荒ぶる季節の乙女どもよ。を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月2日
人は皆、箱に己の運命を載せて彷徨う旅人。少女たちの思春期は加速し、衝突を繰り返しながらガタゴトと進んでいく。
膨れ上がった疑念に押し潰されたり、実はヤバかった男の本性に戸惑ったり、晴れた屋上に恋を撒き散らしたり。
孤独な密室が肩を組んで、今日も征く
そんな感じの青春群像劇、第5話である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月2日
少女たちの胸中に膨らんだ顔のない感情は、暴れ狂う怪物のように肥大化し、時にすれ違い時に衝突しながら、己を探して彷徨う。
お互い全てを晒しているようでいて、それぞれ孤独でもある不思議な存在。人間を持て余す生き様が、今日も元気である。
このお話は文芸部GONINの群像劇なので、それぞれのストーリーが絡み合いつつ、個別に進む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月2日
冒頭、菅原氏と泉が共有する電車の良さ…『それぞれの人生を乗せた箱』というイマージュが、エピソードを貫通して面白い。
それはパブリックな場所でありつつ、各々の事情に深く入り込むわけではない。
同時に人生をすれ違うものとして、他人の箱の中身は気になるもので思わず覗き込む。それを拒絶したり受け入れたりしながら、自分は疾走する箱の中でどう振る舞うのがいいのか、いろいろ考えていくわけだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月2日
そこには孤独と繋がり、解放と閉塞、友愛と戸惑いが同居している。
『女神様みたいだね!』と勝手なイメージを押し付け、年少組でキャッキャ盛り上がる脇では、菅原氏が泉と個人的な過去を共有する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月2日
彼女も性と恋、特別に思えそうな誰かとの距離感に悩みつつ、当たり前の人間をやっている
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異性のことはよく分からないと言いつつ、揺れ動く人間・菅原新菜のことはなんとなくのイメージで『近寄りがたい』と踏み込みきれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月2日
むしろその境界線は、(先週の本郷と同じく)点字ブロックの前で立ちすくむ脆さは、異性である泉の方に共有されていたりする。
同性の友達だから全てを預けるわけではないし、性対象だから必ずドキドキするわけでもない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月2日
一対一の個人が向き合い、繋がる中で確実に影響を及ぼす”性”なる属性、あるいは実相。
その多彩をスケッチする筆が、今回も元気である。
とりあえず、人がいない場所でこそ褒めるもーちんはいい子。
菅原氏がクールぶってるのは、自分の顔を嫉妬してくるクソアマへの防衛反応ってのもあって。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月2日
文芸部の仲間はそういうことはしねぇ。女神様と持ち上げるのもまぁ、相手の顔を見ていないけれども、嫌な感情で引きずり下ろして、自分と同じレイヤーに引っ張り込もうとはしねぇ。いいダチだ。
両手を広げてキャッキャするシーンのアホっぽさが妙に可愛いが、それも知らずと本郷とミロ先生の危険な密室とすれ違う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月2日
そこには作家としての矜持、傷ついたプライド、加速する興奮が入り混じって、鏡に乱反射している。
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本郷ちゃんのえっち力がガンガン上がって、四回ぐらいスカウターがぶっ飛んだけども、ミロ先生は教え子の涙を車内でしっかり見据える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月2日
電車という公共交通機関とは違う、二人だけの閉じられた社会。だからこそオープンに出来る感情と、それを受け止める関係性。
そこに”お縄”というリアルに社会的な要素が絡み、教師と教え子の秘密はどんどん捻れていく。捻れていくが、それが唯一で本当の関係だということもまた、嘘ではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月2日
誤解と衝突から始まった二人の関係は、なかなか面白いシェイプになってきた。部員にも見せない年相応の涙を、ミロ先には共有しとるね
電車の外側(和紗、もーちん)―扉越しの視線→電車の内側(菅原氏、泉)―女神様のイメージ→橋(和沙、もーちん)―ミラーに反射する他人の目→車内(本郷、ミロ先生)と、モチーフや視覚を共有しつつもすれ違い、各々の物語が並列で疾走している感じの演出が、上手く先週から連続している。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月2日
