小市民シリーズ 第3話を見る。
覆水盆に返らず、割れたハンプティ・ダンプティは元の卵に戻らない。
起こってしまった事件を粛々と受け入れ日常に戻るのが小市民なら、知恵働きの限りを尽くして報復を果たす悦楽は、その腹には収まらない。
姫カットの天使が羊のきぐるみを脱ぎ始める、待ってましたの第3話である。
いやー…原作既読で本性知ってると、オドオド姫ぶった小佐内さんの描写やられるたんびにケツがムズムズして、『とっとと牙だせ牙ァ!』と、ずっと思っていたんだよ…。
タメと擬態が効いていたのもあって、大変いい感じに狼の本性が顔を出す回となりました。
やっぱこうじゃなきゃなッ!
というわけで、抑えていても思わず知恵と弁舌が溢れ出しちゃう厄介な本性を小鳩くんが見せてきた物語は、その側でおずおず無害ヒロイン演じてきた怪物の素顔を、ようやく暴き始める。
起きてしまったことは真相を暴いても元に戻らないが、いちごタルトを投げ捨てられ自転車盗まれぶっ壊され、苛立つ気持ちは暴いた真実を使って、裁きを下すことでスカッと晴れる。
小鳩くんは狐の自己顕示欲、小佐内さんは狼の暴力性。
それぞれかつて痛い目見て、相互監視の互恵関係で縛り付け合う小市民同盟を結んだはずなのに、獣の本性はなかなか黙っていてくれない。
まぁ、そういうお話である。
これがミステリ要素を含まないガチの日常系ならば、ヒネた人格に持っていきどころを探してウロウロ青春に迷う、薄暗く落ち着かないトーンをこのアニメ、選んではいないだろう。
”日常の謎”は何気ない毎日を知的なミステリへと変えるが、逆に言えば殺人事件のシリアスなトーンを日常の中に流し込むアダプターとしても、しっかり機能する。
平和に展開する”日常系”が、のっぴきならない生臭さ、危うさ、ままならさを秘めていると見せる装置として、ミステリはしっかり仕事するわけだ。
微笑ましい告白がポシェット窃盗事件になったり、コスい仕掛けでカンニングだの罪のなすりつけだの試みたり、このお話が描く”日常”はどこか薄暗く、生臭い。
穏やかに平和に、小市民的に流れていくはずの日々の裏側に、当たり前にある卑俗と悪意。
そういうモノが、推理の果て暴かれる。
この粘ついた質感は謎を暴かれる犯人側だけでなく、というかむしろ探偵役にこそ色濃くて、小鳩くんと小佐内さんは清潔な微笑ましさの奥に、獣めいた本性を必死に隠し抗う、結構打算的な関係である。
一人でいては、痛い目見たからこそ変えようと思った本来の自分に立ち戻ってしまうから、相手を楔に”小市民”を演じ続ける。
そうしなければ簡単に、他人を論破して悦に入ったり、復讐の甘さを求めて喉笛にかじりついたり、ヤバい自分にすぐ戻ってしまう。
そういうヤバさを表向きの平穏に隠しながら、ここまでの物語は描かれてきた。
ある意味、計算高く埋め込まれた演出的犯行の答え合わせをするエピソード…とも言えるか。




ここまでの二話でも徹底していた、小鳩くんと小佐内さんの噛み合わない視界、二人を隔てる垂直方向の障壁は、今回も元気だ。
小左内さんが規格外のやけ食いブッこむスイーツバイキングに、小鳩くんは付き合いつつも自分はフォークを使わず、モンブランは手つかずのまま残される。
かぶりつきでケーキを選ぶ小佐内さんの視線と、膝を曲げるほど甘味に夢中になれない和菓子屋の息子は、(これまでそうだったように)横並びになりながらも混ざりきらない、どこか余所余所しい距離感で描かれていく。
この遠さが、彼らいうところの”小市民”どうしの間合い…というわけだ。
ハンプティ・ダンプティという店名、ロッカーに落ちて砕けた花瓶、既に終わってしまったカンニング(あるいはその冤罪)、盗まれ轢かれた自転車。
今回のエピソードは、返らない覆水を追いかけ続ける。
そんな事にこだわっているよりもっと前向きに、別の何かを探し求めるべきなのに、どうしてもしがみついてしまう…何かが決定的に壊れた後の破片。
それは”小市民”であることで本性を縛り付けて、周囲との軋轢少なく生きていこうと決めた知恵者たちの、必死で無駄なあがきと繋がっている。
小佐内さんは復讐の甘美、小鳩くんは喝采の快楽。
