ゾンビランドサガを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月8日
生と死、観客と演者、否定しようがない時代の流れ。
様々なギャップが心と体を引き裂く、ゾンビアイドルのサガ。ドラ鳥にガタリンピック、着実なキャリアアップを果たし知名度が上がってきた今こそ、フランシュシュを苛む裂け目。
それは出生の痛みか、死者のカルマか。
そんな佐賀アイドルゾンビ伝説、シリアスムードの第六回である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月8日
ハイテンションコメディの裏側で営々と描いてきたものが、グッと表に立ってきた感じがある。
メンバーのジェネレーションギャップ、アイドル観の違い、シリアスな生き死に、未だ固まりきっていない関係性。
あえてディプに踏み込まないことで、明るく楽しい青春群像劇を維持していた部分に、あえて踏み込む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月8日
笑いと成功体験で作品への、キャラクターへの信頼感が出来た今だからこそ、絶対に描かなきゃいけない嵐へと飛び込む。
そういうことをするタイミングである。
今回軸になるのは平成と昭和、二人の伝説のアイドルである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月8日
フツーのアイドルアニメだとあんま突っ込まない、ここ20年のアイドル観の変遷を、ゾンビゆえのタイムトラベル設定で拾い上げ、深く彫り込んできた。
ゾンビであること、佐賀であることと同じように、アイドルであることにも真面目なアニメだ
これは今急に出てきたネタではなく、第3話ですでに片鱗を見せていたテーマだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月8日
ぶっつけ本番のゲリラライブを、純子ちゃんは怪訝そうな表情で遠巻きにし、ステージには最初加わらなかった。それは”アイドル”ではない、己のアイデンティティにはそぐわない、と。https://t.co/174qvXYxes
愛ちゃんも距離を取るのは同じだが、ぶっつけ本番のリアルタイム性には文句を言わない。愛ちゃんが生きた10年前、”アイドル”とはそういうものだったからだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月8日
そんな時代の波を泳いで、愛ちゃんはアイドルのてっぺんを取った。https://t.co/nFsyOzv4yI
時代は違うが、共に”アイドル”のてっぺんを取った二人は、飛行機事故と落雷、重ね合わせたように天の怒りに触れた死因を持っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月8日
”雲の上の人”だった純子ちゃんが、そこから滑り落ちて死人になってしまうブラックジョークは、死んでもなお続く彼女のストイックさを見てしまうと笑えない。
愛ちゃんもステージ上、これから”アイドル”を続けていく夢のさなかに、サンダーブレークぶっ放して死ぬ。サキちゃんは”マジで伝説じゃん”とつぶやくけども、本人は当然嬉しくはない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月8日
生きて、輝いて、アイドルにしがみつき続けて、伝説になりたかったはずだ。あの日ペっきりとへし折られた、夢への橋
フランシュシュはそういう、世界最強の負け犬(何しろ死人である)達のワンス・アゲインを可能にする…はずなんだが、それを引き受けるにはなかなか手間がかかる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月8日
なまじっか身近だからこそ、受け入れるのには時間がかかる。幕末に時代が吹っ飛んでるゆうぎりが、逆に現在を受け入れられるように。
純愛コンビにとって”アイドル”はとても身近で、重たく、だからこそ差異が目立つ問題だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月8日
良かれ悪しかれ、アイドルが特別な存在ではなくなった2018。アイドル戦国時代の狂熱も少し落ち着き、街に一つアイドルグループがあっても、当たり前になってしまった世界。
純子ちゃんがしがみつく”アイドル”もまた過去のもので、まさに”時代遅れはお互い様”な状況。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月8日
それでも、自分を支えてくれたもの、青春を捧げたものを譲る訳にはいかない。少女たちのアイデンティティは、失った夢の中にあるのだ。
ではフランシュシュのアイデンティティは、どこにあるのか。
※訂正
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月8日
純子ちゃんがしがみつく → 愛ちゃんがしがみつく
過去がどうあれ、時代と切り離された少女たちはゾンビとなり、アイドルグループとなった。世界でたった七人、特別な身体を手に入れてしまったミュータント。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月8日
