまっているニュージェネレーションの視点を、カメラがトレースする目的も大きいように思えます。


これに対して、ラブライカの二人は、徹底して『私』の領域がない。
彼女らが画面に映るのはラジオの収録、ダンスレッスン、衣装合わせ。
ジャージかステージ衣装という戦闘服での登場がとても多く、私的な会話もタイトに切り詰められています。
彼女たちの視界には『ステージの先』『ステージの外側』はなく、「ちゃんと気持ちを伝えたかった」からラジオ用の受け答え練習をする。
三昧境にも似た真っ直ぐかつ視野の狭い入り方で、彼女たちは初めてのステージに向かいます。

その狭い視界には、しかしお互いの姿がしっかり写っている。
ステージを前に緊張する新田さんに、年下のアナスタシアが声をかける姿は、4年という歳の差を気にしない、戦友のような繋がりが彼女たちの中にあることを感じさせる描写です。
彼女たちの初舞台は少しの不安と目いっぱいの期待を宿して始まり、高い集中力を感じさせる描写で進みます。
曲が始まるなり挨拶の時とは全く違った表情を見せ、キビキビとした大きい振付で踊る彼女たちは、立派にステージアクトを遂行しています。


それは、けして『失敗』ではない。
本田未央にとっては少なすぎると思えた観客の数も、彼女たちにはマイナスにはならないわけです。
観客の姿が眼に入っていないわけではなく、精一杯準備をし三昧に取り組んだ結果として、自分たちに出来る最高のパフォーマンスを完遂したのならば、今の自分達を、それを見てくれる観客たちを、素直に祝福できるのです。
それ故、彼女たちはバックステージで感極まり、満足した表情でお互いを言祝ぐわけです。
それはやはり、『成功』の姿だと言えます

そして、『成功』したラブライカが常にニュージェネレーションと並列して描写されており、新田美波とアナスタシアが積み上げた努力を、同じようにニュージェネレーションも蓄積してきたのだと見せている以上、同じように彼女たちも『成功』する要素はあった。
ステージの場所も同じ、観客の入りに差があるわけでもない。
同じものを準備し、同じ場所に立って『成功』と『失敗』を分けるものがあるのならば、それはやはり受け取る側の心の差なのでしょう。

と言うか、むしろ本田さんが今まで積み上げてきた真心の果実としてあの横断幕があるとするのならば、本田未央個人を見てもらえているニュージェネレーションの方が『成功』しているとすら言える。
しかし、それに気づかず過大な夢ばかり追いかけるのであれば、その『成功』は存在しないことになってしまう。
ということは、本田未央の『失敗』を『成功』に変えるためには、自分が『成功』していたのだと気づけば良い、ということになります。
それを気づかせるのが誰かは、第7話を待つことになりますが。

 

とは言うものの、カットバックを駆使して徹底的に"Memories"と比較された"できたてEvo!Revo!Generation!"の仕上がりは、集中力に欠けミスも多い。
これはリーダー本田未央の不調に引っ張られる形で、他の二人も実力を発揮できなかったのだと思います。
ロールモデルを読み取った延長だとしても、不安に満ちた立場だとしても、リーダー本田未央という形はニュージェネレーションに強い影響力を持っているということです。
結果として『本田コケればみなコケる』という不安定さを、今のニュージェネレーションは持っているわけです。
それは、明るく賢く状況をまとめ上げ、ムードメイカーとして状況を牽引する本田さんの『便利さ』に、二人が依存している結果です。

今回、島村卯月はずーっと不安定な姿を見せています。
本田未央は、賢さと優しさと脆さを持っている子なんですよ』と画面が囁き続けたように、今回の演出は島村卯月がどれだけ自己評価が低く、それを『頑張る』ことでしか解消できない不器用な心象を捉え続けます。
その不安定さもまた、第1話からずっと描写されてきた、彼女のパーソナリティです。

そして、本田未央と渋谷凛は、表面的には島村卯月を支えているようで、彼女の不安を理解しきれていない。
アイドルに憧れ、同期が全員諦め一人きりになっても諦めきれず、レッスンにレッスンを重ねて、それでもガラスの靴が届かない日々を過ごしてきた島村卯月。
彼女の不安を、『才能のあるド素人』渋谷凛も、『いつも元気なムードメーカー』本田未央も、表面的な繋がりとは裏腹に、理解できてはいないわけです。
それは『いつも元気なムードメーカー』本田未央の内側にある脆さと虚しさに気づかず、リーダーとして牽引されるまま『失敗』まで走らせてしまった渋谷・島村と、全く同じ間合いです。
お互いの人間的な脆さに分け入らないまま、素裸の仲間を知らないままステージに挑んだことが、結果として『失敗』を産んだのなら、それは本田未央の『失敗』ではなく、ニュージェネレーションの『失敗』でしょう。

そして、既に述べたようにニュージェネレーションの『失敗』は、ニュージェネレーションの『成功』を内包している。
本田未央の過度の『便利さ』に寄りかかっていた二人。
島村卯月の不器用な不安と『頑張り』に気づけ無い二人。
フロントが出っ張りすぎた不安定な三角形を、お互いがお互いの欠損を理解し、支えあう正三角形に直せれば、『失敗』が『成功』でもあったと気づくのは容易でしょう。
彼女たちがお互いを思いやっているのは、アイドルという舞台から退場しようとする本田未央を迷わず追いかけた二人を見れば、すぐさま判ることですから。


本田さんを追いかける直前、渋谷さんは凄まじい表情でプロデューサーを睨みつけます。
そこには失望がある。
『あの時私に魔法をかけてくれたのに、未央には言葉一つかけれないのか』という非難があるわけです。
でもそれは、ニュージェネレーションの仲間に対して持っているのと同じ、『寡黙だけど、必要なときは魔法を使って解決してくれる立派なオトナ』という表面的な理解です。

今回プロデューサーは、多くの『失敗』をします。
本田未央が抱えている過大な夢に気づかず、『本田コケれば、みなコケる』というニュージェネレーションの歪な三角形を見過ごし、傷ついた本田さんにあまりに真っ直ぐな言葉をかけます。
そしてその『失敗』全てが、気付くか気付かないかギリギリのラインとして演出されています。

ステージを成功させるために必要な準備は誠実にこなし、順当に進行する中で出される、微かなヒント。
本田さんがグイグイ引っ張ることで、前向きに前進しているようにみえる三人の関係。
仕事としてアイドルを扱い、その成長サイクルを熟知している自分と、ただのお調子者な15歳との認識の差。
さり気なく処理される失敗の火種は、初見ではそれとなく見過ごされるように描写されている。
見逃しても仕方がないような細かい要素を、大人であるプロデューサーはことごとく見逃し、『アイドル辞める!』と言わせてしまう結果にたどり着きます。

それが『失敗』になるかどうかは、来週本田未央が『やっぱアイドル続ける!』というかどうかにかかっています。
そして、そう言わせる要素は、やはりプロデューサーは既に手に入れている。
本田未央の失望が過大な希望から生まれている以上、等身大のニュージェネレーションがどのようなもので、それが望める『成功』とはどこにあるのか、誰かが教えてあげなければならない。
必要以上に膨らんだ夢の風船を、現実という針で破裂させてあげなければいけない。
それが出来るのは、あまりに不器用で真っ直ぐな言葉だったとしても、「当然の結果です」という真実を既に告げている彼以外には、無いんじゃないかと思います。

 

本田未央は、『ニュージェネレーションのリーダーとして、舞台を成功させなきゃ』という義務感、綺麗な願いが破綻しただけで、あそこまで傷付いたのではないと思います。
友達に情けないステージを見せたという、恥の意識。
もう一度全身が震えるような成功をして、承認欲求を満たしたいという欲望。
有名になってチヤホヤされたいという、身勝手な夢の崩壊。
そういう手前勝手でエゴ剥き出しの自意識が血を流したからこそ、本田未央は吠えたわけです。

そして、今回血を流していたのは本田さんだけじゃあない。
不安に押し流されるように『頑張り』続ける島村卯月も、失望を込めた視線を大人に投げかけた渋谷凛も、不器用さを極めて言わせてはいけない言葉を引き出してしまったプロデューサーも、みんな血を流し、苦しんだままお話は終わった。
それはつまり『このお話に出てくる人間は、苦しみも哀しみもしない、血も涙も流さないお人形じゃないよ』という製作者からの表明だと、僕は受け取りました。
このお話が才能と夢、成長と蹉跌のお話であるなら、僕はその方がいい。
あらゆる失敗の可能性を先回りして潰す、完全なお人形の話より、全然その方がいい。

そして、この話が『失敗』の話ではないということは、ラブライカが鮮烈に表現した『成功』を見れば、信じられるところだとも思います。
ラブライカが先取りした『成功』に、血塗れの少女達(と目付きの悪い不器用な青年)はどう辿り着くのか。
次週、見届けようと思います。

 

・追記
前回『失敗』を経験して人格的成長を遂げた前川を、『仕事だから』ということでシーンから切り離したのは、今回の問題を簡単に解決させないためには必要、かつ重要な処理だったと思います。
あの場に前川がいたらバーンとビンタなり何なりして、本田さんに『やっぱアイドル続ける!』て言わせちゃうだろうし。
ニュージェネレーションの腸を見せて、彼女らをより人間らしく感じさせるためには、この話は跨がないといけないわけで。

前回の話が胸に刺さる作りなので、正直『本田さんさー、あの前川見てなお、客がこねぇの反響が薄いので文句言うの、贅沢っていうか残酷じゃね? 色々忘れすぎじゃね?』と思わなくもない。
でも、今回の本田さんは視聴者から見てもどこが『失敗』していて、何を思い出せば『成功』出来るのか解りやすい作りにする必要があり、あえて前川の咆哮に水ぶっかけるような動きになったんだと思う。
前川の話が前景になって、本田さんの『失敗』がクッキリ見える作りでもあるし。
本田さん自身「みんなの代表として、道を作る」という趣旨の発言はしているわけで、『アイドル辞める!』は15才らしい動揺が言わせた迷いだと思うことにする。
そもそも、前川の喫茶店占拠も15歳の迷走だしな。
何が言いたいかというと、すっかり11歳と13歳のお姉ちゃん役が板についてきた前川を見れて、非常にグッドだったということです。

 

 

アイドルマスターシンデレラガールズ:第7話『I wonder where I find the light I shine...』

00)序
アイドルマスターシンデレラガールズ、第一部完ッッッ!!!! というわけで、コンテ高雄、演出原田、脚本高橋の一話メンバーが再登板して、今までのお話の積み重ねをフルに使う、序章ラストエピソード。
高雄監督のレイアウトセンスが冴え渡り、空間の取り方、明暗の使い方、モチーフの写し方など、言葉を使わない意味伝達がギュと圧縮された、素晴らしい映像でした。
脚本も今までの蓄積を見事に使い、低いところからの急激な上げを書ききり、シンデレラたち(と魔法使い)がアイドルの階段に足をかけるまでを、見事に描写した回だったと思います。
各回ごとのお話の受け渡しや、演出のリフレインと変奏に特に注目しつつ、頭から順繰りに見て行きたいと思います。


01)話全体を覆うトーン
不安、不快、不吉。
高雄監督のクッキリしたライティングは、いわゆる『暗い』イメージが付きまとう状況では、画面が徹底的に暗くされます。
本田未央の『アイドル辞める!』宣言を引き継いで始まる今回のエピソードも、出だしはこれでもかというほどに真っ暗です。
おまけにガラスが砕ける音まで響いて、こっちの心臓に悪い。
この薄暗い状況はAパート終わりまで続き、プロデュサーが島村さんの家にたどり着くことで終わります。
それまでは徹底して暗く、すっきりしない色彩と明暗で世界が作られている。

本田さんだけではなく凛ちゃんにも的確な言葉をかけられず、過去の失敗から臆病になり続けるプロデューサー。
彼に魔法をかけてもらうことを望みつつ、希望の裏返しである失望から、距離を取っていく渋谷凛。
そして、膨れ上がった夢想に押しつぶされ、世界認識を切断してしまっている本田未央

彼らにとっての世界は、文字通りに灰色なわけです。
この状況が動き出すのがBパート頭、島村家への見舞いからであり、此処でプロデューサーが前を向き、プロデューサーが本田未央と向かい合うことで彼女も立ち上がり、二人で一話以前の『アツくなれるものが何もない』渋谷凛を、アイドルという夢を見つけた少女に戻す。
世界がドミノのように変化していく起点を徹底的に劇的に見せるべく、下がるシーンは今回、徹底的に灰色です。

プロデューサーが前向きになれるきっかけが、彼自身が見出したアイドル、島村卯月の武器『笑顔』であるというのは、一話で印象的だったやり取りを的確に回収しており、趣深いところだと思います。
仲間もいなくなって、先も見えないままレッスン漬けの島村さんにかけた、プロデューサーが見た真実は、巡り巡ってピンチの彼自身を救うわけです。
こういう真心の循環ができている物語は、見ていて安心するし、期待もするし、それに答えてもらった時は嬉しいものです。

明暗だけでなく、視線による心理暗示も徹底してて、登場人物の視線が上に向き始めるのもBパート以降であり、登場人物がそれこそ『前を向く』まで、視線は常時下向き固定です。
お互いの目を見る描写がBパートまでほぼ無いのも、正面から相手に向い合い、本音を言って状況を解決する糸口をつかめないAパートにマッチした演出だと言えます。
他にも窓枠や木、椅子を活用して心理的距離感を強調したり、そこを乗り越えて『前に出る』アクションをカメラに移したり、『画面に映るものを活用して、キャラクターの心の距離や動きを見せる』演出術は、一話と同じように冴え渡っていました。

 

02)レッスンシーンと前川みく
続くレッスンシーンで、前川は「そんなの、プロ失格にゃ。みく達より先にデビューしたのに……」と言いかけます。
前川みくは、このセリフを言わなければいけない。
そうすることで、前川みくに感情移入している視聴者の気持ちを代弁し、問題を顕在化させてくれるからです。
前川の言うことは同時に、(少なくとも)僕の思っていることなわけです。

前川みくが持っている、アイドルへの強い憧れ、シンデレラプロジェクトに賭ける強い意志、選ばれないことへの焦りと不安、キャラ作りに隠した真っ当な感性と傷付きやすさ。
これは2話での登場時から見え隠れし、主役回である5話で完全に焼き付けられた、『凡人代表』前川みくの重要な資質です。
この中途半端さがあるから、選ばれて愛された人たちのお話であるシンデレラガールズにおいて、不自然さを指摘する役が出来る。

前川みくは『主役の影に隠れている、しかし大切な傷を発見する役』を、今回(も)担い続けています。
前川を代表者に使うことで、話の真ん中から外れた所に置かれているキャラクターの気持ちを一つにまとめて表明し、対応出来る体制が出来ている。
それは、『猫耳つけなくてもデビューできる』人たち、既に選ばれた人たちにはこなすことが難しい役どころであり、お話を多角的に描く上でも、当然発生する不平や不満、不自然を掬い上げるうえでも、とても大事な仕事です。
前川にそういう仕事をさせる下準備としても、5話は重要だったということなのでしょう。

後のシーンで、溜まりに溜まったプロデューサーへの不信感を表明するのも、それが解決し手に入れた「プロデューサーを待っています」という結論を言うのも前川みくです。
7話までに個別回をもらっている唯一のキャラクターであり、基本的に物分かりよく描かれているプロジェクトメンバーの中でも『言う役』である以上、此処で頭になるのは前川しかいない。
話を回転させる上で、複数いるメンバーを取りまとめ代表する要として、前川みくはほんとうに重要な位置を担当していると思います。

なおこの時、前川みく猫耳を付けていません。
5話でも猫耳と『にゃ』語尾は前川みくのシリアスさを表現する小道具で、それを引き継いだ描写だと言えます。
『にゃ』語尾はかろうじて装えているので、本当の限界の限界、というわけではないのでしょう。


そして、前川の問題提起は凛ちゃんの転倒で遮られる。
三話ラストで「まぁ今日のところは……」と言いかけた所で、きらりの発言に遮られたように、前川のシリアスな提案はこのタイミングで掬い上げるものではないので、先送りされるわけです。
不満を表面して問題を顕在化はしなければならないけど、その解決を行うには早いタイミングであり、前川みくは今回それを行うのに、適切なキャラクターでもないからです。
今回の話はあくまでニュージェネレーションとプロデューサーの話しであり、前川みくの話ではないのだから、前川の発言は遮られなければいけない。
前川の発言が遮られないのは、前川が主役の話か、前川が主役の問題解決に直接関わる時になります。

此処で前川の発言が遮られるのは、エピソードの主役が誰であるかをハッキリさせる目的だけではなく、エピソードのテーマが何であるかをブレさせない意味もあると感じました。
『選ばれたからには、選ばれなかったものの分も頑張って欲しい』という前川の訴えは当然のものなのですが、今回望まれる解決方法はその角度からツッコむことでは無いわけです。
ラブライカが見せていた『成功』を、ニュージェネレーションも同じように経験していたのだと気付くこと。
それが、6話から示唆されている、本田未央が『やっぱアイドル続ける!』というための魔法です。
ここで前川の抗議をシリアスに受け取っていると、只でさえタイトなスケジュールの話が迷走しだすため、あえてのカットなのだと、僕は感じました。


03)本田未央との一度目の対話
6話ではピカピカと輝いていた本田さんの部屋ですが、Aパート全体を覆う暗い雲に飲み込まれて、ずっしりと重たい雰囲気です。
プロデューサーとの交渉窓口であるインターホンも、闇を塗りたくったかのように黒い。
このコミュニケーションは失敗が約束されているので、Aパートの中でも手ひどく暗いシーンに仕上がっています。

本田未央がただのお調子者ではなく、周囲のバランスを見て前に出、望まれているロールモデルを積極的に担当する子だというのは、今までの話の中で見せてきた部分です。
周囲の期待に答えようとするからこそ張り切り、周囲を見る目とそれを気遣う優しさ故に動けなくなっている子に、「これは、あなた一人の問題では……」というのは、真実の一面を捉えてはいても、正解ではない。
今回何度も呟かれる「リーダー失格」という言葉を見ても、本田さんが心理的バランスを崩したのは、他人との関係に強い責任感を持っている裏返しだと判ります。
理詰めで正しいけど、あくまで表面的な解決法を失敗させることで、後に正解を選ぶシーンのカタルシスが強まっているわけで、巧い作りだなと思います。

無論本田未央はお調子者でもあって、成功に浮かれもするし、チヤホヤされる快楽を夢見るエゴイストでもあります。
前川みくが『大人と子供』『凡人と天才』の中間にいる中途半端なキャラであるように、本田未央も『いい子と悪い子』の中間にいる、普通の女の子なわけです。
ニュージェネレーションの仲間を信頼して、自分の失敗も全て預けてしまえば……素直になれば問題は解決するのですが、普通の女の子である本田未央にとって、出会って数ヶ月の仲間やプロデューサーを信じきることは出来ない。
失敗を預けて身を躱されたらどうしようと怯えるのは、15歳という年齢を考えなくても自然な反応かな、と思います。


04)渋谷凛との一度目の対話
ぐんぐん問題が大きくなっていくAパートですが、まだまだ止まりません。
表面的な対応を続けるプロデューサーに凛ちゃんの不信感は募り、ついに雨まで降り始めます。
誰もいないロッカールームとレッスン場、答えの返ってこない電話は、このままシンデレラプロジェクトが破綻した時の未来、絶対に到来してほしくない世界をちらりと見せる、サスペンスの手法。
同時に凛ちゃんの危機感というか、『このままだとこうなっちゃう』という予感を示すシーンでもある。

この危機感は視聴者のものでもあって、前川とは別のベクトルから、渋谷凛は視聴者の代弁をしています。
二話でアイドルに興味が無い、沢山のアイドルを一切知らない視聴者の代理人として、アイドルに満ちた世界を泳いでいたように、渋谷凛は大多数の視聴者の代表者として、世界に切り込んでいく主人公です。
「このまま、あの人に任せておいていいのかな?」という疑念。
「この状況は何なの? あんたはどうするつもり?」という詰問。
「なんで未央を連れ戻さないの?」という懇願。
「あんたは何を考えているの?」という糾弾。
これは演出と脚本、物語の展開から巧妙に導き出される当然の問いかけであり、これを視聴者の代わりにフィルムに焼き付けるから、渋谷凛はこのアニメの主人公たり得ていると思います。

そして、キャラクターは作中の出来事に何かを感じ取り、変化するから魅力的に映ります。
何にもアツくなれない、クールで無気力な渋谷凛は、第一話でプロデューサーと島村卯月に掛けられた魔法を信じてアイドルの世界に飛び込み、そこで喜びを見出した。
「夢中になれる何か」を見つけられた気がしていた。
今までの6話を回想しながら語られるこの思いは、同時に『渋谷凛という中心軸から見たシンデレラガールズ』の追体験でもあり、30秒にまとめあげた『これまでのシンデレラガールズ』でもあります。
物語が始まる予感にときめいたり、挫折に心を痛めたり、成功に夢を見たり、手応えのない反応に失望したりする凛ちゃんの心の上がり下がりは、多分視聴者のソレと重なり合っている。
それを「でも今は、見つかる気がしない」という言葉で終えている以上、ここまで視聴者が感じるストレスは、やはり巧妙に意図されたものなわけです。


残忍なほど真っ直ぐで、痛いほど真剣な凛ちゃんの言葉に、しかしプロデューサーは身をかわし続けます。
「逃げないでよ」と言われているのに視線は泳ぎ、凛ちゃんの表情を捉えることはない。
凛ちゃんが代弁してくれた視聴者の疑問にも、「申し訳ありません」の一言です。
『俺達が聞きたいのは、そんな言葉じゃねぇ』『そら本田も、自分の失敗を認め、体を預けようとはしないわな』と納得してしまう、徹底した逃げ方です。

花屋という『アイドルに出会う前の場所』に帰ってきた凛ちゃんは、1話と同じように眼を描かれることなく、人格を否定された状態に戻っています。
このアニメはアイドルの話であり、それ以外は存在しないのですから。
一話ラストで夢に出会ったときめきを反芻していた構図をリフレインして、凛ちゃんのAパートは終わります。
見上げている花は期待を意味する、白いアネモネではないですね。
青いアスターなら『あなたを信じているけど心配』かな?


