イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

リトルウィッチアカデミア:第21話『ワガンディア』感想

大人になるということは、かけられた呪いを解けないまま、その再生産に子供を取り込むことなのか。
過去と未来、因縁と祝福が交錯するリトルウィッチアカデミア、第21話です。
第6の言の葉を目指しアッコが苦労する話……ある以上に、過去に呪われ、過去を取り返そうともがく二人の教師の物語だった気がします。
二人の過去と現在がどこに向かうかはこれからの物語なのですが、ただ憎み、あるいは愛するだけではない収まらない複雑怪奇な感情の鎖が、がんじがらめに二人を縛っているのは感じられました。
新たな世代の象徴として、愛憎半ばする視線を浴びるアッコ自身の物語も、因縁を背負いつつ独自性を持っていました。
クライマックスへ向けて加速する物語、その始点でもあり予言でもあるような、複雑な味わいを持つエピソードでした。

今回のお話は価値観軸も時間軸も複層的で、とても難しいおはなしだと思います。
シンプルに『現在をアッコ&ダイアナが、過去をアーシュラ&クロワが象徴し、その対立と影響でお話が進む』という側面を持ちつつ、教師として、年長者として、既に自分の物語に一度敗北してしまった女たちは、今まさに自分の物語を語っている最中の少女たちと複雑に関わっています。
同年代の女同士の関係もまさに複雑怪奇で、憧れたからこそ憎み、暴力を交えつつもお互いを求める、凄まじい温度で絡み合う情念が、そこかしこに見えています。
時間軸的な複雑さ、彼女たちが既に『大人』で『敗北者』になってしまっていることが、感情と価値観を巡る絡み合いにも強く影響しているのが、非常にややこしく、面白いところです。


では時間軸順に、まずクロワとシャリオが未だ友人であり、少女でもあった時代を見ていきます。
これまで暗示され、今回明らかになったように、シャリオとクロワは親友同士であり、7つの言の葉を求めて一緒に歩いた同志でもありました。
クロワが『魔法界の復活』を願い、シャリオが『みんなが笑顔になれる世界』を望んで、救世主の資格たるクラウ・ソラスがシャリオを選ぶ。
そこに何らかの意図が介在したかは未だ分かりませんが、選ばれなかった辛さを飲み込んだダイアナとは異なり、クロワはシャリオに屈折した感情を覚えます。
シャリオもまた、クロワがどれだけクラウ・ソラスに選ばれることを重視していたか知っていたのでしょう、泣いて謝罪する。

選ばれた者、選ばれなかった者。
それぞれの後ろめたさと涙は巧くまとまり、言の葉は6つまで集められたようです。
しかしだからといって、全てがあるべき場所に収まっているのなら、事態はこんなに複雑にはなっていない。
『あなたがグラントリスケルを復活させるのよ』というクロワの言葉には、つまり『(選ばれなかった私の代わりに)』という呪いがつきまとってしまうし、クロワもまた選ばれなかったことに複雑な思いを抱けばこそ、クラウ・ソラスのグロテスクな写し身である機械の杖に己の望みを託す。
アーシュラ先生がアッコを言の葉探しに送り出し、自分がなしえなかったグラントリスケル復活を託しているのも、クロワの望みを果たせなかった過去に呪われているからかもしれません。
『あれだけのものを奪ってしまったのに、諦めることなど出来ない』と。

青春を終え、教師という職業につき、『大人』なったはずの二人は、その実過ぎ去った時代に一つも決着をつけられてはいないのです。
ワガンディアの中腹で対峙しつつ、アーシュラは『クロワがアッコを邪魔するのは、クラウ・ソラスに選ばれなかった復讐だ!』と指摘する。
これに対しクロワは『アッコがアーシュラ最後の夢だから、この手で潰す』と返す。
でもクロワは、自分の手で殴りつけるくらいに憎んでいるアーシュラが墜落しかけた時、『アーシュラ』ではなく『シャリオ』と、失われた青春の名前で呼びかけ、命を救ってしまうのです。

今回『大人』である二人は、『子供』であるアッコに沢山嘘をつきます。
それは他人をいいように動かすための誤魔化し(あるいは真実の部分的開示)なのですが、それで覆い隠されているのは自分自身の認識、あるいは心でもあるのです。
アーシュラはクロワの本心を認識せず、『グラントリスケルに選ばれなかった敗北者』として彼女を指弾するし、クロワは自分自身を『シャリオを憎む敵対者』と位置づけようとして、自分自身の行動に裏切られる。
嘘はかわいそうなアッコを死地に追い込むことは出来ても、『大人』になりきれていない『大人』達が本当に望むものを露わにはしないし、心の重荷を解き放ったりはしないわけです。


