イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

活撃/刀剣乱舞:第12話『箱館戦争』感想

運命は流れ流れて北の果て、どうにも拗らせ切ってしまった感情の糸を解し、全てを手に入れるための準備、活撃第12話です。
土方歳三最後の戦いを最終話に持ってくるべく、審神者をデウス・エキス・マキナ兼カウンセラーとして活用し、状況を動かしていく回でした。
色々気になるところもあり、これまで見えなかった部分に光が当たった感じもあり、なかなか一筋縄ではいかない感想を懐きましたが、書きながらまとめていきましょう。


というわけで、冒頭で国広が離れ、ラストシーンで合流する、別れと整理のエピソード。
正直はじめに結論ありきというか、『人と剣、二つの岸に別れた定めの兄弟刀が出会うのは運命の地函館ッ! それを阻止するべく集まった1000体の遡行軍と、部隊の垣根を超えて集う超戦士たちッ!! ウォォオオ、燃えるぜッ!!』っていうクライマックスへの意志が強くありすぎて、そこに繋がるまでの道がちと荒い感じもします。
ここまでの感情の持ってき方がスムーズだっただけに、『京都で決着つけて良いんじゃね? 十分温度上がってね?』と思っていたわけですが、製作者サイドとしては書き足りない部分、『函館』でなければ行けない部分があったのでしょう。
つーか、国広がドス黒い顔でうつむき、兼さんが自分の正義に胸を張れない状況が長く続くのは、やっぱしんどいねんな……今週見てて『え? 終わんないの?』と思ったのは、水面下に顔突っ込まれているようなもどかしさから、手早く開放されたかっただけなのかも知れん。

さて、そんな一視聴者の感想はさておき、お話は国広と兼さんの別れから。
第5話から第8話くらいまで、さんざんに迷った兼さんですが、一見答えが出たようでそれは魔境、本当の思いは未だ遂げられていなかったと。
国広が本丸から離反し、人間と同じ時間を生きようと決意したのは、そういう兼さんの迷いを感じ取って、代行した部分が強いのでしょう。

『集団としての使命』に従い、大義を背負ってリーダーやろうとする兼さんと、『個人の思い』に従って隊を抜け、一個人として二年間の幕末ぐらしに飛び込んだ国広。
一心同体の兄弟刀の間に広がる溝は、言葉でも行動でも埋めきれず、ついに二人は別れることとなりました。
これは二人の『元の主』、土方歳三のどの側面を重視し、人間に化けた時の理想のロールモデルとして採用したかが、大きな原因となっています。

規律に厳しく、鬼の副長として寄せ集めの戦闘集団・新撰組を機能させた土方歳三
私情を殺すその姿を尊いと感じたからこそ、兼さんはそれを真似し、『元の主』への慕情を『表に出してはいけないこと』だと封じてきました。
国広はそんな兼さんの相棒として、隊長が頑張って封じている柔らかい部分を背負い、表に出してきた。
それは『鬼の副長』の腰元にあって、プライベートも常に共有していたからこそ知っている、『私人』としての土方歳三……『本当は優しい人』から学んだものなのではないか。
土方歳三』への憧れを同じくしつつ、実は全く別のものを見てきた二人が、お互いの欠落を補おうとしてすれ違ったのが、あの炎の中の立ち会いだったのではないか。
国広が去ってみると、そういう感慨を覚えました。


元々『土方歳三』の中で『鬼の副長』と『俳句を吟じる私人』は、矛盾も衝突もしていたのでしょうが、なんとか同居し、幕末の戦乱の最後まで生き切っている。
どちらの生き様を全うさせてやるのが正しいとか、間違っているという話ではなく、人を斬りもすれば愛することも出来るのが、土方歳三であり人間という存在そのものでもあるのでしょう。
兼さんと国広の対峙は、お互いが見ている『鬼』と『人』両方あってこその『土方歳三』であり、その生き様を背負った二人はお互い補い合ってこそ、土方歳三が夢見た生き様を未来に再生できるということを、ふたりとも見失ってしまっている証明に思えます。

