ギャグとラブコメ、日常と非日常。
入り交じる刃境を全速力で駆け抜ける青春、ダンダダン第6話である。
思い込み激しすぎてやや加害的なヤベー女(あやねるボイスがドンピシャ)が、自分を母だと思い込んでる激ヤバ怪異を釣れてきて大乱闘という、前回のしっとりした空気が嘘みたいな大暴れとなった。
しかしヴィヴィッドな色彩が全てを支配する、怪異とのバトルが始まってみると、「これこそがダンダダンのアニメだ!」という興奮も確かにある。
スゲーシンプルに、ド迫力の画角と速度、動きで脳髄揺さぶられるアクション作画が気持ちいいんだよな…。
マスコット面してるババァIN招き猫の可愛げと強さもしっかり描かれ、一つのヤマを超えたギャルとオタクの混成タッグが、どういう戦いを繰り広げるのか、説得力のある描画だったと感じた。
エピソードヒロインであるアイラの見せ方も、アクの強い部分を暴れさせつつ悪役にしすぎない塩梅で、堂々掲げ撫で擦り、顔面に押し付けるオカルト睾丸芸で笑いを作る、大変いい感じのものだった。
笑っちゃったらもう負けなわけで、なんだかんだ友達にも慕われてるアイラが完全に悪いやつじゃないと、こっちが受け止める支度は出来ちまってる。
あとはバトルの後の真相開示で、どう激しく揺れ動いた物語をチルさせていくか…次週のお手並み拝見か。
激しいの、楽しいの、心の底に染みるの。
いろんな味わいの物語を、自在に混ぜ合わせて見ているものをグワングワン揺さぶり、同時に一つの体験としての統一性をもたせるの、少し凄腕DJみたいな匂いのあるアニメ(と原作)なんだな…。
オカルト要素を完全排除し、ピュアボーイ&ピュアガールの甘酸っぱいすれ違いと触れ合いを描いた前回から、けっこう空気が変わっていく今回。
学園にはババァが付いてきて、オカルンもクズ相手にややギレ変身を果たして、知らぬ間に日常は非日常へと侵食されていく。
それと同居/併存する形で、ギャルとオタクの明暗すれ違いは継続である。
モモちゃん日向・オカルン日陰という、スクールカーストを反映したポジショニングはずーっと徹底されているなぁ…。
そこには星子の実効ある(可視化され、分かり易い)結界術とはまた違った、見えにくく不定形の結界が確かにある。
学校という社会に自然生まれてしまう、オタクとギャルを隔てる壁。
そこにもう一枚、柔らかく揺れ動く思春期の気持ちと、つい口をついて出てくる減らず口の境目がある。
自分のためにオカルンが怒ってくれたと知って、嬉しいけどその気持を何処に持っていけばいいか解んないモモちゃんが、虚実の境目を照らす”鏡”で描かれるのは、個人的に面白い表現だった。
やっぱ個人的にこのアニメ化、”境界”のアニメ化だと感じる。
オカルトと日常の間、悪ふざけと敬意の境目へ不用意に踏み込んで、命がけの厄介事と特別な力を手に入れた二人は、オカルト関係ないはずの日常においても明確な境目で隔てられ、同時にそこを超えたいと足掻く。
恋心と強がり、オタクとギャル。
日常の中にある小さな結界は、怪異とやり合うド派手な非日常の助けを借りてちょっとずつ切り崩され、子ども達は素直な本音と取り繕った外装の狭間で、可愛らしく身悶えする。
そして学校という日常の舞台にもオカルトは忍び寄り、ひっそりと混ざり合っていく。
自称・可愛すぎて全てが許されてる系女子、白鳥愛羅。
彼女がピカピカ充実な光と、薄暗いエゴの影両方に身を置く存在だということを、思い込みと友情がドタバタ混じり合った前半戦は上手く描く。
自分の完璧さを脅かす悪魔の羽が、自分に特別な世界を見せてくれたあの夜の主役と同じだと気づかぬまま、彼女は金の玉の導きによってオカルトの世界に迷い込む。
外部の観察者の目で描かれた、地獄の追いかけっこの結末はとても綺麗で、ヤベー女の”何か”が始まってしまう特別さが、しっかり宿っていた。
戦ってる当人は気付けない、星のような美しさがあの激闘にあったとここで補足すんの、かなり好きだな…。
アイラが自分が囚われている影を祓ってくれると、期待を寄せて見つめる美しいモノたちは、既に描かれてるように危険で下世話だ。
何しろオカルンのキンタマだかんね…アイラちゃん、あんまぎっしり握りしめないようにッ!
