薔薇王の葬列を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月23日
半身をその手にかけ、空疎な魂を玉座に彷徨わせるリチャード。
追い打ちをかけるようにアンの死が迫り、愛息エドワードの廃嫡を希われる。
求めたもの全てが、軒並み奪われる虚しさを追うように、治世に内乱の炎が立ち上っていく。
さらば、さらば。
全ての愛しきものたちよ。
そんな感じの薔薇王の葬列最終話一個前、さよならだけが人生だ!
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月23日
年表をかなり圧縮して、バッキンガムの叛乱からアン・ネヴィルの死、そしてボズワースの闘いまで一気に駆け抜ける構成になった結果、世の中の悲惨が全てリチャードの方にのしかかる形に…。
前回その手に斧を握った時点で、生の虚しさを極めた感もあり、妻を見送り子を殺し、母を許す今回はさながら、大罪人の生前葬の趣も漂う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月23日
呪われ、憎み、それでも愛したかった存在。
セシリーの告発/告解を聞き、それを許してしまった時点で、リチャードの大きな業が解けた感じもある。
こんだけ残酷に奪われれば後は僧院に入るぐらいしか道はないが、運命はリチャードの生から王冠を奪いはしないし、数多の犠牲に報いるためには、自分から降りることも出来ない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月23日
そもそも、世を捨て名を捨てる道は二度、雨の森の中で差し出され、ニ度跳ね除けられた選択である。
リッチモンドが悪辣なプロパガンダ(と、切り捨てられないのが困った所で。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月23日
淫奔、残酷、貪欲。
世論を味方につけるべく生み出される物語には、確かにリチャードの一部が焼き付いてもいる。しかし、一部だけであることを僕らは、既に知っている)を使って、掴み取ろうとしている玉座。
”ヨークの男”でありリチャードを継ぐものとして、我らが主役があれだけ求めたものが毒蛇の巣であり、空しき呪いであることは、既に幾度も描写されてきた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月23日
信念なき軽薄な道化がその栄光を奪うことに嫌悪もあるが、その邪悪さを思うと、むしろあの強靭こそが最も王らしき王…なのかもしれない。
ならば我らが主人公は王に向いていない存在であったのかというと…どうなんだろうね。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月23日
求めるもの全てが奪われていく窮状は、王冠をその手に掴むべく選んだ因縁、その結果だとも言える。
剣を取るものは、剣によって滅ぶべし。
謀略によって手に入れた王冠が、謀略によって奪われるだけ。
そういう見方もあるし、リチャードの生真面目と公平は、平時の王としては善きものを生み出せたのではないかな、とも思わせる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月23日
その予感が蹄鉄でメチャクチャに踏み荒らされ、最悪の暴君として泥に叩き落されるからこそ、悲惨は際立ち、伝奇の味わいは奥行きを増す。
因果なことである。
妻、母。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月23日
聖女、魔女、あるいは乙女。
様々な顔を持つ”女”の物語でもあったこのアニメ、今回がその総決算という感覚もある。
アンは死の床について、国母としてこらえてきたエゴをむき出しにして、時の巻き戻ることを願う。
流されてたどり着いた宮廷に、満ちる悪辣な毒。
そんなモノ知らねばよかったと呪いつつ、我が子が茨に囚われず、生きていける未来だけを強く望む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月23日
エドワード王子の幼い死まで史実通りに描かれていたら、流石に見てるこっちの心が持たなかった感じもあるので、死を装い廃嫡する展開になったのは、面白くもありがたい。
名を捨て死を装い、生を得る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月23日
これはバッキンガムがリチャードに手渡そうとして、お互いの生き様故に選べなかった道である。
アン末期の祈りを聞き届け、己の玉座が危うくなると知りつつそれを叶えたのは、父の世代が永遠に囚われた悪業から、無垢なる少年が抜け出せた現れか。
エドワード王子はその年齢に相応しく、とにかく無垢で無力な、護るべき存在として描かれている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月23日
そう扱われる反発から、玉座を掴んで己を証明する道へ突き進み、結果すべてを失いつつある父の目からすれば、王子個人の意思を問わず、道を押し付けることは、ある種の正義なのかもしれない。
父と共に雄々しく闘い、共に死ぬ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月23日
あるいは、その死に永遠に呪われる。