二人の関係が非常に厄介なのは、青春時代に二人を繋いでいた愛情が未だ名残っていて、それが自由を邪魔する鎖にもなっていることです。
学生時代のクロワと同じように、青い髪でメガネを掛けた姿を、シャリオでなくなった後の『余生』に選んだアーシュラ。
輝かしいスーパースターの生き様に背中を向け、自分とともに過ごした思い出の時代をなかったコトにして、冴えない教師として生きているアーシュラ。
そんなかつての友人を、クロワが認めず、かつてともに挑んだのとは違う(しかし歪な形で似通っている)救済方法にこだわるのもまた、反転した愛情の現れだと思います。

二人が共有していた緑色の時代は、とても美しいものだったのだと思います。
傷つけても許し合い、反目しても感謝できる、そんな魂のつながりを感じ取れる、稀有な親友だったのでしょう。
しかしそれは、7つ目の言の葉をめぐる冒険の果てにちぎれ飛び、赤毛の反逆児はクロワを模して冴えない教師になり、青髪の優等生はシャリオのように派手な衣装を好んで着る改革者になった。
失った過去が本当に憎むべき、輝きを失った忌むべき記憶ならば、ふたりともあの時あるんだ道夫、歪んだ形で歩き直そうとは思わないはずです。
……自分が過去に縛られ、思い出から健全に巣立つ手段が奪われている状況を認識できないからこそ、二人はここまで歪んでしまったのかもしれませんが。

かつての美しい夢が裏切りと破滅を経て、他人を巻き込む呪いへと変わる。
おとぎ話でも現実でも、幾度も繰り返されたテーマがシャリオとクロワ(そしてその綱引きの中間点にいるアッコ)には長く影を伸ばしています。
同時に呪いは祝福でもあって、憧れを追い求める気持ち、誰かに感謝する気持ち、緑色の友情それ自体は、やはりあまりにも美しい。
時間と後悔が歪めてしまった思いをどうにか適切に再生させて、クロワとシャリオの捻れた関係性、二人が共有しつつ共有できていない過去が、新しい世界に飛び立ってくれたらいいなと、僕は思います。


二人は似ていると同時にあまりに正反対でもあって、それはアッコへの対応のわかりやすく現れています。
ともに助言者として前に立つのは同じですが、アーシュラは厳しく禁止し、クロワは優しく後押しする。
『子供』であるアッコにとっては、自分の夢を後押ししてくれる『優しいお母さん』のほうが、無理解な『厳しいお母さん』より好ましいのは当然なので、彼女はクロワの計略にころっと騙されてしまいます。
でも、花粉に飲まれ死にかけた時、自分の傷を顧みず飛び込んでくれたのは、『厳しいお母さん』であるアーシュラなわけです。

ふたりとも、失った青春の代行者としてアッコを見ている視線は似通っているかな、と思います。
ただし、かつてクラウ・ソラスに選ばれなかったからこそ、クロワは『今、まさに自分が』世界を革新しなければいけないという強い想いがあり、同じ願いを託された現役の走者であるアッコを蹴落とすべきライバルとしても見ている。
これはアーシュラ先生が指摘したとおりです。(本質を捉えられていないからといって、事実の一面を把握できていないわけではない)

一度資格者として言の葉集めに挑み、失敗してすべてを失ったシャリオにとっては、アッコは自分の代わりに走ってくれる子供であり、かつて失った輝きを持つ自分の似姿であり、守るべき生徒でもあります。
新米教師と落ちこぼれ生徒、二人三脚で歩いてきた時間が情を育んだからこそ、アーシュラ先生は死の雲の中に飛び込めたんだと思います。
複雑怪奇な過去と現在が彼女を縛り上げているとしても、失った青春を『娘』に代走してもらおうというエゴイズムがあったとしても、やっぱこれまでアーシュラ先生がアッコに与えた愛、今回体を張って守ろうとした思いは、善いものだと僕は思う。
様々なものが絡み合う状況の中で、その真正さと綺麗さは忘れたくないな、とも。

