イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

リトルウィッチアカデミア:第7話『オレンジサブマリナー』感想

失敗を積み重ねて星への階段を作っていく、王道ドジっ子少女成長物語、今週は試験の季節。
先週ポラリスとアーシュラ先生に未来を指し示してもらい、学ぶ意味を見つけ出したアッコ。
しかしすぐさま優等生になれるわけでもなく、試験は軒並み大失敗、遂には退学の危機が迫ります。
金魚先生を巡るドタバタの果てに、小さな成長と持ち前の優しさが報われ、彼女を見守っていたアーシュラ先生もまた、教師としての成長を見せる。
笑いと感動が同居する楽しいお話であり、ルーナノヴァの授業風景やクラスメイトの特異ジャンルをさらっと見せる手際もありの、見事なエピソードでした。

今回も色んなことが起きているこのアニメ、軸になっているのはアッコとアーシュラ先生です。
先週ポラリスの泉でお互いの過去と未来を見つめ合い、夢を追いかけるために足らないものを自覚し合ったアッコは、ルーナノヴァを憧れのテーマパークとして捉えるのを止め、その本質である『学校』として利用しようとします。
アーシュラ先生もまた、ようやく教師としてアッコを支え、教え、導く立場につく……のですが、その前に一つハードルの確認があるのが、優しさの中で現実のシビアさを捉えるこのアニメらしさ。

学習の先にある資格、資格の先にある未来は、魔女たちの生活から遠い場所にいたアッコにはピンとこなくて、学業に真面目に取り組むのも『シャリオみたいになりたいから』です。
幼いころの夢の先に未来が直結していると、挫折を知らないアッコは無邪気に信じていて、アーシュラ先生にも『子供の頃は、何になりたかったんですか? 最初から先生になりたかったの?』と問いかける。
これに対し、アーシュラ先生は言葉を返せません。

アッコが憧れ、目の前で奮戦する理由になっているシャリオは、アーシュラ先生が諦め、置き去りにしてきた過去そのものです。
理由は定かではありませんが、夢が折れ曲がり挫折した果てに、名前を変えてたどり着いた教師という場所は、アーシュラ先生にとっては思い描いた夢の未来では、けしてない。
かといって、かつて抱いていた夢をシニカルに笑い飛ばし、現実を適当に過ごすことが出来るほど、アーシュラ先生も擦り切れてはいません。
生徒の前では、そしてまだ割り切れていない自分自身のあこがれの前では嘘は付けないけども、『夢が叶った、望みどおりの仕事です』とも、胸を張って言い切れない。
あまりにも無防備に輝くアッコから飛び出した夢の矢が直撃し、その痛みに何も言えなくなってしまうアーシュラ先生と、彼女を置き去りにして友達へと、輝く未来へとノータイムで駆け出してしまうアッコの対比は、ひどく残忍です。
そしてその残酷な真実から目を背けず切り取るからこそ、この後発生する二人の変化はより鮮明になり、分かりやすく届くのでしょう。


方向を見定めないままとにかく走り出してしまうアッコと、足を止めて眼鏡の奥に表情を隠してしまうアーシュラ先生。
『生徒』と『教師』に分かれた二人は、欠点はそれぞれ違いますが、どちらも適切な結果を巧く引き出せない状況から、物語に入っていきます。
全体的に話を牽引するアッコが目立っていて、りんごには毒が混じり、教室は爆発し、バカにされたら即喧嘩、元気に大暴れしたままAパートは進んでいきます。
ポラリスの泉で真面目な顔をしたからと言って、夢ばっかり見ていた劣等生がいきなり合格ラインに達するわけではないし、『お転婆で向こう見ずで粗忽なドジっ子』という、アッコのキャラ性がいきなり変化するわけではありません。

シアンよりも行動が優先するアッコ『らしさ』は、欠点であると同時に長所でもあります。
退学という未来を突きつけられてちょっと凹んで、でもすぐさま奮起して行動に出る(そしてとんでもない結果を引き起こす)ことも、『試験』という即物的な結果よりも、目の前で涙を流す魚の子供を助けるために駆け出すことも、アッコの真っ直ぐな行動力が引き寄せてきます。
ひねくれ者のスーシィが学校に残っているのも、何をしでかすか判らないアッコの側にいると、一切退屈しないから、というのが、結構大きいのでしょう。

