イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

チェンソーマン:第10話『もっとボロボロ』感想

 敗残と喪失に打ちのめされても、物語は続くし腹も減る。
 生きたり死んだり、死ぬよりひどい目にあい続けたりする人生大惨事すごろく、次のマスは……という、チェンソーマン第10話である。
 吉原達矢二度目の登板でどっしり、バディを失ったアキくんのズタボロと、ズタボロである悲しみすらその身に染み込まないバカガキ共、そこに極限のスパルタブチ込んでくる師匠的存在を描く回である。
 強敵に敗れて修行回……いかにもジャンプ的展開であるけども、この作品は”チェンソーマン”である。
 悪魔の力を使えなくなったアキくんは残り少ない寿命を削って『役に立つ』自分を半ば強制的に作り出していくし、デンジくんとパワーちゃんはツダケン声のヤバい中年に行くどもぶっ殺されて、デビルハンターとして一皮むけていく。
 死んだり殺されたりした程度では止まってもくれず、その悲惨さを思い知る賢さも足りてない、野良犬共の足跡。
 それを絵画の如き美麗さで切り取っていくアニメの筆致が、よく際立つ回だった。

 

 

 

画像は”チェンソーマン”第10話より引用

 死者への弔慰も怪我人への気遣いも持ち合わせてないクソガキどもは、アキくんの傷心が横たわる病室でも、構わずはしゃぐ。
 しかし生存者であるコベニの去来を話し、つまり姫野先輩はもういない事実を告げた後見開かれる瞳を、デンジくんも見落とすわけではない。
 ここは結構屈折したやり取りで、『姫野先輩は死んだのか?』とダイレクトには聞けないアキくんと、そんな複雑さを察せず額面通り答えて、自分の言葉がナイーブな同居人に染み込む様子を受けて、本当に知りたかったことを思い知るデンジくんが、とても丁寧に切り取られている。

 アニメの筆致は全体的にゆったりと深くて、ジャンクフードをガツガツ食い散らかすような原作の快楽とは大きく異なっているのだけども、ザラ付いた表現の奥にあるナイーブな感覚を掘り下げて、新たに晒す手段としては結構良いと、僕は思っている。
 クソ低能のどチンピラに思えるデンジくんや、荒廃した擦れっ枯らしを演じて自分を守ってるアキくんの”人間的”な繊細さが描かれる度に、そういうモンを生来得ることが出来ない、食い物と猫にしか興味を持てないパワーちゃんの異質さ……それがだんだん変化していく様子も、しっとり味わうことが出来るし。

 

 

画像は”チェンソーマン”第10話から引用

 デンジくんはあんだけ『俺だけのもんだ』と執着していた林檎を見舞いにおいて、病室を後にする。
 アキくんはその不格好な優しさ……デンジくんが優しさだと気づいてすらいない優しさを手に取るより、バディに無理くり吸わされてきたタバコを手に取る。
 体に良くはない、吸い込めば郷愁と痛恨の味がする嗜好品は、胸にこみ上げる痛切にへし折られて、口にすることは出来ない。
 それは姫野先輩を燃やし尽くし、肺にして忘れることができないアキくんのナイーブさと、過去に溺れて己を苛む道にも進めない行き場のなさを、同時に示す。
 栄養いっぱいの林檎を食べれば、姫野先輩が死んだ世界でそれでも生きて行くしかない自分を、養って満足して立ち上がることも出来ただろう。
 タバコの苦い味を噛みしめれば、それを自分に押し付けた人の思い出と喪失にクラクラ溺死して、涙の中で眠れただろう。


画像は”チェンソーマン”第10話から引用

 

  でも、アキくんはどちらも飲み込めない。
 デンジくんが体現する、難しくて楽しくないことは考えず思い出さない、ある種動物的で逞しくもある生き方を選ぶことは出来ず、湿り気の強い人間味をドボドボ瞳から垂れ流す。
 銃の悪魔にあっけなく奪われた、人間として子どもとしての当たり前の幸せが傷になって、寿命捧げて復讐鬼続けているように、姫野先輩の喪失も深く心に刻んで、泣いて泣いて泣いてないふり乾いてるふりを続けて、人生を燃やし尽くしていく。
 ガキどもが散らかしていった病室の惨状は、気付けば千々に乱れるアキくんの心をその外側に放おり出していて、見ている側を痛切にえぐる。

 そんな情感の濃い”マトモさ”を扉越し受け取って、デンジくんは立ち尽くす。
 扉の向こう側で泣いてる”人間”を、メンタリティは極めて悪魔なパワーちゃんが一切見ず、廊下の向こうにひと足お先なのは面白い。

 飯が食えて寝床があって、生きてるだけで丸儲け。
 誰が死んだとか、誰が好きだとか、そんなめんどくせーこと考えたくもないクソガキは、成り行きで突っ込まれた組織の、いけ好かない同僚が心から溢れ出させる複雑さを間近に受けて、ちょっとずつ変わっていく。
 ……本当に?

