ヒーリングっど♥プリキュア 第22話を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月14日
人として生きるには、あまりに純粋な祈りの精霊、風鈴アスミ。
強すぎるラテへの愛は重荷となり、拒絶が心を苛み体を砕く。幼子よりもなお脆く儚いその在り方に、只人たちはどんな手を差し伸べられるのか。
さぁ、”好き”を勉強する時間だよ!
という感じの、アスミちゃん奮戦記第二弾(講師:沢泉ちゆ)である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月14日
テアティーヌ様の地上代行として、ラテへの愛で細胞が満ちてる(NOT 比喩)アスミちゃん。
でも生身の存在と向き合うには、他人にも自分にも思いが純粋すぎる。
そんな不器用を、背の低いお姉ちゃんたちが見守る話だった。
”好き”は人間を活かす最大のエンジンだが、時に苦しく、時に暴力ともなる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月14日
その危うさを見据えた上で、どう誰かを”好き”でい続けるのか。
アスリートとして自分の”好き”と苦闘するちゆ、歪んだ愛の影としてのシンドイーネと、脇役を上手く使った話作りがグッドでした。
道徳の時間に流すような直球人倫話を、プリキュアでやってくれるのが好きなんですが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月14日
今回はアスミちゃんが自分で答えを見つけられるよう、ヒントを出しくじけぬよう支えつつ道を作るちゆの、姉であり友であり先達であり教師でもあるような在り方が、アスミの歩み以上に善かっです。人間が太い。
というわけで、自分だけの部屋を用意してもらったアスミちゃん。でも大事なのはラテ様で、早速自分の領域に独占しようと引き込む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月14日
アスミちゃん登場以来、ラテ様が結構面白い顔するようになったの、密かに楽しいポイントですね。『何だオメー』って表情だ。
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ラテ様は子供であり動物なので、聴診器使わないと言語でのコミュニケーションは出来ません。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月14日
アスミが”好き”を知っていく今回、その対象であるラテはあくまで、その心の中を言葉にはしない”他者”として存在している。
思いが完全に通じ合うなら、”好き”もすぐさま万能薬になって、何でも解決する。
でも人間(精霊と動物だけど、この言い回しで良いでしょ)には必ず断絶が付きまとい、お互いのことなんて分からないのが前提だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月14日
分からないからこそ、自分の気持ち、やりたいことにクッションをかけて、相手が受け止めやすい形で手渡す必要がある。その配慮も”好き”のうちだ。
アスミちゃんがガコガコ間違えつつ…も、その誤ち自体がかけがえない正解のような道を進む一方、ビョーゲンズは相変わらず、人間試験を全問失格していた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月14日
愛を言葉にしつつも、価値は共有されず、自分の都合と我欲に留まる。そういう現状を、俯瞰のマグマが上手く切り取る
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アスミちゃんが追加されて光サイドの戦力強化されたと思ったら、敵さんもメガパーツを開発し、侵略は苛烈さを増していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月14日
このイタチごっこは、病魔との戦いの現場で毎日起こってることなのかなー、と思ったりした。耐性菌とか、予期せぬ急変とかね。
あまりにも現実的で、絶対に勝てない”病”との戦いをモチーフにする以上、プリキュアの戦いがシビアでハードなのは正しい目線だと思う。生老病死は、どうやっても終わらんのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月14日
まぁ、地獄めいた消耗戦に飛び込んでる子供と動物を見てると、楽に勝ってほしくもなるけどさ…ヒープリ、マジ悲壮。
前回はのどかが付きっきりで担保してくれた社会性を、家に三人きりのアスミは持ち得ない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月14日
餌は山盛り、布団は過剰。溢れる愛はフルボリュームでしか駆動せず、”加減”の二文字など知ったこっちゃない。
ポンコツというか、マジでピュアすぎる…純愛が血管に詰まってる女だ
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ラテ様がママに言われるままの赤ん坊ではなく、彼女なりの自主性を持った児童であることは、ここまでも描写されてきた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月14日
体が小さかろうと、力が弱かろうと、生命には個別の意思と尊厳があり、お世話されているからと言って全てを受け入れなければいけないわけでもない。
まぁラテ様も何かとベビーなので、アスミちゃんの重すぎる愛を上手く交わす能力は育ちきっていなくて、光り輝くドアの外側に自由を求め、何も言わず出ていってしまう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月14日
