バズに踊って思春期にコケて、アタシらのチア道何処へいく!
ヘンテコアニメの浮き沈み、極めて奇妙で独特な味がする、”菜なれ花なれ”9話目の勝負回である。
ストレス少なく分かりやすく、噛み締めなくても素直に楽しい。
今風のウケる作風に背を向け、独自の臭みを残して話を作っていったこのアニメが、一番このアニメらしい突破を選んだ回だったなと思う。
フツーの話運びだったらかなたの抱えた課題は、第1話のジャンプで飛び越えたことにして蒸し返さないだろうけど、このアニメは8話分の物語を詰んだ上でそこに立ち戻って、かなた自身のジャンプは失敗に終わらせて、恵深と雨の中対峙させ、二度目の跳躍を選んだ。
足踏み、遠回り、無駄で不鮮明な足取り。
大方そう受け取られかねない歩みでも、そういう道で進まなきゃいけない内在律がこのお話にはあって、だからこそ描けるものに…まぁトンチキと言っていい描線でしがみつきにいった。
世間の評価は分かれるだろうし、ぶっちゃけ僕もどう受け止めたもんか今でも迷っているが、萌え記号論をかなりしっかりなぞりつつ、独自の味付けで話もキャラも削り出していったその手つきが好きな視聴者としては、このアニメらしくて良かったかな、と感じた。
スタウトレコードの顛末を見届けた時点で、こういう流行りのスタイルじゃない形を作品が選んでるってのは、噛み砕き腹に落としてた…つもりだしね。
かなたの暴走と抜けない陰りは、チアという陽性(と思われている)テーマとは逆しまに相性悪く見え、その根っこが幼馴染とのコンプレックスに衝突しながら暴かれる今回、雲は分厚く雨が降る。
病院の前、降りしきる雨を気にせずガチンコでぶつかる場面でBGMを落とし、環境音だけで生身の激突を切り取るシーンには、確かに独自の緊張感があった。
場面を覆う抑圧と衝突を、決意と友情を確かめて世界が音に満たされる場面が、パッと見の…そして制作者サイドがおそらく狙っただろう感動の再出発として、適切に機能していたかどうかは、正直判断に迷う。
かなり難消化性な青春の1ページだと思うし、この解りにくさが味でもあろう。
ここまで結構都合よく、「天使みたいな障害者」というアイコンに押し込められていた恵深が、心の奥底に確かにある暗い感情をかなたにぶつけてしまったことを悔い、ようやく仲間に伝える場面が、あの”チア”の前景にはある。
そういう影をポンポンズで唯一受け止められるのが、応援にあんま乗り気じゃなく人生に大事なものが解ってなかった穏花であり、彼女にとって応援とは、ポンポンズとはなんなのかを探る度も、今回大事な要素として描かれている。
そこでまず背中を押すのが、「アタシら”ファミリー”だったろ?」という言い回しに、ファベーラのギャング気質を濃厚に漂わせる幼馴染ではなく、校外のバンカラ先輩なのがこのアニメである。
俺は杏那が見た目通りの陽気なブラジリアンってだけでなく、その奥に極めて苛烈な暴力主義を宿して、獣の目をして突っ走る強さと暗さがあることが好きだ。
光が強いからこそ影も濃くなる、ブラジルの風土を推し固めて美少女の形にしている、記号論から半歩進んだ風土理解が、あの子には良い感じに焼き付く。
だから物分かりよくかなたの暴走を許すのでも、親友の迷いに手を差し伸べるわけでもなく、一生キレ倒しつつ徹夜でサンプリングして、ポンポンズがちゃんと立ち上がれる日を待っていたのは好きだ。
彼女はそういう気質の獣なので、バンカラ先輩から詩音ちゃん、そこから恵深へと穏花の旅が繋がっていって、一番ぼやけた視界でなんとなくチアやっていた女が、自分にとってのポンポンズを見つける足取りにも、結構納得はいく。
