HUGっとプリキュア 最終回を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月28日
かくしてクライアス社の野望は潰え、戦士たちは輝く未来を引き寄せた。時を渡る列車に乗って、本来あるべき場所へ戻るべく、永訣の夕がやってくる。
時が同じ波を繰り返さないとしても、砂浜の城のように不確かで美しい、かつて夢見た星を追って。
さあ、歩こう。
そんな感じの一話まるまるエピローグ、大胆に12年後の描写まで踏み込んだ最終回である。『その後』を描いたプリキュアは例えばGOプリ以降結構あるが、ここまでみっしりと時間を先に進め、少女をはみ出したプリキュアを描いたのは珍しい…と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月28日
規格外の”プリキュア”だったHUGっとらしい終わりだ。
らしいと言えば、一話に色々要素を乗せて過積載気味なのもHUGっとであり、最終話名物涙のお別れもきっちり入れ込んでいる所が『らしい』
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月28日
まぁお話のピークは前回のお花畑対談で迎えているので、しっとりと一日を過ごし、静かに分かれていく感じであったが。
トラウムおじさんは最後まで超便利キャラで、因果を修正し全てをあるべき場所に戻すテクノロジーは、全部彼から生まれてきた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月28日
ややキモい次元列車が、ありふれた土手から離れて時空を旅立っていく絵面はなかなかエモかった。そこからたった12年で、電車が空を飛ぶ未来を引き寄せるわけだが。
クライが絶望した未来が、幹部とハリーとハグたんが帰還するべき『ふるさと』であるとするなら、はな達が掴んだ未来はそことどう繋がるのだろうか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月28日
”現代”にも幼少期(あるいは壮年期)の彼らがいて、もう一つの物語を歩くのだと暗示される形で、お話は幕を閉じる。そこは隣り合った別の国だ。
一度確定した未来を巻き戻すと、可塑性によって様々に変わりうる。HUGっとが選んだのはそういう時間解釈で、やり直せる可能性を大事にした話運びから考えれば、そりゃそうだろう、という感じだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月28日
奇跡で交わった二つの時間は、別のものとして離れていく。でも、出会ったことに意味があるなら。
そういう方向性で納得しようとすると、”ルールー”を再生産するためにおそらく愛崎家の財力を相当ぶっ込んだだろうえみるのエゴとアガペが、奇妙にギシギシ軋みもする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月28日
大人と子供のポジションを逆転し、もう一度であった二人。ブラックホールのような重たい感情が横たわる。
かつてトラウムがルールーに娘の幻影を見て、それが幻であると認識しつつ”ルールー”と別個の親子関係を作り直せたように、えみるも”ルールー”の影をあの幼いガイノイドに見つつ、別の関係を作り上げていくのだろうか?
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月28日
それともジョージのように眩い幻像に瞼を焼かれ、閉じた絶望を拡大していくのか?
そのどちらの方向にもえみるの未来は揺れ動きうる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月28日
そもそも、『身体と精神を成長させるガイノイド』は新たな人類種であり、そんなものを世界に確立させた責任と可能性は重たい。
それでも、もう一度会いたかった。だから産み落とした。これまでのHUGっとは、そのエゴを否定しないだろう。
時に道に迷い星を見失って、それでも『やり直し』てこれた物語を思えば、えみるは”ルールー”が思い出の中のガイノイドとはまた別の存在であり、同時にその尊さを投影する”別の誰か”であると認識しながら、バランスを保って未来に進んでいく気もする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月28日
ドロイド技術、むっちゃ一般化してるしな。
とにかく語りきらない曖昧さで想像の余地を残すのがHUGっと式で、そこにある種の無責任さと馥郁たる余韻、両方を感じもする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月28日
出産に至るはなに当然あっただろう愛と性は、児童向けらしく清潔に切除され、妙に本気の出産シーンという結果だけが描写される。
生まれてくる子供のもう一人のオリジンである夫は(これまたジョージとの関係性を匂わせつつ)明確な描写をされず、出産にも立ち会えない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月28日
そこは女たちの聖域のままだ…という歪さを、助産師になったダイガンさんが上手く抜いていたと思う。
はなは”野々はな”のまま夢を掴んだ。ハイテンション社長YES!
