安達としまむら を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年10月30日
水底の息苦しさから顔を上げ、しまむらは見知らぬ大人に噛み付く。それが、親友の母親だったから。
奇縁は親子の関係を少し変え、一日で腹筋は出来るようにならない。
砂粒のように滑り落ちる時間は、どこに降り積もるのか。
そしてメリーゴーランドは、幸せに廻る。
そんな感じの、届きそうで届かない…でも確かに届く友情愛情青春絵巻、第4話である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年10月30日
安達の家庭環境が見えてきて、そこに余計な波風を嫌うはずのしまむらが踏み込む。
生まれた波紋は安達を不安定にし、それでも繋がる縁が少しずつ、何かを変えていく。
性欲大暴走少女の摂食願望が、その実"母"を求めてのものでもあったという、非常に厄介で尊い構図なども見えつつ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年10月30日
安達としまむら、お互い見据えているものの形は違えど、得難い絆はお互いを結ぶ。
通じ合っているのに、すれ違い続ける。
人生も青春も、なかなか不思議で美しい。
そんな感じの、分かりやすくなった物語がまたツルリと逃げたような、新しい顔で挨拶してくれたような、面白い話数だった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年10月30日
挿入歌"メリーゴーランド"は名曲であったし、更に一歩踏み込んだEDの情景もまたいい。
こうして、二人の間に時間と想いは積もって、何かが変わるのだろう。
しまむらにとって人間関係は、常に窒息のモチーフで描かれる。息苦しく、上手く適応できないけど、潜らなければ行けない場所。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年10月30日
そこに身を置くよう、静かに方向づけられ生まれた性格。
しまむらにとって、安達との日々は空気穴だ。
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しまむらは安達と違い、家族との関係が良い。友人関係の乗りこなし方は、そういう部分に根っこがあるのかも知れない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年10月30日
しかし学校と同じく家庭も、しまむらにとってホームではなく。
"良い子"のフレームに閉じ込められた、窒息性の愛情。嫌いじゃないけど、息は詰まる。
そう感じつつ、母に付き合ってジムには来る。会話もちゃんとするし、娘として求められる気さくさもしっかり表に出す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年10月30日
腹筋は全然出来ないが、しまむらは生きづらさを表に出さず、乗りこなす能力が高い。
でもそれは、息苦しさを感じていない、ということではない。
自分を形作ったものを全部投げ出して、水から出て新しい生き方を掴もう…という方向にはいかないのが、しまむらの限界であり、善さでもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年10月30日
学校にしても家庭にしても、自分の形を窮屈に狭めるものが、同時に自分を縁取り守ってくれていることに、ある程度以上自覚的なのだと思う。
社会と接続する利益と意味をしっかり見据えられてしまう視力の良さがあればこそ、息苦しい水底にも身を置き続ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年10月30日
でも、時折呼吸をしたくなる。
『良い子』でなくても良い安達の隣も、しまむらにはやはり、水に揺らめいて見えている。
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ガラス越し、ヘンテコな友達の喉を潤す特別なボトルの色と、息苦しさをこらえて沈んだ場所から見上げるものは、奇妙に似ている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年10月30日
普通に”空気”を吸える生き物たちとは、ちょっと違うしまむらの呼吸器。それを満たす場所が、あの中二階なのかもしれない。
それは、人間関係の底にもある。
だから、逃げてもしょうがない。いつか、呼吸はしなきゃいけないのだし。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年10月30日
そういう諦観と観察の入り混じったものが、しまむらには既に見えている…のか?
