BANANA FISHを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
硫黄の火よ、ソドムを焼き清めよ。無辜の血よ、聖餐を飾れ。
全ての暴力をつぎ込んだ決戦の顎が、命を飲み込み裁きを下す。人々は戦いの中で意を決し、掴むべきものをその手に握り、離す。
応報の果てに、死がすべてを優しく抱くとしても。
友よ。青い空の下で、また会おう。
そんな感じの、全ての決着40分スペシャルである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
知っていた。この結末を僕は知っていたわけだが、それでも辛い。だからこそ辛い。こうならなければならかなった倫理も論理も判るし、命と善を必死に追い求めたこの藻の語りがこの決着にたどり着かなければいけないのはわかる。
しかし、それでも辛い。
あの時、一足先に楽になった兄弟のために祈ったように、今はアッシュのために祈りたい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
ショーターが地獄の苦しみの中、アッシュに天使を見たように。アッシュもまた、ニューヨーク公共図書館の天井に描かれた、青い空を見たのだろう。https://t.co/OqULcIrDyM
NYのゴミ溜め、地上のカルマから遥か高くジャンプした異国の少年を、そこに幻視したのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
いや、それは幻ではない。確かに、少年たちが血のインクで描いた青春は、そこにあった。皆で会い、愛し、死に、別れていく。それでも、そこに確かに意味と救いが…https://t.co/9ogxoITsUz
あったと思わなければ、あまりにやりきれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
確かに、アッシュは殺しすぎた。キリマンジェロの雪の中の豹のように、襲い来る獣の血で己を濡らし、銃と血で塗られた罪の大地にしか生きられない生物だった。
だから、そんな彼が望んでいた平穏を手に入れれば、野獣に殺されるのは道理だ。
それでも犯された記憶に苛まれ、安らかに眠ることを許されなかった少年。そんな彼が安眠できるのが死の床だけというのは、あまりにも哀しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
どこかに、全てのカルマが安らぎを見つけ、平和に暮らせる”異国”はなかったのだろうかと、物語を見終えて思う。
しかし、それはない。善を求めれば悪は応報し、優しさが獣の警戒を壊すことになる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
”剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる”(マタイ26:52)という警句を聞いていたら、心も体もぶっ壊される悪徳の街。NY、現代のバビロン。
そこで人として生きようと夢見たことが、自分を人として満たしてくれる愛に出会ったことが、朝焼けの名を持つルシファーの罪なのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
美しい青い空は、所詮偽物。あの時感じた憧れのようには、何も答えてはくれない。
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それでも、アッシュが最後に読んだ手紙、封じ込められた”異国”への切符に、彼が答えようと歩みを進めたことは。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
あの時出会って、美しいものに惹かれたことは、やはり間違いではなかったと、僕は思いたい。
それが血と涙に濡れるものだとしても、だ。
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『君を永遠に愛す』
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
あまりにもロマンティックで美しい、英二の永訣。それをアッシュ本人の赤で染めるところが、あまりにも残酷であまりにも正しい。
そんな裁きを受けるだけの血を、アッシュは流してきた。己も、他者も。
彼が負傷するのが主に”脇腹”であるのは、贖い人との重ね合わせだろうか?