 

 

画像は”チェンソーマン”第10話から引用

 真昼の光に白け、窓ガラスをレフ板にして世間が乱反射する病院の廊下。
 そこは悪魔の心臓を受け継ぎ、数奇な殺戮の運命に飲み込まれた少年が、心も置き去りにしてしまったかと悩む現場だ。
 ガラス越しの残影はひどく不確かで、人間の証が自分から去っていったのか、色んな人の死を想像して、泣けない自分の現在を痛感し戸惑うデンジくんの心象を、見事に可視化している。
 大好きだと思っているはずのマキマが死んでも、ケロッと立ち直って禽獣のごとく餌をかっこむだろう自分を、『それでもいいだろ!』と楽しくは思えない感覚。
 それは扉の向こうで泣きじゃくるアキくんに、林檎だけ手渡して内側に踏み込まないデンジくんの”今”に、彼自身が思うより遥かに繊細に乱反射している。
 義務教育も受けてねぇクソ低能だって、姫の先輩と人生が交わったあの夜に、約束を交わしたあの朝に、確かに何かを感じている。
 その心臓は動いている。

 でも、その実感は遠い。
 悪魔をその身に宿して、腕がぶっ飛ぼうが一回死のうがリセットされる怪物に成り果てて。
 ヤクザよりも遥かにタチが悪い公安に身を寄せて、餌で腹を満たす以上の充足を、自分には流れない涙に思い切り溺れている男の暮らしの中で、確かに受け取って。
 生きてるだけで丸儲けだと思わなきゃ、生きてはいけない人間のド底辺から這いずり上がっても、新しくて懐かしい難しさが自分を追いかけて、綺麗な色で包み込む。
 そんなデンジくんのナイーブな青春は、ガラス細工めいた色合いを確かに宿している。
 この廊下は、そのギャラリーでもあるののだろう。

 

 

 

画像は”チェンソーマン”第10話から引用

 まぁそんな繊細さに足踏みしてる余裕もなく、つえー敵に負けたんだから地獄の修行が始まるんですけどねジャンプ漫画だからッ!
 アルコールの力を借りて頭のネジをぶっ飛ばし、長年超ろくでなし稼業で生き残ってきた、最強のデビルハンター。
 ツダケンボイスも最高にセクシーな岸辺は、人生舐め腐ったクソガキの首を折り、ナイフでぶっ刺し、幾度も殺して蘇らせて、ハードコアに鍛えていく。
 バキバキに極まったカットワークが、岸辺のヤバさをしっかり際立たせ、大変良い感じだ。
 あと”現状”思い知らされたデンパワの死体が、ハートマークの血の池に仲良く沈んでるの、最悪にチャーミングで素晴らしい。

 殺しても死なない魔人とチェンソーマン相手に、強制的に実力を引っ張り上げる手段として、岸辺メソッドは合理的で有効だ。
 生きたり死んだりが一回こっきりな、人間の当たり前から大きくハズレた連中相手に、殺して学ばせるのをためらう理由はない。
 ドライで荒廃した刹那的日和見主義、人間としての大失格を”100点”と評して包容したのも、あながち諧謔だけではないと思う。
 なにしろ酒で頭ぶっ壊さないとデビルハンター続けられない程度には”マトモ”なわけで、しかし続けてりゃぶっ壊れもするわけで、殺しても死なないクソガキに負けず劣らず、悪魔のいる天国に順応した適正生存者こそが、イカれた話の師匠役にはふさわしい。

 

 

画像は”チェンソーマン”第10話から引用

 同居人共が最悪師匠にベコベコ鍛え上げられてる後ろで、アキくんはたっぷり泣いた後、”降りない”ことを選ぶ。
 家族を奪った銃の悪魔も、バディを殺した蛇の悪魔も、皆殺しにしてカタに嵌める。
 ”マトモ”だからこそのバランス感覚であるし、悪魔との戦いはそういう”マトモ”さを、頭から理不尽に丸かじりする形でしか継続できない。
 ぶっ壊れた復讐心を口にする時、クローズアップにされる刀とタバコは、他人と自分を殺す道具で、アキくんはそこから離れられない。
 離れないことを選んでいる。

