イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

小市民シリーズ:第10話『スイート・メモリー(後編)』感想ツイートまとめ

 期間限定の夏が終わり、決別の後に秋がやって来る。
 嘘も本当もどうでも良く、表も裏でも君だよとはけして思えなかったからこそたどり着いた、小市民同盟の破綻。
 穏やかで命がけな当たり前の日常に、卓越した理性で説くべき謎を見つけてしまう探偵たちの性が、お互いの喉笛に牙を突き立てた成れの果て。
 10話かけて青春の残骸にたどり着く、小市民シリーズアニメ・一期最終回である。

 いやー…二期があって良かったねッ!
 原作読破済みの視聴者としては、『夏で終わったらアニメ初見勢憤怒だろッ!』とブルりながら見守ってきたが、続きがあるなら話は別。
 大丈夫、半年なんてすぐよ。
 俺ら11年と4年待ったからさ!

 

 というわけでこれまでの物語の総決算であり、小市民を目指した獣たちの本性がどんなものか、そこにたどり着いてしまったら何が壊れるのかを、鮮烈に描く一期最終回。
 前回提示された衝撃の真実を更に一捻りして、小鳩くんが見落としている重要な答えを、小佐内さんは穏やかに突き出してくる。
 それは一人称視点で作品世界に…そこに満ちた謎(と、知恵者が認識し設定し評価するもの)に潜るためのアバターである小鳩くんを貫通して、僕ら自身へとたどり着くトゲだ。
 果たして僕ら観客と小鳩くんは、小佐内ゆきという人間をどれだけ率直に、大事に見ようとしたのか。
 理性の死角で蠢く、切実な生身の痛みと恐怖。

 不憫でかわいいスイーツ・マスコットでも、守られ救われるべき悲劇のヒロインでも、全てを操り復讐を食う怜悧な獣でもなく、自分を包囲する暴力に怯えるただの女の子…ただの人間。
 堂島くんがガラスの向こう側、ガサツに何も考えず飛び出していける領域を、小鳩くんはつくづく大事にできない。
 理性で割り切れない感情と感覚が人間には備わっていて、道理に反するものが世界を律していて、そこに血の通った本気を突き出せばこそ、他人を理解した人に理解してもらえる、理不尽なルールを体感出来ない。
 世界を見通す目と、考える頭と、喋くる喉だけが発達し、誰かを助けるために伸ばす手も、血潮を宿す血管も、極めて遠い怪物。

 

 そういう自分を否定したかったからこそ、二人は”小市民”を目指して、この夏決定的に失敗する。
 分析能力に長けた書斎派探偵は、相棒が生み出した冤罪の構図に気付いてもそこに合った生身の恐怖には目を向けられないし、過剰な攻撃力を尼削ぎに隠した獣はやってもいない誘拐事件に相手を閉じ込める解決法を、見つけてしまったら自分を抑えられない。
 夏の楽しいスイーツ食べ歩きに、事件解決のための暗号を込め、狐の奸智が見事に謎を解いて自分を見つけ、己を脅かす脅威を排除してくれる絵を描き、実際に機能させてしまう。
 その全てが終わり果てた後の、虚しい解決編とその先。
 期間限定な関係性の破綻と、その先に続く日常。

 それが1クール使った物語の終端であり、ここにたどり着くためにこのアニメは、小鳩くんと小佐内さんの縮まらない距離、賢い狐の死角を映像に刻み続けた。
 小市民を目指した春の事件が獣の性根を抑えきれず、笑える失敗に終わった後、笑えない離別に行き着くこの夏。
 二つの季節は共通した筆致で描かれ、関係継続とその破綻を分かつものが、計算可能なミスというより多少の運だったと、残酷に告げてくる。
 そもそもにおいて壊れていた関係が、必然的にたどり着いた終わりは二人の全てを奪うような劇的なものではなく、デカ目の冤罪を悪党にふっかけてなお、青春は続く。
 謎とスリルに満ちた日常で、獣は羊のキグルミを着続ける。

 

