イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

機動戦士ガンダムUC RE:0096:第12話『個人の戦争』感想

一週間ぶりのUCは重力の井戸放浪編・最終章、トリントン決戦でございます。
ジオンの悪霊を増幅するマシーンに取り込まれ虐殺者と化したロニを止めるべく、ジンネマン親父を青春パンチで黙らせて戦場に飛び出したバナージ。
諦めない心と真っ直ぐな言葉がロニを呪縛から解いたと思った瞬間、戦場の哀しみがロニの大事な人を奪い、バナージは撃てず、リディは撃った。
様々な人の生き方が交錯する、1クール目終わりでした。


ジオン残党の大運動会に結構な尺が割かれていますが、主役のドラマにはあんまり関係がないのですっとばすとして、今回の話しはバナージが二回説得をする話です。
一回目は砂漠で心を通わせたジンネマン、二度目は赤いモビルアーマーで皆殺しの唄を歌うロニさんが相手であり、一回目は成功してUCを発進させ、二回目は失敗してビームマグナムで蒸発することになる。
『哀しさを無くすために生きているのに、哀しい』矛盾に『それでも』と吠え続けるバナージの生き方は、誰かを救い上げる事もあれば、現実の哀しみに食い殺されてしまうこともある、なかなか難し生き方です。

一回目であるジンネマンへの説得は、これまで大人世代から期待をかけられるだけだったバナージが一発カマした記念碑的行動で、僕的には凄くスッキリしました。
マリーダを地獄から引っ張り上げ、虚脱状態だったバナージを砂漠に引っ張りだし、生死をかけたイニシエーションを一緒に過ごすことで蘇らせたジンネマン親父は、他人を背負う優しさと強さを兼ね備えた立派な人間です。
同時にどうにもならない過去に魂を惹かれ、『ただの怨念返し』が無益どころか大量の死人と復讐者を生む罪業だと理解しながら、自分一人ではカルマの輪から降りることが出来ない男でもある。
バナージがぶん殴ったのはこの矛盾であり、『自分だけ上から目線で人間の生き方説いてんけどよー! おめーもクソみてぇな『袖付き』のテロ屋やめて、家族の怨霊から開放される生き方探せや!!』という反撃が、拳に込められていたと思います。

かつてバナージに突っかかっていたフラストさんが今回は殴り合いを止めないのは、バナージとジンネマンが親子の殴り合いであり、殺し合いではなくコミュニケーションなのだと理解していたからだと思います。
バナージより長く濃厚な時間を共有してきたフラストはジンネマンの抱えるカルマや矛盾、痛みを強く理解しつつ、自分自身も同じ立場であるがゆえに変える切っ掛けを掴めなかったのではないか。
青春の青臭い理想論を携え、『過去を乗り越え、前に進め。唯一自由になるパーツを信じろ』という希望でジンネマンをおもいっきり殴ってくれるバナージは、彼の目には頼れるヒーロー……というより、自分がなれなかったガランシェール(≒ジンネマン一家)の末息子に見えていたんじゃないか。
あそこのちょっとコミカルな感じからは、そういう印象を受けました。
……あそこまで矛盾が暴露・共有されちゃうと、もうガランシェール『袖付き』に所属してらんないんじゃないかな?


拳と暴力という、直接的なパワーで世界の理不尽に抵抗することを覚えたバナージは、今回はじめて祝福されて世界に飛び出していきます。
インドストリアル7でも、フル・フロンタルに拉致られた時も、パラオでも、ラプラス跡地でも、バナージはずっと状況に流されてきました。
己の力で扉を開けるのではなく、世界に背中を押されて出て行くでもないその姿は子供の無力さを象徴しているわけですが、今回はジンネマン親父の矛盾に『それでも』の声を上げ、逞しいく大人に不満を叩き付け分かり合ってから、無言で祝福されてガランシェールという『家』を出て行く。
これは様々な別れと大人の思惑の押し付けを経て、ようやく自分自身を制御できるようになってきたバナージが己の力で勝ち取った、大きな成果だと思います。
これまで私的な意見をうまく表現できなかったバナージは、ジンネマンとの魂の交流を経てようやく、他人や社会に対してどう自分の気持ちを表現すれば良いのかということ、それが時には制御された暴力をも許容されることを学習したわけです。

その成長があればこそ、これまで振り回されるだけだったユニコーンという暴力装置に自分から語りかけ、憎悪を増幅するサイコミュが同時に、優しさや強さという人間の可能性も増幅できる事実を確認する。
人間の精神を増幅するサイコミュ兵器は常にパイロットの倫理を写し、心の強さが物理的強さへと直結するコンバーターとしてUCでは機能しています。
バナージはジンネマンとの交流を経て、自分の能力や願いと立場、行動を一致させる方法を学習し、心理的・倫理的に成長しました。
だから当然、倫理をパワーとして増幅させる装置であるユニコーンもまた、『乗りたくないのに乗らされている機械』から、『語りかけ、制御するべき自分の一部』へと変化しているわけです。


