銀の鍵に導かれたどり着いた先で、見つめる新たな可能性。
ジェンダー/セクシャリティ/エロティシズムSFの新境地を拓く、グノーシア第10話である。
ふーむ…なるほど! という回だった。
多分ゲームの方に性別をスイッチできる機能と、特定の性でなければトリガーされないイベント(「沙明と深く関わる」とか)があって、それをアニメとして再構築した感じだとは思うのだが。
作品全体を透明に俯瞰する三人称視点と、アニメの中に独立して存在している一人称視点が精妙に混ざり合っている、ユーリというキャラを適切に活かし切り、「異性」なるものと新たに出会いなおす、とても鮮烈な物語となっていた。
人間になりたい知能化イルカだの、同じく人間になりたいコミュニケーション端末だの、異形の外見を押し付けられたグレイだの、猫を自認する己に近づく途中の青年だの。
とにかく自分の現状から本来の姿へとトランスしたい連中が、この船には多い。
変化を望む当事者と、それを見て様々に判断する他者が、偏見の壁を乗り越え「変わりたいあなた/変わりたい私」を受け入れ、認めていく過程と、他人を疑い吊し上げ、処刑投票で拒絶する人狼ゲームが重なり合っているのが、物語的体験設計の妙味だと思う。
人狼やってアフタートークして、衝撃の真実が見えてくると必ず、第一印象が裏切られる設計になってるもんなー。
俺はこのお話、同じ船に乗りあった相手を疑い殺す小さなゲーム(宇宙人狼)と、それを反転して相手のことを深く知っていく大きなゲーム(銀の鍵AVG)が、相反しつつ共存している構造だと思う。
最近は更にその外側に、「この複雑なゲームを、プレイヤーがどう名付けるか」という、より大きく曖昧で豊かなゲームがあるんじゃないか、という気がしている。
気に入ったキャラ、共有した景色、イベントが発生するタイミングや連続性。
ローグライト構造によってシャッフルされた物語は、各ユーザーごとに別種の体験を生み出し、それぞれに個別の物語が生成されていく。
それは歪に尖っているが故に、世界唯一の物語になりうる。
ユーリという主人公を固定し、彼視点で見つめた一つの物語を”聖典”とするアニメの体験は、ゲームのそれとはかなり異なっているんだろうけども、そこも引っくるめて見事に咀嚼された各要素を繋ぎ合わせ、自分なりの”グノーシア”を作り上げていく執筆行動こそが、自分にとって「一番大きなゲーム」を削り出す行動…なんだろう。
アニメだって見る人によって様々な楽しみ方があり、その多彩さを受け止めるだけの豊かさを、既にこのお話はたっぷりと有している。
トンチキドタバタギャグとしても、キャラの魅力がだんだんわかっていくロマンスとしても、生死をかけたサスペンスとしても、欲張りに魅力的な物語のどこに、足場を見出すか。
それは別に各要素ごと断絶したものではなく、むしろ色んな顔が豊かに響き合うことで、グノーシアというアニメ独自の魅力が引き出されている。
そんな魅力的な混沌の中で、自分はトランスヒューマンSFとしての面白さにかなり惹かれていて、今回はユーリが女性という性にたどり着くことで見えてくる景色、生まれる関係性がループ構造の中、特別な意義を持って立ち上がってきた。
ジェンダー、あるいはセクシャリティという境目を、選択的に乗り越え/消去し/新たに定義できる未来世界(つまりは現在の延長線上)。
そこでも女は豊かな胸を覗き込まれ、荒々しいベーゼによって暴力的に己をかき乱され、あるいは特別な誘惑を振りまく。
グノーシア世界の面白さは、知能化イルカだの冷凍睡眠だの、”今”とかけ離れているからこそ面白い部分と、現代に通じ合う共通性への馴染み深さが、両立し混ざり合って生まれてると思う。
