Free!-Dive to the Future-を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月16日
深い海の底に沈みながら、瞳を閉じる。
思い出が肺胞を押しつぶして、息が詰まる。
出口のない闇の中で、それでも何かを求めながら。
かつて目を焼いた光を探して。
残酷な王子と、傷つきやすい人魚姫。少年たちのダンスは、酷く身勝手で危うく、美しい。
そんな感じの、日和の内面に深く深くダイブしていくお話。先週高校組がピカピカ光ってた青春とは、正反対の色合いだけども、これもまた思春期の一形態であろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月16日
ただ闇一色というわけではなく、優しさと正しさが奇妙な檻に囚われ、潤いを与えるはずの水が喉を押しつぶす歪さが、映像に乗っていた。
山田尚子の心証主義は到るところで冴え渡り(藤田春香との共同コンテだけども)、意味深なクローズアップが短く、効果的に使われる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月16日
”足が喋る”というよりは、ワンポイトグッと近寄って、心象と関係性を強く焼き付けて消える感じ。
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とにかく手と足のクローズアップが多く、力強い。子供時代が遠くに過ぎ去って、誰かを傷つけるだけのパワーを秘めたゴツい拳が、フェティシズムも込めて多数描かれる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月16日
大人の手、男の手。人魚姫に憧れていた時代とは、形が変化してしまった手。
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極端な近景だけでなく、大きくカメラを引いたレイアウトのキマり方も凄い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月16日
大胆でバロックな構図が、心に歪みを抱えた少年たちを飲み込む。そこからグーッとよって、パッと離れて。遠近法がリズムを生み、重たい感情が踊り始める。
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やっぱ山田尚子の映像詩学は、良いなぁと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月16日
具象と抽象、柔らかいものと硬いものの間をテンポよく飛び跳ねながら、キャラクターの柔らかな心情、その揺らぎを的確にスケッチしていく。
今回その筆が捉えるのは、”悪役”を頑張る日和のナイーブな心象である。
冒頭、モノローグと”圧”のある砂場の絵面から展開されるのは、”いい子”でい続けた日和の窒息だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月16日
周囲が困るから。それはいけないことだから。自由(Free)に心情を言葉にするのではなく、押し殺して胸に沈める。その息苦しさに殺されかけた時、郁弥が日和を救う。自覚もなにもないまま。
それがどれだけ強力な呪いであったかは、二枚の絵を見れば判る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月16日
郁也に出会う前のモノクロームのスケッチと、出会った後の王子様と人魚姫のカラフル。灰色の世界が色づくほどの、強烈な幼児体験が日和を駆動させている。
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幼年期の檻が日和を縛り、郁也を縛り、遙を縛っている現状は、今回丁寧にスケッチされる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月16日
砂場で始まった物語は、砂場で終わる。”いい子”でありたいと自分を押し殺した場所に帰還し、檻から出してあげたいと願う相手に拒絶されて、日和のエピソードは終わるのだ。
郁弥は日和の姿、人魚姫の献身を見ない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月16日
あまりに強烈に焼き付いた、中学時代の体験が、その後の孤独を埋めてくれた男の顔を押し流す。呪いの強烈さと新入りの報われなさは、Freeの宿痾とも言える。怜、あるいは宗介で繰り返してきた、幼児体験への奉仕強要。
小さく閉じたサークル…プールの中の子宮に帰還する特権は、過去そこでへその緒を共有していた魂のふたごにしかない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月16日
成長し、外界に出産された後出会ってしまったものは、どれだけ献身的で正しくても、そのサークル内部に入れない。
その腐った特権性を、僕は憎んできた…のだと思う。
今回人魚姫に仮託して、そんな王子様達の身勝手と無神経を語り直したのは、「三期はそこから出る」というサインなのかもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月16日
黄金の過去を取り戻すためなら、顔のない競技者も、便利な共演者も、いくらでも使い倒していい。Freeを名乗りつつ自由に伴う公平の責務を果たさない片手落ちを改める。
その舳先に日和を置くために、彼が過剰に繊細で、公平さに目が行き過ぎ、人との接し方を時に間違えてしまう状況を、一話かけて追っているのかもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月16日
これらのサインがどう繋がるかは、今後の展開を見なければいけない。日和のナイーブさに、郁弥がどう報いる(あるいは報いない)かも。
日和は過去のエピソードと同じように、郁弥に外界を見せようとする。部の仲間とバカな社交をやって、水泳で結果を出して、広い世界に漕ぎ出すよう導こうとする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月16日
強く狭い関係を望みつつ、同時に開放された公平さにアプローチしようともする。思いの外、バランスが良い視界を持っているわけだ。
しかし郁弥はそんな日和と、日和の先に広がってる広い世界を見ない。視界の先は過去(日和のいない過去)であり、遙に向けられている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月16日
