ゾンビランドサガを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月18日
生まれも育ちもバラバラの、死人が七人、雁首揃えてアイドル活動。
腐った体に気合を入れて、挑んでみたけど初舞台、なかなかうまくは行きません。
CGモデルも作り込み、行くぞアイドルど真ん中。”フランシュシュ”の伝説(サガ)は始まったばかりだッ!!
そんな感じの、ど真ん中ストレートに群像劇をブチ込む第三話である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月18日
幸太郎のウザいパワーで点火し、横幅の広い描写で個性を見て、いい具合にキャラが染みてきたこのタイミング。
最初のイグニッションだけ幸太郎に任せて、後は七人の個性が蠢くままに任せるという、スピード勝負に打って出た。
生前の時代背景も、享年もスペックもバラバラな七人。これを一箇所に混ぜ合わせ、共同生活を送らせながら一つどころを目指す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月18日
このアニメ、実は作り自体がリアリティショー的で、つまり”ASAYAN”以降のアイドルドキュメンタリー的だ、とも言える。
今回は駅前ゲリラライブを前に、アイドル未経験組とアイドル純愛組がバラバラになる。一度頂点を極めたからこそ判る、その険しさ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月18日
ド素人の死人が気合い入れて、付け焼き刃でどうにかなる。そんな甘っちょろい考えに同意できないアイドル組は、なかなか輪に入ることが出来ない。
アイドル同士にも、生きてた時代を反映してギャップがある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月18日
作り込んだ偶像をキッチリ演じきる昭和のアイドルは、未熟さをエンターテインメントとは認めない。アイドルは完璧、パフォーマンスは完成形だけを届けるもの。接触NGな(一部の)アミューズ系思考である。(そういや田野さん元BOYSTYLEか)
一方平成のアイドルは、努力の過程、極限まで追い込まれた少女が見せる本音もまた、ファンの鑑賞対象足り得ると考える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月18日
ド素人がデビューし、アイドルになるまでの過程を、執拗にカメラが追いかけ物語として消費できる時代で、センターを張っていた女は、本気なら未熟もよし、と考える。
どっちにしても、ド素人組のあがき(それはつまり、幸太郎Pがゾンビに社会性を与えようとする頑張りでもある)を、本職アイドルは認めない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月18日
ゾンビアイドルをアイデンティティとして開き直れないのは、”アイドル”に彼女たちがどれだけ本気だったか、その裏返しなのだろう。
経験者のサポートが得られないまま、凸凹五人組は彼女らなりに頑張る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月18日
サキちゃんは溢れるヤンキーエナジーでみんなを引っ張り、さくらはよく目配せをする。ゆうぎり姐さんはどっしり構え、リリィちゃんは可愛くチョロチョロ動き回る。たえちゃんも、たえちゃんなりに頑張っている。
しかしそれでは足りない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月18日
デス、あるいはヒップホップでは炸裂したさくらの才能は縮こまり、周囲をよく見てお世話してしまう優しさは、逆に舞台を止めてしまう。
これまで長所として描かれていた要素が、舞台を冷やす短所として牙を向いてくるのは、キャラの個性をうまく見せる運びだった。
その穴を埋める才能や経験を、残りの四人は持っていない。サキちゃんはさくらと同じくド素人だし、ゆうぎり姐さんは座敷、リリィちゃんは子役、アイドルは門外漢だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月18日
その苦境を、圧倒的なパフォーマンスで持ち上げるのが、アイドル二人の乱入である。
純愛コンビは、アイドルに立ち戻ること、ゾンビとして生き直すことを肯定できたわけではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月18日
しかし世界にたった七人の死人として、同じ場所で暮らしてきた日々、横目で見てきたド素人の努力を無碍に出来るほど、魂が腐ってもいない。そんな彼女たちなりの譲歩が、乱入飛び入りステージというわけだ
表情や仕草の作画が細やかで、死人の芝居が”生き生き”していることが、とても活きていると思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月18日
体は腐り果てても、心は少女のまま。瑞々しい魂は体の端々にあふれて、とても可愛い動きを生み出す。でも、鏡に写るのは傷だらけのゾンビであり、メイク無しで社会に出れば銃で迫害される。
