NOMAD メガロボクス2を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月20日
痛みを紛らわすクスリを投げ捨てて、ジョーはあるべき場所へ戻った。
古傷は思い出を苛み、それでも男達は未来へと進む。
ガードを固め、カウンターを狙う。ただ、明日のために。
そんな負け犬達の奮戦は、差別と無理解の炎で焼かれていく。
灰に塗れた、明日はどっちだ
そんな感じの、復活と破滅が錯綜する砂まみれのエレジー、NOMAD第3話である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月20日
第1話でジョーと視聴者を説明なくどん底に叩き起こし、復活の兆しが見えてきて一歩、更に一歩。
伸び放題のヒゲも剃り落とし、美丈夫となったジョーの顔が見えたと思えば、チーフの家が燃える。
三界まさに火宅、希望が見えたと思えば辛いことが追いかけてくる、ハードコアな一進一退である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月20日
元チャンプでありトレーナーでもあるジョーが、イカサマ野郎に闘い方を教える…という構図ではなく、薬とトラウマでズタズタになった若者を酸いも甘いも噛み分けたオジサンが導く味わいがある。
そこには一期で(今は亡き)南部贋作と歩んだ道を、もう一度歩き直している雰囲気もある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月20日
ジョーにへばりつく贋作の亡霊は、罪悪感と自罰の具現。罵られ、痛めつけられることで許されたいジョーの甘えを、チーフとカーサの仲間たちが手渡すものが砕いていく。
バイクを奪われ、ギアを盗まれたことで立ち止まった宿り木。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月20日
ジョーは贋作を取り戻すのではなく、もうそこに彼はいないことを認識することで、光と握手し直す。そこが傷だらけのリスタート・ラインである。
そんなやり取りは、大変暖かい。人間が生き直す決意と、それに必要な潤い、温もりに満ちている
しかし世間なるものがハグレモノに向ける視線、敵に牙を向かなければ自分の背筋が立たない業と浅ましさも、この作品は執拗に切り取る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月20日
心無い言葉は勝ち上がるほどに鋭さを増し、ついに火炎瓶の形でチーフの思い出を焼く。
ただ、自分が自分であるための誇りを証明したい。
そんな必至の願いを踏みつけにするのは、先週故郷の文化である”死者の日”を尊重できなかったのと同じ”誇り高き日本人”である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月20日
海の向こうで、あるいは僕らの隣で起こっている不寛容と無理解と蹂躙が、砂埃に汚れたボクサー再起の物語の中で、ザリザリと音を立てていく。
その決着が、何処に進んでいくのか。カーサの物語が一段落ついた後、ジョーは何処に歩んでいくのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月20日
今は見えないが、しかしこの苦難の道こそチャンプの再起には、絶対必要なのだ。
そう思わされる、渋くて重いエピソードであった。マジおもしれーなNOMAD…。
今回のエピソードは”手渡す”描写が多い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月20日
拳と拳でお互いを探り、魂を理解り合っていくボクシングがテーマだから、手の描写はとても大事だ。
ジョーはミットでチーフの拳を受けることで、彼に寄り添い理解し合っていく。その背後には、亡霊が潜む。
(画像は"NOMAD メガロボクス2"第3話より引用) pic.twitter.com/VNTy89SvOx
第1話で過去がどんな形をしているのか見えず、ジョーが苛まれる辛い現在しか見えなかったのは、彼が過去と向き合う強さを持ち得なかったから。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月20日
そういう事が解ってくる、回想のザッピングでもある。チーフと出会い、カーサに身を委ねる中で、思い出と闘う足腰がちょっとずつ、ジョーに戻ってきている。
ジョーの再起を後ろで見つめている贋作は、何処にもいない亡霊だ。ジョーの罪悪感と弱さが生み出した幻影に過ぎない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月20日
しかし確かに、”それ”はいる。ジョーの心に楔を穿ち、彼がどこにも行けない様、サチオの涙と怒りを忘れぬよう、長く長く残響している。
なぜ、チーム番外地は崩壊したのか。ジョーの敗北、贋作の死はどのように起きたのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月20日
爆心地は未だ描かれないが、運命が炸裂した瞬間の余波みたいなものが、じわじわと積み重なり、僕らは”NOMAD”を解っていく。
それは再起の物語であり、変化の物語だ。