斜面を利用して、ズレた関係性と拒絶の意志を見せるレイアウトに、壁はありつつ相手の顔を見る夕景が重なる。
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アメリカでの再開。”
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いい子”の檻に囚われ続ける日和は、自分を閉じ込めるように足を閉じ、腕で止める。郁弥は自由に手足を開き、世界と自分にオープンアクセスしている。いつの間にか、真逆になってしまった過去のイコン。
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あるいは二度目の窒息の後の、病室での療養。倒れ伏した郁也を見つめる日和の痛みを、その時も現在も郁弥は覚えていない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月16日
特別な存在の、特別な存在に離れない孤独と焦り。それでも引き寄せられる感情の軋み。
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水から遠ざけられた郁弥の足が、シーツでマーメイドラインを描いているのが面白い。ちょうどセリフは、人魚姫にまつわる会話をやっている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月16日
郁弥の魚の足は、乾いた現実を歩くにはナイーブすぎる。それをどうにか守りたいと願う日和の足も、段々もつれ、痛みを生み出していく。
連続する書物のモチーフ。優等生の記号として、真面目に本を読む日和の不自由と、そこから手に入れるもの。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月16日
郁弥はアーカイブ化された知識や感情にアプローチしない。人からそうであるように、本から学ぶことがない。他人の気持ちも本も読まない。
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そんな不自由からの脱出口は、かすかに見えてはいるが遠い。日和も郁弥も、自由になれる何処かを求めつつ、過去に出会ったあまりに強烈なものに縛られ、ありのまま自由な今を、自分自身を見つけるには至らない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月16日
自分の輪郭を教えてくれるはずの水が、アイデンティティを溶かしていく。
一見、過去に囚われすぎて日和の献身を見落としている郁弥だけが悪く見える運び。しかし、日和もまた自分を開放してくれた郁也の特別性を、再び再演してもらうべく、郁弥の過去と現在を見落とし、踏みにじる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月16日
遙は忘れて俺を見ろ。それじゃ、傷んだ足は治らない。
そんなすれ違いの果てに、日和は再び砂場に戻ってきてしまう。水がない、潤いがない場所。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月16日
”いい子”でいれば褒めてくれる時代は過ぎたし、それ以外のあり方も見つけてしまった。だけど時間は巻き戻り、日和から光を奪っていく。新しい日差しは、何処にあるのだろうか?
道路に面した陰りの中で、郁弥はこれまで身を沈めていた影から脱し、日和がそこに沈む。ナイーブで複雑で、鬱屈した内面。感情の浅瀬でパチャパチャ戯れる特権は、今回日和にある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月16日
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その細かい描画は、彼もまた過去に囚われ、自由とよりよい自分を求める青年の一人なのだと…書割のような”悪役”ではないのだと伝えてくる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月16日
この繊細な筆致を、今後にどう活かすのか。今回払ったリソースに見合うだけの、人間的な役柄を日和は担当できるのか。
報われるのか。
気になるところだ。
今回、読書と同じように連続するのは”口に入れる液体”の描写だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月16日
牛乳、紅茶、水にソーダ。窒息させると同時に、喉を潤し乾きを癒してくれるアイテムに、皆が手を伸ばす。あるものは飲み、あるものは拒絶する。
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ソーダに閉じ込めたカラフルなキューブは、日和が差し出せる偽物の星だ。しかしそれは、郁也の感情を動かさない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月16日
郁也の瞳には、中学時代遙と見た星が沈み込み、その視界を封じている。それに押し出されて、携帯電話の中の虚像は消え去る。
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郁弥にかかった呪いの強さ(それは一期で凛が、二期で遙が囚われた、郷愁と腐敗のリフレインでもある)と、王子様の無神経な残忍を見事に描いた、良い演出だと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月16日
そこから”携帯電話”を引き継いで、遙とオッサンたちの関係に繋げるところも。
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郁弥と日和の周辺に漂う閉塞感に比べ、三人組は様々な人に出会い、言葉をかわす。そこに少しの迷いはあっても、周囲は明るく、窒息の気配はない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月16日
遙は自分の言葉で、郁弥とのギクシャクした関係、日和に受けた呪いを、尚にちゃんと伝えている。
それは一足先に、過去から伸びるへその緒を健全に引きちぎり、より自由な場所へ出た主人公の振る舞いだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月16日
他人の言葉を聞く。周囲に目を向ける。自分を見据え、それを表現していく。当たり前といえば当たり前、しかしとても難しい人間的成長を、遙は既に果たし、忘れはしない。