自分が生きる証と資格を奪われた世界に、純子ちゃんも愛ちゃんも戸惑っている。それでも生きなきゃいけないと頭では分かりつつ、足が前には出てくれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月18日
この足踏みも、生前可愛い可愛いと褒められ、顔貌にアイデンティティの足場を乗せてた”アイドル”だからこそ、か。
そんな死人たちも、腐った心の何処かに火を入れて、またステージに立つ。純愛コンビはすごく素直な『元エリートの再起物語』を背負っているわけだな。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月18日
彼女らが心からアイドル出来る時。それはゾンビとしての自分を、心底肯定する瞬間になるだろう。
ではド素人組が”アイドル”としての自分を肯定出来ているかというと、こっちはパフォーマンスの面で全く出来ない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月18日
客に芸を見せ、自己肯定感を反射してもらうためには何らか人の心を動かさなければいけない。その原動力となる芸の切れ味が、ド素人には足りていない。
人間集団としては本音もゾロゾロと出てきて、良い感じにまとまってきてるのだが。リリィちゃんが時折毒を吐くようになってるのが、なかなかグッド。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月18日
あとゆうぎり姐さんの謎のビンタが、天然で強いキャラ性を活かした最高の笑いで素晴らしかった。サキちゃん、人間力に丸め込まれすぎ。
今回のダメダメステージが、ゾンビ少女の傷となるのか、はたまた点火剤となるか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月18日
”フランシュシュ”という名前を自分たちで考え、自分たちで手に入れた迷えるゾンビ達は、どうやら本腰入れてアイドルになっていく…のかな?
完敗からのスタート、か。(唐突なのん顔)
個性が強くて、それぞれ譲れないものも衝突もあって、しかしつながるものもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月18日
個人がチームになっていくドキュメンタリーとして、いい素材を細かく調理していると判るエピソードでもあった。多分根本的に、ゾンビ少女生き直しドキュメンタリーなのだろう。アイドルは再生のためのメディアなのね。
第一話喋りっぱなしで引っ張り、少女に自意識が戻ってからは基本後ろに引いている(ようには、ウザ目立ち過ぎて見えないけども引いてるの!)幸太郎も、良いマネージャーであった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月18日
あえて試練を与えて、集団と個人に化学反応促してる感じだなぁ…駅前ライブ失敗しても、おそらく狙い通りか。
バラバラの個性。厳しい現実。動かない体。繋がる思い。ゼロからのスタート。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月18日
アイドルアニメのど真ん中を照れなく突っ走ることで、群像劇として、芸事物語としての芯の強さ、キャラの濃さが立ち上がってくる第三話でした。うむ、面白い。
基本人間ドラマなんだけども、わざわざ選び取った”ゾンビ”の異物感、面白さを捨てることはせずに、『ゾンビのままで面白い』よう作っているのは非常に良い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月18日
オーソドックスなアイドル合宿してても、腐った体がギシギシ言っとるからな。全然普通じゃない。
熱量高いゾンビギャグを走らせつつ、低音でじっくり作る笑いも元気で。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月18日
ゆうぎり姐さんが書くと達筆に、サキちゃんが書くとスプレー調に。
『黒いマジックで、そうはならんやろ…』と、ツッコミを観客サイドに預けるネタとかも随所に仕込まれていて、やっぱ丁寧にやっておる。善い。
こっから真っ当に、ゾンビアイドル差異性物語を走らせるか。暴走力を取り戻してまーたヤンチャするか。どっちに転がっても面白そうだし、本気とヤンチャが良い化学反応して、お互いを引き立てそうな感じもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月18日
そう思えるのは、今回見せたオーソドックスな強さのおかげだろう。
天分と勢いで突っ走れたさくらが、明確な敗北を背負ったのも良い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年10月18日
これをどう料理して、次のステージに繋げるのか。
ギクシャクしつつも絆の在る七人は、どういう関係を産んでいくのか。
ゾンビ少女たちはどう、ゾンビである自分を開き直っていくのか。
来週も楽しみですね。