05)ラブライカ
リーダー本田に続き、俊英渋谷までも離脱したシンデレラプロジェクトで、唯一実働しているユニット、ラブライカ。
6話唯一の『成功者』と言える彼女たちに、本田未央が失敗と感じたステージの感想を言ってもらうのは、非常に重要なことです。
本田未央をプロジェクトに帰還させるためには、プロデューサー自身が『あのステージは成功していた』と気づく必要があり、そのきっかけを与えられるのは、『成功者』であるラブライカだけだからです。
そういう意味では、このエピソードの下げ調子は渋谷凛離脱で終わっており、ラブライカへの質問シーンは上げる前兆と言うべきかもしれません。

年少組が子供の残酷さで告げていたように、プロデューサーはプロジェクトメンバーにとって、「何考えているかわからない」、信頼出来ない存在です。
プロデューサーの質問に答える訥々とした口調は、プロジェクトが置かれている現状と、プロデューサへの不信を示しています。
しかし飾らない言葉で、素直に本質を語ってくれる姿勢には、一縷の望みがある。
まだギリギリの所で、ラブライカはプロデューサーのことを信頼し、本当のことを曝け出してくれる間合いを維持できている。
このシーンのぎこちなさは、プロデューサーとメンバー、大人と子供の危うい信頼関係を、巧く切り取っているように感じます。

「ここが私達の第一歩なんだ」という新田美波の言葉は、真実を捉えながら誤解されてしまった「当然の結果です」という言葉と、正しく呼応しています。
彼女たちの目線はコンビの相方→ステージ→客席と健全に広がっていって、観客の拍手もしっかり聞こえている。
自分たちの精一杯の笑顔が、観客の笑顔と拍手を生み出したことに気づけている。
だから彼女たちのステージは『成功』として描写されていたわけです。

心情を吐露するこの発話が、新田とアナスタシアの間をリレーするように行われていることは、ラブライカが人纏まりの存在として作中扱われており、見ている世界に差異がない状態であることの証拠です。
束で扱うことで余計な時間を使わないという実務的な効果もありますが、六話においてあの握手を描写された以上、二人が一人であるような状態には、強い説得力があります。
そのような状態だからこそ素直に『成功』を認識でき、『成功』を呼びこむような集中力のあるステージを作れた。
翻って、ニュージェネレーションはどうしようもなくバラバラであり、これをまとめ上げることで不安定な状況を回復することが、このエピソードの目的であると、ラブライカとの対話は告げています。

『昔は楽しかったし、ワクワクしたけど、今はこんな状態でどうしたら良いか判らない』というラブライカの認識は、強い不信を叩きつけた渋谷凛、「何考えているかわからない」と宣言した年少組と、強く重なるものがあります。
お話が始まってからこの方、少女たちはプロデューサーに『お前が信じられない』と宣告し続けています。
信頼の回復。
不器用なプロデューサーには難儀なそれを、どうにかして成し得なければ、お話は収まるところに収まらないということが、もう一度強調される終わり方です。


06)島村卯月の笑顔
影に支配されていた前半パートですが、島村さんの部屋が写った瞬間、画面が明るくなります。
ピンクとオレンジの温かい色彩、ぬいぐるみでいっぱいの可愛い部屋、優しいお母さんとの思い出の写真、温かい紅茶とおいしいゼリー、可愛い島村さん。
世界は優しくて、夢みたいに綺麗だということを強調するアイテムが、怒涛のように画面を埋め尽くします。
今までの重苦しく緊張感のある展開を弾き飛ばすような安心の乱舞に、視聴者はようやく息をつき、『なんとか話が上向きになりそうだぞ』という希望を持てるわけです。
灰色の世界と対照するように、暖かな色彩の中で島村卯月との対話が始まります。

本田さんとの対話を断られ、凛ちゃんにも拒絶され、メンバーからは不信の色を隠されていない。
プロデューサーが自力で這い上がるには、ちょっと糸口がない状況なので、この対話は島村さんが主導権を握り続けます。
最初語りかけるのも、この状況下でなお希望を維持し続けている姿勢を見せるのも、全て島村さんからです。
アイドルという夢に寄り添って、どんなにしんどい状況でも頑張り続ける島村さんは、この状況で唯一、プロデューサーに何が出来るのか、思い出させることの出来る存在です。
彼女が口にする夢が叶う舞台を用意してあげられるのは、プロデューサーだけなのです。

その希望を感じ取ったのか、此処でようやくプロデューサーは顔を上げ、島村さんの眼を見ます。
相手の顔を見なくても言えるような建前で、正面からの対話を避けていた彼、島村さんとの対話も90度の相対を選んでいる彼が、ようやくアイドル個人を見るこのシーンで、物語は急上昇を始めます。
本田さんや凛ちゃんとのすれ違いの根本に、プロデューサーの臆病さと、柔らかい自分を守るための建前がある以上、個人個人の傷や感情に目を向け、真正面から相手を見ることは絶対に必要な条件です。
それを成し遂げている辺り、今回島村さんが果たしている役割の重要性は計り知れないものがあります。

しかしまだまだ失敗に怯える段階なので、島村さんに『心残り』を口にされるとプロデューサーは体を緊張させ、微妙に視線を逃しています。
ここまで失敗と問責が続いているのである意味当然の防衛反応なのですが、「最後まで笑顔でやり切ることが出来なかった」という島村卯月の『心残り』に、表情を大きく変え、島村さんの顔を見ます。
お客さんを笑顔にするために、浮かべなければいけないアイドルの笑顔。
かつて一話でプロデューサーが発見し、渋谷凛がアイドルの道を選ぶ決め手となった最大の武器は、此処でも格別の破壊力を発揮し、窮地脱出の足がかりとなるわけです。

「凛ちゃんや澪ちゃんと一緒に」「明日には体調も」と、ラブライカですら言っていなかった将来の希望を口にする島村さん。
彼女の姿は無根拠であるが故に頼もしく、同時に危うくもあります。
将来の夢を語る言葉は「ステージに立つ」「CDデビューをする」「ラジオ出演をする」「TVに出る」という、外的な要素の羅列で成り立っています。
同時に自分の笑顔と客の笑顔、仲間と一緒のステージという、内的な夢も語っているので、全てが空疎というわけではないのですが。
過剰に『頑張って』しまう姿と合わせて、この無根拠なポジティブさには危うさが潜んでいるんじゃないかと、僕は思ってしまいます。
それを刈り取るのであれば、鮮やかに容赦なく、優しく踏んでほしいものだと、僕は願って止みません。


07)不信感との戦い
島村さんの無条件の信頼を受け取り、プロデューサーが未来を掴むために目覚めた心を走しださせた……だけでは、問題解決は始まりません。
一番最初に闘うべきは、メンバーの間に根を下ろした不信感です。
少し明るくなった(雨が降っているのに!)部屋に11人のメンバーが勢揃いし、正面からの対話が始まります。

此処での位置取りをチェックしてみると

プロデューサー

前川 城ヶ崎・赤城(Aグループ)

緒方・三村・多田・神崎(Bグループ) 椅子 双葉(別格)

新田・アナスタシア・諸星(Cグループ)

という配置になっています。

これはニュージェネレーション分解、シンデレラプロジェクト解散の危機に、各メンバーがどれだけ焦っているかを、的確に示した配置です。
今回も前川は『凡人代表』としてメンバーの先頭に立つ仕事をしていますし、既に不信を表明している幼い二人が、その背中にくっついています。
普段から自分の気持を素直に表現している莉嘉が、2歳下ながら聞き分けの良いみりあより前に出ているのが、個人的には面白いところです。

そこから柱を隔てて、Aグループのように積極的に抗議をするわけではないが、不安をいだいてはいるBグループがひとまとまりに成っています。
彼女たちはCDデビューも決まっておらず、かと言って前川のように『言う役』を担当するでもなく、距離的にも心理的にも中間的な立場にあります。

距離的には杏もBグループとだいたい同じ位置にいますが、彼女はプロデューサーと正対する位置にはおらず、直立すらしていません。
トランプにおける鬼札のように、シンデレラプロジェクトから距離をおいている彼女のキャラクターが良く見える配置です。

そして一番距離のあるCグループは、CDデビューを果たしたラブライカの二人と、諸星きらりが形成しています。
Aグループ←→Bグループの距離ほど、Bグループ←→Cグループの距離が離れておらず、言わないなりに不安を感じているのは、メンバー全員同じなのだというのが判ります。
ラブライカに至っては、プロデューサーに面と向かって不安を口にしていますしね。

ある程度の実績を積み、プロジェクトの先頭を走っているラブライカを差し置いて、きらりが殿を務めているのは面白い。
ロッカールームでの慎重な発言といい、孤立したメンバーに必ず声をかけている所といい、彼女は人間関係の視野が広く、穏やかにまとめ役を担当してきた。
そんな彼女だからこそ、焦りなく最後尾を務めているのでしょう。
ほんま優しい、頼りになる子やで……。


『にゃ』語尾を付ける余裕が無いくらいに追い込まれた前川を筆頭に、口々に不安を表明するメンバーに対し、プロデューサーが逃げることはもうありません。
目線をまっすぐ相手に向け、相手に誠実であろうとするあまり口にしなかった『絶対に』『します』という言葉を使って、少女たちの不安を受け止めにかかるわけです。
此処のカタルシスは7話単独で生まれたものではなく、今までのお話の積み重ねで生まれたものだと思います。

プロデューサーは今まで、確実に起こることしか口にしてきませんでした。
『検討中です』『企画中です』『決定しました』という事実を口にしても、不確実な未来について言及することはなかった。
アイドルに『これから何がしたいのか』聞くことはあっても、アイドルが『これからどうなって欲しいのか』言うことはなかった。
それはこの後部長が口にする失敗体験から生まれた、彼なりの防御策であり、少女たちへの誠実さの現れだったのだと思います。
それはとても不器用ながら優しく、正しい行動だったと、僕は感じました。

しかしアイドルが(そしてアイドルの話であるこのアニメが)不確実な夢に向かって走る以上、どこかで未来に向かって見を投げ出し、意志と希望で明日を手繰り寄せなければいけない。
『これから何がしたいか』はアイドルだけに必要な夢ではなく、アイドルたちが輝く場所に階段を用意するプロデューサーも、持っていなければならない。
そして一緒に夢に向かって走る仲間である以上、不確実な未来への夢は、共有していたい。
前川が五話で頑是ない夢を皆で語り、それを文字にし絵に起こしたのも、不安を吹き飛ばすための共有行為だった。
その共有が出来なかったから、状況はここまで硬直し、不信は蔓延したわけです。

プロデューサーは「絶対に彼女たちは連れてかえります」という約束をします。
本田未央を説得出来ないかもしれない、というか一度拒絶されている。
渋谷凛も帰還しないかもしれない。
それでも、強い意志を持って前を向き、守るべき少女たちに彼は、不確実な未来を確実だと、約束をするのです。
少女たちの背中を押すプロデューサーとして、それは絶対に必要な言葉であり、此処にたどり着くことでようやく、プロデューサーは物語役割の端緒に付きます。
七話かけて入り口に立つのはニュージェネレーションの三人だけではなく、プロデューサーも同じなのです。


メンバーの信頼を不完全ながら取り戻したプロデューサーが部屋を出ると、部長がいます。
分不相応な夢を見せてしまったと自分を責める城ヶ崎美嘉も、その奥にいる。
彼らは一向に解決しない状況を見かね、解決のために介入しようとした寸前で立ち止まります。
後一瞬プロデューサーが動くのが遅ければ、あるいは部長がその人生経験を以って、あるいは城ヶ崎美嘉が不要な悪役を担当することで、事態は解決の方向に転がっていたでしょう。
しかし、タッチの差でそうはならない。

6話で丁寧に描写されていた『失敗』のための事前準備が、微妙なすれ違いの積み重ねで成り立っていたように、今回の『成功』はギリギリの綱渡りで構成されています。
ドミノが倒れるタイミングが少し遅ければ、今回見せた治りやすい傷ではなく、もっと痛みを伴う形での解決が、この状況には訪れていたかもしれない。
そう思わせる描写を仕込むことで、アニメ全体の緊張感を維持し、辿り着いた場所の価値を上げる。
部長や美嘉とのニアミスには、そういう意味もあるかなと感じます。


08)本田未央との二度目の対話
メンバーに「待っています」と言わせたプロデューサーは、本田未央の元へと急ぎます。
Aパートで島村さんと凛ちゃんがたどった道のりを、彼が駆け抜けていく構成は、状況の変化と画面の配置が呼応してて面白いですね。
これからやってくる生涯を暗示するように、Aパートの鳥居周辺は薄ぼんやりした灯りと少ない人通、不穏な音楽で満ちていて、解決に向けてひた走るBパートにおいて、雨は降っているもののライティングは白強めの爽やかなもので、傘は差していても人通りは多い。
雨の中、傘もささず一心不乱に『自分のやりたいこと』を目指すプロデューサーの姿は、6話のラブライカに重なるものがありますね。
周囲のことを気に出来ない程の強い集中が、このアニメで『成功』を引っ張り込む重要な要素なのかもしれません。

本田さんが部屋の中で腐っている絵面は、Aパートと同じであり、彼女を取り巻く状況も、彼女自身の心も変化していないことが見て取れます。
違うのは、説得にやってきたプロデューサーがまっすぐに本田さんを見つめていること。
ここで不審者に間違わられ、警察の質問を受ける流れは、1話で凛ちゃんを説得した時の流れと同じであり、切れ味の良いコメディーに鳴っています。
『ここなら視聴者の印象に残っているだろう』というシーケンスを、確信を持って再演する演出は綺麗にハマっていて、思わず笑いの溢れるシーンです。
そう、状況は改善されつつあり、視聴者はもう笑ってもいいのです。

Bパートの本田さんは、「リーダー失格だよ……」「あんな事言っちゃったのに……」等など、Aパートでは口にしなかった後悔を多数漏らしています。
頑ななだけでも、傷ついているだけでもなく、傷つけてしまったことに怯え悲しんでもいるという多角的描写であると同時に、Aパートとの状況の変化を際立たせる演出に為っています。
同じ状況、同じ絵面を繰り返すことで、一度目との差異が強調される演出手法は、1話でも多用されていた特徴的なものです。


出入口でのやり取りが終わり、プロデューサーに背中を向ける本田さんの行く先は、当然のように真っ暗です。
外は雨のはずなのに、プロデューサーがいる上手には光が溢れている。
このままあの動きのない部屋に戻れば、本田さんが起こした物語は解決せず、物語は破綻するわけで、物語が進むべき未来を上手下手だけではなく、ライティングでも明瞭に示しているシーンと言えます。

暗い場所に進もうとした本田未央はプロデューサーを拒絶し、その扉をこじ開けてプロデューサーが対話を始める。
散々「何言っているのかわからない」「逃げている」「信頼出来ない」と詰られ続けたプロデューサーですが、島村さんの笑顔に後押しされて、自分の望みを押し付けることを躊躇わなく為っています。
声は明瞭に、目線はまっすぐ、相手と同じ高さに。
カタルシスがあるべきシーンに、皮膚感覚的な気持ちよさをきっちり入れて画面を作れるのは、強いなぁと思います。


頑なな本田さんの心を融かしたのは、『客の数は確かに少ないが、本田未央のパフォーマンスは観客を笑顔にしていた』という事実です。
『笑顔』というキーワードは1話から常に前面に出されている要素で、島村さんがプロジェクトに参加する決め手も『笑顔』、渋谷さんがアイドルという道を選んだのも『笑顔』、プロデューサーが迷いを振り払うのも『笑顔』と、物語の分岐点には必ず『笑顔』が埋め込まれています。
今回本田さんが立ち直る切っ掛けも観客の『笑顔』であり、このアニメにとって、そしてその舵取り役であるプロジェクトにとって、非常に重要な要素だと判ります。

ここのやり取りで重要なのは、本田未央が『失敗』だと捕らえた舞台が実は『成功』だったという事実に、プロデューサーは事前に気付いていた、ということです。
2話ラストで城ヶ崎美嘉のバックダンサーという大役を、後のニュージェネレーションに任せる相談をする際、プロデューサーはあまり乗り気ではありません。
今回明らかにされた過去の傷が彼を臆病にしている(そして、部長としてはその傷を乗り越えて欲しいと思っている)部分はあるのでしょうが、このバックダンサーの成功体験が後々逆に傷になることを考えると、危険性にある程度気付いていたから、慎重な態度を取っていた、とも取れる仕草です。
アー写撮影時にボールを投げる指示を出したり、初舞台の緊張にガチガチになっていた三人に声をかけるよう、ハッピープリンセスの二人に頼んでいたり、プロデューサーの描写は、彼の冷静さや周辺視野の広さを強調していました。
彼は目端が利き、細かい指示が出せる『デキる男』なわけです。

そして同時に『不器用な男』『臆病な男』でもあって、自分が見つけたものを直接伝えることが苦手で、誤解されやすい存在でもある。
それもまた、1話の不審者に間違われる描写であったり、「笑顔です」の乱発であったり、6話の「当然の結果です」であったり、しっかりと演出の蓄積が出来ている特徴です。
長所と短所の両天秤が不穏に揺れ動いていたのが、6話から7話におけるプロデューサーの描写なのですが、本田さんに写真を使って語りかけるこのシーンでようやく、天秤が安定する。
自分が見つけたものを、まっすぐアイドルに伝えることに成功している。
本田未央にステージの真実を伝えるこのシーンは、プロデューサーというキャラクターが、一つの完成を迎える瞬間です。


『失敗』だと思っていたものが『成功』だったのだと気付いても、責任感の強い本田未央は素直には帰れません。
「どういう顔で逢えばいいの、みんなに迷惑かけて」と自分を責める本田さんに、プロデューサーは「だからこそ、このままはいけないと思います」と返す。
Aパートで社会的責任や周囲の感情を持ちだしていたのはプロデューサーで、それを拒絶したのが本田さんなのを考えると、二度目の対話は一度目の対話の、徹底した陰画だというのがよく分かる。
一度目では隠していた本心が、二度目の対話では露わになり、発話者と否定者が交換されているわけです。

そうすることで、『どうするべきか』ではなく『どうしたいか』によって物事を動かしていく、この物語の中で是認されるべき価値観に、本田さんは帰還することが出来る。
自分がやりたいことを口に出しても良い、相手に押し付けても構わないと気付いたプロデューサーが、「私は、このままあなた達を失う訳にはいかない」と無責任で不確かなことをパなしているのも、Aパートでは考えられない変化ですね。


09)渋谷凛との二度目の対話
こうして前を向いた本田さんですが、ニュージェネレーションは二人ユニットではないので、渋谷さんを帰還させなければお話は落着しません。
細かく細かく、常に花と一緒に描写される渋谷凛は、とてもつまらなそうに、何かを待っている。
プロデューサーと島村卯月に出会う前、アイドルに出会う前、夢に出会う前の渋谷凛に戻っている。
不器用に呟く「できたてEvo!Revo!Generation!」は彼女の未練であり、一度見た夢が疼かせる古傷の呻き声なのでしょう。

このシーンの舞台になっているのは1話ラストの公園と同じ舞台で、あの時は光と花に満ちていた場所が、時間の経過とともに、落ち着いた緑色の黄昏に変わっている。
1話ラストも鮮烈な印象の残るシーンであり、その残滓が視聴者にまだ木霊していることを確信し、対比効果を最大限発揮するべく張られたシーンセットです。
話されるべき内容も1話と深く共鳴するものであり、状況の差異と合同、テーマの反復と変奏を強調する上で、これ以上ないセッティングと言えます。
ここに向かう道も、1話でそうであったようにアイドルに満ちてはいるのですが、写っている顔ぶれが変わり、時間の変化を強調しています。


渋谷凛はずっと何かを待っているのに、本田さんに声をかけられても、クールでつまらなそうな表情を崩しません。
頭を下げられても、その姿勢は変わらない。
対して本田さんは『いつも明るい本田未央』を装う余裕が一切ない、決死の表情です。
ここの不格好で、脂汗まみれの本田さんはひどく剥き出しで、凄く強い共感を個人的に覚えます。
途切れ途切れに言葉を探し、視線を彷徨わせて何とか取り返しの付かないことを取り返そうとしている姿は、痛くて綺麗です。

本田さんの言葉で動かないのを見て取って、プロデューサーが前に出ます。
カメラは横からのレイアウトに切り替わり、上手と下手を切り分ける巨木を踏み越えて、プロデューサーが渋谷凛に接近する様子を写す。
ここで近づいているのは、物理的距離であると同時に心理的距離でもあるというのは、まぁ見てれば解ることです。
見てれば解ることを、しっかり見せて、しっかり解らせているのが凄い。


渋谷凛は、相当プロデューサーのことが好きなんだと思います。
何にもアツくなれない、いつもクールな渋谷凛に夢中なことを教えてくれた、立派なオトナ。
胸のワクワクする、アイドルという御伽の国に連れて行ってくれる魔法使い。
新しい出会いも、未知の経験も、何でも持ってきてくれる理想の存在。
アイドルを知らないままに飛び込んだ世界で、一番信頼できる存在がプロデューサーだったのでしょう。
本田さんが三話のステージに抱いたような過大な幻想を、凛ちゃんはプロデューサーに抱いたのです。

本田未央の離脱も、渋谷凛が考えるプロデューサーなら魔法の杖の一振りで、何でも解決してくれる。
そう信じていたのに、誰もが傷つくような言葉を言って、首に手を当てて棒立ちのまま立ち去る本田さんを見守るだけのプロデューサーに、渋谷さんは鋭い視線を向けました。
あの瞬間から、プロデューサーへの幻滅が始まります。

