薔薇王の葬列を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月29日
天下分け目の決戦を前に、せり上がる孤独と血の味。
王冠の中の楽園を求め、悪徳にまみれ走りきった先に待っていたのは、孤独な戦場だった。
それでも、だからこそ。
己が選び取った道へと、黒衣の王は剣を手に進む。
その果てに、甘き夢のあらんことを。
さようなら、リチャード
そんな感じの最終回である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月29日
”馬をくれ、馬を。
馬一頭でわが王国をくれてやる。”
”リチャード三世”といえばの末期の言葉を、僕らのリチャードは言わずに死んでいった。
(この原案への誇りある反逆は、”立つんだジョー!”を極力言わせなかったメガロボクスと同じ気概を感じる。とてもいいと思う)
魂を繋いだ半身も、妻も子も去り果てた孤独な玉座は、もはやリチャードを苛むばかり。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月29日
リッチモンドとの王冠を賭けた決戦には、ギラついた野心も譲れぬ決意もなく、自分自身が掴みとった”王”の責務を、泥に汚さんとする微かな責任感だけが灯っている。
全ては、既に終わっているのだ。
史実も原案も、ボズワースの悲惨な死をリチャードに約束しているし、そうなるべく物語は進んできた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月29日
必然の死を飲み込ませるべく、死病と孤独と後悔に弱り切り、現世でもはや救いもない零落の姿を、僕らに見せてくれている。
もう、死んだほうが良い。
そう思わせるための描写…とも言い切れまい。
そういう俯瞰の読みは、原案に限らぬ莫大なシェークスピア文学、あるいはキリスト教への視線と重なり合いながら、この作品にいつも生きてきた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月29日
同時に大胆な奇想から”リチャード三世”を読み直し書き換え、そこに生まれてしまったキャラクターを活かし切って殺すという、作者の責務に忠実でもあった。
男女両方の性を刻まれ生まれ、光を求めて悪逆の限りを尽くし、裏切られ奪われそれでもなお、微かな”何か”を掴んだ、一つの人生。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月29日
その幕が下りるまで、リチャードをその善も悪も描き切り、語りきろうとする筆の強さは緩まない。
戦場と玉座から離れ、”リチャード三世”ではない誰かとして幸福になる。
そういうIfを何度も否定してきた物語は、最後の瞬間もまた、名を捨て生きる道を塞ぎ、地獄めいた現世の泥に沈む道を描いていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月29日
”リチャード三世”が旗印と選んだ白い猪に導かれるように、幾度目か森の奥。
そこでリチャードは、ティレル/ヘンリーと出会う。
(画像は”薔薇王の葬列”第24話から引用) pic.twitter.com/dut3OWMcQv
彼が真実ヘンリー六世であったか、白紙の記憶に伝聞を書き込んだ別人であったか、結論は出ない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月29日
しかし弱りきったリチャードの心は、そこにかつて惹かれた男の幻を見て、暗殺者の言葉は優しき羊飼い、王の孤独を共にできる友のそれとして、甘く響く。
ここの芝居は、緑川光が流石に巧すぎる…。
時を巻き戻し、平和に生きられる幻。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月29日
あまりにも辛いことしかなかった現実を否定し、何者でもないリチャードとして生きていく幸福。
バッキンガムも同じく森の中問うた未来に、リチャードはやはり惹かれ、それでも背を向ける。
薄暗い森に、自分だけの答えを力強く告げた時、闇に光が道、十字架を描く
この作品のリチャードには、常に贖い主のイメージが重ねられていたと思うが、それが最も顕著に、鮮烈に描かれるカットと言えよう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月29日
年表に既に刻まれている結末に、野望と悪辣の決算に、背を向けるのではなく真っ直ぐに向き合い、己の物語として受け入れる。
そこには、ある種のトートロジーがある。
楽園に導く眩い光がどこかにあって、それを探し追いつかみ取った冒険譚の結果として、世界と自分を(苦笑い混じりに)肯定できるわけではなくて。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月29日
過ちだらけの茨道を、それでも突き進んだ…突き進むしかなかった歩みが、一瞬だけ世界を光に満たす。
そうして振り返った先に待つは、あくまで灰色の現実
そんな事は百も承知で、リチャードはティレル≒/ヘンリーの影に背中を向けて、森から出ていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月29日
王都という、石造りの牢獄に輝く栄光から逃れた、何もかもが自由にいられる楽園。
そう思えてた森は、白い猪が長く生きてはいられない、もう一つの荒野でしか無い。
戻るも進むも、みな荒野。