それぞれがそれぞれの物語の主役であり、同時にお互いが登場人物として関連しあっている群像劇の面白さを際立たせる書き方であるし、どれだけマブでも完全には大事なものを預けきれない弱さと不思議、尊厳を大事に進めている感じもある。非常に面白い運び方だと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月2日
年下組がのんきに見上げる”女神様”は、個人に刻まれた傷を泉と共有する。ドリンクと一緒に、ヤバい少女崇拝者への複雑な感情を吐露していく。そらー泉もドン引きだわ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月2日
世間がアピールと認めない、幼い少女性。それこそが男の崇拝である。
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幼い菅原氏にとって、逃避先でしか無い文庫本を取り上げて、同じ目線(より下に入って)で向き合ってくれた存在。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月2日
しかし彼が求めるものはあくまで、抽象化された”少女”であって菅原新菜個人ではない。時限性の特権が剥奪され、社会一般に認められる価値へと脱皮してしまう”わたし”を、少女は憎む。
クールに完璧に乗りこなしているように見えて、菅原氏も個人的な体験と感情を(当然)持て余している。毎回グネグネ煩悶している和紗と、根っこの部分は同じである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月2日
しかしその当たり前を共有する特別は、運命の流れでマブダチではなくマブダチの恋人候補、泉に与えられる。
人生は不可思議である。
揺れる感情をマドラーでかき回しつつ、菅原氏は己のヰタ・セクスアリスを紡いでいく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月2日
未だ薄い胸板に男を引き寄せても、というか少女性に反するその誘惑を目の当たりにしたからこそ、男は凄い勢いでバクステこすり始める。天使に性欲はないッッッ!!!
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ここでテキトーぶっこいて少女性を搾取する安全圏ではなく、自分のナボコフ的少女崇拝を惜しげなくさらしてくる辺り、演出家先生結構真面目だなぁ、と思う。いやまぁたちの悪いペドだけど。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月2日
とっとと処女じゃなくなれば、このアンバランスな崇拝と嫌悪の綱渡りも終わる。楽になれる。
菅原氏の『セックスしたい』爆弾の真意がわかってくる対話だが、それは泉との個人的経験であると同時に、オープンカフェで社会に開かれた営為でもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月2日
時に嫉妬を呼ぶ菅原氏の美貌と、あけすけな体験談のヤバさは、人目を自動的に引くのだ。
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しかし見守るだけのギャラリーは、菅原氏の内部に蓄積された煩悶に影響を及ぼすことはない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月2日
それはあくまで対面、相手の顔を見て同じ飲み物を飲み込む一対一の距離感で動いていく。和紗も知らない胸の内を受け取り、スルリと菅原氏から泉へ、大事な真実が溢れていく。
泉の純情アクションが毎度可愛い
想い人がかなり風通しの良い異性間友情を育んでるなんぞ、一切知らない主役は親友と絆を確認し、別れていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月2日
しかし携帯電話という『人生を乗せた密室』は、そんな親友もまた恋に接近してると見せて、もーちんも意志と尊厳を持った一個人であると教える
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親友ごっこってわけではなく、その結びつきはすごく真摯で本物なのだけども、結局は他人(というか”非自分”)、知らないことも当然ある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月2日
もーちんと杉本くんが演じるありふれたすれ違いから、和紗は切断されている。あるいは、和紗と泉が触れ合う幼馴染の間合いから、もーちんも。
それで良いのだ。一部が触れ合いつつも、その全てを預けるベッタリした間合いではなくてもいい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月2日
