イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

昭和元禄落語心中 助六再び編:第3話感想

真の上に嘘が被さり、隠れた嘘を嘘が覆う、浮きつ沈みつ浮世の誠、流れる先は生きるか死ぬか。
落語心中二期、三話目でございます。
真打ちの看板だけが重たくのしかかり、己を見つけられない優しい与太郎
情で女房となった小夏の涙にほだされて、滅多切りに切りつけた啖呵で親分さんとの縁も巧く転がり、小夏と信乃助との親子関係も収まるところに収まった。
その勢いを借りて、死の倦怠に囚われた八雲師匠もついに動き、二代目助六生き写しの"居残り佐平次"を熱演、ようやく真打ちになれる道が開いて、あ、助六の落語人生も、順風満帆~!
っていきたい所なんですが、表面を滑っていく勢いのいいお話と、伏目がちに語らず語られる薄暗い物語の対比があまりにも真に迫っていて、目の前に映るもの全てをそのまま丸呑みしちまって良いのか、思わず疑うお話でした。
この幾重にも折り重なった嘘と本当、その合間に挟まる毒と人情を皿ごと食っちまいたい心持ちになるのが、このアニメの強いところであります。

二期になってからも冴え渡っている演出、今回は助六の感情の流れに合わせて更に切れ味を増していまして、特に『眼』と『陰影』の使い方が巧すぎました。
今回助六は過去の因縁に正面から向かい合い、父親定かならぬ息子のわだかまりを吐き出し、落語に染まる以前の自分を取り戻していきます。
高まった感情に引っ張り上げられるように眦が釣り上がり、非常に好戦的な、『戦う眼』になる。
これを要所要所、クローズアップで切り抜く演出が画面に熱と殺気を宿していて、非常に良かった。

興奮に押し流されるまま無茶苦茶をやっちまう助六に比べ、ヤクザ兄貴も親分も、助けられる側の小夏も困惑の表情を見せます。
与太郎が真打ちになっちまう時間の流れは、イケイケだった兄貴のクマを色濃くさせ、『眼』に疲労の色合いを濃くしている。
親分さんはトンチキ野郎の討ち入りにも動じた風なしで、常に余裕のある糸目を崩しませんが、与太郎を池ん中に放り込むその一瞬だけ、眼を見開いて感情を露わにします。
それはヤクザとしてのメンツに蹴りを入れられたからではなく、与太郎のあまりに真っ直ぐな気持ちが小夏の秘密に触れ、板挟みを加速させて涙を流させたから。
実は親分も与太郎も、小夏の涙で感情を見せているというところは代わりがありません。

そんな風に、色んな人の情を受け取る小夏ですが、与太郎が眦釣り上げてスッパリと納得したのとは逆に、視線を伏せて何かを隠している。
こんだけの大立ち回りと鯔背な啖呵をぶちまけて、助六(と彼にシンクロする視聴者)としちゃ何かが明らかになったと、自分たちがたどり着いたところが真実だと思いたいところですが、小夏は『言いたくない秘密』を今回、明らかに引っ込めている。
それは場があるならさらけ出しちまいたい、後ろ暗い秘密であり、しかし彼女の母代わりといえる女将さんは『与太ちゃんの思いに応えたいなら、それは黙っておきな』と釘を刺す。
銭盗んで遁走したクソアマのみよ吉すら、その死を悼んでくれるような女将さんが『隠しておいたほうが良い』と忠言する秘密。

みよ吉も大概ズルい女でしたが、今回の小夏もまぁ相当なもんで、与太郎が吹き上がっているのを良いことに確定的なことはなんにも言わず、結果として与太郎の思い込みと思い切りはどんどん加速していく。
確かなことを何も受け取らないまま、自分で納得して本気で走っちまえるのが与太郎って男の意気なんですが、彼が早く走れば走るほど、長く伸びた彼の影の中で守られ、足を止めている小夏の戸惑いは強調される。
釣り上がる眦と、伏せられる視線は交わることなく、しかし男と女は夫婦として情を繋ぎ、一つの場所を共有していく。
『眼』に注力した演出は、そういう交差を巧く切り取っていたように思います。


