少女終末旅行を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月22日
ふたりぼっちのモノクローム世界から、異物溢れる呉越同舟へ。変化球でニ連続ストライクを取ったからこそ機能する、世界と人間の起源に迫る、ど真ん中のポストアポカリプス・サバイバル。
景色は変わりつつ、警戒と融和を丁寧に書く筆致は相変わらず丁寧に健在でして。
どうしようもなく終わっている世界と、それを気にかけず終末を旅行する少女達。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月22日
人の営みの残滓で満ち溢れた旅路の中で、少女達は死に取り囲まれつつ平穏で、長閑ですらある日常を楽しむ。
モノクロームの清潔感、二人ぼっちの充実感。ここまで2話、僕らを魅力的に殴りつけてきたこのアニメらしさ。
三話目の今回は底からちょっと離れて、まるで普通の物語みたいに世界の謎に迫り、あっけなくやってくる死に接近しては離れ、虚しさに啄まれつつ未来を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月22日
モノクロームだった世界には色がつき、男という異物が少女の間に入り込みもする。今までとちょっと違う展開が、ちょっと違う物語を生む。
滅んでしまった世界の生い立ちとか、世界をさまよう動機とか、キャラクター個別の性格とか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月22日
あるいは危機が個性をむき出しにしていく展開とか、異物と触れあえばこそ明らかになる『らしさ』とか、今回のエピソードは非常に丁寧に、物語のオーソドックスを踏む。フツーの話っぽい展開だ。
しかしここまでそういう横幅を切り捨て、ミニマルに進めてきたアニメの中では、直球こそが変化球になる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月22日
スローカーブに目が慣れてきた所で、ヒョイと放られるストレートを見て、その異質性に驚くと同時に、この異質な世界で展開される『フツー』がなかなか面白く、待ち望んでいたことに気づいた。
例えば世界の成り立ち。自分たちがどこから来て、どこへ行くのか知らないチトとカナザワは、知らないからこそ知りたいと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月22日
知るためのアーカイブは集散し、カナザワが命と思い入れた地図は散らばってしまうけども、それでも知りたいと思う浅ましさ、愚かしさは、人間共通のものだろう。
積層都市を作り上げた古代文明と、その残骸を利用していた現生人類。どちらも遠くに成り果てて、チト達はオコボレを探して街をさまよう。食料と油を窃盗し、原理もわからないままビルを倒し、エレベーターを動かす。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月22日
そんな無力な世界でも、街頭は綺麗で飯は旨い。
エレベーターから見える高さに怯えないユーには、想像力がない。目の前の状況に背骨で反応して、的確に対処する、一種の動物だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月22日
現在をマッピングするカナザワとは違う生き物であり、悩めるチトとも正反対。過去も未来も、あまりに遠い時間をさまよう中で、唯一可能な幸福はユー的なものかもしれない
今回、第1話では遊具でしかなかった三八式歩兵銃は本来の力を取り戻し、カナザワという異物に向けられる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月22日
坂を登り、会話を積み重ね、段々と仲良くなっても、ユーはカナザワとの間に必ず銃を立てかけ、境界線を作る。それは動物の防衛本能であり、口ばっかで弱々しいユーを守るための防衛術でもある
女二人の間に入り込んだ、カナザワという異物。彼の地図が油と食料の位置を教え、無目的な世界の目的…昇降塔への道を指し示す中で、ユーはゆっくり銃から手を離し、境界線を破棄していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月22日
野生動物が牙を収めるような動きは、目立たないが確かにしっかり演出されていた。印象的な描き方だった。
銃という『死』の象徴が別の意味を持つように、油や食料もこれまでとは違う描かれ方をする。それが欠乏しかかっていて、なおかつ過去からのおこぼれ以外に確保できないことが、カナザワとの会話から見えてくる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月22日
魚すら死骸でのみ流れてくる世界では、他人を殺して命を繋ぐ自由すら、少女達にはない。
そういう不自由さとか、警戒心とか、エレベーターでユーの手にしがみつきっぱなしのチトの弱さと依存とか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月22日
真っ白で二人きりの世界だけを切り取っていたら見えなかったものが描かれたのは、やっぱカナザワという『他者』を出して交流し、世界を切り開いていく『フツー』の話をやったおかげだと思う
エレベーターと手すりと資材の問答が繰り返されるところとか、ダイアログの小気味よさも良かった。やっぱ石田彰という役者はなんでも出来て、強さも弱さも引っくるめで人間味溢れるキャラをやらせると光る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月22日
"昭和元禄落語心中"で見せた巧さを再確認できて、彼のファンとしては嬉しい芝居だった。
冒頭のユーチト漫才にしても、エレベーターにしても、今回は落下による『死』にキャラクターが接近する話で、それはユーのように『現在』だけを見ず、『我々はどこへ行くのか』という『未来』、あるいは『地図』という『過去』にうつつを抜かした結果だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月22日
高みを望んだイカルスは、天から堕ちるものだ
ここまで『旅行』の対象になった、白くて綺麗な終末は、動物にならなければ生き残れない世界でもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月22日
でも、そうやって生き残った先に何があるのか。あまりに広大な世界は『何もない』と既に答えを出していても、チトもカナザワも自明の理に納得はできない。
そんなロゴス的人間存在を、愚かなる動物が現実につなぎとめる。それを巡って殺し合いを演じもした『食料』を、半分に割って差し出すユーの優しさは、未来を夢見、過去に学ぼうとするのと同じように人間的だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月22日
そういう風に、三者三様の時間感覚が一瞬混ざり合う終わりは、なかなかいいなと思った。
無論そこで、順風満帆な未来より確定した破滅を匂わせるのがこの廃墟行でもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月22日
バイクを失い、地図をばら撒き、カメラまで手渡してしまったカナザワは、ふたりぼっちに一瞬混じって消えていく。その先には多分、無力な徒歩行の果ての死がある。他の全ての人類が歩いた道を、カナザワも進む。
今はまだ、二人のケッテンクラートは壊れない。過去も現在も未来も失って世界に放り出されたカナザワの孤独が、チトとユーの明日になりえるかは、確定したわけじゃない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月22日
でも多分。借り物の上に借り物で継ぎ接ぎした、終わりきった世界の結末は一つしかなくて、二人だけが特別に許されるわけじゃない
そういう未来にまで妄想が伸びる、いい出会いと別れのお話だったと思います。ふたりぼっちで白くて綺麗な世界を走ってる間は見えなかったものが沢山感じ取れて、三話目で投げる球としてはかなりのベストチョイスでした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月22日
この出会いと別れを経て、特に何が変わるわけでもないのだろうけど。でもいい話
思いの外速球も良いフォームで投げれるのを確認した所で、さてはて次回はどうなるか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年10月22日
ふたたび白い世界をふたりぼっちで彷徨っても良し、隠された過去と未来に思いを馳せても良し。また別の何かと遭遇してもいいでしょう。終わった世界でも、語りえる物語は無限にある。次回が楽しみです。