でも、渋谷凛はそれを信じたくない。
だって好きなのだから。
でも、渋谷凛は彼を信じ切れない。
仲間たちはどんどん傷ついて、せっかく手に入れた夢も空っぽになっていって、最後の信頼を投げつけるように、Aパートで渋谷さんはプロデューサーを詰問します。
返ってきたのは、本田さんにしたのと同じような、空疎で臆病な反応でした。
これで幻滅は確固たるものとなり、渋谷凛はシンデレラプロジェクトから離脱します。
6話で本田未央に起きた現象、幻想が過大である故に大きな傷を負う心の動きが、渋谷凛にも起きている。

物語が始まる前のように、つまらなそうな表情で花屋を手伝う渋谷凛は、しかしずっと待っている。
一度見た夢を捨てきれないまま、失った歌など口ずさんでいる。
それくらい、プロデューサーが彼女にかけた魔法は尾を引いているわけです。
信じたいが信じ切れず、信じられないが信じてしまいたい。
矛盾した思いの対象はあくまでプロデューサーであり、本田未央ではない。
だから、樹が引いた一線を越えて渋谷凛のテリトリーに入るのも、彼女の目線を上げさせ、言いたくもない本音を引き出すのは、プロデューサーになるわけです。
渋谷凛は、相当プロデューサーのことが好きなんだと思います。


「迷った時に、誰を頼ればいいか判んないなんて、そういうのもう、イヤなんだよ」
渋谷凛が口にする本心は、同時に視聴者の本心でもあります。
3話を背景にして6話、7話で展開された下げ方は徹底的で、彼女たちの物語を自分のものだと感じながら見ている視聴者にとって、心の落ち着かない辛い時間でした。
それは映像と音響のすべてを駆使して製造された、スタッフの狙い通りの時間であり、計算に計算を重ねた下げ幅です。

渋谷凛の物語的役割に『視聴者の代弁者』がある以上、この不安定な心理状況は彼女が口にし、プロデューサーに叩きつけなければいけない。
誰を頼ってアニメを見ればいいのかわからない、そういうイヤな時間はもう過ごしたくないと、僕らは凛ちゃんに言って欲しいわけです。
そして、彼女はそう言う。
視聴者の感情の落とし所、視聴者とキャラクターとの重ね合わせ、頑なな心を解し吐露するカタルシス。
三枚抜き位を狙った、欲張りで見事なシーンだと思います。

これに対しプロデューサーは「努力します。もう一度、皆さんに信じてもらえるように」と返す。
3-6・7話の下げ幅は、相当な覚悟を持って配置したんじゃないかなと、僕が思った切り返しです。
渋谷凛が『視聴者の代弁者』ならば、この時のプロデューサーは『製作者代行』であり、それがこのセリフを言うのなら、それは『狙って巻き起こした不安定が、不信につながるかもしれないことは覚悟済み』という表明になる。
過度な読みなのは承知のうえで、此処のやり取りは製作者の気概が垣間見えて、とても好きです。


無論キャラクターはメタレイヤーにだけ存在するわけではなく、物語の中には物語の人生が流れています。
好きな人を信じたくて、信じられなくて、でも信じたい凛ちゃんの心そのままに、伸ばしたその手はなかなか触れ合いません。
ここのプロデューサーの手が超デカくて、一種のフェティシズムを感じさせる絵だなとか感じますが。
怯える子どもと、臆病な保護者を象徴するシーンなんで、この大きさで善いと思いますが。

クッソ面倒くさい凛ちゃんの手を取ったのは、躊躇を乗り越え樹を一気に踏み越えてやってきた本田さんでした。
ここで最後のひと押しをするために、本田さんはこのシーンにいます。
笑顔でも涙でもなく、切羽詰まった表情なのが、僕は好きです。

1話でアイドルの世界に踏み出した渋谷凛は、こうしてもう一度リスタートを切るわけですが、その時決定打となった島村卯月はこのシーンには存在しません。
本田未央とプロデューサーが、アイドル見習い渋谷凛の再生を成し遂げているのは、ニュージェネレーションが三人である理由を完全に説明していて、見事だなと思います。
ここで島村さんが凛ちゃんを引っ張りあげていたら、本田さんの存在意義は完全に消えていたし、島村さんも傷つき血を流す女の子ではなく、無敵の天使になってしまう。
島村卯月をそう言う存在にしたくないというスタッフの意思は、これまで密かに、しかし確かに埋め込まれてきた彼女の危うさの描写を見ていれば、一目瞭然でしょう。

この時、1話では対面で話すだけだった距離は、7話ではお互い手を取り合うものに変化しています。
アイドルの楽しさも、苦しさも知った。
苦楽を共にし、傷つけられうこともある仲間に出会った。
無条件に信頼したプロデューサーが、不器用で臆病な等身大の人間だということも解った。
7話分の蓄積が埋めた距離だと思います。


10)エピローグ
EDテーマが流れる中、このお話で初めて晴れ上がった青い空が映り、事態が収まるべきところに収まったことを示します。
謝罪のシーンを尺に収めて、事態が纏まった感じをしっかり演出するのは、5話の前川と同じですね。
不信感と戦ってたシーンとは上手下手が逆になっていること(過去に決着をつけるシーンと、未来に歩き出すシーンの差)、やっぱりきらりが最後尾であることが目を引きます。

プロデューサーが未来への決意を表明し、14人のプロジェクトメンバー全員がそれを受け止め、時計の針が進む。
前川の『にゃ』語尾が復活し、丁寧口調を止めることが提案される。
これは2話ラスト、集合写真への誘いと対になるシーンで、あの時はクールに袖に消えていったプロデューサーは、不器用に首に手を当てながら「努力しま……す……する」と返すわけです。
プロデューサーを受け入れるメンバーの暖かさ。
不器用な自分らしさを抱えたまま、どうにか他人と関わっていこうとするプロデューサー。
ここでも、差異と合同の強調は生きています。


2話でニュージェネレーションを見出し、3話でアイドルの天井の高さを見せ、それが6話で仇になった形の城ヶ崎美嘉
本田未央が抱いた過大な幻想はあくまで彼女の問題であり、美嘉が気にかける筋合いはないわけですが、それでも責任を感じてしまう。
優しくて頼りになる美嘉姉ぇの姿は、7話で幾度も挿入された映像です。

7話最後に彼女が見せるのは、プロジェクトメンバーが和気藹々と過ごす部屋の前で、「部外者だからやめておく」と一線を引く姿です。
これが序章においてメンター役を果たしてきた彼女の退場の示唆なのか、それとも「部外者だからなんだ!」と将来言うための布石なのかは、全然分かりません。
島村さんの危うさと同じように、いつか活かされる伏線なんじゃないかなと、個人的には思っています。


初めて三人だけ立った舞台に、ニュージェネレーションは戻ってきます。
島村さんはいつもの笑顔、凛ちゃんはいつもの超然とした表情ですが、本田さんは決意を感じさせるシリアスな表情です。
彼女の中で、6・7話での浮沈が大きな意味を持っていて、何らかの変化をしなければならないと考えていることが見て取れます。

その表情が、島村さんの「次のステージ、楽しみですね」という言葉で笑顔に変わる。
常に明るい未来を思い描き、見るものを笑顔にする才能。
島村卯月の天才を再確認して、身の丈にあった小さな一歩を階段に刻むことで、このお話は終わります。
言う言葉は同じだけど、3話で見せた過大な幻想へのジャンプではなく、自分の足で刻む、「当然の結果」としての一歩。
ここに辿り着くまでに、これまでの7話はあったのです。


11)まとめ
映像の流れに合わせ、自分の感じたことを全て書いていったために、非常に長くなってしまいました。
書いてみて思ったのは、アイドルマスターシンデレラガールズは狙いのハッキリしたアニメだ、ということです。
自分たちが、何を描きたいのか。
そのためには、視聴者にどう感じさせるのか。
それを操作するべく、どのようなキャラクターを用意し、お話のリレーをどう創るのか。
描きたいものを伝えるために、どういう画面を作り、どういう物語を作り、どういう効果を生むべきなのか。
それをよく考えた結果、心理的な動きと画面に写っているものが噛みあった映像が生まれ、1話毎の内部での反復、話数を跨いだ反復が効果的に使用されるお話が展開されています。

1話から7話まではやはりひとまとまりの話であり、少女が夢と仲間に出会い、世界の広さに見せられ、挫折を味わってから自分たちの真実を手に入れ、一歩だけ進んだ場所に帰ってくるお話が展開されています。
それは画面の中のキャラクター達の物語を、ひどく身近で愛しいものとして感じられるような、堅牢で丁寧なお話でした。
人間的な弱さも、アイドルへの憧れもしっかりと見せてくれた、シンデレラプロジェクトの仲間たちが、7話までに達成した成長を使って、今後どう飛躍していくのか。
とても楽しみです。

 

 

アイドルマスターシンデレラガールズ:第8話『I want you to know my hidden heart』
こちらも一話実写特番を挟んで、新章に突入したモバマスアニメ。
デビュー第三弾を飾った蘭子の個別回、であると同時に、一話から七話までの結果を見せる復習回でもあり、いつもの様に不器用プロデューサーの小さな一歩を見せてもいるという、モバマス得意の多面取りが冴え渡るお話でありました。
こうして24分を多角的に使って、色んな事を同時進行する手腕は、群像劇をスムーズに回す上でとても大事だと思います。

主題である蘭子のことを扱う前に、『七話までの決算と、八話以降の予感』という見方をすると、目立っていたのはやっぱり本田さん。
ニュージェネレーションのトップとして、序章でも突出して目立っていた彼女は、それ故に真っ先にへし折れる仕事を担当し、沢山傷ついてもう一度立ち上がりました。
その結果、前に出るスタイルそれ自体に変化はないわけですが、二話で片鱗を見せ五話で肥大化し六話で破裂し七話で再構築されたミーハーさが、なりを潜めています。

出だし、クーラーの温度調節器から画面に入っていく今回は、春の物語だった序章からそれなりに時間が過ぎ、私服は半袖に、暑さ対策を考えなければいけない初夏に季節が映っている。
そうして表現される時間経過を背負って、今回の本田未央の発言は軽さと親しみやすさの中に、思慮深さが混じったものに変化しています。
私物持ち込みの提案にしても、蘭子に対しての積極的なコンタクトにしても、プロジェクト全体を考え、それをより良い方向に持って行こうとする働きかけ。
二話では『探検』する対象だった美城プロダクションは、今回の私物持ち込みを経てCパートには『私達のお城』に変わっている。
勝手に盛り上がって、勝手に失望して仲間を振り回した本田未央は、過去に学んで己の背筋を正しつつも、彼女の強みである人間関係の視野の広さや、積極性を失うことなく人間的な成長を遂げているのです。

独特な世界観を持ち、それを共有することに困難を有している蘭子が今回のメインキャラクターなわけですが、本田さんのコンタクトの仕方はソフトかつパワフルなものです。
スケッチブックに興味を示しつつも、拒絶されれば中身を見ることはしなかったり、メンバーの中でいち早く蘭子の言語に接近し、別れるときに「やみのまー」と口に出していたりと、思い込みではなく等身大の個人を見て、的確に間合いを詰めるコミュニケーション強者っぷりが目立っていました。
前に出て良いタイミングと距離を間違えない天性の目の良さがあるからこそ、より近い間合いに滑り込み、身体=心に触っても拒絶されない特権をもぎ取れる。
結果として本田さんが女の子をペタペタ触りまくる、ボディコンタクトが非常に多い回となりましたが、仲良き事は美しき哉なのでガンガンやりなさい。

一度凹まされたことで、自分が陥りがちな失敗に自覚的になり、それでも自分らしさ、自分の強さを忘れずに積極的に前に出る彼女は、物語の牽引役としても、一キャラクターとしてもやっぱり魅力的です。
「やっぱプロデューサーは丁寧口調のほうがいいかも」という中盤の台詞は、蘭子の個性を否定しない結末を先取りして予言してもいるわけで、物語進行に寄与するキャラクターなんだなと感じますね。


無論今回の話は本田さんだけの話ではなく、デビューできない焦りを誰かにぶつけるのではなく、的確にコントロールできるようになった前川であるとか、七話の経験を踏まえ、プロデューサーが前に進むのを促している渋谷さんであるとか、過去を踏まえた成長の描写はそこかしこに見られました。
前川がアイドルに対して常に本気のクソ真面目女であるのは前々から描写されていたわけですが、今回の私物に対する発言で、彼女のプロ意識がスッキリ見えた感じもありますね。
前川は多田さんに辛辣なように見えて、このクソ真面目さから考えるとキツいこと言うのは心をひらいている証拠っぽい。

あと、『猫耳と語尾に『にゃ』は前川のギリギリっぷりバロメーター』という今までの演出を踏まえると、デビューというセンシティブな話題を出しつつも猫キャラ被ったままでいられる辺り、少しは余裕を演じられるようになってる感じです。
立ち位置も余裕のない最前線ではなく、真ん中辺りだったし。
いや、やっぱ声震えてたけどね……ホント前川クソ真面目でステキ。

今までの蓄積を活かしていたのはアナスタシアが顕著で、自身も言語コミュニケーションに難しさを抱えていたからこそ、悩める蘭子に一番最初に接触する役割を担っていました。
早い段階で周囲からの助力を見せることで、例えば六話で見せたような徹底的な下げではなく、一話でソフトに解決させる雰囲気を出す意味合いも、あのシーンにはあります。
寮生であるアナスタシアがコンタクトすることで、舞台を寮に移して今まで触っていなかった場所をズームアップできるという意味もあるでしょうし、あそこのシーンはかなり多義的だと感じました。
夕暮れ、信号、テールライト、パイロンに各種注意看板と、過剰なまでの赤をあそこで見せていることで今後の困難を予告し、Cパート頭の青信号の緑と対比させる演出も綺麗でしたね。

今回目立ってたのは、誰かの行動を誰かが真似するという、好意故の模倣。
未央の持ってきた携帯用扇風機を蘭子が使っていたり、莉嘉が未央と同じように宇宙人ごっこしてたり、パターゴルフを羨ましそうに見ていた多田がブタミントンに参加していたり、誰かの何かを羨ましく思い、同じ行動をとってみたくなる描写が多かったように思います。
これは春から初夏への時間経過とともに、模倣を望むほど近くなったメンバーの距離感を見せていて、切れ味鋭い演出だと感じました。

プロデューサーも七話までの頑なな態度を軟化させ、自分の考えを伝えようと努力し、不明なことがあれば自分一人で抱え込むのではなく、プロジェクトメンバーと一緒に解決しようとする態度を見せていました。
私物持ち込みの提案に対しても、建前を持ち出す前に各メンバーの意見を聞き、『一人一個ルール』という妥当なすり合わせポイントを出すという、よりバランスの良いコミュニケーションが可能に為っています。
ここら辺は本田さんが見せた成長と同じく、七話までの物語で犯した失敗をどれだけ反省し、二度同じ過ちは繰り返さない人間に変化したのか、しっかり見せる意味合いがあります。
七話まで(特に六話から七話中盤まで)の物語がかなりハードな上下運動の繰り返しであったのに対し、今回は所々に笑いどころを仕組み、『この人たちは大丈夫ですよ』というサインを大量に練り込んだ作りであったのは、第二章の始まりとして安心できる見せ方であったと思います。


さて、ここまで話したのはあくまで周辺についてであって、今回の中心軸はなんといっても神崎蘭子でしょう。
過剰にシャイな自分自身を守るべく、邪気眼中二病言語でしか他者とコミュニケーションを取れない彼女が、アイドルとして人間として、いかに自分をわかってもらうか。
簡単にまとめてしまえば、今回のテーマはこれになります。

(直接的関係ないんですけど、自身の憧れとファンの求めるイメージのためにゴシックな世界観を演出し続けているユリカ様と蘭子は、当然のことながら似て非なるキャラクターであります。
ゴシックな外面とシャイな内面という二面性は共通しつつも、アイカツ!第19話第20話とデレマス8話は全く異なる部分を問題視し、掘り下げ、克服していく。
その類似と相違はそれぞれ、キャラクターが抱える問題と、それが結線されているテーマをしっかり見据え、見事な手際で解決した証明なのかな、などと思いました)

今回蘭子は、一度も自分の言葉を崩さない。
解りやすい共通言語を覚える解決策よりも、周囲が歩み寄り相互理解していくためのヒントをどう出していくのかというところが、今回重点的に描かれるポイントです。

これはコミュニケーション困難の源泉である独自の世界観が、アイドルという個性重視の業種に於いて(ゲームを踏まえるなら既に、アニメだけを考えるならこれから)飛躍するための強力な武器であるから、というのが大きいと思います。
意味分かんない中二病言語を喋り、目立つゴスロリ服を着ていればこそ、アイドル神崎蘭子は強烈にキャラが立っているわけです。
エキセントリックなのはあくまで作りのキャラであり、普段はフツーに喋ってフツーの服着てフツーに意思疎通する小器用さは、前川の仕事ということかもしれません。

同時に彼女は脳髄まで中二病に侵された、現実認識の歪んだ人物というわけではなく、内面的には恥ずかしがり屋で仲間思いの子供です。
助力を申し出てくれたアナスタシアにも、自分を理解しようと骨を折ってくれるプロデューサーにも、蘭子は強い感謝を感じ、どうにか報いようと足掻いている。
しかし自分の言語を捨てて、ぶっちゃけた話ができるほど器用でも大人でもなく、このジレンマが話を牽引していくことになります。
PV撮影に被せるように、蘭子は特異な言語に翻訳される前の本心を喋っていますが、彼女の不器用ながら真摯な態度の見せ方や、内田真礼さんの可愛さ溢れる快演などの助けを借りて、視聴者は彼女の気持ちをしっかり感じている。
彼女が最後に見せた本心は、結末に辿り着いた視聴者へのサービスであり、同時に視聴者が感じていたことが間違いではないというサインでもあるのです。

ホラーやスプラッタは怖いからダメで、ハンバーグにケチャップかけて食べるのが大好きな蘭子は、相当子供っぽい。
私物として色鉛筆とノートを持ってきたみりあと、自分の世界を『闇の預言書』と銘打たれたスケッチブックに書き記し続ける蘭子は、精神年齢的に近しいのかもしれません。
だからこそ、みりあだけが蘭子の言葉を最初から理解する特権を持っているのかな?
あのオチは今回の話を笑い混じりに、ソフトに着陸させるだけではなく、今後蘭子の言語をみりあが通訳し、真意を伝えるのに手間取らないための下準備にも為っていて、巧いなぁと関心しました。


蘭子が自分の言葉を崩せない以上、そこに接近していくのはプロデューサーの仕事になります。
手製の辞書を片手に、何とか蘭子の言うことを分かろうとするプロデューサーは、相変わらず不器用で真面目で、有能で可愛らしい。
敬語を崩そうとギクシャクしたり、ハンバーグが好きだったり、話のトーンに合わせて今回のプロデューサーの描写は隙が多く、萌えキャラとしての才能を見せつけていました。

蘭子とプロデュサー、不器用同士が意志をつなごうとした場合、頼れる武器は二つしかありません。
その内の一つ、仲間との交流は今回たくさん描かれます。
蘭子もプロデューサーも頼れる仲間がいて、どうすればお互い歩み寄れるのか、正解を助言してくれる。
凛ちゃんの助言でプロデューサーは自作辞書を一旦閉じ、かな子のくれたマーブルチョコは二人の距離が縮まる重要な小道具になる。
シンデレラプロジェクトの十二人は、季節が移り変わり、より親密な距離を手に入れているのが判ります。

しかし結局のところぶつかり合い分かり合うのは当事者二人なので、噴水の前でのコミュニケーションにはもう一つの武器、真摯さを使うしか無い。
蘭子の世界を崩すこと、プロデューサーの真面目さを壊すことが正解ではないのは既に見せているので、このシーンはお互いの心の距離が付いたり離れたり激しく動き、演出もそれを強調します。
蘭子が最初に歩み寄り、プロデューサーがそれを受け入れた瞬間、街灯が付く。
『ハンバーグが好き』というゴシックな外面に反する内面に触られれば、境界線である噴水の向こう側に蘭子が逃げる。
プロデューサーも『ハンバーグが好き』という類似点を見せることで、境界線を跨いで再び、二人の距離が縮まる。
話がまとまれば空に二匹の鳥が飛び交い、夜のはずなのに夕方よりも光は強い。
モバマスアニメは画面に心理を仮託し、的確に表現すること非常に上手だと幾度も述べていますが、この噴水のシーンはその証拠のような、分かり易く見事なシーンです。

未央が見たがっても「禁忌に触れるな!」と見せなかったスケッチブックを、逡巡を乗り越えて蘭子が手渡し、その内容を真剣に受け取ったプロデューサーが「とても、大事な事だと思うのですが」という言葉を返すことで、不器用同士の心の交流は成功裏に終わります。
不安に思いつつも信頼して自分の秘密を預け、理解してもらった蘭子は身振りを交えてで中二病言語を加速させていきますが、この元気な様子はデビューが決まってテンション上がっている物語開始時と、実は同じです。
艱難辛苦を経て物語の起点に帰ってくる構図は、非常に基本的であるが故に、こう言うふうに丁寧に描くと強い安定感と安心を覚えますね。


七話までの第一章が終わり、ニュージェネレーションに傾いていた物語の重点が、他のキャラクターにも拡散する第二章。
その出だしとして、大きな満足を得られるお話だったと思います。
丁寧なストレスコントロールを繰り返し、一話でしっかり神崎蘭子の物語が完結するよう、綿密な計算がなされたお話は、ニュージェネレーションの破綻と帰還というヘヴィなブロウを直前に食らっている分、柔らかく心地よいものでした。
単独のお話としても、シリーズ全体の相互作用としても、楽しく、嬉しく、面白い第二章開幕でした。
はー……蘭子可愛かったなぁホント……。