知らない土地、知らない男、知らない傷。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月20日
ジョーが流れ着いたカーサは、民族も文化も違いながら、かつての番外地に似てる。
皆、自分が自分である証明を求め、だからこそ誰かを踏みつける。
そんな宿命の悲しさは、ベルトを巻いたら消えるもんじゃない
(画像は"NOMAD メガロボクス2"第3話より引用) pic.twitter.com/U2jW87kYgt
”身の程を知った”移民として、頭を撫でられるミオの表情。自分が売り渡しているものの値段を、心の何処かで解っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月20日
尖った敵意を言葉にした張り紙に、英語が使われているのが寂しく、浅ましい。
『ガイコクゴなら、移民にも解かんだろ』というおざなりな侮蔑。
突っぱね排除する相手がどの言語を用いているなんて、ハナから考えないからこそ相手を野良犬扱いも出来る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月20日
”市民一同”を名乗る、顔のない巨大な存在。
そこに抱かれれば、ミオはこの国に受け入れられて、居場所を手に入れられるのか。盗んだバイクは、彼を何処にも連れて行かない。
チーフはジョーの離脱症状を”闘い”だと言い切る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月20日
それは彼自身が同じ体験をし、乗り越えてきたからこそ出てくる言葉だ。
同時に、他人の懐をしっかり覗き込み、受け止める強さと優しさがあるからでもある。
(画像は"NOMAD メガロボクス2"第3話より引用) pic.twitter.com/nNMZuYprwf
ジョーはチーフ達の故郷から届いたハーブティーを受け取り、腹に落としていく。それはカーサの前に掲げられた殺意と、真逆の方向に歩む意思だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月20日
誰かを受け入れることが、自分自身を受け入れられない男の亡霊を祓い、痛みを弱める秘策になる。
ジョーは亡霊に苛まれつつ、チーフの奮戦を間近で見守る。
打たせて守って、カウンターで沈める。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月20日
コーチと選手の合作ともいえる戦術が、トーナメント一回戦でしっかり機能する。
チーフの分厚いディフェンス、体重移動がしっかり乗っかったフックがよく作画され、アクションに説得力がある。キャンバスが軋む音、拳が肉に突き刺さる音も良い。
ジョーはチーフにかつて憧れと誇りを手渡し、今それを手渡し返されている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月20日
ジョーが差し出した戦術がチーフに勝利を与え、その勝利がジョーに生きる実感を生み出している。
ここには、確かな交流がある。
ミオが野良犬のように、頭を撫でられたときの嘘がない。欺瞞だと知りつつ、すがりたい甘えが。
自分たちの家を、自分の手で勝ち取る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月20日
チーフの静かな奮戦は、周囲に中々理解されない。それは外側に拡がる異国だけでなく、”家”の内側でも同じだ。
しかし彼は声を荒らげず、黙々と落書きを消し鍛錬に励む。理不尽に荒れ狂う季節は、もう終わってる。
(画像は"NOMAD メガロボクス2"第3話より引用) pic.twitter.com/9yo4DYJc8X
ジョーはマーラからも蜂蜜入りの優しさを貰って、そこに己を反射する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月20日
チーフが戦う理由を、失ってきたものを水鏡に映して、自分に引き寄せて飲み込んでいく。
自分と違う人なのに、同じ苦しみや哀しみを飲み込んで、なお誇り高く微笑む男の顔。
それを手本に、傷だらけの顔を治していく。
ジョーが今身を置いている自罰と後悔の嵐は、チーフにとって過去であり、過去ではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月20日
それは墓の中に過ぎ去ったものであり、同時に彼の中でずっと生きている。
失われたものを、身を引きちぎるほどの痛みをそれでも、己の内側に引き受けることでしか、乗り越え永遠には出来ないもの。
チーフが蜂鳥を手ずから削り出し墓前に捧げるのは、そういう存在と出会い直す儀式なのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月20日
ジョーはまだ、そういう場所に到達はできていない。そこに至るには、とても長く苦しい闘いがあるのだと、描いている真っ最中だ。
しかし、いつか必ず至る。チーフの穏やかで強いあり方は、そう語っている。
亡霊との闘いを終え、だからこそ今闘い続けているチーフの描画は、彼と隣り合うジョーだけではなく、僕にも安らぎと指針をくれる感じがある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月20日
