イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

響け! ユーフォニアム2:第8話『かぜひきラプソディー』感想

低く立ち込める曇り空のように不穏な空気が後を引くユーフォ、静かに進行する第8話。
目立つイベントはあまり起きていない繋ぎの回なんですが、姉への複雑な感情と過去が明らかになった結果、久美子があすかに求めるもの、麗奈が踏み込める領域・踏み込めない場所、様々な人にとっての音楽の意味など、非常に複雑で立体的な要素が見えてくる回でした。
話が足を止めたからこそ掘り下げられるディープな感情に満ちていて、凄く好きなエピソードですね。

というわけで、久美子のオリジンが開示される回でした。
久美子の『音楽が好き』という気持ちは作品全体を貫通する巨大なシャフトであり、物語の根本といえますが、その起源には姉へのあこがれがあります。
幼いときにはお互い素直に接することが出来たのに、成長するに従い気づけば気持ちを取りこぼし、厳しい言葉を叩きつけ合うことでしか繋がれなくなってしまった、己のオリジン。
姉との衝突が激化するこのタイミングでこの過去が語られたのは、このアニメ全体が持っている回帰性を、強く意識した構図だと思います。

一期の物語も中学時代のダメ金から物語は始まり、そのときは反発していた麗奈と『上手くなりたい』『特別になりたい』という思いで繋がり、あふれる感情を吹奏楽に乗せることで過去の自分を取り返す構造になっていました。
時間軸的に『振り出し』だったダメ金よりも更に遡り、初めてマウスピースをくわえた時から久美子に宿っていた姉への感情が今回強く出るということは、久美子の根源とも言える姉との関係をより善く昇華し、その先にある感情へと主人公と物語を進めていくための下準備だと言えます。
『振り出しに戻り、更に前に進む』という構造で一気が進んでいた以上、二期もまたその構造を繰り返すことは、物語の構造としてより堅牢で、必然性を強めるものだと思います。
姉との決着は次回以降なんでしょうが、一期で麗奈との関係を濃厚に変化させていったこの物語が、久美子のコンプレックスをどういう方向に運んでいくか、非常に楽しみになりました。


久美子個人は、姉への感情を適切に表現できません。
『お姉ちゃんのトロンボーンが好き』という気持ちが強いからこそ、『本当はトロンボーンを続けたかった』と今更口にする姉が許せず、麗奈がいるのに言葉を強くしてしまう。
その激情に値するほど、久美子にとって姉は未だに大きな存在なわけです。

そんな久美子のファミリー・アフェアを適切に導く役が、麗奈ではなく秀一だったのは非常に面白いところです。
当然のように隣りにいて、同じ音楽を共有し、激しい感情も穏やかに受け止める麗奈の特権。
それを描きつつも、姉と秀一の会話には踏み込むための『長い時間の共有』『家族同然の付き合い』を持たない麗奈は、秀一が久美子の本心を代弁するのをただ立ち聞きし、状況改善のキックスターター役を彼に任せることになります。
に気になっても麗奈と久美子の、湿度と引力のある関係性は執拗に強調されてきたわけですが、ここに来てそれでは覆い切れないものを真ん中に据えてきたのは、面白いし冷静な見せ方だといえます。

このアニメが青春を切り取る筆はメッシーで緊密であると同時に、どこか突き放した客観性を備えています。
人間のカルマを部室に閉じ込めて進んでいく北宇治吹奏楽部にしても、その中で付いたり離れたりする女の子たちの距離感にしても、体温を込めた精密な描写の裏に凄く理性的でクールな目線があって、その相反する方向性がスパークすることで作品の独自性が加速していると、僕は感じています。
ここで麗奈の特権と特権の不在を同時に切り取り、彼女たちの間にある引力が実は万能の処方箋ではないのだと示すことは、凄くこのアニメらしい見せ方だなと思うわけです。

