ゾンビランドサガを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月11日
墓の中から這い出すフロウ ハイブロウなBodyがBro
顔面緑のアウトサイダー 安全無視してポリスがShoot!
それでもどっこいど根性 生きてるアタシら死者の王
レペゼン佐賀 なんて言えない 何もわかんない小娘七人
歌いながら探す生きる意味 全て喰らい尽くすzombieSquad
そんな感じの、死せる少女たちがアイデンティティをステージに求める、一大青春アイドル絵巻、本格始動のエピソードである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月11日
とにかくノリと勢いと混乱で突っ走った第一話に、宮野成分抑えめ(でもウルサい)で少女たちの内面を、面白おかしく少し悲しく、そして激しく熱く書きに行く第二話である。
たえちゃん以外が自意識を取り戻し、本格始動したゾンビ娘。(仮)、改めGreenFace。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月11日
安定しないバンド名が示すように、家族からも個人史からも時代からも切り離された少女たちは、社会に肯定される自分を持っていない。警官から見た怪物の顔こそが、対外的な彼女たちのFaithなわけだ。
ゾンビ顔をコテで塗り隠してくれる特殊メイク技術は、幸太郎の専売特許である。セルフプロデュースで戦う領域の前に、生きる死人当然の当惑がある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月11日
少女たちはむき出しの自分をどうにか制御し、即座に銃撃されるゾンビではなく、面白おかしいエンターテイナーとして自己を表出していくしかない。
アイドル(というより芸事)とゾンビ、水と油と思われていたモチーフであるが、今回自分の魂をさらけ出す熱いヴァース、むき出しの己をぶつけ合うフリースタイルバトルが唸ったことで、アイデンティティの錬鉄場としてステージが立ち上がってきた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月11日
ゾンビは人を感動させるときだけ、人に許容される。
七人のゾンビは面識もなく、わけの解んねー状況を乗り越える強さも、他人にかまう優しさもあんまない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月11日
しかし世界でたった七人の死人姉妹として、シスターフッドを掻き立ててどうにか生きていくしか無い。そのためにはぶつかることも、逃げることも、それに失敗することも大事なのだ。
高い柵を乗り越え(その過程で、あからさまに生者と異なる身体性が笑いとともに強調されるのは、なかなか面白い)、”外”に出る少女たち。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月11日
ノリノリな佐賀ラッパーたちとの出会いはコミカルだが、吉野声の銃撃警官は常に”外”の厳しい目…戸籍も外見も生者のものではないリアルを、銃弾の形で突きつける
幸太郎が生み出した、多数の鎧。洋館、庭、柵、ゾンビ犬、特殊メイク。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月11日
それを引き剥がして、ありのまま死人の少女たちを突きつけても、世界はそれを無条件に受け入れてくれるほど優しくはない。
失敗に終わった脱出行は、少女たちのどん詰まりをコミカルに突きつけてくる。
気合い入れて自分を証明したいヤンキーも、地獄から逃げ出したいアイドルたちも、ノリはちぐはぐてんでバラバラ、なかなか共通の認識を持てない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月11日
個性も時代もバラバラなんだから、それも当たり前である。”たまごっち”をフェティッシュに、そこら辺の断絶を楽しく見せる手腕が良かった。
いろいろ噛み合わないまま、幸太郎もそれをあえてまとめないまま、少女たちのセカンドステージ(自意識確保後としてはファーストステージ)が始まる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月11日
佐賀の温泉ドサ回り、この世の果てみたいな世界だが、メタル魂を注入されたファンが追っかけてくれたり、ジジババがまろやかな対応してくれたり。
街の明かりが死人の顔を無慈悲に照らし、迷いのない銃弾と悲鳴が交錯した場面よりは、彼女らのよるべなさを受け入れてくれそうな気配である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月11日
しかしバラバラのまま、アイドルのマネッコしてた練習は当然役には立たず、ステージは一回瓦解する。たえちゃんの首がシュポーンする形でな!!
