菜なれ花なれ 第5話を見る。
高崎商店街の太陽小町を育んだ、ドープな音楽の宿り木は枯れゆく。
滅びの必然を前にして足掻く少女に向けた声援は、祭り囃子に乗って高く響いた。
ホコリまみれで古臭いリミックス精神を、今様に改め高らかにかき鳴らすまでを描いた、杏那エピ後半である。
大変良かった。
第3話でかなたを飛ばした身内へのチアを、杏那に届けるところまでは、役者を変えたリフレイン。
なのだが、祭り櫓にオリジナルの歌と踊りを載せ、ヨガと盆踊りとチアを織り交ぜた自分たちだけの歌を皆で作り上げて、広く届けるという展開は、そこを超えたポンポンズの躍進を確かに感じられた。
どっしり腰を落としての穏やかな展開に、この作品独自の可愛げを踊らせる楽しさも相変わらず元気で、その眩しさが杏那から発せられる暗い影とバチバチぶつかって、とても面白かった。
苛立ちに任せキックミットに叩き込まれる蹴りの冴えが、彼女が笑顔の奥に秘めていた”暴”の才覚をしっかり教えるわけだが、やさぐれ荒れていた視線が引っ込み思案な幼馴染に手を引かれ、新たな仲間の前で生来の輝きを取り戻していくのは、影を描いたからこその眩さがあって良かった。
『この子、見た目通りのアーパーではないです』と、二話かけて杏那の暗さを描いてきたの、メリハリ効いててめちゃくちゃ気持ちよくなっちゃったんだよな…。
ミニ小父内が出てくるたび嬉しくなって笑っちゃうのもそうだけど、最初はキャラを掴みかねていたり表面だけで理解したつもりになっていた存在が、奥に秘めてる味わいを煮出す手つきがこのアニメ、独特かつ魅力的である。
仲間が感動の涙を流す中、一人シケヅラしてる小父内さんも、内心夕陽に思いを伝えた新しいダチが幸せになって、感動してたんだろうなとちゃんと思える。
”幼馴染”と聞いて思い起こすベタついた湿度が、杏那と穏花にはあんまりなくて、あの距離感でなお分かりきらない、混ざりきらない部分が残っているのもメチャクチャオモロい。
萌えの典型トレースしてるように見えて、かなり独自の削り出しだよなぁ…。
この独自性が女の子たちの可愛さをスポイルするわけではなく、むしろどっかトンチキな部分があるからこそチャーミングな顔を、上手く照らしてもくれる。
慣れないヨーガに奮闘する面々とか、黒猫ちゃんを間に挟んでじゃれ合う小父内さんとかなたとか、可愛い場面沢山あってとても良かった。
なんだかんだクソオタクなので、わざとらしい萌えテイストは大好きなのだけども、そんな欲望をちゃんと叶えつつ見たことのない味付けを独自に作り上げてくるのは、慣れ親しんだ味から少し逸脱していて、だからこそ面白い。
なんなんだろうなこの味…柿本監督由来なのか、ゆにこ先生と噛み合って生まれてるものなのか…とにかく美味いッ!
あんだけ『遠慮は人を遠ざけるんだよ!』と吠えていながら、いざ自分が凹むとむっちゃ距離取り出す杏那のヤサグレ加減はむしろ愛しかったが、ここに踏み込んで仲間をチアするポンポンズの姿は、大変良かった。
今回は自作の歌と音楽、それに合わせた踊りを発表するという、彼女たちなりのリミックス&クリエイティブが形になる回でもあり、ヨーガや盆踊りをチアとミックスして、老若男女皆が元気になれるパフォーマンスを頑張って作り上げていたのが、とても良かった。
第3話で描いた身内向けのチアから、もっと広い場所へと踏み出す一歩が確かに感じられ、創作集団の成長物語として食べごたえがあった。
凹んで荒くれても、杏那が見せていた陽気な明るさが嘘になるわけではなく、しかし杏那自身からそういう自分らしさは見えなくなってしまっている。
『ならそれに助けられたアタシらで、その烈光……手渡し返してやろうぜッ!』という、報恩の気持ちがポンポンズにあるのが好きだ。
迷ったり立ち止まったり、自分をうまく表現できなかったり。
普遍的な影でしっかり陰影をつけつつ、仲間がいればこそ前に進める友情の力を、ちゃんと描いている所が良い。
色彩設定を筆頭に、色々攻めたことやりつつも、ベースになる部分はかなりどっしり丁寧に、オーソドックスにやってるバランス感覚が好きだぜ。
メインキャラに車いす使用者がいる時点で、このお話がチアを若く健常な少女だけに限定するつもりがないのは、良く分かる。
老いも若きも関係なく、誰かを勇気づけ垣根を壊していく心持ちは、ジャンルに関係なく眼の前の人に必要な音楽を奏でてきた、老DJの生き方と重なる部分もある。
色んな人が関わる祭りで披露するチアを、卓越した身体能力で華やぎを作りつつも、あえて平易に皆で一緒に楽しめる形にまとめてきたのは、ポンポンズが持ってるインクルーシブな意識の現れだと思う。
いろんな文化をリミックスして、新しい表現に行き着こうとするのも、YJのスタイルと響き合いつつ、自然と今っぽい多様性に触れてる印象。