ここでラテが何を考えていたかは、戦い終わったあとで分かるが、この段階では上手く通じ合えない。
ラテとの閉じた愛情に囚われていたアスミは扉の内側に置き去りにされて、自分の”好き”が機能不全に陥った原因も、当人からは教えてもらえない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月14日
そこで足を止めるのではなく、フラフラと広い外界に足を運んで、ラテを探そうとするあたり、やっぱアスミちゃん、生来視野の広い子である。
消えてしまいたいと思うと、本当に消えてしまう。祈りから生まれた精神生命体、マジめんどくさい…心と体が直結。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月14日
透明感ハンパないアスミの手を引いて、沢泉先生の人生授業開始だッ! ひなたは仲間のため道化を演じて偉いね…。
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すこ饅をたらふく食べるアスミちゃんのもぐもぐ顔に『おお…たくさん食べて大きくおなり…』と、唐突に老いたりもするが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月14日
食事、休息。
生物としての基本的な快を、”好き”と感じて実在を取り戻す機能は、アスミにも宿っている。
よく食べ、よく休む。健全な生き方は、まずそこから。
それを供給するのが、ホスピタリティを追求する”旅館”の娘なところに、面白いめぐり合わせなども感じるけども。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月14日
精霊消滅の危機を美味しいこと、気持ちの良いこと、楽しいことの大量投下で乗り切っても、アスミの憂さは晴れない。
甘いものも、足湯も好き。でも、自分が生きるに足りる一番の”好き”は…
あまりにも巨大すぎて、客観視出来ないラテへの愛情。アスミを生み出し、活かしている存在の根っこ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月14日
経験豊富で知性も鋭いちゆは、この段階で問題をほぼ俯瞰している。しかし当人が気づかぬ限り、”好き”という難問は落ち着きどころを見つけられない。
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前回アバンで、のどかがアスミとの向き合い方に”覚悟”を決めたように。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月14日
賢い子供たちはより幼い存在を導くために、自分の内側で心を固め、より善く、より難しい道へと踏み込んでいく。
アスミちゃんに相談を聞かれないよう、光の漏れる陰りの中で話すのどかが、マジで成熟してる…。
どれだけ大事に思っても、他人はガラスの向こう側、直接触れられない場所にいる。ラテという他者へ伸ばした手を、アスミが怯えて引っ込めてしまうのも、そういう距離故だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月14日
しかしそれは、人間が人間としてあるための大事な距離でもある。
傷つけるほど近くなく、ふれあえないほど遠くもない。
そういう適正距離を見つけるのは、いつでも難しい…上に、永遠に続く探求でもある。まぁ、やってくしかねぇよな、人間でいたければ…。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月14日
複雑怪奇な人の世に、祈りから産み落とされてしまった純粋なる精霊。
アスミが巻き込まれた情報と感情の嵐に、友として先達として、何がしてやれるのか。
ちゆも仲間たちも、皆真摯に考え、しかし生きることの難しさに怯えず、自分が差し出せるものを手渡していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月14日
ホントねー、アスミちゃんが来てからの中学二年生、生まれたてのベビーにちょっと長く生きてる自分たちが何やれるか、マジ必死に考えて戦ってて偉いよ。言葉の真の意味で”大人”だと思う。
先週からの三部作は、三人の中学生が人間・風鈴アスミに向き合う話なんだけども。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月14日
のどかは闘病体験からくる寛容と献身、ちゆは持ち前の知性とアスリートとしての経験値と、各々違った武器でベビーと向き合ってるのが、キャラが立って面白い。
アスミは先輩の良さを写す鏡やね。ひなた回も楽しみだ。
『言葉で教えるより、ワシの生き様見とけや』と、不立文字の禅僧みたいな実践主義で、自分が”好き”と向き合う様子を見せるちゆ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月14日
既にその想いを共有できてる二人とは、一人分遠いアスミの距離感。ちゆはそこにすっと入り込み、”好き”への距離を縮めていく。
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高みを目指し挑み続けるのは、当然苦しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月14日
それでも飛べるのは、”好き”だから。
胸の奥から湧き上がる感情は、外側に出た瞬間、消えてしまいたいほどの痛みを生み出すことだってある。
でもそれを捨てられないから、生は苦しいけど楽しい。
ちゆにとって、飛ぶことは生きることなのだ。アスリート…。
そんな”好き”の難しさが伝わったのは、アスミの眼がしっかり開いていることと、そこに突き刺さるほど真剣に、ちゆが飛んだからだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月14日