死んだなら死んだままで、壊れたなら壊れたところから始め直せばいい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月11日
少女たちの現状を反映して、たえちゃんの分解は”手品”となり、サキとのぶつかり合いはライムバトルへと変わる。
後ろで見てた幸太郎が、ボイスパーカッションで演出を静かに担当するのが、アツくて良かった。
ハイテンションで強引なやつだが、幸太郎はなんとかゾンビ少女が社会に位置を占めれるよう、死せる生のQOLがアガるよう、色々頑張っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月11日
そこにどんな想いがあるかはまだまだ分からんけども、良いプロデューサー、良い”大人”だと思う。うるせーし強引だしバカだけど。
たえちゃん分解をイリュージョンに変え、マイクに思いの丈を叩き込んで観客を熱狂させる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月11日
今回のステージはさくらが持つ主人公としての資質、演者としての”華”を見事に見せる仕上がりでもあった。もっとオチャラケラップで逃げると思ってたんだが、思いの外本気だったな…凄く良い。
顔が緑だろうが、意味のない言葉しか垂れ流されなかろうが、少女は生きている。死んだ後も、不完全燃焼の青春、自分を認めてもらいたいという願いが燃え上がっている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月11日
それを本気で叩きつけると、ネタ方面での優しい受容以上の、心からの拍手だってもらえるかもしれない。
当惑と逃亡、衝突と融和を、ハイテンションでキレの良い笑いでしっかりくるみつつ走る今回のエピソードは、そういう作品のコアを肌で感じることができて、とても良かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月11日
再起動した少女の自意識が、かなり繊細に描かれていて、笑い飛ばすにはちと重たく痛ましい筆致なのが良いと思う。
状況はネタまみれなんだけども、ゾンビ少女の現状はリアルで。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月11日
パンデミックで世界が覆われ、ゾンビで世界が同質化されたパニックモノではないからこそ、世界でたった七人の死人達の孤独(それはとても普遍的なものでもある)は際立つ。おまけに、全員だいたい浦島太郎状態である。
少女たちは自分のアイデンティティを追い求め、今後も色んなステージに、音楽ジャンルに挑んでいくだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月11日
今回あんま目立ってなかったゆうぎりさん、リリィちゃんも、自分を語る時が来るだろう。…ゆうぎりさんは三味線でステージを支える仕事してたか。アレ、エキゾチックで良かったな。
顔が緑で、パーツが取れて、心臓が外に飛び出して。そんな化物だって、なんとか社会に認められたいし、そのための手段が”芸”にはある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月11日
そういう形で”ゾンビのアイドル活動”を捉えていくのなら、これはかなり面白いマッチアップになりそうだなと感じた。
何しろゾンビなので、普通のキラキラアイドルじゃ収まらない。デスもヒップホップも、ジャンルを無茶苦茶に横断しながら、彼女たちはアイデンティティを探し直す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月11日
世界にゾンビな自分を認めさせるまでは、バンド名はゆらゆら揺れ動くんだろうなぁ…面白い。
佐賀部分も取って付けた感じかと思ってたけども、自虐交えつつ僻地のローカルな温もりを描き、ゾンビ少女が受け入れられる揺りかごとして使っていくなら、結構良い取り回しにも思える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月11日
『佐賀は誰でもウェルカム、死人だって居場所がありますよ!!』
トンチキだけども、良い宣伝文句…なのかな?
メンバーの当惑に目を配る、尻を拭く、ガツンと前に出てパフォーマンスで殴る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月11日
さくらのセンター、リーダーとしての資質が見えたのも、バンドモノとして良い展開である。やっぱこー、どっかでロックを叩きつけて、世界をビビらせる瞬間があったほうがアツくて良いよね、芸事のお話は。
そんなわけで、荒ぶる魔球でストライクを取った後に,荒れ球の真っ直ぐがズバンとミットに刺さる感じの第二話でした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月11日
少女青春モノとして、バンドストーリーとして、ゾンビアイデンティティ物語として、実はこのアニメ、かなり腰が強いと思った。良いことだ。
思い返せば、ゾンビは結構シリアスなポップアイコンでもあり、色んな物語が色んな角度から、ゾンビを掘り下げてきた。(ブログを漁ったら、こんな記事 https://t.co/VKc9Hrfwm5 も出てきた)
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月11日
そういう文脈と系譜に、このハイテンションコメディは位置してるのかもな、と思ったわけですよ僕は。
無論そこら辺は、笑いと可愛さの切れ味が凄まじく良いから食えるネタではあるのだが。フツーに喋るようになって、メンバーみんな可愛くて良いなぁ、という気持ちはメキメキ強くなった。ほんとそれぞれ個性がある感じで、とっても可愛い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月11日
たえちゃんに齧られてる、純子ちゃんのはわわ顔が可愛い。
今回見せた青春への真摯さ、芸事へのリスペクトはとても素晴らしいので、今後もネタとゴアにまみれた笑いを頑張りつつ、大事にして欲しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月11日
あえて見せてないだろう他メンバーの”人間味”も気になるし、今度はどんなジャンルに飛び込んでいくかも楽しみ。腐った青春力がバリバリ疾走するぞぅ!