リチャード自身が愛ゆえに進んでしまった道を、アン末期の祈り、それを受けての王の決断は塞ぐことになる。
それでも愛していたからこそ、リチャードはこの血塗られた道を進んだ。
前回バッキンガムに告げたように、そこには辛すぎる重荷と耐え難い呪い…そして頂点に立ったからこそかすかに見えた、眩い光があった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月23日
王子廃嫡の決断は愛に報いたように見えて、エドワードからある未来を奪う、身勝手なものであろう。
しかし、これまでお話がずっと描いてきたように…
人が生きるということは、否応なくそういうモノなのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月23日
エドワード王子の決着に、リチャードとバッキンガムのifを見たとしても、そこには満点のハッピーエンドなどない。
愛と自由意志を父なる存在によって捻じ曲げられ、ただ己でいたいという願いすら、書き換えられる残酷の果ての、小さな平穏。
どの道に転がっても三界火宅、愛も真実も栄光も、塵界の泥にまみれている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月23日
そこが良いな、と僕は思っている。
逃げ道を徹底的に潰して、あらゆる可能性を人間のどうしょうもなさで埋め尽くして、それでも微かにきらめく、祈りと誇り。
あるいはおぞましき闇と混ざりあった、純白の眩さ。
妖怪力を更に上げた、作中もう一人の”母”、エリザベス。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月23日
彼女は流転の果てに我が娘を”最後の光”として、リチャードの宿敵に嫁がせる。
この決断は俯瞰で見れば、栄光のチューダー朝の母として、その血を繋ぐ妙手なのだが。
同時に、ベス個人の祈りを残酷に踏みにじる、身勝手な決断でもある。
父をこそ世界の光として、それに愛され呪われてここまで来てしまったリチャードの治世が、終わろうとしているこのタイミングで、母なる暗黒から”光”と見初められ、憧れの人を大罪人と貶める未来に飲み込まれていくベスが描かれるのは、なんとも皮肉…であり、キレイな構図だとも思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月23日
愛なき婚礼、冷たき褥。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月23日
それこそが責務だと、あるいは復讐の道具だと己を納得させて、胎を使って強かに生き抜く怪物。
母。
全てが決算されるボズワースを前に、彼女たちの仮面は剥がされ、願いがむき出しになっていく。
その姿はまこと醜く、大変に嘘がない。
王子廃嫡を願うアンも、娘を”光”と呪うエリザベスも、この土壇場で己の地金を見せつけてくれた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月23日
ここら辺のむき出しは、勝者たるべき腐れリッチモンドのペラペラ感と好対照で、やはり前者に好意を抱いてしまう。
底が知れない…ていうか、内側がないんだろうなあの男。つくづく、”王”に向いてる。
リチャード直接の母であるセシリーも、終焉を前にしてその業を解かれていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月23日
突き出される呪いと、毒と投げかけた最後の真実。
栄光も生きる意味も、愛の証も失ってしまったリチャードにとって、それは胸を引き裂く痛みと同時に、ある種の解放をもたらす。
リチャードは母が自分とよく似た、犠牲者であると認め、その憎悪と呪いを許す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月23日
冷たく突き放されてなお、愛されたかった自分を認め、涙ながらに戦場に赴く。
セシリーは己を受難者ではなく罪人なのだと、罪を犯す自由と力だけは己にあったのだと、必死に叫ぶ。
この、無力なまま流されるだけの存在ではいたくなかったという叫びこそが、母子が同じ業を背負っている大きな証明だと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月23日
正しく在ることをけして許してくれない世界の中で、人に何が許されているのか。
呪いと謀略だけが、自分がそこにいる証明ならば、迷わず茨を掴む。
自分はけして、大いなる存在に許されるだけの受動的存在ではなく、願うまま身勝手で邪悪であったのだと、苦悩に塗れながら吠える獣たち。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月23日
思えば、このお話の死者たちは軒並み、そんな存在であった気がする。
ほーんと、良いことなんも出来ない話だからな…やっぱグノーシス主義レディコミだよ。
リチャードが生まれた時から過ちと呪いを刻み、その人生を捻じ曲げてきた最大の悪役、母なるセシリー。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月23日
その罪と弱さを理解し許してしまうことは、それが生み出した怪物を人間に戻す行為でもある。
幾度も己の半身を殺し、愛は何も生み出さず、苦痛だけが積み重なるこの世界。