 高校生という期間、岐阜という土地に二重に縛られた、モラトリアムの物語。
 己がどんな存在であるか、極めて苦く痛い(全くスイーツ的ではない!)一撃で何度も思い知らされる、失敗まみれの青春物語は、この夏の破綻を決着にはしない。
 …いやまぁ、原作追っかけてる時は穂信先生がヤングアダルト作家から脱却し、文芸最前線に躍り出ていく流れに取り残されて、この離別で終わりになるかとブルり続けてたわけだけどさ。
 しかしまぁ、秋と冬に物語が続くからこその、狐の死角と狼の一噛みではある。
 そこで暴かれた己を、高校生活の残りでどう受け止めていくのか。
 捻くれ歪んで変わっているが、確かにこの話はジュブナイルだ。

 堂島くんが何も考えず…と言い切るには、獣たちに並べる頭脳を彼はしっかり備え、自分の行いが何を生み出すのか考え直感した上で、ガラスの向こう側に臆せず突っ走る、体温のある熱血。
 それは彼が”人間”を見れてしまう、得難い資質をすごく自然に活かして、高校生活を真っ直ぐ送っているからこそ生まれる。
 ”小市民”の真実あるべき姿を隣に置きつつ、その存在に軽蔑しつつ呪われていた二匹の獣は、そんな風には生きられない。

 

 かたやほじくり返すべきでない傷の奥、ヤバさ満載の”日常”に謎を見つけ、知恵働きでドヤって悦に入る書斎派探偵気取り。
 かたや可愛い外見に秘めた執念深さと知恵を、他人の人生に深く突き刺し支配する誘惑に抗えない、ハードボイルドな怪物。

 二人とも自分を包囲する他人にも血が通っていて、謎より復讐より大事な物が沢山あって、頭で考え言葉で切り分けるより複雑な世界が、自分の外側に広がっていることを実感できない。
 その気配が確かにあるからこそ、”小市民”という理想に自分を浸そうともしたし、それを擬して流れていった春と夏に、嘘じゃない楽しさを感じもしたけど、しかしその欺瞞を全部本当にして己を塗りつぶせるほどには、爽やか青春グラフティは獣にとっての真実になってくれなかった。
 ずっとそうだったし、これからもそうだ。

 小鳩くんと小佐内さんは書斎と現場、それぞれの生息領域から、見た目ほどキラキラしてない犯罪まみれの青春を睨みつけることで、「人間が書けていない」という、ミステリを切り捨てる時の常套句を立体化する存在だ。
 堂島くんがガサツに何も考えず、真っ直ぐ飛び込める”人間”の実感を、どうやっても大事にできない探偵未満たち。
 ドヤ顔で謎を暴き、他人の心に土足で上がり込んで殴りつけられ、あるいは当然の報いを突き立てられかけて、怯えのあまりデカすぎる罠に他人を巻き込む。
 スイーツ食べて仲良く歩いて、パッと見充実した青春を演じているようでいて、そこには冷えた体温しかない。

 そこに素直に飛び込めば、厄介な課題とそれを超えてこその充足が当たり前に湧き上がってくる”人間的”な青春を、獣達は自分の季節だと受け入れることが出来ない。
 その事実がトロピカルパフェを前において、暴かれていく夏の終わり、しかし徹底して”人間”に為りきれない二人の歪さが、陰画としての”人間”をあぶり出してもいる。
 どんだけ”小市民”に憧れ、実際それに足りる嘘で青春を満たしても、冴えた理性が嘘っぱちなのだと告げてくるから、目の前に転がされた真実に食らいついて、何もかもを暴き壊していくことしか出来ない。
 そういう獣の顔は、嘘がなくて本当だ。
 探偵が追うべき価値のある、歪な青春だ。

 

 小鳩くんの夢想主義から縁遠い、シビアな現実感覚を真ん中に据えてる小佐内さんは、夏の陰謀を暴く探偵が見落としている爆弾を、本人よりしっかり見据えている。
 スイーツセレクションに埋め込まれた罠を指摘し、小市民気取りのマスコットが嘘つき狼でしかない事実を糾弾することで、自分たちがどこにたどり着いてしまうのか。
 小佐内さんはこの対話の結末を知っていて、必然的な終へと積極的に導いて、謎を解く小鳩くんは書斎では感じられない”人間的”な痛みを、自分の理性で切開した後叩きつけられて怯える。
 自分が何をしているのか、暴くことで何を傷つけるのか中学時代思い知ったはずなのに、気づけば結論を置き去りに謎解きの過程に夢中になる。

