神撃のバハムート VirginSoulを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月26日
剥き出しの死、飾られた死、愚かな死、意味ある死。戦場に躯が並び、みな渦に飲まれていく。憎悪と死の渦。不条理の渦。
莫大なコストを掛けたアクション作画がスペクタルとして機能しないレベルまで、煮込まれた死の川を飲む回だった。
色々と自分の中で調整がつかず、感想をここまで引き伸ばしてしまっていたが書かなければ整理もつかないだろうから、書きながら整理していくことにする。乱文になることを、予めお詫びしておきたい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月26日
どこから見るべきだろうか。全体は膨大な死と不条理が支配しすぎているから、部分から切り込もう。
アレサンドロとカイザルと漆黒兵が死んだ。あっけないような、ドラマチックなような、その生死の意味は最終回で何が語られるかがすべてを決めるような、なんとも言えない死に様だった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月26日
最後まで逃避を続けるアレサンドロは、非常にじっくりと描かれる。金の鎧を脱げない子供。武装が仇になって死ぬ男
降り掛かった不条理に怯えつつ、保護してくれる『誰か』…抱きしめて『お前は悪くないよ』と言ってくれる父母を求めて死んでいく姿は、露骨にムガロと重ねられている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月26日
子供を殺し、大人を殺そうとして阻まれ、その怒りを受け止めることを拒否して、逃避として抱きしめた子供に殺される子供。
アレサンドロの行動は凡人故、子供故の無力感と、それを埋めるための虚飾が行き着くところまで行き着いた、なんとも噛み砕きにくい物語になった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月26日
覚悟のない子供は、何もできない。覚悟していても、あっさり死ぬ。死の巨大なリアリズムが、ファンタジックな大規模戦とケンカすらしている。
ジャンヌを『神と人間の融合体≒人でなし』に追い込み、アザゼルが望んでも手に入らなかった魔軍全体の支援を戦場に引き込んだ、ムガロの死。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月26日
歴史を大きく揺るがす『選ばれた子供の死』と、それを引き起こした『選ばれなかった子供』の死が、おんなじように描かれる所が、VSだなと思う。
生き死にを描くということ。ファンタジックな背景を元に、神と魔と人、融和できない種族の衝突を題材に据えるということ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月26日
GENESISが一アウトローの成長物語、運命と悲恋に落とし込んだ陰りを、腰を落としすぎるほど落としてどっしり描くスタンス。その大真面目さが、アレサンドの死を描く。
アレサンドにとって、人を殺すのは自己防衛だ。自分は悪くない、なのに世界は責め立ててくるから殺す。ムガロが特別な子供であると見せつけられると、セルフイメージが瓦解するから殺す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月26日
その時点で回路は歪んでしまっていて、防衛と侵害の境界線は破綻している。異常だ。
そういう場所に彼が飛び込んでしまった原因(追い込まれた、とは言わない)が、アレサンド個人の異常性と未熟にあるのか、はたまたあらゆる子供たちに共通の壁を乗り越えられなかった結果なのか。周囲の手助けがなかったからか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月26日
ムガロとアレサンドの死の対比は、答えのない問を頭のなかで回転させる
あくまで己の弱い自我を守るために、人を殺す。アレサンドが代表する凡俗な防衛本能を乗り越えて、漆黒兵は死に、カイザルは死に、シャリオスは死にかけている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月26日
『英雄になれるもの』を描くために、Aパートほぼ『英雄になれないも』を描く対置法は、話数残り一話の土壇場でも健在だ。
先週『自分は子供でしかない』と思い知らされたニーナが、いつもの『自分らしさ』を取り戻す描写が、結局自分を超えられないまま沢山人を殺し、殺されたアレサンドの後に来る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月26日
残酷だな、と思う。ニーナはアレサンドが追い込まれた俗なる業を、微塵も理解できないだろう。
他のあらゆるものが、否定し得ない強度で描かれる破壊と死に足をつけている。というか、喉まで沈んで溺死している。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月26日
そういう死の川から、ニーナは自由だ。ピンクでピカピカだ。
その特権を、最後どう活かすのか。生中な逆転では納得出来ないほど、理不尽な内圧は高まっている。時間もない。