しかし世の中そんなに甘くないわけで、続くロニさんへの説得は成功しかけては揺り戻し、結局リディに手を汚してもらうことで虐殺を避けるという、灰色の決着に落ち着きます。
バナージ自身はビスト家の重たい遺産であるユニコーンを乗りこなし、ガランシェールの家族たちにも己の理想を祝福してもらってるわけですが、ロニさんはそうも行かない。
誰かと語り合う尺は用意してもらってないし、死んだ両親はモビルアーマーの中に悪意しか残してくれてないし、頼れる仲間はぶっ殺されるし、自分も虐殺で血まみれだし、バナージが手に入れた支援を一個も手に入れられていないわけです。
そんな空虚な人間が、憎しみを増幅するマシーンに取り込まれて抗うことも出来ないのは自然なわけで、ああいう哀しい終わり方となってしまいました。

ロニさんもまた『ただの怨念返し』に取り憑かれ、今まさに目の前で繰り広げられている殺し合いで身内をぶっ殺されたことが決定打となって、バナージの手を打ち払います。
ジンネマン親父はバナージとイチャイチャして、あの青年が結構大事な存在になっていたから『これまでの生き方』と『これからの未来』の天秤が未来に行ったけど、バナージとサイコミュ越しにしか交歓出来なかったロニさんにとって、バナージよりカークスと両親の亡霊のほうが重たかった、ということなのでしょう。
それでもバナージの正論に揺れていた辺り、モビルアーマーサイコミュ兵器でなければ……という感じもするけど、人の精神すら殺戮の燃料に変えてしまう宇宙世紀の狂気をもう一度考えるのが、UCの狙いの一つだろうからな……。

『敵は敵、がたがた喋らずとっとと殺せ』という戦場のルールを破って、バナージがロニに話しかける理由はやっぱり薄いと感じます。
バナージは戦争すべてを根絶できると考える、高慢な博愛主義者ではけしてなくて、強い共感で他人の哀しみを自分の痛みと感じてしまう、そしてそれを自分の手でどうにか出来るなら行動する、結構コンパクトな私的主体です。
つまり彼が動くためには私的理由がどうしても必要なんですが、あの短い交流と、NTの力というちょっと便利な設定と、ロニさんがアニメ敵美少女で視聴者好感度が高い『助けて欲しいキャラ』だからの合わせ技では、個人的には少し足らない気がしました。
ロニさんが背負っている哀しさはジンネマンと同じだし、バナージの説得メソッドもさっき聞いたのと共通なんで、そこまで突飛な感じはしないんですけどね……やっぱもうちょっとだけ、描写が欲しかったかな……。
時間をかけて描写したジンネマン親父のカルマと、ロニさんのそれを重ねあわせることで手間を省略し共感を増幅する手管は、ほんと凄いんですけどね……感心しちゃうわ。

コックピットに虚しく響く『ジーク・ジオン』の連呼を聞いていると、ロニはジンネマンの鏡であると同時に、ミネバの、そしてフル・フロンタルの鏡像でもある気がしてきます。
既に『終わってしまった戦争』の亡霊に取り憑かれ、どうあがいても勝ち目がないテロルの連鎖に身をおく虚しい立場、過去の遺産に絡め取られ身動きがとれない状況は、『袖付き』に身をおく公的アクター全員にまつわる矛盾です。
ロニさんは怨嗟の谺に魂を惹かれ、『哀しさを無くすために戦っているのに、どんどん哀しくなる』矛盾に食い殺されてしまったわけですが、ではバナージという支えがあるオードリーはどうなのか。
はたまた、シャアという過去の亡霊そのものを演じている、フル・フロンタルに揺れる主体は果たしてあるのか。
人間とマシーンの間、過去と未来の間で揺れつつ、あるいは生き残りあるいは死んだ二人のジオン軍人は、ヒロインとラスボス候補の未来をうっすらと予言する、面白い蜃気楼でした。


そして『家』に押し潰されあっという間にやさぐれたリディ少尉は、己の手を汚して、バナージが付けられなかった決着をつけていました。
ジンネマンが背負う『家族を陵辱された』という十字架、あるいはマリーダに付けられた『マシーンの一部として生まれ、女としての機能を略奪された』傷に比べると、『情けない家に生まれた』というリディの重荷は、人生がねじ曲がるには軽く感じられてしまいます。
人間をキチガイマシーンに変えてしまうサイコミュも、デルタプラスには搭載されてないしなぁ……色んな状況が、リディの決断を負の方向から後押ししているように感じる。