思いは尽きない。この作品で死んでいき、その空疎の後に生き延びなければいけない生存者達にとって、何が正解だったのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
答えは出ない。手を下したラオですら、”血”を分けた兄弟を守るために、その凶刃を奮った。
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死神のような凶暴な黒は、アッシュもまた身にまとっている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
誰かを守るための刃が、誰かを害する。武器を手に取らなければわかり会えたものとも、武器をとって対峙するしかない。
平和な”異国”では想像もつかない荒廃の中で、殺し合うしかない魂たち。その最後の交錯。
放送と順序は逆になるが、さかのぼって精神衛生センターの決戦の話をする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
最終話、内海監督がコンテ・演出に戻り、兎にも角にも作画が良い。良すぎるほどに良い。アクション、表情、象徴。全ての局面で圧倒的だった。
やっぱり”天才”なんだよな、間違いなく…。
銃撃戦、近接戦、獣が牙を重ねるが如き獣欲の宴。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
アクション作画がキレていることが、あのバベルの塔での決戦に注ぎ込まれた欲望と悪意の量、生存を掴み取るのに必要な賭け金の重たさを物語っている。
スライドの動き、遮蔽のとり方、反動の殺し方。ガンアクションのレベルがおそらく、今年一二で高い
細やかな作画力は決戦に魂を燃やす人々の表情にも及んでいて、鬼気迫る光がキャラクター全ての瞳に宿っていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
修羅か、天使か。人間の明暗をしっかり刻みつけた表情作画が、あらゆる美醜を余すことなく照らす。
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色んな人が交錯しキャラクター最後の光芒を輝かせるのは、いかにもクライマックスという感じだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
先週まで己の身の丈の小ささに悩んでいたシンが、ブランカと、アッシュと、月龍と交流することで、どんどんデカくなるのが良い。
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アッシュもラオも亡きニューヨークで、その遺志をついで少年を導くのは、もうシンしかいない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
リーダーなんてガラじゃないけど、そうするしか道がないのなら。せめて小さな背を張って、大きいやつと並び立ちたい。
そんな真っ直ぐな気概が戦場に映え、非常に眩しかった。
ブランカが最後の弟子(息子)として、シンの面倒を見まくるのも良い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
冷戦当時のスペツナズ幻想をフルに背負って、チート級の大暴れで勝負の天秤を傾けた男は、ホント最後まで崩れなかったなぁ…一人だけFPSの主人公だよ、あいつ。
パパ・ゴルツィネを背中から撃ち、急遽ラスボスの椅子に座ったフォックスは、これまでアッシュを押し倒し、犯し、殺してきたファルスの集大成として、彼を幾度も踏みにじる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
銃で、鉄パイプで、素手で幾度も殺し合う血みどろが、ゴヤの版画めいておぞましい。
パイプを突きつける仕草は、おそらく”女役”を強要された床でアッシュが幾度も体験したファリックな絵面と、反吐が出るほどそっくりだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
押し倒され、貫かれ、無力さを思い知る。獣欲に歪んだ顔から、臭い息が顔にかかる。
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しかし、アッシュはもうなすがままの男娼ではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
肩口に突き刺さったファロスに負けず、苛まれた記憶を奥歯で噛みちぎって、回転するペニスを脇腹に突き立て返す。
地獄の中のマチズモ、お互いの”硬さ”を競い合う蛮族の祭り。それは愚かしくも、血みどろで奇妙に美しい。
『おれは男だ!』
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
あまりにもヘミングウェイ的な強がりは、しかしフォックスの命を取らない。”パパ”として、最後の執着を銃弾に乗せて決着したゴルツィネを、アッシュは悲しく見下ろす。
青と赤、生者と死者に分かたれた世界。
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シンと”BANANA FISH”、真っ赤な死が牙を開ける両天秤で、アッシュは正義を手放す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
悪事全てが暴かれ、公平さが世界に秩序を取り戻すより、友達が生きている方が良い。アスラン・ジェイド・カーレンリースはそういう選択ができる少年だ。
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シンの小さな背丈が、アッシュに届かないこのレイアウトがすごく良い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
それでも、アンタと同じ世界を見てみたかった。アンタの友達でいたかった。その気持はシンの片思いじゃないから、アッシュは決闘を取りやめる。仲間殺しは、ショーターとオーサーだけで十分なのだろう。
ここで通じ合った心を、追放されたラオは知らないまま、あの最後の瞬間に至る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
血を分けた兄が、誰よりも憧れた男と殺し合う。シンがあの空港の帰り道、どんな生き地獄に突き落とされたかと考えると、このシーンの爽やかさは異常な残酷さを孕むな…。
かくして戦いは終わり、死すべき人が死ぬ。”BANANA FISH”の決定的証拠が、シンの命と引き換えに灰燼に帰した以上、完璧な正義は手に入らない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
それでも、大人たちは世界が少しはマシな場所だと、子供が生きるに値する場所だと証明するために、必死にあがく。
久々の出番となった刑事さんが、英二の混乱、愛と別れの悲しみにちゃんと理解を示してくれるのが、泣けて仕方がなかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
クソみたいなペニスを突きつけてくるクソ大人もいれば、子供の複雑な心をまるごと理解しようと、歩み寄ってくれる人もいる。万色を込めて、世界は醜く美しい。
”良い親父”であるマックスは、銃の代わりにペンを取って、”アメリカ”の腐敗と戦っていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
姿を見せない”息子”から届いた、茶目っ気たっぷりのメール。それを受け取ったマックスの表情が、あまりにも良すぎる…この顔させてからアレだもん、悪魔よ悪魔。
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炎のイニシエーションを経て器量を手に入れたシンは、ブランカの代わりに月龍を抱擁する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
中華系という”血”の繋がり、死にたいくらいに憧れたアッシュと同じ、魂の傷。どうしても憎めないカルマの中で、シンは正しく真実を告げる。
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ここのビンタ合戦の威力の差、器量の差で思わず爆笑してしまったし、想像以上に脆い月龍に『あ…やっちゃった…』みたいな顔を見せるシンくんが善人過ぎてビビるけども、ここら辺の感情の渦って異常にこんがらがって凄いよね、考えてみると。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
綺麗に見えるシンだって、アッシュに憧れ、彼に並び立ちたいと思った。だから同じ気持ちを持っていた月龍を憎みきれなかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
英二の代わりに、なんで俺じゃないんだ。
シンの心の何処かに、そういう気持ちが合った気もする。でも、そういうモノを苦く噛み潰したからこそ、月龍の憎悪も共鳴できる。
ブランカがほんとズルい強キャラで、あんだけ引っ掻き回しておいて月龍から離れていくところとか最悪だけども、まあ森川智之声の特権ということで…。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
兄貴もアッシュも死んで、ブランカもいなくなって、クソヤンデレ弱々バカ様の面倒も見て…シンが全体的にワリ食いすぎじゃね!?