 

 


アイドルマスターシンデレラガールズ:第9話『“Sweet” is a magical word to make you happy!』
モバマスアニメ第二章、個人回ラッシュの二回目は愉快な凸凹コンビことCANDY ISLANDのユニット回でした。
ユニット発足までの出会いや研鑽に重点が置かれていた今までの流れに比べて、オープニング時点でユニットは結成されてたり、アイドルバラエティー本番という勝負の場がメインになったり、かなり毛色の違うお話。
アイドルバラエティーをよく研究した展開に、ファンサービスをてんこ盛りにして、杏と智絵里を掘り下げる展開になっていました。


今回のエピソードは半劇中劇、半バックステージという感じのバランスで作られており、キャラクターたちがあの世界の中で出演する番組を流して没入を促しつつ、結成間もないユニットが関係を深めていく様子を追いかける構成。
番組部分の作りは現実の女性アイドルバラエティー(特に『AKBINGO!』)を研究した作りで、推しが出てこない限りあまりの低俗さに血管切れそうになる感じが、非常に良く出来てました。
徹底してセックスのメタファーと、失敗を笑う姿勢が盛り込まれ続ける過剰な感じは、女性アイドルを切り取る視線の中でも非常に強力なモノなので、此処にタッチするとアイドルフィクションは生々しくなると思います。
バラエティの笑い(というか笑い自体)がふんだんに差別を扱っているので、『アイドルを性商品として切り取る視点』『アイドルが失敗し無様な姿を晒すことを笑い飛ばす視点』を盛り込むことは、リアリティと生臭さを同時に取り込む、扱いの難しいネタです。

この『アイドルを性商品として切り取る視点』『アイドルが失敗し無様な姿を晒すことを笑い飛ばす視点』は、このアニメの前作に当たる無印アイマス第4話『自分を変えるということ』でも丁寧に埋め込まれていて、カメラは春香のスカートを執拗に追いかけ続けます。
あのエピソードでは、カメラに埋め込まれたセクシズムと、仲間と自分に浴びせられる嘲笑に千早が反発して場が凍りつくシーン(「何が面白いんですか?」)と、仲間の手助けを得て、アイドルという存在に必然的に向けられる、下向きで薄暗い視線にある程度の適応を示すシーン(「と、取ったゲロー!」)が描かれてました。
これを見た時に自分は『このアニメはアイドルというものを高くて綺麗なものとして描きつつも、それを貶めて悦に入りたい薄暗い欲望を切り捨ててもいなくて、なかなかしっかりしたアニメだな』と感じたものです。

あの時スタジオを律していた司会者と同じカエルの意匠を、プロデューサーに再演させていることからも、今回のお話はあのエピソードに対する目配せが、結構盛り込まれていると思います。
とは言うものの、モバマスアイマスは別のアニメですし、今回の番組は『ゲロゲロキッチン』では勿論無い。
『自分を変えるということ』で千早が反発し適応することで成長を見せたセクシズムと差別は、今回話の中心に据えられているわけではなく、『アイドルバラエティーっぽさ』を出すためのスパイスとして、的確に触られる程度です。
作品世界が宿すべきちょっとした生っぽさとして、苦い液体を飲み込んでえづく少女のアップだとか、ショートパンツから伸びる白い足だとか、『アイドルバラエティーっぽい』絵をしっかり撮り、見せる。
それにより、三次元でも二次元でもアイドルという存在が(女性という存在が、かも知れないですけど)常時晒されている無意識的で、それ故暴力的な視線がこの世界にももちろん存在しているのだと、暗に知らせる使い方が、今回はされていました。
例えばWake Up, Girls!第2話『ステージを踏む少女たち』では、この視線に過度に踏み込むことで、過剰な生々しさと、夢のお話を展開するには致死量の嫌な感じを生んでいました。
そう言う例を鑑みると、今回のスパイス的な扱いは、必要なだけのリアリティを劇中劇に持ち込みつつ、それに引っ張られすぎない丁寧な立ち回りだったと思います。


今回の話で一番目立っていたのは、シンデレラプロジェクトのジョーカー、『働きたくないアイドル』双葉杏です。
彼女はスタジオに立ち込めるセクシズムと差別の視線を、圧倒的なアイドルへの適正と能力で泳ぎきり、初めてのTV仕事に溺れそうになるユニットの仲間を救いすらします。
アイドルに求められる笑顔と愛嬌を常時振りまき、私服ファッションショーでは『働きたくないアイドル』という素の自分を電波に乗せることで今後のキャラクターを確定させ、負けること前提で陰鬱になっているユニットの発送を逆転させ、アップダウンクイズでは持ち前の知性で状況を好転させ、罰ゲームのバンジーも自分で飛んでしまう。
今回杏が見せた『アイドル世界の泳ぎ方』は圧倒的にスマートであり、これまでの描写でははっきり見えなかったプロジェクトメンバーへの愛着もはっきり感じられました。
スタジオに満ち溢れている下向きの視線は、作中世界のリアリティを製造するだけではなく、ねっとりと絡みつくプレッシャーを華麗に交わし、状況をどんどん好転させていく杏の姿を、より輝かせる仕事もしているわけです。
今まできらりに支えられ、怠ける姿をメインで捉え続けられた彼女への印象を、綺麗に反転させる見事な一手です。
この印象は視聴者だけではなく、作中のアイドルファン達にも刺さるもののはずなので、今後CIが躍進しても納得できる下地になっているのが、なかなか巧妙なところですね。

杏が華麗な泳ぎ方でCIを牽引する中、緒方智絵里は彼女にぶら下がりつつ、這い上がる姿を見せていました。
とにかく自分に自信がなく、バンジージャンプのことを考えると立ちくらみを起こしてしまう彼女は、プロデューサーの「笑顔で、出来ますか」という問いに、すぐにイエスとは言えない。(『アイドルと笑顔』はプロデューサーが幾度も言っていることで、彼にとって重要な要素なんだなと判りますね)
しかし5話で前川みくに「私もこのままは嫌だなって思ったよ」と語りかけたように、共感を示す能力に長けたかな子が今回も手を差し伸べ、自信がないままなんとか立ち向かおうという意志を見せます。
この楽屋のシーンは、CIに漂ってたネガティブな空気を反転させるシーン、上向きのベクトルを発生させ勝ちムードを漂わせる起点であり、番組OPの挨拶のようにバラバラだったCIがひとつになるシーンでもあります。
このシーンがあるからこそ、杏が落ちかけた時智絵里が手を差し伸べ、白詰草というクイズの答えにたどり着き、アピールタイムで一つに揃った挨拶をこなす説得力、成長と融和のカタルシスが生まれています。

(『杏は白詰草を本当に知らなかったのか?』というのは答えが出ない問で、智絵里を信頼してトスを上げたようにも取れるし、歴史は天才児でも専門外だったとも受け取れる描写に為っています。
モバマスアニメは過剰な情報を映像の中に埋め込み、それを視聴者が発掘していくことで深く没入していく仕掛けをあらゆるシーンに張り巡らせていますが、この描写もその一つだと思います。
過剰な謎を埋め込み消費者に自問自答させることで自発的な物語生成を促し、どんどん深みにハマらせる手筋は例えばプロレスだとか、もしくは三次元のアイドルでも多用される手法で、此処らへんの重ね合わせが個人的には面白いところです。
なお、僕個人の回答は『知ってたけど智絵里にトス上げした』です。
ソッチの方が杏ちゃんの株が上がるし、ホッコリするからね。)

高いところで周りを引っ張る杏と、低いところから這い上がった智絵里に比べると、かな子はあまり目立っていない印象も受けます。
ただ、他者に対する高い共感性を持ち、それを表明する勇気も持っているという特性は、例えば5話でも描写されているかな子の明確な美点で、それが智絵里を引っ張りあげるファインプレーにつながっています。
三人組でお話を回転させる時、『良い子・悪い子・普通の子』という古典的類型は非常に有効であり、『普通の子』は自動的に目立てない、ということなのかもしれません。


三人組といえば、第一章で主役を貼っていたニュージェネレーションは、第二章では傍観者的立ち位置にいます。
自然、積極的で物語を牽引しやすい本田さんが目立つ展開になるのですが、今回はちょっとボール持ち過ぎかなぁ、などとも思いました。
感想で幾度も述べているように、物語の進行に強く寄与している本田さんのことを僕は好きですし、評価もしているんですが、もうちょっと他の二人にもセリフまわしていいかも、と今回は感じました。

「爪痕残した」というドルヲタ的言語選択から見て取れるように、本田さんはアイドルに親しみ知識も多い、解説役を担当しやすいキャラです。
しかしそれは島村さんも同じはずで、二話でそうだったようにアイドル関係の知識を島村さんから描写したりしても良かったかなぁ、と感じました。
八話で見せた『凛ちゃんの馬の蹄鉄ウンチク』みたいな感じで、巧く発話機会を取り回せると、見せ場が分散して個人的な好みには合います。(ここら辺、有限の時間を巧く分配して全体の満足度向上を目指す、TRPGという遊びを好んでる資質が反映してるかも)
アイドルバラエティーにおいて何が正解で、何が失敗なのかという基準点は本田さんのリアクション一本にかかっているので、絶対必要な立場ではあるのですが。


個人的な気がかりの話を続けると、今回杏の躍進の陰画として目立っていたのは、諸星きらりの不在だと思います。
今までずっと一緒だと描写され、ともすれば集団から浮きがちな杏の特性を、プロジェクトに馴染ませる役割をになっていたきらりが、今回はいない。
これはきらりという巨大な庇護者を外すことで、『働きたくないアイドル』双葉杏が気弱な智絵里と頼りないかな子に挟まれる状況を作り、自発的に動かざるをえない状況を作る目的があったと思います。
結果として彼女のもう一つの特性『働く時はすごい切れ味で働くアイドル』が浮き彫りになり、仲間への責任感や愛情をしっかり持っている子なのだということも、視聴者に届いた。
あんきらの切断という選択は、今までイマイチ物語的存在価値がわかりにくかった双葉杏の株が、ぐんと上がる妙手だったわけです。

しかし、その姿は今まで見せていた『きらりにいつも寄りかかっている杏』というイメージと大きく異なります。
『きらりがいなくても華麗に泳げる双葉杏』という今回のイメージは、自動的に『双葉杏がいなくても、諸星きらりは立っていられるのか』という疑問を生み出す。
そして、今回諸星きらりは一度も画面に映りません。
今回意図的に演出された杏の反転が、今回描かれなかったきらりの姿への興味に繋がってるライン取りは、なかなか面白いと思います。
まぁ僕が個人的にきらりのことスッゲー好きだってのもありますけどね。
あの子いっつも後ろに控えて、誰かが道から外れそうだったらさらっと手を引いて、自分の力で立てそうになったらまた後ろに戻るんよ。
そう言う優しさってなかなか出来ることではないし、なんとか生き延びていく上でとても大事だと思うんよ。

僕のキャラ萌えはさておき、今まで掘り下げられなかったCIのメンバー、特に双葉杏の鮮烈な掘り下げをするだけではなく、今まで積み上げられたコンビ打ちを崩すことで次回以降への興味もかきたてる、見事な手腕でした。
過剰な読みによる妄想かもしれないですが、それは次回以降のこのアニメを追いかけることで、答えの出ることでしょう。
アイドルマスターシンデレラガールズ、のめり込まされるアニメです。

 

 

アイドルマスターシンデレラガールズ:第10話『Our world is full of joy』
シンデレラプロジェクト第五の刺客、原宿に爆誕!!
というわけで、17歳と13歳と11歳のユニット、凸レーションの個別回でした。
セイクリッドセブン第8話『マゴコロを込めて』、アイカツ!第79話『Yes! ベストパートナー』を担当し、デート脚本を書かせたらこの人と俺の脳内で決定している綾奈ゆにこ脚本による、ハッピーハードコアなお話。
いやー、ゆにこには参るね……(何度目かの感嘆)

 

今回も第9話と同じく、ユニットは既にデビューしていて、アイドル本番の真っ最中に何かを掴んでいく展開です。
既にデビュー済みという始まり方は、結成までの時間を飛ばすことで、開いた時間を別の事柄に回すことが出来る強みがあります。
第9話はその時間をKBYDを第二の主役ユニットとして扱い、かなりの尺を取ることでファンサービスを果たし、アイドルバラエティーを生っぽく描写することで、世界観の肌理を細かくしていました。

今回のお話はあくまで凸レーションにクローズアップした作りで、開始10分間の順当な流れの中で圧倒的な多幸感を、後半10分の波瀾万丈なすれ違いでアイドルユニットとしての強みと、幸せなだけではないキャラクターの掘り下げを、それぞれ見せていました。
凸レーションはその名前の通り、年長者であり人格者でもあるきらりが出っ張り、子供チームの背中を見守るのが、基本的なシフトです。
子供チームの中にも役割分担はあって、13歳の美嘉はとにかく色恋ネタに引っ張りたがるおませさん、11歳のみりあちゃんは純朴で素直な子供と、ユニット内部での立ち位置はかなりクッキリしています。
いや、みりあちゃんはイノセンスなだけじゃなくてスナップスカウト相手にイタズラしたり、クレープを「美味い匂いがする!」ってワイルドな表現したり、元気なところもあるわけですけどね。
そこも好きです僕は!(急な主張)

この基本シフトを手短に見せているのがアバンでして、美嘉が茶化し、みりあちゃんは判っておらず、きらりは乗っかったり訂正したりして全体の流れを調整するという、凸レーションの基本的な立ち位置が既に見て取れます。
このキャラクターの基本スタンスは、今までの物語の中でも細かく描写されていたものであり、過去の資産を活かし、そのキャラクター『らしい』シーンをたくさん入れることで、安心感と多幸感が生まれてきます。
『僕の好きな子たちが、僕の好きな部分をどんどん出してくれる』というのは、とても幸せな気分になるものです。

OPが挟まって原宿にやって来た後のシーンも、凸レーションの基本スタンスは崩れること無く、『らしい』シーンがどんどん出てきます。
莉嘉は元気で、みりあちゃんは健気で、きらりは優しくて賢い。
妹が好きすぎて仕事に支障をきたすレベルの姉も加わって、仲良しで幸せな空気が醸造されていく、波風の少ないシーンです。

キャラクターが常時笑顔なこと、「かわいー」「かわいー」と言い続ける観客の声、ヴィヴィッドな色彩に染め上げられたPikaPikaPopの服、みりあちゃんの言葉を借りれば「大きなお菓子」のような、原宿という街そのもの。
『らしさ』を見せるこのパートは、多幸感をブーストするアイテムに満ちあふれています。
幸せを意味するフェティッシュで画面を埋め尽くし、演出のラインを統一する絵造りは、このアニメ全体の強力な武器ですね。
全体のトーンだけではなく、城ヶ崎姉妹の携帯にぶら下がるお互いのストラップ(姉妹愛の象徴)だとか、みんなで楽しく食べるクレープだとか、単品で強い印象を与えるアイテムもバンバン写す。
映像全体に宿らせたムードと、わかり易く刺さるフェティッシュの併用は、スタッフが与えたい印象を視聴者に感じさせることに成功していて、とても良いと思います。


その上で、この先の展開につながるシーンを抜け目なく入れ込んでいるのも、今回のお話が優れているポイントです。
まず、『らしさ』の強調は多幸感をブーストするだけではなく、『らしさ』が失われる瞬間、『らしくない』ことをするギャップをも強調するための布石です。
『らしくない』ことをするとキャラクターの意外な側面が強調され、多角的な描写が可能になるというのは、例えば第3話でムードメーカー本田未央が凹まされ、クールな渋谷凛がNGを引っ張った時を考えると分かり易いと思います。
これと同じ展開が後半にあるので、前半で凸レーションそれぞれの『らしい』行動とはなにかを、しっかり見せることが必要なわけです。

二つ目に、今回のお話は赤城みりあ城ヶ崎莉嘉諸星きらりそれぞれのキャラクターを描写するだけではなく、凸レーションというアイドルユニットが、何故愛されるのか、何故これから成功するのか、その説得力を出す回でもあります。
答を出すためには問わなければいけないので、バックステージから移動車にかけて、プロデューサーが『客を巻き込むためには、どうしたらいいのか』という問題意識を、凸レーションに投げかけます。

これを言っておくことで、後半の原宿大移動とその解決が、ただ『みんなが混乱し、迷子になったが平和に解決できた』という狭い現象ではなく、『凸レーションは決断力と華と言う武器を持ち、ステージからの広い視野を持っている』という、ユニットとしての強みを説明するシーンにもなっているわけです。
その片鱗は、クレープを食べたあと莉嘉が「お客さんに、どんなクレープが好きか聞くとか?」という台詞にも見えます。
『クレープの原宿』という立地を観客と共有し、共感されやすいエピソードをMCの中に入れ込むことで距離を縮めるテクニックを、莉嘉は無意識のうちに掴んでいるわけです。
とても幸福で平穏無事なシーンの中に、後半の波乱の中で生きる要素を埋め込み、お話の展開をスムーズに流させる手腕は、とても優れていると思います。

 

今回のお話が凸レーションメインで回っているとはいえ、三人以外のキャラ描写も貪欲に行われます。
今回の主なサブアクターはプロデューサーと美嘉、千川ちひろ、特別待遇な蘭子といった所。
そのうちプロデューサーと美嘉は後半の混乱の中で動揺し、敏腕プロデューサーと頼れる先輩アイドルという『らしい』立場から外れた行動を取ります。
二人は今までのお話の中でも重要な役割を担っていて、プロデューサーに至ってはその不器用さでいくども失敗して、『らしくない』部分も彼の一部だという共通認識が出来ているので、正確にはもう一つの『らしさ』を見せる、と言ったほうがいいでしょうか。

ともかく、前半と後半では違う行動を取る立場なので、平穏無事に進む前半において、彼らは『らしい』行動を取ります。
つまりビシッと細かい指摘が出せるデキる先輩と、より良いステージのためにしっかりとした提案が可能で、ユニットを輝かせるための明確なヴィジョンを持っているプロデューサーとして掛け合う。
ここで背筋の伸びた姿を一回見せておくことで、後半の動揺した情けない姿が映えるわけです。

更に言うと、前半で凸レーションに指導的な立場を取っていた二人と切り離されることで、凸レーションは独力での解決を余儀なくされます。
三人で辿り着いた解決法により混乱は解消し、ステージは一回目よりも大きな成功をおさめる。
二人の年長者の指導的なシーンを入れることで、後半彼らを乗り越え独自の解決法を編み出す凸レーションの成功の大きさが、よりはっきり見えますね。


『らしくない』姿というと、今まで真面目一辺倒だったプロデューサーの変化も、多数描写されていました。
砕けた態度で莉嘉にイジられる姿は、7話で「あの人何考えてるか分かんないんだもん」と言われていたことを考えると、大きな変化です。
7話での波乱を乗り越え、『アイドルを運ぶ車輪』というネガティブなプロデューサー『らしさ』も、徐々に変化しているということでしょうか。

過去話との対比で言えば、2話では集合写真をキッパリと断っていたプロデューサーも、クレープを勧められ、笑顔の写真を取られと、アイドルとのプライベートな距離感が生まれていました。
『変則的ギャルゲーのアニメ化』というジャンル的な要素を鑑みなくても、無骨で誠実な男が変化していく様子は、見ていて楽しいものです。
まぁあんだけ良い子達がいたら、俺だってモテたいわけで、何が言いたいかというともっとプロデューサーのモテシーン来いッ!! ってことです。


お話を安全無事に着陸させるために頼れる大人の位置から動かないちひろさん、賑やかしのはずなのに妙に描写が冴え渡ってた蘭子は、混乱が始まってからの登場になります。
担当アイドルが大事過ぎてテンパったことを言うプロデューサーを制し、お話が収まるべきところに収まるために必要な行動を取るちひろさんは、頼れる『らしい』行動を取るのが今回のお仕事。
『らしくない』ちひろさんを見るためには、また別の機会が必要なのでしょう。
……ちひろさん『らしさ』があの逆光背負っての助け舟だとしたら、ただの『頼れる大人』とはまた違うキャラってことなのかなぁ……。

蘭子に関しては、8話の個別回を受けてシンデレラプロジェクトに馴染んできた様子が、色々と見て取れました。
特にプロデューサーには尻尾ブンブン振ってるのが見えて、『これじゃ、蘭子じゃなくてワンコじゃん』っていう感想を持ちました。(ダジャレマンNEO爆誕)
PikaPikaPopの服気に入ったのか、ずっと着てるし、可愛いなぁ。
凸レーションのモノマネネタになるくらい、蘭子の個性がプロジェクトに浸透している様子も見て取れて、こういう変化を細かく見せてくれるとキャラクターたちの変化を感じられ、嬉しい限りですね。

 

脳髄が溶けて流れ出そうなくらいの多幸感で進んできたお話は、『Orange Sapphire』が終わると同時に雲行きが怪しくなり、雪崩れるように不穏な展開に突き進んでいきます。
通行人の一言を意識して距離を置いた結果、盗撮と間違えられてポリスに連行→スナップ雑誌記者をからかうのに夢中で気づかない→聴取中なので電話が取れない……と、ドミノを倒すように事態は悪化し、混乱の度合いを深めていく。

このシーンは平穏を打ち破って『らしくない』部分を見せるセッティングであり、同時に『起きてほしくないことを起こす』というサスペンスの基本に則って、視聴者の心拍数を上げに行くシーンでもあります。
なので、とりあえず底を打つまで、事態はゴロロと低い方に転がっていく。
ブレない大人として解決の鍵を握っているちひろさんに、最初は電話が通じない所が巧い。
すれ違いシチュエーションを現代劇でやる時は、どう情報通信機器を無力化するかが重要だなぁと、莉嘉の携帯が壊れるシーンで思いました。


どんどん悪くなっていく状況の中でも、きらりは年少組を不安にさせないよう気丈に振る舞っています。
年少組が失敗(とは言うものの、丁寧にストレスはコントロールされていて、『まぁしょうがない』と思える失敗に落ち着いているのは流石)を告白するたび、即座にハグして不安を取り除いたり、『ここは自分の庭だからすぐ見つかる』『スーツの人はみんなプロデューサーに見えるものだから、しょうがない』と安心させる言葉をかけていて、優しくて頼れる人なのだと判る。
ここら辺は、前々から孤立してる子に必ず声をかけていた面倒見の良さの延長であり、『らしい』部分です。

(……『スーツの人はみんなプロデューサーに見える』は、ちょっとPちゃん好き過ぎじゃねぇかなぁ。
もしクレープをプロデューサーが齧っていた場合、その後は間接キスになる。
真っ先にクレープあーんを言い出したきらりは、かなりアクティブにタクティカルにプロデューサーに迫っている疑惑が……?
素晴らしい、もっと行こう)

さておき、不安な迷子タイムもきらりの頑張りでハッピーな常態を維持できていた凸レーションですが、ついに限界が来ます。
莉嘉の靴擦れにきらりが気づき、『いつも元気にハッピーに出っ張って、ユニットを支えるお姉さん』という立ち位置から降りることで、凸レーションは今まで見せていた多幸性、凸レーション『らしさ』からドロップしかかってしまうわけです。
気丈な態度が折れかかるのが、自分のミスではなく他人の傷であるところに、きらりの精神性が垣間見れます。


ここで、今まで支えられ自由に遊ばせてもらっている立場だった年少組と、支え遊ばせる側だったきらりとの立場が逆転します。
年長者として『らしい』態度を取ってきたきらりは、失敗を認めてもらい、身体的接触(きらり→年少組の場合はハグ、年少組→きらりの場合は頭を撫でる)で安心を得、「大丈夫だよ」と言って貰える子供の立場、『らしくない』位置に下がります。
反対に年少組はきらりが今まで担当していた、庇護し見守りやるべきことを教えてくれる大人の立場、つまり『らしくない』位置に上がるわけです。

位置が入れ替わることで何が見えるかというと、一つはユニットとしての凸レーションの柔軟性と堅牢さです。
『リーダーにしてムードメーカーであるきらりが沈めば、みな為す術なく沈む』という柔弱な関係性ではなく、きらりが凹んだ時は他の二人が前にでて、凸レーションらしさを維持していく余裕があるユニットなのだということが、このやり取り(というか今回のエピソード全体)から見て取れます。
この即応性は未央が沈んで凛が引っ張った3話のNGに似ていますし、未央が沈んだら凛も沈んでしまった7話前半のNGとは対比的ですね。
お互いがお互いを支えあい前進するラブライカや、杏の天才性で道を進んでいくCIとは、また別の形かな?