ならば、人生のすべてを賭して求めた居場所へと戻ろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月29日
元々楽園に生まれついたのでないなら、森の中の道は帰り路ではないのだから。
黒いフードに一瞬、影法師のように見えるティレル・ヘンリーとの対話は、ここまでの物語をリチャードがどう受け取り、どう終わらせるかを鮮明にしてくれる。
死地を前にして、リチャードは一人目のヘンリーとの対話と和解を果たし、あの時望んでいたように友達になる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月29日
それが真実、死地から蘇ってきた王との再開なのか、妄想のはての手慰みなのか、作品は明言しない。
一瞬の幻か、永遠の約束か。
流れる涙の意味は、ここまで見てきた観客に委ねられている。
やっぱそこが良いな、と思った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月29日
血と涙、情と業に濡れて湿り気の強い作品なんだが、どっかに突き放した視線があって、同時に優しくキャラクターの愚かさ、ドラマのうねりを抱きしめてもいる。
この距離感が心地よくて、作品に浸りつつ楽しく(そして、たいへん辛く)見届けれた感じがある。
何もかも空しき世界で、死だけが救いだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月29日
救済の天使のように透明な生き方をしていたティレルも、リチャードを襲う苦難と愛の物語を受けて、光を希う人間としての業を、己に認める。
人を喜びにも破滅にも救う、まばゆい光。
それなしでは生きていけず、それ故愚かに滅ぶ黄金を、リチャードに定める。
赤と青の指輪を巡る演出は今回も元気で、リチャードに最後に残ったものと、この戦場で最後にすがったものを、よく描き出してくれる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月29日
ティレルの掌(と、そこに宿るヘンリーとの和解)、ケイツビー最後の忠愛を受け取るのは、共に赤い指輪の埋まった掌。
(画像は”薔薇王の葬列”第24話より引用) pic.twitter.com/e2LdCLPcYE
それは王の半身が委ね、自らの手で殺したあとに残った、愛の残滓である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月29日
死と共に赤い愛も泥に汚れていくが、バッキンガムがティレルに託した指輪は、”王”の装いとともに戦場に戻る。
白馬と、王権の青い指輪。
それが髪を染めたヘンリーを、”リチャード三世”と誤認させたら…
そんな儚い夢を見るための小道具としても、指輪は機能する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月29日
因果の環は複雑に巡って、赤と青の指輪の所有権は移り変わってきたわけだが、この最後の戦場で地上の栄光と天上の愛は再び出会い、両方とも敗北にまみれていく。
別にそれが、死をはねのける奇跡を呼びはしない。
ただその二つが、奇縁に導かれてこの終幕にもう一度重なれたことに、微かな慰みを感じるだけだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月29日
青の指輪が示す王の資格は、リチャードが戦場に戻る最後の矜持、最後の理由でもある。
王冠の奥に楽園などなかったが、しかしそれでも、私はそれを選んだ。
そこに、私の全てがあった。
だから退かない。
騙し、裏切られ、奪われ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月29日
殺し、殺され、終わっていく。
そればかりの物語であったと告げるも同然の決意だが、確かにそこには父が望んで果たせなかった”王”を目指し、突き進んで高みに至ったリチャードの矜持がある。
とても虚しくて、何もかもが上手くいかない物語ではあったけど…
確かにそこには、何かがあった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月29日
王冠の奥に楽園を夢見ても、けして救われなどしなかったけど。
それを掴むために、沢山の罪を重ねたけど。
それでもここまでの物語は、嘘ではないのだと。
物語自身が告げてくれることは、切なる哀しさと見届けさせてもらうありがたさを、強めてくれる。
責務に潰された、柔弱なるヘンリー六世。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月29日
真実の愛に振り回され、国を見出したエドワード四世。
薔薇王は皆極めて愚かで、王たるべき資質のないものであった。
リチャード三世もまた、開戦前に”三人目のヘンリー”が指弾するまま、悪と欲に突き動かされた大罪人ではあるが、しかし青い指輪は戦場に戻る
”ヨークの男”に恥じない、善き王たるべきという清らかな願いを、リチャードが口にすることは許されないと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月29日
その生き様と行いは全部、その願いを裏切っている。
しかし彼が死地に立ち戻るのは、”王”なる虚しき夢を体現し、それを求めた己の人生に嘘なく終わるためである。
その空威張りは末期には遅すぎたようにも思えるし、最後の最後で救いが来たようにも、その光は幻であるようにも思える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月29日