今回ユーリが「女である私」を体験することによって、星の海を旅するほどに高度化した文明の中でも共通な性への視点と、その悪しき部分を沙明をパートナーに乗り越えていける可能性が、より強く可視化されていた。
それは男どものバカな視点を誘導すると同時に、「そういう男」であると自分を固定していた沙明の絶望に優しく触れ合って、乗り越えていける起爆剤となりうる。
そこには危うさと可能性の両方が、(他全ての要素と同じく)あるのだ。
知能化ボノボコミュニティによって人格を養われ、それを根こそぎ奪われた絶望によって、ヤケっぱちな自己像を固定していた沙明。
人類社会の物差しでは、ふしだらであったり奇異であったりと判断されがちな、セックスを通じたコミュニケーションを種の特徴として持つボノボによって、無責任で恥知らずなカサノヴァが育てられた事実は、個人的にとても面白い。
知能化動物を大事にしない社会の圧力によって、「こうありたい自分」を断ち切られてしまった沙明がそれでも生き延びるためには、幼い日眼の前で繰り広げられていただろうセックス=コミュニケーションを、極めて露悪的に捻じ曲げる必然性があった…のではないか。
その有毒性で他人を遠ざけ、自分が持つ加害性(に内包される可能性)を鉄パイプ(外部化され凶器化された、他人を閉ざす鋼鉄のペニス!)に込めて手放さなかった青年が、実はとてもナイーブで純粋な存在であること。
これを知ることが出来るのは、ユーリがループする運命の中他人の真実を覚えていられる特権/責務を、物語の主役として背負っているからだ。
脱出するべき呪いと思える輪廻があればこそ、知ることが出来た本当の沙明。
独力では過去の傷を超えれず、異性も自分も蔑ろに傷つけてしまう青年にどう向き合い、どう触れ合っていくのか。
描くために、女という性をユーリに固定する必要が、今回あったのだと思う。
ここら辺の思考実験を、作中現実として刻めるのはループの強みよね。
越境への熱望は必ずしも、人間の形やら特定の生得性に縛られた連中の特権/異常ではないと思う。
人誰しもが、今の自分ではない何かに変わり、ここではない何処かへと進み出したいと願う。
あるいは救済としての死を振りまくグノーシアもまた、反転したトランス願望に突き動かされる役職なのかもしれないが、「女も自分も蔑ろにする今」の奥に「失われてしまった思い出/こうあるべきという理想」を持っていた…それを世界を超えてユーリに観測されていた沙明もまた、一人のトランス志願者だったんじゃないか。
そして彼の私室で展開されたエロティックで切実なせめぎあい、粘菌サスペンスの向こう側、それは果たされたんじゃないか。
そんなことを思う回だった。
こういう深さで特定キャラを掘り込みつつ、色んな要素を王手飛車取りして次回以降への下準備を済ます巧さが、宇宙人狼✕ローグライトAVGが生み出す特別なゲーム体験を、シリーズアニメーションに落とし込む奇跡を可能にもしている。
二人のククルシカ、レムナンの絶望とSQのサディズム。
まだまだ銀の鍵が探るべき物語は残っていて、今回「本当の沙明」をユーリが信じられる足場になったような、様々な真実の断片が積み重なっていく。
次回はSQちゃん回らしく、コケティッシュを演じる彼女の中の”童”が気になってた自分としては、今回の描写を起爆剤にどう掘り込むかめっちゃ楽しみだ。
どんな感慨にしても、作り手に押し付けられるより読み手が見つける方が実感込めて、深く染みる。
「こいつはこういうヤツ!」という偏見の奥、「こういうヤツだったの!?」という驚きと納得を心地よく飲み込むことで、誰かの物語は「私の物語」になっていく。