憎悪だけしか持たず、復讐のために生きた。それが果たされた今、空っぽの月龍が流す、赤い血。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
”覆水難収”の故事のように、床に垂れ流されたワインは、月龍を、そして彼の影たるアッシュの未来を予感するようでもある。
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大団円の気配を漂わせつつ、殺戮のカルマ、暴力の帳尻合わせをけして諦めようとしない冷徹さは、このアニメの美質だと僕は思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
『しょうがなかった』などとは、けして口にはしない。しかし、アッシュが求めた青い空は、ただ無限に優しいだけでなく、過ちを許さない正しさも、また有していたはずだ。
そこに旅立つための資格として、とりあえず武器は手放そう。ハバナに帰るブランカが、やっぱり”武器よさらば”を読んでいるのが好きである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
原作よりも更に太く、米文学史の補助線はアニメを支えていたかなぁと、文学オタクとしては思いたいところ。
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『街のダニに戻る』と宣言して、師匠に手を差し伸べるアッシュの背丈は、確かに伸びた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
その可能性を試すこともないまま、慈悲深い鎌で刈り取られてしまうライ麦であっても、師匠超えの逞しさは、やっぱり美しい。ほんっとヒデェな…完全にハッピーエンド予感させて、こっちの鎧壊してからだもんな…
ラオはまるで恨むように、アッシュに『隙ができた』と告げる。その一言に、彼の複雑な心境、叶うならば殺したくないが殺すしか道がないという、アッシュによく似た想いがにじむ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
犯された野球コーチを殺した時も、殺戮機械のように命を摘んだ時も。
アッシュはそう思いながら、殺したのだと思う。
無敵のジークフリードの、背中の一枚の葉。それは英二の思いをたっぷり詰めた、優しい言葉。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
君は豹ではなく人間で、僕らは必ずまた会える。あの時見せた青い空のような、一瞬の希望。薄汚れた自分でも、全き人のように、幸福を追い求めることが出来るかもしれない。
己を愛しすり潰してきた”悪しき父”に勝利し、悪夢の記憶にある程度決着が付いたことも、アッシュの鎧を壊す一員だったのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
獣欲と悪意は、希望を信じるアッシュを壊すことは出来なかった。ただ愛と勝利だけが、天使を人間に戻し、刃を届かせる。皮肉が過ぎるが、確かに真実であろう。巧すぎる…
銃を持たない愛は無力で、愛を持たない力は虚しい。そして、その両方を同時に抱きしめることは、どうしても出来ない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
そんな厳しいルールに決着しつつも、正反対であるがゆえに強くお互いを求め、満たされていた二人の少年の物語は、確かな繋がりを照らして終わった。
アッシュの死を納得できない気持ちは、僕にもある。初めて漫画版を読み終わったあの瞬間から、ずっと燃えている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
しかしアニメになってもう一度再動してみれば、盤上この一手、確かにこういうふうに残酷に、誠実に終わるしかない物語だったと、再確認をした。
力が呪いを連れてくることも。一度奪ったものはその毒に侵されることも。このアニメはしっかり書いてきた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
アッシの才が幸福を連れてこず、獣欲と紛争だけを引っ張ってきたのは、24話ずっと見てきたとおりだ。だからといって、牙を失って人になることも、山猫には難しい。
過去の記憶、生まれ持った資質、取り巻く環境。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
あまりにままならない不自由さの中で、だからこそ見上げた青く、高い空。少なくとも、それを見つめる視線の純粋な強さだけは、哀しいほどの真実であったとは、間違いなく言える。
アッシュが英二と出会い、英二がアッシュと出会ったことは、正しかった
最終話のサブタイトルは、”ライ麦畑でつかまえて”である。サリンジャーから始まった藻の語りが、サリンジャーで終わる構図だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
しかし間を埋めるのはそれより少し前……20年から30年代の文学ばかりだ。狂乱のジャズエイジ、大恐慌と二次大戦と冷戦がまだ訪れない、ギリギリ”アメリカ”が生きる時代