どんだけ殴りつけられても、スイーツやけ食いで誤魔化しても、忘れられない己の在り方。
それがかなり致命的に一回壊れているからこそ、彼らはお互いを監視者として”小市民”を演じているわけだが、無駄と知りつつ人は溢れた水を盆に戻そうとする宿命を背負う。
日常に潜む謎を解析し、推理し、繋ぎ合わせて秘された真相へとたどり着いてしまう賢しさを、投げ捨ててただのモブに戻る潔さを、高校一年生の少年少女たちは持ち得ない。
それは投げ捨てたいカルマであると同時に、痛みと愛着に満ちた自分らしさであり、ぶっ壊れようが諦めきれない、自己実現への希求が謎解きには確かにある。
そして二人とも、そんな知恵ある獣の顔を自分に、まだまだ認められない。
諦められず、開き直れない、青臭く生煮えな青春。
小鳩くんと小佐内さんが、隣り合いつつも交わりきらない距離感で描かれるのは、お互い自分自身を認めず、その結果目の前にいる相手もちゃんと見れていない、賢ぶった離人感がベースにある。
無害な小市民を理想像に掲げ、取り繕った物わかりの良さで自分を抑えようとして、微笑みの奥に何かを隠し、真実が見えない。
探偵役自身が、暴かれないミステリを自分の内側に抱えているという矛盾した状況が、美麗でありながら居心地悪い独自の画面構成に良く滲んで、意地悪く二人の青春を削り出していく。
それは恋とも友情とも違う、どこかに冷えて遠い利己を隠した、賢くて愚かしい繋がり方なのだ。




クソ窃盗野郎を目の当たりにして、小佐内さんは獣の眼光で、甘美な獲物を睨みつける。
この狼の視線に、やっぱり小鳩くんは膝を曲げて同期することを避けて、剥き出しになってきた危険な本性から遠い場所に、自分を繋ぎ止めようとする。
つまり理不尽な惨劇もため息一つで飲み込める、”小市民”のポジションだ。
だがゆらりと傾いだ小佐内さんの魂は、もともとそんな軛で止まるほど生温くはなく、優れた推理力と怪物的な行動力を加速させて、彼女が本来いる場所へと進み出していく。
そんな過去への…痛みと破滅へのステップに、小鳩くんは並んでついていけるのか。
あるいは知恵働きを抑えられない自分自身をせき止めて、離れていってしまうのか。
二人を隔てる噛み合わなさと遠さは、喝采を求める安楽椅子探偵と、復讐を願うハードボイルドな行動派という、ジャンル違いの元探偵どうしの、距離感を描いている…とも言えるか。
今回グイグイと顕になるように、小鳩くんが論理こねくり回してそこで満足するところを、小佐内さんは踏み越えて血生臭く己の知恵を使うところがあって、探偵としてのスタイル、人間としての欲求がズレてる感じなんだよな。
そういうズレに向き合いきれていないから、表向きの平穏を装いつつも、同じものを同じだけ食べるような釣り合いは、二人から遠い。


赤い世界に炯炯と、獣の眼光を光らせる小佐内さんは、オドオド小動物ぶってたときよりも、遥かに生き生きと美しい。
獲物を論理の牙で血祭りにあげる悦楽が、抑えきれず首をもたげてきた小佐内さんは、さんざん小鳩くんの知恵働きの復活を避難してきたくせに、自分の中野獣を抑えられない。
上手く鎖をつけられない己の本性に、不器用に社会性の首輪をつけて凡人ぶって、でも研ぎ澄まされた才は制御を越えて、勝手に飛び出す。
探偵を探偵たらしめる異質性が、獣たちが羊に混じって生きる上での致命的な弱点となっていくのは、アンチ探偵小説的な視点でなかなか面白い。
ホームズ以来、多かれ少なかれ奇人変人ヤバ人間のカタログだった名探偵たちの肖像画に、新たな1ページを加える小市民コンビは、自分たちを探偵たらしめる『自分らしさ』を、つくづく呪っている。
ココアの入れ方だの学校の生臭い事件だの、大概の人が気に留めぬまま”日常”を過ごす場所に置かれると、名探偵の資質は周りも自分を傷つける凶器になってしまう。
そんな痛々しい過去を経て、探偵めいた仕草を封印して生きようとしても、獣は所詮獣であると、凶悪な赤に染まった思索空間が告げてくる。
そして獣めいた顔をしているときの方が、小佐内さんは素敵だ。
土台無理なんだよなぁ…頭脳明晰性格最悪ヤバ女が、はわわな萌えキャラぶるの…。