それが生きていく手段は”アイドル”しかないと、巽Pに押し付けられ、ブーブー言いながら芸事して、だんだん馴染んできている。
誰か一人がアイデンティティに拘って、”アイドル”として機能不全に陥る時、その母体であるフランシュシュもまた、機能しなくなる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月8日
集団としてのアイデンティティが個人としてのアイデンティティと不可分である以上。
そして”フランシュシュ”以外の社会、記憶、身体からゾンビが切り離されている以上
純子ちゃんが、愛ちゃんがこだわる”アイドル”の在り方は、アイドルグループたるフランシュシュ、そのメンバー全員の問題でもあるのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月8日
というか、記憶が戻ること、死因と生前を思い出すことで、巽に与えるままだったアイデンティティを丸呑みできなくなり、もがき苦しんでいる最中、という形か。
どちらにしろ、運命共同体であるグループの問題として、リーダーとセンターはフォローに走り回る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月8日
純子ちゃんと愛ちゃんをしっかり掘り下げることで、その周囲にいる仲間がクリアに見えてくるのは良い運びだ。さくらとサキだけでなく、ゆうぎりやリリィ、たえちゃんの立ち位置、キャラも見えてくる。
純子ちゃんは昭和の幻影の中、アイドルが”雲の上の人”でいられた時代を回顧する。今の自分、今のアイドルは”違う”と、アイデンティティを否定する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月8日
アイドルがマイクを置く時、”普通の女の子になります”と宣言できた時代。ステージに立ち、ブラウン管の奥にいる時は”普通の女の子”ではなかった時代。
それが遠い過去であることは、純子ちゃんには判っている。それでも、実感がない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月8日
ゾンビであり醜い怪物である自分に、萌え絵のフィルターをかけて自己防衛するのと同じように。見慣れない20年後のミライに震えつつ、純子ちゃんは今を開き直れない。
寄せては返す波、曖昧な境界線、アイドルとステージが相互侵犯する現代を前にして、純子ちゃんは凄まじく昭和な世界に身を寄せる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月8日
波間のカップル、アンニュイな空気。どこにもないけど、どっかにあったような気がする、昭和アイドルユートピア。
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砂に書いたアイドルの定義は危うく崩れ去り、風は純子ちゃんを守る帽子を、残酷に攫っていってしまう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月8日
何者でもないむき出しの顔が顕になる瞬間、さくらが来る。彼女がゾンビ仲間を見捨てておけない、とても面倒見のいい子であることもまた、過去エピソードの中で幾度も語られてきた。
さくらは純子ちゃんの代わりに、水に飛び込む。ゾンビ・アイデンティティを覆い隠すメイクが剥がれることも厭わず、純子ちゃんの大事なものを守って、自分の身に引き寄せる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月8日
それは帽子であり、昭和のアイドル観であり、ゾンビではいたくない純子ちゃんの心だ。
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さくら自身は、ゾンビであること、2018のアイドルであることを、ある程度許容できている。第1話冒頭、アイアンフリルのDVDを見てアイドルを夢見た少女の自己像は、腐り果ててもそこまで傷ついてはいない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月8日
GreenFaceを昭和の帽子で隠しつつ、さくらは傷ついた仲間の言葉を聞き、寄り添う。
その静かな歩み寄りは、第4話で描かれたものの延長線上にあり、それよりももっと深い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月8日
自分が何を考えているのか。何を自分として受け入れられず、何に傷ついているのか。シリアスでディープな話運びだからこそ、共有されるものがある。https://t.co/CLFdH5vfcH
純子ちゃんは今回、ゾンビであること、フランシュシュであること、2018のアイドルであることを、己のアイデンティティとして引き受けられない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月8日
作ったタメをその話数で解決せず、次に引くのもこのアニメでは初めてか。色んなものが変わりつつあり、その変化が面白くもある。
しかし変化の中にこそ普遍があり、シリーズを通して大事にされるものが輝く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月8日
