サクラクエストを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月28日
迫りくる逆境! それを跳ね除けての大逆転!! とかは特に起きず、治りかけの傷口をジグジグいじり続けるような、非常にサクラクエストな地味な成功と失敗が折り重なり、国王とオレの心に大ダメージなクール折り返し。
ライブは二時間押しだけど完遂、たくさん来た客は出店を利用、建国祭も盛り上がる。放熱山脈も感動ドキュメンタリーにまとまる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月28日
対外的には成功の部類なんだが、内側から見るとなんか…思ってたのと違う…という構図。
『外が順調だからこそ、中の不協和音が拡大する』のは凛々子エピのリフレインか
間野山に根っこを張って地味に生きている人たち(アニメっぽくないデザインしてる連中)は、プトレマイオスにも特に浮かれず、国王の思いにも感化されず、拾えるゼニを普通に拾って、商店街に帰還する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月28日
『世の中そんなもんだよね、早々変わるわけないよね』という現実認識は、間違いではない。
とは言っても正解でもないから、アニメっぽい外見した国王PTが物語内部に存在している。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月28日
昨日から続く今日、今日から続く明日を繰り返していては、衰退だけが待っている。どっかで道を変えなきゃならんが、繰り返す日常はあまりにも重く、諦観と適応は象のように動かない。
ここら辺の湿度高い重たさを、浮かれ騒ぎのバカバカしさを強調しながらどっしり見せたのは、このお話らしくて好きだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月28日
田舎の肌触りみたいなものを、分かりやすいフェティッシュではなく人間の態度の中に織り交ぜて長尺で食わせるのは、このアニメの味だと思う。万人向けの味かどうかは、判断に悩む。
普段は朴訥なプトレマイオスも、ステージに上がれば挑発的に煽る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月28日
盛り上がっているステージも、クイズ会場からは騒音にしか聞こえない。
世界には色んな顔があって、ぶつかるとしてもいい部分だけを取る訳にはいかない。まぁ、そんなもんだよね。
と、溜息ついて現実を受け入れたくないのが国王の良さであり、悪さでもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月28日
序盤のフワッフワ加減はクエストの中で削れていったけども、若い理想主義はそうそう消えはしない。
『自分には何かできる』という万能感が、凄く地味で現実的な結末で削られてしまったのが、ダメージの理由だろうか。
世界は自分を置き去りにして、勝手に盛り上がり、勝手に盛り下がり…というのも祭りに浮かれていた自分の認識でしかなく、ただただ現状維持。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月28日
祭りは一瞬の花火で終わり、ドキュメンタリーは間野山の魅力ではなく、パッケージされたバンド根性物語として終わる。
地味で現実的な、夢の終わり。
吉乃以外のすべての人がそうであるように、吉乃もまた『まぁそんなもんだよね』と呟いて、次の一手に取り組むべきなのかもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月28日
しかし祭りが大きければ大きいほど、半年の間で積み重ねてきた小さな成功の幻、『何かできる自分』の幻影が、吉乃のセルフ・イメージをへし折っていく。
一言で言えば『現実を思い知った』ことが、チュパカブラ国王の浮かれた衣装を吉乃から剥ぎ取る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月28日
早々簡単に世界なんか変えられない、無力な自分に耐えられないから、吉乃はバスに乗ったのだろう。しんどい。特に大失敗していないから、何かを取り除いて大逆転ともいかないところが更にしんどい。
外的には現状維持(可能性を鑑みればプラス)なんだから、重要なのは内面、というのも、凛々子エピと同じ構図である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月28日
凛々子は吉乃に見つけてもらって、抱きしめてもらってドラゴンである自分を少し肯定できた。吉乃相手にそれをするのは誰か。
浮上のヒントは先週既に出ていて、PTの皆は『世界は変わってないけど、吉乃は私達を変えたよ』と言っていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月28日
まぁ、そこなのだろう。クーポンはごみになり、リピーターはなく、ドキュメンタリーには編集マジックがかかる。
何も変わらない世界の中で、積み上げた下らない体験と心の変化は本物だ。