第6話ラストや今回雨中の対峙で示されたように、濃厚に女と女の繋がり、その変化を追いかけ刻みつける物語でありながら、このアニメは問題解決の大きな起点を、そういう”カップリング”の外側に投げつける豪快さがある。
杏那にとってのスタウトレコードであったり、穏花にとってのバンカラ先輩であったり、ポンポンズの外側にある存在が決定的な仕事を果たして、少女たちは大事な何かを見つけ、掴み取っていく。
この非直線的な話作りは、素直でストレートな読後感を捻じ曲げ話をわかりにくくしている要因だけど、同時に予定されていたフレームの外側に飛び出す破天荒、そこから生まれる風通しの良さを生んでもいる。
イカニモな造形と配置の女の子が典型的なピカピカ青春物語に駆けずり回るように見えて、色んな場所でピントがズレ調子が狂い、極めて独自の語り口で物語を編んでいくトンチキな味わいを、僕はこのアニメの強みだと思っている。
穏花は一晩ヨーガに打ち込んでも解けない悩みを、杏那に起こしてもらって味噌汁飲むルーチンワークからはみ出し、ウロウロ歩き回る中で解いていく。
それは彼女が逃げ続けてきた、何かに熱くなって体当たりでぶつかる、青春の痛みと影に向き合うための旅でもある。
ここら辺のロールモデルとして、過剰に熱血で真っ直ぐなバンカラ先輩がドンピシャ…てのはよく解るが、んじゃあ最初からメインに置けッ!
不審者感バリバリのエールを受け取って、穏花は仲間から遠く離れていたスタート地点を経て、まずは詩音ちゃんに接近していく。
それは実は仲間を大事にしたい、ポンポンズをこれで終わりにはしたくない自分の本音に近づいていく旅でもあり、どんだけ状況が乱れても透明に輝き続ける詩音ちゃんの光を借りて、そういう自分を見つける旅でもある。
前回「詩音ちゃんの獣が見たい…」って描いたけども、そういう影が生来存在しないレアキャラも世の中にはいて、そういう詩音ちゃんがいてくれたからこそ出来ることもあって…という話運び、なのかもしれない。
彼女の中の獣を削り出す、個別回がまた来るのかも知れねぇけども。
第9話にしてポンポンズのオリジンを語る、遅まきながらの原点回帰なども果たしつつ、穏花はバズとエゴでガッタガタになったポンポンズが、自分の居場所であることを見つめていく。
それは彼女がずっと「解ってないやつ」だからこそ描けるもので、杏那エピで見せたニコイチ幼馴染にしてはあまりにクニャと柔らかい、頼りがいのない生き方が花開く瞬間だ。
かなた二度目の挫折を描く隣で、そういう青春の歩みが相当地味に、生っぽい手応えを宿して展開していくのは、まぁ素直とは言えない話運びで、とてもこのお話らしい。
不鮮明だったものが、鮮明になる。
カオスに秩序を生み出していく明朗なカタルシスは確かにありつつ、そこにたどり着くルートとタイミングが、錯綜し捻くれていて、”お話”っぽくない解りにくさに満ちている。
ポンポンズという居場所を得ても変わらないし消えない、かなたが生来抱えた深い影にあらためて切り込む筆致も含めて、今回作品に漂う味わいはメチャクチャなれなれ味が濃い。
こういう生っぽさをキャラやドラマに混ぜ込みつつ、そういうリアリズムを全面に押し出して雰囲気作るわけでもない……というか全体的にはファンタジックに浮き世離れしている噛み合わなさも、独自の味の由来なんだろうな。
家柄、性格、能力、人望。
全てが正しく、人生の眩い側面しか知ることが出来ない…だからこそ何もかもが影に沈みそうなこのタイミングで、ポンポンズを内側から照らす不屈の光になれる詩音ちゃんは、だからこそ恵深がようやく吐き出し預けた、心の泥に寄り添えない。
そこに踏み込むのは、「解ってないやつ」だからこそ時間をかけて、ちょっとずつ世界の難しさを解ろうとしてる穏花だ。
周りを圧倒するほどワガママなわけでも、強烈な影で周囲を引き込むほどでもない、適度にネガティブで周りに流され続ける、フツーの女の子。