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月28日
キュアエールに”変身”しなくても、時間は少女に追いつき、夢は叶う。なりたい自分に、いつかなれる。
それは夢物語だ。不安定な風と生老病死が吹き付けるモニターの外側では、いつでもそれは地べたに叩き伏せられ、へし折れる。
それでも。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月28日
あるべき、あってほしい、あらなくてはならない未来のカタチを何らか選び取って見せるのは、お伽噺の大事な仕事だ。
無論、一つの語り口は一つの結論にしかたどり着かない。婚姻も生殖も選ばない存在として、主人公たるはなの未来は帰結しない。
しかしそれはやっぱりひとつの『輝く未来』として、物語の末尾を飾るのに十分な終わりだったと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月28日
ハリーに基本任せっぱの『子供のままごと遊び』を、身重の厄介さと出産のしんどさを自分で引き受け、自分の家庭と財力で育て上げる『人生の一場面』に変えるまでの12年。
そこに多分、プリキュアはあまり介在しない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月28日
一少女が便利な変身キットを使わずとも、誰にでもなれて、赤ん坊を背負える所まで行く物語は、凄く地道でありふれていて、多分それなりに面白かっただろう。でもまぁ”プリキュア”ではないので描かれない。
でもそこにたどり着くまでの道には、”キュアエール”として見た夢、体験した戦い、成し遂げた自身が足場を固めている。そのくらいの特別さが、世界を救う変身戦士にあってもいい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月28日
辛いことも薄暗い陰りも確かにそこにはあって、でもどこか遠くで瞬く夢と記憶が、必ずあなたを助けるから。
はなが最終話でモノローグしたそんな言葉を、HUGっとを楽しんだ少女と少年はいつか、思い出したりするのだろうか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月28日
少年ならざる僕にはあまり関係のない話であるが、そうであってほしいな、と思う。そういう思いを込めて、”今”の薄暗さを貪欲に飲み込んだ(結果少しの消化不良な)お話がある。
生殖だけが人の(あるいは女の)在り方ではないと示す意味でも、全く新しい(神の領域をともすれば侵すような)えみるの”出産”を描く意味はあったと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月28日
テクノロジーの発達によって、人のあり方は変わる。今後僕らも否応なく歩くだろう道を、HUGっととえみるは少し先取りしたのかもしれない。
それは必ずしも、オールドスクールな人のあり方、古臭い倫理を否定することとイコールではない。なにか新しいものへに希望を抱けるのは、古いものを大事にした結果であって欲しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月28日
そういう意味で、いろんな形の希望がプリキュアと、それを取り巻く世界に見えた未来像は、なかなか良かったと思う。
HUGっとはなかなか不思議なシリーズだった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月28日
明瞭に現代的なテーマに野心的に切り込みつつも、どこかでフッと踏み込むのをやめて、視聴者の想像力に任せきりにしてしまう。
そういう語り口が、一話にギュッと詰め込む圧縮率の高さ、過程を描いて結果を蹴っ飛ばす独自の語り口とないまぜになる。
何も持ちえない主人公・野々はなと才気に溢れたさあや&ほまれが出会うことで物語は始まるが、サクセスを積み上げ答えを手に入れ続ける学友に対し、はなが手に入れるものは凄く曖昧で、明瞭な形にはならない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月28日
そのぼんやりとした成長が、僕は結構好きだった。大事なものは曖昧なのだ。
途中参加のえみるとルールーは、3+2の奇妙な距離感を保ちつつ、アンドロイドの自我確立と”家”規範からの逸脱を演じる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月28日
えみるの兄たる正人はもう一人の主役とも言えるアンリと交流することで、性規範からの逸脱/脱却も担当する…が、こちらも明瞭な踏み込みはない。察することは出来ても描かれない。
そこにある種の及び腰を見るか、いつか分かってくれるだろうという期待込みの種まきを見るかは、人によって判断が分かれるところだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月28日
自分的には時間帯・ターゲット層を蹴り飛ばしてでも断言してくれたほうが収まりは良かったが、この語り口にも理と優しさ、賢さがあるなとは思う。
性規範も”、家”の束縛も、相転移する希望と絶望も、HUGっとが初めて描いたわけじゃない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月28日
”児童向け”と限定した上でも、過去の”プリキュア”、あるいはプリリズだのセラムンだのどれみだのが既に踏み込んでいる。(製作者達は皆、それを世に幾度も問うて来た人物である)
何も知らず可能性に満ち溢れ、だからこそ様々なものを知るべき子どもたち。彼らに何を見せるべきか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月28日
