イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

機動戦士ガンダムUC RE:0096:第15話『宇宙で待つもの』感想

人間の業を煮詰めたお宙のお伽話、今回は移り変わる戦場。
ユニコーンの緑色ファイト一発でネェル・アーガマとガランシェールが合流したと思ったら、財団に踊らされた連邦本流が証拠隠しに襲いかかってきて、それを久々登場の『袖付き』が無双する展開でした。
長い旅路でお互い成長したバナオドがキャイキャイする中、トライスターさんはまんまとハメられて恨みを滾らせ、リディ少尉はバンシーの黒い誘惑に魂を燃やしていました。
『連邦もジオンも飛び越えた場所』に主人公が飛び込みつつある中、私欲と現状維持を求めて雲霞のごとく襲い来る輩がそれを阻む、ッて感じか。
ジオンの恨みの象徴であるガランシェールが爆破されたことで、対立構造の変化がハッキリした回だったと思います。

トップであるジンネマンが過去のトラウマを払底し、『テロか、愛か』の選択で後者を選んだ前回。
結果ジオンに拘る必要がなくなり、ジンネマンは第二の故郷であるガランシェールを捨ててネェル・アーガマに身を寄せる形になりました。
これは政治的信条の変化であると同時に自衛措置でもあって、ゼネラル・レビルという強力な勢力に狙われる中生き延びるためには、かつての敵でも手を合わせて共闘しなければいけない厳しい状況に適応した結果ともいえます。
『公』がネェル・アーガマとガランシェールを切り捨てた以上、『公』から離れた『私』として戦術的に結びつくしか手立てがないというか。
きれい事と生存の知恵を撚り合わせた結果、呉越同舟となったネェル・アーガマの姿は、ミネバとバナージが信じる『みんな』が分かり合える世界の、小さなモデルケースと言えるでしょう。

一見平等に見える状況ですが、爆発したのはガランシェール=ジオンであり、それを取り込んで空を飛んでいるのはネェル・アーガマ=連邦です。
この構図はUC96の現在だけではなく、年表で制定される宇宙世紀の未来にも敷衍していて、UC100年にはジオン共和国は自治権を放棄するし、連邦の腐敗は止まらずブッフォコンツェルンが反乱を起こすし、それでも世の中変わらなくてどんどん腐っていって、最終的には宇宙戦国時代がやってくる物語が、すでに描かれてしまっている。
つまり、ミネバとバナージが信じる『みんな』が分かり合える世界が、今立ち向かっている腐敗や諦めの世界に勝ち切れない(負ける、とは言わない。まだUC0096の物語は終わってないし)未来が、ある程度確定してしまっているということです。

今バナージが必死に叫んでいる『それでも』が、政治的実効性を持って世界を変革し切れないという、確定した事実。
これは歴史の隙間を縫う形で描かれた後付の外伝という、ガンダムUCの作品的位置づけ自体が持っている危うさだと思います。
『ミネバもバナージも超必死に頑張ったので、人間の業は克服され、お互いが分かり合うより良い政治形態が確立されました。歴史は変わったんです!!』というカタルシスは、この物語には最初から許されていないわけです。
そういう未来を先取りしつつ、二つの船のうちジオンは落ち、連邦は残りました。(もちろん、ジンネマンの未練が耐えたっていう象徴的意味合いもあるんだろうけど)


理想主義が現実を変え得ないシビアさを前に、ではなぜ彼らは集ったのか。
それはやっぱり、主人公であるバナージの『それでも』という叫びに、自分の人生を変えられたからなのでしょう。
個人が個人に影響し合い、組織の悪しき影響を脱するというひどくコンパクトな形でしか、UCという作品が『公私』のバランスをとることが出来ないというのは、弱々しいことでもあると思うし、あくまで自分の範囲を出ない誠実さの現れだとも感じます。
『冷戦が終わった今、巨大な規範と化した現状維持と経済主義のイデオロギーに反駁しうるイデオロギーに求心力はなく、歴史が終わったあとの物語は必然的に個人の物語になるしかないという時代認識が、物語に反映されているのだ』と大きく出ることもできるけど、まぁそれは多分言いすぎでしょうね。