何でもかんでも詰め込んだケイオスが、サイゲの資本力、MAPPAのアニメ力でしっかりまとまり、贅沢さに変わりつつあるのを感じる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月11日
たっぷり詰め込んで笑いとテンションでまとめた諸要素、使い切れたらこのアニメ、とんでもないものになるんじゃないか。そういう胎動を叩きつける、良いエピソードでした
前回からデス観客を引き継ぎ、パフォーマーとしてのゾンビ少女がどういう感動を生んでるか、ネタ混じりながらしっかり描いてるところが、俺は凄く良いと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月11日
ゾンビだって、人を喜ばすことが出来る。それはとてもいいことなのだ。そういう力があるから、あの七人はこの物語の主役なのだ。
次回予告で3Dモデル出して、正統アイドル物語への挑戦を匂わせているところとかも、期待度高まる。魔球、変化球と来てストレート。配球の組み立てが良い…まーた凄い裏切り来るかもだけど。それも楽しみだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月11日
ゾンビ少女たちの音楽伝説(SAGA)は、まだまだ始まったばかり。次回も楽しみですね。
追記 幸太郎はやかましい壁役であり、狂言回しであり、少女とゾンビという”魅力的な異物”に惹かれつつ同化できない視聴者の代理人でもあるのだろう。大事な仕事を、宮野真守という役者の”質量”で押し切りに行くのは、ナイスディレクションである。
ゾンビランドサガ追記
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月11日
オタク文化の中のゾンビ文脈としては、大槻ケンヂの”ステーシー”の継承者なのかもな、と思った。
舞台版はモー娘。が担当してたゾンビ再殺譚では、主体はいかにもオーケン的なナイーブな少年におかれ、華のまま散っていく少女と、取り残される男の情念狂い咲きが描かれていた。
このアニメでは、モノローグを背負うのは少女であり、ゾンビは殺されてもムックと起き上がり、タフに自分を表現する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月11日
ハイテンションなネタで照れを隠しつつ、密かな純情を秘めた幸太郎は内面を顕にはせず、謎だからこそ強引に話を引っ張る狂言回しに徹している。でも、幸太郎はそこにいる。
ゾンビにも美少女にもなれないけども、そんな存在を大事にしたい。”ステーシー”では主題として切り取られた純情が、こっちでは影に回る。いや、ビカビカ悪目立ちしてるけどさ幸太郎。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月11日
そこら辺の転倒が、時代の変遷、メディアの変化、文脈の前後を感じられて、個人的に面白い。いいアニメだなこれ。
追記 まぁ根源的に真面目なアニメですよ。スペダンとか戦コレとかと、方向性としては同じな気がする。
ゾンビランドサガ追記
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月11日
幸太郎のテコ使う化粧はメイクと言うよりエンバーミングであり、素顔で出たら鉄砲で撃たれる少女たちに、人間としての尊厳を取り戻してあげるケアなのだろう。
死人を墓から掘り返し、なんとか立場と顔を作る。幸太郎の献身はどっから来とるのだろうか?
さくらの失われた記憶といい、ゾンビフォームに刻まれたエグそうな死因といい、ネタと勢いと可愛いで押し込みつつ、存外読みどころのあるアニメだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月11日
幸太郎のメタネタいじりで『そういうもんか、ゾンビものだし』と一旦思考停止誘導しとるのが、なんとも気になる。どう転がしてくんだろうねぇ。