そんな穏花は、無謬の天使がようやく吐き出した人間としての影を、解るとは言わない。
解らないからだ。
解らないからこそ解ろうとして、それでもなお解らないという前提に立った上で、解ろうとする自分、解りたいと願う自分を諦めない。
自分がどうなりたいのかを強く伝え、手を取って前に進むために必要な決意を、静かに燃やす。
そういう場所へ穏花は、ポンポンズの危機に揺らされ迷ってたどり着いた。
この回り道、健常者と障害者の繋がり方を書く上で、大事で必要だったと思う。
穏花は自分ひとりでは自分の願いも解んねぇ、ぼんやりしたボンクラだ。
だから色んな人の間を彷徨って、他人の言葉と考えを借りて、ようやく恵深が差し出してきた影に近づけた。
そこにこそポンポンズを揺らしている震源があって、そこに踏み込まなきゃ何も変わらないなら、全然キラキラしてない恨みや妬みも、その奥に確かにある眩しい気持ちも、引っ張り出して背負うしかない。
他人のことが解らないとしても、解りたいと願うなら、解らないまま近づこうとするしかない。
この愚者ゆえの実直な足取りは、生来「解ってしまえる」詩音ちゃんには歩めないもので、その両方に意味がある。
無論、恵深の動かぬ足にも、だ。
遠く離れた場所で一生キレてるアンナも、自分が為すべきと思ったものへ相談もなしに最短距離で突っ走る小父内さんも、ポンポンズのメンバーは全然一枚岩ではなく、個性とクセが強い。
そういう連中が、信頼を足場に高く翔ぶ”チア”をやろうとしていた事自体が間違いだったのだと、9話まで話が転がって表面化するのもなかなか凄いが、しかしそのデコボコを気持ちよくならすのではなく、デコボコしたままどう繋げていくかに、悪戦苦闘してるアニメだなとも感じる。
それは素直に気持ちよく均質化されるものではないし、されてはいけないのだから、簡単には終わらず繋がらず、解ることもない。
世界をシンプルで合理的にしてくれる、物語の根本的な快楽には逆らう認識だが、まぁそんな感じの視線でもってこのアニメは、結構厄介なことも多い世界を睨みつけている。
そういう視界には衝突や混迷の種が沢山あって、表向き緩く仲良く繋がっているように思えた女の子グループが、いつ破断してもおかしくないひび割れだらけだったと、改めて描くのも必然だ。
そしてそのひび割れは、致命傷ではない。
ギスギスぶつかり合おうが、変えられない自分らしさが幾度顔を出そうが、解りたいと思う気持ちは確かにそこに在って、解ってほしいと湧き上がる心が、身体を前に突き動かしてもいく。
ここら辺の泥臭いタフさを描くのに、恵深が雨の中ベシャベシャに叩きつける本音と同じくらい、かなたがその刃を取り繕って逃げる様子が良く効いてた。
事ここに及んでなお、このアニメの主役は一話で一回使っちゃった魔法で何もかもが上手くいくのだと思いこんで飛ぼうとして、見事にすっ転ぶ。
自分の中の獣が勝手に荒れ狂って、メンバー皆にとって大事だったはずの場所をかき乱して、間違えて周りに心配かけて、なお自分を取り繕う。
自分は大丈夫だし、親友との間にある否定しがたい傷なんて何処にもないし、上手くやっていけるし青春はピカピカだと、外面を取り繕う。
なんてことはない。
作中一番「解ってない」のは穏花ではなく、作品全部を背負うはずの主役だ。
主人公たるかなたが揺れたり不鮮明だったりすると、作品全体がそれに影響されて解りにくくなるわけで、この作品全体に漂うムードは、一番精神ヤバいやつをよりにもよってメインエンジンに据えた、このアニメの決断が生み出している。
それが是か非か…まぁ客観的に妥当性を探るならおそらく”否”なんだが、9話付き合った視聴者としてはなんというか、「まぁ、かなたはそういう奴だから」という納得(あるいは諦め)がある。