何も知らない白紙のページに、”好き”でいることの輝きと苦しさを、一切覆いなく焼き付ける。
そのための画材として、ちゆはハイジャンプを選んだ。
あんだけ頭が良くて、言葉も上手く使える子が、無言の身体表現をコミュニケーション・メディアとして選んだというところに、面白さを感じる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月14日
ちゆはアスミのぶつかった問題に、答えを与えようとしていない。
それが自力で解けるよう解体し、補助線を引く。そのため一番信頼できるのは、跳躍する身体だ
ちゆは凄く発達した知性を持ちつつ、知行一致する実践として最後に差し出すのは、”飛ぶ私”なのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月14日
第8話にも描かれたように苦しい思いもしつつ、それを見てくれさえすれば必ず何かが通じると、全幅の信頼をちゆは”飛ぶ私”に抱いている。
この精神と身体の均整・成熟も、ちゆの強みなのだろう。
アスミは”好き”と出会ってから…それが上手く行かないこともあると学んでから、笑顔ばかりではなくなった。眉をしかめ、苦しんだ表情も見せる。通じ合えないことに、消えてしまいたくもなる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月14日
でもそれが、”風鈴アスミ”という名前をもらった人間に、必ずつきまとう業なのだ
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そしてその断絶は、必ず乗り越えられるとプリキュアは言う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月14日
綺麗事どんと来い、理想形を書かずして何がお伽噺か。しかしそこに説得力を持たせるためには、色々苦労もある。
消えそうな友達のために、テンパりつつも必死に踊るひなたとニャトラン、マジ偉ぇよ…。
今回ラテ様が、あんま良い子じゃないのが僕的に良くて。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月14日
情緒が育ちきってない子供が、自分の中にあるわけの判んねぇモノを言葉にして、周囲に全部伝えられるわけないじゃないですか。
今回背中を向けて逃げ出しちゃうのは、子供として人間として凄く”自然”だと思うわけです。
そしてそういう状況は、周囲の助けでどん詰まりに至らず解決できるという希望を、プリキュアは表現し続けるわけで。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月14日
中学生たちがアスミに寄り添ったように、訳わかんなくなっちゃったラテ様にラビリンが寄り添い続けてるのが、ホンマ有り難いんよな…優しい兎ですよあの子は…。
身を削るほどの自責の中で、アスミはビョーゲンズに踏みつけられたみんなの好きを、自分の中にある好きを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月14日
ここで”学校”という、家よりも公共的な場所にアスミを連れ出してきたことが生きるのが、とてもいいと思う。
家族以外の人、色んな価値観。
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ちゆが自分の背中と一緒に、そういう社会を見せておいたことで、アスミはビョーゲンズが蔑ろにするもの、世界の広さと自分の小ささを自覚できる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月14日
アスミはそれを自発的に学び、自分にちゆが託してくれたものを思い出せる、風通しの良い子供でもある。愛という名前のエゴに閉じこもってはいない。
無論アスミが色んな事に気づき、自分と世界を変えていけるのは周囲の助けあってのことだ。自分の思いを率直に伝え、ラテと抱擁し直せたのは”好き”だけが理由じゃない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月14日
でも断絶を乗り越えてもう一度抱きしめようと、消えそうになりながら近づいていけたのは、やっぱアスミがラテLOVEだからで。
そういう公と私、他者と自己の交錯点にある人間と社会に、アスミが入門しプリキュアが見守る話として、今回かなり広範な仕上がりだったと思います。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月14日
出会った時はラテが思いを告げ、今回はアスミが寄り添うことでお互いが繋がり、身勝手な愛に立ち向かう力が生まれるのも良い。
『お前の愛は侵略行為』
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月14日
愛ゆえに他人を蔑ろにするシンドイーネに鋭い視線を向け、踏みつけにされた尊厳に憤る。
闘争の機械でもあるアスミは、難しい”好き”に向き合うことで、自分の戦いが何に繋がっているかも学び取っていく。やっぱ、バトルは日常の答え合わせだな。
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逆に言うとビョーゲンズは、人間存在がどうしても抱え込む断絶を埋めようと、個人的にも社会的にも奮戦してねぇわけよね。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月14日
そういうバラバラな状態で生まれる”好き”は、適正距離を見失った暴力になりがちで。同じものを抱えていても、環境と意志で在り方は真逆になってしまう。
