イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

アイドルタイムプリパラ:第15話『ミーチルみちる』感想

インチキオカルト! 自己啓発! 教祖っぽい祭り上げられ方にむせ返るような熱狂!!
ヤバいネタにいつでも全力、叛逆の女児アニメアイドルタイムプリパラ、ミーチル光臨の第15話です。
先週本格的に物語に参戦したみちるがプリパラデビューするまでのドタバタ話なんですが、行くまでのやり取りで各キャラクターの地金が見えたり、ミーチルとみちるの乖離から彼女の望みが見えたり、元気なだけではないお話でした。
ネタ方面も当然大爆走(竹内文書ネタが出て来る女児アニメ初めて見た)なんですが、少女たち個別の人間性と関係性をしっかり踏まえて、トンチキな中に深みがあるのが非常にプリパラっぽかったです。
前世系でセクシーで女王様という濃口のキャラも、インパクト満点で素晴らしい。
今後どのようなエピソードを積み重ねて、『デキる』ミーチルと『無理』なみちるが和解し、自分なりの道を見つけるか、非常に楽しみになりました。


というわけで、みちるの紹介と接触がメインだった前回を引き継ぎ、関係を前進させていく今回。
『あ、中学生の人!』『みちるさん……だっけ?』と、距離のあるところから始まるのが細かくていいですね。
今回は控えめなみちるを、小学六年組がブンブン振り回しつつ関係が深まっていくお話なので、最初の『遠さ』を強調しておくことでそれが『近く』なっていく気持ちよさは、より強くなります。
見知らぬものが徐々に関係を作っていく気持ちよさは、アイドルタイムでは特に大事にされている印象。
みちるとアイドルたち、みちるとプリパラがファースト・コンタクトする今回そういう間合いを大事に描写してくれたのは、とても良かったです。

ミーチルの強烈なキャラクターに塗りつぶされてしまいますが、今回はAパートからプリパラに行く前の段階が、非常に印象的でした。
それはエピソードの主役であるみちるだけではなく、彼女に接触するサブキャラクター達も個性を持って描くこと、そしてそれぞれの行動がぶつかりあって話が固まっていく過程を書くことで、アイドルタイムプリパラが人間関係をどう捉えているかが、鮮明に描かれているからだと思います。
無理無理言ってるみちるをプリパラに引っ張っていこうとする連中と、みちるの本音を前に出したいにのとのせめぎ合いは『どっちが正しい』という描き方ではなく、キャラクターを突き動かす衝動が全面に出ていた(そしてそれを静かに肯定していた)場面でした。

何しろ無敵の小学六年生、キャラクターたちに『正しい』とか『善い』とかの客観的で大きな価値観ではなく、『好き』とか『楽しい』という主観的で小さな価値観で動いています。
プリパラは常に『なりたい自分』に正直になることを肯定してきたので、社会規範や公的価値観ではなく、個人的なエゴイズムが出発点になるのは当然ではあります。
あろみかの強引な勧誘だけでなく、にのの『嫌なら嫌って言うっす!』という行動も、他人を大事にしていると同時に、曲がったことが嫌いで自分を強く主張できるにのの個性を、他人にも強要している色合いがあります。
無論それは『正しさ』の押しつけというだけではなく、『嫌がっていることをさせるのは、良くない』という素朴な正義感の発露でもあり、そういう『普通の正しさ』にもとづいて行動できるにのの健全性が、僕は好きだったりしますが。

にのはせっかく権威に反抗し、抑圧を解いて自由に振る舞う物語に水を差す、損な役回りを担当していました。
しかし思う存分ガァルマゲを暴走させればさせるほど、その強烈なエゴに気弱なみちるが一方的に支配されてしまう、いじめにも似た構図が生まれてしまう。
そこに公平さの窓を開け、たとえ強烈なボケに跳ね返されるとしても常識的にツッコミを入れるのは、ヤダ味を減らして笑いを成立させる、大事な仕事です。
同時ににのは地頭がよく常識を弁え、人格的成熟度の高いキャラクター性を持っているわけで、『バツっす!』は彼女らしさの素直な発露でもある。
物語的なお仕事とキャラクター性の発現という、バランス取りが難しい立ち回りを、今回のにのは巧くやりきっていたと思います。
頑張れにの……君の正しさはこのトンチキ世界ではあんま報われないだろうが、絶対に必要だし良いことなのだ……。


