まるで男女交際と微笑んで揶揄するような、小佐内さんとの甘い夏。
そこに差し込まれる、ザラついた犯意の手触り。
甘ったるい青春の糖衣と、苦く危険な暴力の手応えと、どっちが小市民の背骨なのか。
急変する事態に作品の全体構造が照らし直される、小市民シリーズアニメ第7話である。
急に誘拐が飛び出してくる唐突さ…に見せかけて、その実細やかに小佐内さんの不自然さを積み上げ、あるいはソレを覆い隠すように萌え萌えな青春テイストを前に押し出し、いよいよ夏の事件が牙を向いてくるタイミングとなった。
”日常の謎”という枠にハメるには、少々具体的で生臭い犯罪が起きすぎる、岐阜の青春。
獣の本性が厄介事を惹きつけるのか、小市民的日常に収まらない魂が火種を求めるのか。
なかなか判別はつきにくいが、春の無邪気な事件の連なりの奥にあった詐欺事件に続いて、夏は学生ドラッグ集団と誘拐である。
僕は原作を既に読み切っているので、来るべきものが来たロクでもなさにワクワクしておるけども、アニメがお初な方々は丁寧に作品全体をコーティングしてきた青春の糖衣の奥、ヤバい苦みに「騙された!」と叫ぶのか。
積み上げられてきた違和感と隔意が、結実していく手応えに納得を覚えるのか。
立場が違うので想像するの難しいが、アニメは良い感じに出すべき情報の表層と真相を、切り分け混ぜ合わせ描いてると思う。
一大事件が勃発する前夜、まだこの夏が甘酸っぱい青春ストーリーだと主役(と読者)が誤認できている最後のタイミングで、小鳩くんは堂島くんと二回、小佐内さんと一回、顔を合わせて直接対話する。
そこに描かれるものには確かな差異があって、狐と狼と好漢がどういう繋がり方をしているのか、不穏な予感を前にどういう角度で現実を睨んでいるのか、静かに可視化されている。
いかにも青春の1ページ、微笑ましい日常に思えるものの奥にねじ込まれた、示唆的な違和。
それを識閾の下に叩き込む語り口こそが、このアニメが”日常の謎”を追う手付きなんだと感じる。
それは第1話から、ずっと続いている一つの描線だ。




堂島くんは大事な彼女とその身内を脅かす、厄介な事件を前のめりで追いかける。
ガラス窓の向こう側の現実に目を向け、必要とあらばその向こう側へと進み出ていって、事件の当事者になる積極性がある。
その現実対応は、小市民のフレームに自分を追いやりつつも、上から探偵面出来るタイミングを狡猾に計っている小鳩くんとは真逆で、二人は椅子一つ隔てた遠い間合いで、視線を重ねず語らう。
この距離は後に激辛タンメンを待ちながら、もう少し近い距離で心の内側、込み入った事情を語らう時、結構な変化を見せる。
同じモノを食べて、窓の外など目に入らない没頭を共有する間合い。
堂島くんが強い興味を向け、窓の外側に広がっているものをまず目にいれる、等身大の人間の物語。
それに興味を持たない小鳩くんの本性に、歪みとイヤさを認めた上で適正距離、向き合ってくれる数少ない存在。
友人というほど心が近くなく、他人と切り捨てるには繋がりが太い、小佐内さんとの互恵関係とはまた違った、名札がつかない不思議な距離感。
それが、小鳩常悟朗の微笑ましい夏休みの裏側で起きている、何やら厄介な情勢をスケッチする中で、改めて描かれていく。
堂島くんは小鳩くんが、謎優先で生身の人間を踏みつけにする危うさを持ってることを良く知っている。
その上で、その知恵働きが尋常ではない鋭さを有することも。
だから席一つ開けて背中を向け、状況推察のヒントになる情報を雑多に手渡し、彼自身の事件へと前のめりに進んでいく。
すがるでも頼るでもなく、一瞬の遭遇に何かを手渡し…それがズボラにずれているような、不思議な間合い。
バーガー片手に謎に向き合い、窓の外を見ない男がそれでも、眼の前の謎に齧りつき自分に見えない角度から、状況を突破していく可能性を信じる。