ここまでの描写を見ていると、大人たちの言葉を無駄にせず、大人たちにはけして辿りつけない真っ直ぐな道を歩く『人生の優良投資物件』であるバナージと、一人でウジウジと迷い、『家』にも軍隊にも居場所を見つけられない『めんどくさい不良債権』であるリディは、対照的に描かれているように思います。
『それでもと言い続けろ』というマリーダさんの言葉、『心というパーツを大事にしろ』というダグザの遺言をけして無駄にせず、ジンネマンの人生をパンチで真っ直ぐにしたバナージの光は、似たような状況でどんどん間違えていくリディの闇があればこそ、より際立ちもする。
そらー真心から出た言葉はまっすぐ受け止められ、より希望に満ちた未来に繋がったほうが見ている側としても徒労感が少ないから、バナージの好感度が上がるのは当然です。
複雑な状況に迷い、バナージとは対照的に戦場の矛盾に飲み込まれるリディは、感情を預けるには情けない存在です……女にもモテないし。

しかし暴走したロニが虐殺者であり、彼女を止めることは同時にたくさんの人命を救う善でもあってしまう以上、リディの行動がエゴイズムからのみ飛び出したとは、僕には思えない。
たとえ重たい『家』の宿命からの逃避行動だとしても、彼は軍人として市民を守る使命に己の命を乗っけて、バナージ自身も何度も助けている。
バナージの『それでも』が『人間がするべきではない死に方』に対する反発から生まれているのだとすれば、今回(そこに黒いエゴイズムがあるとしても、行動としては)命を助けるために命を奪ったリディにもまた、一筋の光があるように感じました。
あそこでビームマグナムを撃たず、モビルアーマーが街を焼いていたとすれば、バナージは果たして『それでも』と言い続けられたのか。
主人公が背負うべき重たく黒い軛を、リディは道化スレスレの無様さで代わりに背負ってくれたのではないかと、どうしても考えてしまう。

沢山のキャラがバナージを導き、補佐する構造はとても堅牢で、様々な矛盾が複雑に揺れ動く物語をそれでも安心して見続けるために、大事な土台になってくれています。
だからそれは非常に優れた構造なんだけど、バナージにかけられているケアーの何分の一かでも、身勝手な自分に振り回されつつ兵士やってるリディ少尉に、回してやっても良いんじゃないか。
彼が世界の真ん中で『それでも』と叫ぶ主人公の影であり、困難の中で主役が選び取った選択肢を輝かせるために、世界の厳しさにへし折られていく立場なのはわかるとしても、もう少し目をかけられても良いんじゃないか。
バナージを中心とした構造が非常に巧妙に回っていればこそ、そんな欲張りな感想も抱いてしまいます。

でもまー、ジンネマンの説得を成功させ、ロニさんの説得失敗させたように、『成功/失敗』『理想/現実』の難しいバランスをとらないとバナージの進む道には説得力が無くなっちゃうし、バナージが選ばない側を物語の中に残すためにも、リディはどんどん悪くならないといけないんだろうなぁ。
カーディアス親父の遺志を正しく理解して、力を乗りこなす方法をどんどん学習していくバナージと、ローナン親父の真心に背中を向け、どんどん方向性のない力それ自身に変化しちゃってるリディの対比は、残酷で鮮烈よね。
キャラを不必要に保護する意志が見えないのは、真面目な作品としてフィクションを受け入れる上ではとっても大事だし、今後もリディは孤独になっていくのだろう……。
『あんまりだ……みんなが寄ってたかって、あの子を虎に仕上げたんだ。人食い虎にしちまったんだ畜生!!』ッて感じだけど、『でも、そうはならなかった。ならなかったんだよ。だから、この話はここでお終いなんだ』と諦めたくはねぇからな俺は。


そんなわけで、重力の井戸に引きこまれてのバナージ魂の旅路は、一勝一敗という感じで収まりました。
哀しみを切り捨てて、世界に『所詮』と言い捨てるニヒリズムの厳しさ。
『それでも』哀しみを癒やし、他人の言葉に耳を傾け、心の柔らかさを維持したまま進もうとする意思。
理想が未来を引き寄せつつ、過去の妄執と現実の厳しさが少年を試す、中々ハードな通過儀礼でしたね。

んで、黒いガンダムティターンズカラーのMk2よろしく出てきましたけども。
中乗ってるのぜってぇあの人だよーマジよー消去法からも物語必然からもどう考えてもよー……たっぷり傷ついてまつげの長い少年と出会って少し癒やされて、前を向いて歩き直してハイおしまいで、いいだろうよマージーよ。
世界の厳しさがまだまだマリーダさんに振りかかる気配に震えつつ、来週を待ちたいと思います。
ホントなー、どうして哀しみはなくなんねーんだろうなバナージ……哀しいね。(ロニっ面後蒸発)