一人称的没入を最大化するゲームに比して、誰かに押し付けられた物語を座ってみることになるアニメーションは、偏見と発見の構造化がかなり難しいメディアだと思っているが、適切なヒントと暴露の切れ味によって、このアニメはしっかりそこを機能させていると思う。
沙明をこのエピソードまで引っ張ってきた、ロングパスの巧さはその証明だろう。
第一印象に流されず、冷静に相手の真実を飲み干せ。
今まで見てきた事実を信じて、相手を縛っている嘘を解きほぐせ。
沙明攻略の物語を通じて、銀の鍵に情報を注ぐ大きなゲームと、誰かを疑い凍らせる疑念のゲームが、実は同じルールで動いていることも見えてくる。
親愛と処刑…結末は真逆でも、重要視されているのは同じルールであり、誠実で賢明であることがすなわち、真なる結末へユーリと僕らを導く、唯一の鍵だ。
それは誤情報と憎悪が加速し、誰もが我を見失い誰かを疑う時代に対して、かなりストレートな批評を叩きつけてるとも思う。
異様な隣人を知っていく過程を通じて、トランスへの意識を深化させてくのも含めてね。
あるいはこういう同時代性、現実的な批評性を、遊戯であり物語であり、遠い未来の嘘っぱちの中に見出すことも、「自分にとっての物語を名付ける」という、より大きなゲームの一環なのかもしれない。
ゲーム未体験の自分には色んな情報と体験が不足しており、「グノーシアはこういうもんだ!」と断じる資格はもちろんないわけだが、しかしその欠乏が今の自分のリアルであり、そこからしか語れないものは確かにあるとも思っている。
2クールの物語を一緒に進んでいく、この奇妙なオデッセイに僕が何を見つけ、何を感じたのか。
その航海記録が僕だけでなく、あなたにとっても意味を持ってくれることを祈りながら、後半戦へ漕ぎ出していく。
自分としては、とても豊かな旅だ。




というわけで初手おっぱい、「女であること」の色合いを複雑に宿して展開される、新たなループである。
特定の性に固定され、変質した自分を鏡越しチャーミングに見つめるユーリちゃんは、戸惑いつつも「女である私」から見える世界に浸り、この集会にふさわしい答えを探す。
いつだってロマンスを無邪気に求めてるしげみちが、スカシたバカに見えるのも、女になったからこそ見えてきた世界だろう。
…レムナン鬼詰めするSQちゃんが、”女”を触媒に立ち顕れてきたかは解んねぇけども。
ここら辺、今回ユーリが背負った女性性の光だけじゃ描ききれない、女なる陰りのスケッチって感じもある。
ここら辺は後に解っていくロングパスだとして、第1話からのなげー描写を巻き取って、ラキオはすっかり頼れる論理機会である。
顔のペイントを拭い、陽光眩しいビーチへとユーリを入れてくれたラキオは、持ち前のロジカルな思考力で「女である私」の意味を教えてくれる。
くっそムカつく寝言垂れ流して、初手で吊られるのが当然の当てこすりマンとして始まり、敵に回すと恐ろしい論理の鬼としての顔、だからこそ偏見も誤謬もない公平な判断者としての顔…色々見てきた。
だからこそ、ループ真実を明かしても拒絶されない信頼感があり、彼が導いてくれた答えを真実だと思える絆が、今のユーリと僕らにはある。
繰り返すことの意味と意義を、キャラを通じて教えてくれる物語的リトマス試験紙を、こんだけ面白く魅力的に、立体的な人格として作り上げられたのは本当に凄いなと思う。
みんなラキオを無視できない(ムカつくから)し、ムカつくだけで終わらせられない強さが人狼ゲームの中で発揮されるし、そこから離れて色々話してみると、良いところも沢山ある(悪いところもナチュラルにある)。
ループの特殊性を共有し、ずーっと優しく味方でいてくれてるセツをプラス属性の相棒とすると、マイナスから始まってプラスになってきたラキオは、反対の方向から長いスパンで物語を支える、かけがえのない相棒…なんだろう。
ムカつくけどな!




