少女終末旅行を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月24日
ラジオ。無垢なる涜神。黒いモノリスに封じられた智慧。モニュメンタル。降り積もる雪。融解する記憶。
上昇する螺旋。繰り返す日常と約束された破綻。
月光と酒。バッカスとディアナの狂宴。開放に伴う役割の交換。人類最後の酔っぱらいによる、静月のカルナヴァレ。
そういう感じの、少女終末旅行の有様を切り取る回である。あんな風に彼女達の日常は進展し、渦中にいる少女はその意味を知らないまま、歩き、死にかけ、酔い、踊る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月24日
何も知らないまま必死に現在を生きる彼女達と、生のスケッチを眺めながらその意味をいろいろ考えてしまう僕らの距離感。白黒の遠近法
短いスケッチを繋ぎ合わせて、詩情と雰囲気を醸し出していく。第5話などでも的確に使われた手法だし、他に軸があるときも作品の通奏低音としてしっとりなり続けてきた、廃墟の音楽。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月24日
今回はそれが主役で、バラバラの物語を静かにつなげている。記憶と死に満ち満ちた、穏やかな終末。
殺風景の中に佇む、黒い卒塔婆。それが墓であり、知識の残骸として荒野に立ちすくむモノリスなのだということを、終末にいない僕らは直感する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月24日
だがユーもチトも、そういう予感を生み出す社会知とは無縁だ。墓を荒らし、遺品を盗む冒涜は、無邪気に行われる。無知は罪か、無垢なら無罪か。
鳴らないラジオ、布の切れ端、千切れたボタン。文脈から切り離されたモノは無意味な物品で、それはあの黒い箱に押し込められた数億の死もそうだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月24日
遺品に込められた想いは、とうの昔に風化した。『使える/使えない』という生者の価値観では計り知れない物語を、少女たちは推量できない。
それでも。死者へを悼む気持ちは人間の根本であり、無邪気に踏み荒らしてほしくはないという僕らの身勝手な願いを、チトが救いあげる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月24日
賢い彼女は状況を観察し、推測し、歴史を作る。想像力で時間を埋めて、真実にたどり着く。それは『墓場だ』という認識で終わらず、『遺品を戻す』という行動になる
ユーがチトに預けている、時間的想像力。降り積もる雪のように、記憶が蓄積して蒸発していく人間の在り方を、白黒の画面はしっかり切り取る。チトが『死者は尊ぶものだ』という人間の根本を思い出した時、マリンスノーのように雪が積もり始める。ありとあらゆる時代と場所で、人が営んだ記憶の営為。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月24日
絶望に満ちた終末世界では、時にチトの想像力は命取りだ。高所恐怖症は『そこから落ちる』という未来を妄想すればこそ生まれるし、実際に落ちかけた時、目を瞑って創造の闇に自分を投げ入れてしまうことにもなる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月24日
『知る』ということは、ヒトの強みでもある弱さでもある。
それを補うべくヒトは社会を造り、未来への妄想を現実に変えてきた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月24日
空疎なる墓列の意味すら蒸発した世界を、少女二人が歩いていく。凸凹な彼女達は最後の人類であり、最小の社会単位でもある。
想像力のないユーと、想像しすぎるチーちゃん。動物的人間と人間的動物の旅路は、雪の上に足跡を刻む。
それがなんの意味もない木霊だとしても、ヒトは自分の足跡を雪に刻みたくなる。ただ永遠に繋がる現在を生き続ける『円環』のような人生ではなく、同じ場所を歩きつつ想像力の及ぶ『どこか』へと上昇していく『らせん』を望んでしまう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月24日
その足取りとして、カナザワのカメラも、イシイの翼もある。
絶望に包囲された終末旅行は、とても危うい。螺旋の中を歩き続ける、あるいは鉄骨の上でダンスする彼女達の旅はとても幸福であり、同時に偶発的な死に満ち溢れている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月24日
彼女達は凄く呆気なく死にかねない危うい足場の上にいて、そのことに気づいていない。気づいているが、支配されていない。
絶望に食われてしまえば、終末を旅行することは出来ない。足を止めて、想像力を下方に向けて、死に向かってスパイラルしていくだけだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月24日