大きな変化を世界にもたらす、なんか勇者っぽい特別な自分。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月28日
そんな力なんぞ欠片もなくて、何にもできない現実の自分。
吉乃はこの二つのイメージに引き裂かれ、ダメージを受けた。祭りの狂騒となんとなくの成功、終わってみての荒廃と無変化は、それを思い知らせるのに十分だった、ということだ。
引き裂かれた自我をなんとか統合するためには、間野山の普通の人々のように『そんなもんだよね』とあきらめを受け入れるか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月28日
はたまた、等身大の自分が仲間(と、少しだけ間野山)に生み出した、見えにくいけど確かにある変化を肯定し、『私は私だ』と胸を張るか。
吉乃が今回感じた狂騒と幻滅は、多かれ少なかれだれにでも起きることだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月28日
『なんかこー…思ってたのと違う』を二百万回乗り越え(もしくは押しつぶされ)、『まぁそうだよね』と諦めたり『私は私』と開き直ったり。
そういうありきたりで大切な人格成長に、吉乃は直面しつつある。
諦めの方向に行くと、雨宮さんが大っ嫌いな間野山式『でも・だけど』主義者がもう一人量産されるだけ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月28日
お話としては開き直る方向だと思うが、そのためには助けがいるってのは、これまで各個人のエピソードで描いてきたとおりである。
リーダーの危機、PTの奮戦を期待したい。
そんな吉乃の影として、歯ぎしりしまくる雨宮の描写が良かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月28日
地元への愛憎を込めて作ったリアルストーリーは、マスの求める分かりやすい物語へと編集されてしまう。それを押しとどめる力は、優秀でも若造にはない。
まぁそんなもんだよね、で雨宮が止まるかは、結構気になる。今後の再登場に期待
あと前国王のジジイが永遠の狂熱に浮かれっぱなしで、セルフ・イメージと現実の間のギャップに引き裂かれないままこうなった人だというのが、よーく見えた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月28日
吉乃の『なんかちげー』の隣で『大成功じゃ!』となってるあたり、ジジイもまた『こうなってはいけない』大人の例なのだろう。
対になる千登勢さんは、したたかに稼げるゼニを稼ぎ、祭りの熱狂も受け流して『まぁそんなもんだよね』で日常に帰還する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月28日
身の丈を把握し、過去を重んじ、永遠に繰り返す伝統の中を生きる。それもまた、否定されるべき在り方ではないのだろう。しかし、しかーっし!!
なんもかんも煮えきらなくて、世の中を構成する明暗両面を丁寧に切り取り、スッキリした物語成功はない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月28日
サクラクエストが選び取った地道なスタイルが全開になる、国王の内的試練回でした。
世人がどう思うかは横において、このアニメの地味で知的で穏やかな世界の切り取り方、俺は好きだね。
はっきり答えを言い切らない作風には、正直強いカタルシスはない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月28日
しかし言い切ることで切り捨ててしまうものに目を向け、ソフトな表現の中で細かく描写を積んでいく中で、すごく独特の語り口が生まれつつある。
このお話のそういう部分が好きなので、吉乃の迷いも巧く決着させて欲しい。
何が正解かを明言しないスタイルは、扱っているテーマも関係しているのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月28日
地方創生は現在進行系のリアルな問題、徹底的に行ったり来たりして生臭さを出すことが、創作として扱うときの誠実な姿勢だと、製作者は考えたのではないか。
とまれ、国王の心はポッキリ折れた。理想と現実のギャップにもみくちゃにされて、何が自分なのか見失った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月28日
過去エピソードで同じ状況に悩み、国王に手を差し伸べられて引き上げられた女たちは、今こそ恩返しタイムである。ここはベタに、力強く手助けしてあげて欲しい。来週も楽しみ。
追記
サクラクエスト追記。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月28日
祭りと現実の狭間で、自分がなんもできんお飾りの国王、操り人形だと思い知る今回のサブタイトルが『マリオネットの饗宴』なのはなかなかうまいと思う。
サクラクエストのサブタイトルは、RPGの華やかな見立てとクソ田舎間野山のギャップを盛り立てつつ、巧く芯を捉えてる。