だから己の思いに素直に、周囲に目を配り、強く優しく美しく生きる事が大事だと、プリキュアは人倫のど真ん中を物語に練り込んでいく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月14日
アスミちゃんがエゴの奈落に落ちそうな所で、色んな人に手を差し伸べられ、自分を変え世界を変えて大きくなってく姿、やっぱ凄く好きだな…。
ヒープリはマスコット枠が少年兵なので、メインターゲットと同サイズの共感を引き寄せるには成熟しすぎてる作りだと思う。半分くらい、プリキュアと同じ憧れ枠、というか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月14日
ここで新プリを完全バブちゃんにして、人のあり方を一個ずつ学んでいく話にしてるのは、構成として面白い。
何も知らないからこそ、一つづつ学べばいい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月14日
そんな正論を積み重ねていくためには、優しさと賢さと強さ全部が、当人にも周りにも必要で。
アスミちゃんを責めることなく、必死に考えながら誠実に腕を引いている中学生たちの姿を見てると、いつか大人になる子供に、人の理想を見せたい気概も感じられる
かくして、アスミは”好き”の難しさを知った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月14日
万事まとまった後で、扉の向こうに逃げ出したラテ様が何考えてたか判るんだけども、『病気になっちゃったから、怒られると思った』はあまりにも…血の通った理由過ぎて…重い。マジこの子犬、賢明で善良過ぎる…。
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親は子を思えばこそ、病苦に心を砕く。責める気持ちなど一つもないのに、子は親の愛を知ればこそ、責務に心が苦しくなる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月14日
”好き”の難しさは一方通行ではなく、ラテも背負い悩んでいた。そこにのどかが、自分の経験から助け船を出すのが”人間”って感じだった。
消えてしまいたいほどの暗がりを超えて、”好き”を知ったアスミ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月14日
手を差し伸べた仲間と一緒に、輝かしい光を、あまりに広い世界を見る。無限に広がる未来に微かな怯えと、溢れんばかりの輝きを宿して、少女は進んでいくのだろう。
マジでええ話や…綺麗な〆だったなー。
つーわけで、アスミちゃんの人間授業二時間目でした。ちゆが偉い。マージで偉い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月14日
愛の難しさに振り回されつつも、世界に目を開いて自分を変えていくアスミの歩み。
それに寄り添いつつ、アスリートとしての自分を率直に伝え、知性と優しさを証明したちゆ。
”誤答”として出されるシンドイーネさんの”好き”と合わせて、舞台に上がったキャラクター全員の彫りが深まる、非常に良いエピソードでした。マージですこやか市の中学生、人間が太い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月14日
そして次回はひなた先生! あの子の資質と個性が、アスミとどう噛み合うか、マジ楽しみです!!
追記 ヒープリは特に発達心理学からの解像度が高いプリキュアなので、そういうの好きな自分としてはアスミちゃん見てるのマジ楽しい。
しかし今週のアスミちゃん、美味しいご飯を食べさせたらキャッキャと笑い、お風呂で暖かくなったらニコニコ笑顔と、”快”の入力と出力がマジ赤ちゃんなんだよな…。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月14日
赤ん坊が子供に、そして大人になってく十数年を、撹拌と圧縮して三森すずこの声を与えたような存在だ…LOVE。
ヒープリ追記
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月15日
アスミちゃんは歴代ベイビーと異なり、言語によるコミュニケーションと行動改善が可能な成熟度がある。
言葉が通じることで相手が善くなる、ということは伝わる言葉で話す責務を背負うということでもあり、保護者担当の中学生たちには、赤ん坊相手とは違う重さが乗っかる。
一人間が自分の行いでどうとでも変わる。白紙を前にした教導役には、誠実と知恵と覚悟が求められている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月15日
導く立場は相手をほしいままにする特権を意味しないし、してもいけない。経験が多いからといって、ボーッと座ってれば正しく手を引けるわけでもない。
そういう重さを、覚悟する瞬間。
それがここ2回、しっかり切り取られてるのは堅牢だと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月15日
白紙をより良く色づけていく言葉と行いを、自分の中から引き出し手渡す責務。
アスミの存在は、三人の中学生に否応なくそれを要求してくる。それに応えることで、思春期の群像がより際立っていく。
子供と大人の中間にいて、しかしプリキュアとしての戦いも、人間としての在り方も、ただの子供以上のものを求められる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年9月15日
”正義の変身ヒロイン”という舞台立てが、かなり面白いものを照らし始めたな、と思っている。
ひなたとアスミのエピソード、どう書くか楽しみだ。