今回アッコは、自分への見返り(=物語の最初で囚われすぎていた、試験合格という結果)を思わず忘れ、目の前の弱者を守るために魔法を使って、絶滅危惧種を保護します。
絶滅危惧種』という対外的な地位におバカなアッコが気付いていないことは、後の対応を見ても明らかですが、彼女は何も考えない愚者のまま(愚者だからこそ)、パイシーズ先生が問題にした『利他的行動における魔女の存在論』を自分の行動で証明する。
アッコの短絡的な行動が『何も考えていない』わけではなく、ルーナノヴァや教師の価値観、一般的な枠組みでは評価されない『別の価値観軸』にもとづいていることは、これまでも描写されてきました。
なので、パイシーズ先生や環境保護団体といった『別の価値観軸』に目を開いたキャラクターは、彼女の短絡的な行動を正しく評価する。
座学では他種族言語を習得できなかったアッコが、水中という『現場』に赴き、泣いている誰かのために身振り手振りで奮闘した結果、魚類語を習得できる流れは、アッコがただの劣等生ではなく、『別の価値観軸』にいることを巧く示しています。(ダイアナの古ドラゴン語、アンドリューのラテン語に引き続き、言語が『活きた知識』の最前線にいるのは、面白い価値観だと思います)

この価値観の立体性を分かりやすくするため、『普通=一般的な価値観軸に習熟している』ロッテと一緒に冒険に出し、『普通』の魔女学生ならこうする、というテストケースを隣に配置しているのは、非常に巧妙ですね。
事前に白魔法テストの中でロッテのバックボーンに自然に触れておくことで、ロッテは『魔法の資格が当然あって、それが職業に結びついている世界』の住人なのだと、巧く説明していますし。
このアニメは魔法の異世界をしっかりと設定した上で、その設定に躍らされるのではなく、使いこなしてドラマの魅力を引き立て、自然な流れの中で設定を説明する手腕に、非常に長けていると思います。

しかし同時に、アッコは夢を追いかけて全寮制のルーナノヴァに入学したのであり、問題の残る価値基準に対し、自分を順応させていく必要があります。
今回真面目に授業を受けようとする態度はその現れであり、毒リンゴや爆発する教室は、彼女のアウトサイダーとしての力と、魔法世界のインサイダーになろうとする新しい方向性が、衝突した結果とも言えるでしょう。
今後も『内側』と『外側』の衝突はアッコと、彼女を取り巻く世界の中で幾度も起きるんでしょうが、このアニメはアッコが徐々に『出来る』ようになっていく描写が非常に丁寧、かつ論理的なので、彼女の努力が無下にはならないと信頼できます。
前回一騒動巻き起こした変身魔法にしても、不格好ながら『水中で活動する』『魚の言語が理解る』っていう目的は達成していますしね。


かつては世界最強のアウトサイダーだったシャリオも、今ではすっかり赤髪を帽子に閉じ込め、控えめすぎる新任教師になってしまいました。
アッコが魔法界の古い価値観(と、それを代表するフィネラン先生)に追い込まれる最中でも、アーシュラ先生は周囲を気にして、助け舟を出すことが出来ない。
心細い状況の中で手助けを求めるアッコの視線を、ちゃんとアニメで捉えているところが細やかですが、それに気づきながらもアーシュラ先生は積極的になることが出来ません。

しかし物語が最終局面に差し掛かり、アーシュラ先生はシャリオの赤い瞳を降り戻し、フィネ欄先生に思い切りぶつかっていく。
それはかつて自分を追い込んだ(であろう)魔法界の古い価値観に挑戦し直すことであり、折れ曲がった夢の先にある『教師』という現状を、全力で演じきる、ということでもあります。
これまで細やかな心遣いは見せても、真正面から何かと対決する行動を見せなかった(それは二代目シャリオであるアッコの仕事でした)アーシュラ先生が、失ったはずの過去を取り戻す。
それは先週、ポラリスが見せたシャリオの努力がアッコに道を示したのとは逆しまで、過去の自分を追いかけ、劣等生だった過去の自分によく似た妹分の奮起が、そしてもしかすると、打ち捨てたはずのシャリオの輝き自身が、アーシュラ先生に真実を見せる構図です。

