ヴィンランド・サガを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年11月17日
雪原が、赤い血に染まる。渦を巻く暴力の只中で、投げかけられる問い。
真の戦士とは。真の愛とは。
刃を握って口ごもるもの。鶏鳴とともに、夢から覚めるもの。
クヌートは豁然と、王たるべきものの責務を悟る。
愛なき荒野に、せめて生きる意味を。
そんな感じの、北海皇帝覚醒のエピソードである。ヴィリバルドとの問答は抽象度が高いが、キリスト者が父なる神を捨てた上ですくい取る、悟りの物語と言える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年11月17日
一方、吹雪の迷妄の中なーんも見えないまま、刃をぶん回し答えに詰まるのがトルフィンサイドである。同じ貴種の子だが、道は正反対ねぇ…。
今回のお話は闘いのただ中にあるトルフィンと、闘いを観察対象に置いたクヌート、二人の子供が問いを投げかけられるエピソードだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年11月17日
闘いと愛の真実を問うてくるのは、年経た男性…”父”であり、それは生と死の国、愛と闘いの国両方から手を伸ばしてくる。
トルフィンの場合は実在のトルケル、不在のトールズに向き合い、答えは出ない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年11月17日
『真の戦士とはなんぞや!』
かなり真剣に答えを求めているトルケルの什麼生は、説破とは返されない。戦場で戦を忘れれば、待っているのは刃だけだ。ビョルンのようにね!
一方クヌートは実在のヴィリバルド、不在のラグナルに問われ、また見捨てられることで己の天命、世界の実相をかつ膳と悟っていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年11月17日
年表に刻まれた、大北海帝国樹立の宿命。王として無明の衆生を率い、愛なき世界に生きる意味を打ち立てる定めに、クヌートは堂々と向き合う。
覇王、覚醒の時である。
生々しい血と欲の世界と、静謐で残酷な思索の世界。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年11月17日
一見相矛盾するポジションを、二人の子供は占めている。しかし現実と理念は太く繋がっていて、原罪の自覚、”父”に見捨てられているという覚悟が、王たるべきクヌートに行動を促す。
刃を握るトルフィンは、そこを冷静に切り離し、あるいは繋げない。
荒々しい闘争の霧の中で、当事者として迷うか、観察者として導くか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年11月17日
父に見捨てられた、高貴なる一族。出発点と『問われる』という立ち位置は似通いつつ、クヌートとトルフィンの道筋は今回、大きく隔たった。
この分断が、何を生み出すのか。ここは楽しみなところだ。
さて、人々は闘いの渦中にいる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年11月17日
トルフィンは斧の嵐に身を投げて、自分の望むものを手に入れんと奮戦する。戦士としての証に、生粋の”ヴァイキング”たるトールズはシリアスに呵々大笑する。
そこに勝機を見出すしか無い、矢傷のアシェラッド。
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かつて偉大なる”父”だったものが、矢を受けてひれ伏す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年11月17日
トルフィンの運命を歪めた、トールズの死にアシェラッドの現状が擬されているのは間違いないが、同時に憧れのアルトリウス、彼をモデルにしたアーサー王とも重なる気がする。
石に突き立った剣を、結局抜けない男。王たるべき宿命を持たないもの
そんな男を生かして殺すために、トルフィンは必死に戦う。その必死さが、思索を遠ざけもする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年11月17日
戦う意味は、どこにあるのか。お前の父は、何にたどり着いたのか。
それは戦場のペテンではなく、かなり本気の問いかけだったと思う。何しろお頭、真っ直ぐな人だから…。
オヤジのたどり着いた不戦主義を心から飲み込めてるなら、短剣握ってアシェラッドの首は狙っていないわけで、トルフィンはその問いかけに答えられない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年11月17日
心を乱す偽計であると、戦場の現実に目を向け直す。”普通”である。
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戦場において刀槍を忘れ、死を前にして生を手放す。理念のために、己の命を惜しまず投げかける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年11月17日
そういう境地に達する人は、非常に少ない。答えにたどり着いたトールズに置いていかれたからこそ、トルケルは今でも、真剣に『真の強さ』を探しているのだろう。
この息子ならば、霧が晴れるかも知れない