チアが何でもかんでも解決するわけではなく、YJ自身がスタウトレコードを根城に作り上げてきた人脈と豊かな文化、杏那と大物ミュージシャンの繋がりが、彼女の足掻きに報いる形で奇跡を引き寄せていく塩梅も、大変良かった。
同時に自分たちがどんだけYJのスタイルに敬意を持っているか、チアという自分たちの領分で示す新しい表現も無駄なんかではなく、皆で楽しみながらなにか一つのパフォーマンスを作り上げていく、文化的営為がしょぼくれた祭りに熱を入れていく。
杏那のリミックスセンスもYJ直伝だし、ポンポンズに持ち前の明るさを返してもらった杏那が、YJにその生き様を手渡し返す回と言えるか。
自分が確かに成し遂げてきた奇跡を、諦めに目を塞いで無かったことにしてしまっているのは、スタウトレコードの師弟両方共通なのだ。
一人きりなら大事なものを忘れてしまうなら、周りの連中が思い出せてやれば良い。
スタウトレコードの長い歴史はそういう、縁を結び合わせ思いを混ぜ合わせる力を確かに持っていたし、古ぼけて終わっていくと思い込んでいたそんなスタイルは、チア衣装に身を包んだ若い後継者にも、新たに息吹を得た店にも、確かに生きている。
杏那のSOSを聞き届けて、駆けつけた大物たちがメタルにジャズにヒップホップと、ジャンル横断のドリームチームな所好きなんだよなぁ…YJはそういう音楽文化の人なのだ
時代遅れのレコード屋がバズるのは、最新鋭のSNSで通用するネタを投げ込んだから。
祭りの活気を受け取って新生した後には、ネットショップやカフェなど新しい業態に積極的に挑んで、それを助けてくれる新しいスタッフとも縁が深くなっていく。
音楽ジャンルだけでなく、古さと新しさをリミックすることでスタウトレコードが再生していくのは、それこそYJが信じ杏那が受け継ぎ、でも現実の暗さに忘れかけていた、彼ららしさが蘇ったからこそだ。
若者文化に思われがちなチアを、高崎の土臭さと混ぜ合わせて身近な味わいで描いてくるのと合わせて、色んなものが混ぜ合わされ再生していく回だったと思う。
身内しか足を運ばないはずのどローカルなお祭りに、世界的アーティストが駆けつけて国際色豊か、ミーハーながら熱意のある新規顧客が窮地を救う展開になったのも、また一つのリミックスか。
YJ本人が忘れかけていたスタウトレコードの価値を、杏那が諦めずもがきにもがいた結果、遥か遠くへ巣立っていったはずの古馴染みに祈りが届いて、大きな世界が開けていく。
SNSを通じて、古臭いはずのレコード屋が再発見されていく展開自体が、リミックスを通じてオリジナルの善さを再発見しようとした、YJの生き方と呼応してんだな。
俺はこういう、自分が置き去りにしたものを手渡し返される展開がマジ好きなので、面白かったな今回。
新しい居場所を見つけ眩しく輝く杏那を見届けて、『オレの仕事は終わったさ…』みてーな態度取ってるYJ。
これにマイクが『若鳥が高く飛べるのは、返るべき家があればこそだろッ!』と叫ぶの、マジ良かった。
何が良かったって、足元を固めてくれる誰かを信頼し愛すればこそ挑戦できるってマインドは、チアのトップとベースの関係そのものだからだ。
今回描かれた杏那とスタウトレコードの関係を通じて、メインテーマに選んだ表現の特異性がすっと入りやすくなるのは、極めて巧妙な語り口だと思う。
今後ポンポンズの華やかな太陽として輝くだろう杏那が下で支えればこそ、かなたや小父内さんは高く飛べるのだ。
一番目立つやつが一番偉いわけじゃなくて、関わる皆が最高なんだと、車椅子に乗って下で見ている恵深もチア衣装着て祭りに来てる姿から、ビリビリ感じられたのも良かった。
パフォーマンスに参加できないハンディを背負っているから、恵深はポンポンズの一員じゃないなんて、面白くもねぇド差別ブッこむアニメじゃねぇのだ。
ここら辺の仲間意識の広さ、寛容と期待で繋がってる感じは、競技チアから離れてなおぶきように彼方を信じている、鷹ノ咲チア部の態度とも繋がってる感じで、かなり好きだ。
誰かを勇気づけケアするチア精神を描くなら、そらー困ってるやつ、弱いやつの手を真っ先に取るよなぁ…。
ポンポンズのパフォーマンスと、スタウトレコードの復活にちょっと距離があって、ダイレクトに問題解決していない所が逆に、この作品が見据える”チア”の幅広さを教えるような回でした。
誰かが見失いかけていた自分らしさ、確かに積み上げてきた奇跡の価値を、思い出させる力強さ。
それは忘れられかけていた名曲をディッグし、様々に織り交ぜて蘇らせるリミックスの精神と、確かに響き合う。
一見繋がりがない要素を見事に組み合わせて、作品独自の前向きで可愛げある味わいを描き切る。
作品が持つポテンシャルを、しっかり教えてくれる前後編でした。
尻上がりに面白くなっていくなれなれ、次回も楽しみッ!