一部を支え共有してもらうからこそ、複雑怪奇な世界と自分が少しずつ分かっていく時代を、なんとか生き延びられる。
人生のかけらでも支えてもらえる人と出会うのは、かけがえないことなのだ。
杉本くんの生っぽい良い人気取り、気遣い溢れるようでいてスゲーナイーブな部分を土足で踏み荒らしてくるヤバさは、岡田麿里の真骨頂と言ったところ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月2日
いるわー、こういうの…外面だけ見て『アタリ』とか言っちゃってゴメンねー…。https://t.co/XMcO7AwRHB
ってなるかどうかも、しっかり踏み込んで顔を見なきゃ分からんのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月2日
もーちんが初めて向き合った”異性”は、キメェし疲れる。しかしそれが杉本くんの全てで本性なのか…そも、”本性”なるものは存在しているのか。
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その答えはもうちょい、ため息つかないと見えなさそうである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月2日
電車はそれぞれの人生を乗せる箱。『キメェ』言われたと勘違いするバカップルにも、抱擁するだけの物語があるのだろう。
しかしそれは、必ずしも全ての人に共有されるわけではない。相手を選び、思いを預ける。その難しさと面白さが疾走る
今回もーちんが当たり前の少女のように、うぜぇきめぇとため息を付き、無神経な男の子に傷つけられるシーンがあったのは良かったと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月2日
ただの”和紗の親友A”ではなく、彼女も自分なりの価値観と人生を背負って思春期を歩く。人生色々あるし、親友だろうとそれを共有はしきれない。
孤独であることを全否定せず、ある種の宿命と受け入れた上で触れ合いの意味、親友なり恋人候補なりが隣りにいてくれることを静かに祝いでいるところは、このアニメの良いところだな、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月2日
ベッタリ癒着するより、風通しがいい感じがする。今後どうなるか判らんけども。
一方和紗の方は穴に指が差し込まれる仕草だけで赤面しきり、相変わらずの性獣っぷりである。メタファー!!!
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月2日
泉は幼馴染に自然な気遣いを見せ(杉本くんとの対比!)、しかし菅原氏から受け取った新しい関係性にはなかなか踏み込めない
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ここは根っこに気遣いがあるので、ジリジリ寄りつ離れつ、関係性を構築していけばいいと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月2日
菅原氏が優秀なメンターなので、型に嵌めて異性を理解したつもりになる落とし穴は、ハマり切る前に泉、上手く抜けれているし。
女にも性欲はあるし、それを完全否定されると自分を拒絶された気持ちになる。
菅原氏は個人的な体験をオープンにすることで、世界の真実(の一つ)に体温を載せた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月2日
そういう明け渡しがないと、真実だと判っていてもなかなか実感がない。実感がないと、真心のある行動には結びつかない。
泉にとっては得難い接触なのだが、それは和紗のドギマギを加速させもする。複雑怪奇だ。
ドギマギはもう一つ窓の外に控えていて、ミロ先は本郷ちゃんの涙をモニタ越しに受け止め、エロティックな秘密へとドガドガ踏み込んでいく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月2日
あまりにもヤバいエロス爆弾、身を交わしても良いところなんだが、ミロ先は正面勝負ぶっ込むなぁ…
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脂っこい親父レトリックではなく、心と体の内側から溢れてくる体験を言葉に変えていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月2日
ミロ先のサディスティックな指令は、本郷ちゃんが知らなかった自分をメリメリ脱皮させ、不可逆の変化をガンガン引き起こしていく。それが言葉になった時、作家・本郷ひと葉が生まれるのだろう…か?
眼鏡の奥に相当屈折した性欲溜め込んでるミロ先が、ここぞとばかりにリビドーぶっ込んでるだけ、とも取れるしな。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月2日
とまれ、五人の中で一番エロティックに接近している本郷ちゃんが、今後どんどん”ヤバ”に接近していくのが楽しみです。ガッハッハー、バレたら一発免職だな!!