その多重の影が最後に見えるのは、なんだか良いな、と感じた。
濃すぎる情愛と執着に踊らされた”私”の物語が、”公”をどう扱うのか。
その答えが、豊かに揺らめいている。
かくして前王は自ら剣を握り、王朝百年の安寧を打ち立てる新たな王は、影武者を立てて万全に勝利する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月29日
開戦前、両陣営の”王”が何を手にしているか。
あれだけ焦がれた王冠が宙を舞い、泥に汚れ、新たな王のこうべを飾る様子。
モノが豊かに喋る最終話である。
(画像は”薔薇王の葬列”第24話から引用) pic.twitter.com/X0fE54lrpp
これまで抽象的な絵柄で描かれてきた残酷な戦場は、主人公の命を啜るにあたり、常時リアルな実感を伴って描写される。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月29日
死を前にしてようやく、影絵でしか無い虚しい自分を、悪魔と罵られた身体を、”リチャード”を抱きしめるために必要な、己の在り方を肯定できる。
悲しき矛盾、喜ばしい結末。
原案では捻くれた身体へのコンプレックス故に悪逆の限りを尽くしたリチャードであるが、今作では狂気に宿ったジャンヌこそが、傷つき揺らいだ己の影なのだと認める結末となる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月29日
イングランド王の、呪われし仇敵。
女の身でありながら剣を取り、男の装いをして国を救い燃やされた魔女。
きれいは汚い、汚いはきれい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月29日
魔女に相応しく、相反する事実が奇妙に混じり合って同居する、狂気的現実を語る幻聴は、つまりリチャード自身の心の叫びだったのだ。
それを認めることで、リチャードはようやく”リチャード”を愛することが出来る。
もう一つの鏡として黒髪の偽王を一瞬、瞳に宿しながら
他人の中にこそ、自分を愛し世界を生き抜く鏡がある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月29日
そのために必要な慈愛など、遥か彼方に遠かった…だからこそ求め裏切られてきた物語が終わる。
終わるからこそ、リチャードは己が追い求めてきたものを遂に掴み、王冠を泥に汚し己自身を抱きしめる。
地上の栄光など、必要なかったのだ。
そう識るためには、全てを求め全てを失い、全てが終わっていくしかない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月29日
何しろ皮肉と矛盾の多い話であったから、そう終わっていくのは全く自然だと思う。
そしてつくづく、『どうにかならんかったのかな…』という未練にも囚われる。
どうにもならんからこうなったのだが、それでも、ね…。
幾度繰り返しても、光を求めて手を伸ばす。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月29日
そんな己の…己に携わった全ての人の業を認めながらも、リチャードは薔薇の褥でようやく眠る。
抜け出せぬ螺旋の果て、たどり着けた罪業なき楽園。
それは夢でしかなく、これしかありえない、この物語の終着点。
(画像は”薔薇王の葬列”第24話から引用) pic.twitter.com/9Q3c8v2niu
ラストカットのリチャードが、少年のように少女のように、けして父の愛を呪いとし追い求め続けた”ヨークの男”には見えないたおやかなありようなのが、儚くも切ない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月29日
それは生まれ落ちた時の始原の姿であり、そこに立ち戻るためにはこんなにも、茨生い茂る苦しい道を進むしか、なかったのだろう。
かくして、薔薇王は死んだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月29日
その道はおぞましくも荒々しく、美しくてまた醜く、愛なるものが生み出す地獄も、栄光を求めて溢れる血も、悪なる手段を選ぶしか無い魂の汚れなさも、色濃く滲む物語であった。
扱うネタの分厚さに翻弄され、展開されるドラマに振り回され、大変疲れもした。
だが、楽しかったし、悲しかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月29日
とても好いアニメであったと思う。
影絵調の尖ったヴィジュアルと、芝居がかったセリフの選択は、独特の味わいを作品に宿しよく機能していたように思う。
常時暴れ来るセックスとバイオレンスのエグさに、目を奪われず、その奥にあるものを描き切る。
そのための武器としても、影絵が虚しく性と暴力を演じる演出方針は、いい仕事をしていたように思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月29日
イングランドを覆う、陰鬱で重たい灰色の空気。
中世特有の石造りの冷たい情景が、人間のままならに閉じ込められ、それでも人間だからこそそこを突破する光の救済を求める思いの強さを…
だからこそ片っ端から間違えまくる、愚かさとどうしようもなさを、よく際立たせていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月29日