小夏と与太郎の間に一線があるのは、逢引めいた空気の橋の上でもしっかり演出されていて、欄干が真ん中を切り取るレイアウトを一歩もまたぐことなく、小夏は『家』に、与太郎は『遊び』に帰っていく。
母娘だけが共有している『大人の秘密』を、花火と金魚に夢中ながきんちょ与太郎は気づきもしないまま、まっしぐらに別の場所に走っていってしまう。
気付いていないんだから与太郎は幸せだろうし、自分の痛みなんぞどうでもいい男だってのは、八雲のあまりに的確な指摘からも、血まみれの自分よりも親分への義憤を優先して啖呵切った立ち回りからも、よく見えてきます。
そんな与太の愚かさと真っ直ぐさが、眩しくも哀しく、美しくも切ない。

今回冒頭で捏ね繰り回していた"大工調べ"の啖呵は、他の落語と同じように借りもんでしたが、他人の痛みに共感して口をついた親分への啖呵は、樋口が見切ったように助六だけの本物です。
小夏へのあまりにもまっすぐな愛情と、それ故の怒りにさらされて、小太郎は水をくぐっていい男になリ、背中の鯉金も堂々と背負える真打ちに生まれ変わった。
しかしそんな与太郎が浮かれて求めた小さな家庭は、四匹の金魚のように毛色の違う、秘密と嘘を共有する家庭です。
『それでも家族だ』と、落語の中に談志式の『業の肯定』を求める助六なら言うんでしょうが、僕にはどうにも、黒と朱の入り交じるあの家の秘密が、危ういものに見えて仕方ない。
そう見せるために、助六の見ている世界と、小夏の見ている世界二つを切り分け、多層的に今回演出したんじゃないかなとも、思っています。

日本語には『敷居をまたぐ』『下駄を預ける』『死線をくぐる』って慣用句がありますが、今回は『足』のクローズアップでここら辺の定型句に温度を持たせ、どういう話だったかを暗に示していたように思います。
一歩間違えたらぶっ殺されたかもしれない親分との対峙に挑む時、与太郎の下駄がグッと切り取られ、全てが終わった後も、家の中と外を踏み越えていく助六の足がクローズアップになる。
助六はそういうふうに、他人の理不尽に怒り、何の気負いもなく一線を越えちまえれる優しさと強さのある男です。
そんな男でも、小夏との間にある線に踏み込めないのは、助六が優しいからであって、愚かだからではないと、僕は思いたいところです。


そしてそれが、八雲にとっては色のなさになっている。
他人のために怒れても、自分の理不尽は落語に包んでグッと飲み込み、『どうでもいいや』と笑い話に出来てしまう男は、自分大事で落語も人生もメチャクチャにしちまった二代目とは、実は正反対の男です。
しかし、話の艶と引き込みの強さは、優しくも誠実でもない、あまりに人間的な男の方に光っていた。
一話では頼もしさやありがたさに思えた与太郎の真っ直ぐさが、今度は味のなさに変わってきちまうあたり、芸の探求は全く一筋縄ではいきません。
ただのいい人じゃ、落語は語りきれないし面白くもないとなって、さてヤクザに戻るか、助六としての新しい生き方を手繰り寄せるか。
あんにゃもんにゃの啖呵一つじゃ登りきれない難しい男坂が、与太郎の目の前にどどんと立ちふさがっています。

先代が一期九話で見せた"居残り佐平次"を、死人をとりつかせて演じきる八雲は、どんな気持ちで助六を見ているのか。
その『眼』は未だ見きれませんが、少なくとも東大随一の名人は切れ者も愚か者も、善人も悪人も自在に憑依させ、落語が肯定するべき『業』をすべて飲み込む懐の深さがあります。
自分で『拾いきれなかった』と言っておきながら、命を削って二代目助六の芸を生き写しに見せる姿は、何十年経っても菊さんは初太郎に魂を引っ張れ続けているのだと教えてくれます。
二代目が逆さまに落ちて帰ってこなかった『水』から、三代目助六は勢い良く飛び出してきて、真似っ子の芸を自分のものにし、血潮を通して情と道理を語りきりました。
八雲が引き寄せられている濃厚な死、それに引っ張られて帰ってこなかった二代目の引力を、三代目は振り切れるのかというのも、真打にたどり着けるか以上の勝負所なのでしょう。