この矛盾(に思える融和)が行き着くところまで行っていたなら、兼さんは国広を切っていたでしょう。
しかし、それこそ『鬼の副長』が規律維持のために実際にやったようには、兼さんは自分を振り切れない。
国広の命を断って、一人間として歴史の流れの中に身を沈めていく道を閉ざすことは、兼さんにはどうしてもできなかった。
『女々しいメソメソ野郎だな!』と思うと同時に、その甘さが優しさでもあり、国広が背負おうとした『私人』土方歳三が兼さんの中でも生きていることを、証明しているように思いました。

己の中の迷いを切って欲しいと、頸を差し出した国広ですが、兼さんの迷いは国広を受け止めきれなかった。
事がそこまで及んでしまった以上、自分(と、自分の中の『私人』土方歳三)に嘘は付けず、国広は兼さん(と、彼が背負う『鬼の副長』土方歳三、そのロールモデルが背負う『本丸に忠義を尽くす歴史の守護者』としての公的生き方)に背中を向けます。
国広の体ごと迷いを切り離せるほど、兼さんが答えにたどり着いているのなら、彼はダンダラの羽織……『自分の中の新撰組土方歳三』を、地面に脱ぎ捨てる必要もなかった。
『かつての主』から託され、自分で背負うと決めたものに迷いを感じてしまっているからこそ、あの時兼さんはダンダラを着込めず、新撰組的(あるいは土方歳三的)存在であることに、胸を張って対峙できない。

そして兼さんの迷いの原因は、『歴史保護』という大義に心を殺して向かい合う一振りの刀として、自分を定義できないことにある。
飯を食えば美味しいし、人が血を流せば悲しいし、仲間が支えてくれればありがたい。
ここまでの描写が強く証明しているように、人間よりも豊かな感情の起伏を持った『本当は優しい人』であるからこそ、『鬼の副長』であり続けようという兼さんの意志は、国広と、自分自身と矛盾を起こす。
兼さんが背負いきれなかった『人間』という重荷を、国広が代理に背負った結果があの離反だとすると、二年間人間に混じって戦ったその生き方は、兼さんの心に秘められた願いでもある。

『人助けはルール違反』とうそぶきつつ少女を助け、『このツケは俺の剣で払う!』と宣言した第一話を思い出せば、『目の前で流れる命に手出し無用』という刀剣男士の掟と、踏みにじられる野辺の花を見捨てておけない熱血の相克は、今回のような離別にたどり着く宿命だったのかもしれません。
刀剣男氏は、歴史の当事者として時の河に腰まで浸かることを許されていない。
しかし心の何処かでは、流れる赤い血を己の刃で止めて、ただひたすらに人に寄り添い、一緒に生きて死んでいくことを望んでいたのではないか。
そんな兼さんの『やりたくても出来ないこと』を背負って、国広は隊を離れ、人に混じったのではないか。
審神者の超技術で時間を駆け抜け、一瞬で函館まで行き着いてしまった兼さんと、国広が歩んだだろう道のりを比べて考えると、そういう思いが浮かんできます。


『人間』と『刀剣』の矛盾に巻き込まれて、ダンダラを胸を張って着れなくなった兼さんが、もう一度土方歳三の象徴を羽織り直すまで。
国広との対峙から審神者との会話、函館への跳躍までの道のりは、そういう風にまとめられると思います。
史実の土方は戊辰戦争の早い段階で隊服を脱ぎ捨て、西洋風の軍服に『新撰組』を刻む実践的装いに変わっているわけですが、兼さんはあくまで古臭い浅葱色の隊服(史実でもあんまり着ておらず、新撰組のを表すフェティッシュとして肥大化したイメージ)を着ている。
そこら辺のギャップが、時間から切り離された特殊な存在だからこそ、時の流れに劣化しない純粋な思いを体現できる刀剣男士の特別さ、危うさなのかなと、少し思いました。
国広が兼さんが捨てたものを拾って背中を向けたように、土方歳三が捨てたものを兼さんは背負おうと頑張っとるわけだ。