ゾンビでありゾンビでしかない現在を、それでも生き抜くこと。己を肯定し、枯れても叫ぶことを命と呼ぶこと。
”アイドル”とは生き様で、ラップしようがデスやろうが泥まみれになろうが鳥になろうが、”アイドル”であること。
時間も思いも個性もバラバラだけど、共に生きている仲間と心を通わせる事で、生き抜くことが出来ること。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月8日
”急なシリアス”にも思える今回、描かれているものは前の話と同じだ。
だから今までと同じように、さくらの優しさが実を結んで、なにかいい結果が出るだろう。そう、信じたい。
もう一人の”アイドル”も、アイデンティティに思い悩む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月8日
雷鳴が呼び覚ました記憶、夢が焼き殺された瞬間。苦痛に満ちた過去に押し出されるように、”外”に飛び出した愛。
その運動自体は第2話と似通っているけども、あの時とは違うものがある。フランシュシュにはリーダーが居る。
今週のサキちゃんはホント頼りがいがあり優しくて、まさに”リーダー”だった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月8日
ツンツン尖って『ぶっ殺すぞ』って言うだけじゃなく、仲間と気合だけを信じて、だからこそ仲間を放っておけない強さと優しさが最大限迸り、ほんとありがたかった。今までバリバリしてたチンチクを擁護するシーン、マジ…。
化粧が落ちると、ゾンビは銃で打たれる。あるいは、他人を恐慌させる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月8日
第1話から繰り返してきたパターンだが、今回愛ちゃんは公園のシェルターに逃げ込むこと、隣にサキちゃんがいることで、”世間”から守られ、排斥されることはない。そのおぞましい外見で、他人を傷つけることもない。
逃げ込んだ場所は薄暗いけど、確かな明かりがあり、雨と雷鳴から守ってくれる人がいる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月8日
完璧を作ることを己のアイデンティティにしている純子ちゃんがメイクを維持し、素顔を見せることも”アイドル”と受け入れている愛ちゃんが仮面を剥がしている対比は、なかなか面白い
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外気にさらされた海岸線と、遊具に守られた公園。昼間と夜闇、現実と夢。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月8日
お互いの状況は異なっているけども、そこには確かに仲間がいて、同じアイデンティティに悩んでいる。隔たれた少女と少女、時代と時代を、確かに仲間たちが繋いでくれている。
『どちらが正しいというわけでもなく、どちらも正しい』想いがぶつかり、生まれる雷鳴。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月8日
(幕末期、佐幕と尊王に分かれて人が殺し合った渦中に身を寄せていたゆうぎり姐さんがこの言葉をサラッと言うところが、このアニメの賢さだと思う。その果てにおそらく姐さんは、首を引き裂かれたのだ)
それはフランケンシュタインの怪物を目覚めさせた一撃のように、フランシュシュを再起動させるだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月8日
自分たちは何者か。アイドルってなんなのか。
それを問うことはボケっと流されるまま、可愛いメイクを施されるまま”アイドル”してた少女たちが、己になるための通過儀礼なのだ。
その問を表面化させるのが”アイドル”を極めた二人であることも、その舵取りをし傷ついた人達に寄り添うのがリーダーとセンターであることも、必然の結果だと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月8日
大きな問題が表面化することで、フランシュシュの役割分担、集団の中でのアイデンティティも鮮明になってきた。
リリィちゃんが”末っ子”として、生意気言ったり傷ついたり、空気を読んであえて空気読まない発言したり、バランサーとして機能している様子も、ちゃんと描かれていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月8日
ほんまみんないい子で…それぞれ個性と想いがあって…自分らしく必死に生きてるんで…幸せになってほしいと思いますマジ…。
時代が一番ぶっ飛んでるゆうぎり姐さんが、逆にギャップに悩まない描写があることで、純愛コンビのままならなさも巧く描かれていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月8日
姐さんの人間の太さが、混迷するフランシュシュに導きを与えて、オン案お子たちがちゃんと悩める土台を作ってくれてる感じもあって、マジありがたい…。
たえちゃんはまぁたえちゃんなんだけども、彼女なりにフランシュシュを思い、皆が仲良くやれるよう頑張ってくれているのは、先週以前を思い返しても鮮明なところだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月8日