もう一つは、三人がより人間的な複雑さを持ったキャラクターだということが見えます。
きらりは血を流さない天使でも、どんな時でも問題を笑顔で解決できる物語装置でもなく、心が沈む時もあれば、失敗することだってある。
美嘉は思春期全開で大暴れして、沢山いる姉(美嘉、前川、きらり……)にフォローしてもらうだけではなく、ピンチに負けない心の強さと、前に出る積極性を持っている。
みりあちゃんだって、聞き分けのいい子というだけではなく、6歳上で45センチも背が高い女の子でも、傷ついていたなら手を差し伸べられるという、成熟した面を見せた。
このような多面性を見せることで、キャラクターはより魅力的に、より"リアル"に、視聴者に接近し、より好かれていくわけです。

この様に『らしい』面と『らしくない』面をしっかり見せることで、ユニットとキャラクター、その核にある部分と、それに反しながらもそれを支える多角的な要素が、両方浮かび上がってくるわけです。
そのためには、『らしさ』を的確に伝えることで何が『らしくない』のか、視聴者に伝えなければなりません。
デレアニはちょっとしたシーンでキャラクターの要素を見せることが巧いアニメなのですが、やはりカメラの真ん中に主役として座る今回こそ、『らしさ』と『らしくなさ』を見せる重要なチャンスになります。
前半のハードコアにハッピーな空気と、後半発生する混乱のドミノ倒しは、『キャラクターの魅力を掘り下げる』というエピソードの狙いを支える両輪なのです。


凸が凹になりかけるピンチを無事乗り切った後、みりあちゃんの提案で莉嘉をきらりが抱っこすることになります。
ここのやり取りは後の『原宿ブレーメン音楽隊』(莉嘉ONきらり状態の呼称。俺考案)、つまりは『アイドルユニットとしての、凸レーションの強さ』に繋がる描写であり、同時に抱っこを恥ずかしがる莉嘉と、きらりにしか出来ないことを素直に考えたみりあの年齢差が出るシーンでもあります。
まぁ毎日杏ちゃんぶら下げてるし重たいキグルミも着てるからね、抱っこくらい片手で余裕だよね。

『原宿ブレーメン音楽隊』による客の引き込みは、前半でプロデューサーが投げかけていた疑問に独力で回答するシーンであり、とにかく客の目を引く華と牽引力、行動力が凸レーションの強さなんだと説明するシーンでもあります。
一回目のステージでのさらっとした説明でもそうなんですが、きらりのコンプレックスになっている長身を武器に変え、莉嘉ONきらりで目立ちまくることが、プロデューサーが三人に合流し、話が収まっていく起因になるのは、本当に素晴らしい。
『覚悟を決めれば、欠点こそが長所になる』と言う描写は、8話の蘭子、9話の杏と智絵里にも通じるこのアニメ全体の世界律なのでしょう。

二度目のステージでも凸レーション(というか莉嘉)は、アイドルとしての強さを発揮しています。
MCで「ちょっとトラブルがあって~」と匂わせておいて、「トラブルって?」「何々~?」という反応を引き出し、「な~いしょ!」で切り上げて観客を煽るやり取りのセンスは、『どうやって客を巻き込むのか』という今回の課題に追加点を加える、切れ味鋭いやり取りです。
今は子供っぽい憧れが先行している(性的な意味も含めた)仄めかしの話術が、近いうちに大きな武器になると予感させる描写で、キャラ記号とのかみ合わせがとても良いと感じました。
私服で被っていたのも、姉とお揃いの小悪魔ハットだったしな!

更にいうと、この後の「どんな時でも、バッチシ笑顔で、ハッピーハッピー元気」という言葉は、『凸レーションはどんなアイドルユニットなのか』という疑問の端的な答えになっていて、エピソード全体で手に入れたものを短勁に示している言葉でもあります。
今後凸レーションと、彼女たちが所属するプロジェクトが飛躍する理由は、『素敵なことが逃げないように、いつでも笑顔でいられる』ユニットだからだと、今回のエピソードで示されているのです。
そう言うふうに、作中での価値が明確に示され、共有しやすい形になっていることは、作品としてとても強いと思います。

 

キャラクターたちの『らしさ』を見せ、困難に投げ込むことで『らしくなさ』が活きる状況を作り、そこで得た成長が何であるかをはっきり見せる。
3つの目的を完璧にこなしたお話は、『グッズ完売』という成果と、三人の飛び切りの笑顔(≒前半で幾度も描写されていた、凸レーションが持つ多幸感の源泉、『らしさ』)を写して終わります。
混乱に対する謝罪がオフで入っているのは、5話で前川が起こした騒動の処理方法と同じで、手間を取らず後を引かずに反感を削っていく、巧妙な手腕ですね。

ユニットとしての凸レーション、それを構成する三人、大人のようで子供なPちゃんと美嘉、頼れる千川ちひろと、多数のキャラクターに光を当てた、見事なエピソードであったと思います。
このアニメがアイドルアニメである以上、『こいつらのステージに行くと、どういうことが楽しいのか』を具体的に感じさせるのは大事だと思うのですが、すれ違いと混乱の中で手に入れた成果で、ステージを爆発させる展開は、それに十分答えていたと思います。

素晴らしいお話でした。
いやー、ゆにこには参るね……(天丼でフィニッシュ)

追記
先週に気にしていた『双葉杏諸星きらりから離れてアイドル出来たが、諸星きらり双葉杏不在でアイドル出来るのか』問題に関しては、一切問題なくっつーかパーフェクトお姉ちゃん+お姉ちゃんがやっつけられたら私達が出る!! ステージ上のキングコング妹!!! なコンビであり何も心配いらなかった。
そらー聖人きらりと、元気で素直な子供二人だもん、上手く行くわな。
逆に言うと、安定してるコンビで閉じさせないで、新しい可能性に挑むことで個別のポテンシャルが引き出されてる(絡んだキャラクターの魅力も引き出している)わけで、やっぱすげーわモバマスアニメ。

 

 

アイドルマスターシンデレラガールズ:第11話『Can you hear my voice from the heart?』
01)はじめに
シンデレラプロジェクト個別ユニット、最後の核弾頭『*』、アイドル戦国時代にただ今着弾!! と言う塩梅の、前川&多田が仲良く喧嘩しつつ心の友になるまでのお話でした。
1~7話がNGのデビュー直前・直後、8話が蘭子のデビュー前、9話がCIのデビュー後、10話が凸のデビュー後という並びの中で、なかなかデビューできない二人の焦燥なども描きつつ、ユニットとして人間として何処に落ち着きどころを見つけるかを、丁寧に描いてくれました。
CPは相手の顔色をしっかり見て、落ち着いて受け止める子が多いので、今回のようにぶつかり合うのは、なかなか新鮮でした。
ラブライカという百合業界震撼のユニットを発掘したり、あんきらを解体し新たな魅力を引き出した9・10話の見せ方だったり、デレアニの『新しい組み合わせの魅力引っ張り上げ力』は凄まじいですね。


02)通時的な感想
24分という時間の使い方が回ごとに異なるのがデレアニの大きな特徴ですが、今回は徹底的に前川みく多田李衣菜のお話であり、時間の殆どはこの二人に使われます。
しかしながら、二人の間に起きた変化は、実はそこまで大きくない。
アバンでも、いがみ合っているように見えてお互い向い合い、相手の中に入って行きたいという欲求が既に見て取れるわけです。
これがお互い背中を向け、無視しあっているような関係から変化していくのであれば、その変化量は劇的かつ大きい。
しかし今回のお話は、お互い向かい合っているのにすれ違っていく、分かり合いたいのに素直になれない。
そういう微妙な関係性からどう変化していくかという、小さく細やかな心の動きを徹底的にクローズアップするお話なのです。

まず前提として、前川みく多田李衣菜のロックを、多田李衣菜前川みく猫耳を、それぞれ認めないところから始まります。
「ロックなんてお断りにゃ~!」と絶叫し、お互い背中を向けるシーンを見れば、お互い譲りあい尊重しあう大人の関係なぞ、望むまでもないというのは、一目瞭然です。
同時にこのアニメでは、『譲ることの出来ない個性を活かすことで、プロジェクト内部の関係も、アイドルの活動もより良くなっていく』ということが何度も描写されており、『猫耳』も『ロック』も簡単に譲ってしまってはいけないものだというのは、既に了解されている。
簡単には譲れないものを、どう譲っていくのかが今回の話しの軸であり、譲れないものを譲ることの難しさと貴重さを描くために、ほぼ全ての時間が使われるわけです。

ぎゃんぎゃん喧嘩しながら始まる*の物語ですが、同時に彼女たちが似たもの同士だということも、早い段階から見せています。
CP内部でも自分の意見をはっきり言える方であり、反発する相手と一緒でも仕事はしっかりやり通す真面目さ。
後の合宿展開ではこうして見せられた共通点を足がかりに、二人の心が距離を縮めていく過程が描かれるので、バチバチしつつも似たもの同士という相反を、キャンディのプロモーションで見せているのは流石です。
表情や動きがシンクロするシーンが多いのも、二人が根っこの部分では似たもの同士であり、かつ歩み寄りを望んでいることをコミカルに暗示していて、巧い演出ですね。


アイドルフェスという具体的なリミットが切られ、どんどん切実さが増していく二人ですが、根本的な解決法にまだ気づいていないので、事態は好転しません。
ここで『女と女はなー、寝りゃ仲良くなんだよ寝りゃぁ!!』と言い出す莉嘉のロックさは凄いことになってますが、同時に第9話で見せた彼女のストロングポイント、正解を引っ張りだす直感力の強さが見えるシーンでもあります。
結果として合宿をすることで二人はお互いをよく知り、何処で譲って何を大事にすればいいのか見えてくるわけで、『原宿ブレーメン音楽隊』といい、莉嘉はホント間違えねぇな。

生活を共にしながら、まずは差異点を確認していく二人。
目玉焼きにソースをかけ、朝はしっかり起き、夕飯は30品目用意するクソ真面目前川と、他人の家に画鋲でポスターぶっ刺して気にかけることもねぇロックンローラー多田。
『まぁ合わねぇわ』という気持ちを共有できる、いい畳み掛けです。
今回パパっと時間を飛ばし、高速でカットが切り替わるシーンが何個かあって、コメディに必要な歯切れの良さを生んでますね。

差異点を見せたら今度は共通点を見せる番ですので、先輩アイドルとの絡みで梨衣名がミーハーである所だとか、緊張するオーディションで励まして気を使ってもらったり、今まで知ろうとしなかった側面が、二人の中に入っていく。
その結果梨衣名はカレイの煮付けで、前川はミントキャンディで距離を詰めようとするものの、それはすれ違ってしまう。
ここの上げ下げは細かい付いたり離れたりを繰り返し、複雑に揺れる間柄を丁寧に見せるシーンで、凄くのめり込むし、気持ちがいいし、良く出来ている名シーンだと思います。
お話の構造的にも、ここで成功の予感をさせておいて一回外すことで、終盤の大成功のカタルシスが上がっているわけで、重要なシーンです。


『離れた両親』という大きな共通項で心をつないだ後は、大きな開放感のために大きな圧力を掛けるシーンになります。
プロデューサーに持ち込まれた歌の仕事を、準備も整っていないのに前川が独断専行して受けます。
仕事を受けてから歌詞を仕上げると決意するまでのシーンは、このアニメの十八番であるライティングによる緊張感が有効に使われ、『此処でで強い圧力がかかっている』と言うメッセージが、視聴者に的確に伝達されています。
前川もにゃ語尾無くなってるしな! 緊張するとこの子はいつもこうだよ!! 可愛い!!!

5話を見ても解る通り、アイドルに対する強い期待があればこそ焦り、先走る前川みくという女の子。
他方、梨衣名は何処か余裕があるというか、あくまで自分を守ったまま事態を解決したい気持ちがどこかにあるように見えます。
此処の差が、目の前のチャンスに準備不足でも飛びつく/飛びつかないという差に繋がっている。

焦りつつもスジを曲げられないのが前川という女なので、自分が死ぬほどデビューしたいのを置いておいて、上手く行かなかった場合の単独デビューを梨衣名に譲るという条件を提示して、独断専行のツケを払う形にします。
カレイの煮付けで見えたように、軽いように見えて責任感があり、他人を慮る優しさも持つ梨衣名としても、デビューを焦る気持ちから喫茶店占拠まで行った前川からこの言葉が出る意味は判る。
だから息を呑む。
『もういがみ合ってる場合じゃない、どうにかしなきゃいけない』という気持ちが二人の間で、そして二人を見てきた視聴者にも共有される、優れた見せ方です。

こうして切羽詰まった二人はなりふり構わず時間を共有し、二歳下なのに前川が主に面倒を見る形でお互いを尊重しあっていく。
前川が「李衣菜ちゃんに先にデビューしてほしい」と言った時点で、歩み寄りは完成し勝ち筋は見えているのですが、そこに従って描写を積み上げていくことは、とても大事です。
二人だけではなく、彼女たちを信じて舞台を整えるプロデューサーの『頑張り』がインサートされているのは、彼の成長物語でも有るこのアニメでは大事なところだと思います。
事態が好転するに従って雨上がり日が射してくるのは、運命を解りやすく予見してる演出ですね。


こうして辿り着いたステージですが、レスポンスの甘さに不安を感じつつも、『二人を信じる』と強く宣言したプロデューサーを見て気を取り直し、にゃーにゃー言って切り抜けます。
此処で*というアイドルユニットの強さ、何を持って観客を引きつけるのかという魅力をしっかり見せているのは、10話にひき続いてアイドルアニメとしてとても大事なシーンです。
彼女たちの武器は、真摯さと繋がりの強さです。
クソ真面目な二人が本気でにゃーにゃー言うからこそ、観客は心を掴まれ、一緒ににゃーにゃー言ってしまうのです。
やや寒めな観客の反応に梨衣名がひるんでも、前川が前に出るのを見て二人で続けられるから、彼女たちは強いのです。

「ホント気が合わないね」「そこがこのユニットの持ち味にゃ」と二人は言っていますが、ここまで彼女たちの物語を見てきたのなら、気が合わないどころの騒ぎじゃないというのは分かっている。
表面的にどんな波風が立っていても、共通点のない衣装を着ていても、そんな枝葉のことではないぶっとい幹で繋がった関係こそが、*の真の持ち味なのだということ。
相手を認めても失われない自分たちの個性、個性を尊重するからこそ築ける関係が、どれだけ繊細で貴重な交流から生まれるのかということ。
それらをしっかり見せることで、今後絶対に来るであろう*の躍進に説得力を持たすのも、今回のエピソードの大事な仕事ですね。

かくして雑誌に載るほどの大成功を収めた*は、物語の最初と同じようにいがみ合いますが、その理由は全く逆になっている。
前川の中に梨衣名の『ロック』があるからこそ、「これの何処がロックにゃ!?」という言葉が出てくるし、梨衣名の中に前川の『猫耳』が入っているからこそ、猫耳衣装も可愛いと素直に言える。
「お互いの個性を尊重しながらやっていける」という結論に達するまで、細やかに揺れ動きながら時間を共有してきた彼女のエピソードは、こうして終わります。
素晴らしいの一言です。


03)個別の感想
今回だけではないのですが、デレマスは『語らないで語る』演出がうまいアニメです。
明暗やレイアウト、色彩といった画面による語りかけもそうなんですが、今回は一見なんてことない描写の積み重ねで、セリフ以上の結果を出す演出が非常に巧い。
買い物上手で口うるさく、世話焼きでアメちゃんくれる前川みくの出身地が大阪であるところなど、積み重ねの妙味極まる所です。
『アイドルが大阪おかんなんですけど!』って感じだな。(僕は『僕の妹は「大阪おかん」』超好きな人間であり、浪花はベスト二次元妹キャラだと思っておりますので、この言葉は最大級の褒め言葉であります。)

こういった端っこの演出だけではなく、大きく心がうねる話の心臓部分も、言葉ではなく描写を積み重ねることで今回は描いています。

・何故多田李衣菜はカレイの煮付けを作ったのか。
心配した親がわざわざ電話をかけてくるくらい温かみのある家に育ち、前川は時間が遅くなると惣菜を買ってしまうとスーパーの看板を見て思い出し、そんな前川に歩み寄りたいという気持ちがあったからです。

・何故前川は目玉焼きにソースを掛けるのか。
お互いの距離が詰まり、個性を尊重したまま相手を心のなかに入れる方法が見えてきた時、今度は気を使って醤油をかけるシーンを画面に捉えるためです。

・何故前川は梨衣名の電話で心が変わったのか
大阪から家族を置いて(この情報も暗示されたもの)寮生活をしている前川が、母からの電話に優しく受け答えをしている梨衣名に強いシンパシーを抱いたからです。
前川にとって家族が大きなものだというのは、写真を見つめるカットで強調されています。
年下のくせに責任感が強い前川としては、自分たちの不仲が原因で寮に引っ張り込み、心配の電話
をかけさせてしまったのは心苦しいというのもあるのでしょう。
携帯電話を見つめる梨衣名と、思い出の写真を見つめる前川の瞳が、同じ効果で揺れている所も、彼女たちに共感が生まれているのが強く感じられる所です。

・何故アーニャ蘭子の差し入れはたい焼きなのか。
あのタイミングで二人の心は既に答えを見つけており、カレイの煮付けとミントキャンディの時は食卓を一緒にできなかったけど、『甘くて魚の形をしている』たい焼きなら、お互い一緒に食べられるからです。(福田里香のフード理論参照)

これらのシーンで心情を説明する台詞はないけれど、彼女たちが何を考え、どうしたいかは伝わります。
事程左様に、今回のお話は徹底的に計算された積み重ねと呼応で作成されており、結果としてセリフを省いても微細な心の変化が良く見えるように作られている。
言葉で説明されるよりも、描写の中から視聴者が気付いたほうが、より深く心には刺さる。
前川みく多田李衣菜の小さな、しかし大事な変化が視聴者の心にしっかり染み入るよう、良く考えられたお話だと思います。


そもそもの話をすると、なんで今回前川みく多田李衣菜の話なのか。
作中梨衣名が尋ねるように『余った物同士をくっつけた』と言うよりは、それに対するプロデューサーの返答『相性の良いユニットだと思った』の方が強い気がします。
特に前川は頭が良くて周囲に気を使う真面目な子なので、自分の気持を加工せずにぶつけ、しかも避けられず反応が帰ってくる相手は貴重です。
CPメンバーは自己主張が弱く相手に合わせる優しい子か、相手の主張を絡めとって上手く切り返せる賢い子が殆どなので、梨衣名以外が相手だと、今回のように120%自分を出していく展開は、なかなか難しかったのではないでしょうか。

梨衣名と常時いがみ合うことで、『ああ、前川も誰かを疎むんだなぁ』と安心出来た部分もあって、ある種の公平感が生まれる、良い組み合わせだと思います。
やっぱキャラクターが傷つき、精神的な血を流す弱い存在、見ている僕と同じ人間なんだというのを何度も見せるのは、共感を製造するためには絶対必要なんでしょうね。
『選ばれなかった奴ら代表』として出番が多く、クソ真面目キャラを既に理解されてる前川に絡むことで、あまり目立たなかった梨衣名がどういう人間なのかよく分かるという要素も、もちろんあるでしょう。