 自分自身を探偵役に巻き込んで、小佐内ゆきが敢行した真夏の冤罪。
 その奥に確かに揺れている感情まで、小鳩くんの視線はいかない。
 そんなの、どうでもいいからだ。
 重要なのは言葉で切り分けられる謎であり、自分を退屈させない知恵のきらめきであり、ミステリというジャンルが消費する魅力的な謎そのものだ。
 それが回転する時、確かに押しつぶされてしまう”人間”への共鳴が、小鳩常悟朗には決定的に欠けている。
 それを痛く思いやり、思い知る回路が欠落している事実に、小鳩くん自身気づいていないからこそ、小市民同盟はここまで流れ着き、必然の破綻を迎えていく。

 

 目の前に在る小佐内ゆきの、謎めいた態度と数多の罠のさらに奥。
 ”人間”としての彼女の謎を、極めてミステリ的な理性の怪物である小鳩常悟朗は見つめられない。
 彼の視線に乗っかって小佐内さんを見つめてきた僕らにとっても、その手触りは不可視の死角となっていて、目の前に立ち上がってくる描写すら疑い、勝手にヒントを受信して”人間”の内面を感じ取る直感的センス無しでは、狼は可愛い可愛い食いしん坊ヒロイン…あるいはそれを煙幕にした冷徹な悪党にしか思えない。
 だが”人間”の在り方は、そういう分かりやすい見え方よりもう一枚複雑だ。
 そうであることを、夏の終わりに作品は突きつけてくる。

 迫りくる驚異を心底恐れていた、小佐内さんの気持ち。
 それを跳ね除けるために利用されて、怒ったり悲しんだりするべき小鳩くんの気持ち。
 それらは狐の世界にはどうしても、実感を伴って可視化されない謎だ。
 謎だと認識すれば理性を用いて解体し、真実へたどり着くことも出来るが、認識自体できなければ、探偵の前に事件は発生しない。
 小鳩くんの欠けた”人間”が生み出した青春密室を、解くことも、気づくことすらもなくなくここまで来たからこその、関係性の破綻。
 キャラクターの根本的な欠陥が、ジャンルの抱えるメタな宿痾と連動している所が、穂信先生らしい凝ったトリックといえる。

 

 スッキリとした決着だけを求めるのなら、小佐内さんは同盟相手すら復讐の甘美のスパイスにする、人非人の悪党であったほうが収まりはいいのだろう。
 視聴者は小鳩くんの視線を通して高まった純情を裏切られ、最悪で凶悪なビッチに翻弄され、冴えた知恵も役に立たず何もかもが破綻して、それでお仕舞い、スッキリ崩壊。

 しかし物語は秋へと続き、同盟が壊れても彼らの日常は続く。
 小鳩くんと小佐内さんが触れ合わなくても”小市民シリーズ”は継続し、それぞれ関わりのない場所で狐と狼は、食らいつくべき謎をまた見つけ、己の本性を抑えきれずに羊のキグルミの奥、理性と行動の牙を突き立てていく。
 物語は、まだ終わらない。

 それはつまり、今回小鳩くんが見落とした(彼の欠けた視界に乗っかり、僕らが見落とさせられた)”人間”に、未だ高校生でしかない彼がどう向き合っていくべきなのか、青春凸凹道は続いていく、ということだ。
 中学時代の大失態に学び、己を”小市民”の枠に収めようとする戦いは、必然的に破綻した。
 二度目の”痛い目”を経てなお人生が続いてしまうのならば、それでもなお”人間”が解らないミステリの獣としての己が残り続けるのならば、どうやって、誰を隣において、狐は生きていけばいいのか。
 罪のない無邪気な”日常の謎”なんて、実は追いかけていなかった詐欺と誘拐と放火に満ちた、治安最悪な青春は、まだまだそれを問う。

 

 今回小佐内さんに探偵の死角を切開してもらって、自分という存在、自分たちの関係を思い知らさせてもらってなお、小鳩常悟朗は懲りないし、変われない。
 自分の至らなさと愚かさを痛感し、ドヤ顔推理で他人を踏みつけにする危うい玉座から粛々として降りて、心底謙虚に”小市民”する道は、秋にも冬にもない。
 結局堂島くんが春に見抜いたように、性格と感じが最悪なイヤなヤツとしてしか小鳩くんは生きられないし、それでもなお生きてしまうしかない場所こそが、彼の世界だ。
 知恵と理性が全てを特権化してくれる探偵領域ではなく、当たり前の人間関係と感情の体温が世界を満たしている、ジュブナイルな思春期に、彼はあり続ける。