大人びているようで、妙に青臭いところもあるので、なかなか読みにくい。そこが面白いキャラであり、物語だ。
水から出てみると変なやつがいて、しまむらは超面白い動きで横に逃げていく。ここのヘンテコな動き、最高だったな…。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年10月30日
友達のような気さくさで触れ合える、母親との距離感。
それが救いなのか、呪いなのか、しまむら自身にも判別がつかないことだろう。
親に連れられて出たジムで、出逢った奇妙な縁。苦手であっても、顔を出すと意外な出会いもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年10月30日
人付き合いの摩擦が苦手なはずのしまむらは、親友に投げかけられる冷たい言葉に耐えかねて、思わず勝負を持ちかける。
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ここで水から顔を上げて、わざわざいらん接触を持ってしまうところに、安達の特別性が透けて見える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年10月30日
息苦しくても、寂しさを埋めるべく上手く乗りこなす。
そういうドライな距離感で人生泳ぐスタイルが、親友をDisられてグラリと揺らぐ。
安達のそれとは、違うとしても。
しまむらも”好き”なのだ。
他人だから言えること。普通の場所じゃないから、吐き出せるもの。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年10月30日
熱と水。
親子がしまむらと向き合う時あたりを取り巻く象徴は正反対だが、抱えていたものを吐き出させる作用は似ている。
それは一方通行ではなく、相補的でズレている。
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安達の母が、向き合い方のわからない娘への当惑を、不躾なしまむらに引っ張り出されたように。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年10月30日
しまむらもまた、『普通の親、普通の幸福』を勝負の対価と持ちかけながら、それがよく理解っていない自分に出会うことになる。
時の砂は勝手に落ちて、勝負は大人が折れてヘンテコに終わってしまう。
安達の母もまた、胸の奥に窒息性のものを抱えていて、よく知らねぇ高校生がふっかけてきた奇縁に乗っかる形で、少し吐き出したかったのかも知れない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年10月30日
大人になれば、息苦しさから逃げられるわけでもない。
友情に向かってまっしぐら、正面切って勝負できる若さが摩耗した分、心が上手く転がらない。
そんな状況に、しまむらの暴走は切っ掛けをつくった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年10月30日
娘は降って湧いた母親との接触に、当惑を隠せない。「普通に良い母親』されても、なんか息が詰まる。
それは本当に欲しくて、だから諦めていたものが届いた喜びを、上手く飲み込めないからか。
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降って湧いた幸運は、当惑を連れてくる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年10月30日
至近距離でしまむらの体温を感じる距離感にパニクって、思わず彼女の息を奪ってしまうように。
でもそれは、しまむらにとっても安達にとっても幸福なアクシデントで、二人は楽しく笑い合う。
窓の外、幸福に自由に、二羽の鳥が踊る。
幸せな息苦しさや、ちょっと普通じゃない奇妙さ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年10月30日
それが世界のジャッジとは反対に、大事で楽しいことを、安達もしまむらもこの青緑の水底で知っていく。
しまむらが働きかけて動き出した、親子の距離感。
それがどこに転がっていくかなんて、誰にも分からない…でも、幸せなオチだと良いな、と思う。
腹筋が出来て、しまむらには見られたくないし、見てしまえば止まらないから後ろに回る安達。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年10月30日
腹筋は出来なくて、別に気にしないしまむら。
二人はバラバラで、ズレていて、でも隣り合っている。
安達は親友のお節介が、母を動かしたことを知らない
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しまむらは心地よい呼吸をくれる親友が、自分に向ける視線の熱量に気づかない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年10月30日
でも確かに、二人でいることには意味があって、繋がるものもある。
一日はそこらでは変わらないということは、日々を重ねれば変わっていく、ということだ。腹筋も、親子の関係も、明るい光が先に待つ…のか?
穏やかで奇妙な日々の中にある変化の兆しを、丁寧に追う今回。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年10月30日
”日常系”であることの意味と意義を焦らずスケッチしている感じが強くにじみ、非常に良い感触であった。
ズレてる二人の視線も、いつか噛み合う日が来るのか。
別に正対することだけが、人間の正解ではないのか。
穏やかに積み重なる時の砂粒が、なんらか形を為してアニメが終わってくれると、とても良いなと思っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年10月30日
それは世間一般の”正解”にたどり着くのではなく、この作品、この二人なりの落着が見たい、ということで。
そういう答えは、日々を切り取る筆致の中に既に示されているのかもしれない。
その一環として、内気児童と宇宙人の接触遭遇もあるッ!
