Free!-Dive to the Future-を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月6日
水底を抜けて、広い世界へ。自由な泳ぎ方を思い出した人魚姫達は、自分なりのフォームで新しい物語へ漕ぎ出していく。
エンドロールに向けて、ここまでの物語に整理を付け、これからの物語へのラインを引く回。新キャラも出るよ!
というわけで、郁也と日向のクッソ面倒くさい自意識の問題にケリを付け、遙と凛と世界に物語の軸足を映すためのエピソード。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月6日
閉じて濃厚な自意識の戯れで終わらず、二期最終話で描いた場所に帰還してくる所、そのための準備を丁寧に積む所が、なんとも生真面目というか、京アニらしいというか。
作品の天井になるアルバートを、ガチネイティブに演じさせる頑なさが、すげー"京アニ"だと思った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月6日
ラスボス担当の美味しいキャラ。二次元の嘘を使いこなして、なんか若手売出し中のイケメン声優使えば良いところを、セリフ全部英語の外国人を起用する。違和感を恐れない。
それは遙(が背負うこの作品)が挑む"世界"との距離、ズレを余すところなく描写したいという、製作者サイドの欲望(あるいは願い)が産んだ配役なのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月6日
英語ができない遙は、アルバートと言語で細かいコミュニケーションが出来ない。彼が何を考えているか、ムードでしかわからない。
その曖昧で優しい関係が心地よくもあるが、真実ぶつかって自分の身になるものを獲得するには、やっぱりコミュニケーションのツールはあったほうが良い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月6日
自分の才に溺れ、他人とのコミュニケーション・チャンネルを磨くのを怠ってきた遙が出会う"世界"は、遙の才を斟酌してくれない。
拙い言葉の裏を勘ぐり、支えてくれない"世界"。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月6日
岩鳶のちっちゃなプールの英雄が、ただの凡夫と切り捨てられてしまう"世界"
遙が今後挑んでいく場所の容赦の無さ、異物感をしっかり見せるためには、アルバートが"ガイジン"であることは大事なのだと思う。
今後遙は、英語を覚えるなり、水泳を鍛えて実力で理解らせるなり、アルバートの"世界"に飛び込むツールを手に入れるのだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月6日
その予感はいくつか張り巡らされているし、三期の健全な成長路線もそれを下支えしているが、今回はあくまで『追いつかない』という感覚を強調する回である。
遙という天才を神様にして、それを追いかけそれを殺すことで思春期を終わらせた真琴が、遙の"世界"に対する敗北を目にするところで終わるのは、とても示唆的だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月6日
遙の舌足らずも、『水泳さえ上手ければ人間下手くそでも大丈夫』という傲慢も、神様のワガママ全てを受け止めていた男。
背中すら掴めない、自分がゴールした瞬間には水から上がっているような圧倒的な敗北は、遙の自信と真琴の崇拝を壊す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月6日
『お前は今、こんなもんだよ』という冷静な観測を、まだ思春期の匂いを漂わせる少年に叩きつける。ある意味、日和の『お前と泳ぐと不幸になる』と同じ、冷たい真実。
それを真剣に受け止め、己を改めていく歩みこそが、映画ハイスピ以降の、内海監督不在のFreeの基本線だと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月6日
だから、遙の"世界"、神を殺してなお遙がどっしり真ん中に座っている真琴の"世界"の崩壊と、壊されたからこそ広がる世界の予感で終わるのは大事なのだろう。
真琴が一足先にリタイアした、競技の世界。遙が特権的に勝ち続け、居座り続ける天才の世界。敗北は、その特権を取り上げる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月6日
メンタルに瑕疵がないのに遙が負けたのは、おそらく作中はじめての事だ。今後、物語はそういう場所に進むのだ。
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この冷たい切断面の前段階として、遙とアルバートの人間的交流が置かれているのは面白い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月6日
水着を脱いで、一緒にメシを食う。あるいは、"競技"から外れた場所で楽しむ。そういう場所では、アルバートは遙に温かいし、遙もちゃんと交流出来ている。
今回は食事描写が多い回で、前回までの不和が解消されたこと、あるいは久々に帰還しても家族は温かいことを、同じものをともに食べる描写が下支えする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月6日
様々な場所で、様々な人と。食事というメディアは、心と心をつなぐ。
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慣れない異国の食事に戸惑うアルバートに、フォークとスプーンを持ってきてあげる遙の気遣い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月6日
そんな想像力をあっという間に乗り越えて、箸を自在に使いこなすアルバートの天才。遙を象徴する"鯖"というアイコンをアタマから食ったのは、後の決着を暗喩してか。
言葉が通じなくても、人間は飯を食うし、泳ぎもする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月6日
アルバートの誘いに乗るように、水の中に飛び込んだ遙の意識の中に、自分と他人を分けるレーンはない。ただ、水の中で別け隔てなく交流する。真実の自分と、素裸の他者と出会う。
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ある意味、"競技"に向いていない男である。純朴な少年のまま育ってしまったし、そう居続けられる特権を水泳をすること、勝つことで獲得し続けた、というか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月6日