秀一が代弁し方向づけたオリジンへの帰還は、頑是無く二人で演奏を楽しんだ公園に姉の足を運ばせ、久美子の演奏CDを聴く気にさせます。
久美子と麗奈が『現在』を共有するために使った『CD』というマテリアル、一度は拒んだアイテムに姉が帰還し、久美子の『過去』と『現在』を共有し、一種の三角測量を行うための道具として再演されているのは、なかなか鋭い演出だと思います。
秀一のアシストにより、過去と起源、真実を取り戻す歩み寄りはまず、姉の方から行われたわけです。
久美子も風邪で弱って撹乱したせいで、姉が好きだった自分、音楽が好きという気持ちの根源を思い出しつつあるので、姉妹の感情の縺れがどうにか巧く収まって欲しいものだと、思わず願ってしまいますね。


姉へのコンプレックスが全容を露わにしたことで、あすかと久美子の関係もまた新しい表情を見せてきました。
久美子があすかになぜそこまで強く引き寄せられるのか、その源泉が見えない状況が続いたわけですが、久美子の『音楽の原風景』が今回描かれたことで、『失われてしまった姉』をあすかに感じ取っている関係性が、かなりクリアになってきました。
久美子があすかに『かつて憧れた、楽器がとても上手いお姉ちゃん』を見ていることは、『口を縫い合わせるわよ』という言葉が二人の間でリフレインされているこからも、容易に見て取れます。
久美子はあすかとじゃれ合い、ともに響き合うことで、姉とは実現できなかった『姉妹の合奏』という夢と戯れ、取り返せない過去を楽しんでいたわけです。

そんなお姉ちゃんが、再び楽器を止め、自分のことを卑下しながら現実に膝を屈するとなれば、本人以上に反発し屈折するのも、納得の行くところです。
その時久美子が取り戻したいのは、『現在』の田中あすかであると同時に、『過去』の黄前麻美子であり、黄前久美子本人でもある。
そこら辺の幻影とエゴイズムに嘘をつかない姿勢、久美子が相当に身勝手な存在であることを隠さないスタンスは、この作品でも一等僕が好きなポイントです。
そういう身勝手な形で繋がったとしても、絆の間を行き交う真心は何かを変えていくし、その奥にエゴを超越したきらめきが結晶していく不可思議からも、このアニメは目を背けていないからです。

『過去を取り返すためには、音楽を弾くしかない』というカルマは、久美子だけではなくあすかも滝先生も抱え込んだ、共通の業です。
麗奈がひっそり伏線巻いてたように、CD奏者があすかの父であるのは劇作のセオリー上間違いないでしょうし、とすれば、今回聴いたを夏合宿中、全感情を込めるように弾ききっていたあすかもまた、演奏の中で失った父を取り戻していたわけです。
第6話でしっとりと語られたように、滝先生もイタリアンホワイトを亡き妻に捧げ、父との複雑な関係に悩みつつ、過去を取り戻すかのようにタクトを振っている。
このアニメにおいて音楽は喪失を埋める慰めであり、時間を逆行する奇跡であり、過去に人を縛り付ける呪いでもあるのでしょう。

しかし音楽が過去に立ち戻り、現在と未来を変えていく躍動も秘めていることは、北宇治の生徒たちをめぐる様々な物語の中で強調された、この作品のもう一つの真理でもあります。
あすかと久美子が繋がりあった過去の蓄積、父を思い姉を思い吹いてきたユーフォの響きは、エゴを乗り越える可能性を秘めて二人の間で響き合っている。
それを信じたからこそ、あすかはテスト勉強にかこつけて『家』に久美子を誘い、秀一と麻美子が共有した(麗奈が共有を許されなかった)二人だけの空間を作り上げようとしているのでしょう。
あれだけ人間を立ち入らせないあすかが『家』『母と二人きりだった場所』に久美子を上げる行為にどれだけの決意と意味が込められているかは、前回見せた田中家の事情を鑑みれば、わかり易すぎるほどに伝わってくる。