『恋がすべてを救う!』というのんきなロマンスは、このアニメかなり早い段階で廃棄している。なまじ表現力が高いので、それが捨て駒であって話の本命ではないことに、視聴者が気づくまで時間がかかる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月26日
ニーナは特権階級というより一種の道化として、恋の本質にもたどり着けない子供として、まだ在る
そこから抜け出した地平を最後に描くつもりなのか、はたまた異物感を効果的に炸裂させられないまま、異物として走りきるのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月26日
アレサンドの死、ムガロの死、同じように無力で馬鹿な子供たちが渦に飲み込まれる中、ニーナが例外的に生き残る理由は何なのか。僕はそれを知りたい。
それだけ知れば、このアニメに納得できる気はしている。主人公ってのはそういうもんだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月26日
ニーナという異物を触媒に、世界全体を相転移させないと、幻想物語が吸収できる範疇を超えて描写された死の渦は、方向性を与えられないまま荒れ狂う。
『世の中そんなものだよね』というニヒリズムで終わる。
それをしっかり描けているのは、(そういう思考が少数派だと自覚した上で)好きなのだ。世の中そういうものだからだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月26日
正義は正義と、愛は愛と、理想は理想と衝突して、安易な融和など起こり得ない。物分りのいい物語を拒絶しながら、死を積み重ねて現実は続く。出口はない。
しかしそこに一滴、都合のいい夢物語のエッセンスが落ちるだけで、『それでも、世界はそういうもんだ』という逆説が生まれる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月26日
嵐の中の凪、闇の中の光。物語はいつだってそれを追い求めているし、物語を見る僕だってそうだ。あなたもまた、同じものを求めているかもしれない。
絶望と無理解に満ちた世界で、主人公だけが特別だ。ルールをひっくり返す輝きを持っているから、そいつは主人公なんだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月26日
例えばGENESISでファバロに与えられた特権を、このアニメはニーナに与えない。剣に手もかけず死んでいく=守っていく=抗っていくのはカイザルであって、ニーナではない。
ニーナはあくまで、ピンク色の子供時代で自分の周囲を固めて、百億の正義と殺意が衝突する現実を前に立ちすくむだけだ。まだ、子供なのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月26日
幼年期をGENESIS(人格の創世記!)に終えてしまったカイザルは、己の信念を前に一切ためらうことなく、ただただ行動する。大人なのだ。
カイザルはただ死んだ。それが何を変えるのか、はたまたアレサンドの死のように何も生み出さないのか、ムガロの死のように百億の憎悪を生むのかは、最終話を見なければわからない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月26日
お話の収まり的にも、あれだけの男が死ぬことにはポジティブな意味があって欲しいという願いとしても、変化を期待する
漆黒兵は己を覆い隠す鎧を脱ぎ、武器を手に素裸でジャンヌとアザゼルに向かう。そこに『悪い敵』をぶっ殺す爽快感はない。製作者の狙い通り。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月26日
彼らもまた、百億の憎悪と正義を背負って、憎悪と正義で繋がった天使と悪魔に向かい合う。刃を突き立て、牙をむき出し、勝手に死ぬ。
殺すか、守るか。剣を握るか、柄に手をかけないか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月26日
ベクトルの違いはあれ、己の信じた理想に命を乗せ、当然の結果として死んでいったのは漆黒兵もカイザルも同じなのだろう。
カイザルを死地に動かしたもの(ニーナを動かさなかったもの)に共感したから、港の戦闘で隊長はカイザルの顔を見たのだ
逆に言えば、アレサンドにはそれがないから、漆黒兵隊長は彼を『大人』の仲間として向かい入れはしなかった。そこには軽蔑と、子供の命を守りたいという情があったのではないか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月26日
その真意は当然、アレサンドには伝わらない。彼は耳を閉ざしているし、英雄以外は人間、そんなもんだ。
自分を慰めるために今更敵を包容しようとして、防衛本能を鏡写しに反射されて死ぬアレサンドは、偽物の金でできた鎧を脱げない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月26日
死地において、カイザルは武器を握らない。敵と敵の間に立って、ただ刺される。それが何かを生み出す保証のない、無防備でバカな行動だ。カイザルらしいと思う。
未だGENESISの残影がまぶたに残る視聴者としては、そんな極限の捨身捨己に追い込まれなくても、カイザルが夢を叶えられる展開を妄想する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月26日