松田さんがすっかり禿げちまって、面白ぇ年寄りになったのと同じように、時間は平等に行き過ぎ、人は死に近づいていく。
それは生があればこそ輝く闇であり、光と入り交じることはなくても打ち消すこともなく、共存はせずとも同居している、人生のもう一つの側面です。
今回の演出はシャープな影とそこに映える光が非常に明瞭で、人生の舞台で共演する様々な矛盾が、キャラクターの中にしっかり宿っていました。
生と死、嘘と真実、情と無情、老いと盛り。
様々なものが様々な人の表情にかかり、また移り変わっていくたゆまぬ流れそのものを追いかけているこのアニメにとって、明暗のコントラストをしっかり描くのは大事なことなのでしょう。

出だし、助六は船に流されながら『自分の落語』に思い悩みその気持を反映するように、スッと橋の影がかかる。
そこを出たとしても周りは相変わらず夜闇ですが、精一杯一瞬を弾ける花火が咲いては散りして、この後劇場を炸裂させる助六の未来を暗示もしています。
それはもしかしたらこのエピソードだけではなく、人生の明暗を思いっきり駆けていくだろう助六の未来をも、照らし出すメタファーなのかもしれません。

今回助六噺家を志す前の自分と向かい合い、暴力的な情熱を身に宿しながら、道理に合わない嘘に立ち向かっていきます。
似合わねぇヤクザであったこと、親の死に目に会えなかったこと、背中の鯉金が邪魔でしょうがねぇ事。
結局助六も己の過去を妬み、嫉み、恨む人間の心が当然あるわけですが、それをヤクザ時代の荒々しさと、手習いで体に刻んだ話との合わせ技で持って乗り越えて、親分さんの気持ちに滑り込んでいく。
闇と光が同時に顔に宿ればこそ、迷いを抜け出して見えてくる景色というものがある。
今回明瞭な陰影で描かれたのは、真打・助六の新境地であり、そこにたどり着くために必要だった手荒い巡礼の色だったのでしょう。

闇の中に光があり、光も陰りの中にある。
小夏が抱え込んでいる秘密の色、八雲に宿る死の影、いまだ本心を読みきれない樋口の陰り。
皆が夜闇の中にいつつも、嘘で塗り固めた絆を本物とすがって、一家一門として寄り集まっている浮世の姿。
それは今回のエピソードだけではなく、お話全体が幾度も、幾重にも、様々なアングルで切り取ってきた人生の表情です。
その果てに生きるものもいれば、死ぬものもいた。
逆しまに河に飛び込んでご破産となった過去があれば、心のなかの影をぶちまけて強く手を握りあった新しい夫婦もいる。
色んなものがあって、色んなものの陰影を複雑怪奇に、魅力的に描けているからこそ、このアニメは本当に面白いんだなぁと、今回強く思いました。

『父ちゃんの落語が聞こえるよ』
そう愛息に告げた小夏が聞いているのは、冥府から流れてくる二代目助六の唄なのか、はたまた今を必死に生きている与太郎のお稽古なのか。
生と死、後悔と希望の間で揺れ続ける全ての人間の陰影を映して、物語は先に進んでいきます。
その河の行き着く先が情けも容赦も緩みもないものだろうというのは、ここまで付き合わさせてもらった身には、ようよう良くわかります。

差し迫っては八雲と助六の親子回、さてはてどう運びますか。
非常に楽しみです。
二代目助六、八代目八雲それぞれの"居残り佐平次"を見せた上で、二期始まってからこっち『自分の落語』を探し続けてきた三代目助六が何を見せるか、って運び方が、もう単純に期待を煽られちまうんだよなぁ……。
やっぱ面白ぇわ、このアニメ。