そうして事件解決に邁進して、「邪魔だ」と跳ね除けられた心の澱を、大して興味もなくしかし礼儀正しく…”小市民”的に聞き流してくれる存在と、今度は同じモノを食べる。
もちろん、それが必要なのか、ガサツな堂島くんは聞かない。
それは小鳩くんへの信頼の証ではなく、勝手に語って勝手にスッキリする心の現れだ。
なんだけども、ジメついた人間味を求める当たり前の社会性を獲得できない小鳩くんにとって、勝手に突っ走り勝手に傷つき勝手に前向きになる、堂島くんのブルドーザーめいた前進力は、得難い美質なのだろう。
あらゆる状況で謎を求め、己の知性を証明して褒められたい願望を、手痛い失敗で殴りつけられ及び腰。
”小市民”の鎖で自分を縛りつつも、しかし(ベルリンあげぱんの時のように)ドヤ顔出来るタイミングで控えめにも生きれない、厄介な狐。
そんな小鳩くんが、快活で前向きで、謎より現実の苦しみを取り除くことに突き進み、それが巧いこと解決の糸口を見つけられなくても、爽やかに愚痴って大盛りチャーハンと激辛タンメンで後腐れなく、前を向き直せる男と縁があることは、得難く有り難いことなのだ。




しょせん興味をそそる他人事でしかない堂島くんの事件は、しかし狼の因縁を手繰って小鳩くんに近づいてきて…あるいは近づけるように、小佐内さんは奇妙に近しい間合いを維持する。
恋物語と錯覚するような、まるで絵に書いたような甘い夏が、自分たちに不似合いな蜃気楼でしか無い感覚を、小鳩くん自身感じていて、その違和感はキュートに不気味に、絵として削り出されてもいく。
獣の本性が自分を窮地に追い込むと思い知り、自分たちではそれに鎖をかけられないと解っているからこそ、相互監視で甘い知恵働きと復讐に待ったをかける、”小市民”の互恵関係。
それに基づけば、小鳩くんが「マズイな…」と一回足踏みした謎への陶酔を、小佐内さんは止める立場にある。
しかし小佐内さんは都合のいい言い訳を差し出して、小鳩くんが謎に向き合い事件に深入りする手助けを、ひっそりこなす。
その距離は奇妙に深くて、可愛らしい笑顔でさらなる謎解きにいざなう彼女に、小鳩くんは奇妙に歪んだ表情で向き合う。
「まるで恋物語だ」とうそぶく言葉には、つまりこのお話は醸し出されている恋の色合いとは真逆、の捻れて危うい繋がりで持って主役を繋いでいるのだと、キャラクター自体が認識している諧謔が反射している。
恋愛でも利用でも、友情ですら無い奇妙な繋がりでお互いをせき止めることを本意とする関係を踏み越えて、自分を特定の方向へ…ガラスの向こう側に追いやったはずの現実の厄介へ、近づけていく奇妙な引力。
それがどういう結像をもたらすのか、小鳩くんは読み切れないながらも不思議な違和感を感じ取って、チャーミングな笑顔を受け取るには引きつってくらい顔を、他人から見れば逢引のような時間に刻む。
何かおかしい。
3つ目のシャルロット殺人事件を暴かれ、真夏の食べ歩きに引き込まれた探偵役の違和感を、視聴者に共有していく
友達以上恋人未満の甘酸っぱい距離感を、モニタの向こう側から揶揄する時の定型句。
『もう付き合っちゃいなよ!』と思わず言いたくなるような、青春ラブコメディの糖衣はあくまで表層でしかなく、その奥に狼の暗い本性が確かにあって、狐を飲み干そうと牙を研いでいる様子が、ジワリと居心地悪くこちらを刺しても来る。
そういう計画的犯行をどう積み上げ、どう結実させるつもりなのか、ワクワク見守りながら終局を待っているのは、大変楽しい。
視聴者の認識を捻じ曲げ、操作し、印象を作り上げていく技芸が作中のキャラクターと、それを描くメタな手つき両方で同時並走している様子を眺めるのは、僕にとってのミステリの醍醐味だ。
ここら辺、物語開始以来小佐内さんとの距離を極めて遠く、打ち解けきらない冷たさで可視化してきた筆致が、ここに来て(小鳩くん自身違和感を覚えるくらい)急に近づいていることで表現されてるの、話数重ねたからこその表現で好きだ。