そんな賢者の助言に助けられ、ユーリは相変わらず個人的領域に閉じこもる沙明の部屋へと踏み込む。
第7話では一話使って、部屋の外に広がる社会へと彼を引っ張り出したわけだが、4話分の蓄積を活かして遂に、暗く怪しい彼の指摘領域へユーリが踏み込むことになる。
そこでは”性”が凶暴な牙をあらわにし、ループの中積み上げてきた信念を揺さぶって、頭だけで感じてても解らなかった怖さを教える。
何かと頭でっかちになって、命とか尊厳を踏みつけにしちゃう人狼ループにおいて、「体験しなきゃ解んねぇだろ!」つうフィジカル性を大事に話を進めているのは、価値観が空中分解しない大事な錨だな…。
預かりしらぬ所でパラメータ操作されて、「女である私」に為っていたユーリにとって、シス女性がずっと感じている怖さは、知識としては知っていても実感はできなかった。
暗闇の中、グノーシアという役割とはまた違った場所から「男の怖さ」を絞り出してくる沙明を前にして、ユーリは今まで見てきた彼の真実を頭で信じつつ、涙腺に裏切られる。
その皮膚感覚的な怖さは当事者にならなきゃ解んないもので、性別をスイッチ(あるいはトランス)してこの周回に飛び込んだ(その意味をラキオに教えてもらった)からこそ、心に刻まれる事実だ。
そして涙ながらそれでも信じた「本当の沙明」は、もちろん真実だ。
令和のコンプラ意識だとうぇーっとなる、沙明の初手セクハラ。
それが彼なり自分を守るための鎧であり、威嚇することで他人を遠ざける社会的行動であることを、ループを繰り返したユーリ(と僕ら)は知っている。
同時に「自分は女にヒドイことをして、自分を信じきれずヤケっぱちに生きるしかねぇんだ!」という思い込みは、沙明の基本パラメーターであり彼から見えてる事実だ。
これを突破するには、自分を信じてくれる誰かの手助けが必要で…そういう決定的な変化の触媒となれるのが、主人公の主人公たる所以だろう。
沙明は、本当はエロくない。
そのお題目を試すうえで、危険なほど近づき離れていく触れ合いは極めて大事だ。




人狼裁判パートを省略することで稼いだ時間で、ドラマ要素をグツグツ煮込む。
これまでも幾度かあった物語奏法だけども、そういう時こそフツーじゃない大事件が発生するもので、突如宇宙粘菌がすべてを飲み込むアクシデント勃発!
しげみちが北斗神拳食らったモヒカンみてーになる大惨事の中、カサノヴァ気取ってた青年は持ち前の純情を引きずり出され、暗い私室では他人/異性を傷つける牙になっていたものを、優しく他人と触れ合うための掌として活用しだす。
自分自身世界から跳ね除けられてきたからこそ、マイノリティを裏切れない沙明の魂、俺は好きだぜ…。
ワーワー騒がしい状況の中、「ククルシカは二人いる」つう情報もねじ込まれてきたわけだが…なら双子の入れ替わりトリックを疑うのが、ミステリの常道ではある。
んだが、電脳転写が実在している(それに絡んでグノーシア汚染が発生してる?)世界において、別に双子じゃなくても入れ替わりは起こり得るし、そもそも今まで触れ合ってきたククルシカがどういう存在なのかも、いまいち判然としない。
そこが謎の核心に触れる重大キャラだからこそ、ここまで色々積み重ね、ミーガンも真っ青な大殺戮ブチかましたりもしたんだろうけど。
ここら辺、次回深堀りされるだろうSQちゃん回りで、もうちょい見えてくんのかなぁ?
「解んねぇ」といえばジョナスの底も見えなくて、他キャラみたいに深い事情を抱えているのか、ナチュラルに狂ってるだけなのか、全然解んない。
まるで人狼ゲームの延長戦のように、ループ能力者だからこそ知り得た真実をうっかり漏らして、関係構築に失敗するのとか滅茶苦茶良い描写だったんだが、そうして試行錯誤踏み込んだ先、「フツーに狂ってるだけっす」と言われた日にゃ…それも面白いかッ!