 探偵にも小市民にも、人間にも獣にも為りきれない中途半端な己を、どう認識し対応し生きていくのか。
 今回小鳩くんが小佐内さんの計画を暴き、それ故痛切に破綻した関係性の先にこそ、彼とこの物語が追うべき謎はあり、そこには確かに”人間”がいる。
 嘘と本当、裏と表に引き裂かれつつ、そのどちらも真実だと感じられないまま、自分が何者であるかを不器用に、時に最悪に周囲を切りつけながら突っ走っていく、獣たちの青春。
 それは極めて歪にミステリ的であり、傷だらけで苦く青春的でもある。
 甘さもパフェグラスいっぱいに満たされれば、苦い毒になる。
 夏の教訓を得て、”人間”を追う獣の物語は続くのだ。

 

 この探求構造は、小鳩くんにとってほぼ唯一対等な”人間”と思える小佐内さんが、底に見えない異質で魅力的な謎であるからこそ成立する。
 自分の思いを置き去りにするほど、理性を肥大化させた探偵気質に呪われて、小鳩くんは頭の悪い”小市民”を人間と思えない。
 小佐内さんと互恵関係で繋がっていたのも、彼女との会話が求めていたエスプリと刺激に満ちて、ファンタジックな空想へと自分をぶっ飛ばしてくれればこそだ。
 そういう探偵的な興奮以上のものが、確かに自分たちを繋いでいたのか。
 破綻の後に青春を演じながら、小鳩くんは新たな…そして懐かしい謎を追いかけていくことにもなる。

 その歩みに是非乗っかりたいと思えるほどに、小佐内さんはチャーミングで凶暴な獲物としてしっかり描かれ、アニメにおいて演出もされてきた。
 ぶっちゃけ小佐内さんと小鳩くんの二人芝居で、濃厚に突き進んでいくこのお話、中の見えないブラックボックスをどれだけ見せて、引き寄せ飲み込んでいくかが、作品としての推進力のほぼ全てだ。
 そこら辺をアニメはしっかり理解して、手ひどく傷つけられてなお忘れられない、尼削ぎのファム・ファタールとして小佐内さんを、キッチリ描ききった。
 二期でもガッツリ萌え萌えに、他人を食いちぎって悪びれない魅力的な獣を描いてくれるだろう。

 

 

 

 

 

画像は”小市民シリーズ”第10話より引用

 獣達はお互いの理性と言葉…探偵としての武器を全力で振るって、静かにお互いを傷つけ合う。
 それは”小市民”という、無理のある嘘でなんとか性根を覆って罪のない日常を歩こうとした二人が、死角に置いて見て見ぬふりをしたものを暴いていく。
 いいように利用されうずくまって傷ついて、優しく手を差し伸べて元の関係に戻っていくような、甘い夢を小佐内さんは手渡しかけて、小鳩くんは冷徹に探偵と犯人の距離を取り戻し、背筋を伸ばして対峙していく。
 そうなることしか、彼らには元々出来なかったのだという事実から、探偵たちは目を背けられない。

 しかしそうしてアクセルを踏み込み、夏の罠とその奥に蠢く関係と感情を暴き立てる中で、”人間”の心は軋む。
 真実を暴く装置、周囲を巻き込んでも復讐に突っ走る機械が彼らの全てならば、浮かぶはずもない痛みや苦さを、アニメはしっかりと写して、同盟が破綻する一部始終を丁寧に積み重ねていく。

 

 ”人間”が生きる現場に疎い書斎派が、それが生み出す波紋も考えず(考えられず)投げつける、真実という名前の石。
 それはどんだけ頑張って”人間”ぶっても、結局獣でしかない彼らの夢を壊していく。
 嘘の上に嘘を重ねて、引っ剥がしてみればただの性格最悪なゴミが、社会に溶け込めず孤立して寂しい事実を暴いていく。