それを弾き返すために、必ず溶ける淡雪だとしても、自分なりに記憶を刻み込む。それは生存から目をそらす贅沢ではなく、人間が生きるための決死の身震いなのだ。
墓…死を刻み込むモニュメント(その語源はラテン語のmonere、『記憶』だ)の意味をチトが思い出し、かつての人類のように慰霊の儀式を執り行ったこと。その意味を読み解けなくても、獣の如きユーが同じように倣ったことには、大きな意味があると思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月24日
同時に、哀しいほど空疎で無意味でもあろう。
地球最後の人類である彼女達は、バベルの塔も月面のモノリスも、DNAもアポロ計画も知らない。自分たちの歩みが保っている馥郁たる意味を一切知らないまま、真実に一瞬触れて儚く離れ、自分の旅を続ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月24日
その無知を愚かというのは、終末に包囲されていない僕らの感傷だ。
その想像力が終末旅行に反射されて、僕らを包囲しているもの、包囲されている僕ら自身まで反響する。遠い場所の架空の旅路に、妙に響き合うものを感じる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月24日
そういう豊かさを、ただただストイックなこのアニメはしっかり持っていて、だから強いし素晴らしいと思う。空疎だからこそ、響く奥行きがある。
そんな残響を螺旋の塔に轟かせながら、ケッテンクラートは新しい街にたどり着く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月24日
ユーは握りしめた鉄の棒が、かつてアンテナとして信号を拾い集め、行動を決定していたことを当然知らない。現在しかない野獣だからこそ、直感できる偶然の真実というものがある。愚者の知か。
泡。雪と消える記憶のように儚いもの。『びう』を口に入れることで、少女たちは生涯最初で最後の酩酊に飛び込んでいく。自分を見失う贅沢は、サバイバル生活ではめったに得ることが出来ない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月24日
『いつも賢いチーちゃん』をアルコールで壊したチトは、無邪気な動物のように幸福そうだ。
狂気(Lunatic)の語源が月(Luna)であることを、当然ユーは知らない。『びう』が数多の憂さを晴らし、あるいは狂気に導いて、悲喜こもごもの人生喜劇を生み出してきたことも、当然知らない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月24日
知らなくても、彼女達は残されたものを正しく使い、正しく狂う。まるで青春期の少女のように月下踊り明かす
それは煙の中で消える思い出であり、淡雪に似た記憶だ。螺旋を上がりきり日常が終わる時、待っているのは新しい世界ではない。死だろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月24日
それでも、あの美しいノクターンが無意味であってはいけないし、あるはずもない。智慧と本能。現在と時間。それぞれ見据える世界は違っても、お互い手を繋いで。
そして、二人は普段の役割を交換する。酒がもたらした幻だとしても、一瞬の祝祭は『しっかり者のお姉さん』『自由人の妹』というロールを撹拌し、撹乱する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月24日
普段やらないことをやる、祝祭の浄化作用。それが、永遠に回り続ける螺旋の倦怠を弾き飛ばし、生き続ける活力を与えもする。
ヒトはそういう、永遠に繰り返すハレとケのダンスの中で歴史を蓄積してきたし、これからもそうしていくだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月25日
僕らを包囲する文化と歴史から遠く離れて、その残骸の中を旅行する少女たちも、一瞬そういうカーニヴァルの文化作用に触れた。そこでスパークする喜びが、遠い彼女達と僕を繋ぐ。
死に満ちた彼女達の歩みが、僕らから凄く遠くにあって、同時にとても親しい旅路なのだということを、静かに伝えてくれるエピソードだったと思います。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月25日
人類文化の遺構に触れ、戸惑いつつもその精髄を救いあげる偶然が、なんだかとても眩しくて愛おしく、また虚しく美しかった。いい終末旅行だ。
そしてそんな外野の感傷を受け入れ、跳ね除けつつ、旅は彼女達だけの人生として進んでいく。愚かで、パワフルで、死を跳ね除ける活力と、偶然死を回避できているだけの幸運に恵まれながら、螺旋は続く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月25日
その先に何があるか。僕はそれを見届けたいと、とても強く思ったのだ。やっぱいいアニメですね。