情報開示を一本調子にせず、「ハズレ」も込みで体験を揺さぶって飽きさせない作り込みは随所で感じるので、銀の鍵ゲームにおいても「踏み込んだけどスカでした!」枠はあると思ってる。
それが誰か…だよなぁ。




生き死にの境目が叩きつけられる窮地に、沙明とユーリ…あるいは彼らを取り巻く他者の距離感は揺すぶられ、変貌し、真実をあらわにしていく。
凶暴に性を貪る捕食者のツラを頑張って維持し、他人を遠ざけている沙明の掌は、暗い私室においてはユーリを泣かせる凶器だった。
しかし自分すら見つめられなかった/ユーリは信じていた優しい自分が暴かれる窮地において、その掌をステラが掴み、ユーリが引っ張り、沙明は「女」に触れない自分を…愛する家族の遺品を名残と掴んだ自分を見つけ直していく。
このフィジカルな距離感の演出は、”性”をエピソードテーマに選んだからこそ冴える。
明確な描写がないのでアニメにわかの妄想にしかなんねぇんだけども、やっぱ沙明が知能化ボノボに育てられた過去は、自分にとって凄く興味深い。
性的アクティビティを社会性維持のメディアとして、独自に使いこなしていた(だろう)種との記憶は、彼らを実験動物として”処分”する世界の残酷さに裏切られ、砕かれてしまった。
そういう場所からそれでも、生き延びてしまった自分を引っ張っていかなければいけなかった沙明が、いやらしく身勝手な性獣として自分を作りあげ、演じ縛られているのは、印象深くも悲しい。
かつて家族が適切に、気分良く使いこなせていたセックスというコミュニケーションは、今沙明にとって他人を遠ざける凶器になってしまった。
それが性的な触れ合いを視野にいれた豊かなコミュニケーションを、悪質な戯れで遠ざける色合いに染まっているのは、奪われてしまった家族…そこにあった適切で新たな”性”との向き合い方に、郷愁と愛着を消せないからではないのか。
だとしたら、ユーリが見抜き信じていたピュアでナイーブな沙明の姿は、彼自身見ないようにしている過去の痛みと強く結びつき、動かそうとするとひどく痛む患部だ。
そこに踏み込まなきゃ何も変わらないが、自分でねじ切るにはツラすぎる。
そういう場所から進み出し、自分を取り戻すための手助けは、誰かの手に触れることでしか得られない。
そういう適切な接触と同じくらい、不適切な接触から距離を取る意味が描かれていて、「れ、令和の倫理~」ともなった。(ここら辺は「汎性だからって覗くな」と告げた、ラキオにも通じる描写か)
あんだけ「触るぞ! いやらしく触ってお前に嫌われるぞ!」とディスプレイしていた男が、共に永遠を眠る棺の中、待ちに待っていたはずの”女”相手に「わりぃ、触っちまった…」と告げる。
そこにループと危機が生み出した沙明の変化だけでなく、失われた過去への帰還も含まれているのが、未来と過去が繋がる人間の不思議だといえよう。
ユーリの胸に触れない(自分を選ぶ)沙明の今は、家族を奪われてなおゴーグルを手に取り、その痛みを自分に引き受けようとした過去と、ここで結び合わされるのだ。




セックスとかしてる場合じゃない命の土壇場、ようやっと沙明の深いところまで踏み込めたユーリとの距離は、極めて自然で穏やかだ。
沙明が露悪的に性の濫用者を演じることで、他人に嫌われ距離を取る…そのことで選択の決断から自分を守っていた、悲しい強がり。
そこで傷つけられようとしていた性は、なにもいやらしく触られる側だけではなく、踏みにじる側の尊厳も傷つけてしまう。