 そんな決意を告げた後に、離れてほしいと願いつつ告げられたなかった人の思い出が、スルッと部屋の中に入ってくる。
 京都のデビルハンターに向けてた復讐鬼の仮面が、ポロッと落ちて人間の素顔見せちゃうあたり、早川アキはマジで人でなし向いてない。
 そういうモノを届けに来てくれる人、そこに宿った思いの重さが、身にしみて解ってしまえる人だからこそ、寿命も人間性ガリゴリ削らなきゃ立ち続けられない場所にしがみついてしまう。
 この病室の不思議な温もりと、未来の悪魔が閉じ込められている牢獄のヤバさ、両方が早川アキの現状であり、心象なんだろうなぁ、と思う。

 

 

 

画像は”チェンソーマン”第10話から引用

 それは彼のクズカスな弟妹たちも同じで、幾度もぶっ壊されてタガが外れた脳髄を、思いっきり殴り付けてなんとか立ち上がり進む星空は、まるで絵本のような頑是ない色をしている。
 空気遠近法バリバリのリアルな情景とは、ちょっと違った絵画的表現はこの作品の要所で顔を見せて、メチャクチャ俺に良く刺さる。
 ゾンビ皆殺しにした後の廃工場とか、ニャーコとパワーちゃんなけなしの愛が囚われてた家とか、写真的リアリティからちょっと外れた場所にある強い表現を活かして、苛烈にすぎる世界からちょっとはみ出したファンタジーを表現してる手付きは、大変好きだ。
 ……まぁこの、サン・テグジュペリ作品のような星空の無邪気さが、全然救いにも力にもならねぇ話ではあるんだけど。
 子どもが子どもでいられない残酷さを、当の子どもが一番気にしていない……気にできないほどなんにも知らない状況って、全くもって笑えねぇよな……。

 そういう感傷を引きちぎるように、岸辺先生のハードコア授業は続く。
 罠を仕掛けて待ち伏せる、借り物の賢さは鮮烈な後ろ回し蹴りで見事にぶっ飛ばされ、追い詰められた獣が必死に絞り出した策は、正面から打ち破られる。

 『獣が、狩人の言葉を信じるな』

 言葉で言っても伝わらねぇゴミカスに、つくづく良く刺さる教え(物理)に頭を貫通されて、デンジくんは彼にかけていた必死な本気ってのを、否が応でも身につけていく。
 殺されて、蘇って……まったく”マトモ”な伝授法ではないけども、岸辺の揺れない血みどろ対応はやっぱ二人にとって、とても適切な”修行”ではあろう。
 そうして鍛え上げた力で果たすのが、マキマが糸引く公安のお仕事なのか、もっと個人的でくだらなく切実な何かなのかは、残りの話数で描かれる部分だ。

 

 

画像は”チェンソーマン”第10話から引用

 バロックな場所にカメラを据え付けて、極めて不安定に切り取る、アキくんが”仕事”を続けるための、対価への旅路。
 ライティングもカメラワークもヤバさしか映さない場所に、閉じ込められてる悪魔は”未来”だ。
 OPでは空疎に、それでも追いすがらなきゃやっていけないキャッチコピーとして幾度もがなり立てられる”努力と未来”……その最悪の形。
 そこへ突き進んでいくアキくんの脳裏には、戯けた仕草で自分と相棒を守りつつ、ギリギリに軋んだ心を抱えてた相棒の言葉が、幾重にもリフレインする。

 父の病状を心配し、稼げるようになった自分を伝え、家族とコミュニケーションする手紙の中の姫野先輩はたいそう”マトモ”で、ゲロキスブッ込んでくるハイテンション女とは思えない。
 そういうモンで蓋をして、柔らかな私人の生肉を守らなきゃ生きていけない場所から、先輩はアキくんをとても心配して、愛していた。
 だから、もう退けない。辞められない。
 残り少ない寿命をさらに削り、感覚の殆どをぶっこ抜かれるような未来の悪魔……悪魔の未来と指切りしてでも、自分の大事なものを削り取ったクズどもに落とし前をつけさせる。
 そういう狭くて危うい道から、早川アキは逃げれない。

 加速し立ち止まらない運命は、どこにたどり着くのか。
 どう転がっても最悪だってのは、たっぷり描かれたし豊かに暗示もされて、次回がとっても楽しみです。
 ここまで来ちまったら、行くとこまで行くしかないじゃんねぇ……。