別にこの時代と僕らを取り巻く現代、何が変わったわけではないけども、生来切り離せぬ身体の在り方、生まれついての性を”悪魔”と呪い、子を為す責務に呪われる牢獄から、少しは開放されているような感覚も受けた
過去の価値観と情勢を、奇想と語り直しを交えつつしっかり描き切る筆の強さが、逆に今も続く人の業と問題を炙り出して、ひどく現代的な物語の矢尻を、胸に残す作品でもあった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月29日
社会に認められぬ秘密と罪を、その性に抱えてしまった、無辜なる犠牲者としてリチャード三世を描き直す。
家という楔、愛という呪い、性という軛。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月29日
様々なものに縛られ、狂気と現実の狭間でさまよい、受け入れられたと思えば裏切られ、血と罪に汚れて救いを求める。
このお話が描く”リチャード三世”はとても人間的で、怪物めいておぞましく、天使めいて綺麗で…色んな顔をもっていた。
その複雑な顔全てが、僕のリチャードなのだと思える物語だからこそ、史実に約束された悲惨な死を迎えてなお、奇妙な爽やかさと切なさが、余韻と残るのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月29日
そこに視聴者を引っ張り上げてくれる物語を、語りきってくれたこと。
とてもありがたく思う。
バッキンガム公の叛乱、二王子の末路、ティレルの変節。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月29日
悪逆なる”リチャード三世”の真実を描く歴史伝奇として、薔薇戦争に付きまとう数多の謎に、自分なりの答えを出していたのも、大きな楽しみでした。
史実と原案を元にしたファンタジーなのだが、やりたい放題やりつつリスペクトがある。
その塩梅が良かったです。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月29日
深夜アニメとしても珍しいくらい、性と愛、家と親、社会と人間に関して常時ドロッドロの刃をブン回し、深い所まで切り込んでいたのも肌にあった。
ここら辺は、原作が連載されているメディア特有の味わいなのかなー、と思ったりもする。
前半から匂わせていた、現世の栄達を追い求める虚しさ、そのために踏みにじられるモノのおぞましき悲しさへの見解が、終わりが近づくに連れて登場人物に近寄っていって、虚しくともなお己の物語を唯一の必然として、生き抜いて死ぬ歩みが形になっていったのは、大変良かったです。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月29日
スキャンダラスな性の蹂躙、無惨極まる謀略を後暗く楽しませつつも、その泥に塗れながらキレイなものを諦めきれないさらなる業を常時見据える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月29日
正しさという狂気で登場人物を断罪せず、平等に愚かな罪人として相応しい末路をくれてやった容赦の無さ、大変痛快でありました。キチーわマジ…。
ほんと色んなところに目配せが飛ぶ豊かな文学だったので、全部を拾い切れた自信は欠片もありませんが、自分の中から色んなものを引き出して、作中の描写と響かせながら読んでいく体験は、とても楽しかったです。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月29日
やっぱ史劇(ベースのフィクション)は、こういう硬い食感を噛み締めれると楽しいね。
運命に流され惨苦の限りを尽くした悪逆の王に、甘ったるい同情をけして寄せなかった所も、僕は好きです。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月29日
いやリチャードへの視線は人間的共感に溢れ、その存在は美しいものとして書かれてんだけど、同時に欲望のまま踏みにじった報いも、その悪性も揺るぎなく書ききってたのが、良いなと思うわけ。
というわけで、大変胸に残る2クール24話でありました。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月29日
大変面白かったです。
消化するのに大変なエネルギーを使う、難しく険しく残酷な物語なので、万人気楽に味わえ…とはけして言えない。
しかし、たしかに素晴らしい物語でした。
ありがとう、お疲れ様でした。
追記 こんだけ徹底して『王様とかみんな為りたがるけど、ほんとロクでもないよ?』と描き続けた国盗り物語も、早々ないと思う。
追記
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月29日
中身空っぽなリッチモンドが奸計を弄し王冠を拾う結末は、漁夫の利感のある納得いかない結末にも思える。
しかし王冠の呪い、権勢の虚しさを幾重にも書き、政治を道化芝居と示したこの物語において、勝者であることは必ずしも、その正しさや強さを意味しないだろう。
リチャードが追い求め掴み、それ自体がけして救いにはならなかった玉座の輝きを、救いと思える愚かなる道化だからこそ、堕ちた王冠を拾って、これから長い治世を踊りきれる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年6月29日
そんな皮肉でもって、空っぽなるヘンリー七世を寿ぐ結末になったように思う。
その玉座に栄えあれ。