そういう危うい場所にエロティックに接近しつつ、お互いの心魂を率直に晒し合うことで、二つの星はより善い場所へとたどり着けた。
そこは触れ合う膚を通じ、心が繋がる場所だ。
天然だか計算だか判別できねぇ、ジョナスのサウナ高温作戦で命を拾った後、ロマンティックな永遠から面白くもねぇ日常に帰還する時、沙明は凄く力みなく、ユーリの背中を押す。
もう少し腕を下げれば丸いお尻に…そこに秘されている性器に触れるかもしれない状況だが、もはやカサノヴァを演じて自分と誰かを守ろうとしていた悪童は、そこにはいない。
求めあい、だからこそ傷つけもする性たちが、交流と衝突を経てたどり着けた適正な距離を、この沙明の掌…それを受け入れて未来に微笑むユーリの顔は、とても豊かに語っていると思う。
そういう身体と不可分に、我々の善き魂のあり方は規定されていく。
今回のエピソードが性を取り扱い、暴力的なセックスの気配を随所に漂わせていたのは、凄く大事なことだと思う。
グノーシアによる救済は、そういう危うさや魅力を宿した個別の身体から魂を切り離す。
それに汚染されたものは、かつての自分を保ちつつ殺戮衝動に抗えず、本来守るべき仲間を殺してしまう。
この物語で”敵”と位置づけられ、タイトルにもなっている主題には、身体≒性が欠けている。
(Gnosisの猛烈なアンチ・セクシュアリズムを思うと、多分救済された後の天国にはセックスも存在していないので、そういう意味でも今回性を深く描く意味は大きいだろう)
沙明が故郷から受け継ぎ捻じ曲げてしまった、誰かを慈しみ魂を繋ぐ、適切で豊かなセックス・コミュニケーション。
その到達点が相手にあえて触れないこと、その優しさを掌で抱きしめることとして描かれたのは、沙明が誤読した性の文法を乗り越えた証として、とても鮮烈な描写だった。
ベーゼもその先にある激しいプレイも、実は望んでいない(つまりはもっと別のものを、強く望んでいる)沙明を、ループの中でユーリは彼より良く理解していた。
そこに踏み込み解放するための鍵として「女である私」が必要であったし、繰り返す輪廻の不可思議はそういう変化を可能にもする。
あり得たかもしれない未来、あり得るかもしれない夢。
一回こっきりの現実では思い描くことしか許されない可能性が、周回ごと変化する揺らぎの中で確かに形になり、新たな扉を拓いていける。
その面白さと豊かさを、特別な感慨に後押しされて胸に突き刺してくるこのお話は、「多様性」という極めて現代的なテーマを、実は凄く真っ直ぐ見据えた物語なんだと思う。
偏見に踊らされず相手の真実を見つめ、勇気を込めて手を伸ばす。
人狼ゲームの中で、あるいは触れ合いのドラマの渦中で、幾度も描かれてきたこの物語の中の”答え”も、不和と断絶が加速する現代と、かなり深く繋がった問題提起だと感じた。
そういう同時代性が燃えてると、僕は「SF食ってるなぁっ…」て気分になり嬉しい
ジェンダーとセクシャリティを越境するトランスの物語としてだけでなく、生身で傷つく身体と、そこに結びついた魂をどう扱っていくべきなのか、エロティシズムに向き合いながら描く性の文学としても、とても優れたエピソードでした。
ここら辺は”ボノボ”という断片から勝手に補助線引いた部分でもあるんだが、沙明がまとったカサノヴァの鎧、その加害性が異性のみならず己にも向いていた様子から、あんま的外れでもない気がしてんだよな…。
沙明を痛みの檻から引っ張り出したことで、ユーリが自分の手が持つ可能性をより信じられるようになったのも、次回に続く描写で良かった。
次回SQちゃん回…燃えるエロスの奥にあるのは!