おれは何処かホールデンにも似たナイーブな少年…”父”の世代の束縛と祝福に縛られたアッシュが、マッチョでジャジーな世代の物語を乗り越え、自分の物語を掴む(ところで、残酷に手折られる)物語を、静かに追体験したようにも思う。まぁ考えすぎな気もするけどね…。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
ホールデンは『僕のやる仕事はね、誰でも崖から転がり落ちそうになったら、その子をつかまえることなんだ』と語る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
アッシュもまた、ライ麦畑のキャッチャーであることを、自分と同じく傷ついた子供たちを拾い受ける未来を、夢見ながら死んでいったのだろうか。
少なくとも、アッシュの傷ついた魂は、英二という来麦畑のキャッチャーに、しっかり抱きしめられた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
だからこそ、キリマンジェロの豹であることをやめて、人として空港に行こうと進んでいったのだ。それが野生の鎧を外し、ラオの凶刃を呼び込むとしても、だ。
その歩みは、”アメリカ”なるものが既にズタボロに傷ついたジャズエイジ、大恐慌、一次大戦を経て、二次大戦と冷戦による地位拡大、それに伴う決定的な荒廃の果てに、非常に素朴な救済を求めたサリンジャーの到達点と、どこか似ている気もする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
原作が発表されたベトナム戦争の後も、アメリカは様々な場所で戦い、代理の戦争を続けもした。冷戦に勝った後も、世界の”パパ”として、イラクで、アフガンで、アブグレイブで、ソンミやサイゴンに負けない地獄を描いてきた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
銃と麻薬、威信と獣欲に支配され、そこから抜け出せない”アメリカ”の神話。
それは原作発表当時も、リメイク後の舞台となった現代も、ずっと続いている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
その遥か前、”アメリカ”建国から続く一つの宿痾として、”BANANA FISH”の物語、”異国”で生まれたあまりにも”アメリカ”的な物語は、輝きを放ち続けている。
そういう現代性を、再確認するアニメ化であった。
時代を変えたところで、”BANANA FISH”を生み出した文学的苦悩も、”アメリカ”の病も、けして克服はされていない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
この作品に込められた答えの出ない問は、今でも現役で僕らを悩ませ、傷つけ、引き付ける力を、しっかり持っている
もう一度容赦なく僕を打ちのめしたあのラストシーンが、それを証明した
そしてこの新しい血潮は、アニメーションとして何を表現し、何を語り直すかをしっかり考え、血のインクで一手一手刻みつけてきた内海監督以下スタッフが生み出したものだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
本当に、良いアニメ化だった。力強い原作の息吹が、今だ現代性の息遣いを持っていることをしっかり証明した。
それだけでなく、アニメーション独自の表現力を活かし、また別の魅力も強く打ち出したと思う。カットもあったし、再編集もあった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
しかし原作をそのまま流し込めば、今生きている作品が生まれるわけではない。アニメスタッフの編集チョイスは、的確であったと僕は思っている。
音楽、声優の演技、細やかな作画の芝居、レイアウトとフェティッシュの妙。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
アニメ独自の強さが様々に唸る作品だったが、特に色彩設定の切れ味を強調しておきたい。原色で大胆にバキッと、様々な色合いを込めて映える赤、青、緑と紫。
その”色”に込められたものを探しながら、最後まで見たアニメであった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
英二が背負う青い空。アッシュを汚す赤い血。それらが曖昧に混ざり愛、生まれる悪徳と希望。
その狭間で確かにであった二つの魂が、見せた希望と愛。それがけして嘘ではなかったと、強く確信できるアニメだった。
非常に良いアニメだったし、力強くもあった。時代を変えても古びない原作を、古びさせないための決死の努力が、半年間続く志のアニメ化だった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
アッシュの墓碑を前に、『楽しかった』と無邪気には言えない。でも、とてもいいアニメで、強く心を揺さぶられた。
ありがとう、お疲れ様。いいアニメでした
追記 マショマロに寄せられたご質問と、それに対する自分の考え。
ご感想とご質問ありがとうございます。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
お役に立ったようで何よりです。原作の強さとアニメスタッフの力量が化学反応を起こし、非常に面白いアニメとなりました。
