からくりサーカスを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月18日
機械は疲弊の夢を見ない。人は絶望の闇には沈まない。固く引かれてたはずの境界線が、赤と銀の色に溶融していく。
サハラ最終決戦、皆の遺志を継いだ鳴海は人を超え、全てに決着をつける。
それは巨大な謎の始まり。不死の機械すら殺す、”倦”との戦いの始まり。
というわけでサハラ決着! に新章開幕、地獄の修羅に堕ちた鳴海とすーっかりチョロ蔵ヒロイン顔を隠さなくなったしろがねとの邂逅までひっくるめて一本にまとめちゃうよ~ん!! つう回。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月18日
いろいろぶっ飛ばしたのは残念だが、希望から絶望、絶望からほんの少しの希望を見せて繋ぐ運びは結構好き。
次々散っていくしろがね、その遺志を引き継ぎ立ち上がる鳴海、ぶっ飛ばされる強敵、明かされる真相と暗転する希望。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月18日
サハラは中盤最大の盛り上がりだけあって、話の上げ下げが激しい。この衝撃を収めるために一話回すかなー、と思っていたが、その先まで書いてきた。結構面白い。
ぼろぼろになった仲間の残骸で、主役機を修復し最終決戦に挑む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月18日
ロボットモノの燃える展開を背負って、鳴海は人間としてアルレッキーノとパンタローネに勝つ。
狂い咲く人間の証明を身に背負って、鳴海は人形と人間の中間種、サイボーグとしての”しろがね”を受け入れる。結果、髪は銀に染まる。
人間と人形の間はどんどん曖昧になっていく。鋼の意志でアンジェリーナ人形を倒した”敵”は、高らかに自由を謳う。お前ら、糸付きの自動人形じゃなかったっけ?
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月18日
自由意志が人の証明であり、運命の糸車からの離脱を意味するのなら、死亡直前の”最古の四人”はみな、燦然と自由だった。
自動人形もしろがねも、死が近づくに連れて”人間”を輝かす。鳴海いわく、『無茶苦茶にキツい状況でも、笑顔になれる』存在。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月18日
そう叫ぶ鳴海自身が、決着を前に笑顔がどんどん消えて、仲間の死を背負った悲壮、自動人形とゾナハ病への憎悪に塗り固められていく。
それはクラウンとしてアメリカの病院で働き、末期小児病患者に寄り添った実感が生み出す憎悪だ。あんな光景を生み出すものを、許しちゃいけない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月18日
しかし同時に、何処かの誰かが勝手に生み出したものを注入され、自由意志とはかけ離れたところで生まれる憎悪でもある。
からくりの糸は、人形としろがねを区別せず自由意志に張り付く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月18日
『フランシーヌ人形を笑わせる』という存在律に歯向かったドットーレは、その魂を自壊させた。勇姿のように束縛を千切った残り三人も、本来の使命…別種の束縛にしがみついた、とも言える。
偽フランシーヌ人形もまた、真フランシーヌが押し付けた役割を演じ続け、疲れ果てて鳴海に殺される。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月18日
ゾナハ病を操る自由、疾病から開放される自由を、偽フランシーヌ人形は背負わない。全ては偽り、誰かの物語の幕間でしかなかった。人形は誰かに操られ、劇を演じる。当然の帰結ではある。
散っていったしろがね達は、アクア・ウィータエに刻まれた白銀の憎悪を借り受けつつも、自分なりの理由…自由を見つけて闘争に挑んだ。それが鳴海を助けることに繋がっていたからこそ、死にゆく者たちは希望を託し、満足して散り果てていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月18日
糸を切り、己は自由なのだと錯覚しながら死ぬ。
しかし生き残ってしまった鳴海は、切ったと思った糸が雁字搦めに自分を、世界を拘束している現状に投げ出される。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月18日
世界を救った勇者、全しろがねの生き様が無駄ではなかったと証明する生存者とおだてられても、決死の激戦が偽物人形の自決の手伝いだった事実は、鳴海の心を砕いていく。
鳴海から生身の体が失われ、赤い血を流す部分が減るたびに、彼の人間性は枯渇していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月18日
心を通じた仲間の遺志を宿した機械は、血よりも熱い。そんな幻想を背負って燃える大逆転を演じたあとに、『全てが茶番だった』と思い知らせる構成は、なんともエグいな…。
かくして真夜中のサーカスも”しろがね”も解決し、ゾナハ病に満ちた世界だけが残った。空っぽの舞台に一人取り残された鳴海は、どう踊ればいいかもう分からない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月18日
銀の血に人形の力、人から外れた”しろがね”を受け入れたからこそ、彼は銀髪のサイボーグになった。運命を受け入れた。
どれだけ無駄に思えても、自分を動かしてきたものが自分以外の、どこか遠くて残酷な操り手から伸びているように見えても、既に身体となった”しろがね”が軋む。人間の証明を戦いに乗せて、儚く激しく散っていった同志の想いが囁く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月18日