『世間体に惑わされて、評価されるべきものを見失ってしまうのはバカだ』
『私は一歩ずつ成長するアッコを評価し、見守りたい』
アーシュラ先生の魂の叫びは、アッコを守るために発せられたものであり、同時に肯定しきれなかった現状にしっかり向かい合う宣言でもあります。
笑いとアクションの中に、アッコの成長と健気さ、優しさをしっかり埋め込んだ物語を見てきた僕達の意見を、真っ向から代弁してくれるアーシュラ先生は、今回ようやく『教師』としてやるべき行動を果たしました。
それもまた、魚をすくったアッコの行動と同じように、後先を考えない愚者だからこそ掴めた真実なのでしょう。

『スタイルや特質は違っても、弾む胸の鼓動は共通している』というのは、例えばダイアナやアマンダの描写に息づく筆致なわけですが、今回のアーシュラ先生もまた、同じ輝きを秘めていたわけです。
そしてそれを引き出したのは、かつての自分に勇気をもらい、まっすぐにルーナノヴァまでかけてきたアッコの生き様、そのものなわけです。
『余計ごとを顧みず、胸に輝く正しい星を信じることが良い結果を引き出す』というのは、アッコの密猟者退治だけではなく、アーシュラ先生の反論にも共通する、今回(そして多分、この亜に目全体)重要なロジックなのでしょう。


今回のお話で特に好きなのは、アッコからアーシュラ先生に繋がった正しさのバトンが、フィネラン先生にも届いたんじゃないかな、と思える瞬間を、ちゃんと切り取ってくれたことです。
フィネラン先生はいわゆる『嫌な大人』でして、魔法界の膠着した価値観でアッコを勝手に判断するし、実際に魚が救われた尊さを見ないで『恥』と断じてしまうし、学園という閉鎖された領域からアッコを追い出せば問題が解決すると思っているしで、やり込めて倒すべき『敵』です。
しかしそんな彼女もまた、成長していく少女を見守り、導き、期待する『教師』であり、例えばダイアナのような『インサイダーの価値観』にそぐう存在には、プラスの評価を与えています。
彼女もまた、アーシュラ先生がアッコに見たような星を、生徒に見つけられるかもしれない可能性を持っているわけです。

その可能性は物語が終わる直前まで閉じられていて、彼女は『敵』であり続けるわけですが、アーシュラ先生が教育の理想を叩きつけられた瞬間、強い戸惑いの表情を見せる。
それはフィネラン先生もまた、『教師』としてアッコの味方になってくれる(かもしれない)存在であり、誰かが為した正しい行いを真っ直ぐ受け止め、評価できる善き人(かもしれない)可能性を、大事にしたからだと思います。
現実の忙しさの中で、人はどうしても大切なものを忘れてしまうけども、偶然と運命がもたらしてくれるきっかけを掴めば、目を見開いて星を見つけられる。
そういう希望が『主役』以外のありふれた人々にも開かれていることは、『信じる力』という誰もが持つ美徳をこそ『魔法』だと規定するこのアニメにとって、結構大事ではないかと思います。(なので、ネルソン先生がパイシーズ先生だと気づかないまま、風邪気味だから手助けしようとしてくれる描写ホント好き)

アッコだって、ポラリスに出会うまでは憧れだけを暴走させて、夢を掴むために学校を活用することに思い至らなかった。
アーシュラ先生だって、見失っていた輝きをアッコが証明してくれるまで、わからず屋の世間に自分の考えを叩きつける勇気が生まれなかった。
そういう切っ掛けが積み重なって、人は変わっていくし、変化は様々な場所で響き合う。
しばらくは『嫌な大人』をやらなきゃならんフィネラン先生が、そうそう早く変化していくわけではないと思います。
でも、フィネラン先生(が代表する、魔法界の古い価値観)がアーシュラ先生の熱意に、それを生み出したアッコの輝きに無関心でも、無感動でもないという期待を、あの一瞬で僕は強く抱くことが出来た。
それはとてもいいことだなと、強く思います。