王と対等の大義、社会、領土を背負い、盾ではなく対話者として向かい合い、現実を跳ね返す重さと強さを手に入れて、安全にクライマックスに飛び込む夢。
でもVSは、カイザルをそういう場所には運ばなかった。あくまで無力な一個人、巨大な正義と正義の間に挟まれつつ、己を曲げることはしない一己として書き続けてきた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月26日
だから、あの死に方は一つの帰結ではある。無力な子供は、素裸に死地に飛び込み命を賭け金にしなければ、世界と勝負できないのだ。
VSに大人はいない。いるのは無力な子供と、無力であることに我慢できなくなった子供だけだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月26日
皇帝の身体にクリスを閉じ込めたシャリオスも、黒い血を水のように吐き出し顧みない漆黒兵たちも、極限の死地で己の身体を壁としたカイザルも、頑張って大人のふりをしている。
神と悪魔、不倶戴天の仇敵に引き裂かれつつ、視線だけで通じ合えるアザゼルとジャンヌも、ムガロと通じ合った己の柔らかな子供を憎悪で閉じ込めつつ、愛に報いるために大人を演じ、武器を振って戦っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月26日
その演技が意味のあるものなのか、足を止めて考える最後のチャンスを、カイザルは作った。
子供が子供と殺し合う、あまりに人間的で出口のない戦場。嬰児を奪われた復讐のために手を取り合う、あまりにも皮肉な神魔の融和。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月26日
重たい、否定しようのない殺戮の中で、一瞬だけ幸福だった黄金の時代を思い出せる間隙を、カイザルは命を払って作ったのだと、僕は思いたい。思わせて欲しい。
そう思うためには、あの死が分水嶺となって復讐者達が人間に、大人が子供に戻る必要がある。あるいは、子供時代に未だ守られたままのニーナが、大人であろうとする変化が。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月26日
最終話はあらゆるアニメに大事だが、このアニメにとってはほんとうに大事なものになった。それで全てが決まってしまう。
残り24分でこの物語が描くもの、たどり着くものが、ここまで長い間積み上げてきたものの意味を決めるだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月26日
時間はない。置けてただ一筆、一撃。それで作品のコアをクリティカルに描けなければ、『こんだけ重苦しい話をわざわざ続けて、何が描きたかったの?』となりかねない。
そうするためには、恋で世界を揺るがしてきたニーナの行動が、とても大事なのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月26日
愛するカイザルを、死体の尊厳を蹂躙してでも死地に導き、実際死んでしまって言葉を失ったリタを黒いキャンバスにして、シャリオスとの恋がなんであったかを、血と赤心のインクで赤く赤く描く必要があるだろう。
煮えきらず、狭い見識のまま恋に走り、ムガロを失ってなお決意を固めることができなかった、ニーナという子供。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月26日
それが『成長』することだけが物語の答えだとは思わない。だが、己の答えを世に問い、審判を受けることは、僕がこの物語を咀嚼する上で決定的に大事だ。
シャリオスの戴冠と告死。カイザルの無防備な死。ムガロとアレサンドを襲った理不尽。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月26日
これだけ理想と夢を追った子供たちが、現実にすり潰される過程を描いてきた以上、ニーナだけを特権域に置くのは無理だ。
風はいつでも吹いている。今回、一人の男が風に貫かれ、死んだのだ。
最終回、時間はない。ニーナが風に向かい、どこに走るのか。あるいは逃げるのか。Runは二つの意味を内包している。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月26日
主役の甘い青春期と、その外側で荒れ狂う死と理不尽を描き続けたこの作品が、ついに融和を果たしうるのか。その一点による突破を期待しつつ、最終話を待つ。不安で楽しみでもある。
GENESISとは別の答えしか、GENESISと別のことを(ともすれば、あの話がたどり着いた結論をのんきに過ぎると冷水すら浴びせつつ)描き続けたVSにはやってこない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月26日
そのことは、かなり前に認識している。問題は、別の答えが自分の中で食いきれるか、やりきっていると思えるか、だ。
思えるような最終回を期待したい。自慢のアクションの尺を削っても、あるいはそれを活かしてこそ、ニーナが境界線を超え、世界のルールに例外を叩き込む瞬間を、説得力在る形で描いて欲しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年9月26日
世界のルールの方は、付き合いのがしんどいほどに重く、キツく描かれているから。必要なのは一擲のみだ。