一縷の希望をいだいて投げかけた問いは、短刀握った現実に切り落とされてしまう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年11月17日
トルフィンが”答え”にたどり着く道は、まだ遠い。主役は大変だな…。
愛すべき立派な戦士であり、戦士でしかないトルフィンを確認して、トルケルは蹴り飛ばす。
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一人だけ超武闘伝やってるのマジズルいけど、生粋の”ヴァイキング”として積み重ねた暴力、戦が渦を巻く現実に最適化された戦士の実力は、子供の奮戦を容易に、圧倒的に跳ね除ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年11月17日
闘いの渦中で、一瞬だけ俯瞰の視点を得れるとすれば、それは死の間際に近づいたときだけ。皮肉なジャンプだ。
トルフィンが真実向き合わなければいけない、闘いと生の意味。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年11月17日
これを真剣に扱ってくれるのが”敵”たるトルケルしかいないというのは、誠皮肉で不幸である。
アシェラッドは仇だし、そういうシリアスな問いかけは『なんちゃって』ではぐらかすからな…。
殺し、殺され、奪い、奪われる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年11月17日
永遠の繰り返しからトルケルは出ない。その果てにあるヴァルハラにこそ、彼の救いはあるのだ。
だがそこから飛び出していったトールズに、強い憧憬を抱いてもいる。
俺よりも強かったあの男は、何を見たのだろう?
頑是ない疑問を、蹴り足に乗せて問う。
それは既に、明瞭に描写されている。しかしトルフィンは忘れてしまっているものだ。そうじゃなきゃ、復讐鬼になんぞなっていないのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年11月17日
父がたどり着いた場所を思い出し、それを超えて世界に答えを刻む。物語の主役として、トルフィンが辿らなければいけない道は、まだまだ長く険しい。
一方クヌート王子は、死の安らかな眠りに接近し、闘争の子守唄を拒む。ビョルンの奮戦は、修羅界の雑音である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年11月17日
求めるのは白い安らぎ、一瞬の夢。
それが夢でしかないことを、悟ってしまえる英明。それがクヌートとアシェラッドを別ける一線か…。
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アシェラッドにとって、母の語るアヴァロンは世界で唯一の救いだった。そこにたどり着けば、全てが贖われる夢を刻み込まれ、母なる呪いに従ってウェールズを守る。
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そういう凶暴な夢は、クヌートを前に簡単に醒める。死人の愛で自分を縛り付ける道を、後の英雄は歩けないのだ。
それでも、愛着はある。
当たり前の幸福を夢見、農夫のような愛情で王子を包んだ。王たるべきものの孤独、それに耐えうる強さを育めなかった。
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ラグネルの幻影は、己の未熟を詫びる。
それでも綺麗で温かい夢だから、ずっと浸っていたかった。
少年の慟哭が、幽明境に木霊する
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常春の国に、実る愛の果実。それは後に、原罪の証として投げ捨てられる。林檎の図象学は、アシェラッドが夢見るアヴァロンにも伸びていて、なかなか面白いモチーフだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年11月17日
愛に満ちた優しき世界。罪に塗れた人にとって、それは一瞬の夢でしかない。
虚しさに取り残された王子は、産声をあげず目覚める。
瞳を開ければ修羅の巷、黒髪逆立つ荒武者の地獄。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年11月17日
ビョルンの荒い吠え声、暴力の雑音を背景に聞き流して、クヌートはヴィリバルド師と向き合う。
あまりに強く神の国を求め、それ故迷い、悩む男。天界につながるヤコブの梯子は、彼にとりあまりに遠い。
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この二人の会話は、キリスト者としての世界観、宗教知識を前提にしているのでかなり分かりづらい。
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真摯に祈ったればこそ、ヴィリバルドは無力な己を呪い、人間を突き動かす愛という名前の業に絶望する。
問いに答えが帰ってこないのは、トルケルと同じ立場やね。斧の代わりに、酒で疑念を紛らわすのだ
十字架にキリストの犠牲を捧げてなお、赤く染まるしか許されていない世界。誰かへの愛が、誰かの血を必ず必要とする人の宿命に、クヌートは目を開いていく。