己の物語を掴め、と。
一話の中でその囁きの果て、かつて心を通わせた女をぶっ殺そうとする漆黒の瞳まで描く構成が、なかなか面白かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月18日
多分急ぎ足のスコア昇華の結果なんだろうけども、確実に物語最大のピークの一つを終えるところで終わらさず、その後の発展まで見せることで、原作とはちと違う印象にもなる。
全てを失った鳴海はフゥの言葉に操られるまま、しろがねを殺しに行く。それがゾナハに染まった世界を救済し、散っていった仲間の存在証明になるのだと…自分の物語はそこにしか無いと信じて。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月18日
しかしその行いは、まだ鳴海の腕が生身だった頃…真っ直ぐな熱血漢として完成できていた時代を裏切る行為だ
自動人形めいたかつてのしろがねに、命と恋を教えたのは鳴海だ。赤い血で、『キツい状況でも笑顔になれる』人間の在り方を刻んだ思い出は、しろがねの中で強く脈動し続けている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月18日
しかし与えた鳴海の方は、記憶を失い、別の記憶を押し込まれ、体を失い、人形の手足を付けられた。失う男、手に入れる女
序章段階では他人事だった『自動人形を殺す自動人形』に、今の鳴海は成り果てている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月18日
フゥの示唆、背負った戦友の遺志、白銀の記憶。様々な糸が入り混じりつつ、その中の一つとして『人間・加藤鳴海』の記憶も混濁する。
拗れに拗れた糸を、聖ジョージの剣で断ち切るなら。恋した女を殺すしか無い。
何が偽物で、何が本物なのかさっぱり分からないまま、それでも人生の舞台の上、演目は終わらない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月18日
それはしろがねになり果てても鳴海が熱い男で、ゾナハに侵された子供、散っていった同志の思いを、どうしても無視できないからこそだ。
観客席に引いたフゥ、木っ端のように横にどけられた阿紫花。
あるいは出オチめいた一撃でぶっ飛ばされたジョージのように、舞台袖に下がる特権を主役は有していない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月18日
今まで演じられた物語が、銀色の怪物に確かに通っていた赤い血が、偽物などではないと証明するためには、今度こそ本当に世界を救わなければいけない。ゾナハと自動人形を撲滅しなければいけない
しろがねの中で柔らかく育った人間性が、それを与えてくれた鳴海との再開では真っ黒に染まり、人だからこその濃い絶望を背負う形になるのは、なんとも残酷だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月18日
そこで己の身を供犠にして、鳴海の人間性を回復させようとするしろがねが、健気で弱い。サハラと同じく、不正解ブブー! って感じだ。
切り刻まれ、繋ぎ合わされ、それでも人間であろうとする鳴海の地獄。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月18日
これをしろがねが救済しようとするなら、妄執の贄となって偽りのエンドマークを付けるのではなく、より深い真実に一緒にたどり着く必要がある。
鳴海のサイボーグ的身体/精神以上に、しろがねのアイデンティティが複雑だ。
まずフランシーヌがいる。これに懸想した白金が真フランシーヌ人形を生み出し、笑えぬ旅路に疲れ果てた彼女は偽フランシーヌ人形に運命を押し付けた。(これを自死さすために、敵味方全滅の壮絶な戦いがあった)
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月18日
真フランシーヌ人形を笑わせるために生まれたゾナハは、彼女にしか解除できない。
フゥ曰く、しろがねの心には新フランシーヌ人形の記憶と人格が解けている。”しろがね”が白銀の知識と憎悪を継承したように。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月18日
その真偽を確かめず、カンダタの糸としてすがりつくしか無いほど、鳴海の心は追い込まれている。ウェア入れるとエッセンス下がるからね、仕方ないね(シャドウラン的思考)
しろがねの自認としては、自分は新フランシーヌ人形ではない。ゾナハを直し物語を終える特権は持っていない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月18日
でも、それを演じて鳴海が救われるなら、偽物になろう。誰かの操る糸のまま、誰かの物語を踊ろう。
その決意は間違いだと、過去の記憶が告げてくる。あそこで繋いだ手と心は、嘘ではないと。
既に実感のない序章の記憶が、鳴海を止めるところまで描いたのは、この混迷錯綜する自由意志の迷宮に、一筋アリアドネの糸を与える手筋だったと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月18日
キャラクターが糸を切り裂き自力で歩んだ物語は、赤い血の通った本物。それを見てきた僕ら観客が、追い求めるべき真実。
だからしろがねの(いわば偽ヒロイン的な)自己犠牲は切断され、鳴海はどこともしれず消える。かつて愛した女を自分の手で切り捨てる物語は、なにかが間違っていると魂が、銀と赤の血が吠えた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月18日
でもじゃあ、何が真実なんだ。自分で自分を操る物語の糸を探す力なんて、もう俺には残っちゃいねぇ!