最終話の”白”は、自分も気になっていました#マシュマロを投げ合おうhttps://t.co/g50V3ys33f pic.twitter.com/p86vqY2WAZ
確かにこれまでの色彩のドギツさに比べると、戦いが決着してからの色合いは全体的に淡く、白がかってみえます。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
これには様々な意味が込められている気がしますが、一つには第13話以降度々言及されていた『キリマンジャロの雪』の白さかと。
© 吉田秋生・小学館/Project BANANA FISH
あ、画像つなぎ忘れてる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
こういう色合いですね
© 吉田秋生・小学館/Project BANANA FISH pic.twitter.com/WCgsg7smgi
ここでも死すべきアッシュは薄暗い死のタイル、生き残ってしまうシンは明るい生のタイルと、綺麗に切り分けられていますね。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
アッシュが死に装束のような特別なコートを着るのに対し、あくまで普段着で生存後を歩いていくシンの姿も、生き死にの分かれる最後の対面を強く印象づけます。
結局アッシュは牙を捨て人間として生きるのではなく、豺狼として凶暴な自分の影と殺し合うしかありませんでした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
英二が手紙の中で祈るように、豹をやめてもう一度出会うことは叶わなかったわけです。その獣としての死は、雪の中の孤独な豹のイメージと強く重なる。
あの短編も死に際の走馬灯の話であり、獣を狩り獣のように生きたひとりの作家が一瞬の夢を見るお話なんですが、その儚さと淡い白さは、たしかに重なっているように思います。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
優しくすべてを奪う。いつか死の床に瀕したアッシュが、そうであれかしと願ったような、柔らかい死。
全てを覆い隠す雪と一緒に、そういうあまりどぎつくない、救済としての眠り=死のイメージが画面を覆うよう、色合いは弱められ、曖昧にされる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
つまりあの白さは涅槃の白さ、アッシュが死なざるを得なかった殺戮のカルマすら眠って忘れれるような、救済の白さな気がします。
旅立つ日に英二が持つ花束も、色彩が淡く、あまり力強い主張をしない。ゴルツィネやフォックス大佐、オーサーなどなど、どぎつい嫉妬と性欲をギラつかせた人たちが去った今では、アッシュを強く求めすぎる現世の欲望の花は似合わない、ということかも。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
© 吉田秋生・小学館/Project BANANA FISH pic.twitter.com/Qm0ehm2DPH
アッシュが英二の手紙(それが未来へ向かうのではなく、弔辞になってしまうのがなんとも哀しいですが)を読むシーンも、まるで”あしたのジョー”の矢吹ジョーのように真っ白な世界で、流麗な筆記体が静かに踊っていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
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『殺人者なんだから犬死しろ』とインタビューでは言いつつ、自らが血を絞り出して生み出し、語りきったキャラクターの退場を、静かに、美しく、罪の色合いなく送り出そうという、吉田先生のツンデレを、アニメスタッフが酌量した色合い、とも言えそうです。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
物語の運び、描いてきた題材、掘り下げるべきカルマ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
全てがアナタを必然に殺すけども、散々苦しめられた現世の欲の色ではなく、せめて望んだ真白の淡さ、穏やかさの中で。
死ぬことでしか安眠が得られなかった少年に送る、せめてもの餞の色合いが、あの雪であり、あの白さなのではないでしょうか。
同時にそれは雪のように冷たく、結局アッシュは『キリマンジャロの孤独な豹』として死んでいくのだという、怜悧な視線の表れでもあります。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
アッシュの生き死には果たして、実りあるものだったのか。この美しく清廉な葬列は、彼の魂を贖うものなのか、それともただの感傷なのか。
そういう問いかけも静かに反射する、いい白だと思います。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年12月21日
アッシュの死は必然なのだが、僕らの心は収まらない。その軋みの間にあるものが何で、なぜそれは時代を超え、僕らを揺さぶるのか。
そこを問うのが今回のリメイク最大の意義だと思うし、そのカンバスとして最後の”白”は、いい色合いでした。