その上で、『*』という仮名称を二人が良いものだと受け入れるやり取りを挟んで、『余った物同士をくっつけた』ことがむしろ良い結果を呼び込んだとも取れる流れにしてあるのは、なかなかリッチな展開です。
『*』のように都合でくっついた二人だけど、それは必ずしも悪いことではなく、素晴らしい結末に辿り着くことだって出来る。
偶然と必然、両方を含意出来ているメタファーの操作は、非常に豊かな表現だったと思います。


今回はカメラが*に極端に寄るので、CPメンバーはそこまで目立った仕事をしていませんが、二つ重要な役割があります。
一つは『真実に気づかない解説役』で、*の二人(と、彼女たちにクローズにカメラを通じてそれを感じ取っている視聴者)だけが感じ取っている微細な変化を、あえて的外れに解説することで強調する仕事をしています。
はたから見れば「喧嘩ばっかしてるねー」と言う印象を受けんだろうけど、緻密な時間を共有することでじわじわと変わってきているんだということが、外部の視点を導入することでより見やすくなっている。
小さくて決定的な変化を追いかける今回では、とても重要な仕事だと言えます。
その中で「仲良しさんだにぃ~」という真実に気付く仕事がきらりなのは、色んな意味で流石だなと思いました。

もう一つは『先に行ってる役』です。
今回の話を先に進めるエンジンは、『*が余り物の置いてけぼりユニットである』という焦燥感です。
この焦り、置いてけぼりにされている距離の絶望感を強調するためには、先発デビューしたCPメンバーが先に進んでいる様子を見せるのが、手っ取り早く効果的です。
なので、NGはお揃いのアイドル衣装を着て撮影を行い、新田美波はCDにサインをする。
それを画面に写すことで、未だにギャンギャンいがみ合ってる*との間に有る距離と、これを埋めようとする焦りが、真に迫って見えてくるわけです。
これは今までの個別会の蓄積がなければ見せられない表現であり、話数を跨いだロングパスと言える演出です。

物語的役割の話からは離れますが、アイドルフェス準備のシーンは、デレマスの強みである『シリーズ全体を貫く統一感』が良く見え、好きなシーンです。
*の結成理由をすぐさまプロデューサーに聞きに行く子供チームといい、アイドルフェスの新着を過不足なく伝えるプロデューサーといい、かつての不器用で不信感漂う空気とは、大きく変化したのを感じ取れます。
こうした変化それ自体が物語のダイナミズムを感じさせて気持ちいいですし、コンパクトに変化を積み重ねることで、大きな飛躍に説得力がついてくる部分でもあるので、目立たないながらも大事なところでしょう。


04)最後に
画面に写す人数を絞り、あえて劇的な展開を避けることで、小さく丁寧な心の動きを接写した、非常に巧妙かつ柔らかなシナリオでした。
反発を軸として進む物語がシリーズに一本あることで、甘いばっかりじゃない世界が強調され、作品全体が引き締まった印象もあります。
その上で、お互いの心がお互いの心に滑りこんでいく隙間を作るということ、同じ時間を共有し、相手の顔をしっかり見る優しさを持つということが、問題解決の根本に有るお話の作り方は、凄く真摯かつ優しい展開で、とても素晴しかったです。

かくして14人全員の個別エピソードが終わり、この女の子たちがどんなに素敵な子達であるか、胸に届きました。
そう言う状況で、次回は合宿。
自分がアイマスアニメを正座して見るようになった5話(布団の中で未来のことを語り合うシーンが、同時に物語全体の設計図を視聴者に公開するシーンにもなってる作りの巧さにビビった)とも重なりあうセッティングなので、興奮はうなぎのぼりです。
いやー、凄いなぁ、モバマスアニメ。

 

 

アイドルマスターシンデレラガールズ:第12話『The magic needed for a flower to bloom』

○全体の構成
1)はじめに
2)三つのグループ
3)New Generationの場合
4)Candy Islandの場合
5)凸レーションの場合
6)*の場合
7)ラブライカの場合
8)全体練習
9)レクリエーション
10)大団円


1)はじめに
前半の大トリを飾るアイドルフェスに向け、1~7話のNG編、8話以降のユニット編の資産を活用して、プロジェクト全体の今を見せる合宿回。
であると同時に、CP最年長ながらあまり目立たなかった新田美波を真ん中に据え、リーダーシップの意味を再確認していく回でもありました。
クライマックスへの繋ぎ回というにはあまりにも巧みな構成で、お話の輪っかを繋ぐジョイント部分でも一切ゆるがせにしない気合を感じましたね。

今回のお話もデレアニらしい多角的なテーマ描写が埋め込まれているのですが、その核になるのは『集団としてのシンデレラプロジェクト』という視点。
これまでのお話でCP全体として何かをしたことは実は少なく、3話でのバックダンサーはNG、6話のデビューステージはNGとラブライカ、8話以降は各ユニットと、全員が同じステージに登る展開は、今回はじめて切られたカードになります。
人数が増えればそれだけお話の舵取りは難しくなるわけで、秀逸なユニット回を繰り返し、物語的・キャラクター的な資産が溜まったこのタイミングだからこそ、触ることの出来るテーマといえるかもしれません。

14名の集団がいきなり纏まる展開は説得力が薄いですし、何よりカタルシスを与えるためのストレスを見逃すのは美味しくない。
集団の前に立ちふさがる困難として今回与えられるのは、全体曲という課題です。
振り付けを見れば、この曲が今まで何度も見てきたOP曲『Star!!』であるというのはすぐ判ります。
馴染みのある曲を使うことで、『巧く行ってほしいな』という期待感と、『巧く行くんだろうな』
という安心感を言外に与えているのは、なかなか巧妙なセレクトと言えます。

全体曲という新しい試みが出ると同時に、お話を牽引し調整してきたプロデューサーは舞台から下がります。
これにより問題解決をプロジェクトメンバーで行わなければいけなくなり、メンバーにかかる圧力も増加する。
プロデューさーの不在というストレスを早めに掛けることで、リーダーの選出と不破の解消というカタルシスも増大していて、巧い操作だと思います。
Pが残ってると、彼が魔法かけちゃって新田さんの話にならないからね。

 

2)三つのグループ
この全体曲を前にして、CPは3つのグループに別れます。
『出来る奴』と『出来ない奴』、『その他』の三つがそれであり、各ユニットがこの組み合わせで基本的に構成されます。

具体的な名前を上げると
○出来る奴  本田未央双葉杏諸星きらり前川みく新田美波
○出来ない奴 島村卯月、神崎蘭子緒方智絵里
○その他   渋谷凛、三村かな子多田李衣菜赤城みりあ城ヶ崎莉嘉、アナスタシア

となります。

一番最初の『出来る奴』グループは、これまでの話しの中で各ユニットを引っ張る原動力になったり、誰かが崩れそうになったタイミングで手を差し伸べてきたりした、リーダー的資質のあるキャラクターです。
新田さんは此処に入る描写が今までない、リーダー『らしくない』キャラクターなのですが、今回主役としてリーダー的資質を開花させ、お話を落着させる仕事を担当することになります。
今までの行動から見て、此処に位置するキャラクターが集団の問題点を解決し、物語を収めることを期待されるわけですが、今回のお話は『新田美波の武器はリーダーシップであるが、それはどう妥当なのか』という問題を掘り下げていく回。
過去のエピソードにおいて凹みそうになったお話の風船を膨らませ、引っ張ってきたキャラクターは、丁寧に後ろに下がることになります。

ニ番目の『出来ない奴』は文字通り、集団の中の一番弱い輪っかとして、問題点を浮き彫りにする立場です。
彼女たちの『出来ない』様子をしっかり描写することで、乗り越えるべき問題の深刻さ、そこを突破できるようCPを導いていく新田美波の能力が視聴者に伝わり、物語のカタルシスになる。
『出来ない』彼女たちに適切に対応できているか否かが、『出来る奴』グループの中で誰がリーダーとして最適なのか決める、重要な試金石になります。

三番目の『その他』グループは、大きな問題は抱えておらず、かと言って事態の解決を担当する資質もない、中間的な立場です。
彼女たちの仕事は『出来る奴』が何故リーダー足りえるのか(もしくは足り得ないのか)を強調したり、CP全体の問題点とその解決がストーリーの中でクリアに見えるよう、細かい調整を行うことにあります。
基本的に各ユニットでリーダー-相方-出来ない奴が構成されてるのですが、途中で凸レーションが分解されて、子供チーム+*ときらり&智絵里に組み直されています。

 

3)New Generationの場合
では、各まとまりごとに、今回のお話で果たしている物語的役割を考えていきます。
まずNGのダイナモ本田未央ですが、彼女は今回『間違える役』を担当しています。
本田さんが間違った方向に行き、それを新田さんが正していくことでリーダー新田の物語が形になっていく、重要な立場です。

本田未央の『いつも元気で明るい』というイメージの底には、生真面目かつ不器用な人格が秘められているというのは、例えば3話での追い込まれ方や6.7話での対応を覚えていれば、すぐに納得がいく所です。
今回彼女の生真面目さはあまり良い方向には進まず、人を思いやる視野も狭まってしまっている。
7話での『失敗』を気に病み、巻き返しに意気込むあまり、周囲への気遣いを置いてきてしまっている様子は、汗だくの島村さんを急かす出だしからして、既に見て取れます。
この『とにかく頑張ろう』という本田未央のやる気の押し付けは、『出来ない』グループにとってはプレッシャーになってしまっており、彼女が頑張れば頑張るほどメンバーからは笑顔が消えていく。
『笑顔』がこのアニメにおいてもっとも重要なアイドルの資質、成功の条件だというのは幾度も描写されてきたので、彼女の過剰なやる気は、あまり良いモノではありません。

無論真摯さはステージを成功させる上で絶対に必要なのですが、それに囚われすぎて誰かを追い詰めていく構図は、6~7話で本田さん自身が体験した状況と重なります。
これは過去の失敗から学んでいないというわけではなく、本田さんという人格が持っている根本的な傾向、キャラクター性が、苛烈な生真面目さにあるのだと思います。
同時に二度致命的な失敗をするのではなく、新田さんが提示した『生真面目な遊び』の効果を実感して己を鑑みるシーンを見れば、彼女が成長しているのも見て取れる。
このアニメにおける成長の描写は本当に地道で、簡単には覆せない各キャラクターのカルマに、真向から向かい合っている姿勢が見えますね。


その上で、新田さんの狙いを理解してからは生来の積極性がいい方向に作用し、メンバーを引っ張って行く前向きさが肯定的に描かれているのは、悪役だけを担当させない丁寧な取り回しです。
三人四脚で蘭子が出遅れた時、大縄跳びで智絵里が躓いた時、一番最初に声を出しているのは常に本田さんです。
これは今まで視聴者に見せてきた本田さんの資質を、新田さんも把握していた結果だと思います。
真摯さに凝り固まった視野が広がり、本田未央『らしく』サポート出来るようにするまでが新田さんの仕事であり、それが終わったら『いつもの様に』本田未央が前に立って周囲も見るスタイルに戻すというのが、新田さんの計算だったのではないでしょうか。

結果として今回見せた新たな資質、『らしくなさ』を買われ、新田さんは全体のリーダーに収まるわけですが、その流れの始点になるのも本田さんです。
集団の中で牽引役として認められている本田さんが切り出すからこそ、新田さんのリーダー就任は自然だし、納得の行くものになる。
今回最もカメラに収まり、自分の物語を展開していたのは新田美波ですが、彼女に反発し受け入れ変化することで、自身のキャラクターを見せていた本田未央もまた、今回の主役と言える扱いを受けていたと思います。


本田さんに対応する相方は渋谷さんになりますが、今回彼女は、本田さんの間違えを加速させていく仕事をしています。
『出来ない』島村さんに的確な助言をするでもなく、3話で見せた『らしからぬ』リーダーシップを発揮するでもない。
新田さんの提案に当惑しながら付いて行き、本田さんからのバトンを落とすことで、本田さんが振り回す『苛烈な生真面目さ』がこのエピソードにおける正解ではないことを強調するのが、今回の凛ちゃんのお仕事と言えます。
本田さんと凛ちゃんが間違えることで、新田さんの秘めたるリーダーシップが見えてくるので、損な役回りとはいえ、大事な立ち位置ですね。

NGの『出来ない』担当は島村さんで、これは今回だけではなく、シリーズ全体を通して強調される彼女のカルマです。
そもそも物語に初登場した時から、彼女はレッスンが上手く行かない、『出来ない』存在として努力し続けるキャラクターでした。
比較的スムーズに課題をこなしていく『出来る』本田さんが、『出来ない』彼女を理解できないことで、本田さんが今回リーダーたる資質を失っていることが見えてくる。

同じように『出来ない』状況でも、智絵里は「ごめんなさい」と謝り、蘭子は布団を被り、島村さんは「頑張ります!」と答える。
出来ないことへの三者三様にもキャラクターのカルマが見えるわけですが、島村さんのキャラクター性たる努力と折れない心は、もう頑張らなくてもいい状況、頑張ってもどうにもならない状況を想起させ、不安を増幅させていきます。
これは先のお話(もしかしたら二期)で回収される要素だと思うので、今回何かの結果を出さなければいけないという描写ではないのですが。
埋め込まれた不安の発露と解消は、いつか必ず来ることでしょう。

 

4)Candy Islandの場合
次に第9話でCandy Islandが晴れの舞台を走り抜ける原動力となった天才、双葉杏のリーダーシップを見てみましょう。
杏ちゃんは圧倒的に『出来る』女であり、同時に『出来ない』奴らの事情も分かっている。
周囲が見えているからこそ、14人いるメンバーの中で唯一全体を見渡して「全体曲をやる余裕が無いなら、やらないという選択肢もある」という発言が出てくる。
練習時間が少ない中での全体曲という課題は、双葉杏にとっては過大な負荷であり、そこで無理をしないのが、彼女のスタイルということになります。
CIの残り二人なら自分の才能で背負ったまま走りきれるけど、CPの12人全員を背負う器量はさすがに持ち合わせていない、という判断もあるでしょう。

杏は集団の輪を乱してでも本当のことを言う勇気も持ち合わせていて、未央の『とにかく頑張れ』路線を「エネルギーの無駄」と言い切り、ストップを掛ける冷静さが見えます。
『とにかく頑張れ』路線が三人の『出来ない』子達に大きなストレスを与えていたこと、未央がそのことに気付いていないことを考えると、この空気を読まない発言は、『失敗しない』という意味合いでの成功、消極的成功を見据えたクレバーな意見です。
CPは最終的に新田主導で団結を深めることに成功し、プロデューサーが提案していた『もう一歩、新しい階段を登る』積極的成功を手に入れるわけですが、新田さん自身もプロデューサーに強く推されるまで、『やりきる』積極的成功ではなく『やらない』消極的成功を見据えている節があります。
つまり、CP全体の状況認識、視野の広さにおいて杏ちゃんと新田さんは同じラインに立っているわけです。

その上で、なぜ杏ちゃんがリーダー足り得なかったかというのは最終的にはキャラ性に帰するところであり、『杏はそういう人間じゃないから』という答えになる。
ラブライカとしてデビューを果たし、『新しい階段を登る』体験を貴重なものとして記憶しているのは、極力働きたくないアイドルである杏ちゃんには無い体験です。
危うい賭けのために自分のキャラクターを曲げて、積極的成功を拾うためのモチベーションが、双葉杏というキャラクターが経験してきた物語には欠けている。
とは言うものの、第9話での完璧な仕事っぷりを見るだに杏ちゃんはCPにもCIにも愛着があるし、自分が可能な範囲で『らしくない』ことをする覚悟もある。
CPの事を真摯に考えていればこそ、『とにかく頑張る』状況に付いていけないメンバーの存在に気付き、問題点を指摘もしたのだと、僕は思います。


杏が持っているクレバーでクールな感性は皿洗いのシーンにも現れていて、智絵里とかな子がどん臭く仕事を続ける中、杏はとっとと自分の受け持ちを終わらせて着座している。
ペースが遅いとはいえ問題なく仕事が進んでいるのだから、隣り合って手伝うことはしない。
双葉杏の判断は、こう言うシーンでも合理的です。

この後智絵里が『失敗』という言葉をトリガーに皿を割り、「ごめんなさい」と謝る。
緒方智絵里の自己評価の低さと、失敗を強く恐れて縮こまる姿勢は、第4話や第9話でも描写されていた、彼女の根本です。
それは、CIで一定以上の成功を収めてもやはり、完全に克服はされない。
今回様々なキャラクターの欠損(欠点ではない)が描写されているのは、成長物語として現状、各キャラクターが何処にいるのかを再確認させる意味合いを感じます。

そして『色んな成功体験を積んでも、人格の根幹にある要素は簡単に変化しない』というのは、今回の描写に共通する通奏低音です。
本田未央の過剰な生真面目さも、双葉杏のクールさも、そうそう変わりはしない。
その事がキャラクターが物語の中で生きている感じを強く出し、視聴者の愛着や信頼を引き寄せてもいるわけで、簡単に変化させてはいけない部分でもあるわけです。
その上で、涙目になってる智絵里を前にして椅子を蹴って近寄り、「大丈夫?」と言葉を掛けるシーンを画面に移しているのは、クールで天才で怠けたがりという側面だけが、双葉杏の全てではないと示していて、とても良い描写だと思います。

ここで『CPのお母さん』きらりがやって来て、智絵里をケアする描写が入るのですが、CIで一緒の杏ちゃんが最後まで智絵里を背負わなかったのは、杏のクールさというよりも、きらりへの信頼の
描写だと思いたい所です。
今回杏ちゃんはいつもの自分から踏み出すことに少し臆病であり、それは新田さんを唯一の状況解決者として際だたせるためにも必要な動きです。
しかしそういう物語の都合以上の、キャラクターたちの繋がりを感じ取れる描写があればこそ、視聴者は彼女らに親近感を覚え、好きになっていく。
キャラのカルマと物語的役割を踏まえた上で、そこから少しはみ出した真心が見えてくる描写が、今回は多いと感じますね。

 

5)凸レーションの場合
『ユニットごとに出来る・出来ないの濃淡を作ることで、各キャラクターのリーダー適性を見せる』という今回の基本則に対し、凸レーションはかなり特殊な位置にいます。
莉嘉とみりあの子供部隊は今回、持ち前の直感で本当のこと言って、問題点や美点を表に引っ張りだす仕事を担当しています。
みりあの「振付全然合わないね」という言葉に衝撃を受けているのが、『出来ない』グループの三人であることを見れば、子どもという『無垢なる天才』こそがこの物語で二人が期待されている仕事(の一つ)であることが分かります。

二人は同時に、*の対話役となって、彼女たちの発言を引き出す仕事もしている。
年齢だけを成否の基準とするならば、最年少の二人は真っ先に『出来ない』立場を担当しそうなものですが、リーダーには無論なれないにしても、ウィークポイントでもない立場にいます。
年上でもストレスに弱ることがあり、年下でも弱った仲間を支えることが出来ると言う描写は、凸レーションユニット回である第10話でも色濃く描かれたポイントです。
みりあと莉嘉がそれなりに『出来る』けど、不穏な状況を突破する先頭に立つわけではないポジショニングは、シリーズを通した集団の描き方に則った、理由のある描写だと言えます。
最年長の新田さんがこの話までリーダーシップを取らなかったこともそうなのですが、このアニメーションにおいて年齢は、能力や状況への適応性、集団内部の役割と無条件に直結する要素ではないようです。


皿を割った智絵里に寄り添い、安心させる言葉をかけていたきらりが縁側でブルーになっている描写も、この基本線の上にあります。
後に借り物競争で示されるように、実年齢以上に大人びた『CPのお母さん』としてメンバーを常時気にかけ、ケアし続けているきらりですが、智絵里に見えない所でずっしり沈んでいる。
集団の最後尾を常に守っているきらりを凹ますことで、現在CPが陥っている状況の重たさを見せ、重荷を引き受けるきらりを更に背負うことで、新田さんのリーダーシップの片鱗を見せるシーンでもあります。
床に据えたカメラで、椅子とすりガラスを挟んで二人を描写するレイアウトが、非常に神戸守的ですね。

諸星きらりという少女にとって、集団全員が良い気持ちであること、『ハピハピ』できる事が重要だというのは、彼女が画面に映るシーンの演出全てを貫く、強烈なカルマです。
3話で憎まれ口を叩こうとした前川の発言を、空気読んで空気読まずに潰しにかかるのも、李衣菜や蘭子といった孤立しがちな子に、集団としての空気が出来る前から積極的に声をかけていたのも、ソファカバーという、みんなが使って楽しい気持ちになれるものを私物として持ってくるのも、彼女の根本にある『ハピハピ』のためです。

常に笑顔を忘れず、デカい長身折りたたんで他人の視線に立っている彼女はしかし、誰かが『ハピハピ』出来ない状況、自分の中の『ハピハピ』と他人の『ハピハピ』がズレている状況には、極端に弱い。
第10話で彼女がついに折れかかるのも、プロデュサーとはぐれるという不安な状況で子どもたちを守るべく無理をして、結果莉嘉が肉体的ダメージを負うという『ハピハピ』のズレが原因でした。
諸星きらりは関係する人間みんなが幸せになるためなら、どんな労苦もいとわない強さを持つと同時に、『ハピハピ』を保つための努力が誰かを傷つけてしまった時、上手く対応できない脆さを持っているわけです。

今回もまた、『ハピハピ』のズレがきらりを苦しめています。
『みんなで楽しい』ということを何より重視するきらりにとって、全体曲はとても『ハピハピ』になれる、挑戦しがいのある課題です。
であるのですが、能力や適性が咬み合わず巧く出来ないメンバーがいること、全体曲が必ずしも『ハピハピ』を呼び込まないかもしれない事に、智絵里とかな子の様子を見るうちに気付いてしまう。

