鬼滅の刃を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年7月8日
言葉も読めぬ、埋葬も理解できぬ。猪頭の獣と拳でじゃれ合いつつ、戦の始末は療養所。折れた肋骨が繋がるまで、一時の骨休め。
という感じの、クール合間の抜き回。全体に漂う修学旅行ムードが『そういや、この子ら十代だったな…』と思い出させる。
前回(つうか作品開始時か)からそうなんだが、展開が不要に水ぶくれしている感じがあり、もうちょいシャープに絞れんかな、とは思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年7月8日
伊之助とのステゴロはあくまでじゃれ合いの延長なのに、過剰に作画力が投入されて、まるでシリアスな命の取り合いのように思える。
伊之助の意識としては現状命の取り合いそのものであろうし、それしか人との繋がり方がない単機能性が彼の改善点なのだろうけども。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年7月8日
だからこそ肩の力を抜いてサラッと流して、テンポよく運んでいくことで今後生まれるだろう気楽な関係に繋ぐのも一つの手だったのでは…と思わなくもない。
過剰に喋る。過剰に長尺で回す。シリアスな運命が怒涛の勢いで回っている時はそこまで気にならない要素だが、鼓屋敷が終わってからは作品の特徴が悪目立ちしている感じを受ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年7月8日
この骨休めが終わり、三人で挑む初の任務が始まった時に、どういうリズムで花死が転がっていくか。結構大事な気がする。
カポエィラめいた異形の闘争は迫力あったけども、今このタイミングで頑張らんでも良いんじゃないの、とは思った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年7月8日
僕はクオリティは的確に運用されて初めて物語の中で意味を持つと思っているので、正直過剰品質だったと思う。つーか長い。”ドラゴンボールZ”の気タメてるシーンかよ。
愚痴はこのくらいにして、展開としては伊之助の異質性、それをサラッと受け流し受け入れてしまう炭治郎の異質性、気づけば常識人担当の善逸のやっぱり異質性と、変人少年三人組にクローズアップするお話であった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年7月8日
伊之助は獣である。メシは手づかみ、埋葬の意味は分からず、文字も知らない。
そんな彼が持てる言語は”暴力”だけであり、力の強い弱いだけが世界を理解するものさしである。そこには優しさがない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年7月8日
炭治郎は伊之助の暴力言語に乗っかりつつ、不足している優しさを過剰に叩きつける。伊之助にとって異文化である”優しさ”だけでなく、理解可能な”強さ”でも上を行ってるのがミソか。
善逸は刃を抜かないことで強さを見せたけども、炭治郎は頭突きでマウントを取り切ることで場を収めた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年7月8日
必要とあらば、迷わず暴力を行使できる強さ。そこからシームレスに、日常的な優しさ、長男としての面倒見に帰還できる所が炭治郎の特質であり、異質でもあろう。
家族を皆殺しにされ、妹を鬼に変えられても、炭治郎は人であり続ける。家父長制に躾けられたとおり”長男”であり続けようとする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年7月8日
幸福な家庭と一般的な社会が、炭治郎に貼り付けた人間の皮。伊之助の毛皮と違い、それは剥がれない。少なくとも、簡単には。
鬼を巡る殺し合いは、人間性を引っ剥がされてもおかしくない状況だ。人をやめたほうが、鬼は殺しやすかろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年7月8日
しかし炭治郎は幾度目かの埋葬を行い、さっきまで殴り合ってた相手と同じ床で寝て、同じ釜の飯を食う。人で居続けるスイッチが常時入り続けている。
それは結構異質なことなのだなと、善逸がなかなかスイッチコントロール出来ない状況を通して感じた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年7月8日
ここら辺、”正しさ”の権化・鱗滝さんとの修行や、物言わぬアウトサイダーたる禰豆子とのふたり旅では見えにくかったポイントかな、と思う。善逸がワーワー喚くことで、静かな炭治郎が際立つ、つうか
長男らしく、朗らかに腹ペコ末っ子にメシを譲る姿は、今後伊之助に獣性ではなく人間性を教えていくことが、チームのミッション(の一つ)であることを教える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年7月8日
果たして、伊之助は人であることを学べるのか。強さ・弱さ以外の判断基準、敵以外の存在を世界に追加できるのか。
炭治郎は根源的に”強い”子なので、皮膚感覚で人間の弱さがわかりきらない部分があると思う。善逸が時に苛立つほどに弱味噌なのは、主人公が救いきれない業を拾う仕事が、今後相棒になっていくだろう彼に約束されているからかな、とも感じた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年7月8日
闘いの合間の、戦士の休息。色々見える。
炭治郎は鬼にはけして堕ちない子供だけども、鬼に落ちてしまう人間の脆さをしっかり見ようとしていて。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年7月8日
それはとても偉く尊いことなんだけども、崖の向こう側で安全を確保しながらの憐れみでもあり。
善逸はいつでも、崖から落ちれるダメ人間だ。だからこそ、身を浸し鬼の哀しさを知れる。
修学旅行ムードが凄い療養所の掛け合いの中で、何かそんな”形”が見えた気がした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年7月8日
それが形になるのはやっぱり、血みどろ業まみれの鬼滅戦の中だけなのだろうけども。子どもたちはとても頑張って闘ったので、今はたっぷり食べてたっぷり休んでほしい。
同年代・同性の友人(…?)と肩を並べて、ワーワー騒ぐ三人を見ていると『やっぱ子供なんだなぁ…』という当たり前の感慨が、じんわり染み込む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年7月8日
鬼と行き合わなければ、平和に生きれただろう子供。当たり前に笑い、当たり前にぶつかり、親と社会と家に保護されるべき柔らかな存在。
それが戦場に立つ悲壮と壮麗は、やっぱ当たり前の瞬間をちゃんと描かないと見えてこないわけで。作品がバトルムード一色に染まるのを回避する意味でも、いい休息だったと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年7月8日
まぁユーモアのはさみ方が巧いので、そこまで殺伐一色にはならんのだけど。地獄であろうと、人は笑う。笑えてしまうのだ。
しかし藤に守られた”家”では、のんきにメシ食ってのんきにじゃれることが許されている。それは一瞬の夢でしかないが、大事な夢だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年7月8日
善逸くんが禰豆子ちゃんを気に入ったようで良かった。あの子も、あの子の兄も色々大変なんだ…仲良くしてやってくれ…。
折れたアバラがくっつけば、また戦いが始まるだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年7月8日
今回のキャッキャで少し仲良くなった三人が、闘いの中でどういうコンビネーションを見せるのか。当たり前の平和と、血みどろの闘争はどう繋がっているのか。
穏やかな景色の後の怒涛が、どう僕に響くか。来週も楽しみですね。