そのわりに、"競技"で他人を負かせることに意識が薄い。屈辱の感情に、良くも悪くも共感が薄い青年なのかもしれない。
レーンを取っ払って、とにかく泳ぐ。気の合う仲間と、真実とろけあう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月6日
一期ラストでたどり着いた小学校時代への帰還は、相変わらず遙の中で強烈に脈打っている。
しかし、そのために"競技"を蹴り飛ばしてはいけないということも、そうしたくないということも、遙の中の真実だ。
やっぱ三期の遙は大人になったなぁ、と思う。みんな成長し、子供を背負える立場になってるわけだけども、元が幼かっただけに遙は目立つ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月6日
言葉の使い方が不器用なのは変わらんけども、他人とのコミュニケーションしようと頑張ってる。
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そんなあがきの先に、"世界"が、否応なく"世界"と繋がってしまう、ガキじゃない自分がいる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月6日
仲間と閉じたプールの中でパチャパチャやってても、満足できないし窮屈な自分。過去に囚われ、記憶に愛着しつつも、その癒着が自分自身を苦しめるような経験。
そこに後ろ髪を引かれつつ、遙は前に進む。
その歩みはこのアニメの少年たち、全てが通る場所であり、通り抜ける場所だ。結果として今回の、曇りのない郁也と日和がいる。あるいは、一人で海外に出て帰ってきた凛ちゃんがいる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月6日
他人に寄りかからずとも、自分の背丈を支えられる。多様でありつつ共通する、自立、あるいは自律の物語。
『霜狼感情ネトネト地獄は終わったから。二人はいい距離を見つけたから』と、暗示しあるいは明示する筆が今回は強かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月6日
いつぞや、断絶を強調するために使われた椅子のレイアウト。適切距離を獲得した郁也と日和の、混ざり合う境界線。
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日和と郁也の密接空間の後ろに、同じジャージ着たモブがいるのがミソで。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月6日
お互いの視界に相手しかいないような、不健全で重力の強い閉鎖系は、三期では維持しきれないのだ。無関係な観測者、通りすがりの他者がそこにいることの意味と尊厳に、二人は帰還する。させられる。そういう文法。
まるで親友のように体重を預け、しかし癒着はせず"個"である。そういう場所に二人はたどり着いて、つまり一つの物語が終わったのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月6日
その余韻を新しい物語の予感に溶かしつつ、しっかり描ききるのはやっぱ巧い。三期は群像書くの巧いね。
遥か彼方の岩鳶でも、高校生たちは青春ど真ん中であった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月6日
すごい勢いでお互い持ち上げ合うリフトアップトークがちょっと気持ち悪くもあったが、部長として後輩に光を見せ、自分たちが進む先を教える怜くんの頼りがい、心に迫るものがある。
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遙の上京に従い、話の中心から外れた岩鳶。そこでも蝶(バタフライ)は自分の空を見つけ、自分の空を飛ぶ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月6日
描写を省略し、最低限の始末だけが付いた、という見方もできるけども、先輩方とべったり癒着するのではなく、自分なりに"世界"を広げて大人になる三期の後輩Sが、俺は好きだ。
あまりにも健全で、あまりにも正しい答えを、今回怜ちゃんは口にする。今回の敗北を乗り越え、凛ちゃんとかアルバートとかと競う中で、遙(が背負う作品全体)は、怜ちゃんがひと足先に見つけたゴール…永遠のその先へとたどり着くのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月6日
そのモノわかりの良さが愛おしく、少し悲しくもある。
年下世代は今回相当綺麗に、コンパクトに纏められてしまった感じもあるので、今後描写はほぼないかな、と思ったりもする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月6日
それはそれでいい。結局Freeは遙と凛の話だからだ。"世界"にぶつかる天才の舳先、その特権と公平性を語るところまで、ようやく来たのだし。
そこからおいていかれ、しかし確かに作品世界にいた彼ら。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月6日
あの美しい夕焼けと、そこに投げかけられたあまりに正しい結論は、彼らの存在に報い得るエンドマークたり得ているか。
結論を出すには少し早いけども、僕的には結構良かったかな、と思う。主役様にご奉仕するのだけが、キャラの仕事じゃねぇ。
僕のウジウジした未練はさておき、凛ちゃんも無事帰国し、遙も"世界"の天井に頭をぶつけ、最終章に向けてしっかり地ならしをする回でした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月6日
クライマックスを終えた日和と郁也の"その後"も、しっかりエモく描いてくれてよかったです。ここら辺の目配せの旨さ、横幅の広さはさすが。
表舞台から遠ざかっていくものたちへの義理も果たし、才能とコミュニケーション、成熟と感情というメインテーマに深く切り込む準備は、十全に整いました。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月6日
"競技"で結果を出すことで孤独な自己像を成立させてきた遙が、ついにであった敗北と異物。それをどう取り込み、どう咀嚼するか。
日和と郁也の感情を描いていたときには、物分りの良い"大人"だった遙は、ようやく自分が立ち向かうべき問題に衝突できました。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年9月6日
彼を取り巻く他者達が、その個人的な人生水泳にどう関与していくかも含めて、Free!三期終盤戦、とても楽しみです。