 これを見たくないから小鳩くんは、好きでもない甘味をなんとか喉に押し込んで、小佐内さんがリードする青春を走ってきた。
 だが、それも終わる。
 喋るのに夢中になって溶けたトロピカルパフェは、甘すぎる毒に変わって飲み干せない。
 小佐内さんが笑顔でかぶりつくモノが、小鳩くんは横に並んで一緒に食べれないのだ。

 狐と狼が同じ食事で満たされない不均衡を描くべく、このアニメはずーっと何かを食べきれない小鳩くんを描き続けてきた。
 その事実が、暴かれる真実の中棘になって思春期を刺して、その痛みになお探偵たちは立ち止まれない。
 目の前に真実があるなら、齧り付くのが獣の性だ。

 

 

 

 

画像は”小市民シリーズ”第10話より引用

 小佐内さんは名探偵気取りの人格破綻者が、結局たどり着いてくれなかった自分の感情を…確かにそこに在る一つの真実を、しょうがないから自分の手で抱く。
 そうしながら名探偵の死角になっている、中学時代から何も変わらない傲慢を突き刺す。
 ドヤ顔で他人を暴き立て、当然の反撃を食らって傷つき、それでもなお思い知り変わることが出来ない、知恵者気取りの愚者。
 そういう自分を唯一見抜き、指摘してくる彼方の女。
 もう一人、たった一人対等な探偵。
 小佐内ゆきが身を浸す川に、彼女を見失った小鳩常悟郎は入れない。
 入らない。

 小鳩くんの思い出の中で、周囲を埋め尽くす他人はみな顔のない人形だ。
 自分が開陳した真実に驚き、称賛を差し出すだけでいいはずの連中がしかし、踏みつけにされて痛み余計な知恵を突き刺されば殴りかかってくる、対等な”人間”だという認識を、小鳩くんはどうしても持てない。
 この心象が期間限定のものではなく、根深く獣の魂に焼き付いていることを、夏が終わった後の一幕が新たに語ったりもするが。
 自分をひっくるめて、”人間”を尊重できない極めてミステリ・ジャンル的な人物にとって、謎を生み出す生きてる人間は巨大な矛盾であり、解明不能で不快な異物だ。
 唯一そうでなかったはずの小佐内さんも、また消えていく。

 

 

 

画像は”小市民シリーズ”第10話より引用

 かくして楽しかった夏は真っ二つに破断し、小市民を目指した二人の道は分かれていく。
 仮初でも二人を繋いでいたスイーツ食べ歩きを小佐内さんは一人で行い、小鳩くんももはや無理に甘ったるいポップコーンは食べない。
 迷う指先は未練を宿しているし、冤罪であり裏切りであると指弾した狂言誘拐は、そのまま真実として罪人を捉えて、狼に安全圏を用意する。
 事実も真実も横に置いて、必要な嘘を微笑みながら差し出す小佐内ゆきのやり口に、結局小鳩くんは乗っかって二人の”日常”を守る。

 それが別れ際同盟相手に突き刺された、真実の棘が深く心に刺さったからなのか。
 それとも嘘っぱちを塗り重ねてなお楽しかった”甘い記憶”の喪に服してなのか、小鳩くんなりの小市民的過ぎ越しなのか。
 名探偵は己を語らない。

 兎にも角にも事実として、はたから見れてば「付き合っちゃえよ!」な甘ったるい夢は終わって、現実は続く。
 狐は自分と唯一対等に走れた、知性の獣から遠く離れて一人、青春の中に己を埋めていく。
 堂島くんが体を張り、傷を受けた対価としてきっちり、彼女とイチャイチャキャッキャしとる健全な姿を、横に置いてその孤独を削り出す筆が、今まで通りの周到な残酷さで良い。

 

 裏切られた痛みのまま終わった関係を引き裂き、心の裂け目を拡大していく決着に必要な心の熱を、小鳩くんは持てない。
 それは理性の権化たる名探偵のするべきことじゃないし、そうしないと気がすまない不条理を己の中に飼っていたなら、もうちょい別の決着も合ったろう。
 小佐内さんは同盟解消を手渡し、小鳩くんはそれを飲み干して、狼が付いた嘘をこれ以上掘り下げないことを選んだ。