そして、そのズレを解消する具体的な方策を思いつかないからこそ、きらりは縁側で一人塞ぎこむ。
杏ちゃんがクールに全体を見渡しつつ全体曲に強い意欲を持たないのとは反対に、きらりは全体曲に高いモチベーションを持ちつつ、解決策を見失っている。
全体曲への強い意欲と、『出来る・出来ない』のギャップを上手く解決する方策を両立させていることが、今回の物語を完成に導き、CPのリーダーに相応しい人物の条件だというのが、きらりの細やかな心情を見つめることで分かってきます。

そんなきらりを新田さん発見し、相談にのるシーンはただ感情的に有り難いだけではなく、今まできらりが見せていた包容力が今回は機能しないこと、諸星きらりはお話全体を纏めるリーダー足り得ないことを、視聴者と新田さんに教えるシーンでもあるわけです。
いや、仮にあのまま放置とかされてたらあまりにも居たたまれなさ過ぎて俺死んでるから、新田さんのインタラプトは非常に有り難いわけですけどね。
智絵里の前では笑顔を維持して、縁側で体を折りたたんでショボくれてる女の子が放ったらかしとかね、ホント許されざるよ。
後のレクリエーションで智絵里に『お母さん』の札を引かせ、きらりが不当にも感じていた罪悪感をしっかり払っているのも、完璧なケアでした。

 

6)*の場合
*の二人は第11話でも見た通り、お互い対立しながら共通点を見つけて前に進んでいくコンビであり、『出来る奴』と『その他』の区分が曖昧です。
年下ながら前川が全体的な調整役をやっているので『出来る奴』として分類していますが、ユニットとしての意見は二人が共有し、両方が主導権を分割しているような状態です。
リレーのスタートコールが「ロックンロール!」「にゃー!」でバラバラなところから、「「ロックンロール!」」で統一されてる所からも、前川が李衣菜に合わせる*のスタイルが透けて見えます。

そんな彼女たちはデビュー最後発という事情を鑑みて、ユニットと全体曲を天秤にかけた上でユニット曲を取る、現実的な対応を取ります。
第11話のドタバタから彼女たちも、そして視聴者も日が立っていないので、*が感じている不安や焦りには、確かな説得力がある。
いがみ合いながら何とか初ステージに辿り着いた日々が記憶に新しい上に、『お好み焼き性の違いで、ユニット解散』という一笑を見せることで『いがみ合いつつも、お互いの個性を尊重する』*
らしさが強調され、余裕のない彼女らの現実的な選択には、素直に頷ける流れです。
ここら辺の事情を吐き出させるための壁を担当しているのが子どもコンビであり、凸レーション結成以前は前川とキャイキャイしていたのもあって、2-2のスムーズな会話を作れています。

彼女たちの余裕の無さは『出来ない奴』である蘭子への対応に良く現れていて、唯一ソロユニットとしてデビューし、独特の言語センスもあってコミュニケーションに不安を感じる蘭子を、同室ながらフォローしきれてません。
というか、ユニット練習で力尽きてグースカ寝てます。
これまでの描写が、悪戦苦闘こそ*『らしさ』として認識させている以上、その選択はとても正しい。

第5話での喫茶店占拠を見ても、余裕が無い時に余裕を作れるほど、前川みくは大人ではない。
自分だけユニットメンバーではないから、全体曲が上手く行かないんだと思い悩む蘭子は、*の手には余る存在です。
『出来ない奴』への対応でリーダーシップの有無が見える今回のルールからすれば、前川は他のリーダー候補と同じく、リーダー足り得る条件を満たしてはいないわけです。

 

7)ラブライカの場合
こうして丁寧に、リーダーをやる資質のあるキャラクターが、如何に今回頼りにならないかを描いた上で、新田美波にお話の主導権が移ります。
本田未央双葉杏諸星きらり前川みくも頼りにならない以上、新田さんがやらなければならない状況です。
が、第6話で見せたように、もしくは今回全ての困難が克服されお話が落ち着いた後告白するように、新田さんは最年長だからといって、CP全体の舵を取る資質に優れているわけでも、集団の和を維持しようという、強いモチベーションがあるわけでもない。

彼女が持っているのは思いがけずアイドルの世界に飛び込み体験した、プロデューサー言うところの『もう一歩、新しい階段を登る』楽しさだけです。
これをもう一度達成するためには全体曲を成功させる必要があり、そのためには未央が提示している『苛烈な生真面目さ』でも、杏や前川が主張する『消極的な成功』でもない、第三の道を見つけなければいけません。
しかしCP全体を統括するリーダーシップは新田美波『らしからぬ』資質であり、布団の中での煩悶は、彼女のやりたい事とやれる事の対立を、そのまま反映しています。


ここで手を差し伸べるのがアナスタシアです。
今回他のリーダー候補は、同じユニットメンバーから的確な支援を得られていない。
凛は未央が振り回す『苛烈な生真面目さ』を適度に留めることが出来ていないし、かな子は智絵里と一緒に『出来ない』ラインに留まっているし、凹んだきらりをフォローするのも、*の不安を影で聞くのも新田さんの役目です。
逆に言えば、相方の的確なアシストを受け、事態を収拾する勇気を振り絞ることが出来たことが、新田さんが今回リーダーとしての資質を開放する大きな前提条件になります。
アナスタシアが15歳であり、19歳の新田さんより4つ下である所は、年齢差がそのままキャラクターの能力に直結しない基本則の現れでしょうか。

アナスタシアのここでの仕事はただのサポートだけではなく、プロデューサーが全体曲に込めた意味、『もう一歩、新しい階段を登る』ことへのモチベーションを、新田さんに思い出させる意味合いもあります。
事態が全て収束した後述懐しているように、新田さんにとってアイドルであることそれ自体が『もう一歩、新しい階段を登る』体験であり、CP内部の不和を解決し全体曲を成功させるという『積極的成功』は、彼女がアイドルの世界に飛び込んで手に入れた『アイドルであることの理由』と強く結びつく。
つまり、新田美波にとって全体曲は、やらないという『消極的成功』で済まされない、強いモチベーションを抱くに足りる根源的な対象であることを、アナスタシアの手は思い出させるわけです。

アナスタシアが差し伸べる手は第6話のリフレインであり、。あのシーンは視聴者にも鮮烈な印象を与えるシーンです。
あの時のように『差し伸べられる手』をもう一度画面に写すことで、『全体曲をCP全員で成功させる体験が、あの時のように大きな喜びになるに違いない』という新田さんの再発見と、それを見ている視聴者を一つに結びつける演出でもあります。
過去シーンをこのように使うには『このシーンは、視聴者に刺さっているに違いない』という確信が必要であり、スタッフのそれと視聴者の実感がズレると演出糸が明後日に飛んで行くハメになるわけですが、的確に演出された『差し伸べられる手』は、一回目も二回目も狙い通りの刺さり方をしています。
過去の成功体験と、どんなに不安でも手を差し伸べてくれる相方の存在を思い出すことで、新田さんは逡巡を辞め、リーダーとして前に出て事態を収拾する勇気を手に入れるわけです。

 

8)全体練習
こうして各キャラクター・各ユニットが抱えている美点と問題点を確認し、新田美波だけが今回の物語を解決する資質を有していることを見せた上で、全体練習のシーンが挟まります。
このシーンで注目したいのは、参加者の誰も笑っていないことと、『出来ない奴』がこの練習で受けているダメージ表現です。

『笑顔でいること』がこの物語において成功のための条件であることは幾度も描写されています。チグハグなダンス、どこか不安げな表情、咬み合わない主張に幽かな返事と、不穏な空気漂う練習には、元気が空回りしている未央もひっくるめて、一切笑顔がない。
その事が『このままでは成功しない』という印象を強めていて、これから新田さんが起こす逆転劇のカタルシスを高めています。
不穏な空気を入れ替えるように、新田さんが休憩を提案するシーンは、メンバーのみならず視聴者も息を吐けるタイミングです。

卯月・智絵里・蘭子の『出来ない奴』三人は、今回のお話における一種のトロフィーであり、彼女たちが上手く行かない間は全体曲は絶対うまく行かないし、プロデューサーと新田さんが目指す『もう一歩、新しい階段を登る』楽しさも手に入らないよう構築されています。
この練習でも、彼女たち三人が上手く行かない描写はしっかり挿入され、視聴者にも意識される。
曲が終わった後のやり取りの中で、卯月はいつもの明るさが失われ、智絵里は失敗に怯え、蘭子はみくの「バラバラ」という言葉に過剰反応する。

ユニット単位で映していた時もそうなのですが、『出来ない奴』の問題点は実際のパフォーマンスというよりは、集団の中で気後れする心理面に重きが置かれ描写されています。
問題の解決がレクリエーションを通じて気持ちが切り替わり、ユニット間でのわだかまりが解消することで行われることを考えると、実務的問題よりも心理的問題を強調したほうが、スムースに処理できるということでしょう。
気持ちを切り替え見方を変えることで、失敗に見える事象を成功と捉えることが可能というのは、例えば第7話での未央の説得であるとか、第11話で*が到達した「噛み合わないのがユニットの持ち味」という境地に通じる所があって、シリーズ全体の価値観なのかもしれません。

このシーンでも、未央は『誤ったリーダーシップを取る』というお話上の仕事を完遂しています。
頑張ることしか出来ない島村さんに「へばっている場合じゃない」と声をかけ、自分を責める傾向にある智絵里に「もっと頑張らないと」と言ってしまう未央の空回りは、新田さんを立てるためとはいえ、露骨かつ残酷です。
未央が間違えることで新田さんの正しさが強調されるだけではなく、まとめのシーンで自分の誤りに気付き、新しい視座を得る成長の描写も出来るので、大事な描写と言えます。


休憩をとった後、新田さんは笑顔を作って気合を入れ、水滴に濡れた手を見つめます。
全体練習の不穏な空気を感じ取り、ついにリーダーとして立ち上がる決意を固めるシーンです。
この瞬間まで新田さんは、昨夜布団の中で煩悶していた矛盾、曲を成功させたいという気持ちと、それを可能にする資質が自分にはないという気持ちの間で揺れているわけですが、笑顔を作り顔を叩くことで、矛盾を止揚させます。
つまり、リーダーに向いてない自分を一度引っ込め、年上らしくみんなを引っ張る新田美波を演じることで、全体曲が成功する条件をCPに生み出そうという決意のシーンなわけです。

『笑顔のない所に成功なし』はこのアニメの基本則なので、第10話EDで見せた口角を釣り上げる無理くりな笑みを、新田さんも作ります。
アナスタシアに引っ張ってもらわなければ、不安でステージにも立てない新田さんにとって、この状況での笑顔は強がりです。
しかしモチベーションと広い視野を兼ね備えた誰かが笑顔を捏造し、それをメンバー全員に広げなければ、全体曲は頓挫してしまう。
そして、これまでユニット単位で描写され、全体練習で再強調されたように、今回の話を解決に導くリーダーは、新田美波しかいないわけです。
だから、新田さんは笑顔を作る。
弱さを受け入れているがゆえに手に入れられる強さを、表情の変化でしっかりと見せた素晴らしいシーンだと思います。

今回の話では、このシーン以降台詞で説明しない描写が、かなり入れ込まれます。
最初は怪訝に思っていたレクリエーションに、気づけばのめり込んでいる未央と凛の描写もそうですし、彼女たちをノセるためにあえて挑発的な態度を取る新田さんもそうです。
この後行われる解決手段が、全員参加のレクリエーションという身体的なものであることも考えると、このシーンでじっくりと見せた無言の決意は、非言語的な変化や解決を視聴者に受け入れさせる、呼び水の役割も果たしていると言えます。

 

9)レクリエーション
休憩が終わり、覚悟を決めた新田さんはメンバー総動員のレクリエーションを提案します。
今回『苛烈な生真面目さ』を徹底している未央は、自身の信条と反する『遊び』には勿論反対する。
しかし笑顔が抜け落ちている現在のCPには楽しさが必要であり、未央が全体練習で見せたような『とにかく頑張る』スタイルでは、それは戻ってこないわけです。
なので、最年長の権威とプロデューサー指名の権威両方を使って、新田さんは小狡く未央を黙らせます。

このシーンに見えるように、覚悟を決めた後の新田さんはとにかくクレバーに、CPの不穏な状況を打破するために必要な行動を取り続けます。
『遊び』の効果に懐疑的な未央と凛をレクにのめり込ませるために、一番最初に競技性のあるリレーを置く。
そのためには3×4のチーム分けが必要なので、*が第11話で見せたMCの巧さを褒めて司会進行役を快く受けさせる。
ソロユニットとして団結した経験が少なく、その事が心に引っかかっている蘭子は、自分たちで引き受ける。
出だしからして、新田さんの行動はみんなで真剣に『遊ぶ』ことで、集団の中のまとまりを経験させること、楽しさを思い出すことという目的に向かって、最短距離で進んでいきます。
結果、レクが始まるとメンバーに笑顔が戻り始める。

未央と凛は最初レクに乗り気ではないのですが、新田さんの挑発が巧く機能して、稚気溢れる負けん気がだんだんむき出しに為っています。
飴玉探しで新田さんに勝った未央がドヤ顔し、笑顔で受け止めるシーンは、二人の年齢差、このレクリエーションで目指すものの差、今回の話におけるリーダーの資質の差が良く見えるシーンだと言えます。
勝つ楽しさに価値を見出す未央は、彼女『遊び』に夢中にさせる事を狙っている新田さんの掌の上です。
リレーでのバトンミスも、飴玉探しでの最下位も、実は計算のうちなんじゃないかなぁと思わせる巧妙さがあります。

的確な判断はレク種目の選択にも現れていて、対立する楽しさ・チーム内で協力する楽しさに重点が置かれるリレーの後は、競技を離れた楽しさがある飴玉探しをやらせ、三人四脚では勝ち負けではなく仲間を思いやる姿勢、みんなで真剣に遊ぶ楽しさが目的になっている。
この辺りになると、怪訝な態度も勝ち負けを気にする姿勢も未央からは抜け落ちていて、一番最初に「ふぁ、ファイトー!」という声をかけるのは未央になります。
蘭子が『出来ない奴』であることを考えると、彼女らを苦しめていた『苛烈な生真面目さ』が抜け落ち、本田未央『らしい』視野の広さ、仲間を思いやって行動する優しさと積極性が再獲得されているわけです。
未央はこの話の裏の主役でもあるので、こうして『遊び』の中で自分『らしさ』を取り戻し、NGのみならずCP全体の牽引役にふさわしい個性を取り戻すことは、とても大事でしょう。


『ススメ☆オトメ』が流れることで雰囲気も明るく希望に満ちたものに変わり、掴みかけた勝機を逃さないように、新田さんの巧妙な組み立ては続きます。
借り物競争では直接相談を受けているきらり-智絵里の間のわだかまりを解消し、水鉄砲によるサバイバルゲームには、進行役だった*の二人も『遊び』に混じっています。
水鉄砲にしても枕投げにしても、『柔らかい投擲物を向け合う状況』は、三次元・二次元問わずアイドルフィクションだとよく見られる気がします。(AKB48ヘビーローテーション』MVや、プリパラのメイキングドラマ『みんなで遊ぼうプリパラヒルズ』など)
害意も敵意も悪意もない、穏やかな競争関係を象徴化出来るのが、女の子たちのじゃれ合いを魅力的に見せたいジャンルの欲求にうまく合致しているのかもしれませんね。

知略が問われるサバイバルゲームで杏が勝つのは予測がつくところであり、フィジカル面で恵まれていない杏にとって、この種目が初めての成功体験になっていると思われます。
この後巧緻性が重要なバランスランを組み込んでいることからしても、新田さんはメンバー全員がどこかで勝てる組み立てを、強く意図しているように見えます。
未央がレクに引きずり込まれた勝つ楽しさを否定せず、巧妙な種目配分でメンバー全員に分配しつつ、真剣に種目に打ち込む楽しさ、協力する楽しさ、応援する楽しさなど、『遊び』が持っている多角的な楽しさを引き出す種目設定は、非常に見事なものです。
TRPGという『遊び』を趣味にしているものとしては、『遊び』が持っている多角的な魅力と楽しさ、強さを引き出してくれたこれらの描写は、個人的に感じ入るものがありました。

全体練習では失われていた満面の笑顔が、メンバー全員に戻った辺りで日も暮れ、最後は大縄跳び。
ユニット単位での勝敗ではなく、みんなで何かを達成する楽しさを重視した種目です。
新田さんが目指している『積極的成功』、全体曲を成功させることの気持ちよさを先取りするような種目選択であり、最後のツメまで抜かりがない。

ここで智絵里が最初に引っかかって「ごめんなさい」という言葉が出るわけですが、レクを通して硬さがとれたメンバーは『出来ない奴』をケアする余裕が生まれている。
リーダーの資質だった視野の広さは、新田さんの見事な差配により、メンバー全員に共通する美点に変化しているわけです。
智絵里も周囲に頼ることを学習し、自分を『出来ない奴』に放り込んでいた失敗への恐れへ、どう対処するべきなのか判ってきている。
レクリエーションも終わりに近づいてきて、『出来る奴』『出来ない奴』の区分が薄くなっているわけです。

同じく『出来ない奴』だった蘭子も、ソロユニットとしての気後れを解消し、「みんなで心を一つにすれば……」という言葉を口にする所まで来ます。
本心を素直に口にする『らしくない』蘭子に驚く四人の仕草がシンクロしていることが、レクを通じて一つになったCPの状態をよく見せている演出です。
大縄跳び、と言うよりもレクリエーション全体を通して、協力して何かを成し遂げる達成感を先取りしたメンバーの中には、全体曲の成功という『積極的成功』への強いモチベーションが共有されている。
此処でもまた、『出来る奴』と『出来ない奴』の距離は無化されつつあるわけです。

大縄のシーンで久々にきらりが杏を触っていますが、凸レーションを結成した辺りから、杏はきらりにぶら下がる描写が減ったように思います。
これはきらりとの関係以外に足場を持たなかった杏が、CPに愛着を持ち、メンバーとも交流できるようになった現れだと、僕は思っています。
結果杏の持つクールさが言いにくい問題点を顕在化させ、解決の糸口を作っているわけで、あんきらの解体とCIでの活躍はやっぱり喜ばしいことなのでしょう。
でも個人的にはあんきらはキャイキャイしていて欲しいわけで、今回久々に身体接触があって、凄く素晴らしかったです。
(個人的な妄想としては、お互いユニットを持ってリーダー的立ち位置になり、ある程度の目処が立つまで、きらりは杏依存を控えていたんじゃないかな、と思ってます。
今回大きなストレスを乗り越え、強い開放感を感じたきらりは、思わず杏ちゃん可愛がりを再開させたのかなぁ、と。
責任感と欲望の同居する女、諸星きらり。素晴らしい)

 

10)大団円
お話が収まる所に収まり、凛と未央が今回のお話の構図を台詞で纏めるシーンが挟まります。
これが実際の活動の前に置かれるのならば、あまりに説明的で不自然な台詞だと思いますが、無言の表情をやり取りすることで心の変化、状況の変化を丁寧に演出した後だと、テーマを伝えるためのダメ押しとして機能しています。
これを受けての新田さんの独白も合わせて、台詞で説明するべき部分と、台詞以外で演出するべき部分をはっきり捉えた、見事な演出プランがエピソードを貫通している回ですね。

今回は合宿回なのに食事を共にするシーンが殆ど無いわけですが、縁側の奥では凸レーション+杏がスイカを準備しています。
CIが食事の後片付けをしているシーンとは対照的に、此処でのスイカは『これから食べるもの』です。
食事を一緒にする行動は、気安さや団結を意味するシーンとして取り扱われるので、それがまだ生まれていないタイミングでは、画面に写せないアイテムだと言えます。

新田さんの独白をメンバーが聞くことで、彼女が似合わないリーダーを担当した理由、アイドルの世界に飛び込み、第6話での初舞台で感じた『もう一歩、新しい階段を登る』楽しさをメンバーが共有し、全体曲の成功、『積極的成功』への強いモチベーションを揺るぎないものにした所で、今回の物語は終わります。
『Nation Blue』が流れるエンディングは、準備を済ませた後の景色、アイドルフェス本番に向けて高まる期待を映しています。
全員が同じ衣装を着、同じ方向を見るこの景色は、新田さんがリーダーとして周囲の問題点を認識し、強いモチベーションでメンバーをまとめ上げなければ、到達できなかった風景でしょう。
苦労をしっかり見せた分だけ、到達した場所の高みが感じられる、素晴らしい終わり方と言えます。


あくまでNGの物語であった1~7話の間にユニットを結成し、目立つ所が少なかった新田美波が、その才能を開花させる話でした。
ユニット単位でのお話が続き、NG全体での統一性が欠けている状態をしっかり見せ、その補填を行う回とも言えます。
キャラの持つ『らしさ』と『らしくなさ』を活かした劇作は健在で、色々な側面があるキャラクターを魅力的に見せる意味でも、『らしくなさ』を『らしさ』に変えていく変化のダイナミズムという意味でも、とても良かった。。
お話全体の流れの中で此処でやっておくべきお話、此処でしか出来ないお話になっており、素晴らしい完成度でした。

今後との繋がりを考えると、島村卯月があまりにも頑張ってしまうことの強調と、そのことに感じる不安は、今後(もしかすると次回)生きてくるところかと思います。
また、各キャラクター美点だけではなく欠点をしっかり見せることで、まだまだ成長途中であること、成長の余地がありそれを埋めていく物語として、このアニメが設計されていることを意識させることも、今回の狙いかなと感じました。
次回でシンデレラガールズのお話は一つの区切りを迎えますが、三ヶ月の休みを取って、今回見せた空白をどう埋めていくのか。
そもそも、これまでの物語を次回どう解決してくのか。
シンデレラガールズ、ますます楽しみです。

 