今回アーシュラとアッコを擬似的な『母-娘』として強調することで、2つの世代の差異、『終わってしまった物語』と『現在進行中の物語』の違いは、より鮮明になっていたと思います。
青春を終え、挑戦に失敗し、みすぼらしい姿になってしまった女は、魔女か母になるしか無いという呪いの中で、二人の『元・少女』は過去に縛り付けられ、だからこそ未来が見えなくなってしまっています。
彼女たちが魔法界を復活させようという試みは、未来を見据え、自分のほんとうの望みに向かい合ったものではなく、過去を取り戻し、あるいは復讐しようとする代償行動になってしまっているわけです。
二人の女の物語は、過去激しく燃え上がった冒険の残滓であり、燃えさしをどうにかもう一度燃やし直そうという悲しい努力なのでしょう。

しかし常に、自分の物語を歩き、そこに火を入れていく主人公は自分でしかない。
アーシュラに与えられ、シャリオという他人に会うことだけを目的に進んできた旅を、最終的にはアッコは『自分の意志で選んだ』のだと肯定します。
先生の真心をはねのけても、言ってはいけない言葉を口にしても、アッコがただ切実な真っ直ぐさで『自分の物語』を歩いていることは、ずっと変わりがない主人公の資格です。
他の何がなくても、それは変わりがない……と同時に、最も決定的な部分で『シャリオへのあこがれ』を内面化し得ず、外部においたままでも在るのですが。
これが回転するのは、アーシュラ先生がシャリオであることをアッコが知った時かな、と思います。

アーシュラがアッコを後押し/利用する物語も、クロエが栄光を再獲得する旅も、彼女たち自身は『自分の意志で選んだ』と言うでしょう。
しかし彼女たちの振る舞いが、そこに垣間見える情念の残り火が、『自分の意志』が今歩いている未知に的確に反映されていないこと、このまま歩き続けても本当に求めているものが手にはいらないことを示しています。
彼女たちはもう一度、失敗に終わった『かつての物語』に向かい合い、その道連れだった女の顔を見て、どういう気持になるのか咀嚼しなければ、『自分の物語』を的確に歩き直すことは難しいと思います。

『大人』になって学んだ便利な嘘で覆わずに、失ってしまったはずの煌めきを蘇らせ、全てを虚心坦懐に見る。
それはとても難しい、勇気と強さのいる選択です。
アッコだって、現役の走者だからといって出来ているわけではない。(そういうのは稀代の人格者であるダイアナの特性)
今回も、アッコは嘘に惑わされ、状況に追い込まれて、かつて手に入れたはずの『忍耐』の言の葉も、アーシュラ先生との日々も忘れかけています。
その過程で、取り返しのつかない失敗があるかもしれない。
とんでもない痛みに心を支配され、かつて輝いていたものを呪い、捻じ曲げてしまうかもしれない。

でも、それでも。
そういう道をもう一度見つける以外に、二人の女が自分を取り戻す手段はないんだろうなと、今回の捻くれた交錯を見ていて強く思いました。
アッコが今回まさに転落仕掛けた永遠の道は、かつて二人が一緒に歩いた道でもあります。
それは最初から果てのない道で、とすれば結末ではなく過程こそが全てであり、価値を持つ。
痛みと後悔だけを見据えるのではなく、緑色に輝く美しいもの、それが未だ死んでいない(どころかすべての根源にある)瑞々しい感情であることを思い出してくれたら良いなぁと、つくづく思いました。


クッソ面倒くさい感情の迷い路を歩いている二人とは無関係に、それと同時に多大な影響を受けつつ、アッコは自分の言の葉を探しています。
反抗期の娘のように、冴えないアーシュラ先生の余計な気遣いを腐すアッコですが、結局はアーシュラ先生決死の行動によって未来を救われ、命を守られました。
そこには自分が失ってしまった物語への憧憬、より大きな目的にアッコを巻き込んでいる後ろめたさがありつつ、やっぱ暖かくて大事なものが込められていると感じました。
いろんなものが隠されているとしても、やっぱアッコにとってアーシュラ先生は(そしてアーシュラ先生にとってアッコ)は大事な存在であるし、それを行動で証明することは尊いと思うわけよ。