 自分が”人間”の解らない狐でしかなく、何もかもをぶち壊しに出来る真実を叩きつけれるほど名探偵でもなく、裏切られ間違えてなお絆を手繰り寄せられる青春の主役でもないのだと、思い知らされて日々は続く。
 そんな惨めな己の真実こそが、10話に渡る”日常の謎”の果てに探偵役が学び取った答えだ。
 まぁ最初からそういう、意地の悪いジュブナイルだったのさ。

 

 

 

 

画像は”小市民シリーズ”第10話より引用

 そして新しい季節に、別の誰かと別の何かが動き出していく。
 サラリと恋人関係になった相手の名前を、顔のない人形ではなく対等な他者だと尊重できているのなら、小鳩くんは告白され関係ができた後に、その名前を指でなぞらない。
 残酷な夏を経て、痛い目見すぎた中学時代を経て、なお狐にとって他人は自分の引き立て役、名探偵の活躍を褒めそやすスピーカーにしか思えない。
 そういう人非人が、なんとか青春の主役に一緒になろうとした少女も、狼の牙を隠したまま秋へと進み出していく。
 一見苦くも甘い青春の第二幕、最後に車が燃える。

 春に詐欺、夏に誘拐、秋に放火。
 罪もなく他愛もない小さな謎が、弾むように生き生きと青春に色を付けていく”日常の謎”というジャンルへの偏見それ自体が、獣たちを包囲する全然平和でも小さくもない、ガチな犯罪を隠蔽して…まぁいい加減、本性もバレた。
 小佐内さんは拉致られるくらいに過去の所業で恨みを買っているし、小鳩くんはこの夏を経てなお他人を尊重できないまんまだし、それを羊のキグルミの奥に隠したまんま、演じられた青春はしかし、嘘ではなかった。
 嘘でないと思いたくなるくらいにキラキラ眩しくて、知的で素敵で魅力的で、ずっとその幸せが続いてくれれば良いなと、温まったい願いを投げかけたくなる魅力に満ちていた。

 

 でもそれは、小佐内さんが最後に容赦なく切開したように嘘の上に嘘を重ねたフェイクだ。
 嘘も本当もどうでも良く、表も裏でも君だよと物分かりよく受け入れられるようなハッピーエンドは、獣であることからけして逃げられない人非人達にとって、少なくともこの夏にはたどり着けない、爽やかな偽物だった。
 小鳩くんは真実を開陳して気持ちよくなれる瞬間を見落とせないし、小佐内さんは他人を利用し安心を喰うチャンスを無視できない。
 獣は獣、小市民じゃない。

 それでも小市民を夢見た者たちの、無惨な残骸が傷を抱えて、まだまだ季節は巡る。
 自分と対等な獣じゃない、自分たちを特別な何処かへ連れて行ってはくれない誰かと、恋という形で繋がって、さて何が描かれるか。
 こんだけ暴かれてしまえば、ピュアで甘酸っぱい青春絵巻なんてものが、秋に展開するわけがないのご承知のとおりだ。

 

 苦くて甘ったるくて、耐え難いけど喉に押し込む期間限定のスイーツたち。
 それをここまで齧ってしまえば、メニューの途中で辞めるって選択肢はない。
 こんだけ破綻し卓越した自分を、それでも日常と青春に押し込めて生きていくしかない若者たちが、結局どんな自己像を己の在り方と見定めるのか。
 その時目の前に立つ、謎めいた存在をどう受け止めていくのか。
 考えることしか出来ない狐と、他人を噛み千切ることしか出来ない狼が、別れてなお突き進む”日常の謎”で、一番解かれるべき解かれるものが何か。
 この夏の終結は、こんだけ最悪な色合いでもなお…だからこそこの物語が期間限定な青春のお話であることを、雄弁に示してくれる。

 嘘も陰謀も、詐欺も拉致も放火も殺人も、全て飲み込んでなお流れ続ける”日常”という名前の異常。
 凡人が気づかぬふりを続けることで成立しているその異物感を、獣達は見過ごせないし、事件の方も獣たちを通り過ぎない。
 どんだけ平穏を望んでもトラブルは降りかかるし、奇っ怪に捻くれた性根は普通の…例えば堂島くんに理想化される”人間”なら、自然身を入れて乗り越えられる人生の岩礁に、探偵たちを座礁させる。
 消したい過去はいくらでも蘇って牙を突き立ててくるし、何もかも忘れて真っ直ぐ進むべき道を、最悪に歪めながら進むしかない。
 それもまぁ、青春であり”人間”である…はずだ。