一学生の民間人として、あくまで『私』として『それでも』を言い続けたバナージは、父から託されたインチキロボの力をついに制御し切り、緑色の奇跡を起こすことに成功します。
サイコフレームの不可思議な共鳴は、人間が分かり合えるかもしれない希望であると同時に、腐敗しきった現状に異議を唱える無理筋を強引に叶えうるパワーでもあります。
もちろんバナージの真っ直ぐな人格と理想が人に響いたという部分はあるんだけど、では奇跡と殺戮を呼びこむ強力なパワー無しに、『箱』を求める我利我利亡者どもを退け、心ある人々を引き付けることが可能だったのかというと、完全には否定出来ない。
そういう意味で、バナージ足り得なかったリディが同じ力を求め、バンシーに引き寄せられていくのは非常に納得がいきます。

ユニコーンというパワーを使いこなしたバナージが、連邦の内部に切り込んでいって世界を変えていく絵というのは、なかなか想像がつきません。
常に『私』で在り続け、『私人』を超えた力を制御してもなお『僕』の経験をミネバ個人に語るバナージが、連邦という『公』の領域に切り込んでいくことはないのだろうなというのは、これまでの語り口から僕には容易に想像できます。
つうか、その道はアムロがさんざんウロウロした挙句、政治的主体としては成果を出せなかった道だしね……一『私人』=英雄としては、世界を救うとんでもない結果を出してるんだけども。

『私』の領域から『公』へのアプローチは、『ザビ家』という『公』を背負ったオードリーがやるのでしょう。
徹底的に『私』的であるバナージの理想とパワーを『公』の領域に繋ぐ役割を果たせるかどうかは、ミネバというキャラクターが自分の物語を完遂しうるか否か判断する、大事な見せ場になると思います。
たとえ未来の歴史に巨大な爪痕を残せないとしても、世界すべてを飲み込みつあるあきらめを前に、どれだけ説得力のある『それでも』を言うのか。
ネェル・アーガマとガランシェールが一体化したことで、『公』の組織を超えて『"それでも"を言う側』と『言わない側』の対立構図がハッキリした今、ミネバが為すべきことがだんだんはっきりしてきた気もします。
それはUCという作品がガンダムシリーズに、それを飛び越えて現実の視聴者に対しどうアプローチするかの、一番尖った表現になるはずで、作品のとても大事な部分になると思います。
……それを支える土台としても、『地球で手に入れた具体的な体験』が、ガルマ声のオッサンとの対話以外にもう一つあってよかったかなぁ、という気はする。
あのシーンが説得力と具体性のある、とても優れて素敵なシーンだってのは認めたうえで。


強力なパワーがバナージの反抗を可能にしている事実を認めたうえで、力があれば世界をより良く出来るわけではない、というのはこれまでもたっぷり語られていました。
精神のあり方がそのままパワーに反映されるサイコフレームという設定自体がそうだし、パワーに踊らされ我を見失ったロニやマリーダさんたち、現在進行形で割れを見失っているリディが、バナージの反対側に置かれているのも、その一環でしょう。
『自分の自由にできる唯一のパーツ』である良心の囁きに逆らわず、現状を追認する諦めを振りほどいて、何度も立ち上がる心の強さこそが、前でもあり悪でもある強力なパワーをより良い方向に導ける。
パワーにまつわる物語の典型的な結論として幾度も語られてきた(そして、幾度でも語る価値のある)『心が伴ってこその力、力が伴ってこその正義』というバランスを、ユニコーンは分かりやすく具象化しています。

未だ正体明らかならざる『箱』もまた、『心と力と正義』をまとめ上げたフェティッシュであり、それに対応することでそれぞれの『心と力と正義』が見えてくる鏡でもあります。
『箱』を抹消することで財団と連邦の現状を維持し、スペースノイドを抑圧する世界を継続しようとするマーサのエゴイズムも、バナージ個人ではなく『箱の鍵』と対話しようとするフル=フロンタルの不気味さも、『箱』というブラックボックスが上手く引き出していました。
現状維持を望むマーサはともかく、本来メッセージを携えて現状に物を申す側であるはずの『袖付き』中枢が、『箱』には一体どんなメッセージがが込められているのだろうかと考えず、ただの政治的アイテムとして奪いに来るってのは、皮肉が効いてて良い。