アッコは今回、クロワ先生の『大人の嘘』に見事に乗っけられ、ワガンディアを登って死地に赴き、アーシュラ先生を拒絶します。
クロワ先生がうまく誘導したとか、魔法が使えないハードな旅路で追い込まれていたとか。色々理由はあるのでしょうが、そこまで追い込まれたのはアーシュラ先生に漂う影に、アッコも感づいていたからだと思います。
アーシュラ先生は自分がシャリオであること、アッコが追い求める憧れそれ自体であることを未だ秘密にしたまま、アッコを言の葉探しへと導きました。
アッコの望みはあくまで『シャリオに会う』ことであって、グラントリスケル復活はその付随物、『大人』が勝手に決めた道でしか(現状)ありません。

ここら辺のいびつさを自覚しているからこそ、アーシュラ先生は素直に真実を伝えられないのかなぁ……またなんか別の理由があるのか、ないのか。
秘密が生み出す薄暗い気配が、クロワに付け込まれる隙になったのは間違いないわけで、早く言っておいたほうがいいとは思います。
シャリオとクロワの言の葉探し(とその失敗)は、意図して情報を小出しにして緊張感を維持しているネタなので、なかなか進める訳にはいかなんだろうけども。

同時にあんだけ世話になったアーシュラ先生にあの仕打ちは、いかに追い込まれていたとはいえしんどい所です。
アッコが受けた恩を忘れてしまう、情も成長も知らない子に見えてしまうのがしんどい。
アッコの暴走と同時に、そこに追い込むクロワの悪意と手際もちゃんと描かれているので、『まぁ致し方ないかな』というところに落ち着きはしますが。
そのクロワも、自分とシャリオとの感情を拗らせまくった挙句、行き着くしかない場所に追い込まれてやっているのが判るので、『認めるわけにはいかないけども、悔しいことに分かってしまう』感じですね。
今回はそういう、人間の業が前面に出てくる話だったので、見ててちょっとしんどい部分もあった……必要な試練であるし、輝きから嘘を抜くためには踏み込まなきゃいけないんだけどね。

シャリオに憧れてたどり着いたルーナノヴァで、アッコは(自覚はしているとおり)いろんなものを手に入れました。
それはすぐさま忘れされてしまうのだけども、感情を暴走させたアッコを元の場所に戻してくれる魔法でもある。
今回ハンナ&バーバラに礼を言われたり、ダイアナが『ついにデレ』たりしたのも、アーシュラ先生や仲間たちと一緒に、自分の意志で選び、自分の足で歩いた自分の物語の結果であり、また何かを生み出す原因にもなると思います。
魔女界の復活とか、クッソ面倒くさいアラサー女二人の感情とか、救世主としての宿命とか、クライマックスを前にして話も大きくなってきていましすが、アッコにはそういうちいさな、でもとても大切な変化を大事にしてほしいなぁ。

(22話視聴後追記)
今回アッコは6つ目の言の葉『感謝』にたどり着いて、アーシュラ先生の傷を癒やしました。
もろナウシカな治療シーンは、間違えてしまった自分自身、それを正してくれた先生への『感謝』であり、許しなのかもしれません。
それは『忍耐』のように一時的に忘れされれるかもしれないけど、彼女の道のりに刻まれた、魂の宿った魔法であり、アーシュラ先生自身もクロワと一緒に歩いた道のはずです。
今回の物語が辿った嘘と真実、誤解と不和、感謝と許しの物語は、この後展開するクライマックスを1話に圧縮し、先出しで見せる一種の予言のようにも思えるんですよね。
願わくば、諍いと脅威をくぐり抜けてお互い抱きしめ合い、歩んできた道を愛おしく、涙混じりで思い返す道を、物語全体が歩んでほしいもんだなと思っております。


というわけで物語の最終盤、クライマックスの序奏としてまず二人の女の過去と現在に切り込むお話でした。
6つめの言の葉探しも大事なんだけども、それはアッコの『現在』の歩みであると同時に、女が二人で歩いて転落した『過去』としての意味合いが強くあると感じました。
行きつ戻りつしながら、確かに前進しているアッコの道に比べ、ガッチリと過去の因縁に嵌まり込みつつ、完全に新しい道を見つけることも出来ない二人の足取り。
グラントリスケルとアッコをめぐる物語を追うことで、彼女たちの過去と今がどこに繋がっていくかも、鮮明に描かれていくと思います。

憧れのシャリオがたどり着いた『六個目』、その先へと足をかけつつあるアッコの物語も、そろそろゴールが見えてきました。
平穏も冒険も運命も、このアニメがこれまで積み上げてきたものは、とても大きいと思います。
ここからどう展開していくのか、激しくうねる物語の中で何を輝かせるのか。
とても楽しみです。