それぞれ真剣に悩み、考え、迷って絞り出した結果は、様々に異なる。優劣もあろう。形態や内実も様々に異なろう。
でもそれは、それぞれ意味のある詩だと思う。生まれるべくして生まれたのだ。
そういうお話は大抵、現実のままならなさや薄暗さを認めた上でニヒリズムには陥らず、自分なりの答えを思い切り強がって、自分が見据えた世界を頑張って信じて、大声で”答え”を叫んでいる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月28日
その真っ直ぐで、でも何処か自分の正しさを軽く疑っているような声が、僕は好きだ。
HUGっとが完璧な答えを出したとは、僕は思わない。完璧な答えなど無いからだし、成人で男性で非戦士…”プリキュア”ならざる僕が求めるものを、”プリキュア”は完璧には応えないからだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月28日
でも、何処かに”プリキュア”足り得る可能性を背負った(からこそ、最終決戦で全人類がプリキュア化した)一人として
HUGっとが『そんなの下らない』『世の中もっと薄暗い』というニヒリズムに負けず、それでも世界はかくあるべきだと信じて世に問うたメッセージには、勝ちも意味もあったと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月28日
色々含みがある物語なので、明瞭な答えはなかなか出せない。色々噛んで含めて、自分を納得させる必要もあるだろう。
しかしその曖昧さが、各人見据える未来のカタチに”答え”を調節しうる強さと優しさにもなっている気がする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月28日
難しいお話をなーんにもわかんないまま、でも楽しく見ていた少女たちは、5年、10年先に”HUG”っとを思い出すのだろうか。現実の蹉跌の中で、かつて見た星をまた見上げるのだろうか。
少女ならざる僕には想像すら難しいけども、でももしかしたら、そうなるかもしれない。僕もまた、幾度も”HUGっと”を思い出すだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月28日
えみるとはな、作中最もヒロイックだった二人が、生身と機械二つの”出産”を果たして終わった意味とかを、幾度か反芻するだろう。
そういう余韻があるアニメは、やっぱりいい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月28日
終わってみると、第47話のさあやの言葉がやっぱり好きだ。
『私と違うあなただからこそ、出会えた意味もあった』
それは綺麗事だ。ジョージが目指したように、誰も傷つけるもののない静止した永遠を求めたほうが、多分生きやすい。
技術が世界を強制的に広げていく痛みは、今後さらに強くなるだろう。そこで生まれる摩擦は、いま眼前にあるものですら耐え難いほど強く、おそらく更に加速していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月28日
それでも。
それでも、”私と違うあなた”がいたほうが、世界は面白い。
そういう綺麗事を今言う意味は、多分大きい。
それを言いうるほどに、あの五人に摩擦があったか否かってのもまた曖昧なところで、そもそういうハードコアな摩擦を”プリキュア”が許容しうるのかとか、名字呼びからじわじわ間合いを詰めていく”ふたりは”型の語りは、今許され得ぬほどに悠長なんじゃないのとか。思うところは当然ある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月28日
そういうモノを反芻しつつも、やっぱり綺麗事のお伽噺には胸を張っていてほしいと思う人間として、とてもいいアニメだったと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月28日
現実の陰りも重たさも踏まえた上で、ニヒリズムに拮抗しうる夢を描く。堂々と、綺麗すぎる絵空事を吠える。
それってやっぱ、大事なことだと思う。
何故かそういうフィクションは子供向け専門だと思われがちだけども、ありとあらゆる創作はみな、そういう”虚無主義への抗体”みたいな力を期待され、果たしていると思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月28日
薬とおんなじで、症状と体質、年齢と状況によって処方される薬は変わるけども、あまりに行きにくい世界を鈍麻させ…
あるいは鮮明化させる薬理として、フィクションはよく効く。人が生きてきて、生き続ける上で欠かせないものだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月28日
それを初めて摂取する客層の顔をしっかり見つつ、そこからはみ出る過剰な想いをたっぷり詰め込んだこのお話は、多分良く効く薬だ。今か、5年先か、15年先かは解らないけど。
そういう小奇麗なお役目だけでなく、特に野々はなという何者でもない少女が人生の実像を、痛みを込めつつ歩きぬいて、自分なりのヒロイズムを獲得するまでのドラマとしても、骨が太く楽しかったです。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月28日
あの子が”キュアエール”ではない”野々はな”にYESと言って、その肯定が他者に広がる。
そういう未来まで臆することなく書ききったのは、やっぱ偉いしありがたいなぁと思います。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月28日
HUGっと! プリキュア、いいアニメでした。面白かったし、志が高く、色んなモノを見据え、描いていました。
次なる”プリキュア”、その次に思いを馳せつつ、今はお疲れ様を。ありがとうございました。