そんな兼さんの捻れた思いを会話で引き出し、全てが決着するステージに送り込むべく久々登場なったのが、我らの審神者
くっそ面倒くさい状況を細かく整理し、これから何が起こって問題がどう解決されるのかを説明して、実際の衝突が起こりそうになると手早く退場する辺り、場面進行に協力的なキャラだ。
あそこでグダグダした感情を抱え込んだままとにかくドラマを進めるのではなく、皆川純子声のデウス・エキス・マキナを召喚して整理タイミングを作る辺り、活劇っぽい運びだなぁと思った。
物語の図式と構図に意識的で、それを絵で見せたり台詞にしたり、視聴者と共有する意欲が高いアニメよな……好きだよ、そういうわかり易さ。

審神者は『歴史守護』という大義を第一に、血が流れようとも巨大な歴史を守る立場にいます。
それと同時に、一人間として肉体を手に入れ、過去への執着と強烈な感情を持て余す刀剣男士の人間性にも、理解を示している。
少なくとも活劇の審神者は、自分に都合よく時間遡行軍を斬り殺すただの『刀剣』ではなく、己の意志で悩みと向き合い、変化と克服を繰り返す『人間』として、己の大義を佩刀に背負ってほしく思っているのでしょう。

その器量は大きくて、あからさまにコースアウトしてる国広の行動もOKだし、兼さんの乙女ハートも焦らず聞き出すし、『すべてを手に入れる』ために函館に部隊を送り込むしで、ちょっと見てて『ホントに出来んの?』と不安にもなる。
のですが、時間遡行軍がなりふり構わぬ大構成をかけるほど劣勢に追い込まれている状況を見るだに、彼はこのスタイルでやってきたし、結果も出してきたのでしょう。
無敵のエリートに見える第一部隊にも、このくらいの大波乱があってなんとか乗り越え、今の状況にたどり着いたのかも知れんね。
……山姥切くんとかマジ面倒くさそうだしなぁ……人間に交わる誘惑と、付喪神として人を見守る宿命のバランスをとってガス抜きするために、『特別な一日』が慣習になったのかな。

審神者が兼さん達に刺した釘……悩み惑う人間的な自由の対価として要求した、身内切りの責任。
これは妄想なんですが、一人二人完全に道を誤った刀剣が過去にいて、審神者はそれを既に切っているのかもなぁ、と思いました。
国広の暴走をまだ許容できる範囲に収めているのは、本当に後戻りできないケースが既にあって、そこから許容範囲を学習してOKだしてるのかなぁ、と。

活劇の審神者をどういう人物と読むかは、視聴者ごとにかなり色が変わる部分だと思いますが、僕は年格好に似合わぬ大物であり、刀剣男士の人間性を信じたいヒューマニストであり、その自由が大義をぶち壊しにしない保険はきっちりかけるリアリストでもあると思います。
そしてその人格は、兼さんと国広が今まさに体験しつつある、お互いの魂が触れ合うような土壇場を経て形成されたのではないか、と。
第1部隊に二話割いて描写を深めたのは、今回の『夢の共闘』の温度を上げるためであり、『既に物語を終えたもの』との明暗で主役のドラマを照らすためでもあるのでしょうが、個人的には審神者もまた、『既に物語を終えたもの』の範疇に入ると暗示する意味合いも、あるのかなぁと。

時間遡行軍との殺し合いは、蜻蛉切さんがその可能性を身をもって示したように、死と隣り合わせのリアルです。
目的のためには手段を選ばず、ただ大義を遂行するための機械としてあった方が、あまりにも厳しい現実に適応するためには有利かもしれない。
しかし審神者は、刀剣男子とよく話し、本音を聞き出し、組織を整理して、明暗ひっくるめて『人間』であることを要求します。
本丸が許容できる範囲を飛び出すことを含めて、刀剣男士に自由を与えているのは、無責任とも甘いとも見えるけども、実は一番厳しい対応なのではないか。

審神者はあくまで問いかけるだけで、人間の真似をしている刀剣達に『これが人間だよ』という唯一の答えは与えてくれません。
それは様々な生まれ、様々な感情、様々な過去を背負って現臨した刀剣男士が、それぞれの魂に応じて出すべき答えであり、だからこそ『自分だけの答え』をつかむことが、この作品では大事にされてきた。
己の魂の真実を探る度が、非常に危うく厳しいものであること含めて、話の真ん中に据えてきたこと。それをコントロールする立場にいる審神者が、刀剣男士の人間性に強いロマンとリアリズムを兼ね備え、いざ引き返せないとなれば己の意志で『死』という答えを叩きつける覚悟があること。
これは凄く良いなと思いました。