あの青い光の奥、ターボババァと悪霊(になってしまった女の子たち)が何を燃やしていたのか、オカルトの外側にいるアイラは知らない。
あるいは星子という善きメンターがいてくれたおかげで、モモちゃんとオカルンは適切に、日常においては伏せられている真実を知り、感じ取ることが出来た…とも言えるか。
力に覚醒めるだけでなく、怪異が抱える悲しみに共感し、かつての敵に微笑めるようになった、モちゃんの描写が、前回のラストにあったのはなかなか良いな、と思う。
自分の足ではトンネルから離れられない地縛霊にしても、招き猫に封じられないとマスコットになれないターボババァにしても、怪異は自分で自分の力を適切に扱いきれない、悲しい存在だ。
そうなってしまうだけの物語が悍ましい姿の奥にはあって、怪物と人間の境目を越えてそこへ目をやれるかが、怪異を知り祓う上では大事になってくる。
特別な世界への扉を開いてくれたレリックが、クソダサオタクのキンタマだという事実に目を開けないアイラは、まだそういう賢さや強さから遠いのだ。
そのバカさが、可愛らしい若さでもあると、このアニメはちゃんと描く。
執拗にアイラがオカルンのタマを大事に大事に扱い、特別な存在として高く掲げる様子を繰り返し映すのが、面白くてしょうがないけども。
バキバキに決まったレイアウトを起爆剤に、ヤベー女との愉快な戦いはシリアスな怪異戦へと近づいていく。
目の前に命がけの境目があることをまだ知らないアイラは、吹き上がった思い込みに目を塞いで大暴走し、悪魔祓いの神具の正体にも全く気づいていない。
そんな彼女がただの愚か者ではなく、彼女なりの愛嬌を解ってくれる仲間もいる存在で、上手くすれば友達になれるかもしれない気配を、コミカルな話運びの中漂わせているのはとても良い。
オカルンの岡惚れを弄び、他人を踏み出しにして悦に入るアイラの生き方は褒められたもんじゃないが、ギャルやオタクとはまた違った形で、彼らが身を置いてる季節特有の空気を、上手く形にしてくれている。
自分が特別な存在であり、他人を蔑ろにしても許されるのだと思い込まなければ、形の見えないナニカに殺されてしまいそうな、不安定な季節。
「思春期の制御不能っぷりを愛でる」ってのが、実はこの作品(そして超能力ジュブナイル全体)の裏コンセプトなんじゃないかと思っているが、アイラの暴走は見ててあんま嫌な気分にならず、しっかり微笑ましい。
ここら辺のチューニングが的確精妙であり続けてるの、やっぱ凄いね。
同時にヤバい足場で高みにのぼせ上がってるアイラは、一発ガツンとカマされ地面に叩き落されなきゃいけないクソアマでもあり、そのための試練としても、アクロバティックさらさらとの邂逅は仕事をする。
サブタイにある「ヤベー女」の大本命、雲母麻美に並ぶ今期期待の母性の怪物は、ワインレッドの怪異色に世界を染め上げつつ、一瞬だけ白く染まったその哀しい起源をチラつかせる。
怪異と人間の境目、覗き込むべき物語がそこにあることを、上手く示す演出だと思う。
主役全員飲み込んだ赤を逆転の青い炎が燃やして、突破口を開く場面含め、カラースクリプトの制御で物語ジャンルの切り替えを演出してきたのが、効いてる表現だと感じた。
色に喋らせるのが巧いアニメだよね~、つくづく。
宇宙人にしろ都市伝説にしろ、オカルン達が立ち向かう怪異が生み出す色彩は、極端で過激だ。
それは日常生活に満ちている”当たり前”の色を全部一つに塗り上げて、憎悪や侵略一色に染め上げてしまう。
そこでは悲しみと裏腹の狂気とか、憎悪の奥にある愛とか、矛盾しつつも同居する複雑な思いはかき消されてしまって、悍ましい怪物は見た目通りの”敵”でしかない。
しかし今回と同じく、青い炎を祓魔の篝火としたVSババァ&地縛霊戦が既に描いているように、怪異には(あらゆる人間と同じく)個別の物語があり、彼らに刻まれた過去を知ることで、新米退魔師たちは真の勝利へと近づいていく。
その予兆が、毒々しい赤と切ない白に明滅する、幼子と母のカットインに刻み込まれているの、めっちゃ冴えてて好きだ。