 

 一つ重要だと僕が思うのは、この夏を破綻させた名探偵たちの指摘が、真実でありながら事実のすべてを内包しない、限定付きの解法であることだ。
 小鳩くんが見つけた狼の冷たさは、怯えゆえに過剰な罠を張り巡らせた小佐内さんの全部じゃない。
 小佐内さんが指摘した小鳩くんの魂は、確かに小市民に憧れ、一緒に青春に笑っていた事実を何もかも消してしまうわけではない。
 小鳩くんが見つけた狼の顔だけが、小佐内ゆきの全部ではないのだ。

 あるいはそういう風に、事件全てを総括する絶対的真実を指摘できない力量の薄さが、彼らを名探偵的存在として免責し、届くことない小市民の幸福とは無縁の場所へ、連れて行ってくれない理由なのかもしれない。
 小鳩くんが追いかけてきた小佐内さんは、ずっと遠く、届かず、わからない存在として描かれ続けてきた。
 解らないからこそを追いかけようと思える、もしかしたら尊重に値する唯一の他者として…小鳩常悟朗の歪んで醜い”日常”の中特別な光を放つ永遠の”謎”として、小佐内ゆきは別れた先の季節で、なお眩い。
 ”人間”が見えないし書けない、出来損ないのミステリ主体としての小鳩くんが、唯一自分と世界と他者の輪郭をその追求になぞり、不鮮明で遠い道を進んでいける、迷いの源にして道しるべ。
 不鮮明だからこそ尊重するべき他者として、小佐内ゆきはまだまだ生き続けている。

 

 この追跡行に自分なりの納得を込めて、小市民に収まるなり知恵の獣を受け入れるなり、あるいは目鼻のつかない混沌こそが自分なのだと頷いたり、高校二年生の未来はまだまだ、描くべき謎を残している。
 他の話なら唯一絶対の真実になってくれそうな恋が、まーったく頼りにならない手応えも今回ラストのエピローグ(にしてプロローグ)に色濃く薫っていたが、新たな物語でその遠さをアニメがどう描いてくるのか、僕はとても楽しみだ。
 お互いグサグサ暴きあって、どんだけダメ人間か暴いた上で、ふわ~っと幸せな恋愛処方箋で話がまとまるなら、この夏は何だったんだよッ! ていう話ではあってね…。

 小佐内ゆきの本性と、小鳩常悟朗の根源を暴いてなお続く、夏の転換点。
 そこを最後に暴くべき謎と、逆算で演出を設計していった(だろう)アニメが答えの一つを描いて、秋と冬の物語が始まっていく。
 その時決別した尼削ぎの謎が、小鳩くんにとってどういう遠さと近さで、異界へぶっ飛ぶ衝撃を込めて新たに描かれていくのか。
 その特別さを与えてくれない”小市民”たちを、このアニメがどう意地悪く削り出していくのか。
 僕は、凄く楽しみだ。

 

 

 小佐内さんの可愛さ、そこから生まれる爽やかな青春絵巻への期待感で、秘められた苦さと痛みを見事に覆い隠し、最後にぶっ刺し得た話運び。
 極めて見事でした。

 この豊かで幸福な裏切りでお話が終わらず、この決別の先になお続いてしまう日常を、そこでなお暴かれていく”人間”を、アニメ独自の筆致で堪能できるのは、とても幸せなことだと思います。
 精妙な伽藍のごとく構築された、”日常の謎”への裏切りを果たし終えて、物語は大きく画角を変えます。
 残酷も嘘も当たり前に存在する、血生臭く薄汚れた手つきの青春を、掘り下げ暴いた先にある、嘘の中の本当…あるいはまた顔を出す嘘。
 虚実の境界線が世間一般で流通するほど明瞭ではないという、ミステリ特有の指摘をしっかり携えつつ、夏の終わりから続く新たな物語が楽しみです。
 
 良いアニメであり、最高のアニメ化でした。
 お疲れ様、ありがとう!
 春に紡がれていく物語の続きも、とても楽しいにしています!