アイドルたちは身勝手に行動してるのですが、しかし同時により大きな可能性に繋がるものでもある。
みちるは『無理無理』と消極的な現状肯定に留まってしまっているけども、本音の部分ではお姫様に憧れ、セクシーな自分を他人に見せつけ、メガネを外してコケティッシュな衣装を着たいとも思っている。
あろみかのノリ全開の行動も、『プリパラって素晴らしい!』という自分の感覚を押し付けるゆいらぁの勧誘も、出発点はエゴイズムなんですが、結果としてみちる個人では突破できない殻をぶち破り、新しい世界に引っ張り出す仕事をしています。
このエゴイズムと公益性の奇妙なバランス感覚というのは、プリパラがずっと続けてきたものであり、みちるを通じて再度語り直されて然るべきテーマだとも思います。

結果としてみちるはプリパラへと向かうわけですが、常識人にのが代弁した『プリパラには行きたくない』という気持ちも、本音ではあったと思います。
後のハッチャケぶりを見るだに、そしてあろまのデザイン画が発見されるまでの道筋を見るだに、『プリパラ自体に興味はあるが、他人のエゴイズムに振り回されるのは嫌だ』というのが、みちるの抱えたジレンマだったのではないでしょうか。
にのは後者の気持ちを拾い上げて『バツっす!』と言ったわけですが、あろまが自分のために描き上げてくれたドレスを見て、あろまの無茶苦茶な行動が『他人のエゴイズム』ばっかりではないと気づいた。(あろまが隠し、みちるが気づけなかった真心に、ゆめが気づく流れが素晴らしい)

確かにイタズラ大好きちびっ子悪魔は、自分の気持ちよさ最優先で立ち回ってはいますが、かと言って他人を思いやる気持ちがない、完全なエゴイストでは絶対ない。
それはあろまやガァルル、アイドルたちとのこれまでのエピソードがちゃんと示している所で、同時にそういう優しさを悪魔キャラの奥に隠してしまう、シャイでプライドの高い子だということも僕らは知っているはずです。
そこら辺をあろまから切り崩すのではなく、ゆめがクッションして手渡す手際も含めて、『無理』が『行ってみても良いかな』になる流れは、とても良かったと思います。
クレバーなだけではなく、非常にドタバタ賑やかで楽しいコメディだったってのが、とても良い。


そんなわけでステージに立ったみちるは、プー大陸の女王の転生体・ミーチルとして大暴走。
『無理無理』言ってたのが『デキるデキる』に変わっていたように、セクシーで高飛車で自己主張が強い『ミーチル』は、引っ込み思案で猫背で地味な『みちる』の『なりたい自分』なのでしょう。
そういう願望が自分の中にあるのだということすら、今のみちるは肯定できていませんが、真っ赤になって『無理!』と拒絶するミーチルを受け入れ、『なりたい自分』に近づいていく第一歩は、インパクト満点で踏んだと思います。

みちるにとってあろまから託された月刊プーはまさに預言の書であり、ミーチルというキャラクターを背負えば、現実世界の抑圧全てを開放し、自由に振る舞える。
しかしプリパラの中だけで開放されるスタイルが肯定されないのは、みれぃやそふぃやちりを見ても判るとおりです。
プリパラは現実世界を忘れる麻薬として存在しているのではなく、そこで『なりたい自分』を見つけ、ステージを通じてファン≒他者≒社会の承認を受け、より善い自分を見つけて前に進んでいく糧とするため『にも』在ります。
ここで『現実>プリパラ』という構図を描いてしまうのではなく、『現実=プリパラ』という等質な関係性を維持し続けてきたのが、プリパラの非常に強いところだと思いますが。

夢の国で手に入れた、キラキラでかっこいい『なりたい自分』の眩暈があればこそ、現実世界の等身大の自分もより善く、より強くなれる。
そういう相互作用はファンタジックな活躍の裏で地道に描写されてきたし、ちりやそふぃに関しては主題でもありました。
みちるにも、オーディエンスを熱狂させる女王・ミーチルとしての経験を通じて、現実世界でも『無理』を『デキる!』に変えていく変化があるといいなぁと、僕は思っています。
ここら辺、リアルへの満足度が高いけども、そこで補えないトキメキに引き寄せられてアイドルやってるにのと面白い対比なんだよなぁ……。

宗教的というか自己啓発セミナー的というか、とにかく強烈なキャラクターでファンを一気に引き寄せ、ミーチルの初ステージは大成功。
プリパラが芸事の話である以上、『ウケてる理由』に説得力があるのは素晴らしいことですが、これは濃口のネタ要素だけではなく、ステージングの完成度も大きく影響していると思います。
挑発的で大人っぽい歌詞を、ジャズ・ロックとヴィヴィッドなダンスに乗っけた"GOスト♭コースター"の完成度。
高めの身長とメリハリの有るボディラインを活かす、メッシュ素材を活用したドレス。
エロティックながら布面積は多めの上品な通常衣装から、片足を大胆に見せつけるサイリウムコーデへの落差。
非常にインパクトと個性に満ちたステージでした。