そしてどんじりに控えし曾根崎パイセンが、紋白蝶のように恋を追う。あの時屋上で手渡された光を、五人それぞれの立場と角度から見上げている。文芸部は青春のシェルターとして、静かにその震えを包む『人生を入れた箱』である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月2日
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赤字で添削した恋文レポートの最後に、刻まれた受容の印。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月2日
見られたくない、でも見られたい。この後待ち構える光に怯えつつも、立入禁止領域にあえて踏み込み、何かを掴んだ少女の表情。
頑張れパイセン、アンタが一番主人公だ…ッ!
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ドタバタ生臭い掛け合いをやりつつ、HoneyWorksど真ん中の甘酸っぱい青春絵巻もしっかりこなす。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月2日
このお話らしい力強さで次回に続く、である。
それぞれが見据える青春の荒野と、かすかな光。触れ合いつつも別れ、切断されつつ繋がっている友情と恋の不思議。作品の表情がより濃く見え、非常に面白い
菅原氏のパーソナルが公開されたことで、五人それぞれの歩む物語が見えてきて、群像劇としてのフレームが鮮明になりました。手堅い中盤、って感じだな。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月2日
ここからどう転がしてくるか。どのルートも独自の面白さ、そこでしか描けないテーマがちゃんとあるのが、先への期待を煽ってきますね。
ミロ先のハードコア文芸プレイは、本郷ちゃんの荒ぶる獣を躾ける教導たりうるか。ヤバい深みにズブズブハマるか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月2日
菅原氏の屈折した想いは、一体どこに行き着くか。泉との友情は吉と出るか凶と出るか。
わがままフェアリー曾根崎は、掴んだ恋をどうぶん回すか。まーた自意識大暴走を見せるのか。
けして天使なんかじゃないもーちんは、等身大の自分を”男の子”とどう向き合わせていくのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月2日
そして和紗はメタファーの海の中で、どう性欲に名前を付け、変化していく心身と関係性に向き合っていくのか。
次週、文芸部合宿。ぜってぇろくな事にならない未来に、胸がワクワクであります。来週も楽しみ。
追記 サブタイを引き受ける形で、少女たちが変わったとしたらそれはやっぱり”非自分”に向き合ったからな気はする。
ここで”非自分”と言っているのは、このアニメOPで『男の子は宇宙人』といいつつ、同性の友人も、自分自身ですらも不明な霧の向こう側にあって、よく解かんねぇ距離感で取っ組み合いしているからだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月3日
自分の中にいる、輪郭の曖昧な獣。今までの自分と違う、不可思議な存在。
それとも闘わなければいけないのが思春期であり、そんな闘争が激化するのは否応なく自意識と世界が広がり、サッパリ分からない異性/他人を自分の中に取り込む(取り込まざるを得ない)時代だからである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月3日
性別(あるいは”自分”)という共通点があったところで、判らんものは判らんのだ。
その上で、切り離されて思える非自分(”宇宙人”)がどうしても気になって、無視はできない存在であり、分かってる(つもりの)慣れ親しんだ(つもりの)自分を支える不可決存在である真理を、これまた否応なく知っていく時代でもあるからだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月3日
一番目立つのが恋であり、異性であるからといって、他の感情(例えばもーちんへの友情、菅原氏への神格化)や関係性(例えば文芸部の奇っ怪なフッド感)が消えてなくなるわけではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月3日
男と恋愛だけが人を孤独にするわけでもないし、そこ以外にもたっぷり誤解と無理解は埋まっている。
その上で、いろんな形の”非自分”とガタピシ付き合っていくと、結構面白い物語が編まれていくんじゃないの?(そしてそれが、荒野をちょっと生きやすくするヒントなんじゃないの?)というのが、このお話のスタンスな気がする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月3日
その横の広さが、妙な風通しの良さを生んでもいると思う。
そういう意味で、群像劇として五人それぞれの物語が連動しつつ転がって、それぞれ共鳴しつつも尊厳を込めて独立している今回の構成は、作品のコアをガツンと撃ち抜いた感じがある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月3日
(自分の中の他人含め)他人は判らん。繋がれん。その前提から荒野の”先”が始まっていくのだ。