そこに産み落とされてしまったのならば、そう生きるしかないだろうと、セシリーの呪詛を許し別れの言葉を告げたリチャードは、既に諦観の極地にある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月23日
王権の青い指輪も、探し出した薔薇のブローチも、美しいドレスも、形あるものは皆、愛するものに差し出してしまった。
狂気と孤独を加速させ、自分を真実”悪魔の子供”にしてしまった呪いにすら、リチャードはもう憎悪を向けない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月23日
それは亡霊…あるいは天使の思考であり、ここに行き着いたらそらー、死ぬしかないだろう。
涙ながらの決別は、セシリーだけでなく僕らにも向いているのだ。
やっぱ共に地上の栄光を目指し走ったバッキンガムを、その手で殺した時に、この物語が追い求めていた答えは出てしまった感じがある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月23日
世は虚しく、黄金の輪は呪いでしかない。
それでも、己が己であると獣のように吠えるしか、出来ることはなかった。
その吠え声は、確かに何かを浮かび上がらした。
神への愛、天上の幸福など目もくれず、血と泥に塗れ走り抜けた日々。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月23日
その先には常に、愛するものと別れる辛さ、己の求めが満たされない苦しさがある。
それは玉座に就こうが、半身を見つけようが、人が人である以上必ず追いついてくる。
…リチャードがリチャードである限り、か。
それでも、リチャードがリチャードであるしかなかったこの物語に、意味はあるのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月23日
それは次回引かれる幕の果てに、僕らが見つけるものなのだろう。
それを見つけさせてくれるための材料は、これ以上ないほど無惨に切実に、幾人もの犠牲者/罪人の血と涙、祈りと呪いで、刻まれてきた。
そこに、我らの王の墓碑銘もまた刻まれる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月23日
…”薔薇王の葬列”ってのは皮肉なタイトルだなぁと、ずっと思ってきた。
白薔薇のヨークと赤薔薇のランカスターを統合し、王朝の紋様と選ぶのはリチャードではなく、彼を弑する軽薄な道化の方だ。
薔薇戦争は、リチャード三世の死を以て決着する。
あるいは”戦後”に君臨するヘンリー七世には、血と裏切りに汚れきったあの戦争を体現する称号は相応しくなく、二つの家名に宿る愛憎全てを背負い戦場に赴く我らがリチャードこそが、やはり”薔薇王”なのだろうか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月23日
茨は悪地にこそ咲く。
思えばこの作品で描かれた薔薇は、軒並み貧弱な園芸種ではなかった
ならば棺には棘に満ちた花を手向けと満たして、その総身に流れていた赤い赤い人間の血潮を、最後まで描きぬいて欲しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月23日
…でもこの”リチャード”に、原案一番の決め台詞を言われちゃったら、色々辛い感じもあるな。
馬より王冠より、もっと切実で残酷なものを求め、満たされず、ただ一人。
その物語が終わる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月23日
全く身勝手で、醜悪で、おぞましく、救いのない話であった。
この世は罪人だらけの牢獄で、光に思えるものは呪いであり、祈りの果てには悲劇しか待たないと、容赦のない物語だった。
だから、俺はこのアニメが大好きだ。
最終回、非常に楽しみです。
追記 秘密が溝を生み、それをさらけ出しても悲劇の火種となる。どう転がろうが、幸福に終わるはずもない物語であったが、しかし確かに微かに、森の中の灯火のようなものが……。
薔薇王追記
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月23日
セシリーは『夫は私の闇を愛してくれなかった』といったが、身体の秘密、心の奥底の野心全部ひっくるめでリチャードを求愛したバッキンガムの末路を思うと、闇すら愛しても幸せな結末が約束されているわけではないよなぁ…と感じる。
ここも、このお話が安楽な出口を用意しないポイント。
むしろハラワタの奥底まで共有した上で、それを公にできない閉鎖性が二人の関係性を追い込んでった感じすらあるので、どう転がっても人が生きるのは難しいな…という顔になる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月23日
しかしその秘密は、悪魔と罵られ否定されるべきでなく、今の価値観なら一つの個性と肯定されるべき身体の現れが基盤にある
時代と家名が最悪の絡み方した結果、母も子もこういう形でしか己を保つことが出来ず、少なくともリチャードはその業を許し母と自分を解き放ったのが、死の直前というのがまぁ…。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月23日
やるせなく業が深いが、この局面でしか立ち現れない共感と許しだという納得もあるシーンだった。