戯けた態度の奥で、あすかは一種の救難要請を久美子に発しているのかもなと思うと、あれは痛ましいシーンでもあったと思います。
ああいう態度でしか、田中あすかは誰かと繋がることができなくなっているし、そういう繋がり方が出来ているのはおそらく、もはや久美子一人になっているのでしょう。
あれだけ緊密な関係を作っている麗奈と、あすかに関する評価だけは正反対に割れているところが、あすかと久美子の特別な距離感を巧く強調していると思います。


もう一つ、あすかと久美子の関係を浮かび上がらせる光源として、今回は葵ちゃんが久々に登場しました。
『アリバイとしての部活』に見切りをつけ、吹奏楽から距離を取った葵ちゃんにとって、田中あすかは完璧な天才であり、人間の心を持たないロボットだったのでしょう。
しかし久美子は自分に言い聞かせるように、自分が見て、感じ、共有してきた田中あすかは『人間』だと宣言する。
それは葵のイメージだけではなく、『失敗しなかった姉』を求める久美子自身の幻想も厳しく照射する、厳しい言葉だなと感じました。

もしかしたら葵ちゃんは、あすかには何事にも動じない完璧な存在でい続けてほしかったのかもしれません。
『アリバイとしての部活』ではなく、全国大会まで届く『青春の奔流』としての吹奏楽が目の前で結果を出してしまった以上、そこを離れた自分、そこから離れる一因となったあすかを見つめ直す時、葵ちゃんも冷静ではいられない。
自分が掴めなかった輝きの只中にいるのなら、あまりに凡俗な自分とは違う完璧さを持った、自分とは違う存在でいてほしいという願いが、葵ちゃんに『毛布に包まれた氷』のような笑みを浮かべさせたのかなぁと考えると、結構複雑ですね。

葵ちゃんの『田中あすか超人説』を久美子が否定するシーンが挟まることで、久美子はあすかに対し幻想を持たず、『人間』として向かい合う姿勢であることが示されました。
同時に、あすかに惹き付けられる久美子の視点が『人間』を貫通して『過去』へ、達成できなかった憧れへと繋がっていることも、今回強調された。
今回のお話はシーンの目的や意図を分かりやすく言葉にはしませんが、全てが二人のテスト勉強、久美子があすかの核心に触れる瞬間に繋がるよう配置され、多角的に二人の関係を照射して立体化しています。
そしてその光は、あまり性格が良いとはいえないエゴイスト二人が繋がる共通言語、『音楽』という太い軸も明瞭に照らし出すわけです。
象徴や配役の妙味で、周辺を塗りつぶすように中核を浮かび上がらせていくメソッドは非常にこのアニメらしくて、見ごたえがありました。


というわけで、一見淡々と時間が進んでいるように見えて、各々の要素が複雑に絡み合って物語を編み上げるエピソードでした。
姉への複雑な視線が掘り下げられることで、それを貫通してあすかを見ている久美子のズルい視線が見えてきたのは、僕の好みにガッチリハマって素晴らしかったです。
肉体を持って変質してしまった『現在』の姉ではなく、新しくやり直せるかもしれない先輩に『過去』を投影しつつ引き寄せられている、あまりに屈折したエゴイズムと愛情はひどく淫靡で危険で、久美子マジやべぇなって感じ。

そんな『過去』に遡る呪いだけではなく、音楽が積み上げてきた『現在』を信じ、その先にある『未来』を見据える久美子に叩きつけられた、残忍なタイム・リミット。
母性愛の鎖を振り切り、あすかは部に復帰することが出来るのか。
閉鎖された『家』が久美子に開放される時、一体どんな感情が溢れ出てくるのか。
恐ろしくもあり、楽しみでもあり、いやはや、ユーフォ後半戦も一切見逃せませんね。