小市民たちがお互いに許した、どこか心の奥底では交わりきらない適正距離が崩れているからには、未だ可視化されねいない”何か”が、確かにあるはずなのだ。
謎めいた犯行声明とともに、表舞台から消え去る前の接触において、小佐内さんは意味深にまつむらやのりんご飴がいかに素晴らしいかを力説し、その特別さを語る。
彼女の甘味狂いをそのチャーミングな特徴…あるいは萌え記号の一種として浸透させ、消費させてきた物語において、しかしそれは「可愛らしい」で終わらない異物感を残して、影の中不気味に描かれる。
小鳩くんが切り出した現地集合を拒絶し、奇妙な自宅への誘いを手渡した後、狙いすまして差し込まれる誘拐宣言。
穏やかな日常が唐突に壊れたようでいて、その奥にあった伏流水が満を持して溢れてきたような、必然の匂いが微かにある急変。
このアニメは小佐内さんがとても可愛らしい存在で、甘いものに夢中な無害なマスコットだと、適切に誤認させるように話を編んでいる。
夏祭りからこっち、お着替えを重ねて色んなコーデで観てるこっちを楽しませてくれる彼女が、童顔と羊宮ボイスの奥に秘めている牙。
それを良く知っているからこそ、小鳩くんにとってこの夏の甘い気配は表層でしかなく、僕らには真実だと思える(思いたかった)恋の気配も”みたいだ”でしかない。
獣は獣を知る。
小佐内さんが見た目通りの、か弱く安全な”小市民”ではないことを、小鳩くんは自分が謎に溺れる狐であることと同じくらい良く知っていて、つまりは完全に知っているわけではないのだ。
知恵働きで全てを超越できるほど”探偵”でもなく、真実他人に興味を持って小さな人生に挑める”小市民”でもない。
そういう半端な自分を、他人を愛せず他人から愛されない己の本性を、飲み込むまで(あるいは飲み込めないまま、もう一度致命的に間違えるまで)の長い長いモラトリアムの足掻き。
そこに宿る苦さや血生臭さをこそ、作品の中核だと考えている自分にとって、正体定かならぬ思惑で小鳩くんを引きずり込む…夏祭りからこっち、既に引きずり込んでいる小佐内さんが、不気味で測り知れぬ存在として書かれるのは、つkづく納得である。
分かりやすい記号に埋め尽くされるのではなく読みきれない他者特有の不気味さ…気持ち悪さを持って、狐の前に立つ狼の、落ち着かない長い影。
それをこのアニメはずっと切り取ってきたし、そういうキモさが第4話以来ガッツリ前に出てきて、とても気分がいい。
小佐内ゆきはそういう、巨大なミステリとして作品にそびえ立っていてほしいし、この解りきれなさを小鳩くんには、常に視界に入れていて欲しい。
小佐内さんという身近でありながら遠く、解ってるつもりで把握しきれない異物があることで、思い上がり知恵に溺れる狐はギリギリ、”小市民”の形を保てているわけだから。
そういう形でしか、青春物語の主役にふさわしい形を保てない歪さ存在こそが、独特の魅力的な臭気を生み出してもいる。
だから僕は、このアニメが主役たちを鼻持ちならない不気味な輩と描く筆が、とても好きだ。
そうとは簡単に感じさせない、本気の擬態の甘さと必死さも含めて。
小佐内さんに巧妙に導かれる形で、小鳩くんはドンピシャのタイミングで、誘拐事件の証人となった。
小さく可愛い女の子の素敵なわがままに、散々振り回された夏の奥にある、獣たちの臭気。
保護観察だの足抜けだの、ずいぶんきな臭いアレソレが思いの外、微笑ましい青春の間近にあった事実を暴き立てながら、状況は転がっていく。
”小佐内スイーツセレクション・夏”の奥にある、消えてくれない過去の残骸を掘り返しながら、物語は佳境へと突き進む。
その先にある夏の終わりを、このアニメがどう描いて幕を閉じるのか。
僕は、心から終末を心待ちにしている。
次回も、とても楽しみです。