久々の登場となったフル=フロンタル&アンジェロ・ザウパーですが、これ以上ないほどの無双っぷりでゼネラル・レビルをイジメ倒していて、相変わらずつえーなと思った。
ビーム撹乱膜の細やかな描写が非常に良かったですが、まぁこんくらいの無双しないと敵役としての存在感も出ないし、何しろホント久々だからね君らの顔見るの。
アンジェロの新型が無双したあと、『さぁ、大佐! 超かっこよくシナンジュ・オン・ステージしてください!!』とばかりに一礼したの、最高に気持ち悪くて良かったです。

『袖付き』のエースたちがキラ准将みたいな不殺プレイしていましたが、あれはネェル・アーガマに対する譲歩というか、『俺達としてはお前らのお仲間を尊重する意志は一応あるので、今後の『箱』絡みの交渉はよろしく頼んだ』ってメッセージなのかねぇ。
アンジェロが武者めいた興奮を面に出しているのに対し、事務的にメインカメラをぶっ潰しまくるフルの冷静さが逆に空恐ろしくて、この後あるだろう交渉もロクでもねぇ事になるんだろうなぁという予感を抱く。
ミネバがどういう『それでも』を言うのと同じように、シャアの影を背負ったフルがどういう交渉してくるのか、その裏にどういう思惑や勘定があるのか(もしくはなにもないのか)ってのは、個人的に気になるところなんだよね。
こうして見ると、パイロットでありイデオローグでもあるフル=フロンタルは、バナージとミネバ両方のシャドウなのだな。

もう一人のシャドウであるリディ少尉は、すごい顔で酸素吸いながらバンシーを睨みつけていた。
口を覆い表情を隠すマスクがリディの現状を上手く表現していて好きなシーンですが、それにしたってリディの今後に一切希望を抱けないのが凄い。
バンシーがどれだけの不幸を撒き散らすマシーンなのかってのは、マリーダさんが身を持って証明しているわけで、まぁとんでもなくろくでもないことになるのは確定的に明らかだろう。
同時に、バナージがたっぷり尺を使って乗り越えてきた『NT-D』というパワーをリディも手に入れることで、それを使いこなす精神の強さをゲットするチャンスでもあるわけだけど……なかなか大変そうだ。
『NT-D』は使いこなせば緑色に光って人の命を助けられる奇跡の力なんだけど、そこに辿り着くまでにたっぷり血を吸って赤く光るからなぁ……リディ自身がその生け贄になるのか、はたまた別の輩の血を吸うのか……。
マリーダさんだけは堪忍してつかぁさい、マジ……マジで……。(生け贄くじ引きになった瞬間、推しヒロインを背中にかばう卑怯マン)


と言うわけで、色んな旅の舞台となった地球を離れ、変質した宇宙に帰ってくるお話でした。
かつては絶対的な区別だった連邦/ジオンという『公』の境界線は、『私』としてさまよい尽くした地球の経験を経て解け、かつての敵が同じ船に乗る状況が生まれています。
しかしその理想の中にも紛争の種はあるし、『公』を背中に背負って暴力を押し付けてくる連中もまったくもって元気。
バナージたちが立ち向かわなければいけないもの、立ち向かうための武器がクリアに見えてくる、なかなか良いエピソードでした。

来週はゼネラル・レビルへの無双で存在感を増した『袖付き』が、ネェル・アーガマにちょっかいかけてくるターンなのかしら。
『サイド共栄圏』というサブタイトルからして禍々しさ漂ってますが、ラスボス候補であるフルがどういう熱をもって『箱』を求めるのか(もしくは一切の熱がない空疎なのか)が見えてくる話になりそうです。
フルの歪んだ『公』に、『公』担当主人公であるミネバがどういうカウンターを当てるかも含めて、なかなか楽しみですね。