ここまで追い込むことで、鳴海と(真・偽)フランシーヌ人形の心はシンクロする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月18日
笑えない現実悲劇を望みもしないのに見せつけられ、長い時間の中で傷ついた。背中に延びる糸は誰かの偽物、綺麗なものが欲しくても何処にもありはしない。それを掴む自由もない。
その果てに真フランシーヌ人形は逃避を、偽フランシーヌ人形は大掛かりで遠回りな自死を選んだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月18日
鳴海は主役なので、どちらも選べない。血みどろの血風のなか、もう一人の自分が背負う暖かな温もりと、接続された機械の手足が教える血みどろの英雄性に、絶えず引き裂かれ続けている。
サーカスという自己表現の場所、自分を優しくしてくれる他者。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月18日
出会った時は鳴海の側だったはずの『当たり前の幸福』は、今やしろがねの側にある。その微温湯に浸かっていたら、自分の物語を紡げないと確信したから、勝は別の舞台へと足を進めた。全然出番ねぇなマジ…。
かつて鳴海が教えてくれた、日常の暖かさ。赤い血が自分にも、あなたにも流れていて、自分の物語を歩くのはあくまで自分だという尊厳。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月18日
それと同じものを、散っていったしろがねも持っていた。人間だった。だからこそ、鳴海はドス黒い非日常から降りれない。しろがねという日常を殺せもしない
そういう雁字搦めと、そこから抜け出すための細い糸を見せて、長い戦いは一旦幕を下ろす。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月18日
結局、序章で確認した赤い血の熱さ、当たり前の風景の温もりが、一番強い糸だ。でも残酷な運命と人の業を支えるには、それはあまりに細すぎる。そこら辺の”試し”が、藤田作品は一切容赦なしだ。
熱砂の地獄をくぐり抜け、鳴海は人間ともしろがねとも自動人形ともつかない、ハンパなキメラに成り果てた。腕と一緒に記憶を失い、代わりに機械の腕と他人の想いを受け継いで、荒野を彷徨う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月18日
殺意に踊らされる自動機械にもなれず、空っぽの心で恋を抱きしめることも出来ない、糸の切れた人形。
その生き様が、どこに漂流するのか。あまりにも鮮烈に、あまりにも無駄に散っていったしろがね達の赤い血(と、存外自由な尊厳を輝かせた自動人形の銀血)に、どう報いるのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月18日
幕が下りても、舞台は終わりじゃない。残酷に新たな幕が上がり、空疎という名前の演目が始まるのだ。
そこに、かつて物語を共有した二人がどう絡むのか。長く見せられた鳴海の巡礼はあまりに重たく血みどろで、呑気なサーカス団員は踏み込めない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月18日
同じ舞台に上がるためには、血で書いたチケットが必要になる。それが己のか、敵のか、守るべき誰かのものか。
次週、新章開幕。楽しみですね。
しかし
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月18日
・フランシーヌ
・真フランシーヌ人形
・偽フランシーヌ人形
・しろがね
と、運命の中心にいる銀色の女たちを軒並み林原さんに任せた結果、負荷がすごいことになってたな…入れ替えトリックを駆使したミステリみたいなもんだから、ある意味しょうがないけど。
追記 人のあり方を技術で改変し、その真価を問う。サイボーグSFの超正統でもあるんだな、からくりサーカス。
からくり追記
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月18日
鳴海が自動人形に近づくに連れ、誰か(主に造物主、物語の起点)に押し付けられた糸を断ち切り、自分の物語を掴むことの意味が鮮明になっていく。
自動人形は偽エレオノール人形に、偽エレオノール人形は真エレオノール人形に、真フランシーヌ人形は白金に。
人形は造物主の作り出した黄金律に縛られ、運命から逃れられないまま死ぬ。”最古の四人”がそこからはみ出してきたのは、サハラ以降相を転じる物語への予兆であろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月18日
人形も時に糸を切る。では人の腹から生まれる人間は、どの糸を断ち切ればいいのか。
ココらへんを鮮明化させるべく『アクアウィータエによる記憶転写』という設定が生きているのが、なかなか巧妙だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月18日
人はただでさえ運命に、自分自身に縛られる。あるいは他人への愛憎に。全てを溶かし伝える水は、その構図をより分かりやすくする装置だ。
記憶と自由意志という、当然視されつつもよくよく考えればあやふやで危うい人間の基盤。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月18日
自動人形との血みどろのバトルは、存外そういう思弁的なものを巡る抽象の物語でもある。形而上と血腥い卑近が同居して、それぞれの色合いを輝かす。少年漫画の真骨頂だとも思う。
追記 結局『ふりだしに戻る』『おうちがいちばん』が物語の基本であり王道なんだけども、運命に振り回され初期衝動が色褪せる(あるいは過剰に暴走する)なかで、どう戻ればいいのか。その難しさと『それでも』を書ききることに、物語の意味はあるのかもしれない。
からくり追記
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月18日
地獄のサハラを走り抜けた鳴海の物語がそこで止まらず、海に面した湿った砂、そこに足跡を刻んで終わるのはかなり好きな作り。
乾ききったように思えても、何処かに温もりが残っている。消えたはずの自分らしさの中に、答えがある。そういう一条の光を、絶望の中強調する感じになった。