そんな風に輝きが乱反射する本筋を捉えつつ、魔法学校の様々な教科を説明したり、愉快な仲間たちが持っている強みを見せたり、脇道もしっかりしているのがこのアニメの良いところ。
魔法世界のセンス・オブ・ワンダーは、物語を加速させる大事な燃料なので、具体的でワクワクする描写が積み重なっていくのは、凄く良いと思います。
パイシーズ先生のシュールな授業とか、ダイアナの星読とか、なんかワクワクする絵面が毎回入るのは、やっぱ良いなぁ……。
しかし、アクセルロッドとかトリヴァースとか抑えてる金魚って、もしかすると一番のファンタジーなんじゃなかろうか……互恵的利他主義が生物学の近接領域であり、それをよりにもよって『金魚』が教えるという捻ったセンス、僕好きです。

アッコを取り巻く問題児たちは、機械技術とか食品操作とか白魔法とか、それぞれ特別な一芸を持ったスペシャリストでもあります。
試験を横断しながらココらへんを描写する手際、今回非常に良かったですが、アッコは劣等生であり、友人たちが持っているような『特別な強み』をまだ手に入れられていないことも、巧く切り取られていました。
ポラリスの水鏡で姿勢を正し、学習が成長に結びつく土台はちゃんと作ったし、根本的な魂の正しさも魚を助ける過程で証明したしで、『アッコもいつか、自分だけの武器を見つけるんだろうなぁ』と思えるのは、すごく良いと思います。
欠乏の描写と同時に、そこを埋めるだろう可能性の兆しもちゃんと描くことで、視聴者の想像と期待が膨らんでいく作りになっているのは、本当に凄い。

もう一つ気になるのは、『アッコは学園を離れる』というダイアナの星読でしょうかね。
『ルーナノヴァが現状のまま、閉鎖的で日和見主義的であるのは良くない』ってのはこれまで何度も描写されているわけで、アウトサイダーであるアッコがそこを小さく変えつつ、いつか『現実』と激しく衝突することにはなると思います。
『アッコは学園を離れる』という未来視が、そういうストーリーラインの中でどう活かされるのか、凄く楽しみですね。
今回退学の危機を回避したことで、一見予見が外れたかのような予断が自然と生まれるのが、引掛けとして非常に巧妙ですね。

ダイアナは一見アッコの第一敵対者に見えるようにポジションされていながら、実は『アウトサイダー的価値観を秘めたインサイダー』である、つまりアッコ最大の味方になりえる『敵』として、かなり繊細に描写されています。
ダイアナ自身がアッコを嘲笑していない事実も、非常に丁寧に切り取られています。
そんなダイアナが見つめた未来は、ただの悪い予言ではなく、様々な意味合いを込めた未来への爆弾として機能すると、彼女が好きな僕は思っちゃうんですよね。
こういう物語的地雷が意図を込めて、そこかしこに埋め込まれているのも、このアニメの楽しいポイントだと思います。


というわけで、教師と生徒、二人三脚で成長していく試験の物語でした。
前回非常にエモーショナルに描いたアッコのリスタートをちゃんと引き受け、決意の先にある苦労と成長をしっかり膨らませて描いてくれたのは、2クールの物語として凄く豊かだし、ありがたかった。
今回のような小さな変化を積み重ねて、アッコは知恵を付け、出来ることが増えていくのだろうし、そんな彼女に巻き込まれるように、他のキャラクターも魔法の世界も、より善くなっていくのだろう。
そういう確信を深められる、とても良いエピソードでした。

過去を見つめ、歩むべき道を見定めて、でも変に真面目にはならず、自分らしく楽しく、時に厳しく歩いて行く。
アッコと仲間たちの青春は来週も輝いているだろうし、その輝きを受けて、教え導くべき大人たちが瞳の曇りを晴らし、真実の輝きに向かい合う瞬間だって、必ず見れるでしょう。
そういう双方向の優しさと強さが毎週見れるのは、やっぱ凄く良いなと思います。
俺このアニメ好きだなぁ、マジ。