過剰にビカビカした空元気の出し方とか、それで人生の暗い部分なかったことにしようとする意図的な盲目とか、そのくせ課題の根本的な部分をぶっ飛ばすには全然馬力も素直さも足りてない所とか。
色々ヘンテコでヤバい部分があって、しかしそれこそが美空かなたで、ようやく覆い隠していた友情の暗い患部へ、踏み出せた回だったなぁ、という感覚がある。
事ここに及んで、穏花に理解を(「解らないことが解る」という極めて迂遠な形で)示してもらえたからこそ、隠そうとしていた影に踏み出せた恵深に飛んでもらうことでしか、かなたは何処かへ踏み出せない。
第1話で一回高く飛んだ程度では、ウジウジ悩むくせに他人を信じきれず、だから自分にも胸を張れない生来の陰は消えないし、甘ったれた湿り気も抜けない。
そのジメジメ煮えきらない部分も美空かなたで、そういう彼女がいたから生まれた物語が、なんだかんだ俺は好きだ。
「体が動かない」という、極めて重たく否定しがたいフィジカルな課題が、長く長く影を伸ばしていた二人の友情。
パッと見”チア”に相応しく、前向きに解決していたように思えた繋がりはその実、ジメジメ湿った涙雨と、それに押しつぶされずに高く飛べる根性と愛情が同居した、なんだか良く分からない人間味がする。
かなたと恵深と、彼女たちに偶然であって運命で繋がったチアメイトの奥に何があるか、苦くて噛みにくい部分も含めて全部お出しする調理法として、あの雨の中の対峙と跳躍は、かなり良かったと思う。
こんだけ色んなモノが見えてしまったら、動かない自分の体にも、それでも動かしたい気持ちにも、もう嘘はつけない。
だから恵深は一人で飛んだし、そこまでさせなきゃかなたの心の底にあった重石は取れなかった。
深い傷を受けた親友にそこまでさせるくらいこの話の主役はダメだし、そういうダメなヤツのダメな部分までひっくるめて、恵深も仲間もかなたが好きだ。
そういう、書き出してみるとなかなかに複雑なんだけども、この苦みやヤバさをポワポワ剽軽な浮かれ方で包んできたアニメが、主役たちと一緒に自分がどういう作品なのか、正直に語った回だったなぁ、と思う。
なんなんだろうなぁ、この湿り気と暗さ強いのにパッと見、お気楽でノンキな話に思えてしまう塩梅ってのは…。
ぶっちゃけポンポンズの明るい友情が”嘘”で、ドロドロ粘ついた暗い感情と暴れ狂う獣が”本当”だという、分かりやすい二分法で描くなら、かなり受け止めやすい構図だと思う。
しかし漂う独自のユーモアも、色々ヤバいことが置きつつ結構なんとかなってしまいそうな気楽さも、全部混ぜ合わせて描く混色を、このお話は作品の色として選んだ。
混ざってるけど濁ってない、そういう色が俺は好きだから、今更主役チームの暗い影に体当たりで踏み込み、思いの外湿っていたキャラの内面をえぐり出しつつも、絶望の色があんまない不思議なエピソードを、「らしくて楽しい」と思ったのだろう。
まー変なアニメだよ。
だから好きなんだが。
つーかこの展開と局面で、次回チア部の退部騒動にカメラが動くのもイマイチ良く解んないし、実際描かれてみたら奇妙にハマる場所を見つけて、ミシッと食い込むんだろうなという予感もある。
最終コーナーを回ったこのタイミングで言う話じゃないが、自分が思っていたよりも更にヘンテコで、独特で、自分たちのやり方に頑固なアニメなんだなぁ…。
なまじっか女の子モリモリアニメとしての外装が、まぁまぁ整ってしまったがゆえのズレなども感じつつ、しかしそこにこそ独自の魅力があるのだと、不思議な納得があります。
残り話数で何書くか、未だ大目標を立ててないアニメの決着は全く読めません。
次回も楽しみです。