……兼さんが国広相手に振り下ろせなかった刃を、審神者は『命令』という形でいつでも振り切る覚悟が出来てんだろうなぁ……眉一つ動かさず、きっちり殺すと思うあの人。
それは兼さんが背負おうと憧れ、未熟さと優しさ故に背負いきれてない『鬼の副長』そのものであり、国広が救おうと道を外れた『本当は優しい人』でもある。
実は二人の理想形は審神者という形で目の前にいるんだけども、未だ幼い二人はその事実に気づかないまま感情を拗らせ、すがるべき相手を見つけられないままクライマックスまで来てしまった……って味方も出来るかな。
まぁ審神者に視線を向けすぎると、刀剣男士ではなく『活劇の審神者の話』になっちゃって、各本丸ごとの個別のイメージ(妄念ともいう)を大切に勧めているコンテンツの進み方とケンカしちゃうか。
僕は顔と声ひっくるめて活撃審神者好きなので、ついつい余計な覗き込みしちゃうわけですが、視聴者全部があの人の活躍を待ち望んでいるわけではなく、最大公約数的に『刀剣男士の話』をスムーズに進めるべく、いいタイミングで都合のいいパワーを発揮し、本題に入る前に退場するポジションはベストなんだろうな。
そういう便利さを取り込みつつ、笑顔の奥に陰りと覚悟、血煙の香気が漂っている所が、否定しようもなく人斬りの道具でもある『刀剣』テーマのアニメとして、僕は良いと思ってます。


兼さんは審神者陸奥守に、カウンセリングやってくれる優しい仲間が沢山いるから良いですが、人間ならざる身で人間に混じり、友もいない幕末を生きた国広は、どういう感じだったのかなぁと、少し考えます。
これは来週語られる部分なんでしょうし、土方さんとの距離感を見ると存外巧く『人間』やれてた感じもありますが、それでも一人は辛かったんじゃなかろうか。
兼さんは主人公として散々に悩み、答えを見つけたと思ったら『私……自分の気持ちわかってたのに……』とか言い出して"ススメ→トゥモロウ"流れ出す特権持ってる(めんどくさいクソデカ感情の行き先は、いつでもラブライブ一期13話ことりちゃん大好き人間)けども、その面倒くささを引き受けてた国広はどうにも孤独だなぁ……優等生の寂しさというか。

しかし孤独に思い悩み、己の半身と身を切る別離に踏み込めたのは、人格成熟度が高い国広ゆえでもある。
新兵なのに『大人』だからこそ、兼さんが隠している真意にも敏感だし、『兵器』であり『人間』でもある刀剣男士の宿命を、適当に流すこともできなかったのでしょう。
そういうお前の不器用な真面目さが、俺は好きだよ。

『己の意志で、歴史を変える』という国広の決断は、時間遡行軍と共通する危うさを持っています。
しかし過去を踏みにじり、悪戯に血を流す遡行軍とは異なり、国広は少女の命を取って、人間と同じ目線で時間の河に身を投げた。
それは刀剣男士の大義とは相反する決断かもしれないけども、『なぜ、歴史を守らなけれないけないのか』という根本的な問いに響く、凄く人間的な行動だと思います。
わざわざ他人である兼さんの思いを背負おうとするのもそうだけど、愛の男やな国広くん……好きやぞ。

他の刀剣男士が巧く折り合えた、歴史を守る超常存在としての自分と、血を流し感情を持った人間としての自分のギャップ。
国広(と、彼が看取り代行しようと思った和泉守兼定)はその裂け目を前に、人間であることを選んだのです。
それは間違っていると同時に正しい答えで、そこに秘められた優しさや真摯さを、兼さんは来週受け止めなきゃいけない。
審神者によって迷いを言語化され、仲間たちに道を整えてもらい、背筋を伸ばしてダンダラを着直した
兼さんなら、国広(が背負ってくれた、割り切れない自分の思いと、土方歳三のもう一つのイメージ)を抱きとめることが出来ると思います。