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夢に見た暖かな温もりも、等しく愛ではない。その寂しさを、静かに抱きしめていく。
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淡雪のように虚しく消えていく、誰かを思う心。
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血縁、地縁で繋がった顔の見える相手を愛せるということは、そこからはじき出された誰かを迷わず殺せる、ということだ。
罪に塗れた人の在り方は、その虚しさのただ中にある。
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ラグナルの夢から覚め、冷たい世界に手を伸ばす。自分の指を、その冷たさで赤く染めていく。
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あまりにも美しい世界の理は、生きて死んでいく人の愚かさと夢に、一切関わりがない。
世界から切り離されてしまっている人間の孤独と原罪を、王子は痛みとともに握りしめる。
アヴァロンの林檎も、エデンの知恵の果実も、ラグナルと歩いた春の農園も、全ては虚しい夢。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年11月17日
我々は血に塗れて世界に産み落とされ、死体をおもちゃにし指輪を奪う愚者としてしか、この荒野を歩けない。
その事実を、目覚めた子供は冷厳と睨みつける。
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兵士が奪う指輪は、愛する妻の指を飾るかも知れない。
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原理的に一切の区別をしないはずの愛が、個人的物理的な限界に制限されざるを得ない人のリミットを、クヌートは肯定する。
人はそのようにしかあることが出来ない。神なる”父”が望むように、完璧にはなれない。死体だけが、愛を世に蒔く。
実際愛を貫いて、物言わぬ躯になったトールズ父さんのことを考えると、ヴィリバルド師の一見ニヒルな世界認識には一貫性がある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年11月17日
殺し殺される巷で、それでも愛を貫こうと思えば、誰かの刃に倒れるしかない。
その極限点に、後の皇帝は堂々と立つ。独坐大雄寶の趣があるね。
吹雪の中、何も見えないまま愛に溺れ、死を撒き散らす。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年11月17日
狂戦士としてしか生きれない動物に、王権の導きを授ける。それが現世の王国として、虚しく消える未来と知りつつ、クヌートは神の子ならぬ人の矛盾を、愛すると決めたのだ。
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父の温かい夢から覚め、人の矛盾を前に目覚めたクヌートを、ヴィリバルドはじっと見つめる。少年がどんな答えを出すか、期待と絶望を込めて睨みつける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年11月17日
トルケルと違って、その切望に奇跡は答える。狂乱した獣は抱擁を受け入れ、理性を瞳に取り戻す。
神なき世界に、人の夢を。
戦士たちに、理想に殉じた死に様を。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年11月17日
クヌートはラグナルとの離別、ヴィリバルドとの対話を経て、王才を一気に開花させる。
目指すべきは、せめて意味のある生と死。世界の形を一切理解しない”ヴァイキング”を率い、人が生きるに足りる国を起こす。
その決意が、獅子の瞳を輝かせる。
しかし信仰者たるヴィリバルドの驚きは、後の覇業にはない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年11月17日
獣としてしか生きられない人が、人の人たる証を取り戻した。殺し殺される狂乱のカルマから、ビョルンが帰還した。
精神の復活こそが、進行の絶望を癒やす奇跡の証明となる。
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クヌートは己が正気を取り戻させたことで、ビョルンが深手を負った現実を気に留めない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年11月17日
人は獣であることでしか、現実の刃に対応できない。マトモになったら死ぬ。そんなのは当たり前なのだ。
それを飲み込んだ上で、神に見捨てられたこの荒野でどう活きるのか。どう活かすのか。
自分が見つけた世界の真実を、王権拡大の戦の中で世に広げていくことでしか、死ぬに値する生は与えられない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年11月17日
ならば、一つ一つの生き死に、喜びと哀しみに縛り付けられる贅沢は、王者には許されないのだ。
ただ立ち、進み、死に場と生き場を用意する。立って息をする理想の旗印として、王権を為す。
