イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

昭和元禄落語心中:第3話感想

時代に振り回され自意識にのしかかられながら、青年が自分を見つけていく言葉の迷い路、三話目は戦争の時代。
戦中期という激しい時代を、あえて戦火から遠い場所に主人公を避難させた上で、落語と初太郎という二つの想い人から距離を取らせるアクセントとして使う、なかなか技アリのお話でした。
菊比古の捻くれた心根と、初太郎への黒い油のような愛憎が緊張感を失わないカメラワークからみっしりと伝わってきて、見応えのあるお話でした。

過去編は何しろ語り部が八雲師匠なので、徹底的に菊比古に見える世界の一人称で進んでいきます。
戦場の光景が一度も出てこない奇妙な戦中描写もそれが理由ですし、初太郎と師匠が満州でどういう生き方をしたかもわからない。
ただただ時代の波が落語を押し流し、初太郎を連れて行った勢いと、波が引いた後疎開先で過ごした穏やかながらも張り合いのない暮らしが、丁寧に描かれるばかりです。
その視野の狭さが逆に、菊比古の繊細な心をしっかりと反映していて、初太郎との間にある共感と無理解を巧く表現しているように思います。

噺家としてのスタイルも置かれている環境も、身体的特徴も全く異なる二人が近づいては離れ、別れては惹かれていくのが過去編の大きな引力なのは、お話全体の流れとしてもそうですし、心の置き所としてもそうです。
小指を絡めて眠った別れの床でも、帰ってきた後の掛け合いにしてもそうなんですが、初太郎は前向きでカリスマ性とパワーがあり後ろを顧みない『男性的』な特徴を持っていて、菊彦は線が細く悩みがちで確信が持てない『女性的』な特徴を持っています。
この対比が菊比古の執着を生み出し、二人の関係に何処かゲイ・セクシュアリティ的な空気を持ち込んでいると思うのですが、では初太郎から見た菊比古は、今回展開したエピソードほどの重さと湿度を持っているのか。
一人称的な話運びは逆に、お互いの気持の非対称性を陰画のように浮かび上がらせる作用を持っているように思います。

今回展開したのは戦火に引き裂かれる恋人の離別と帰還、そこからの大逆転のお話なわけですが、それはあくまで菊比古の感じた物語です。
満州での出来事は自分が経験したわけではないので省略され、戦争はラジオの向こうの唐突な出来事でしかない。
そこには初太郎との、僕らが一般的に抱いている歴史認識との齟齬がありますが、それが問題化するとしても今回ではないわけです。
大事なのは菊比古の孤独にじっくりと分け入って、彼の繊細さを体験していくことであって、危うさという導火線に火が入るのはまぁ来週以降でしょう。
そのために、わざわざみよ吉という異分子、女という異物を出してヒキにしたんでしょうし。

神の視線での描写を徹底的に押さえ、菊比古の繊細な自意識、初太郎への特別な思い、腐敗への恐怖に寄り添った今回のカメラは、語り部をよく理解するための優れた足場になると思いました。
そこでぐっと踏ん張れればこそ、菊比古を取り巻く人物や社会をより深く噛みしめることもできるし、それを表現する繊細な筆致に気づくことも出来る。
落語の話であると同時に人間の話でもあるこのアニメ、まず菊比古という一人称の語り部に重点して描き、そこを足場に他の人々に切り込んでいく方法論が確立しているのは、とても良いと思うわけです。


今回菊比古は沢山の女の子と付き合うわけですが、どのシーンもひどくつまらなそうな表情をしています。
これは初太郎と過ごしている時の距離の近さ、弾む表情と対象を成していて、どこか壊れてしまって真っ当には生きられない、後の八代目八雲らしい業が感じ取れるシーンです。
菊比古がゲイ・セクシュアリティを持っているかは分かりませんが、少なくとも初太郎だけを一心に思いつめる一途さがあるのは間違いない。
その一途さがあればこそ、田舎に引っ込んで一度は仕舞ってしまおうと小折に収めた落語が、身の内からスルスル出てくるシーンに繋がるわけです。

親に捨てられ、何の因果か生業にすることになった落語は、しかし菊比古の血潮になってしっかりと根付いていて、時代の流れや環境の変化程度では捨てされない業になっていた。
これは兄弟弟子(というか、両方共親がいないので兄弟)である初太郎と重ね合わされた執着でして、初太郎への反発と愛情、小指を絡めた思い出があればこそ、落語に戻ってきたとも言える。
今回一時的に別れた二人の恋人は、菊比古の中では別個の問題ではなく、キツく癒着した一個の執着なのです。
そのコンプレックスの強さと複雑さが、彼の一途さの正体のひとつなのかもしれません。

戦中の落語の立場を表すためか、今回高座の描写は殆どありません。
稽古場、楽屋、疎開先の部屋。
今回落語が語られるのは殆どが高座という本命の舞台ではなく、あくまで隅っこです。
これは戦争の気配に落語全体が追いやられた状況をうまく表現しているし、今後名を上げ八代目八雲となることが約束されている菊比古が、前座時代の"子ほめ"からどう変わったのか気持ちよく見せるのに必要な『タメ』でもあると思います。
第1話、第2話で高座をアニメートする快楽をしっかり植え付けているからこそ、今回の抑圧された落語にはストレスが溜まるし、それが開放された時の気持ちよさを期待することも出来る。
これは自分たちが作っているものの威力をよく理解し、信頼している演出だと思いますし、実際狙い通りに機能しているように、僕には思えました。

ある種の飛び道具として話に引き寄せた長尺の高座描写を封印し、重苦しい戦中の空気と、先の見えない菊比古の不安を強調していく、面白いエピソードでした。
くっそ重たい愛情を初太郎に抱き、自分の居場所に怯えながら落語に擦り寄っていく菊比古の心情もよく見え、どっしりと腰を下ろして丁寧に話を取り回す、強い足腰が感じ取れました。
男と男の『お前だけ』という思いつめた視線が危うく、そして魅力的なお話なのですが、爆弾のようにやってきたのは林原声の女。
さてはて、どう転がるものか、非常に楽しみです。