それに世界も報いて、色んな人が助けてくれる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月16日
尚が出した『まだ、出来ることはある』という助け舟。
黒いオッサンが幾度も投げかける『フリーしか泳がない』という、作品のキャッチコーピーの再定義申請。
オッサンの素性も、旭の義兄が細かく教えて、信頼の足場を作ってくれる。
砂場で一人膝を抱え、隣りにいる人の存在も忘れて内側にこもるのではなく。まっすぐ顔を上げて、隣り合う人に敬意を持って泳ぐ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月16日
ひどく健全で、全く正しい結論を、遙は先取りする。日和と郁弥の描き方を見ても、それは三期全体を貫通する一つのテーゼなのだと思う。
しかし、そこへの道程は長い。長く険しくややこしいからこそ、一筋縄では行かない複雑さを感じられ、見ている側も納得できる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月16日
足の痛みと喉の渇き、すれ違いと残忍さに耐えながら泳ぐ役は、やはり日和と郁弥に任されているわけだ。遙も少し囚われるが、一度抜けた道、脱出は早い。
『俺はFreeしか泳がない』
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月16日
遙を規定し、作品を規定してきたキーワードを、黒いオッサンは問い直せと迫る。その動きが、非常に三期らしい批評性を内包しているように、僕は思う。
そうやって閉じて進んできたけども、本当にそれでよかったのか。別の答えを、主役に見つけさせるべきではないか。
迷った末に、同じく『俺はFreeしか泳がない』にたどり着くなら、それはそれでいいだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月16日
しかし主役のキャラ、作品の屋台骨になるテーゼを一度問い直さないと、どうにも新しく歩き直せない。痛む足で歩き直そうとしている人魚姫は、この作品のセルフイメージなのかもしれない。
そこには『Free』への問がある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月16日
自己と、事故の延長線上にある…というかベッタリと癒着した人々に閉鎖して、責務と公平を果たさないことが果たして真実『自由』なのか。
道半ばで諦める人の死骸で埋まった『競技』の、トップに立つ人間としてキャラを据えるなら、自由を支えるものを見る必要が…
あるのではないか、という問いかけが、黒いオッサンを通じて遙に投げかけられているような気がするのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月16日
既に、答えのしっぽは掴んでいる演出があった。子供の素直な一言がキッカケになるのは、幼年期に呪われ、祝福され続けているこのアニメらしいな、と思う。
尚はスポーツ医学から、真琴はスポーツ教育から。それぞれ『競技』からは外れつつ、真摯に水泳を追いかけている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月16日
そういう人を背中に置き去りにしながら、トップアスリートとして勝ち、負けることを許された存在は、何処に『自由』を定義するのか。
それが、三期の遙が追うべきものなのだろう。
そこに答えが出たら、『お前と泳ぐと不幸になる』という日和からの呪いも解けるのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月16日
そしてそれが開放されたら、二度も溺れそれに呪われてしまった郁弥の停滞も、解凍されて先に進んでいくのだろう。
真実をえぐる呪いから逃げず、自分なりの答えをだすこと。それが、別の誰かの自由にも繋がる。
今回薄らぼんやり見えたそんな物語は、僕はとてもいいと思う。リレーは人では泳げない。二人きりに閉鎖していても、傷つけ合うだけだ。誰かのバトンを受けて、泳ぎの先にあるものを見据える姿勢は、例えば先週ロミオが見せてくれた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月16日
それが繰り返されるのは、作品にとって大事だからだろう。
フリーしか泳がない遙と、メドレーしか泳がない郁弥。しかし遙は二期分の物語を背負って、他人とのリレーに漕ぎ出した。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月16日
その開放性と連続性が、郁弥と、郁弥に呪われた日和を導くのであれば。
それは、十分意味のある変化と成長なのではないかと、僕は思うのだ。
その爽やかで健全で、当たり前にすぎる結論は、いかさま”Free!”っぽくはないかもしれなけども。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月16日
もっとズブズブで、近視眼的で、身勝手に大暴れして腐敗臭漂ってたほうが。
そういう嗜好も顔を見せるが、それはもう帰ってこない。どうあっても、これが今の(ハイスピ映画以降の)Free!なのだろう。
日和は郁弥にこだわりすぎるあまり、生来”いい子”である自分の長所も、殺してしまっているように思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月16日
その歪みは、あくまで”自分”を特別な相手としてみてほしいエゴイズムに由来してはいるが、でも、そんな”自分”を”自由”へと開放してくれたからこそ、日和は郁弥に愛着し、執着するのだ。
そんな感情の重たさを、郁弥は見ないし受け止めない。そういうアンバランスと停滞、行き場のない感情の強さを、丁寧に切り取るエピソードでした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月16日
このままでは、二人はどんどんダメになるし、二人きりでは逃げ場もない。解決策は砂場の外側にあるのだけど、そこに飛び出す鍵がない。
そしてそんな未来と自由への鍵へ、少なくとも手を伸ばす権利と資質が主人公にあることを、静かに暗喩するエピソードでもありました。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月16日
遙の才は、人魚姫達の傷んだ足に、泳ぎ方を教えられるのか。未来はまだ不確かですが、そこには濃い闇とかすかな光がある気がします。来週も楽しみですね。