イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

小林さんちのメイドラゴン:第5話『トールの社会勉強!(本人は出来てるつもりです)』感想

なんてことない毎日の繰り返しの中で、人と竜とがわかり合う蒼きアルカディア、メイドラゴン第5話です。
ドタバタした日々にも落ち着きが出てきて、さて人間のことでも学んでみようかなと思った混沌の竜が、好きな人の職場に行ったり、仲間と一緒に人間界をさまよったり、超能力にショックを受けたりする話でした。
軸はトールが背負っている様々な二律背反に起きつつ、ひっそりと漂う春の気配とか、優しく見守り合う人々の触れ合いとか、問題があったとしても乗り越えられる兆しを映像の中にしっかり込めて、日々が流れていく。
すごく穏やかで、鮮明な日常回だったと思います。

トールが様々な場所を見聞していく今回のお話、大きなテーマとしては終盤小林が内言していた言葉が、だいたい全てです。
人のことをよく知らなくて、でも知りたいと願うトールは、刺々しい態度とは裏腹に様々な場所に出向き、様々な人間を知ろうとする。
そこにはファフニールが指摘したような危うさがいくらでも潜んでいるのだけども、小林さんの卓越した人間性、人間ドラゴン問わず助けてくれる仲間の存在、そして何より、拒絶しつつもヒトに近づこうとするトールの願いがあれば、『青は渡れ』なわけです。
これはお話全体を貫く芯であり、非常にポジティブな認識が物語を貫いていればこそ、このアニメは安定もするし前向きさを維持も出来る。

トールもファフニールさんも、『人間殺す!』と口では言っていますが、どんだけ苛ついてもハゲ上司は転ばせる程度に留め、人間社会のルールは守り、学び、馴染もうとする。
『その気になれば、世界なんて簡単に滅ぼせる』というトールの言は本当なんだろうけども、彼女はそれをしない。
その足場になっているのは、当然一目惚れした小林個人への恋慕は大きいんだけども、そこからちょとはみ出した、人間全体への興味と接近なのでしょう。
彼女は自分自身が認識しているほど偏狭でも残忍でもないし、融和のための努力を怠っているわけではありません。

そういう彼女の優しさを小林さんは強く理解し、認識を阻害していようがトールを見つけるし、会社の前で光と闇に綺麗に別れた後、しっかり寄り添い受け止めようとする。
人間の暴力によって傷つけられた肉体と魂を、同じ人間である小林さんによって(おそらく)癒されたことで、トールは人間存在それ自体を軽蔑しつつ、同時に完全に見捨てるところまで行かないで住んでいます。
その綱渡りで救われているのはトールだけではなく、人間に絶望せず、人間を知ろうと努力してくれるトールによって、小林もまた変わっている。
『出会う前の自分が思い出せない』ほどに、ストイックで乾いた部分が研磨され、ドラゴンだけではなく人間に対しても柔らかく接することが出来るようになっている。
それは幸せな共犯関係であり、オタマジャクシがカエルになるように、暖かなものに守られた変化なのでしょう。

境界線を頑張って乗り越え、変化の共有が行われる様子は、ドラマの展開だけではなくビジュアルでも示されています。
会社の前の光と闇の融和、赤信号の前での静止と『人がたくさんいる中』へ進んでいくドラゴン。
柔らかなキャラクター描写の奥に、『映像の中に何を込めるか』という猛烈な演出意欲は明瞭に秘められていて、そこかしこで噴出する。
非常に京都アニメーションらしい作り方だし、意欲は達成されてもいると思います。


その上で、融和だけではなく、必然的な対立についてもメスを入れてくるのが、このアニメのすごいところです。
トールはあくまでドラゴンで、『トールにしか出来ないこと』を小林が認め、トール自身が認めたとしても、どうしても超えられない一線がある。
どれだけ友愛に包まれていても、トールと小林、人間とドラゴンは違う生き物であり、その能力と認識には断絶が存在する、冷たくてリアルな感触から逃げないこと。
角や尻尾といった『ドラゴンのパーツ』を執拗に捉え、分かっていても超えられない壁を追いかけるように、表情や仕草をじっくりと捉えたCパートの描写は、その断絶を撃ち抜いています。

『トールにしか出来ないことを大事にしなよ』
『人間がわからないからこそ、人間を知ろうとするんだよ』
卓越した人間性を持つ小林の言葉は、圧倒的に正しい。
これ以外に解決法はないほどに、異種間コミュニケーションという絡まった糸をほぐす正着なんですが、そこにたどり着いてなお、言葉だけでは乗り越えられないものがそびえ立っていて、小林はそこで立ち止まってしまう。
『分かってはいるんですけどね』と逡巡するトールを前に、言葉を失って手をこまねいてしまう。

トールがおどけた仕草で、どうにもならないものから話題をそらした時、小林は安心する。
彼女もまた、あらゆる状況を正しさで蹴っ飛ばし、万能の解決策ですべてを乗り越えられる超人ではないのです。
それは、テレポーテーションを使い、ブレスを吐き、空を飛べたからと言って、トールの『わからないから、わかりたい』という気持ちが解決しないのと同じ、とても人間的な制約です。
それを乗り越えるためには、小さく小さく歩みを積み重ね、幾重にも優しさを重ね合いながら、『わかろう』と願う祈りを手放さないようにしなければいけない。
『どうでもいいや』というニヒリズムに落ちず、精神の瑞々しさを保ったまま日々を生きなければいけない。
その表出が会社見学であり、買い物であり、ファフニールさんの家探しであり、修行であり、今回のお話を貫通する『様々な場所を見聞する』という行為なのでしょう。