チーフが勝ったのだから、彼と何処か似たジョーもまた、勝つのだろう。
そんな運命の繰り返しを、甘っちょろく信じたくなる確かさがある。
それが、果たして何処にたどり着くのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月20日
チーフはヤクザに壊されたポンプを、黙々と治す。その姿は”家”の仲間に染み渡り、彼らも彼らなりの闘いを始める。
そして、ジョーもまた。
暗闇の只中で、亡霊は捨てたはずの慰みを手渡す。
(画像は"NOMAD メガロボクス2"第3話より引用) pic.twitter.com/FoPbS3ayfx
それは鎮痛剤であると同時に毒薬で、自分を攻め立てる粗雑な痛みをこそ、ジョーは求め続けてきた。その結果が、ヒゲ伸び放題のノマドである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月20日
贋作の亡霊は、ジョーが欲しい物をくれる。
お前が殺したと、攻め立てる言葉。苛烈なマゾヒズムを満たしてくれる、甘い毒。
チーフはそんな感情の海から既に這い出し、目の前のポンプを黙々と治す生き方へ這い出している。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月20日
それは地道で、寡黙で、しかし確かに誰かに伝わりうる生き方だ。
ただただ、行いで示す。
修道士めいたストイシズムで、チーフは生き、祈り、リングに立って世界を変えていく。
ジョーもまた、間違えてしまった過去を超えて、そんな生き方に踏み出せるのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月20日
贋作の手を掴んだ時、確かに手渡された温もりを思い出せるのか。
ジョーは闇の中一人、自分がこの”家”で手渡されたものを亡霊に告げる。
(画像は"NOMAD メガロボクス2"第3話より引用) pic.twitter.com/BlCmuRdDPc
消えたと思っていた輝き。”ギアレス”ジョーが確かに、その奮戦で生み出していたもの。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月20日
そういうものを取り戻すためには、自分ひとりでは進めない。哀しみに溺れ、己を苛むことで手放したものを、和解しもう一度掴まなければいけない。
だからジョーはここでようやく、贋作の亡霊を真っ直ぐ見る。
そこにはもう何もなくて、オッサンの幻影は彼の死を認めたくない己の甘さで、しかしだからこそ、そこには光があるのだということを、その掌で確かめていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月20日
そこに、南部贋作はいない。元々いなかったのだという事実を、ジョーはようやく引き受ける。
バイクが盗まれ、ギアが奪われたことでカーサの物語が始まったように、ジョーが決定的に再起するこの光との握手は、南部贋作の不在をこそ確認する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月20日
いないからこそ、いる。
そんな矛盾をジョーは抱擁し、己の側に引き寄せていく。そう出来るだけの強さを、この”家”で手渡されたのだ。
贋作が死んでしまったこと。自分が彼を守りきれなかったこと。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月20日
『俺が殺した』と己を責める痛みに、都合よく誤魔化していたものと決別するように、ジョーは鏡に写った自分を見つめる。
伸び放題のヒゲを剃り、ノマドからジョーに戻っていく。
(画像は"NOMAD メガロボクス2"第3話より引用) pic.twitter.com/sHhHRNNm5r
剃り落としたヒゲが、水を張ったたらいに落ちる描写が好きだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月20日
そこに水があるのは、チーフが黙々とヤクザ達(あるいは”住民一同”)の暴力的差別に屈せず、ポンプを修理したからだ。
諦めかけていた人々に行いで語りかけ、共に日常を闘う勇気を呼び覚ましたからだ。
壊され、傷ついたものも治すことが出来るのだと、無言で示したからこそだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月20日
そういうモノが、ジョーの新たな旅立ちを…亡霊でも幻影でもない、実態として鏡に映るボロボロの自分に向き合う決意を、優しく祝福しているようで良い。
手渡される水は、今回のエピソードを静かに貫通する背骨だ。
ジョーはセコンドとして、第1話で殴り合った過去を手渡し、チーフに勝利を呼び込む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月20日
薄汚ぇイカサマ野郎だからこそ、そして本物のボクサーだからこそ出来る、10センチの見極め。
相手の大ぶりを誘う、必勝のフェイク。
かつて嘘っぱちだと思えたものが、本物の勝利を掴む決め手になる。