みんながスルーする幸太郎に、醤油だの差し入れてくれるシーンはほっこり面白く、好きな場面だった。たえちゃんは優しいね…。
ゾンビだろうと生きていて、それぞれバラバラの歴史と体と思いがある以上、ぶつかる合うのは当然だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月8日
そしてその先に、グループとしてより強い絆、アイドルとしてのパフォーマンス、ゾンビとして個人としてのアイデンティティが待っていることも、当然のロジックである。
浮かれポンチで楽しいムードを大事にしつつも、ゾンビとアイドルを扱ってしまった以上、少女と青春を題材にとった以上、踏み込まなければ嘘になる大事な要素。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月8日
そこにキャラクターらしさ、作品らしさをたっぷりブチ込んで、本気で踏み込んできたアイドル・アイデンティティ前編でありました。
この舵取りが『急なシリアス』にならないところが、このアニメの真面目さ、真摯さの証明だなぁ、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月8日
バカなネタで楽しませつつ、地金から滲む本気をちゃんと見せてきたからこそ、キャラの行動にも納得がいく。いきなりトンチキなことを始め、描写がブレたようには感じない。
純子ちゃんは”今会いに行くアイドル”にずっと悩んできたし、愛ちゃんはゾンビであることに居心地の悪さを感じ続けてきた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月8日
それは表に出して、フランシュシュの仲間、見守る視聴者と一緒に、ちゃんと答えを出さなきゃいけない問題なのだ。その先にこそ、ゾンビとして、アイドルとしての未来がある。
笑いも涙も震えも喜びも、全て巻き込んだ巨大な渦。そういう混沌なる真理に視聴者を巻き込む豪腕が、思い切り唸る第六話でした。いやー面白い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月8日
対立する二つのアイドル正義に、どういう答えをだすかも含めて、来週非常に楽しみです。皆仲良く、幸せになってほしいと思いますホンマ!!!
追記 ジャンルに大事な要素をしっかり見切って、圧縮率を上げつつ欲張りに盛り込むバランス感覚も含めて、やっぱ真面目なアニメ。
追記
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月8日
サキちゃんの”たまごっち”にしてもそうだけど、小道具を活用してジェネレーションギャップを見せるスマートさはほんとに凄くて、タイムスリップものとしての仕上がりも良いアニメだ。
こういう細かいサブジャンルの切れ味が良いからこそ、貪欲にたくさん盛ってもバランスが崩れないんだろう。
追記 巽幸太郎という”運営”の描写から、アイドル史の変遷が見えても来る。
ゾンビランドサガ追記。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月9日
幸太郎はネットへのアクセス、ネットでの露出をホームページに限定し、ツリー構造での情報管理をもくろんでいる。
それは10年前の情報発信で、今は各アイドルが運営の統制を離れつつ、勝手にネタを芽吹かせるリゾーム構造の情報発信が強い。
記者が言ってたのはこのギャップ。
幸太郎は館を壁で覆って、あるいはメイクで顔を守って、ゾンビと社会の接触をコントロールしている。”運営”と聞いて思い浮かべる統制を敷くことで、少女が傷つかないように(世界を傷つけないように)制御を行っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月9日
のだが、アイドルが自発的にやろうとすると、結構遠巻きに好きにやらせてもいる
幸太郎(に擬人化された”運営”)に統御され、”やらされているアイドル活動”と、それを通じてゾンビである自分を肯定し、生まれてくる迸りを外海に向かって放つ”やりたいアイドル活動”
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月9日
その鬩ぎ合いもまた、フランシュシュという”アイドル”を巡るギャップであり、今後うねるところなのだろう。
今後”昭和と平成のアイドル”が止揚され、フランシュシュが自分のアイデンティティをより強化した時。言いたいこと、やりたいことがより強くなった時。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月9日
巽は少女の自発性を制御しつつ自由を与えるスタイルと、中央制御型のオールドスクール、どちらを選んでいくのか。
結構注目どころだと思う。
まぁ”ホームページ”という10年前の遺物をひっくり返すことで、死人の古臭さを強調する道具立てでもあろうが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月9日
巽Pのアイドル像がアイドル戦国時代前夜のまま止まってると、フランシュシュの未来も危ういわけだが、地域密着粘り腰で地歩を作ってる様子は、ちゃんとアップトゥデートなのよね。面白い。