それが、死者たるラグナル、生者たるヴィリバルドに対してクヌートが返した答えである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年11月17日
ビョルンという狂乱の暴力装置が、戦場のリアルから彼らを遠ざけてくれたからこそ、王子は大悟出来た。北海皇帝という史実に繋がる、非常に強靭な自我を確立出来た。
トルフィンの迷妄と当事者性に、面白い対比だ
史書に約束されている通り、クヌートは今回手に入れた悟りを現実にしていくだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年11月17日
死ぬに足りる理想を、迷える諸衆に与えて導き、その死体の上に北海帝国の旗を突き立てるだろう。
そしてそれは、一代で終わる儚い夢だ。デーン朝はノルマン朝ほど、完成された統治機構たり得なかったのだ。
それでも、愛された思い出と、愛を血で汚してしまう人の業を抱きしめたからこそ、覇王は目覚めた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年11月17日
髪のいないこの世界、愛を体現できない人間の限界に、生きるに値するものを掴み取るべく、血まみれの道を恐れず進むと決めた。
厳しくもたくましい、ひな鳥の巣立ちである。
己を導くアルトリウスの再来を求め、”父”を殺したアシェラッド望み通りの展開であるが、彼の生き死には復讐者たるトルフィンにかかっている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年11月17日
その生死がどこに流れ着くかは、冷酷に悟れる戦場の外側ではなく、カルマの渦中にこそあるわけだ。
さーて、こっちはどう決着するかなぁ…。
王は個人の生き死にに縛り付けられない。悼み、愛しつつも、『それがどうした』と振り捨てられなければ、人間に権力の象徴など務まるものではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年11月17日
クヌートは子供時代を置き去りに進む。柔弱な頼りなさ、誰かを個人的に思う優しさは、もう顔を見せることがないだろう。
それは合理だ。何しろ、一大帝国を成し遂げる運命が待っているのだから。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年11月17日
同時に一個人としての幸福を投げ捨てる決断でもあって、少し寂しくもある。”公”の答えをクヌートが掴み、”私”の答えをトルフィンが掴んだ上で、北海帝国と西方植民、二つの共同体が止揚する構造…なのかな?
まートルフィンはオヤジの生と死も、トルケルの問いかけも、アシェラッドへの執着も、なーんも答えが出せない吹雪の中だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年11月17日
血まみれのカルマの先にしか、掴み取るべき未来がないのだとしたら。愚かに戦い抜くことも、また必然なのだろう。寂しいことだけどね。
来週も楽しみ。
追記 年輪のように積み重なる、歴史のスケール。その全体を把握できないまま、今ある生を生き抜くしか無い人間の矮小と尊厳。このサイズ比が、作品全体の奥行きを生んでいるわけだ。
ヴィンランド追記。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年11月17日
愛は悪に通じ、人は神から見放されている。
この認識で立ち止まり、アルコールに逃避したヴィリバルドに対し、クヌートはそれを認めた上で人の為しうること、理想に満ちた楽土建造に己の宿命を見出す。
彼にとって絶望は出発点であり、足を止めるゴールでは無いのだ
この活動主義が、王たるべきものとそれ以外を別ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年11月17日
アシェラッドは母から継承したアヴァロンの夢を、現実に引き寄せる方策を思いつかなかった。
トルケルもトールズの見つけた”真の戦士”に、憧れつつ答えを得ない。
霧の中”ヴァイキング”であり続ける大人と、道を見据えた子供の対比。
旧世代の停滞をしっかり描けばこそ、クヌートの覚醒はカタルシス足りうるわけだが、そんな彼もまた現実の桎梏に足を取られ、理想への歩みを止めた”大人”になっていくだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年11月17日
延々と業の上で足踏みを繰り返しながら、同じものが積み重なる。ヴィンランドは遠い。
復讐心に凝り固まって、トルケルの問に答えも、目指すべきヴィンランドの兆しすら掴めていない、今のトルフィン。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年11月17日
彼もまた、アシェラッドを筆頭とする”大人”の停滞を乗り越えて、新しい岸辺を見つけられるか。そこにたどり着くまでに、アニメは何クール必要なのか。
結末が気になるものの、その過程…迷走と覚醒を繰り返す人の営みそれ自体が、強烈なドラマであり思索でもある。年表に『一代の夢』として刻まれる偉業、その途中経過でしかない物語が、見ていて非常に面白い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年11月17日
このシンプルな腕力が、このお話の力なのだろうなぁと思う。結論だと追うと悲惨なのよね…