Re:CREATORSを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月13日
ヤッター!!! 真綾声のギザ歯三白眼キチガイ言霊使い女だぁああ!!! と思わず叫ぶ最後のピース、築城院真鍳登場回。
であり、立ち位置を変えながら対話と暴力が交錯するアクション回でもある。駒が出揃って、ぐるぐる話がまわり始めた頃合いか。
今回キーになるのは『立ち位置』だと思う。夕日と濃い色の影が交錯する土手を、横に切り取る構図で後半物語は展開する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月13日
光と闇、どちらに足場を置くか。元々の足場から動き回る自由があるか、ないか。話が通じるか、通じないかのお話は、立ち位置を重視しながら進んでいく。
ポジションの変化は初期位置を見せないとクッキリしないので、序盤はまがねのキャラを見せる感じで進んでいく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月13日
西尾維新か京極夏彦か、饒舌さで世界を塗りつぶしていく文体が透けて見えるような、バリッバリでキメッキメの濃口系。虚構を現実の暴力に書き換える弁舌は、彼女の強さそのものだ。
言辞を弄する強さ。他の創作物が何かと言葉に不自由しているなかで、まがねの強さは際立つし、だからこそそれを正しい目的で使わない邪悪さも目立つ
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月13日
話が通じさえすれば対決は起きないのに、立ち位置を変えられないから言葉を受け止められない。なまじっか暴力に才能がある分、今いる場所にしがみつく
嘘の嘘を裏返してティンダロスの猟犬を実体化させ、作中初めて明確に『人殺し』をしたまがねが一番わかり易いが、言葉は力だ。悪用もできれば、実りある変化も生む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月13日
だが、キャラクターとして作られた彼らは、簡単には己の立ち位置を捨てられない。キャラ性も世界観も、簡単には書き換えられない。
アリスの変化を追いかけるのが一番わかり易い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月13日
戦闘用の騎士衣装を脱ぎ捨て、闇の中の光をまみかと共有する序盤。
血なまぐさい言霊師と、彼女が背負う闇に対し正対する中盤。
用意された衝突に乗っかり、対峙する相手を変えた時、アリスが敵対していたはずの闇は彼女のそばにある。
立ち位置にしがみつくこと。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月13日
悲惨な世界を思い、コスプレまがいの衣装を着続け、原作そのままの超人的パワーを破壊のために使うこと。
キャラクターでしかない限界点に甘んじること。
今週のアリスは、頑なであることが物理的強さであり、精神的弱さでもあることをよく示した。
トリックスターであり殺戮者でもあるまがねは自由に立ち位置を変えるが、それは詐欺師の変節であり、キャラクター性から自由になっているわけではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月13日
邪悪であり、軽薄であること。そう運命づけられた生まれそのままに、引っ掻き回し切り崩しているだけだ。
しかしその自由はアドバンテージでもあって、彼女が立ち位置を変えることで世界を切り取るアングルは移り変わる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月13日
まがねが立ち位置を戦略的に切り替えるたび、二次元の嘘を成立させている作画ラインが踏み越えられ、見ている側は妙な酩酊感を覚える。これは計算された不快感だろう。
信念もなく、迷いもせず。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月13日
与えられた能力として立ち位置を変えるということは、『あなたを受け入れます』という殊勝な姿勢を捏造して、対話を偽造する、ということだ。
形だけの誠実さは、まっすぐな無理解よりもタチが悪いし、えげつない。
望むものが異なる人々が融和するためには、凝り固まった自分のキャラと世界観を解体し、批評し、譲れる部分を見つけて歩み寄ることが必要になる。鎧を脱ぐ必要がある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月13日
コスプレめいた衣装にこだわる輩と、こっち側の服を着る者たち。食だけではなく、衣もキャラが背負うものを繁栄している。
ガッチンガッチンに凝り固まってしまっているアリスが一番目立つが、メテオラ語をやめようとしないメテオラさんも、相手側には基本寄り添わないセレジアも、言葉の使い方、自己批評の仕方は下手だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月13日
対話は無意味と諦めている"銃弾の対話者"ブリッツトーカーも、立ち位置としては同じ。
そんな中、自分の能力を『そんな強い力』と批評し、敵対者との立ち位置を切り替える…キャラクターであることから半歩抜け出したのがまみかなのは、当然だし嬉しくもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月13日
とにかく魔法ブッパして、相手の立ち位置を暴力で崩した初登場時から、まみかは自分で考えて変わった。公園ぐらしはキツい。
『こうあるべし』と製造されたキャラクターが、己の望みのために己を書き換え、立ち位置を変えていくこと。そしてそこに、己の源流たる創作が、そこに込められた願いが残っていること。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月13日
まみかが守るために味方に立ちふさがったのは、作品全体にとってかなり大事な変化だと思う。
争い…対話の不成立を焚き付けたはずのまがねが、気づけば暴力の衝突からスルリと抜け出し、立ち位置を変えているのはまみかの移動と良い対比だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月13日