誰かが自分たちを蔑する言葉こそが、意思を貫く武器になる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月20日
そういう気概が勝負に満ちて、トーナメント第二回戦も見応えがあった。
対戦相手が捩り鉢巻き肩に日の丸、いかにも”住民一同”な神風野郎なのが、上手い当てこすりだなぁ、と思う。はー…。
チーフの勝利は移民たちの安住を引き寄せ、それはつまり”住民一同”には受け入れがたい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月20日
手渡される燃える水…火炎瓶にミオは戸惑い、投げ込んだ当人も炎の勢いにビビる。
故郷を焼く炎を受け取れなかったことが、ミオの救いか、それとも呪いか。
(画像は"NOMAD メガロボクス2"第3話より引用) pic.twitter.com/30HeNvLBji
放火は壁越しに行われる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月20日
ここでも徹底して、”住民一同”はカーサの内側に何があるか、どんな言葉が喋られるかに踏み込まない。
壁の向こう側に無理解を押し込めるからこそ、相手を踏みつける暴力も振るえる。
相手を人間だと解ってしまえば、暴力の矛先は鈍る。
相手が同じ人間だと理解し、敬意を払えばこそ本気で殴り倒すボクシングは、そういう意味でこの炎と対極にあるのかも知れない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月20日
ギアによって補強され、賭けと民族意識に塗れながらも、メガロボクスには魂の交流がある。
だがそれは、少なくともこの炎を止めはしない。
『ただの移民だ』と、色んなものを差し出して安住しようとした場所から跳ね除けられたミオは、燃える家を見て何を思うのだろうか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月20日
取り返しのつかないものを、取り返すための闘いに彼もまた、果敢と挑む事ができるのだろうか。
強きもの、弱きもの。様々な人間を書きながら、物語は進む。
ジョーは勝利の盃に、味気ないペットボトルを差し出す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月20日
ここまで”家”から与えられるばかりだったジョーは、このとき自分から差し出す側になる。
そう出来るだけの潤いを、チーフたちと暮らす中で取り戻してきた、ということだろう。
(画像は"NOMAD メガロボクス2"第3話より引用) pic.twitter.com/IXSx6bzD3R
そんな交流の気配は炎に照らされ、チーフはジョーから預かった水だけを鎧に、火宅に敢然と飛び込んでいく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月20日
そうして取り戻したいもの、守りたいものが、形がないからこそ譲れない信念と思い出であることを、僕らはもう知っている。
死ぬな、チーフ。つくづくそう思う。
という感じの、水の癒やしと炎の苛烈が宿るエピソードでした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月20日
力石地獄の減量を思わせる、ジョーの離脱症状との闘い。
それを支え痛みを和らげるハーブティーを手渡され、飲み込むことでジョーは自分と向き合い、亡霊が己の罪悪感から生まれていることを知る。
否…知ってはいても認められなかった、”南部贋作の死”という余りに重たい荷物を、手放すことでもう一度抱きしめる決意を闇の中、固める。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月20日
やっぱ失うことで…失っていた事実と向き合うことで死者を取り戻していく奇跡を、実態なき光との握手で表すあのシーン最高なんだよな…清けき弔慰がある。
ジョーがあそこで贋作がいない事実を認めたことで、オッサンはジョーに嫌なこと言い続ける亡霊から、物言わぬ光そのものに変化することも出来た。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月20日
ジョーが己を責める…その痛みに溺れる行為が、本来光だった思い出を亡霊に変えてしまっていた。
そこから、人は立ち上がれると示す名シーンである。
そんなジョーの再起がチーフの勝利を呼び、全てが上手くいく予感を炎が焼く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月20日
チーフ、死ぬな。それを強く思いつつ、次回を待つ。
自分を濁流に押し流しつつ、火炎瓶を取れなかったミオの未来も、大変気になる。
トーナメント決勝、何が起きるのか。次回も楽しみです。NOMAD…マジおもしれぇ。
追記
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年4月20日
NOMADは宿無しになったジョーの生き様を遊牧民に例えたタイトルのだと思うが、分解するとNO-MADで、誰かの家を火炎瓶で焼いたり、自分を責めるあまり亡霊を生み出すような”狂気”に”否”という想いが、ひっそり覆い焼きにされてんじゃねぇかな、とも感じる。