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年10月30日
ホント島村家の血筋は、青系統の変な女によえーな…妹ちゃんも、ガンッガンズブズブにされてくれ。頼むよほんと。
ヤシロが差し出したメンチの味は、いつか島村が分け与えたもの。
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同じものを食べることが、人との距離を縮める助けにもなる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年10月30日
そういう知恵と歩み寄りが、ヤシロに”人間”を学習させ、妹ちゃんとヘンテコな…でも悪くない関係を作る助けにもなる。
やっぱ水の底に沈む苦労には、良い側面もたくさんあるのだな。
自分自身息苦しさを感じつつも、人を繋ぎ、変化を与える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年10月30日
しまむらが伸ばした手は安達をカラオケに誘い、少女は苦手だけど嫌いじゃない場所に出ていく。
ガラスに反射する、自分の顔以外のモノに目を向ける。
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ガラスに頭を打ち付けて、言いそびれたデュエット。それが思わず叶ってしまう、暖かな距離感。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年10月30日
そういうモノに導かれ守られつつ、息苦しい二人は当たり前の休日に身を沈めて、心地よい窮屈さに身を慣らしていく。
もし息が詰まりそうなら、またあの中二階で息継ぎすればいい。
そんな二人には、でもやっぱりカラオケ屋は息苦しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年10月30日
二人だけでいられる特別な場所とは、違う表情を見せるしまむらを、安達はずっと見る。
そこには、自覚されないSOSが微かにこもっていて、しまむらはそれを受け取る。自分も差し出す。
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『二人で歌うの、実は助かる』
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年10月30日
そんな言葉に導かれて、”メリーゴーランド”は踊る。
動きながらも縮まない距離、重なるようでズレている立ち位置。
でもそれは、同じ場所で同じものを見て、同じ光を感じるからこそ廻る、特別な乗り物だ。
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社交的で当たり前のカラオケを終えて、安達はしまむらの手を引き、しまむらは安達を公園へと誘う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年10月30日
子供めいた遊具に腰を掛けて、特別な飲み物を飲んで、特別な関係を切り出せる場所。
母に求めつつ与えられない乾きを、静かに満たしてほしいと願っても、裏切られない距離感。
そういうモノが、夕景に踊る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年10月30日
安達、すまなかった…ただ青春の欲動に突き動かされたリビドーウーマンなだけではなく、もっとディープな寂しさをしまむらに求めていたとは…。
でもそれ、同い年に求めるのは重くね? しまむら大丈夫?
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ヤシロに本気で対抗できてしまう幼さを、安達自身も持て余している。それを適切に受け止めることは、母には(まだ?)出来ない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年10月30日
しまむらが窒息性の日常からの出口を、安達に求めるように、安達の瞳に宿る恋慕も、手に入らない特別を求めている。
いやー…俄然難しくなったなこの二人。素晴らしい。
安達がしまむらのために、お互いをさらけ出せるオレンジの空間を、青いボトルを選んでくれたこと。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年10月30日
それを信じて、自分の中の寂しさを預けたこと。
その象徴を”家”に飾って、安達は外へ出ていく。
世間ではゴミかもしれないけど、ヘンテコだけど。
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それが私の特別。私達の”好き”。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年10月30日
そういう実感が、水のように少女に染み渡る結末は、非常に良かった。
しまむらに付き合って苦手な場所に出ることで、そしてお互いに息をつける特別な空間を共有することで、安達は自分を満たし、見つめ直していく。
欠けているものを与えられ、求めていく。
そういう切望が低めの温度感で切実に描写され、静かに満たされる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年10月30日
落ちていく時の砂粒は小さいものでも、確かに何かを変えていくだろう。
友情と恋と渇望と息苦しさが、不思議なダンスを踊る二人の青春。
届かないようで隣り合う、優しいメリーゴーランド。
その回転数がどんな質感なのか、何を変えうるのかを焦らず追う、良いエピソードでした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年10月30日
重なり合うものだけでなく、ズレているものも丁寧に見据えることで、物語の都合の良さを排除しつつ、人と人が繋がる奇跡の色合いを、鮮明に切り取れた感じがある。
いやー…安達、相当難しいな…。
しまむらが安達的な無骨さで母に噛みつき、安達がしまむら的な器用さでカラオケに来る”らしくなさ”の交錯とかも、二人が出会い日々を重ねる意味を照らして、とても良かったです。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年10月30日
お互いすれ違いながら求めあって、静かに混ざっていく。混色の先に待つのは、どんな青春か。
次回も楽しみですね。