リスクを逃れる無責任な悪意と、火事場に飛び込んで体を張る誠実。キャラの精神性が画面の中で動き回っているのは、なかなかに面白い。
立ち位置と言語能力の不足に関しては、なにも被造物の特権というわけではなく、颯太もガッチガチに縛られてしまっている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月13日
ワナビであること。子供であること。意図しないまま、アルタイルの創作者=加害者側に立っていること。
颯太はそこから抜け出せないまま、重要な情報を握り込む。
創作物で一番幼いまみかが、一番最初にキャラクターの檻から抜け出たように、颯太もまた脱獄しなければいけない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月13日
傍観者の立ち位置から抜け出し、超常の物語の登場人物/作者としての己を認め、変化しなければいけない。
だがそれは多分、結構時間がかかるのだろう。主役は長く悩むものだ。
お気楽極楽にロリをナンパしてた瑠偉くんは、フットワークもも言語能力も案外優秀なのかもしれない。節操がないだけ、ともいえるが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月13日
あいつ登場15分で、三回ぐらい『ロボに乗る/乗らない』の軸ブレてるからな。しがみつくべき立ち位置がないのは、うまくすれば強みだとは思うが。
こうして言語・批評能力の低さ/意図して悪用する邪悪さが目立ってくると、弥勒寺の簡潔な言い回し、明瞭な現状把握が懐かしくもなる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月13日
嫁さんが引っ掻き回す役をやって、旦那が取りまとめる役をやるってのも、なかなか面白いな。(スズケンと真綾が並ぶと黙ってられないマン)
ともあれ、まみかが決定的な一歩を踏み出したことで、初期的立ち位置から踏み出すことが物語にとって大きな意義をもつことが見えてきた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月13日
まみかの勇気ある変節に続き、暴力の代わりに言葉で筋書きを変えていくのは誰か。与えられた語り口を捨て、自分の本当の言葉を見つける…作者なるのは誰か。
河原の決闘がどう運んでいくかは、陣営同士の物理的せめぎあいであると同時に、この作品が睨んでいるより広い批評的空間、テーマ性の見取り図にもなると思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月13日
女児アニおじさんとしては、まみかとまみかが背負っているものに肩入れしたくなるが、みんな変化の緒を掴んで頑張ってほしいと思う。
ともあれ、バトルが展開されることで創作(Re:CREATORS)の中の創作(『緋色のアリステリア』や『夜窓鬼録』)もまた、現実/現実内部の創作の引用から抜け出せない入れ子構造が見えたのは、個人的には楽しかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月13日
アリスの鋼鉄の腕から放たれる魔法は、中世の伝説的騎士『鉄腕ゲッツ』を睨んでいる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月13日
『勇者の槍は、勇者に帰るべし』というまがねの呪いは、クーフーリンを殺したドルイドの呪いそのままだ。
あらゆる物語は過去からの引用のタピストリーであり、同時に個別に新しい一つの提言でもある。
SNSの速度で、引用が引用され、物語論的前後関係が撹乱される現在においても、オリジナルとコピーの相応関係はいまだパワーを持っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月13日
二次創作の二次創作の二次創作たるアルタイルと、その生みの親が主役をやっているのは、そういう引用の海を最新モードで切り取る足場になるかもしれない。
キャラクターがキャラクターであることから解き放たれ、立ち位置を変えるドラマ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月13日
キャラクターを生み出す、過去の物語との照応。
今回切り取った大きなテーマを巧く扱うと、お話にも一貫性が出て、『ポップで元気な"だけ"のアニメ』という立ち位置から、己を前進できるのではないか。
不遜ながら、そういう可能性を感じ取るエピソードだった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月13日
まがねがかき回し、まみかが抜け出した初期立ち位置の呪いを、キャラクターがどう受け止め、どう変化する/しないのか。
創作物のくびきを受けていない現実人間たちは、何を背負うのか。
来週も、とても楽しみである。
追記
リ:クリエ追記。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月13日
まがねは敵役としてよく出来たキャラクターで、『対話し、変化する』というポジティブな可能性を最大限捻じ曲げ、踏みつけて使いこなしている所が良い。
アリスへの殺人問答も、巧く使えば彼女の中の矛盾を解決する産婆役として機能するのに、より惑わせ、機能不全に追い込んでいる
現状味方サイドの誰も言語を的確に扱えていない(他人の人生を換えてしまえるような、強力な一言を掴めていない)ので、言葉の作用だけを略奪して精神を置き去りにしているまがねは、なかなか圧のある敵だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月13日
これに勝ててしまうから、弥勒寺は切り札として温存されてるんだろうな…スズケンに会いたい
まがねが弄んでいる言葉を取り戻すことで、被造物たちは自分たちがやりたいことを、より正しく実りある形で実現できる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年5月13日
逆に言うと、ムカつくまがねを殴り飛ばす/向かい合うことで、玩弄されてた解決手段を浄化し、再獲得できるわけだな。
敵役は主役の歪んだ鏡だと、物語が巧く機能するのだろう。