小林が正しさを非常に正確に認識しつつ、その正しさだけでは乗り越えられないものを前に立ち止まってしまうのは、非常に誠実な行為だな、と思います。
それは小林個人の無力さにおののくだけではなく、愛する小林にも預けてはいけないトール自身の尊厳を持っていること、それ自体を尊重しているがゆえの静止です。
そこを踏み越えてしまったら、トールがトールとしてトールらしく人を学ぼうとした今回の努力を、横合いからかっさらってしまうことになる。
無論、どれだけ理解しているつもりでも飛び越えられない深淵の深さに立ちすくんだということもあるんでしょうが、それを『どうでもいいや』と踏みにじらないからこそ、トールも小林との関係で足を止めず、より広い場所へ目を向けようと思えたのではないでしょうか。

優しい気持ちも、圧倒的な正しさも、ただそれだけで無条件の楽園を連れてきはしない。
寄り添って日々を重ねること、乗り越えられない裂け目を見つめること、楽しい気持ちを頑張って維持すること。
色々めんどくさい努力を積み重ねることでしか、人間とドラゴンがなんとか幸せな距離感を維持し、お互い影響されながら光の方に歩いていく生活は、維持も変化も出来ない。
このアニメが始まった時から、こういう視点は映像の中にあふれているし、わりと完璧にトールを見守り導いてきた小林の『震え』が見られた今回は、特に強く感じました。
そしてそれは、正しいし良いことだなとも、強く強く強く思います。


正しさと優しさ、賢明さ/懸命さと相互作用、新陳代謝
トールと小林の関係を成り立たせるためには色んなものが必要で、それが芽生えてくるのは小難しい理屈を頭でこね回すことではなく、一緒の場所で一緒に暮らす日常からです。
カンナちゃんが画面の端っこでワキャワキャしてるのも、二人がいなくなったマンションでトールが時間を使う様子が丁寧に書かれるのも、トールの目を通じて小林さんの仕事っぷりを見るのも。
それ自体がひどくまったりと心に染み入る良い映像であると同時に、お話が抱える題目をしっかり支える土台になっています。

京アニは美術がとにかく鋭い会社で、雰囲気のあるいい風景に、季節の移り変わりを乗せて描いてくれます。
桜がほころび、水が温み、オタマジャクシが泳ぐ命の季節を鮮やかに描くことで、『もう二ヶ月になるのか』というセリフに実感が宿る。
ドラゴンとの奇妙な生活の中で『昔が思い出せない』ほどに生き方を変えた人間にも、人間を憎むだけの生き方をやめたドラゴンの姿にも、スッと得心が行く。
時間経過が丁寧に切り取られていることは、じっくりとした時間の中で断絶を乗り越え、橋をかけていくお話の形式を、強力に支えていると思います。
こういう柔らかな背景の使い方は、暴力的なまでに『意味』を乗せて世界を切り取ってきた前作"響け! ユーフォニアム2"とはまた別のもので、武器がたくさんあるなぁと感心させられます。

穏やかな変化を積み上げる前提である『時間』は、その先に『死』を持っています。
ゆるふわ日常系ではなかなか触らない、都合の悪い真理に今回、ファフニールさんが突っ込んでいったのは意外でもあり、英断だなとも思いました。
ドラゴンと人間の間にあるもう一つの断絶、寿命の差を前にして、トールは微笑みながら青信号を渡り、『その思いを、後悔とは呼ばないと思います』と宣言する。
それもまた圧倒的に正しい言葉であり、一番シビアな局面に対する答えを、トールは既に獲得しているわけです。

楽しい時間の先にある『死』を否定せず、除外せず、しかし露悪的にならない程度に扱ったことで、このお話は語り口の真正さをまた強めたと思います。
そういうことを気にして、トールに問いかけそうだなと思えるファフニールさんが担当することも含めて、良いシーンだなと思いました。
普段は反社会性ドラゴンという態度のトールが、ファフニールさんを前にすると人間社会の先輩として、かなりポジティブで前向きな答えを出してくるところは、なかなか面白いですね。
まぁ暴れるキャラしか画面にいないと、話がどこに飛んで行くか分からんからな……。


というわけで、様々なものを見聞し、その糧で己を変えていこうともがくドラゴンが、健気で可愛い回でした。
その頑張りを受け止め、変化させつつ変化する人間のしなやかな姿も、また好ましい。
才川はもうアクセル全開、尺調整なら任せろー!! って感じだけども、あれもまぁ受容の一つの形体だろう、多分。
好きって気持ちに嘘がないことは、やっぱ良いことですよ。

種族、時間、死。
乗り越えられない裂け目は至る所にあいているけども、それに足を取られず、手を繋いでお互い変わっていくことは出来るし、その歩みには大きな意味がある。
あとカンナちゃんはとにかく可愛い。
そういう気持ちになれる、メイドラゴン第5話でした。
やっぱおもしれぇな、このアニメ。