セクシーを全面に押し出してくるミーチルは、これまでいなかったタイプのアイドルだというのも、観客の反応と視聴者の思いがシンクロする、良い足場です。
普段は年下のあろまに押し込まれてばかりいるのに、ミーチルになると大人っぽい色家(を出すために精一杯背伸びしている可愛げ)で押しまくってくるのも、良いギャップだと思います。
全てが正反対なんだけども、ミーチルはみちるにとって『なりたい自分』なんだなと納得できるよう、見せ方が工夫されてる回でした。


そんな感じで、みちるとミーチル軸で進むエピソードの中に、細かく地獄委員長の描写が入ってきました。
プリパラを拒絶するみちるに手を差し伸べた行動は、これまでの悪役としての文脈を踏まえるなら、他人を踏みにじるエゴイズムの延長。
のはずなんですが、行動の端々に必死さと寂しさが滲んでいて、『もう悪役じゃなくて、救済対象だな』って感じでした。
ミーチルの初ステージをわざわざ見ているのも、『もしかしたら、ババリア校長も撤退してしまった反プリパラ戦線で、一緒に戦ってくれるかもしれない』という期待を裏切られた(と思ってしまった)からでしょう。
先週と今週の耳子の書き方は、時間自体は短いけど圧倒的にクリティカルで、児童(と、かつて児童であったあらゆる人間)のナイーブさを見事にえぐり、キャラクターを書割から人間に一気に昇格させたと思います。

人間の行動はエゴイズムから出つつ、それ単品では完結せず優しさや公益性、他者に繋がる何かを常に持っている。
主役たちの行動を切り取ったベクトルが、別方向から委員長にも伸びている感じで、凄く良いなと思います。
委員長は確かに、規範や秩序を過剰に振り回して、自分に心地よい世界を維持しようとしています。
が同時に、それが『みんなのためになる』と思ったからやっている側面もあって、それは単純な善悪に切り分けられない、とても人間的な行動なわけです。

みちるがプリパラに行くのを躊躇い、そして行くことに決めたのと同じジレンマを、地獄委員長も自分なりの表現形で抱え込んでいる。
ならば、そこに手を差し伸べるのは主役の責務であり、久々に『みんなトモダチ、みんなアイドル!』という金看板を引っ張り出してくる理由にもなります。
自分一人では如何ともしがたい暴走するエゴイズムを、時に強引に、時に繊細に導き、変化させることが可能な魔法があればこそ、『プリパラはいつだって最高』なわけですから。

ぶっちゃけ想定より早かったんですが、一人ぼっちで耳をふさぎ、自分の殻に閉じこもってしまっている委員長の姿はあまりに痛ましくて、とっととぶっ壊してやって! という気持ちではあります。
第4話でみれぃに見せ、その後も散見された、プリパラに惹かれる気持ち。
秩序の守り手というこれまでのセルフ・イメージにしがみつき、自分を守ろうとする気持ち。
信頼できる大人に裏切られ、価値観を同じくする友人もいないという孤独感。
委員長が持つ複雑なジレンマに答えを出すことは、将来起こるだろうみちるとミーチルの和解に分厚さを与える、良いテストケースにもなります。

パラ宿の美徳であり、作品の大きな強みでもあった『公平性』『個性の尊重』『エゴイズムの的確な方向づけ』というテーマ性が、パパラ宿に移っても失われていないか。
そしてそこに、アイドルタイムだけが持つ別種の輝きがちゃんと宿るか。
かなり大事なエピソードになりそうな次週、非常に楽しみです。

 

・追記(というか妄想)
『ミーチルみちる』が『チルチルミチル』のオマージュだとすると、『青い鳥』の結末を踏まえてのサブタイトルなのではないか。
あれは『追い求めていた青い鳥はお家にいた』という話であり、『そのことに気づくためには回り道をし、経験から学ぶ必要があった』という話でもある。
なので、みちるもミーチルという『青い鳥≒自分とはかけ離れた憧れ』が『お家≒自分自身の願望』にあって、ミーチルはみちる以外の何物でもないことを肯定することで、ひとしきりの物語を終えるのではないか、という妄想を一瞬した。
さてはてどうなるかな。