それが白一色で描かれないということは、母を自称しつつ意にそぐわない子を飲み込んでしまう、母性の怪物のヤバさは本物、ということだ。
アクロバティックさらさらは人を殺すし、話は聞かないし、自分自身が何処から来て何処へ行きたいのか、己の物語を忘れている。
それを超常の拳で殴りつけ、伏せられた真実をえぐり出す資格は、バトルに勝つことでしか掴み取れない。
あっという間に脱落仕掛けた若造共を、クールに見守り突破口を開くババァ猫の貫禄が、前半戦のマスコットぶりと、心地よく対照的だ。
「都合のいいラッキーを、タイミング良く手渡す」というババァの新能力は、年長者の助けを借りつつ、あくまで若者自身が怪異に立ち向かい、自分自身の中に秘められてる力を開放する戦いに、ちょうどいいサイズ感だと思う。
ここで物知り星子がなんもかんもやってくれる話にしたいなら、ババァ戦はああいう展開にはなっていなかったわけで。
しかし暴走する思春期は適切な導きなしだと、簡単にデッドエンドにも飛び込んでいくわけで、その配置はかなり難しい。
勝機を引き寄せ主役に手渡すけども、自身が全てを決着させるわけではないババァのバランスは、十字架ライターに足を乗せてビシッと決めた姿そのままに、大変いい感じだ。
”敵”だった時代に比べ、みじけー手足をウニャウニャ振り回してモモちゃんとじゃれてる今のババァは、悪態はそのままになんか可愛らしい。
地縛霊が犯され殺され捨てられた悲しみを、憎悪と殺意に変換するしかなかった(それを皆で知り祓った)ように、あの戦いを経てババァもまた、制御不能な自分をうまく削ってもらって、ちったぁ人間社会と馴染める形になったんだな、という感じ。
同時に油断ならぬツワモノ、簡単には気を許さないオカルトの猛獣であることは変わりがないと、いきなりの大ピンチを燃やし破る仕事を果たすことで、しっかり示しても来た。
マスコットとライバルの境界線に、ターボババァはビシッと立つのだ。
「てめーぶっ殺してやんよ!」と口では言いつつ、ガキ共の窮地を救ってるババァの変化は、やっぱモモちゃんがババァの優しさが理解ったと、満点笑顔で素直に告げたのが効いていると思う。
「コイツ相当絆されてるな…」と気づくと、モモちゃん以上のツンデレとなってかなり可愛く思えてくるので、良い書き方だなぁと思う。
このババァの可愛げは味方になって急に生えたというより、そういう存在だから地縛霊唯一の味方になってた…て話なのだろう。
悪霊以外の連中にも持ち前の屈折した優しさ使えるようになったのなら、それってかなりいいことだし、そうさせたオカルン達の”退魔”はなかなかド偉いことしてたなという感じだ。
モモちゃんのサイキックが進化したり、オカルンが変身能力を制御しやすくなったり、分かり易いレベルアップ描写も冴えているけど、こういう感じでキャラの変化、関係性の進展があることで、前回の戦いの意味がジワジワ染みてくるのも好きだ。
これが超スピードで展開する激ヤババトルと、同時に動いてんだからなかなか凄い。
緩急を連続させるだけでなく、同時に発生することで独自のグルーヴを生み出し、脳髄を揺さぶる手際の見事さ…流石だぜ。
こういうカオスで精妙な面白さを、クオリティ一切下げず毎回適切な描線でやりきってるアニメ化って、マジ奇跡だと思うよホント。
こういう筆が次回、今は周り傷つけるヤバ女にしか見えないアイラとアクロバティックさらさらを、どう描き直すのか。
日常の向こう側で暴れるオカルトを駆動させる、真実の物語に目を向けた時、どんな筆致が選び取られるのか。
オカルト青春バトルラブコメの過積載にもう一つ、悲しみを帯びた人情物語のテイストを加えだす重要ポイントを、アニメがどう料理してくるのか。
次回も、大変楽しみです。
個人的に”ダンダダン”、人生普遍の苦しみや理不尽、そこから生まれる悲しみの書き方が上手いからこそ成立してる作品だと思ってます。
人生の湿って暗い部分への視線が、鋭くて深い印象。