つーか、ことココに及んで曇りのない決断にたどり着いてくんないと、どんだけ優柔不断なの兼さんって話になるしね。
ぶっちゃけ中盤の迷い路がいい感じにスムーズ&必要十分だっただけに、土方さんと実際出会ったらグラグラしちゃった兼さんにはちょっとガッカリだったよ!
でもこうして局面が進んでみると、それは兼さんにとって、そして『土方歳三』への憧れと経験を同じくする国広にとって、大事な道だったんだろうなぁ。

分裂してしまった『土方歳三の佩刀』が再び出会う時、彼らが目指した『鬼の副長』と『本当は優しい人』は融合し、兼さんがリーダーを背負って以来どこかで追い込まれていた『土方さんのような立派な長に、自分もならなければ』という思いも、出口を見つけるのではないか。
そうすることで、兼さんが切り捨てようとして切り捨てられなかった『本当は優しい人』も、それを背負った国広も、収まるべき鞘を見つけられるのではないか。
そういう期待が、最終話にかかります……いやー、楽しみ。


矛盾が止揚される概念のドラマだけでは、物語は加速しないわけで、アクションはいつでも必要。
つうわけで時間遡行軍のみなさんもワッサワッサと駆けつけ、第一部隊との夢のタッグマッチが大開幕であります。
いやー、50で箱館戦争ひっくり返せるのに、1000は盛りすぎだろ……そういう大風呂敷を最後に持ってくるの、俺嫌いじゃないぜ。

正直第一部隊が来たとき『え? そこじゃなくね?』とは思いました。
だって僕が体重預けてみてきたのは、既に答えを出したエリート戦士の大活躍ではなく、未熟で情けなくて泥臭くて、だからこそ本当の絆と強さを手に入れてきたポンコツ部隊のドラマだったわけで。
『ここは第二部隊がドバーン! と出てきて、鶴丸の華麗なる飛鳥の剣術がうなり、蜻蛉切さんの体格を活かした一本気な突撃が戦場を切り裂き、薬研くんの冷徹なる情熱が至近距離で柄までぶっ刺すところだろこんにゃろー!』って思ったんだけども、冷静に考えればそれは最終話の見せ場だよな。
あえて焦らすからこそ、本命刺さった時の盛り上がりもすんごくなりそうだし。

こうして書くと第一部隊が前座みたいですが、ここまで交わることのなかった二つの戦士たちが同じ場所で戦うことで、本丸が持っている大義がより鮮明になったのは、とても良かったと思います。
部隊は違えど、お互い抱く主、背負う大義、歴史を守る志は同じ。
そういう場所が靭やかに存在しているからこそ、道を外れ自分を探してさまよう国広も、ホームに帰還することが出来る。
隊の垣根を超えた共闘は、そういうモノも強調したんじゃないかと思います。

迫りくる1000の遡行軍は、大量のピンチを連れてくるでしょう。
第1部隊では足らず、俺達の第2部隊がドバーン! と出てきて、定めの兄弟と心を通わし終わった兼さんが、道を作ってくれた仲間に報いるべく、鬼神の刃を存分に振るうでしょう。
ハッタリが強く効いているおかげで、そういうワクワクする見せ場を思いっきり期待できるのは、とても良いことです。


審神者カウンセリングによる心情の整理と、箱館戦争という舞台の準備、そして『刀剣』の本分を思い切り発揮できる1000の敵。
最終話が思い切り高く飛ぶために、必要なジャンプボードをしっかり準備する回でした。
別れた後の国広を書かないことで、逆に失われた二年間に色々思いを馳せることも出来て、国広好きな自分としてはなかなか面白い回でもあった。

人が人としてより強く、大きくなるためには、迷いと戦いを乗り越え、仲間の支えに頼り、その恩義に報いることが必要。
このアニメがずっと、何度も描いてきた成長の構図が、最後の最後で非常に分厚く鮮明になったと思います。
良い準備回でした。
後はこのジャンプボードを踏んで、物語を興奮の最高潮にぶち上げるだけ。
活撃刀剣乱舞最終回、非常に楽しみです。