 

アイドルマスターシンデレラガールズ:第13話『It's about time to become Cinderella girls!』
訳すなら『時は来た、それだけだ』という感じの、デレアニ第一期最終話。
最後の最後まで試練とその克服をドラマの中心に据え、少女たち(と不器用な大男)の到達点をしっかり見せる、大満足のラストエピソードとなりました。
思い返すと、立派なアニメだったなぁ、シンデレラガールズ

群像劇たるこのアニメ、最終話は個人やユニットに焦点を当てるのではなく、CP全体をカメラに収め、この話がたどり着いた場所がどんなところなのかを、余すところ無く見せなければなりません。
そのために用意された舞踏場が今回の夏フェスなのですが、しかし全員にフォーカスした結果ドラマの焦点がボケるという愚策は今回も侵さず、しっかりと軸を据えて話が回っています。
今回の軸は新田美波神崎蘭子本田未央城ヶ崎美嘉、そしてプロデューサーとなります。
まずは彼女たちから見て行きましょう。


『調子の上がったキャラクターを下げて、全体的な不穏さを演出する』というのは、このアニメを貫く強力な演出プランです。
第3話の未央であったり、第7話の卯月であったり、第10話のきらりであったり、『此処が凹んだら総崩れになる!』という危機感を抱くようなキャラクターに不調を背負わせ、メインステージから外す手法は、繰り返し使用されてきました。
主導的なキャラクターの危機を、他のキャラクターが掬い上げることで仲間との強い絆も見せることが出来、個別のキャラクターのお話であると同時に相互の関係性のお話でもあるこのアニメに、非常にあった演出方法だと言えます。

第12話で圧倒的に的確なリーダーシップを発揮した新田さんも、この基本原則に従って、今回下がる役を担当することになります。
光と影で魔法をかけるのがこのアニメの画面作りの基礎だと思うわけですが、出場不可を告げられ肩を落とした新田さんの顔に、サッと影がかかる画面は画面の深刻さを一気に上げていて、とても良い演出です。
視聴者とCPメンバーに第12話で生まれたリーダー・新田美波への強い信頼と、彼女が脱落することで生まれる不安感、それを克服することで生まれるカタルシスは全て一繋がりであり、話数を跨いだエピソードのやり取りが巧い、このアニメらしい盛り上げ方だと言えます。

無論話の都合だけでキャラクターが凹まないように、丁寧な描写を挟むこともこのアニメの強みであり、気合を入れすぎてやや空回りしている新田美波の緊張は、序盤の描写からしっかり伝わってきます。
元々前に出るタイプではない新田さんは、12話で『覚醒』してCP全体の導き手となったわけですが、今までのスタイルと異なる立場は見えない緊張を強い、責任感が強いからこそ強い負荷をかける。
原因と結果を繋ぐ、間の描写をしっかりと挟み込むことで、このアニメは作品全体を支える強烈な図式を、視聴者にあまり気取られないようにすることに成功しています。
無論、キャラクターが作中で生きている人生の描写としてもこれらのシーンは成功しており、ただ作品の設計意図をマスクする意図だけが、新田さんが張り切りすぎている描写の意味ではありません。

(あんま関係ない話なんですけど、『Memories』は曲調、モチーフ、衣装、ダンスの時の表情の入れ方など、色んな部分がWinkへのオマージュだと思ってます。
しかし今回『相方が負傷欠場し、同じチームのメンバーで空いた穴を埋める』という展開が入ったことで、すごく『てもでもの涙』っぽくなったなぁと感じました。
てもでも自体がWinkへのオマージュってのもあるけど、脚本ゆにこ先生だし、佐伯美香のエピソードを盛り込んだ可能性は無いわけじゃないなぁとか……多分考え過ぎ。
色んな事情が重なって、完全バージョンを披露できない不遇の名曲と考えると、アイドルソングらしい物語性が生成されてて、特に好きな曲です)


新田さんが消失した穴は強烈な不安となり、これを埋めるために物語が運動を始めます。
誰かの不在は誰かが過剰に出っ張ることを意味し、『らしくなさ』を『らしさ』に変えることで成長を見せてきたこのアニメにおいては、喪失はあくまで回復するための前段階です。
今回『らしくなさ』を見せたのは、前回ラブライカと対で描写されていた神崎蘭子になります。

蘭子といえば熊本弁であり、『一見欠点に見える個性こそ、輝くための強力な武器』という世界律にしたがって、彼女は彼女のままで周囲と分かり合い、居場所を作ってきました。
しかし、リーダーでありラブライカの半身でもある新田さんの不在は、恥ずかしがり屋の自分を鎧うために中二病的言語しか喋らない、今までのままの神崎蘭子ではけして対応できない緊急事態です。
第12話で新田さんが、顔を叩き笑顔を作ってからリーダーという立場に飛び込んでいったように、蘭子も今回、初めて自分の心を一般的な言語で伝える。
特異な『らしさ』の居場所をみんなで作っていくことも、『らしくなさ』を『らしさ』に変えていくことも、このアニメをスウィングさせる重要なエンジンであり、今回蘭子が担当する物語は後者です。

この変化を魅力的に見せるために、第12話でラブライカが蘭子を挟む形で物語を進めていたのは、伏線であると同時に描写でもあります。
新田さんがダメになった時に代わりにするために、ラブライカ+蘭子は三人四脚を走ったわけではありません。
孤独に悩んでいた蘭子を『出来ない奴』という立場から引っ張り上げるためにはあの一手が絶対に必要だったのであって、その上で今回新田さんが凹み、その穴を蘭子が埋める。
誰かがダメになった時にはすぐさまカバーが入る安心感というのも、このアニメの武器の一つでしょう。

今回蘭子が普通に喋ったことで、ゴシックな世界観を売りにするRosenburg Engelは魅力を失ってしまうわけでは、勿論ありません。
『らしくない』行動をすること、決意をして新しい場所に飛び込んでいくことは、そのキャラクターが持つ魅力を損なうことにはならない。
新田さんがリーダーになっても、杏ちゃんが前に出ても、きらりが凹んでも、それは彼女たちの新しい側面であり、新しい『らしさ』です。
しかしキャラクターが単一の記号しか持っていないような描き方をされていれば、そのキャラ『らしくない』行動はキャラ描写のブレとして捉えられ、変化は魅力とは受け止められないでしょう。
キャラクター達が多様な側面と特徴を持つ複雑な人格なのだと、頑張れることもあれば傷ついて立ち上がれないこともある存在なのだと認識されるように、細心の注意を払って画面とエピソードを組み立てていたからこそ、今回の蘭子の行動は、胸を打つのだと思います。


『ラブライカ出番消失の危機』という派手な損失を埋めた蘭子に対し、城ヶ崎美嘉は目立つことのない、しかし重要な支援者です。
先輩アイドルとして第2話からCPと強く関係し、NGが泡沫の夢を見る直接の原因となった第3話でも、その夢が仇となった第6話でも、美嘉はCPの外側からCPを支える、15人目のメンバーとして活躍していました。
彼女という気持ちのいい先達がいるからこそ、CPの女の子たちが目指すアイドルの世界は善いものであり、頑張る価値がある素晴らしい世界なのだと思えたのは、間違いないことだと思います。

ただ頭上に輝く憧れとして、城ヶ崎美嘉は物語に存在しているわけではありません。
第7話ラストで自嘲気味に言っていたように『部外者』である彼女は、しかしひよっこアイドル集団であるCPの外側にいる先行者だからこそ、CPに足りないものを適宜補ってきました。
ステージ経験豊富で余裕があるからこそ、CP全員が初めて本気で取り組む舞台に彼女たちを送り出し、新田さんの面倒を全て背負う支え方は、美嘉にしか出来ないでしょう。

今回CPは、アイドルという仕事を、憧れではなく当事者としてやり切る、最初の機会に居ます。
第2話で未央が、第11話で李衣菜が見せていたように、ユニット仕事を経験しステージに上るまで、彼女たちの中でのアイドルは常に憧れです。
顔も名前もなくステージを眺めるだけだった、何者でもない少女たちはようやく、この世界で名前と意味を手に入れる寸前まで登ってきたわけです。

そういう状況下で、いかに新田さんが大事でも、ステージを外す選択肢はありえない。
しかし、強い責任感故に体調を崩してしまった新田さんを誰も支えないというのは、あまりに寂しすぎる。
その矛盾を、美嘉が医務室に居続けることで解消してくれている。
第2話・第3話でCPが目指すべきアイドルの高みを教えた彼女が、今回ようやく追い付いてきたCPが憂いなく戦場に飛び出せるように、頼もしすぎる後ろ盾を買って出ているのは、彼女がこのアニメで果たしている役割、魅力を的確に見せる立ち位置だったように思います。

『戦場ドキュメントとしてのアイドル・フィクション』という見せ方は、個人的にはAKBドキュメンタリー映画第二弾『Show must go on』を思い出します。
転がり出したら止まらないフェスの速度、戦闘服のように手早く着替えられるステージ衣装、力尽きて離脱するリーダー。
莉嘉の手際の良い立ち回りは、ベテラン兵士の頼もしさと同時に、有能でなければ生き残れない戦場のハードさを示すものでもあるのでしょう。

 

こうして第一の危機を乗り越えたCPですが、すぐさま次の危機が訪れます。
事前のボードには降水確率0%と書かれていましたが、山の天気は変わりやすく、NGの舞台は突然の雨で中断する。
蜘蛛の子を散らすように去っていったファンは、6話で本田未央の心を折ったステージの再演となります。
このピンチで主軸になるのは、本田未央とプロデューサーとなります。

思い返してみれば、シンデレラガールズ第一期は本田未央の物語であったように思います。
ミーハーでお調子者で、人間関係の視野が広く人を引っ張る元気がある彼女は、第3話で早速緊張感に苛まれ、過大な夢を懐き、第6話での失望に当然のように導かれていきます。
アイドル以外の価値を許していないシンデレラガールズの世界において、本田未央が口にした『アイドルやめる!』という宣言は自分への死刑宣告であり、これを撤回させるために第7話の尺をほとんど使う。
物語の大きな上げ下げは、常に本田未央と一緒にあったわけです。

そして、アイドルの輝きを引き出し、彼女たちの笑顔を糧に自身も成長してくプロデューサーもまた、本田未央との関わりは深い。
群像劇としてのシンデレラガールズを取りまとめる立場であると同時に、自分自身も未熟なアクターとして物語の中心にいるプロデュサーは、作品中最も目立つキャラクターだと言えます。
彼の挫折と成長は勿論、CP全員と関わりあいながら展開する物語なのですが、彼のオリジンが開示され作中最も大きな成長の原因となったのは、本田未央の挫折と再起の物語です。
プロデューサーと本田未央は、お互い傷つけ合い癒やし合いながら、成長の階段を共に登って最終話までやって来た戦友と言えます。


第6話で本田未央が『失敗』と受け取ったステージは実質失敗しておらず、そこには彼女が過大に膨らませたアイドルへの期待と、それに遮られて観客の反応を見落とした彼女の心が存在しています。
心の取りようによって『失敗』を『成功』に、もしくは同じステージにたったラブライカがそうであったように『失敗』を『成功』に変化させる事ができるこのアニメは、多分に心因的というか、心の問題を克服することで全てが快方に向かっていくベクトルを有しています。

今回、初めて視聴者の前に完全な姿で公開された『できたてEvo! Revo! Generation!』には、観客の反応が取り込まれています。
煌くサイリウムの海、ステージを楽しむ人々の表情、活気のあるコール&レスポンス。
それは小さいながらも、第6話のステージでも起こっていたはずの反応であり、少女たちが心を閉ざしたことで見えなかった風景でもあります。
観客の反応がヴィヴィッドに挿入されている、今回の『できたてEvo! Revo! Generation!』と第6話のそれを分けているのは、絶望から回復しアイドルという存在理由に帰還したNGの、心のありようにほかなりません。

しかし、全てが心のなかで起こっているわけでは、けしてない。
心の外側の世界には、頑然としてステージが存在し、それを見つめる観客もまた存立しています。
第7話ラストシーンでNGはもう一度初舞台を踏みなおしていますが、そこに観客は居ません。
それは、島村卯月の、渋谷凛の、本田未央の心のなかでこそ起こっていることなわけです。

翻って今回のリスタートには観客が存在し、彼女たちのアクティングが群衆を動かし、大きな力を与えていることが示されます。
あの時アイドルを辞めなかったからこそ手に入れられた、観客のいるリスタートは大きな力を持って、雨が上がり曲が進行するに従って、まばらだった客席は埋まっていく。
NGが笑顔でやり切ったステージは、人を引きつける魅力を持って世界を変革していく。
それは、心の外側の世界です。

本田未央が観客を見失い、再獲得する物語の中で強調されているのは、『アイドルという職業はアイドルだけで存在するのではなく、彼女たちの輝きを受け取りともに前進していくファン、外側の世界があってこそのものだ』というテーマです。
アイドルとファン、こころと世界は相互侵犯可能な共犯関係にあって、どちらを欠いても上手く行かない。
13話という長い物語を走りきった本田未央が示しているのは、このアニメが捉えている健全なバランス感覚に他なりません。

心を変えることで見えている世界が変わり、行動が変わり、観客に影響を及ぼしていく。
アイドルという立場を手に入れることで、これまで知らなかった世界を学び、自分自身の心も変化していく。
心と現実が相互に作用し、より良い方向に変化していく運動こそ、第3話・第6話・第13話で描かれたNG三回のステージが際立たせいる、この作品のダイナミズムだと僕は思います。


心と現実が相互に影響するからこそ、心のあり方はとても大事です。
第6話でプロデューサーが口にした、正しすぎるがゆえにあまりに残酷な言葉は、一度本田未央を壊しました。
今回プロデューサーは、あの時とは異なる行動を取る。
言葉を選び、ただ事実と真実を伝えるのではなく、それによって傷を受け立ち直る心のことを考えて、本田未央に言葉をかけるわけです。
本田未央が一度『失敗』したステージを取り戻すこのタイミングで、プロデューサーもまた、彼の物語の(一応の)完成を示す形です。

第2話で同じ写真に入ることを拒んだプロデューサーは、現実が見え過ぎている……というか、過去の失敗から現実しか見ないように己を規定していた存在です。
未央の見ていた現実が過大な幻想で変質していたように、プロデューサーが凝り固まっていた過剰な現実主義は、関わるアイドルたちと彼自身の心をも頑なに固定していた。
心的風景も現実的光景も共に重要だからこそ、己を車輪として規定し、アイドルと心で触れ合うことを拒んでいた第2話の彼は、今思い返せば痛ましいし、彼の内側にある真実、大切なアイドルたちとより良い関係になっていきたいという願いを裏切ってもいます。

あれから11話の話数を積み上げて、今回彼はCPメンバー全員と一緒に写真に映ります。
彼の美点であり個性でもある誠実さ、堅実さを損なうことなく、むしろそれを活かしてこのラストシーンに辿り着く事こそが、プロデューサーを主人公とした場合のこのアニメの(一応の)終着点となります。
あのラストシーンはしかし、単独で存在しているわけでも第2話との呼応でのみ存在しているわけでもなく、本田未央との対話シーンで見せた変化があってこそのエンドマークだと、僕は思います。


あの写真がプロデューサーのエンドマークだとすれば、では本田未央のエンドマークは何処なのか。
それは当然、アンケートを見つめるシーンになります。
ようやく履いたガラスの靴を脱ぎ捨てて、裸足で自分たちの行動を見つめなおすあのシーンは、CP全体の到達点でもある。
ですが、『失敗』と切り捨てて『アイドルやめる!』とまで言い切ってしまった第6話のステージが、その実世界を変革していたのだと実感させる流れと、何よりも『アイドル、やめなくてよかった』という言葉を引き出していることを考えると、あのシーンの主役はやっぱり未央です。

第6話から第7話の流れは、物語に強烈な負荷がかかる下げ調子の展開であり、かつ第7話が終わっても溜め込んだ失点を完全には回復できない展開です。
ラストシーンの再起動はあくまで三人の気持ちが起き上がったのであり、アイドルとして必要なステージ上の活躍、ファンに対する強烈な働きかけは、宙ぶらりんのまま終わる。
6話の間宙吊りにされていた、本当の意味での失地回復はNGのステージと、あのファンレターで達成されるわけです。
それはとても強烈な物語的体験であり、快楽でもある。
その真中にいる本田未央が、心の底からプロデューサーに『ありがとう』を言えるのであれば、やっぱりこの話の最も大きな軸、シンデレラガールズ第一期の一番の大きなアクターは、本田未央だったんじゃないかなと、僕は思います。

 

その上で、今回のお話は新田美波だけの、神崎蘭子だけの、城ヶ崎美嘉だけの、本田未央だけの、プロデューサーだけの物語ではない。
今までの物語が少女たち全員の物語であったように、その終わりもまた、全員の物語なのです。
特定のキャラクターに強いフォーカスを当てつつも、例えば蘭子の髪の毛を母親のように優しく整えるきらりであったりとか、計算なのか天然なのか相変わらず謎が残る態度で緊張感を抜く天才・双葉杏であるとか、かつて焦りから劇場を占拠し今は仲間のためにMCを繋ぐ前川みくであるとか、短いシーンの中でキャラクターの魅力をグンと引き出す手腕は、今週も冴え渡っていました。

その集大成としてあるのが、第12話全てをその準備に捧げた全体曲『Goin'』です。
(第12話の感想で振り付けを『Star!!』と書いてましたが、まーこのアニメがこのタイミングで新曲投入しないわけ無いよね、考えてみれば)
合計10回見せられたOPアニメーションで、預言的、もしくはサブリミナル的に高まった期待を大きく上回る渾身の作画であり、シンデレラプロジェクトのひたむきな魅力、可愛さ、活力すべてが詰まったステージだったと言えます。
(OPもしくはEDの尺を無駄に使わず、伏線として機能させる手腕は同時期に放送していた『ミルキィホームズTD』)

丁寧な物語的積み重ねがあってこその感慨ではあるのですが、アイドルマスターシンデレラガールズがアイドルという表現者のお話である以上、彼女たちの身体表現こそが感動の土台であるべきですし、それ以外に説得力を持って彼女たちの到達点を見せることは出来ない。
なので、『Goin'』の仕上がりはそのまま、第1話冒頭では何者でもなかった彼女たちが、顔と名前を手に入れてアイドルとして自分を表現する物語全体の仕上がりを反映します。
表現者たる彼女たちの物語的身体は女の形の中にではなく、ステージ上で躍動する運動それ自体にあるべきだからです。
そして、『Goin'』が見せた表現は、その過大な任務を達成するのに相応しい出来栄えだったと思っています。


そこを通り超えて、物語の起点たる第1話で主役を張っていた渋谷凛も、一応の到達点を見せる。
何の夢も、熱くなれる何かも持っていなかった渋谷凛は、『楽しかった……と思う』という言葉を口にできるくらいには、アイドルに自分を投げ入れている。
しかしその姿勢はやはりまだまだ余裕を残していて、渋谷凛の物語は(本田未央の物語とは違って)これからなんだなぁ、という印象を受けます。

脳がクラクラするくらいに強烈な感情の乱高下をいくども体験させられつつ、『まだまだ未熟』『まだまだ途中』という描写を沢山盛り込み、物語が進んでいく余地を残しているのも、このアニメの特徴の一つかと思います。
あれだけのドラマがあると、ついついキャラクターの持っている欠点(つまりはそれを解消していくことで物語が進展する余地)を昇華してしまうものですが、このアニメは冷静に、必要なだけの変化をキャラに達成させ、厳密に成長を管理しています。
一度達成した成長が巻き戻ることは殆ど無いので、同じことを何度もやっている徒労感や、積み上げてきたことが無駄になる喪失感を与えることなく、キャラクター個人の物語、キャラクターが相互に影響しあって進む全体の物語を、上手くコントロールしているわけです。
今回凛ちゃんが見せたクールで熱くて、中途半端なんだけど達成感のあるあの背伸びは、そういうラインの上に乗っかっている描写なのではないでしょうか。

そういう意味合いでは、やはり島村さんの不穏さというのは13話の物語が終わったこのタイミングでも全然解消されていません。
新田美波の喪失と回復を、NG二度目の初舞台を、『Goin'』の達成感を経てなお、彼女にとってのアイドルは『アイドルみたいです』というものです。
それが、島村卯月がアイドルに抱いている巨大過ぎる理想から生まれるのか、アイドルという夢に辿り着くには小さすぎる自己評価から生まれるのか、それとも別の理由があるのか。
匂わされつつも、一期でそれに切り込むことはありませんでした。
二期では、痛みを伴いつつそこに飛び込んでいくのではないかなと、勝手に考えています。


こうして、アイドルマスターシンデレラガールズ第一期は終わりました。
光と影、レイアウト、左右配置、印象を操作するフェティッシュなど、画面をどう構成するかという根本的な方法論が常に共通しており、作品世界をどう視聴者に伝えるのか、揺れのない確信的な演出プランが感じられるシリーズだったと言えます。
脚本においても、話数を跨いだロングパスが何本も決まっており、物語全体の豊かさ、キャラクターの多角的な魅力構築に成功していたように思います。
非常によく準備され、管理され、構築された、優れたアニメシリーズです。

同時に、ただ客観的・理性的に分析できる要素だけが優れているアニメではなかったです。
キャラクターにも、そして彼女たちが絡みあうことで生まれる物語にも、強い愛情を感じました。
視聴者の大半がぎりぎり受け止められる所までしっかり負荷をかけ、それを克服させることで見えてくる成長物語。
個性の扱いであるとか、心と世界であるとか、夢の意味であるとか、各々のテーマに対する強い情熱。
自分たちがやりたい事を、的確な方法で視聴者に伝えるのだという血潮の感じられる、熱いアニメシリーズであったと思います。

良いアニメでした。
三ヶ月の間を空けて、第二期が始まるようです。
とても楽しみにしています。
ありがとう。