頭が良くて性格が悪い自分たちの在り方を、開き直れるほど小鳩くんも小佐内さんも大人ではなく、諦められるほど子どもでもない。
名探偵か小市民か、あるべき自分に悩み続ける舞台として”青春”は最適であり、”日常の謎”を主題とする青春ミステリの牽引役がこういう人たちなのは、ジャンルとキャラ造形が噛み合ったいい作りだと言える。
凶悪な色をした太陽を間に挟んでの、近づくことも離れることも出来ない半端な距離で、小鳩くんは小佐内さんに対峙する。
此処こそが、羊のきぐるみで自分たちを守ろうと決めた思春期の獣たちが、ウロウロ彷徨う現場なのだ。
いい色してんなーマジ…。




さて、頭が悪く性格がいい堂島くんは、小佐内さんより踏み込んだ前のめりでもって、ズケズケ小鳩くんの内側に踏み込んでくる。
前回自宅に呼びつけての尋問では、のらりくらり言辞を弄して真相を誤魔化していたわけだが、小佐内さんの中の獣が起きて、触れれば怪我するヤバい現場に首を突っ込みそうとなれば、安全圏に嘘を隠してばかりもいられない。
口ばかり上手いクソガキであったことで、傷つけられ後悔した小鳩くんの、着ぐるみの奥にある中身が、深い陰りの中で暴かれて…『それでいいだろ、それがお前だ』という肯定によって、眩しい光に照らされる。
その時、太陽は赤くない。
小賢しい知恵働き、自分を守るための嘘に逃げ込む仕草を、堂々遠ざけガサツに生き抜く、堂島くんのタフさ。
それを小鳩くんも信頼すればこそ、小佐内さんの用心棒に頼むわけだが、都合よく真実を隠して便利に人を使おうとすれば、彼だって反発する。
眼の前の相手を尊重しきれない悪徳から、全然抜け出せていない現状を突きつけられて、小鳩くんも苦悩しきりだが…堂島くんはそういう見苦しさもひっくるめて、小鳩くんに向き合い受け止めてくれる。
この近さ、眩さ、強さは、やっぱ小佐内さんを描くときのズレ方や遠さと対比するよう、かなり計画的に描写が積み上げられてる印象ね。
ともすればなんかいい感じのロマンスに収束していきそうな、微笑ましく可愛らしい控えめな男女。
こっちをお互いの真実を見切れないズレた嘘として描き、不躾に『嫌な奴』と言い切る同性の幼馴染にこそ、暗い閉塞を打破する光を手渡す。
この捻くれた描き方が、素直に青春賛歌やるつもりがない作品の意地の悪さを象徴しているようで、なかなかいいなぁ、と思う。
インスタントに『付き合っちゃえよ!』で、人格や関係を消費するキャラクター経済学から、ちょっと離れたところで物語を構築してる話だよなー。
ここら辺、”氷菓”の後に描かれた物語だなぁ、と思ったりもするけど。
覆水をどうにか盆に返らそうと身悶えしていた小鳩くんに、堂島くんは『戻んないんだから開き直れ』と、名探偵を再評価してくる。
お前がどんな失敗をして痛い目見たのかは知ったこっちゃないが、知恵働きに勤しむ嫌なお前のことは、確かに認めていた、と。
その素直な善意に照らされて、小鳩くんは持ち前の明晰をフル稼働させ、一人突っ走る復讐の獣になんとか追いつこうと、新たな一歩を踏み出していく。
そんな思春期のエンジンを駆動させるのが、結局”自分らしさ”との取っ組み合いなところに、シニカルで気取った作風の奥にあるベーシックなジュブナイルを感じる。
青春ミステリが追うべき謎は、いつだってあるべき自己像だ。
ここで知恵者の自分に光を当てられたからと言って、安楽な小市民への夢を捨てられず、まーたウロウロするのも愛しいところであるが。
知に働けば必ず立つ角を、避けるか飲み干すか…小鳩くんの青春旅は、まだまだ続く。
その隣に一度立ってくれた少女を、結局大事に思えばこそ、一番信頼できる男に話を持ちかけ、嘘っぱちじゃ動かないから本音を吐露し、不格好な嘆きを受け止めてもらった。
噛み合わなさも寄り添えなさも、いい感じに装って全然消えてない業も身勝手も、全部ひっくるめて青春。
なら良く回る頭と舌を加速させて、行くところまで行くしかない。
復活の知恵者は果たして、獣の速度に追いつけるのか。
小佐内さんが見つけ狙いを定めた、事件の真相とはなにか。
どういう描き方でここまでの謎を結び合わせ、真実を描くのか。
アニメならではの筆にも期待しつつ、次回もとても楽しみだ。